ボーダレス ホルダー   作:紅野生成

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49 赤い波

 時間だけが流れていく。

 蔦に穿たれた傷から吹き出した血は、わたるの止血と指を押し込んで塗られた止血薬によって勢は弱まっていた。それでも腕の傷と太股の傷、少量とは言え絶えることなく流れ出ていることを考えれば、円大の望みどおり水の器がヤタカの体内から出ざるえなくなるまで半日もかからないだろう。

 

――何を考えている

 

 円大は更に傷を付けようとすることもなく、引き延ばされた時間を会話で埋めることさえしていない。徐々に弱っていくヤタカに、時折細めた視線を向けるだけだった。

 和平を包む白銀の繭は半分以上を赤に染められていたが、それ以上繭が血を吸い上げる事はなく、中で膝を抱える和平の命が全て流れ出たのでは、という悪い予感だけがヤタカの胸をきりきりと締めあげた。

 

「日が暮れるぞ」

 

 長く続いた沈黙を破ったのはゴテだった。

 

「翠煙……か。まったく合理主義の輩はこれだから嫌いだよ。少しは先の未来を想像して楽しむということはできないのかね?」

 

――先の未来を楽しむ……俺が死に、水の器が這い出るまでを楽しむということか

 

 反吐が出そうな思考だったが、ヤタカはそれを表情にのぼらせることなく、円大に声をかけたゴテに目を向けた。

 

「俺達はヤタカを葬るためにここにきた。水の器を手に入れるのが目的だ。だが、あんたを見て、それは無理だと悟ったよ」

 

「賢明な判断だ」

 

 僅かに横を見た円大がゴテ達の足元に視線を落とし、くすりと笑う。

 

「ヤタカを仕留めた旨を、山に散らばる一族に知らせなければ俺達がしくじった、または裏切ったと見なして大勢がここへ集まってくる。翠煙がどういう一族かは知っているだろう? おまえにとっては取るに足らない一族だろうが、それでも薬の扱い異種の扱いは、どの一族にも引けは取らない」

 

 ゴテが言葉を切ると、それを継いで野グソが穏やかな声で先を続けた。

 

「一族はあんたの本当の実力をまだ把握できていない。だから俺達の連絡が無ければ、一斉に向かってくる。一部の連中は少々心が歪んでいてね、あんたに勝てなくとも、今ここにいる全員を殺すだろうさ。襲ってきたアリの群れに気を取られている間に、あんたのお楽しみは終わっているかもしれない。ヤタカの最後を、無念の表情を見たいのだろ?」

 

 円大に向いていた野グソが、くるりと首を回しヤタカを真っ直ぐに見る。

 

「お前達が、ヤタカを手にかけるというのか?」

 

 訝しげに円大が問う。

 

「あんたが出てこなければ、元々俺達が殺すはずだった。一族の命令だからな」

 

「殺す役を譲ったとして、楽しみの時間が減るだけに思えるが?」

 

そういって円大は愉快そうに目を細めた。

 ゴテがにやりと口の片端を引き上げ、円大に向き直る。 

 

「一族の命令に背けば、俺達の身内が報復を受ける。それを避けたいというのが俺達の希望だ。おまえの受ける報酬は水の器。厄介なアリを払う手間を省ける上に、願いどおりヤタカの最後を見届けられる。逆らえるような相手ではないことも一族に知らせる。水の器など、俺個人にはどうでも良い話だ」

 

「ふぅん」

 

 悪くないな、と円大は微笑んだ。

 

「寺に出入りしていたお前達のことは、幼い頃から知っている。かつては友と呼び合った者達が命を奪い合う……か。ヤタカが死ぬまでをただ眺めているより、後に良い余韻が残りそうだ」

 

 円大の言葉を了承と受け取った野グソは、懐から小さな巾着を出し紐を解きながら、ゆっくりとヤタカの方へ歩き出した。

 手負いとはいえヤタカの力を知る野グソは、一足では届かない距離を開けてヤタカの前で立ち止まった。

 

