巫女レスラー   作:陸 理明

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第31試合 大怪獣決戦
とあるイベントでの出来事


 

 

 秋のシルバーウィーク。

 珍しく〈社務所〉の巫女たちの退魔という名の試合の予定がないというので、僕は久しぶりに普通のバイトを入れることにした。

 近所にある印刷所のお手伝いだ。

 手伝いといっても印刷をするわけではなく、そこで制作した本をイベント会場に搬入し、お客様のところへまで届けるという仕事だった。

 このバイトのちょっと変わったところは、制作した本というのがいわゆる漫画同人誌というもので、そのあたりの本屋さんには流通していない、自費出版されたものなのである。

 前々から話は聞いていたので、いい機会だと参考文献を集めて調べてみたところ、オタクの祭典と呼ばれているでっかいイベントらしいということがわかった。

 ちなみに資料にしたのは漫画が多く、「げんしけん」とか「電波教師」などである。

 もっとも、今回、僕が搬入に行くのは、夏と年末にやっている最大のものではなくて、規模としては半分以下のものだった。

 それでも、初めて行った僕はあまりの人混みに困惑してしまったぐらいだ。

 

「―――凄い人数ですねえ」

「コミケだと、この三倍はいるわよ」

「えっ、だって、規模は半分以下だって……」

「それは参加している売り手側のサークルの数。盆暮れにやっているコミケの場合、お客さんの量がさらに増えるから、人口密度も桁違いに跳ね上がるのよ」

「ここはコミケではないんですか?」

「コミケってのは、株式会社コミックマーケットの商標になっているみたいだから、ここはコミブー・フェスタって名前でやってんの」

「コミブー・フェスタ?」

「ドイツ語で漫画本のお祭りって意味ね」

「なんでドイツ語なんですか?」

「厨二っぽくてよくない?」

 

 小友(ことも)志保さんは、僕にはよくわからないセンスの持ち主なので、なんとも返事ができなかった。

 彼女は僕よりも十歳ほど年上なのだが、升麻家と同じ町内会に所属していて、小さい頃からの知り合いである。

 彼女の実家が経営している小友謄写堂も、同じ町内にあるし、物心ついたときにはもう店があったぐらいだ。

 ただ、小友謄写堂でどういうものを印刷しているかはつい最近まで知らなかったのだが。

 芸大を出てイラストを描く仕事をしていたという志保さんが、実家の手伝いをするようになったのは、去年からのことで、その際に初めて教えてもらったのである。

 志保さんは僕ら兄妹にとっては姉のような存在なのだが、どういう訳か家業については教えてもらえなかったのもわからなくはない。

 何故かというと、僕が運んでいる同人誌が「18禁」の成人向けのものばかりだったからだと思われる。

 

「……売っていいんですか、これ?」

「あれ、京ちゃんはエッチな漫画とか読まないの?」

「それだって18禁じゃないですか。読みませんよ。あと、もし所持しようものなら、部屋の中を家探しされるおそれがだいぶ高いですから……」

「小母さんや涼ちゃんにばれるのは嫌ってことね」

 

 というか、僕の部屋にはわりと強引な女の子たちが入り浸るのでお宝本を隠しておくのはリスキーすぎるのだ。

 だから、女の子とのエッチな関係に興味があったとしてもあえてスルーするのが賢い男の子というものである。

 僕はサンプルとして用意してあった、ものごっついエロちっくな漫画本をチラチラ見ながら言った。

 気にはなるのだ。

 

「都条例とか、大丈夫なんですか?」

「前科がついてから考えるのよ、そういうことは」

 

 うーん、前科ついてからだと困ると思うんだけど。

 

「でも、あれでお客さんは少ない方なんですか?」

 

 僕はイベント会場にある印刷所待機スペースの外を眺めた。

 即売会で売っている同人誌目当てに、色々な人たちが忙しく動き回っている。

 大きなバックや紙袋を下げているけど、あの中は漫画本だらけなんだろうか。

 

「このイベントは企業スペースが少ないからね。その分、コスプレとかは充実しているから、そっちのお客は多いみたいだよ」

「コスプレ?」

「知っているの? 興味があるんだったら見てきたら? 明日の分の搬入時間まで結構あるしね」

「そうですねえ~」

 

 僕が昼間もこの待機スペースにいるのは、お客さまからの苦情や挨拶があった場合に備えての予備軍みたいなものだ。

 とはいえ、昼を過ぎたらそれもなくなる。

 二日あるコミフェのうちの、明日の分の搬入は夕方になってからだし、それまでは特にやることもなくなるという訳であった。

 

「―――コスプレかあ……」

 

