巫女レスラー   作:陸 理明

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〈社務所〉の媛巫女

 

 

 たゆうさんの採る構えは、僕たちが知っている相撲とは全然別の代物のようだった。

 彼女が角力と呼ぶのもむべなるかな。

 立ち合いの姿勢ですらない。

 そもそも彼女の体格では、大柄な子供相撲の力士とたいして変わらないのだから。

 だが、通常の想定されているものの二倍は広い土俵の上だと、彼女の存在感は桁外れに強い。

 そして、対戦する例の子供は……

 

「えっ!?」

 

 思わず困惑の声が出た。

 さっきまでただの奇妙な子供としか見えなかったのに、うすぼんやりと別のものが見えていたのだ。

 サイズは子供を腹の中に納めても足りないぐらいにでかく、大きな顔を持ち、眼があるべきところに炎のように紅い輝きが二つ、パープルの煙と蒼い雲でできたような輪郭の巨人がまるで被されるように立っているのだ。

 錯覚でも幻でもない。

 あれは実際に存在している何かだ。

 結界を持つ〈護摩台〉と同じ効果のあるらしい土俵の力がもともとの正体を可視化させているのではないだろうか。

 おかげで、小柄なたゆうさんがさらに小さく見えた。

 像と仔馬ほどの差があった。

 相撲どころか、対峙するだけでフェアではないぐらいに。

 紫と蒼い巨人が踏み出すと、三度風が巻き起こる。

 またもや人を容易く吹き飛ばしそうな乱暴な風の渦だった。

 風の神の眷属とたゆうさんが言った通りだ。

 あの巨人は風の支配者なのである。

 もし土俵のルールがあるのならばあそこから飛び出した時点で負けは決まる。

 相撲に場外乱闘はないのだから。

 そして、この風はちっちゃな巫女なんて人形のように押し出してしまうに違いない。

 しかし、そうはならなかった。

 

「この程度、笑止!!」

 

 ズシンと下半身を震わせる地響きが轟いた。

 発生源はたゆうさんの足の裏だった。

 中国拳法の震脚という踏み込み法があるが、それを遥かに上回る、雷が落ちたかのような一歩が地域一体を揺らしたのだ。

 しかも、それと同時に三度風がやんだ。

 音と震動に掻き消されるかのように。

 

「震脚ではなくて、もしかして―――四股を踏んだのかな……」

 

 力士の、特に横綱の踏む四股は、病気を祓うという神事の一環でもあったという。

 であるのならば、たゆうさんの踏み込みもそれと同じものなのかもしれない。

 さっきは金属を使ったが、土俵という結界を張った今はただの四股踏みでさえ神の御業に近づけるということか。

 たった一踏みでこんな結果を出せるなんて……

 さすがは〈社務所〉の重鎮。

 

 どっどど どどうど どどうど どどう

 

 風の巨人が手を伸ばした。

 欠伸が出るほど遅い、と退魔巫女たちならば断じることだろう。

 たゆうさんはそんな彼女たちの師匠格なのだ。

 当然、そんなものは掻い潜り、懐に飛び込んだ。

 そして、搗《か》ち上げた。

『かちあげ』とは、相撲の取り組みでの戦術の一つであり、前にだした腕をカギのように曲げ、急所の頭部を守るために、胸に構えた体勢から相手めがけてぶちかましを行うことをいう。

 強い力士なら、この搗《か》ち上げだけで勝敗を決められる。

 衝撃力は一トンに達するという力士の立会いのパワーがすべて籠められるのだから、それも当然である。

 小柄であっても、スピードの乗ったたゆうさんのかちあげは、確実に巨人の胸に突き刺さった。

 何倍もある巨躯が揺らぐ。

 揺らいだところに、なんと下段からの蹴りが放たれ、巨人の太ももを強打した。

 膝ががくんと落ちかかる。

 御子内さんバリの腰の乗った下段蹴りは、既存の拳法のものではなく、やはり相撲のけたぐりに近いのだが、あまりの迅さと力強さで、まさに岩をも砕けそうだった。

 当麻蹴速を蹴りで打ち破った野見宿祢の末裔というだけあって、彼女は現代の相撲取りではなくて、古代の力士と同じものなのだろう。

 古代では蹴りも殴りも認められた武術の一つだったという角力の。

 そして、たゆうさんは細い身体を竜巻のように捻じ曲げ、渾身の張手を叩きこんだ。

 

