巫女レスラー   作:陸 理明

258 / 385
妖怪〈鉄鼠〉

 

 

〈鉄鼠〉とは、鳥山石燕の「図画百鬼夜行」によると、『頼豪の霊 鼠と(かす)

 世尓()()る所也』とあり、平安時代の僧侶・頼豪の恨みが妖怪になったものである。

 頼豪は僧の最高位である阿闍梨(あじゃり)の位まで上った実在の人物であり、当時の白河天皇に仕え、皇子の誕生を祈念した。

 その甲斐があってか無事に親王が生まれたことの褒美として、本山である三井寺の別院建立の願いを申し出たがかなうことがなかった。

 理由は宗教的に敵対していた比叡山延暦寺の横槍によるものであったという。

 白河法皇が自分の意のままにならないもの(天下の三不如意)として、「賀茂川の水(鴨川の流れ)・双六の賽(の目)・山法師(比叡山の僧兵)」を挙げるほど、寺社勢力としての当時の比叡山延暦寺は力を持っていた。

 その比叡山が嫌というのであれば、どんなに頼豪が申し出ても叶えられるわけがないというのである。

「平家物語」によると、これを怨んだ頼豪は、自分の祈祷で誕生した親王に対して呪いをかけ、断食に入った。

 やがて、頼豪は怨みをのんだまま死んでしまうが、その頃から親王の夢枕に、妖しい白髪の老僧が立つようになり、それが原因となったのか親王は、夭折してしまう。

 さらに同じ「平家物語」の流布本である「延慶本」や「源平盛衰記」などの記載によれば、頼豪の怨念は巨大な鼠となって、恨み骨髄に達した延暦寺の倉の経典を容赦なく食い荒らしたとされている。また、「太平記」の記述では、頼豪の怨念は、石の体と鉄の牙を持つ8万4千匹もの鼠となって、経典ばかりか仏像をも食い破ったとされる。

 このこともあり、人の怨みが大きな鼠となったものを「頼豪鼠」と呼ぶようになったらしい。

〈鉄鼠〉というのは石燕が名付けたもので、平安時代に頼豪が鼠になったものだけでなく、江戸時代には人の怨念が鼠となり、書物や宝物を駄目にする妖怪になったものすべてを包含する妖怪になったのである……

 

「シィ。浅ましい人間の欲望が巨大サイズの直立歩行するネズミになったものを〈鉄鼠〉というの。たまに発生するから、うちでも定期的に駆除して回っている」

 

 今回、音子さんが退治を任されたのは、その〈鉄鼠〉というネズミの妖怪であった。

 しかも、国会図書館の地下にいるのだという。

 前から興味はあったのだが、未成年はあそこに入れないのでなんというか運がいい。

 いつもの御子内さんの助手ではなく、音子さんの手伝いというのは久しぶりだ。

 まあ、〈社務所〉のお給金はいいので僕としては助かるしね。

 来年は受験もあるし、バイトの日数は減らさなくてはならないからである。

 

「ふーん。でも、あれ? ネズミの妖怪って鼠族に含まれて、今では江戸前のタヌキたちの配下なんじゃないの? 駆除して回ったら彼らが怒る気がするけど……」

 

 東京には僕の知っている限り、幾つかの動物妖怪の種族があって、タヌキ、ネコ、ネズミなんかが勢力を持っている。

 もっともその中でも鼠族は、たいした力もないことから、現在はタヌキの妖狸族の軍門に下っているそうだ。

 タヌキたちは今でも外来種のハクビシン族と対立していることもあり、勢力図は微妙に変化しているようではあるが。

 だから、不思議に思ったのだ。

〈社務所〉は人間の勢力であり、勝手にタヌキたちの配下を狩ってしまっていいのか、と。

 

「鼠族は、ネズミが歳を経て妖怪になったもの。〈旧鼠〉のことを言う。〈鉄鼠〉は人の怨みがネズミ型の妖怪になったもの。全然違う」

「てことは、妖狸族は……?」

「あいつらは元々タヌキ。動物妖怪って人間がなったものは含まれない」

 

 そういうことか。

 つまり、〈鉄鼠〉はタヌキの配下ではないから、人間が退治しても関係がこじれることはない、と。

 ただ、逆に考えれば、動物妖怪と戦う際は慎重に動かないと種族間の戦争になるおそれがあるということ。

 東京都の中はわりと危ういパワーバランスで保たれているのかもしれない。

 

「じゃあ、とりあえず〈鉄鼠〉を退治するのは問題ないんだね」

「シィ」

 

〈鉄鼠〉という直立歩行するネズミの妖怪(僕は某テーマパークのマスコットキャラクターを連想してしまった)は、高い価値があったり内容が希少な書物を齧ってダメにするらしい。

 平安時代の頼豪が怨みのある延暦寺にとって大切な経典を食い散らかしたように、ネズミによる書物への害が妖怪化したものが〈鉄鼠〉なのだ。

 国会図書館にでるのもよくわかる。

 

「じゃあ、急がないと国会図書館の大事な本が齧られちゃうんだ」

「それはまだ大丈夫」

「どうして?」

「国会図書館の地下には〈民俗資料監督室〉があるから、妖魅がそう簡単に入り込めないように結界が張られている」

「結界……?」

「シィ。あそこには世間にはだしてはならない危険な魔導書とかも保管されていて、代々陰陽頭(おんみょうのかしら)を勤め、天文占筮(てんもんせんぜい)を家業とする土御門家の末裔が裏・館長になって全体に結界を張っているの」

「えっ」

 

 音子さんが言うには、国会図書館の地下には秘密のヤバい本ばかりを集めた部屋があるらしい。

 確かに国会図書館の成り立ちを考えると、納得いく話である。

 

「その裏・館長さんは〈鉄鼠〉を退治したりはできないの?」

「元陰陽師の家系とはいっても、今では司書みたいなものだから。妖怪そのものとはやりあえないみたい」

「だから、館長さんから退魔巫女に連絡が行った、と」

「ノ。今回、まずまっさきにうちに連絡してきたのは、東京都古書籍商組合。国会図書館に来る前にいくつか古本屋が襲われていたらしいし。それから、国会図書館でも〈鉄鼠〉らしいのが目撃された、ということみたい」

 

 ……東京都古書籍商組合。

〈鉄鼠〉の被害を受けそうで受けなさそうな人たちだなあ。

 とはいえ、少し引っかかるけど、〈鉄鼠〉が暴れているというのは事実らしい。

 退魔巫女の音子さんが出張るのも当然という訳か。

 

「……古本屋さんの天敵みたいな妖怪だしね」

 

 ただ、この時点で僕は何かが引っかかっていた。

〈鉄鼠〉という妖怪についての何かが。

 初めて聞く妖怪なので重要な情報を持っている訳ではないので、きっと音子さんの説明に何かがあったんだと思う。

 しかし、それがわからないまま、僕らは国会図書館へとたどり着いた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。