巫女レスラー   作:陸 理明

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妖怪〈ドッペルゲンガー〉

 

 

 タクシーが武蔵立川高校の裏門に着くと、僕はすぐに妹を探した。

 

「お兄ちゃん、こっちこっち」

 

 こっそりと通用口を開けて待っていてくれたようだ。

 誰にも見つからないように敷地内に侵入する。

 すると目の前に何かを差し出された。

 武蔵立川の男子生徒用の制服のズボンだった。

 まだ、衣替えがすんだばかりで、上着は必要ないとしても、校舎内に入るとしたらやっぱり制服は必要だ。

 僕のように地味な顔立ちだと、制服さえ一緒ならばよその学校をうろつきまくっても見咎められることはないだろう。

 少なくとも、今日だけでも誤魔化せればいいということで涼花に用意させたのだ。

 

「どこから手に入れたんだ、これ」

「教室の隅。誰かが忘れてったやつだと思う」

「―――駄目だろう、それは」

「まあ、気にしちゃだめだよ。あとでクリーニングに出せばいいんだし」

 

 うちの妹は基本的に雑である。

 

「仕方ないか。で、ばれないような隠れ場所としてはどこがある?」

日本酒愛好会(うちのぶかつ)の部室でいいよね。はい、鍵。あと、場所は文化祭の時に来たからわかっているでしょ」

「……あそこか。また変な妖怪に襲われたりしないよね」

「その辺はお姉さまに言ってよ。あたしは知らない」

 

 少し前にこの武蔵立川の文化祭があったときに、御子内さんのクラスの出し物の巫女喫茶というものがあって、それにまつわるトラブルが生じたことがある。

 そのときに、僕はその部室で殺されかけたりしたので(精神的な意味で)、あまり行きたいところではない。

 とはいえ、授業中の隠れ場所としては良いチョイスだ。

 動くとしたら休み時間しかないのだから。

 

「……おまえはどうする?」

「具合悪くて保健室に行ったということになっているから、とりあえず保健室に戻るね。必要ならすぐに通話で呼んで。あたし、お姉さまのためなら何でもできるから」

「……いい心掛けだ」

 

 その精神を実の兄のために向けてくれるのならなおよし、なのだけど。

 

「よし、じゃあここで別れよう。僕はとりあえず勝手に動く」

「うん。お姉さまをよろしくね。―――あの偽物って絶対に嫌な相手だから」

「わかるの?」

「〈高女(たかめ)〉に襲われたときに感じた嫌な予感が背筋に走ったんだよ。あれはヤバいもんだってね。近づいてはいけないって本能で感じたよ」

 

 涼花は僕と比べてはるかに霊力みたいなものが強い。

 だから、一年ほど前に妖怪に襲われることになったのだ。

 その涼花が感じたというのならば、おそらく間違いはないだろう。

 妹が見たものは、御子内さんに化けた〈ドッペルゲンガー〉に違いない。

 

「とりあえず、御子内さんとは接触するなよ。SNS上でもだ。僕の思っている通りの話だと、できる限り御子内さんには内緒にしておいた方がいいかもしれない」

「わかった」

 

 おそらく、〈ドッペルゲンガー〉は退魔巫女でも簡単には察知できない妖怪なんだと思われる。

 皐月さんでさえ、近寄って、なおかつ、「殺気」の色という見逃せない証拠があったからこそ、偽物であるということがわかったらしいし。

 同じ建物内にいる程度では、御子内さんの野性的な勘でも発動しない限り、〈ドッペルゲンガー〉には気が付かないだろう。

 レイさんが空港で発見できたのには理由があり、それは彼女が〈J〉の痕跡を探すために探索関連の術を使っていたおかげだと思う。

 それぐらいでなければわからないのだ。

 まさに隠密行動にはうってつけの妖怪なのだろう。

 正直な話、そんな妖魅に大手を振って国内をうろつき回られるのは危険すぎる。

 せっかくの機会なのだから、この武蔵立川の校舎内でなんとかしたほうがいい。

 

 僕は涼花と別れると、庭木の陰で着替えて校舎内に入った。

 生徒用の玄関の下駄箱を覗くと、ゴミみたいに捨てられていた上履きを拾った。

 来客用のスリッパなんか履いていたらすぐに正体がばれてしまう。

〈ドッペルゲンガー〉もそんなミスをしていてくれると助けるんだけどね。

 そして、注意しながら部活凍の方に向かう。

 御子内さんの所属する日本酒愛好会(いいのかな、この部活)は、三階にあるので一気に階段を上がり、預かっていた鍵で部室の扉を開ける。

 なのに、鍵がかかっていて開かなかった。

 

