巫女レスラー   作:陸 理明

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結末

 

 

 消滅していく〈天狗〉を見送ってから、御子内或子(みこないあるこ)はリングに戻って寝そべっていた友人の元へ近寄った。

 空に向かった拳を突きたててガッツポーズをとっていた。

 SNS上でだけは饒舌という、普段は無口で愛想の欠片もない少女も、勝利の美酒に酔うときもあるのだろう。

 

「さすがだね、音子」

 

 立ったまま見下ろすと、ぎょろりと覆面の下から睨まれた。

 幼い時から共に巫女の修業を積んだ幼馴染でもあるが、同時に最強を目指すライバルであるこの友人とは普段は疎遠にしている。

 馴れ合いは互いのためにならないからだ。

 だから、今のように不用意に近づくと警戒される。

 とはいえ、仲が悪い訳でもなく、二人でやりあった直後でもないからか、すぐに仏頂面の覆面巫女は睨むのを止めた。

 

「……シィ」

 

〈天狗〉という強敵を斃したということもあり、幾分余裕があるのだろう、握った拳から親指(サムズアップ)を立ててきた。

 

「ただ、最期の天狗の最後っ屁を喰らいそうになったのはいただけなかった。あの時、ボクの京一のアドバイスがなかったらキミの敗北は決定的だったからね」

「……ノ」

「否定したって駄目さ。キミは完全に油断していた。あの切り札の大怪声の存在に気がついていなかったのだから」

 

 すると、音子は唇を尖らせてすねた。

 図星だったからだ。

 プライドの高い彼女にはとっては認めにくいものだった。

 これまでにも数回、同種と思われる〈天狗〉を退治して来た彼女にとって、さっき斃した妖怪の特殊攻撃はまさに初見だったからだ。

 巫女たちの戦いを記録してきた社務所も、あんな〈天狗〉の戦法は不知だったはず。

 もしも知っていたとしたら、さすがに用心はしていた。

 だからこそ、あの或子の助手の少年の閃きに助けられたのは疑いようのない事実である。

 もっとも、音子は同僚の巫女と違い、おいそれと自分の落ち度を認められるほどの心の広さは持ち合わせていなかった。 

 

「ノ。―――別に或子の助手のおかげじゃない」

 

 それだけを言うのが精いっぱいだったが。

 

「それでもね、音子。ボクは君に感謝しているんだよ」

「……ケ エス?」

「キミがあの〈天狗〉を斃したことで、第二第三の母親から引き離される子供がいなくなったからさ」

 

 音子の横に膝を曲げて女の子座りをした或子は、背後の〈御山〉を眺めた。

 

「あの山の頂上には、旧い神社があったらしいんだよ。それが誰かの放火によって消え去ってしまった。誰がやったのかは知らないし、どんな動機があったのかも知らない。でも、そのことで神社に封印されていた過去の〈天狗〉が甦ったんだ。あいつは相当昔に発生した〈天狗〉だから、手の内が知られていなかったんだろうね」

 

 或子は語る。

 

「旧い存在にこめられているものは、歴史だけじゃない。時間を経る間に関わって来たすべてのものとの結びつきや絆が込められているんだ。そして、その中には、悪いものや災いだってある。―――だから、不用意に旧いものを傷つけたり、壊したりしてはいけないだ。それを破ったらしたら、あの〈天狗〉のような善くないものがやってくる」

「……」

「今、我が国では多くの旧いものが貶められたり、穢されたりしている。それはいつか大きな災厄になってこの社会全体を蝕むだろう。社会が悪くなれば、理不尽に苦しめられ、涙を流すものたちが大勢現われる。―――ボクたちに八咫烏を介して助けを求めた若い母親のようにね」

 

 御子内或子は、妖怪退治を生業とする巫女レスラーである。

 だが、彼女ができるのは人が妖怪に襲われたあとの後始末だけ。

 彼女が関わるまえに不幸になったものを助けることは、時を遡らない限りできはしない。

 母親の元から攫われた赤子が、妖怪の餌食になったとしても助けることはできないのだ。

 そのことを或子は悔いていた。

 全能であるはずもない彼女には防ぐことは絶対に不可能なことだったとしても。

 

「……だから、もう次に大好きな母親から引き離される赤ちゃんがでなくて良かったとボクは自分を慰めるんだよ」

 

 天を仰ぎ、涙をこらえる。

 わかっていても、耐えがたいことはあるものだ。

 御子内折或子はそういう少女だった。

 

「……あたしが遅れたのには理由がある」

「なんだい、それは?」

 

 くいくいと巫女服の袖のあたりを引っ張られ、或子が視線を落とすと、音子が言った。

 

「少しだけ奥多摩の方に行っていたから」

「奥多摩? また、それはどうしてだい?」

「これ」

 

 或子が手にしていた自分の携帯電話を手にすると、音子はギャラリーの写真フォルダを開いた。

 そして、一葉の写真を見せる。

 そこには、一人の可愛らしい赤ん坊とその脇にそびえたつ巨大な杉の木が写っていた。

 

「……この子は?」

「三日前、奥多摩のお寺のお坊さんが境内の千年杉のてっぺんに引っかかっていたこの子を見つけた。その杉は大量の花粉をばらまくことで有名で、その日も凄かったみたい」

「……で」

「お坊さんが空を飛ぶおかしなものがその花粉の中に突っ込んで、急停止してくしゃみを何度も繰り返して、その時にこの子を落としたらしい」

「もしかしてさっきの〈天狗〉だったのかい?」

「うん。―――お坊さんは慌てて知り合いのあたしに連絡してきた。妖怪絡みだと察知したから。で、あたしが調べに行った」

 

 或子は食い入るように、写真を見つめた。

 

「それで、この子は―――伊嶋佑真くんは無事だったんだな?」

「うん。用心して沁みついていた妖気は払っておいた。だから、遅れた。あたしは悪くない」

 

 完全な言い訳でしかなかったが、それでも或子には十分だった。

 失われたと思っていた命が生きていた。

 それに勝る喜びはない。

 

「……生きていたのか」

「―――シィ」

「良かった。この子は大好きな母親に会えるんだな」

「シィ」

 

 そして、音子が掌を差し出す。

 躊躇うことなくその手を握り返す或子。

 幼馴染であり、ライバルでもある巫女同士は堅い握手をしあった。

 

「友情の握手(シェイクハンド)はこういうときにしたほうがいいな」

「シィ」

 

 白いマットのジャングルの上で、二人の巫女レスラーは今度こそ勝利の悦びに身を浸すのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

参考・引用文献

 「天狗の研究」 知切光歳 原書房

 「天狗はどこから来たのか」 杉原たく哉 大修館書店

 「江戸の怪奇譚」 氏家幹人 講談社

 


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