巫女レスラー   作:陸 理明

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目覚める怪獣

 

 

 そいつには意識があった。

 

 ……心ではない。

 ただの意識だ。

 自分がどういうもので、周囲がどういうものかをわかっているというだけの、ただの意識。

 慈悲も優しさもなければ、憎悪も憎しみもないはずだった。

 だが、そいつの意識が目覚めたとき、形容し難い感情が嵐のように荒れ狂った。

 原因はそいつを取り巻く連中にあった。

 そいつを取り囲むようにして喋り、酒を飲み、馬鹿騒ぎをする連中。

 その中にそいつの感情を逆撫でする奴らがいるのだ。

 苛立った。

 以前のそいつは、たまに目覚めたときに伸びをする程度しかしなかった。

 全身を動かそうなんてことは考えもしなかった。

 しかし、今は違う。

 そいつは抗えない感情に従って暴れだそうとしていた。

 牙を、爪を、尾を、すべて使ってこのムカつきを止めるために……

 

 

       ◇◆◇

 

 

「俺がね、こいつを手に入れたのは農協のネットワークだったんだ」

「農協?」

「ああ。俺は本職は農家だからJAとも付き合いがあるんだけど、その繋がりでね。なんでも廃業することになった家があって、農具やらなにやら一式を売り払いたいという話だった。トラクターとかって仕事辞めたら意味ないしね」

 

 高崎安丸さんのビール片手の自慢話が始まった。

 車を無運転しない人も同様に酒を飲みながらご相伴にあずかっている。

 すぐ後ろに〈怪獣王〉の着ぐるみが突っ立っている中での宴会はとてもシュールだ。

 

「農地なんかは許可がないと売れないんで時間がかかるけど、それ以外のものはすぐに始末したいってことで、似たようなものを栽培している同業者にお声がかかったんだ。俺もその一人。最初は乗り気じゃなかったんだ。俺だっていつ同じ状態になるかわからないからな。―――その農家は跡継ぎの長男が事故でなくなってしまって、その長男は独身のまま子供もいないからしょうがなく廃業という話だったからだ。俺、独身じゃん。立場的には同じだったんだよ」

 

 結婚はしないで趣味に生きている高崎さんにとっては他人事ではなかったのかもしれない。

 あまり気が乗らないのは当然だ。

 

「それでも付き合いとかあるから、顔だけは出しに行ったんだ。―――で、これを見つけた」

 

 高崎さんは背後の〈怪獣王〉を見上げた。

 この着ぐるみは全高でニメートル以上ある(人が入るようなのだから当たり前か)。

 

「話が読めないぞ。どういうことだ?」

「そこは、うちみたいに独立した倉庫じゃなくて、母屋にくっついた物置みたいな形の農作業用のスペースがあった。色々と作業具とかかが詰めこまれているね。もっとも、ろくなものはなかったし、使い古されているから買いたたいても二束三文、むしろ手間賃の方がかかるという塩梅さ。とはいえ、せっかくの農協のはからいだからというんで、俺たちは適当に使えそうなものを物色してみた。そしてさ、一番奥に蜘蛛の巣まみれでこいつがぽつんと座っていた」

「えっ、マジかよ……」

「きちんと保管されてたんじゃねえの?」

「すごく状態いいんだけど」

 

 こことは比べ物にならない劣悪な環境に、この着ぐるみは置いてあったということか……

 すると、いくらなんでももっとボロボロになっていてもおかしくないはずだ。

 僕の記憶に寄れば、ゆるキャラとかの着ぐるみでさえ管理しているだけで維持費が相当程度かかる。

 無料(ただ)ではない。

 しかも、映画の撮影に使うようなものなら尚更だ。

 適当に放っておかれたりしたら、すぐに傷んでしまうに違いない。

 農家の物置といったら、空調だってしっかりしているかはわからないレベルのはずだし……

 だが、僕らの背後にある〈怪獣王〉はどうみても昔のままだ。

 ややくたびれた感はあるとしても、とても長年放置されていたようには見えない。

 