「あれ、おかしいな」

 

 もう一度、鍵穴に鍵を差しこんでひねる。

 ガチャ。

 今度は開いた。

 この段階で僕はなんとなく察していた。

 だから、大して広くはない日本酒愛好会の部室内に入って、その中央の椅子に腰かけた制服姿の女子高生を見て驚いたりはしなかった。

 ほぼ毎週のように顔を合わせている友達がいた。

 

「あれ、どうして京一がうちの学校にいるんだい?」

 

 御子内或子が静かに足を組んで座っている。

 他の生徒が授業中に。

 僕は椅子には座らず、廊下と部屋を隔てる壁に寄りかかった。

 木製でちょっと冷たい。

 

「―――実は、来週からここに通うことになったんだ」

「ちょっと待って。ボク、キミからそんなことは聞いていないよ。ボクに内緒でやっていたということかな?」

「うん。御子内さんの手伝いをするには、やっぱり同じ学校に通っていた方がいいかなということで、こぶしさんがね、手伝ってくれたんだ。教えなかったのは、まあサプライズかな。本当は今日、放課後に打ち明けるつもりだったんだ。あとでこぶしさんからも話があると思うけど」

 

 御子内さんは拍子抜けしたような顔つきになった。

 僕が武蔵立川の校舎に、制服を着ていることについては誤魔化せたかな。

 こちらの言い分が確かなら御子内さんには知らせていないのだから、彼女の知識にはないから、本当のことかどうか確認のしようがないのだ。

 もし、疑っているのなら、話に出たこぶしさんや妹の涼花に確認をとればいいだけのことだが、御子内さんはそれをしようとしない。

 僕の話を信じているのではなく、彼女は周囲に聞くことを避けているのだ。

 いや、聞けないのだろう。

 何故かって?

 

 だって、()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もし、彼女が本物ならば愛用のスマホからメール、LINE、通話をすればいいが、偽物は例えスマホを持っていたとしても自分のものではないから連絡はできない。

 どんなにそっくりでも、服ならばともかく機械をコピーすることはできないはずだ。

 それにこんな時間に部室で隠れているなんておかしな話だ。

 ただ、〈ドッペルゲンガー〉が御子内さんの記憶を読んだというのならば、この時間帯に隠れることができる場所として日本酒愛好会の部室を選ぶというのはありえる。

 もし、僕の想像通りの狙いを持っているんだとしたら、チャンスがくるまで隠れているというのは当然の発想だ。

 せめて、放課後までは様子を見るかもしれないし。

 

「……むしろ、どうして御子内さんがここにいるのさ。授業はどうしたの?」

「気分が悪くてね。保健室に行くのもなんだから、ここでのんびりしていたんだよ」

「へえ、珍しいね。御子内さん、生真面目なのに」

「ボクにだってそういう時はあるさ。偶々だろうけど、京一が来てくれて助かったよ。少し退屈していたんだ」

 

 御子内さん(の偽物と思われる)は、ねっとりと探るような目つきで僕を見た。

 下からねめつける視線だった。

 それで、僕は断定した。

 

(こいつは偽物だ)

 

 ってね。

 御子内さんがこんな品のない目つきをするものか。

 僕は知っている。

 太陽みたいに高潔で、輝く星のように誇り高い、羞花閉月の美貌を持つ最強の巫女レスラーを。

 例え死んでもこのような下種い眼をしたりはしない。

 

「……キミ、何か考えているね」

「別になにもないよ」

「ボクは知っているんだ。見掛けも出自もただの高校生だというのに、一つ事件をこなす度に信じられない速度で頼りになっていく少年をね。もうキミをただの高校生だと思っているものは少ないんじゃないのかな」

「買いかぶりもいいところだよ。僕はいつも君のお荷物気分でいるんだけど……」

 

 僕の言い訳を完全にニセ・御子内さんは笑い飛ばした。

 いつもの彼女の朗らかな笑いではなく、下劣で無気味といっていい嘲笑を。

 

「―――嘘だね。キミはボクの騎士(ナイト)気分でいるはずだ。そして、今回もボクのためにわざわざここまで来たんだろ。()()()()()()()()

