巫女レスラー   作:陸 理明

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第5試合 明王殿レイ
〈神腕〉の巫女


 河童は相撲に強い。

 古来、相撲は神事であり、河童はそもそもが水神の末裔であったからだと伝われている。

 河童の見た目は、鱗で覆われた緑色または赤色の全身をしていて、頭頂部に皿を乗せている。

 この皿は円形の平滑な無毛部で、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると力を失う、もしくは死ぬという河童の弱点である。

 口は短い嘴になっていて、背中には亀のものと似た甲羅を背負い込み、手足の四本の指の間にはうっすらと水掻きがあるものが多い。

 小柄な見た目の河童の場合は、よく子供たちと相撲をとることで知られているが、実のところそれは微笑ましい話ではなかった。

 河童に相撲で負けた子供は尻子玉(しりこだま)を抜かれて、殺されてしまうからだ。

 尻子玉とは人間の肝臓のことである。

 河童はその尻子玉目当てに、河辺で遊んでいる子供たちをたぶらかして、遊びのつもりで相撲に誘い込み、負かした代償として大切な臓器を奪い取るのだ。

 ある意味で凄まじく危険な妖怪であった。

 そして、それは現代でも変わらない。

 河童は往々にして小柄な妖怪であるが(子供と相撲をとれるサイズなのだから)、茨城県にある牛久沼に現われたものはニメートル以上の巨躯を持つまさに巨漢であり、牛に勝るとも劣らないほどに立派な姿をしていた。

 そのぐらいのサイズともなると、一々相撲を持ちかけて獲物を罠にかける必要はない。

 ほとんどの人を越える上背と妖怪ならでは怪力の持ち主であり、水辺を歩いていた人間たちに水中から飛びかかり、足などを掴むと、そのまま引きずり込む。

 人間はパニックになってしまえば、腰までの深さのプールでさえも溺れる生き物だ。

 突然、水の中に引き込まれてしまったら、ほぼ数秒で窒息する。

 そうして、牛久沼の〈河童〉は死んだ人間の肛門から尻子玉を抜き出して貪り食っていたのである。

 とはいえ、古来からの河童の相撲好きは変わることはなく、挑まれれば逃げることはなかった。

 牛久沼の人食い〈河童〉も例外ではなく、水辺にいつの間にか設置された白い舞台の上で、好物の一つであるキュウリとともに、人が待っていれば迂闊にもノコノコと近づいてしまうのである。

〈河童〉を待っていたのは、紅白の装束を身につけた巫女だった。

 神職なので当然警戒すべき状況であったが、人を食いすぎて獲物を舐めてかかるようになっていた〈河童〉は用心もせずに近づき、巫女が蹲踞の姿勢をとったことで完全に相撲を取る気になっていた。

 女にしては背が高い方だったが、所詮は人間。

 相撲で無双の〈河童〉と戦えるはずもない。

 行司の掛け声こそなかったが、どこからと響き渡った鐘の音を合図にして、〈河童〉と巫女ははっけよいのこった。

 がっぷりと組んでしまえば、例外的にも大柄な牛久沼の〈河童〉が負けるはずなどない。

 だが、そうはならなかった。

 

『ぎゃぴ!』

 

〈河童〉は情けない悲鳴とともに吹き飛ばされた。

 頬を張り飛ばされたのだと理解するのに時間がかかった。

 技でもなんでもないただの平手打ち―――ビンタだった。

 力強い大振りで横合いから繰り出されたただのビンタが、〈河童〉の百二十キロ近い体重の突進を押し止めたのである。

 少し遅れて今度は逆の手のビンタが、〈河童〉の頬を張る。

 

『ぎゃあああ!!』

 

 またも〈河童〉は情けない声を上げた。

 相撲には突っ張りはあるし、張り手もある。

 相撲好きの〈河童〉ならばそのぐらいは慣れっこだし、重い一発を耐えてがっぷり四つに組むまで持ち込んでがぶりよるのが基本的な戦いだった。

 たかがビンタに怯むなんてことは普通はない。

 だが、その巫女のビンタは()()()()()()()()()