「静かに呑み込むんだよ? 胃の中で溶けて瞬間で心の蔵を止める。心臓が突きあげるような予兆は一瞬感じるだろうが、他のどんな方法より楽に死ねる」

 

「てめぇ」

 

「お互いに妙な宿命や家系を背負って産まれていなければ、今だってきっと友だった。だからせめて、苦しませずに死なてやりたいんだよ」

 

 これもひとつの友情だろ? そういって野グソは少し大きめの黒い丸薬を転がして寄越した。いつの間に後を追ってきたのか、野グソの脇にゴテが立っていた。

 

「翠煙の秘薬だ。死罪といえど、痛めつけて殺すほどではないと思われた一族の者の処刑に使われる薬。飲めば絶対に死ねる。絶対にだ。奴の手にかかって死ぬよりは心穏やかにあの世に行けるぜ」

 

「イリスも、この手で殺すつもりか」

 

 ヤタカの視線を正面から受け止めていたゴテと野グソは、この問いに僅かに視線をそらした。

 

「一族の命令が下れば……そうする。おまえを仕留め損ねれば、イリスにこんな悠長な方法は使わせて貰えなくなる。奴らはイリスが苦しむことなど、何とも思っていない」

 

 ヤタカは怒りに燃える目元をそのままに、口元だけでにやりと笑う。

 

「先に待っているから、地獄に来い。地獄にイリスは居ない。だから、心置きなくぶっ殺してやる」

 

 手にした丸薬を眺める脳裏に、チヨちゃんの伝言が過ぎった。こんな奴のために片手の自由を失ったのかと思うと、チヨちゃんが不憫でならない。

 伝えるという約束を、ヤタカは腹の底に呑み込んだ。

 

――チヨちゃんの想いを受け取る価値など、今のゴテにはない

 

 ごめんな、チヨちゃん。

 ごめんな、イリス。

 

 そして逃がしたゲン太と紅を想った。

 

「円大、おまえの勝ちだ。この丸薬、飲んでやるよ。ただしこちらの条件も吞んで貰う」

 

「なんだ?」

 

 悠然と腕を組む円大の手首で、蔦の先がちょろちょろと舌を出す。

 

「これを飲むのは、わたるを逃がしてからだ。異種に愛でられた一族とはいえ、おまえがほとんどの異種を従えたというなら、いま逃がしても支障はあるまい。それと、イリスを苦しめることは許さない」

 

 考えるように首を傾げた円大は、わかったよ、と笑顔を浮かべる。

 

「大儀の前に無視して良いことなど山とある。丸薬を飲むなら、今は逃がしてやろう。俺の邪魔をしなければ、放っておいてやろう」

 

 指先で円大がわたるに行けという。

 ヤタカの衣を掴んでいたわたるの指を、ヤタカは優しく一本ずつ引き剥がす。

 

「今は何も考えるな。生きてここを抜けることだけ考えろ」

 

「その丸薬、噂に聞いたことがあるよ。胃の中で溶けるのに時間がかかる。だが、溶けたら一瞬にして心の臓を止める」

 

「いっそ楽なことさ。すまない、わたる……」

 

 和平を助けられなかった―――わたるの耳にヤタカの無念が流れ込む。

 土を蹴って走り去るわたるの足音を背後に聞きながら、ヤタカはほっと胸を撫で下ろした。 

 

 ゴテが顎をしゃくって丸薬を飲めと促す。

 

 ゴテと野グソから視線を外すことなく、ヤタカは丸薬を口の放り込みゆっくりと飲み下した。

 

「じゃあな」

 

 踵を返したゴテに、込み上げる怒りを抑えきれなくなったヤタカの口から、伝えぬと決めた言葉が溢れだす。

 善意の伝達ではない。渦巻く感情が、ゴテに己の行動がもたらした取り返しのつかない結果を知らしめ、せめて自責の念を抱かせたくなった。

 

「チヨは、最高に美味しい肉味噌おにぎりを開発しました」

 

