巫女レスラー   作:陸 理明

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妖怪〈ベッドの下の怪物〉

 

 

〈ベッドの下の怪物〉。

 

 日本ではあまり馴染みがないが、欧州―――特にアメリカではかなりポピュラーな妖魅らしい。

 例えばアメリカの都市伝説の中には、「ベッドの下の男」というものがあり、それはこういう話だ。

 ある日、一人暮らしの女性の部屋に友人が泊まり込みで遊びに来た際、ベッドが一つしかないことから、女性はベッドで寝て、友人は床に布団を敷いて寝させることにした。

 しかし、夜が更けてから寝ようとする女性に対して、突然友人は外へ出ようと誘ってくる。あまりにもしつこく誘うので仕方なく部屋を出ると、友人はとんでもないことを打ち明けた。

 それは、「あのベッドの下に包丁を握った男がうずくまっている。あれはあんたを狙っている変質者に違いない」というものであった……

 この話の「ベッドの下に潜んでいる男」と誤解されることもあるのだが、〈ベッドの下の怪物〉というのは本来危険な妖魅ではない。

 両親が子供を躾ける際に聞かせる御伽噺なのである。

 

「いい子にしてお行儀よく眠らないで、脚をぶらぶらさせたりしていると、〈ベッドの下の怪物〉があなたの足を掴んでびっくりさせるのよ」

 

 アメリカの親たちはこういう風に言い含めて、子供たちにベッドで行儀よくしているように諭すのである。

〈ベッドの下の怪物〉はまたの名を「ブギーマン」といい、ベッドの下以外にも潜んでいたりすることもあるが、たいていは子供を脅しつけるための親の方便としてよく海外のドラマなどに登場する。

 同じような躾のための怪物は世界各地に伝わっていて、日本でもなまはげなどが有名だ。

 場合によっては妖怪となって現実に子供を驚かせるものもいるそうである。

 ただし、アメリカ人の持つ合理的精神などの土壌から、〈ベッドの下の怪物〉が日本の妖怪のように実体化することはまずないという話だった。

 

「―――ただ、ヴァネッサの場合は、スターリング家の女の人たちが殺人鬼や〈殺人現象〉に狙われやすいということもあって、ちょっと事情が違ってね。怪奇現象が周囲で発生しやすい環境があるのさ。そのせいか、彼女がずっと使っていたベッドの下には、()()()が実体化していたんだよ」

「え、……本当なの?」

 

 皐月さんの打ち明け話について、なんとヴァネッサさんの方が半信半疑という有様だった。

 まさか、知らなかったというのだろうか。

 あんな毛むくじゃらの化け物が、彼女が寝ている時にベッドの下に巣食っていたというのに。

 

「……〈ベッドの下の怪物(ブギーマン)〉の話は私も覚えているけど、見たことなんて一度もないわ」

「ヴァネッサは寝相がいいからね。こいつが何か悪さをすることもなかった。むしろ、いつも殺人鬼に怯えて震えていたあんたを守っている気でいたみたいなんだ。たぶん、一度ぐらいはこいつが家に入ってきた殺人鬼からあんたを助けていたこともあったようだね。一度、色々と調べてみたらそんな痕跡があったから」

 

 子供の躾のための怪物が、子供を護るために何かをすることがあるのか。

 日本でいうと、なまはげが人攫いと戦うみたいなものかな……?

 とても不思議な話だった。

 

「おそらく、この〈ベッドの下の怪物〉はヴァネッサのイマジナリーフレンドみたいなものだと思う。アメリカでこんな風に妖怪っぽく現実化することは滅多にないから、信じられないほど奇跡的なことじゃないかな」

 

 イマジナリーフレンド。

 子供が成長の過程に見る、眼に見えない空想上の友達のことだ。

 いつも殺人鬼の恐怖に脅かされていた幼女が、〈ベッドの下の怪物〉という架空のモンスターが下にいると思っていたら、それが現実化したというものだろうか。

 そんな馬鹿なと思わなくもないが、もう一年も退魔巫女と付き合ってきた経験から、そんなことがないとは決して断言できない。

 むしろ、あの毛むくじゃらの怪物が現実にここにいることを考えると、「あって当然」とするのが正しいのかもしれない。

 

「それがどうして、日本にいるんだい?」

「きっと、ヴァネッサがこっちに留学してきて寂しかったんだと思うよ。だから、家に残っていたここの住所のメモなんかから色々と手を回してこっちに追ってきたんだと思う」

「もしかして……あのベッドごと?」

「〈ベッドの下の怪物〉はベッドがないと存在できないからね。少し離れるぐらいならできると思うけど、何千キロも離れた海外にはベッドがないと移動できない。どうやったのか、ベッドを荷造り梱包までしてお金まで振り込んで配達されてきたということのようだよ」

 

 あの送り票の汚い字は、こいつが書いたものだからか。

 なるほど、言われてみると色々とつじつまが合う。

 御子内さんがやたらと気にしていた妖気のこととかも、あれはこの〈ベッドの下の怪物〉のものだったのだ。

 ただ、一つ皐月さんに聞かなくてはならないことがある。

 

