巫女レスラー   作:陸 理明

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魔風が吹き荒れる

 

 

 御子内さんたちが、目の前のレストランテに突入してすぐに、僕のスマホに着信があった。

 発信者は〈社務所〉の禰宜の一人だった。

 僕とも何度か顔を合わせたことがある。 

 

「はい、升麻です」

『升麻くんかい? 〈社務所〉のものだけど、わかるかな』

「わかります。どうされたんですか?」

『宮沢賢治の件だ。私は博物館で監視役をしているのだが、こっちで動きがあった。だが、媛巫女たちと連絡がつかないので君のスマホにかけさせてもらった訳だ』

「……何があったんですか?」

『展示されていた〈春と修羅〉の初版本をおかしな奴に持っていかれた。カメラには映っていたが、センサーにも引っかからずにガラスで仕切ったケースに手を突っ込む奴だ。正体は不明。人間型をしているというだけがかろうじてわかる情報かな』

「他には?」

『特に問題らしいものはない。こちらは引き続き監視をするが、博物館側はまだ盗難に気づいていないからできたら朝までに解決してくれ。面倒事になる前に頼む』

「わかりました。御子内さんたちに伝えます」

 

 通話が切れた。

 改めて、突如としてこの閑静な町並みに現われた謎の山猫軒を見やった。

 やはり、僕には想像もできない何か強いオカルトの力が働いているようだ。

 いつもの〈護摩台〉を作ってからの試合めいた妖怪との戦いとは違う、尋常ではない異常さを感じる。

 いくら最強のコンビとはいえ、御子内さんとレイさんだけで突貫させて良かったのだろうか。

 せめて、もう一人ぐらい、退魔巫女の誰かの助けを得た方が良かった気がする。

 通常、巫女レスラーとしての戦いのときは、〈護摩台〉に張られた結界の力が相対する妖魅たちの力を削いでくれるおかげで互角まで持ち込める。

 その後の勝敗を決めるのは巫女個人の技量とはいえ、結界の力で大きく左右されるのは事実だ。

 実際、〈護摩台〉抜きの戦いだと、カチカチ山のウサギである妖怪〈犰〉との戦いのようにずっと劣勢を強いられることがある。

 人間と妖魅との根本的な力の差は、敵が純粋に強い妖怪であるほど開くのだから当然なんだけど。

 となると、この〈迷い家〉が作り出した山猫軒の中では、いかに御子内さんたちといえど苦戦は免れないだろうし、下手をしたらやられてしまうおそれが高い。

 

「今からでも援軍を呼ぶか?」

 

 僕の独断でもそれぐらいはできるだろう。

 例え、あとで怒られたとしても保険は掛けておくに越したことはないはずだ。

 錦糸町までタクシーを使ってもらえば早いだろうし、そうなるとてんちゃんか藍色さんか……

 急いでスマホを使おうとした時、ごうっと先ほどのものと寸毫変わらない風が僕を吹き飛ばそうとした。

 おそらくはこの〈迷い家〉を顕現させる前触れのための風だった。

 

『魔風ガ吹イタゾ! スベテヲ覆ス魔ノ風ガ吹イタゾ! 注意シロ、コゾー!!』

 

 頭上であの減らず口を叩く八咫烏が叫ぶ。

 喋るカラスなんて他人に見られたらどうするんだと罵りたくなったが、その言葉は明らかに僕への忠告なので素直に従わないと。

 キョロキョロと往来の様子を窺う。

 一回目の風が吹いて以来、まったく誰もやってこないのは〈迷い家〉という怪奇現象のせいだと思うけど、まだ深夜にもならない東京でこんな風に人がこないというのは心底気味が悪い。

 

 どっどど どどうど どどうど どどう

 

 上空をいきなり凄まじい勢いで風が乱舞し、八咫烏を吹き飛ばし、地面に叩き付けた。

 空を飛ぶ生き物の自由を奪うなんて、とてもじゃないがまともな風ではない。

 今のは、確実に八咫烏を狙ったものだ。

 しかし、宙にいる使い魔を地面まで下ろしてどうするつもりだろう。

 視野の端に何かが映った。

 人のようだった。

 八咫烏のところに駆けつけようとした足が止まる。

 風がざあと吹いて、街路樹の葉はざわざわ波になり、道の真ん中でさあっと塵が上がり、きりきりと回ると小さなつむじとなった。

 つむじ風は目に見える黄色い風となり周囲の建物の屋根の上へと昇っていく。

 まるで命があるかのような光景だった。

 なんだ、今のは。

 風に乗る妖怪というのはお目にかかったことがあるが、今の現象はそんなレベルではないぞ。

 あえて言うのならば、風そのものが一個の生命体のように脈打っていた。

 どくんと心臓の鼓動がした。

 ふと気が付くと、さっき一瞬だけ見た人影がかなり近くまで寄って来ていた。

 白い帽子(シャッポ)を被って、へんてこりんな鼠色のダブついた上着と被り物と同色の半ズボン、リンゴのように赤い靴を履いた子供だった。

 頬は紅く染めあがり、眼は真円に近く黒目がほとんどである。

 まず疑いの余地のないぐらいに人間ではなかった。

 