 大股に立ち去りかけた、ゴテの背がぴたりと止まる。

 

「食べたかったら、生きて返ってこい! ばかやろう!」

 

 目を見開いて振り返ったゴテに、ヤタカは口の片端を上げ鼻で笑った。

 

「チヨちゃんからの伝言だ。あの子は、おまえみたいなクズの根性無しを助ける為に、右腕の機能を失った。異種を宿らせたんだ」

 

 零れんばかりに見開かれたゴテの目が、動揺に揺れる。

 

「お前達を助けてくれと頼まれた。狙われているのは俺だといって、断ったがな。おまえの為にチヨちゃんは命を賭けたんだ。これ以上泣かせるな」

 

 開きかけたゴテの口は再び真一文字閉じられ、握りしめて血管が太く浮いた拳をそのままに、ヤタカの元を去って行った。その横で野グソが悲しそうに眉尻を下げたが、口を開くことは無かった。

 

「最後の別れも済ませたようだね。薬が効き始めるにはどれくらいかかるのかねぇ。もうじき日が暮れる。日暮れ後は忙しくなるから、そのまえに逝って欲しいんだが?」

 

 円大が待ちくたびれるというように、ひとつ大きな欠伸をした。

 

「こんな山奥で日が暮れたからって何をする? もうおまえの天下は決まったんだ。さっさとねぐらに帰って祝いの準備でもしたらどうだ?」

 

 こんな言葉に円大が乗るなど露程も思っていなかったが、万が一にでもこの場を立ち去ってくれたなら、薬が効く前に和平だけでも助け出せるかもしれないというヤタカの淡い願いだった。

 

「祝宴の準備は整っているさ。日が暮れたら、盛大な宴が始まる。なかなか目に出来ない光景だから、死に際にヤタカにも見せてあげたかったよ」

 

「何をする? 何がはじまるんだ?」

 

 野グソが問う。

 

「俺の力を広大な大地に、広い山々に知らしめる。生態系の頂点に立つのが誰なのかを知れば、生き残るためにこちらに付く者は更に増える。その様子を、夜の闇が見せてくれる」

 

 西の空に山頂を伸ばす山の影に、橙色の夕日が落ちていく。

 沈む夕日を惜しむように、山の縁を茜色が染めていく。

 

――和平

 

 誰よりも守りたかったイリスには手が届かない。ならばせめて、和平だけでも救いたかった。血に染まった繭は一足先に夜に染まり始めた大地の中赤黒く色を変え、上部に残った白銀の繭は明るい夕日色に染まっていた。

 まだ溶け出していないはずの丸薬を呑み込んだ胃に感じる熱は、いつ訪れるか知れない死への恐怖なのだろうとヤタカは思った。

 イリスを生かすために死ぬのだと思って生きていた。イリスの為に訪れる死を恐れたことはない。だが……

 

――無駄死には、何よりも恐ろしい

 

 無意識に腹に当てた手の平を、ヤタカはぐっと握りしめた。

 水の器がカタカタと騒ぐ。

 ゴテと野グソはヤタカからも円大からも距離を置き、周りを囲む森の縁、生い茂る木々の手前に立っていた。

 あの時一瞬見せた後悔にも似た影は、ゴテの表情からすっかり消えていた。

 ヤタカにも円大にも視線を向けることなく、無表情の面を張り付けたまま森の遠くをただ睨み付けていた。

 

「やはりつまらぬな……」

 

 山の縁を筆先で細くなぞったような夕日にの残が、円大の声と共に薄闇に吞まれた。

 円大が袂からちろちろと蠢く蔦を覗かせ、腕を真っ直ぐに上げた。

 その指先が向かう先に気づいて、ヤタカは駆け出した。

 

「円大!」

 

 踏み込んだ太股から血が溢れた。

 もはや痛みなど麻痺したというのに、思うように足が動かない。

 

「やはり、自分の手で殺したい」

 

