ボーダレス ホルダー   作:紅野生成

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42 女の子は、おにぎりを盾に命を賭ける

 ゴザ売りが横道でぼんやりと目を開けたとき、土壁から伸びていたセキシュンの花糸

は姿を消し、異種の気配はすっかり消えていた。

 

「イリスを助けなかったことに痺れを切らしたのか? 心配すんな。心変わりなんざしちゃいねぇ。惜しむ命もねぇ。動かないんじゃない。動けねぇのさ。嬢ちゃんを守る為に息を潜めるのが、どれだけ辛いかわかるか?」

 

 わかっていても

 

「責めずにはいられねぇよな」

 

 体を起こし立ち上がったゴザ売りは、胸元をぎゅっと握り目を瞑る。

 

「心なんざとっくに捨てたっていうのに、胸があったけぇや」

 

 良い夢見させて貰ったぜ……

 

 宿屋あな籠もりがある方角を振り返ったゴザ売りは、そろそろか、そう呟いて横穴の奥へと姿を消した。

 

 

 

 

 おまえに本当の味方なんざ居やしねぇ。

 ゴザ売りの言葉がヤタカのザワザワと行き来していた。

 

「そんなことは解っている、なんていったら、ゲン太がむくれるんだろうな」

 

 無意識に口から思考が零れた。

 肩にそっと置かれた手に顔を上げると、宿屋あな籠もりの主人が白い毛の隙間から覗く目に笑みを浮かべ、宿の入口へと目を向けた。

 

「どうやら、一人ではないようじゃのう」

 

 主人の言葉に慌てて横道へ飛び出したシュイが、細い手を引いてゆっくりと戻ってきた。 細い腕、シュイの紳士的な態度に、ヤタカは来訪者が女性だと悟る。

 シュイが引く手の先に姿を見せた人物に、ヤタカはあっと声を上げた。

 

「チヨちゃん?」

 

 ヤタカを見るとチヨちゃんは、ほっとしたように微笑みぺこりと頭を下げた。

 ゴテの家にお手伝いとして仕えているチヨちゃんが目の前にいる。あまりにも場違いな光景だった。

 

「ここまで来るのは大変だったでしょ? ここに座って休んでね。いま、温かいお茶を持ってくるから」

 

 慣れた仕草で丸太にさっと布を掛けチヨちゃんを座らせたシュイは、茶をいれに台所へ小走りに向かう。

 

「チヨちゃん、どうしてここへ?」

 

 そうだ、ここは普通に来られる場所ではない。迷い込む人間がいたとしても、この入り組んだ迷路で宿屋あな籠もりに辿り着き、まして知り合いと顔を合わすなど万に一つも有り得ることではなかった。

 

「えへへ」

 

 恥ずかしそうに笑うチヨちゃんに、シュイがお茶を持ってきた。軽く会釈してチヨちゃんが湯気の立つ湯呑みを左手で持ち上げる。

 微かに引っかかる違和感が、ヤタカに記憶のページを捲らせた。

 

「チヨちゃん、たしか右利きだったよね? 怪我でもしたの?」

 

 料理上手のチヨちゃんは器用だが、コップを手にする時やおにぎりを食べるときはいつも右手だった。なのに今、チヨちゃんの右手は寒さ除けの上着の下でだらりと力なくぶら下がっている。

 

「異種に、右腕をあげましたから」

 

 こともなげに言ったチヨちゃんの言葉に、ヤタカは喉を詰まらせた。

 

「馬鹿な、そんなことをしたら……異種が芽吹いたら……」

 

「はい、死ぬそうです」

 

 部屋の向こうでシュイがビクリとこちらを向いた。和平はゲン太を抱いたまま顔を俯け、膝を抱えて背を向ける。

 

――どうしてそんな馬鹿なことを

 

「チヨちゃんは、ゴテ達の仲間なのかい?」

 

 チヨちゃんはくるりと目を見開き、ぶんぶんと首を横に振る。

 

「いいえ、わたしはあのお家に代々つかえるただのお手伝いです。お家の方々は何もおっしゃりませんでした。でも、幼い頃からお側にいましたから……うすうすは」

 

 ゴテが話しを聞かれるようなヘマをしたわけではないだろう。ただ、幼い日から共に時間を過ごした者だけが感じられる日常との違和感。そんな些細な感覚が、チヨちゃんの中で積もっていったのだろう。