 正直なところ、いつも巫女さんの格好をした女の子たちと一緒にいるので、コスプレというものに忌避感などはない。

 逆に食傷気味といってもいい。

 まあ、たまには巫女さん以外を鑑賞してみるのも新鮮かもね。

 最近のアニメなんかはわからないけど、昨今は色々な格好をする人もいるらしいし、僕にも馴染みがあるキャラもいるだろう。

 

「じゃあ、ちょっと見てきます」

「いいよ。16時までにここに帰ってこられないようなら、搬入スペースに直帰してね」

「わかりましたー」

 

 僕はカバンを掴むと、印刷所待機スペースから外に出た。

 下手なお祭りよりもたくさんの人たちが行き交うイベント会場を、僕は地図を片手にコスプレ会場まで歩く。

 コミケを例に出すまでもないが、こういうサブカルのイベントにおいては、コスチュームプレイと称される、漫画やアニメのキャラクターの格好をすることが恒例となっているらしい。

 だから、すれ違う人たちの中にやたらとカラフルな布地の服を着ている人たちがいる。

 なんというか、カオスだよね。

 僕が知っているものはほとんどないけど、見ている分には楽しそうな人たちばかりでわくわくしてくる。

 同人誌を売っているスペースはほとんど見られなかったけれど、お祭り会場は散策するだけでも面白いものだ。

 コーンと安全棒で仕切られた広場に、数多くのコスプレをする人たち―――コスプレイヤーがポーズをとって立っていた。

 その周りに凄くデカいカメラを持った人たちが集っている。

 なんだか、一言声をかけてから黙々と撮影をしていた。

 コスプレイヤーは彼らの要望に応えてポーズを変えたりしている。

 グラビアアイドルとかとは違う、けったいな格好を決めたりするのは、おそらくそのキャラクター特有のものなのだと思う。

 よく探していると、僕でも知っている格闘技ゲームのコスプレもあって、完成度が極めて高くて驚いた。

 しかも、コスプレイヤーは思っていたよりも美人がいたりして、かつてのオタク的なイメージは薄い。

 ……写真撮っている人たちは、わりとアレだけど。

 

「うーん、こうやって見てると、御子内さんたちの格好はコスプレっぽさはないんだなあ。あの人たちにとっては普段着だし」

 

 僕もスマホで何枚か、他の人の真似をして写真を撮らせてもらった。

 あまり露出が激しいのは恥ずかしいので避けて、どちらかというガッチリした制服みたいなものとネタっぽい格好を選んでおく。

 下手なことをして涼花や御子内さんに睨まれるのは困るからだ。

 すぐにコツも掴めた。

 モーターショーなんかで撮影する要領だった。

 撮った写真をその場で確認したりして、なかなかうまくいったと満足していると、背中にドンと誰かがぶつかった。

 ついでに後頭部に堅いものがぶつかる。

 人口密度がとんでもないことになっているので、こういう接触事故は起こりやすいのだろう。

 僕も他のことに気を取られていたので注意が足りなかったし。

 だから、素直に謝ろうと振り向くと、赤と黒の斑のゴシックロリータっぽいドレスと、頭に精緻な造り物の角をつけた女性のコスプレイヤーさんがいた。

 胸元がけっこう大胆に開いているし、綺麗な生足の太ももが伸びていて、とても色っぽい。

 カートを引いていたので別のところに移動中だったのだろうか。

 反対側の手に魔法の杖らしいゴツイ棒があるので、きっとこれが頭にぶつかったのだ。

 彼女の後を追うように数人のカメラマンたちが溜まっている。

 これだけ色気がある格好をしていると、あんな風について回られるのか。

 意外と大変なんだな、と感心していると、

 

「あ、ご、ごめんにゃさい。よそ見をしていたもので」

「こちらこそ」

「ホント、すまにゃいです」

 

 ―――赤と黒のドレスのコスプレイヤーさんは、なんだか聞いたことのある声で、間違えようのない独特の喋り方をしていた。

「な」を「にゃ」と発音してしまう滑舌の悪さには覚えがある。

 しかも、そんな猫っぽいことをしている癖に、話し方そのものは妙に大人で、生真面目な感じの知り合いと言えば……

 

藍色(あいろ)さん、お久しぶりです」

「―――ぐぇ!!」

 

 雨の日に踏んづけてしまったウシガエルみたいな声がした。

 僕の顔をまるで妖怪でも見るかのような驚愕の表情で見つめているそのコスプレイヤーさんは―――

 

「なんで、京一さんがこここここここここに―――!!」

 

〈社務所〉の退魔巫女にして、巫女ボクサーの二つ名を持つ、猫耳藍色《ねこがみあいろ》その人であった。

 

 

 


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