巫女レスラー   作:陸 理明

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第39試合 童話と恐怖の時代 後編
身を灼いて星になる


 

 

 明王殿レイは宇宙の中心に立っていた。

 彼女の視界に入っている世界と主観で考えてみたら、の話だ。

 足の裏には確かに堅い床の感触がある。

 だが、レイの瞳に映っているのは、まぎれもなく大宇宙―――銀河系の光景であった。

 

「幻覚……かよ」

 

 ついさっきまでの山猫軒の、いかにも古いレストランテという廊下の漆喰の壁はなくなり、どこまでも続くような宇宙が広がっていた。

 対峙していた巨大な醜い鳥―――〈よだか〉が飛び回るたびに、まるでペンキで塗りつぶされるように景色が黒く変わっていき、最後には誰もが知る宇宙そのものにまで変貌を遂げていたのである。

 宇宙そのものでないことはわかる。

 無重力でもないし、呼吸も苦しくはならないからだ。

 見た目だけの宇宙だ。

 そして、脱出するためには少し離れたところにある扉から行くしかない。

 

『鉄砲と弾丸をここに置いて行ってください』

 

 と金文字で書かれた扉から。

 

「鉄砲をもって飯を食う訳にはいかないが、だからといって無防備にはなれないぜ」

 

〈よだか〉はどこかに飛んで行ったままだ。

 だが、彼女を見逃してくれるとは思えない。

 レイは〈神腕〉を構えた。

 退魔巫女の中でも屈指の攻撃力を誇る、明王殿家の跡継ぎだけが使える神の手だ。

 いざというときに一番頼りになるものだといっていい。

 もっとも、最近のレイは少しこの腕のことを疎ましく思っていた。

 

(結局、〈神腕〉がなければオレはただの粗暴な女でしかねえ)

 

 ここ数か月、レイを悩ましているのはそのことだった。

 仲間たちにはない恵まれた神通力を持っているだけで、若手の退魔巫女でもイチ、ニを争う実力者と呼ばれていることに疑問を覚えていたのだ。

 何か特別なきっかけがあった訳ではない。

 闘士としての在りようについての問題だ。

 

「こんなのに苦労しているようじゃな……」

 

 下を見ると、無限の星の連なりが飛んでいる。

〈よだか〉はこの宇宙を飛ぶ攻撃機として着かず離れずのヒット&アウェイを仕掛けてい来るのだ。

 そもそも〈よだか〉は侵入者である巫女たちを足止めするために配置されているはず。

 だったら、時間を稼ぐために、宇宙空間を擬したフィールドを用意したとしても不思議はない。

 だが、迂闊な動くことはできない。

〈よだか〉から放たれる殺気の類いが尋常ではないからだ。

 隙を見せれば確実に致命傷を与えられる。

 すぐにでも先行している或子を助けに行きたいので、完全に足止めを許している状態であった。

 

「―――っつう訳にもいかねえんだよ」

 

 初めて会ったときから、不倶戴天のライバルになった。

 まともに()り合って二戦二敗と負け越している間柄だが、御子内或子にとって最大のライバルは自分であると自負している。

 他の同期たちは、あまり仲間内での序列について執着することはないが、実力が拮抗しているからこそずっと気になり続けていた。

 純粋に強さを追い求めることの競争相手として。

 つい最近まではそれで済んでいた。

 しかし、最近はややスタンスが変わっている。

 レイは一人の少年のことが気になっていた。

 色恋の問題ではない。

 そう自分に言い聞かせてはいたが、実際にはそれに近いだろう。

 平安から伝わる名家・明王殿の後継ぎとして、妖怪退治の退魔巫女として、殺伐とした世界を生きていたから浮ついた気分にはなれないだけかもしれない。

 ただ、その相手が問題なのだ。

 

(どー考えても、或子に気があるんだよなあ。或子のバカもまんざらではなさそうだけど……)

 