 和平を包む繭にあと一歩まで近付いたヤタカは、はっとして足を止めた。勢いに逆らった足が、ざりざりと土を擦る。

 身を翻したヤタカの腕に、熱を帯びた痛みが走った。

 地面に転がったヤタカは焼いた錐で刺されたような激痛に腕を見たが、傷は驚くほど浅かった。楊子で指したような小さな傷ができ物のように僅かに数カ所腫れ上がっている。薄闇の中指先で傷を確認したヤタカは、円大の真意に気付き舌を打つ。

 三度目の毒を受けたヤタカなど、放っておいても死ぬだろう。

 野グソが与えた丸薬が溶け出しても同じ。

 

――それさえ待てなかったか

 

 四度目の毒がヤタカに及ぼす即効性など想像するしかなかったが、逃れようの無い一撃に違いはなかった。

 

「毒の味はいかがかな?」

 

 のんびりとした円大の声が響くと同時に、ヤタカはがくりと膝をついた。

 体の震えが止まらない。

 僅かに腕の皮を切り裂き侵入した毒が皮の下を廻って氷の膜を張ったかと思うほどの寒気に襲われた。

 毒による高熱も耐え難いものだったが、全身を氷付けにされたような寒気は、ザルから水が漏れるようにヤタカの命を削っていた。

 

「そんなに震えて可愛そうに。高熱も人の命を奪うが、体温を奪われる方が早く命の火が消える」

 

 毒の効き方などとっくに知っていたのだろう。自分以外の誰で試したのかと浮かんだ嫌悪さえ、気が遠退きそうな寒さに消え飛んだ。

 寒さを取り越して全身が痛い。

 何も考えられなかった。

 四つん這いで体を支える両腕の感覚も麻痺している。

 ヤタカは、闇と同化した地面を凝視しているしか術がなかった。

 

「強情だねぇ。気力でその毒には勝てないよ? 早く逝ってしま……うぅ!」

 

 闇を裂いて閃光が走った。

 下を向いていたヤタカの目を直に射ることはなかったが、一瞬走った閃光が強烈な輝きを放ったことは視界の隅でさえ感じられるものだった。

 閃光の残像かと思っていたが、無理矢理に首を擡げて辺りを見回したヤタカの目に、淡い白光を生む小さな光の玉が見えた。

 

――何だ……これは

 

 正体を見定めようと焦点の定まらない目をしばたいたのと、腹に強烈な衝撃を受けたのは同時。

 

「這いつくばってんじゃぇーよ、ボケ!」

 

 頭に反響する耳鳴りに被って聞こえたのは、聞き覚えのある声。

 

――誰だ……

 

「死ぬならイリス姉ちゃんを助けてからにしろや! この役立たずの荷物持ちが!!」

 

――シュイ?

 

 再度顔を上げようとしたヤタカは、ウエェ、と大きく呻いて大地に転がった。

 カッと胃を燃やし尽くすような熱に、腹を抱えてのたうち回る。

 吐く息さえ舌を焼くように熱く感じた。

 

「光で視界を奪える時間は限られてる。早く持ち直せよ、荷物持ち!」

 

 シュイの声が耳の奥で二重になって反響する。

 急げといわれてどうにかなるものではなかった。度を超えた熱は痛覚だけを刺激する。

 額から流れ落ちた汗が目に入った。いや、目に入った汗にを感じたことにヤタカは驚いていた。

 

――感覚が戻ってきた

 

 痛みに気を取られていたが、耳鳴りは遠ざかり手足が体温を取り戻していた。

 焼くような胃の痛みが引いていく。

 胃で爆発した熱が、毒のもたらす極寒の冷気に打ち勝った……そんな感覚だった。 

 

「ばーか……」

 

 見上げると淡い照らし出されたシュイが、黒い外套を羽織ってにやりと笑っていた。

 

「どうなっている、うぇ」

 

 顔を顰めたシュイに、軽く腹を突きあげられた。

 身を屈めたシュイが、そっとヤタカの耳元に口を寄せる。

 