『コゾー! 逃ゲイ!! ソヤツハ―――』

 

 八咫烏が僕に何かを告げようとした時、またもごうと風が吹いて、使い魔はいずこかへと飛ばされて行ってしまった。

 やはり、この風は自然のものではない。

 何かの意図をもって吹いている。

 例えば、誰かに操られているとか……

 だとしたら、操り手は一人しか考えられない。

 

「君の仕業か?」

 

 僕の声は上擦っていたかもしれない。

 なぜなら、改めて直視するとこの子供の発する畏れというものが背筋に氷柱のごとく突き刺さるからだ。

 これまで視てきた妖魅たちなど比較にならない威圧感と恐怖。

 それでいて思わず膝を着きたくなるような荘厳さがある。

 僕が抱く想いは畏怖を遙かに凌駕していた。

 口内がカラカラに乾く。

 息をするのも困難なのだ。

 これは……これは……まさしく……

 

(神さま……なの……)

 

 皮膚の汗腺が全て開いた。

 全内蔵が汁という汁を撒き散らす。

 目の奥が痛くなる。

 下賤な下等動物が神々しいものを視ることは許さぬとでもいうかの如く。

 子供は僕を路傍の石を見るよりも感情の籠もらない眼で見上げた。

 無機質なまでの眼光に石化する。

 狂おしい煩悩が僕を焼き尽くす。

 人なんてものに生を受けたことを後悔しろ、というメッセージが込められているはずだと勝手に想像し、屈伏しそうになった。

 あと、ほんの数秒あったら僕の精神は折れていたかもしれない。

 だが、そうはならなかった。

 僕の前に誰かが立ち塞がったからだった。

 

「なんなのでしょうね、あの小娘どもは。さっさと本丸に突っ込むなんて猪にも程がある。まったく、わたくしの躾のどこが悪かったのかねえ」

 

 そこにいたのは僕の知らない巫女さんだった。

 御子内さんたちとは違って改造した装束ではなくて、正式な格好をした正真正銘の「巫女」であった。

 白衣と緋袴を着込み、肩袖の根元が縫われた、脇を縫わずに前を胸紐(むなひも)で合わせるようにして着る袖付きの千早をまとっている。

 長い黒髪を後ろの生え際から束ねて一まとめにして、和紙でまとめた上から水引でしばって髪留めとした絵元結(えもとゆい)にしていた。

 さらに紅白の水引は糊を引いて乾かしたもののようである。

 彼女(みこないさん)たちを小娘と言うぐらいなんだから、年上なんだろうけど、どう見ても二十代半ば、下手したら不知火こぶしさんよりも若い。

 なのに、雰囲気は老成してお年寄りじみている。

 いや、雰囲気がどうとかいうのではない。

 実際に相当の年を召している可能性があった。

 

「大丈夫かい、お坊っちゃん」

「はい!」

「いい返事だねえ。男の子はそうでなくちゃならない。思慮深いところも悪くない。うちの猪小娘どもにも見倣わせたいところさ」

 

 会話しながらも、知らない巫女さんは例の子供からは目を離さない。

 そこはいかにも御子内さんたちの同類といったところだ。

 油断は決してしない。

 

「あなたは……」

「おまえ様のことは知っているよ。報告書も読んだしね。いつも、ガサツな孫娘たちを守ってくれてありがとさんよ。実の孫じゃないが、あの娘らはわたくしが手塩にかけて育てた逸材でね。今はどうしても喪う訳にいかない大戦力なのさ。だから、おまえ様の尽力には感謝している」

 

 そして、巫女さんはいった。

 

「不肖の孫娘たちに代わってわたくしがおまえ様を守ってあげよう」

「あなたは……」

「わたくしかい?」

 

 彼女は澄んだ声をしていた。

 

御所守(ごしょもり)たゆう、というババアさ」 

 

 

 

 


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