 コトリと湯呑みをおいたチヨちゃんが、膝を揃えて真っ直ぐにヤタカを見上げた。真一文字に結ばれた桜色の唇が微かに震えている。

 

「ヤタカさん、ゴテさんを助けて下さい! 野グソさんを助けてください!」

 

 入ってきてすぐに見せた笑顔とは裏腹に、思い詰めた緊張を抱えていたのだろう。チヨちゃんの裏返った細い声に、ヤタカはふっと息を吐く。

 

「チヨちゃん、どこまで知っているかわからないから、口にするべきではないかもしれないけれど、命を狙われているのは俺だよ」

 

「そうです。ヤタカさんは、殺されようとしています」

 

 そして、お二人を助けようとしても、ヤタカさんは死ぬんです……チヨちゃんは消え入りそうな声でそう続けた。

 

「俺が死んでも、ゴテに助かって欲しい?」

 

 零れそうに見開いた目で、チヨちゃんは激しく頭を振りかぶる。

 

「違います! 違うんです! たったひとつ抜け穴があるんです。三人とも助かる可能性があるのは、そのただ一点。その望みに賭けるしかないって」

 

 あの人が……

 

 弱々しい最後の言葉にヤタカは眉尻を上げた。この人物が鍵を握っている。普通の女の子が、何かに感づいたからといって思い通りの異種を腕に宿せるわけがない。ここへ辿り着けるはずがない。誰かがチヨちゃんに知恵と進むべき道を与えた。そう考えるのが妥当だろう。

 

「それは、どんな方法なの?」

 

 いえません

 いっちゃいけないんです

 いったらたぶん……

 

「多分?」

 

 みんな死にます

 

「チヨちゃん、それじゃあ何というか。とるべき方法が見えないよ」

 

 チヨちゃんの目に宿る光を見れば、冗談どころか偽りさえ言っていないことはヤタカにも解る。だから、笑い飛ばすことができなかった。

 無理矢理浮かべかけた苦笑を、ヤタカは唾と一緒に飲み込んだ。

 

「質問をかえようかな。異種を宿すなんて知恵、いったい誰に吹き込まれたの?」

 

「言ったら、さんは怒るとおっしゃっていました」

 

「誰が?」

 

 見知った人物を頭に浮かべた。知恵を持つ者、異種を手にできるものなら、幾人もならべられる。不安定な今の状況なら、誰がどう動いてもおかしくはない。

 ただ幼なじみまで知る者となると、浮かんでいた顔が霧散する。

 膝の上でもじもじと動かしていた左手をきゅっと握りしめ、チヨちゃんは話し出した。

 いわれた言葉を一語一句間違いなく思い出そうとしているのだろう。視線は記憶を覗き込むかのように斜め上に向けられている。

 

「この戦いは、散らばった点を線で繋ぎ、繋がった線を取捨選択して必要な線と点だけを手に絡め取った者の勝ちなのだそうです。今まで隠されていた点は姿を現し、本当の意味で自由に動ける点は失われたとおっしゃっていました」

 

 一気に言葉を吐き出して、チヨちゃんはふぅっと息を吐く。

 

「それで? それが今回チヨちゃんをこんな目に合わせることとどう結びつくの?」

 

「わたしはヤタカさんに会う必要がありました。ここに辿り着く為には、異種を宿す必要があると言われましたから、そうしました。ここへの通行証を手に入れたようなものです」

 

「さっきの内容をチヨちゃんに教えるくらいなら、他に幾らだって方法が……」

 

 いいえ、とチヨちゃんは静かに首を振る。

 

「わたしは自由に動ける透明な点になる必要があるのだそうです。その為には、わたしがしようとしている事を知る人間を増やしてはいけないのです。というか、そういわれました」

 

 受け売りです、とチヨちゃんは恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

 

「わたしが信念を曲げない限り、腕に宿る異種に同調して、この世に散らばる異種の一部はわたしを守ろうとしてくれるそうです。ここへの道案内をしてくれたのも、彼らでしたから」

 

 湯呑みを手に取り一口茶を流し込むと、緊張に白んでいたチヨちゃんの頬にほんのりと血の色が戻った。

 