「いいや、君は知らない。まず、なによりも人を知らない」

「どういう意味かな」

 

 ニセ・御子内さんが立ち上がり、僕の前に立ち、そして壁に手をついた。

 まるで壁ドンだ。

 御子内さんそっくりの可愛い顔が歪む。

 

「キミ、ボクの正体に気がついているね。だから、その突っかかる態度を続けているということだろ?」

「なんのことだか、さっぱりなんだけど」

「―――この巫女の力なら、キミの首の骨を折って始末することなんて余裕なんだよ。腹筋を抜き手で破ることだって簡単だ。わかるかい?」

「さあ」

 

 僕はしらを切った。

 まだ、ここで会話を決裂させるわけにはいかない。

 反対の手まで使って挟み込むように壁ドンされた。

 

「ふざけないことだね。……どうして、ボクのことに気が付いた? 少なくとも、ボクがこの巫女の記憶を読み取ったことは気が付かれていないはずだけど」

「記憶……読み取る? 何、それ」

「だから、ボクが頭に触れたことを本人が気にしていなかったはずなのに、どうして他人のキミが見破ったのかを知りたいってんだ」

 

 頭に触る……

 

 それが記憶を読み取る方法か。

〈ドッペルゲンガー〉にとっての。

 僕が知りたかったのはそれなんだ。

 

「―――つまり、あんたに頭を触らせなければいいってことだね」

「キミが知っていたとしてもボクには痛くもかゆくもないよ」

「ねえ。僕の御子内さんの真似をしていたとしても、勘とセンスだけは如何ともしがたいみたいだね」

「……何が言いたいんだい?」

 

 僕はウインクをしてやった。

 

「さっきから壁の向こうで立っている剣気に気づかないようじゃ、まだまだだね」

「―――!?」

 

 次の刹那、ニセ・御子内さんは後ろに飛び退った。

 廊下側から、僕の顔の横を突き抜けて伸びてきた剣尖を躱す為に。

 それでも避けきれなかったのか、額から鮮やかな赤い血が一筋流れ落ちていた。

 ほとんど耳をかすめていくような鋭い突きが廊下から壁を抜けてきたので、正直なところ肝が冷えたけど、あの剣士たちならば外すことはないだろうという信頼が僕にはあった。

 

「まさか!! 今のはなんだい!!」

 

 ニセ・御子内さんが叫ぶ。

 ほぼ同時に扉を蹴破って、抜刀した剣士たちが飛び込んでくる。

 先頭に立って吶喊してきたのは、ポニーテールでいかにもスポーツ少女という髪型にもかかわらず、花のように麗しい可憐な女の子であった。

 この女の子だけは刃が短めの、いわゆる小太刀らしいものを抱えて、いわゆる殺ったるモードみたいな突入をしてきた。

 多勢に無勢か、それとも狭い室内で機動力を殺されることを怖れたのか、ニセ・御子内さんは後ろも見ずに窓の外にガラスを突き破って逃げ出した。

 窓の外に落ちる寸前に窓枠を蹴って、上へとジャンプしているので逃げたのは四階だ。

 御子内さんの身体能力を極限まで使えば、あんな離れ業だって造作もないことだろう。

 

「上へ逃げたぞ!!」

 

 小太刀の美少女が叫んだ。

 室内に入ってきた剣士たちが全員統制のとれた動きで飛び出していく。

 ニセ・御子内さんを追うつもりなのだろう。

 さすがは〈裏柳生〉の剣士たちだ。

 素早いなんてもんじゃない。

 僕が廊下に彼らを追っていこうとすると、

 

「京一さま、ご無事ですか?」

 

 刀を廊下の壁から抜きとった冬弥さんが心配そうな声をかけてきた。

 僕を助けてくれたのは彼女ということか。

 

「はい。〈ドッペルゲンガー〉はどうなりました?」

「私の姉と〈裏柳生〉が追いつめております。京一さまのご指示通りに」

「良かった。……巫女の〈護摩台〉みたいなものはあるんですか?」

「屋上に文化祭の余興に使った〈護摩台〉の簡易版があります。退魔巫女が起動させれば十分に使えます」

「……そういえばありましたね。さっさと解体しておいてくださいよ」

「姉さまが或子さまと戦う舞台にとっておいたんです。日本人的なもったいないもたまには役に立つものですね」

 

 よし、準備はよさそうだ。

 あとはあの妖怪を仕留められる巫女を呼びだすだけだね。

 


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