「―――俺も不思議だったさ。ただ、わずかな光しかない場所でこちらを睨むように置かれていたこいつの迫力には参った。周りは腰を抜かしていたけど、俺は逆に欲しくなっちまった。で、そこの主人に持ちかけて、これを買うことにしたんだ」

「……い、いくらだ?」

「老後というか、もう施設にはいるということだから、全部現金化したいということなんで、二百万ということにしてもらった」

 

 二百万ときいて、僕は驚いたが、他のマニアの方たちの反応は真逆だった。

 

「安いじゃん!」

「買いたたいてんじゃねえよ!」

「私も欲しいわ~」

 

 とかまあ、価値観が違う。

 しばらくあとで、とあるアニメのヒロインの等身大のフィギュアが限定発売されることになったとき、価格が税込みで1,980,000円(配送費含む)だったと知った。

 映画の撮影に使うほどのものなら下手すれば倍以上はかかるかもしれない。

 それにもし本物ならば絶対にといっていいほど個人には譲渡されないものらしいので、相場価格はないに等しい。

 彼らからすれば()()()()としかいえないのだろう。

 

「ラテックス、つまりゴム性の着ぐるみは数年で風化するからな。風化すると激烈なゴム臭がするということもわかっていたけど、こいつはまったくそんなこともなく普通のままだった。しかも、実は跡継ぎの長男が亡くなって初めてここにあることに気づいたというが、それでも数年は置いてあったはずらしいのに。不思議だったが、状態は最高だし、どうしても調査したくなったから、俺はそのまま引き取ることにしたって訳よ。まあ、それが84版の三体目かもしれないとは思っていなかったけどね。ただのアトラクション用のものの可能性は高かったが……」

 

 そんな怪しげなものに二百万円もだしたのか。

 マニアって凄いな。

 

「で、うちまで持ってきて調べ終わったのが一昨日という訳さ。結構な武勇伝だろ」

 

 ここでどっと盛り上がった。

 マニアにとっては相当に面白い話なのだろう。

 酒が入っていることもあり、半端なく場が熱くなっている。

 

「で、幻の三体目かもしれないという確証はどこにあるんだ」

「慌てんなよ。ほれ、これが84版の写真だ。よっくみてみろ」

 

 みんなで間違い探しをするように観た。

 それでわかった。

 

「顔は同じだが、腰のあたりが違うな。84版よりは初代に近い」

「で、こっちが発表されている当時のラフデザインだ」

 

 渡されたものを見ると、ちょっと顔つきが違う。

 とはいえ、ほとんど同じだ。

 

「デザイン画通りだろ。それがどうしたんだ」

「実はな。三体目の噂ってのは、十数年ぶりに新しく〈怪獣王〉を撮影するという企画が立ち上がって、撮影会社が動き始めたときに、自分の描いたデザインと自作の頭部(ヘッド)の着ぐるみを持参したやつがいたことに端を発するんだ」

「なんだい、それ?」

「つまり、昔からのファンが新しい映画に採用してほしいと持ち込みをかけたわけだ。出来も良かったらしいが、やはり採用には至らなかった。その際に、持ち込んだ自作のヘッドには美術スタッフで色々と手を加えたりしていたそうだ。不採用になったとはいえ、勿体なかったんだろう」

「ああ、それが三体目の正体ということか?」

「まあな。ちなみにいうと、この着ぐるみを買い取った農家の後継ぎ息子だったって訳さ」

 

 なるほど、それがここに辿り着くわけか。

 下手なミステリーを読むよりも面白い。

 

「つまり、高崎さんは当時のことを記録した資料も手に入れたんですね」

 

 思わず口を挟んでしまった。

 

「ああ、彼の遺品の幾つかを検証させてもらったのでね。それで今のようなことがだいたいわかったって訳さ」

「へえ」

 

 高崎さんのトークはわかりやすいので惹きこまれる感じだ。

 おかげでこの〈怪獣王〉の着ぐるみがどういうものかというのはわかった。

 ただ、この不思議な保存状態についてはわからない。

 そして、藍色さんが気にしていたことについても。

 

 しかし、異変は確実に近づいていた。

 

 僕たちの目の前で中身のない〈怪獣王〉が動き出すという異変が……!

 


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