「個々の意思を無視して鎖で繋がれた点と点を断ち切り、各の点が自由になるには、力はなくともわたしのように自由な、空気のような存在が不可欠なのだそうです」

 

「だとしても、チヨちゃんが命を縮める必要なんてない。チヨちゃんに余計な知恵を与えた奴は、やっぱりクソ野郎だ」

 

「そんなことありませんよ!」

 

 思わずバッと立ち上がったチヨちゃんは、勢い余って突きだした首を、亀のようにひゅっと引っ込め上目遣いにヤタカを見る。

 

「わたしはゴテさんと野グソさんを助けたいです。この想いは、ヤタカさんとイリスさんも助けることに繋がるそうです。わたしは、もちろんお二人も助けたいんです」

 

「そういって異種を差しだした奴の言葉を、どうしてチヨちゃんはそんなに簡単に信じたのかな?」

 

「家に戻ってこなくなったゴテさんが、危険なことに巻き込まれているんじゃないかって、気持が追い詰められていたのはわたしです。遠くで大きな仕事があるから……そういって笑ってお出かけになりましたが」

 

 違うと思います、チヨちゃんは悲しそうに眉尻を下げた。

 

「心配で心配で、心が追い詰められていたわたしの勘が、信じていいって言ったんです。正直、藁にも縋りたい思いでした」

 

 そんな気持を利用されただけかもしれないという疑念が、拭いきれずにヤタカのなかで燻った。

 

「それに、こうもおっしゃいました。あんたの想い人を絶対に救える保証はないって。でもこれ以外に道もない。酷な選択を迫っていることは百も承知……と」

 

 絶対なんて安直な言葉を使わない、あの人は信じられます。

 そう言ってチヨちゃんは恥ずかしそうに微笑み頷いた。

 

「チヨちゃん……」

 

 違うだろ、チヨちゃん。チヨちゃんはいつだって人を信じて、嘘を吐かれてもまた信じて、それを繰り返して生きてきたんじゃないか。

 やさしいまま、生きてきたんじゃないか。

 ヤタカの胸に、どうしようもない悔しさが渦を巻く。関係ない者を巻き込んでしまった。自分にもっと力があれば、こんな世界を知らずに済んだ女の子の命を、早すぎる春風に散る桜のように死なせてしまう。

 

「どんな奴だった?」

 

 小首を傾げて、思い出すように目を閉じるチヨちゃんは、唇に左手の薬指を這わせ、はっきり思い出したというように、ぽんと指先で唇を弾いた。

 

「黒い外套で身を包まれていました。お面をつけていたので、顔はわかりませんけど、とても低い声で、何というか不思議な声色で静かに話す方でしたよ?」

 

 まるで闇夜を解かして流したような声でした、とチヨちゃんはいった。

 

「あいつか、ぶっ殺してやる!」

 

 黒い外套に記憶に残る特殊な声色。ゴザ売り以外に考えられなかった。

 

「いけません!」

 

 チヨちゃんの声がピシリと飛ぶ。

 

「あの方のおかげでこうしてヤタカさんと会えたんです。それに彼はヤタカさんのことも気遣っていらっしゃるのだと思います。これを預かりました」

 

 腰に結わえた小袋から取りだしチヨちゃんが差しだしたのは、紙にくるまれた丸薬だった。

 

「いざという時、一時的に痛みをおさえてくれるそうです。えっと……何時ぞやのような副作用はないから安心しろ、とおっしゃっていました」

 

 意味は解りません、といってチヨちゃんは紙の包みをヤタカの手に握らせさっと手を引いた。

 

「チヨちゃん、そいつはね口先と腕だけで生き抜いてきたような男だから……今更だけど」

 

 ゴザ売りが必要と思ったなら、チヨちゃんに白を黒と思い込ませる事など造作ない。

 

「口先だけだなんて、こうやってヤタカさんに会えました」

 

 どういうわけかヤタカに会えたことにチヨちゃんは希望を抱いている。それは目の前の偽りない笑顔が物語っていた。

 

「俺に会うことが、本当にゴテと野グソを助けることに繋がるなんて思えないよ。そんな風に吹き込んだのもあいつだろ?」

 

「はい。大事なのは一点だそうです。ゴテさんとのグソさんが、どんな人だったかを忘れないで下さい。今言えるのはそれだけです」

 

