巫女レスラー   作:陸 理明

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神の廃棄物処理場

 

 

「この〈迷い家〉はいったい何のために顕現しているんでしょうか?」

 

 たゆうさんに聞いてみた。

 山猫軒に突入した御子内さんたちを助ける手段は僕にはない。

 ここで黙ってじっとアリアドネの糸車を握って、それを頼りに彼女たちが帰還するのを待ち続けるだけだ。

 それでも、この怪奇現象がなんのためのものなのか、僕は知っておかねばならないと思っていた。

 彼女たちの戦いの意味をわかっておきたかったからだ。

 

「―――妹の死に絶望した宮沢賢治は、東北の荒れ地を流離い、地の涯で一柱の神に出会いました。その神の名は―――イタクァ。マレー半島のチョー・チョー人などから信仰されていた、風に乗って歩む神です」

「イタクァ?」

「ええ。この極東にある国には、太古の昔からまつろわぬ神々が最後に辿り着く墓場としての特徴があります。自分たちの国ではもう信仰されなくなり、場合によっては耶蘇教によって悪魔にまで貶められた神々は、大陸を彷徨し、海を渡り、この弓状の島でひっそりと消滅していきました」

 

 神の墓場って……こと?

 

「大黒天はインドを追われこの国で大黒様となりました。不老不死を求めて海を渡ったとする徐福は、実は始皇帝の命で黄帝が滅ぼしきれなかった蚩尤を封じるためにこの島に着ました。耶蘇のイエスの弟も青森の地で兄の魂を葬りました。―――この島は神の流刑地であり、安息の場でもありました」

 

 たゆうさんは続ける。

 

「だからかどうかは知りませんが、この国には古来より数えきれない神格が姿を現すことがあります。先ほど語ったイタクァもその一柱です。そして、神々は今でもこの国にやってきて―――時折、災厄を引き起こします」

「災厄って……」

「おまえ様方は知らないことです。なぜなら、多くの場合、わたくしどもや多くの諸機関が未然に防いできていたからです。地震も、津波も、雪崩も、起きうる前に芽を摘み取ってきました。稀に摘みきれずに被害を出してしまうことが心苦しいのですが、それでもわたくしどもにしか解決できない問題は山のようにありました」

「―――」

「そして、この〈迷い家〉もその一つです。この現象は、風の神イタクァを呼び出すためのもので、或子たちがしなければならないのは召喚の阻止なのです」

 

 さすがに驚いた。

 神さまの召喚なんて……

 もしかしたら、それは今まで目撃していた妖怪退治なんて目じゃないほどの大事件なのではないだろうか。

 

「おそらく血糊で閉じられた〈春と修羅〉の初版本に記されていた謎の言語というのは、イーハートーヴから神を召喚するための呪文だったのでしょう。神の降臨を望むなど魔導書の本領発揮といったところですか。……そこの博物館から〈春と修羅〉を盗み出したものは、この帝都で絶対にやってはいけないことをしようとしているのですよ」

 

 さっきの子供とその背後にいた巨人。

 あれと同じものが、いや、さらに危険なものが両国のこんなところに結界を越えて現われたとしたらどんな悲劇が舞い降りることか。

 僕には想像もつかない。

 怪獣映画の一シーンのようにわかりやすい破壊が引き起こされるならまだマシな方だろう。

 あの偽神にはそんなものを覆す宇宙的恐怖があった。

 賭けてもいい。

 きっと碌なことにならない。

 かつての〈社務所〉の所属の巫女たちが防ぎきれなかった地震や津波や台風でさえも比べ物にならない悲劇が起きるのは、火を見るよりも明らかだ。

 そんなもの、絶対に止めなくちゃならない。

 

「……まあ、貴方様がそこまで心配をするほどのことではありません。或子が……あのバカ娘がきっとなんとかするでしょうし」

「え、バカ娘って……?」

「あなた様が面倒をみているあの益荒男娘(ますらおむすめ)のことですよ」

 

 益荒男って男のことじゃないかな……

 

「御子内さん……が……?」

「あれは、伊達と酔狂でわたくしどもが見つけて育てた訳ではありません。確たる素質と意志を兼ね備えていたから媛巫女に選んだのです。まあ、或子の影響があってか、明王殿の後継や於駒神社の子猫でさえ、ああまで強く成長するとは思っていませんでしたけどね」

 

 たゆうさんは、弟子の御子内さんに対して賞賛の言葉を送った。

 確かに彼女は凄いから。

 その姿はまるで自慢の孫娘を褒める優しい祖母のようだった。

 

「あなたさまはどっしりと構えて、ここでわたくしと待つとしましょう。今生の媛巫女たちが無辜なる民草を救うに値する力を持っていると信じて」

 

 そうだ。

 何が起きるかはわからないけれど、レイさんとあの―――御子内或子が為すすべもなく手をこまねいているはずがない。

 

「が……頑張れ……御子内さん!!」

 

 絶対に声は届かない。

 だが、僕にはもう応援するしかすることはなかった。

 だから、叫ぶ。

 

 頑張れ、御子内さん!! 

 

 と。

 

 


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