「荷物持ちの胃にはいま何が入っている? それを寄越したのは誰だ? そいつらを信じろと右腕の力を失ってまで伝えにきてくれたのは……誰だ?」

 

 はっとしたヤタカは、目を見開いてシュイを見た。

 生意気な表情は影を潜め、白い歯を見せにかりと笑うシュイがいた。 

 

「貴様……誰だ」

 

 怒りが滲む円大の声が低く響いた。

 両膝を突いて右手を胸に当てたシュイが、すっと背を伸ばし闇の向こうに見えない円大に目を向けた。

 

「情けない荷物持ちの護衛だけど……なにか?」

 

「挑発するなシュイ……あいつは危険過ぎる」

 

 まだ力の籠もらない声で、ヤタカは必死にシュイを押さえようとした。腕を捕まえようとしたヤタカの手を、シュイの左手がぴしゃりと払う。

 

「いざという時に腰が引ける者など、男と名乗る資格はない! じっちゃんの教えだ!」

 

 寒気が収まり、胃を焼く痛みが潮が引くように収まり始めていたヤタカは、シュイお得意のひと言ににやりと口元を緩めた。

 

「なんだ、ガキだったか」

 

 円大の含み笑いが暗がりの向こうから響く。ヤタカは瞬時に表情を引き締め、シュイを庇うように右腕を伸ばした。

 

「視界などいらん。いや、こいつ等にとっては……だが」

 

 シュっと闇を裂く鋭い音が響いた。シュイを庇って身を投げ出そうとしたヤタカを、黒い外套から飛び出たまだ細い左腕が止める。

 気づいたときには、目の前に蔦が迫っていた。

 刺される、そう思い固まったヤタカは、べろべろと蠢く蔦がヤタカの顔直前で先へ伸びないことに気づいた。

 土から飛び出た黒い固まりが、どろどろと流れ落ちながら、けれど強固に蔦を絡め取っていた。

 

「ケンカを売るなら、最低三つの策を講じよ。これもじっちゃんの教えだ! ニセ坊主め」

 

 円大の舌打ちが響く。蔦が強引に引き抜かれ、円大の手首へと戻っていった。

 ヤタカ達を照らしていた光の玉は散らばって、円大ばかりかゴテと野グソの姿もうっすらと照らし出している。 

 

「策がひとつ散ったな。次はどうでる?」

 

 円大の腕が伸びた先を察したシュイが、外套の内側から小さな毬を勢いよく放り投げた。

 しゅるしゅると蔦が伸びる音と重なって、繭の手前で地面に落ちた毬から金属の擦れる甲高い音が響く。

 

 ぶつかり合う衝撃音と共に足元が揺れた。

 薄明かりに照らされる繭は針金状に伸びた細い糸に覆われていた。細かく繭を覆う糸が色鮮やかに絵柄を浮かび上がらせる。赤と水色が織り成す糸の上で巨大な白い蛇が鎌首を擡げていた。

 役目を果たしたと言わんばかりにするりと糸が編み出す生地に身を潜らせた白い蛇は、ぐるぐると表面を這う内に半分以下の大きさとなり、生地を織り成す糸の色に白い体表を染めていく。

 その口に咥えられていたのは蔦の先。まだ蠢くそれを、白い蛇は不味い虫でも食ったようにぺっと大地に吐き出した。

 

「痛いじゃないか」

 

 不満げな円大の声がしたが、声色から悲痛な痛みなど感じられない。

 

――時が経てば再生するのだろうか

 

 希望の無い想像がヤタカ頭に浮かんでは消えた。

 

「シュイ、あの蛇は異物なのか?」

 

「毬の形をとった異物さ。蛇が本体でもあり、糸が作る地が本体でもある」

 

「蔦の先を折られたことで、円大にどれほどの打撃があったと思う?」

 

「先を折られたなんて、深爪をした程度のことだろうさ。痛くも痒くもないだろうね。ただ……」

 

 シュイの言葉を途中に訝しげに耳を澄ませた。

 

「森が騒いでいる」

 