「……皐月さんはいつ、そいつの存在に気がついたの?」

「うちがアメリカでヴァネッサの警護についてすぐかな。ヴァネッサがシャワー浴びているうちにベッドの下に潜り込もうとしたら眼が合ってさ。仕方なく断念して、シャワー覗きに行ったんだけど」

 

 うん、アウト。

 つーか、妖怪がいたのに何もしないって退魔巫女の態度としてはどうなのさ。

 

「別に妖怪ったって悪さをしている訳じゃないし、様子を見ていればヴァネッサ―――ちっちゃなネシーをこいつが守っているのはわかるから放っておいたさ」

「……ヴァネッサは知らなかったみたいだけど、存在を教えたりはしないかったのかい」

「別に。知らなくても問題ないっしょ。だって、イマジナリーフレンドだったらそのうち消えるかもしれないし、同じ屋根の下にはうちも一緒にいたからね。悪さをするブギーマンならともかく、〈ベッドの下の怪物(そいつ)〉はホントに何もしなかったしさ」

 

 なんというか、皐月さんが大物すぎて何も言えない。

 そう言えばこの人のさっきのおかしな動きも、梱包からベッドを出した時に真相がわかっていたからということなのだろう。

 いい加減というか、適当というか、もう凄すぎる。

 

「てんちゃんの足を掴んだのはー?」

「ベッドからはみ出してプラプラしている足を掴むのはこいつの習性だからさ。潜り込んだテーブルの下がてんの足を見て思わず掴みたくなったんじゃね」

「……そんなことで……」

 

 退魔巫女たちは絶句していた。

 真相がどうとかではなく、様々な意味でしてやられた感があるからだろう。

 あんなどうということのない小者の妖魅に五人もの腕自慢の退魔巫女が振り回されたという事実に。

 

「……この怪物が、私を見守っていて」

 

 ヴァネッサさんは皐月さんの背中に隠れた妖怪を恐る恐る覗き込む。

 少し戸惑っている様子だったが、怯えている感じではない。

 むしろ、親しさを覚えているようだった。

 確かに皐月さんの言を信じるのならば、この怪物は見た眼こそ不気味ではあるが、ヴァネッサさんにとっては小さなころからの付き合いの守護者であるのだ。

 幼女の頃から彼女の夜を守ってきた妖怪。

 そして、いなくなってしまったベッドの主を追ってこんな極東の島国までやってきた、名犬ラッシーもかくやという存在だ。

 おそらくなんとなく絆されてしまったとしてもわからなくはない。

 

『キュウゥゥゥゥ……』

 

〈ベッドの下の怪物〉はお手をするように捩子くれた手を伸ばす。

 その手にヴァネッサさんが触れる。

 どこかで見たことのある光景だった。

 宇宙から来たエイリアンが地球の子供と触れ合うあの有名映画のような……

 

「ここにあなたも住む?」

『キュウゥゥゥゥ』

 

 ベッドの主とその下に住む怪物の間に、確かな友情が芽生えようとしていた。

 そもそもこの〈ベッドの下の怪物〉がヴァネッサさんの想像から産まれたという皐月さんの見解が正しければ、元々精神的なつながりもあるだろうし、一気に絆が生まれてもおかしくない。

 あの不気味な姿だって、ヴァネッサさんにとっては想定内のものでしかないのだから。

 だから、一人と一匹が友誼を育んだとしてもおかしくはない。

 むしろ当然のことかもしれない。

 まさに心温まる光景といってもいいだろう。

 

「……水を差す気はないんだけどさ」

 

 御子内さんが呟いた。

 

「ボクらのこの憤りはどうすればいいのだろうね」

 

 うん、わかるよ。

 わかるけど、あの〈ベッドの下の怪物〉にぶつけるのはさすがにTPOからいってもマズいよね。

 

「……ちょうどいいところに、似たようなセクハラ小僧がいるとオレは思う訳だ」

「シィ。今回はアレで我慢しとこ」

「そうだね。しゃあにゃしだ」

「ですねー」

 

 ヴァネッサさんたちの心温まる交流を見て、これ以上、〈ベッドの下の怪物〉を追い詰めることを諦めた退魔巫女たちの視線は、明らかにとある人物へと注がれていた。

 その人物は殺気を「視る」ことができるという特殊な古武術の持ち主であることからか、自分が置かれている危うい立場について即座に気がついた。

 両手をあげて、

 

「ま、待って待って! 話せばわかるよ! ほら、話し合おうよ!!」

「―――古今東西、話し合いで解決した問題なんてあまりないんだよ、皐月」

「いや、だって、うち、そんな悪いことしてないじゃない!! ちょっと待って!! それただの八つ当たりだよ!!」

 

 ―――説得が成功して、皐月さんが無事に生き残れればいいけど。

 

 

 普段の行いって本当に大切なんだね。

 


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