 真剣な眼差しのチヨちゃんを笑い飛ばすことも、まやかしだと希望をへし折ることも出来ずにヤタカは眉を顰めて顎をさすった。

 

「チヨちゃんは、ゴテの事が好きなんだね?」

 

 話しの核心にこれ以上踏み込めなくて、沈黙を払うためにでた言葉だった。

 チヨちゃんの頬が、カッと音を立てたように真っ赤に染まる。

 

「これまでの話しをどう解釈したら、そんなことになるんですか!? わたしはゴテさんのお手伝いです!」

 

 変なヤタカさん、といって膨れたチヨちゃんは耳たぶまで真っ赤に染まっている。

 あんたの想い人を――そういったゴザ売りの言葉をすんなり受け入れたのが動かぬ証拠だろうに。

 

「ゴテさんも前にいっていました。わたしはゴテさんにとって、ゴテさん専用のおにぎり屋さんなのだそうです。一生自分専門のおにぎり屋さんでいるんだぞ? といわれました」

 

 がさつな男が好きだと言えずに口にした言葉がそれとは、さすがのヤタカも呆れるセリフだ。

 

――相思相愛じゃないか

 

 命を縮めてまで守りたいほどに、想っているのだろうに。

 ゴテも家業に縛られなければ、チヨちゃんを置いてなどいきたくはなかっただろう。

 ヤタカはこの日はじめて、本当の微笑みを目元に浮かべた。

 

「ところでチヨちゃん、あのひねくれ者のおっさんは、俺が行くべき場所と日時をいってはいなかったかな?」

 

「はい。もう少し休む時間はあるそうです。四日後の日没までに<境の盆>という谷へ行くようにとおっしゃっていました」

 

「それは何処にあるの?」

 

「わかりません」

 

 申し訳なさそうに頭をちょこりと下げたチヨちゃんに、ヤタカはいいよ、と声をかけた。

 

「わたしはもう帰らなくちゃ。お手伝いの仕事をさぼって来ましたから。今夜は徹夜です。寝ないで仕事です」

 

 腕まくりをして見せて、チヨちゃんがにこりと笑う。

 

「でも、その腕では無理だろう?」

 

「わたしを誰だと思っているんですか? 左手ひとつでも、上手におにぎりが握れるとびっきりのお手伝いですよ?」

 

 すたすたと出口へ向かうチヨちゃんが、壁の間際で立ち止まった。

 

「ゴテさんと、野グソさんを助けて下さい」

 

 ヤタカは返事ができなかった。どう答えても嘘になる。

 

「ヤタカさんとイリスさんも、ちゃんと生き延びなくちゃだめです」

 

 返ってこない返事に、チヨちゃんの声が涙ぐむ。

 

「生きたままゴテさんに会えたら、伝えて貰えますか?」

 

「いいよ。なんて伝えればいい?」

 

 背を向けたままのチヨちゃんの小さな肩が、息を吸い込んで大きく上がる。

 

「チヨは、最高に美味しい肉味噌おにぎりを開発しました。食べたかったら……」

 

 もう一度、チヨちゃんの肩が大きく上がる。

 

「食べたかったら、生きて返ってこい! ばかやろう!……です」

 

 ぺこりと頭を下げ、小さな背が壁の向こうに消えて行った。慌ててシュイが後を追いかけていく。出口まで送り届けるつもりなのだろう。

 

「わかった。ちゃんと伝えるよ、チヨちゃん」

 

 項垂れるヤタカの肩に、宿屋あな籠もりの主人が温かい手を添える。

 部屋の隅で忙しく薬草を練っていた和平と一緒に、チヨちゃんを追ってゲン太も宿を飛び出していった。

 

「いつだってそうさ。優しい奴ばっか、損するんだ」

 

 普通にゴテの帰りを待っているはずのチヨちゃんが、自ら巻き込まれ命を縮めるなど思ってもみなかった。イリス、幼なじみ、チヨちゃん。当たり前に手の内にあったものが、するすると指の隙間を抜けていく。

 

「恨むぜ……ゴザ売りのクソ野郎」

 

 ヤタカの力ない呟きだけが、宿屋あな籠もりを囲む壁に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 




読んでくれたみなさん、ありがとうです
チヨちゃん……はたして何人の方が覚えていることやら……不安満杯っ
そして反省なり

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