 ヤタカの皮膚が異常な気配に粟立った。

 風もないというのに辺りを囲む森の向こうまで、草木がザワザワと小刻みに震えていた。小さな音は重なり合い、ヤタカ達が立つ山間に異様な雰囲気をもたらしていた。

 

「山が、赤く染まっていく……」

 

 絶望の吐息がヤタカの口から漏れ落ちる。

 大げさに表情を歪めながら手首を擦っていた円大の唇が、にやりと歪む。

 

「俺に付き従うと決めた者達が、今宵ここへ集まる」

 

 山のあちらこちらに小さな赤い光が湧き、瞬きする度に数を増していた。

 まるで白く粟立つ波頭のように、数を増しては押し寄せる。

 ヤタカの隅で震えていた水の器が、凍ったように動きを止めた。

 

「ここまできたら数の暴力だぜ。シュイ、どうする」

 

「くそ! 思っていたより早い。早すぎる!」

 

 ざっと外套から突き出された両手には、小さな徳利と子供の手に握れるほど小さな玉があった。

 ざっと横に飛び退きながら、右手に握っていた小さな玉をシュイが思い切り投げた。

 気づいた円大がハエでも払うようにさっと腕を払い、丸い玉を弾いた。

 パン

 乾いた音と共に玉が弾け、黄土色の粉煙が散った。

 袂で口を覆った円大が、訝しげに眉を顰め指先についた粉をぺろりと舐めた。

 黄土色の粉煙は意思を持つかのように円大の周りを覆い、ほんの一瞬円大の姿が煙の向こうに消えた。

 それを確認して数歩走ったシュイが、手にしていた徳利の蓋を切り繭の上方に投げつける。クルクルと回りながら徳利から振りまかれた液体が、動かぬ繭に吸い込まれる。

 

「シュイ、何をしている?」

 

「黙ってろ! こっちは忙しいんだ!」

 

 円大を覆おう煙幕が薄くなり始めていた。

 チッと舌を打ってシュイは淡く照らし出された大地に視線を走らせる。

 

「ここか……」

 

 囁くように小さな声だった。

 カリッ、犬歯で手の平を囓ったシュイは、つーっと流れた血を見て大きく息を吸う。

 膝をついたシュイが、唇を引き結んだまま開いた手の平を大地に叩き付けた。

 

「シュイ?」

 

 シュイの手を起点に、大地に閃光が走る。

 瞼に残った残像を見たヤタカは、はっとしてシュイの肩を掴んだ。

 

「何をしようとしている?」

 

「第三の策さ!」

 

 大地に走った閃光は、ミコマのお婆が残した巨大な蜘蛛の巣のかたちを辿っていた。

 肩で息を吐くシュイの目の前で、金糸の巣が命を吹き返していく。

 巣の端を支える蝶もいないというのに、大地の暗闇から金糸の巣が宙へと浮かぶ。

 山の向こうから続々と下ってきた異種の赤い光の粒は、山の裾野まで埋め尽くし、森の置くの草や幹、そして森の表面を覆う木々の葉で蠢いている。

 

「繭が浮かんだ。シュイ、あの中には和平が囚われているんだぞ!」

 

 シュイがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

 

「どうなるかなんてわからない。和平を助けたい。完璧じゃないけどこれしか方法はないんだ。和平が望む結果にはしてあげられないかも知れない。でも、これしかないんだ」

 

 徳利から振りまかれた液体がかかった場所から、ジュクジュクと泡を吹くような音が立つ。刃物さえ立たなかった銀糸の繭が、てっぺんから解け始めていた。

 

「余計なことをしてくれるよ……まったく」

 

 薄れた煙の向こうから、円大の険しい顔が覗く。

 

「これで三つの策が終いなら、勝てないよ?」

 

 くつくつと喉を鳴らす円大の笑い語が、溶けていく繭の音と相俟って不気味に夜の森に響いた。

 唇を噛みしめたシュイが、悔しそうに血が滲む拳を太股に打ちつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




完結まであと何話か……どうぞお付き合いくださいませー。

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