 とてつもない重さに意識が失われるかと思うぐらいに頭蓋骨に響き渡るのだ。

〈河童〉はたたらを踏んでこらえるのが精いっぱいという有様であった。

 一瞬でも隙ができた以上、巫女がそれを見逃すはずがない。

 今度は突き上げる勢いで、拳ではなく開いた掌底が〈河童〉の顔面を捉えた。

 ときに、鍛えられた掌は、握られた拳よりも堅い。

〈河童〉の視界が真っ白く染まる。

 掌底の一撃のせいだった。

 恵まれた体格を誇り、牛すらも担ぎ上げられるほどの膂力があったとしても、相手に触れられなければ意味はない。

 たったの三撃でほぼ〈河童〉は意識を刈り取られる寸前に持っていかれてしまったのだ。

 それでも妖怪の本能は狂暴に抗うことを命ずる。

 全身の力を振り絞って巫女目掛けて抱き付こうとした。

 掴まえてしまえばそれでいいのだ。

 体格という絶対の差は人間の女ごときでは埋められない。

 押し包んで、身動きとれなくさせてから、尻子玉を奪い、凌辱すればいいだけのことだ。

 人間などに妖異《あやかし》が負けるはずがない。

 しかし、そうはならなかった。

 またも、強力無比なビンタが〈河童〉の頬を張り飛ばし、そして、無防備になった腕を取られた。

 何をするのか、と疑問に思う余地もなく、〈河童〉は自分の身体が反対側に振られるのを感じた。

 投げられた〈河童〉は少しして、やや固い綱のようなものに受け止められる。

 白い舞台の四方に張られていた三本の縄だと思い出す。

 なんだ、どうするつもりだ。

〈河童〉が思わず振り返ると、彼が一時的に失っていた視界が正常に復帰した。

 同時に、自分の顔面に目掛けて、白い何かが接近していた。

 勢いよく振り抜くように、まるで西部のカウボーイの投げ縄が巻き付くかのように、巫女の伸ばされた右腕が〈河童〉の喉笛に刺さった。

 

『ギャ……!』

 

 それだけでも〈河童〉は意識が飛ぶかのように窒息しかけていたが、巫女はそれで終わらせることはない。

 なんと、強引に〈河童〉の咽喉に腕を差し込んだまま、一回転して、白い台の上へと叩き付けたのである。

 女性らしからぬ恐るべき怪力であった。

 腕一本でニメートル以上の体格をねじ伏せるとは。

 もう完全に気を失ってノックアウトされた〈河童〉が、10カウント後に白い台に敷かれた結界の力で消滅していく。

 牛久沼の〈河童〉はここで退治されてしまったのである。

 だが、人々を脅かす邪悪な妖怪を退治したはずの巫女の顔は浮かないものであった。

 

「だめだ……」

 

 巫女は嫌そうに頭を振る。

 忸怩たる思いが抜けないという表情であった。

 

「どうしてもへヴィー級(こいつら)じゃあ満たされない。やっぱりでかいだけの奴なんて、いくら倒したって満足できねえ」

 

 巫女は自分が倒した巨漢の〈河童〉のことなどなんとも思っていなかった。

 ただ、今の本来は死闘と呼ぶべき戦いに満足できなかったことだけが頭の中に渦巻いてた。

 

「やっぱりあいつしかいねえのか……」

 

 巫女は夜空を見上げた。

 彼女の眼には、どうしても忘れられない宿敵《とも》の顔が浮かんでいる。

 

「確か、武蔵立川で女子高生やっているはずだよな。―――いくしかねえやな」

 

 ……彼女を苛むどうしょうもない渇きを満たしてくれるものは、今のところ、たった一人しか存在しないのだ。

 

 

       ◇◆◇

 

 

「あれはヤバい奴だよね」

 