 要するに嫉妬なのだが、気になる少年とライバルがいい雰囲気というのがなんとなく許せない。

 悶々として暮らしているうちに、今まで誇りに思っていた〈神腕〉が厭わしくなってきた。

 もしかしたら、これのせいで自分は損をしてきたのではないか。

 そんな風に卑下をしてしまう自分がいた。

 女としては得難い破壊力を与えてくれて、色々な意味で無敵の存在にさせてくれる、この産まれながらの贈り物(ギフト)の存在がマイナスに働いているのでは。

 もちろん、授けてくれたご先祖に感謝はしている。

 多くの人々を守れたのも事実だ。

 ただ、平凡な少女としての暮らしは送れなかった。

 千葉県内の女子高に通っている時は、それなりに年頃らしい生活はできているものの、やはり浮いてしまっていることは否めない。

 他の同期もおそらく同じような境遇だろう。

 物心ついたときには、〈神腕〉の巫女として実家の神社どころか成田山の神事にまで駆りだされていたレイには、やはり普通の生活というのは難しいのだ。

 だから、色恋の経験もないし、彼氏なんて考えたこともない。

 それなのに、あの少年に出会ってしまった。

 正直な話、彼女の「格」に相応しい相手ではない。

 千葉最大の神社である成田山の格式に匹敵するのが、レイの実家なのだから。

 だが、そんなものでは止められないほど、彼女はあの少年のことが気になっていた。

 強くは……ない。

 神通力も……ない。

 ただ、頭が良く知恵が働き勇気を備えている。

 簡単に聞いただけで、あの爆弾小僧をどれだけ助けてきたのかが手に取るようにわかるのだ。

 普段ならばただのど素人の高校生を退魔の現場に近寄らせるなんて、〈社務所〉は絶対にしない。

〈護摩台〉を造るための人手としてならともかく、それ以上のことは普通ならやらせない。

 それなのに、少年は御子内或子と一緒に多くの現場に立ち入っているのは、完全に上が黙認しているからだ。

 何故か?

 音子からの話を総合すると、少年には〈一指〉という強運があるらしい。

 最後の最後まで足掻いてもがいて這いずり回ったものが、限界のギリギリで発揮する絶対的な強運。

 古代中国の文献にも載っているものの、実際にそれを備えたものはほとんどいないという、最後に立っている勝者(ラストマン・スタンディング)のための運。

 そのせいだろうか。

〈一指〉を利用して妖魅との戦いを有利に運ぶためか。

 いや、違う。

 おそらく〈社務所〉が黙認しているのは、彼の機転と勇気と〈一指〉を利用して、或子という媛巫女を守らせるためだ。

 御子内或子の独特の立ち位置については、噂程度でしか知らない。

 家にまで遊びに行って泊まり込んだこともあるというのに、親友といってもいい相手の事情がほとんどわからない。

 だが、彼女が〈社務所〉にとって特別な存在になっているということだけは知っていた。

 その或子を鍛え上げる必要性と守らなければならない必要性の二つの相反するものをクリアするために、升麻京一という少年は選ばれたのだ。

 或子と少年は裂けがたく結びついている。

 そう考えるとレイの片思いは成就しないだろう。

 似たような想いでいるはずの、神宮女音子も同じだ。

 あの二人の間には割りこめないかもしれない。

 だが……

 

「戦いでも色恋でも、いつまでもあいつの後背を舐めてばかりはいられねえんだよ」

 

 レイはいつもの劈掛掌の構えを解いて、別の構えに切り替えた。

 ここ数ヶ月、マスターするのに必死になってきた大技のために。

〈神腕〉の左右の両腕に宿っている。

 威力に差はない。

 とはいえ、片腕だけでも十分すぎる破壊力があることから、どちらかが当たるだけで勝負をつけることは容易だった。

 だから、今まで対の〈神腕〉を同時に使う機会は滅多に無かった。

 だが、これからレイが使うのはそれだけではない。

 単なる打撃だけでなく、螺旋の捻りまで加えた掌打だった。

 或子の得意技である発勁を自分なりに改良した、中国拳法劈掛掌の使い手であるレイだからこそ可能な極限の双掌打である。

 妖気が後ろから迫ってくる。

〈よだか〉がついに燐によって燃え盛る炎の鳥となってとどめを刺しにやってきた。

 醜い顔をさらに歪めて。

 

「―――よだかは虫を食べずに飢えて死のうとまで決意した、優しい奴なんだよ。おまえみたいに、おかしな妖魅の手下になんか絶対になる奴じゃねえ……」

 

 身体を灼けば、ひかりになれる。

 

 そんな窮地に至れるのならば、強くなることも無駄ではないだろう。

 レイは肉体を捻り、掌をくっつける。

 そして、背後の宇宙から飛んできた〈よだか〉目掛けて、カウンターで合わせた。

 不動明王が与えたという降魔の利剣に匹敵する〈神腕〉の破壊力に、螺旋の捩り、レイの裂帛の〈気〉が重なり合った一撃が過たず、〈よだか〉の歪んだ嘴に命中する。

 宇宙全体からすれば小さいが、大きな光がレイを包み込んだ。

 燐とともに燃え盛る〈よだか〉は爆散する。

 その瞬間、もう一度劈掛掌の連続技を叩きこみ、ある方向に消えゆく妖魅を誘導した。

 ローマ字のWの形をした星座のある場所へ。

 

「よだかの星は―――そこにないとな……」

 

 優しく哀しいよだかの場所はそこだからだ。

 燐の火が消えると同時に宇宙の幻も消えた。

 妖魅の力がなくなったのだろう。

 相変わらず山猫軒の中だが、それはこの先に待ち受けるものをぶっ倒せば終わることだ。

 レイは先行する親友のあとを追った。

 

 


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