『グオオオオオ!!』

 

 蹴りによって屈んだことで巨人との身長差が消えたことにより、彼女の突っ張りは顔面に疾風迅雷のごとく入る。

 巨人はまたしても激しく揺らいだ。

 どう考えてもアンフェアな体格差があるというのに、たゆうさんが圧倒していた。

 神の眷属、というのもわかる相手に対して、これほどとは……

 巫女姿でまわしもつけていないのに、ここにいるのは日下開山―――無敵の横綱なのかもしれない。

 ぶんと回した指が巨人の本体である子供の襟を掴む。

 そして、投げ捨てた。

 とんでもない怪力といえた。

 レイさんの〈神腕〉を彷彿とさせるが、彼女のように特殊な力がある訳ではなさそうだった。

 子供は土俵を転がり、そのまま動かなくなる。

〈護摩台〉で妖怪が消えるように、神の眷属という子供も消えていった。

 たゆうさんの使った技は相撲とはいえないものかもしれない。

 だが、相撲という名は雄略天皇が二人の女官にふんどしを履かせて立ち合わせたときから呼ばれているということが日本書紀にあるので、もしかしたらたゆうさんの技が正しいのかもしれないけれど。

 しかし、はっきりしているのは、御所守たゆうという巫女は神の眷属にも負けない力の持ち主であるということであった。

 

「うーむ、七十のババアだとちぃと骨が折れるのお」

 

 と、たゆうさんは腰をポンポンと叩きながら、土俵から降りてきた。

 同時に隆起していた地面が沈んでいき、何事もなかったかのように数分前の景色に戻っていった。

 一年前に御子内さんと初めて出会った時の衝撃に近いものがあった。

 これまでも散々、不思議なこと、名状しがたいものに出会ってきたが、この自称お婆さんほど奇天烈なものは初めてだった。

 まるでハリウッドの映画でも観ているかのように次から次へと驚天動地の事態が起きる。

 これまでの僕らの冒険はまだまだ序の口だと言わんばかりに。

 

「なあ、おまえ様よ。或子か音子あたりがこのまま順調に育ってくれればいいが、そこまでわたくしの身体が保つかどうかはわからんと思いませんかね?」

 

 そんなことを言われても。

〈社務所〉の退魔巫女のこんな戦いはみたことがないので、僕には何とも言えなかった。

 だが、それでもさっき抱いた疑問を思わず口にしてしまわずにはいられなかった。

 

「―――あんな妖怪退治の術があるのに、どうしてみんなに危険な接近しての戦いをさせるんですか……?」

「人の術など、本当に恐ろしい連中には効かぬからですよ」

「恐ろしい連中……」

 

 たゆうさんは言った。

 

「〈神〉ですね」

 

〈神〉―――さっきみたいな奴のことだろうか。

 

「わたくしたちが或子たちに叩き込んでいるのは、あの小娘どもが将来戦わなければならない旧い連中相手に生き残るための糧なのです。術も結界も効かない、生粋の化け物どもからなんとしてでも勝つための」

「―――」

「この国の八百万の柱たちの力も弱くなった。柱たちの加護に頼った術ではもうただの雑魚の妖魅にさえ苦戦してしまう。こんな時代に〈社務所〉の媛巫女がいくさを続けるためには、純粋な実力がいるのです。技と戦略と知恵の実力(ちから)が」

 

 つまり、もうたゆうさんのようなやり方はできなくなりつつあるということか。

 

「それに、もともと〈神〉相手ならばわたくしたちの術なんてたいして効き目はない。さっきのは偽神(ぎしん)だから効いただけですから」

「では、〈護摩台〉も……」

「結界も術もいずれは役に立たない御代が来るでしょう。そのときのために、今からでも鍛えねばならないのですよ。小娘たちのためにも、平和な後代のためにも」

 

 だから、彼女たちは……

 

 注文の多い料理店の中に突入した御子内さんたちが心配になった。

 さっきの偽神のようなものが待ち構えているかも知れないからだった。

 不安だ。

 いかに御子内さんでも大丈夫なのだろうか。

 

 この何が起きるかわからない〈迷い家〉に踏み込んでしまった僕の巫女レスラーは。

 


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