 御子内さんと関わって、いくつもの妖怪退治をしてきたせいか、最近の僕はいわゆる「見える人」になっていた。

 あまりにも妄執の強い地縛霊なんかは、特にくっきりとわかるようになっているのだ。

 小学生ぐらいの女子のあとをぴたりと寄り添っている、黒い影のような中年女性の存在にもすぐに気がついたぐらいである。

 最初はただの過保護な母親かと思ったが、よくよく見てみるとあまりに女の子に近づきすぎているのに、小学生は気にもしていないようだった。

 それに「善くない」もの特有の歪んだような体型をしている。

 連中は背筋がぐにゃりと曲がっていたり、両腕や足のサイズや長さが違うことが多いのだ。

 死んでしまったからなのか、それとも他の要因なのかは知らないけど、悪霊というものはやはり歪《ひず》みなのだろうとわかる。

 その中年女性もそうだった。

 どんな意図があるのか、小さな女の子をギラギラと黄色い双眸で睨みつけながら纏わりついている。

 生者への恨みか、女子への憎しみか、それとも社会全体への怨嗟か。

 あのままあんなのに付き纏われたら、きっとあの子は不幸になる。 

 でも、御子内さんのように巫女ではない僕ではあんな悪霊をどうにかする術はない。

 見失う訳にはいかないから、あとをこっそりとつけていくのだけど、それだって最近では「事案」呼ばわりされそうだから、気をつけないとならない。

 だから、声をかけるのは論外だ。

 だが、見捨てることはできないし、急いで御子内さんに連絡を取ろうとスマホを手にした。

 

「あれ?」

 

 その時、反対側から見慣れた紅白の巫女装束がやってくるのが見えた気がした。

 慌てていたので最初は御子内さんかと思ったが、彼女よりも頭一つ分身長が高い、すらりとした八頭身のお姉さんだった。

 髪は腰まである艶のある黒髪。

 しかし、明らかにおかしいのは、肩のあたりで白衣の袖部がばっさりと切断されて、両腕が剥き出しな上、タスキのようなものを胴体に巻いているのだ。

 さらに御子内さんが膝丈のスカートっぽく加工している緋袴も、その巫女の場合は通常のものとは違い、膝あたりで剣道のもののように二股になっていた。

 もっとおかしいのは、大工や左官屋さんのように紫色の派手な地下足袋をつけて、さらにぶかぶかの同色のニッカズボンを履いていることである。

 どうみても巫女ではなかった。

 大工と巫女のハイブリッド過ぎる。

 とはいえ、僕は逆の意味で安心できた。

 今までの経験上、あの手の一般的でない巫女姿の女性がいたら、それはまず間違いなく退魔巫女―――御子内さんの同類なのだから。

 事情を話して、あの女の子についた悪霊を祓ってもらおうと決めた。

 そこで、彼女に近づこうとしたら、あっちでも気がついていたのか、大工もどき美人巫女はのしのしと女子小学生に近づいていく。

 何をする気なのかと様子を見ていると、なんと巫女さんは無造作に手を伸ばし、ぐいっと悪霊の上襟の部分を()()()

 猫じゃないんだからと感想を言いたくなるような大胆さだった。

 そして、まさにひっぺがすという言葉に相応しい動きで、完全に悪霊を横に投げ捨ててしまう。

 悪霊から解放された小学生が何か異常を悟って振り向くこともなく、至極簡単に救助は成功してしまっていた。

 

「……成仏しろ」

 

 巫女さんはぼうっとしている悪霊に一瞥を投げかけると、そのまま立ち去って行ってしまう。

 祓うとか、そういうことはする気もないようだった。

 単に通りすがったから子供を助けてみた。

 本当にそれだけのようだ。

 

(へえ……格好いいな)

 

 だが、こんなところに悪霊を放ったらかしにしておくのは別の誰かに憑りついて迷惑になるのではないかと思っていたら、さっきの悪霊の様子が変わっていた。

 さっきまでの「善くない」ものの雰囲気がなくなり、歪みや狂いのようなものが失われていたのだ。

 贔屓目に見ても、ただの害のない透明な存在にまで戻っていた。

 そして、ちらりと空を見ると、煙のように薄くなり、そのまま完全に消えてしまう。

 

「成仏したのか……」 

 

 あの女の子から無理矢理に剥ぎ取られたことで、きっと悪霊となっていた原因の恨みみたいなものから醒めたのだろう。

 強引に祓ってしまうよりも自分から成仏できたのなら、それにこしたことはないかもしれない。

 もしかしたら凄い巫女だったのかな。

 もう通りの向こうに立ち去ってしまい、こちらからは見えなくなったあの巫女さんの後姿を僕はしばらくの間だけ見送った。

 

 

 ―――これが、僕と第三の巫女レスラー、明王殿(みょうおうでん)レイとの初めての邂逅であった。

 


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