ボーダレス ホルダー   作:紅野生成

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40 サザナミとユウモヤ

あんた、ずっと見ていたのか?」

 

「あぁ」

 

「だったらどうしてイリスを助けなかった!」

 

 首がしなるほどに襟首を締め上げたヤタカの手を、乱暴にゴザ売りが薙ぎ払う。

 

「あそこで俺が面を晒したら、その後誰が闇を駆ける! 役割ってもんがあらあ! あの場で嬢ちゃんを助けるなぁ、てめえの仕事だったろうが!!」

 

 声色にさえ策を巡らせるゴザ売りが、初めて感情を露わに声を荒げた。

 薙ぎ払われた手の力より、ゴザ売りの言葉がヤタカを打つ。

 

「そうだな、その通りだ」

 

 あの時和平は己と戦っていた。シュイは駆けつけるために必死に横道を駆けていただろう。ゴザ売りは、自分が成すべきことを踏まえ、己を押さえてじっと身を潜めていた。

 ゲン太でさえ、和平を救おうと迫り来る炎の前で足掻いていたというのに。

 

――何もできなかったのは、俺だけだ

 

「腐っている暇なんざねぇぞ。おまえがちょろちょろしてくれたおかげで、口伝の集団が持つ今の面が見えてきた」

 

「口伝の集団?」

 

「異常なまでの異種の山下りは、永い時を経て繰り返されている。が、今回は桁が違う。異常なんだよ。事が起きる度に歴史の裏に見え隠れしていたのが、名前のみ口伝で伝えられる六つの組織だ。もちろんその名でさえ、全貌を知る者は限られているだろう」

 

 ゴテと野グソに渡され、身代わり草に燃やされた紙に連なる名が瞬時に浮かんだ。

 

「ここの頭目は誰それと、部分的に知る者ならいるが、それはおおよそ口外されやしない。口を割るような者に、もたらされる情報ではないからな。だから俺のように組織の名全てを先代から受け継いでいても、仮面の向こうが見えねぇ。今、誰がどこでそいつらを纏め動かしているのか。どんなに探っても眉毛一本見えてきやしなかった」

 

 ゴザ売りの声を噴火させた怒りはなりを潜め、淡々と事実だけを伝える声色へと変わっている。

 

「それが見えてきたのか?」

 

「おまえが寺を出てから、次々とな。おまえは個々の顔は見えていても、歴史が伝える全体像を掴めちゃいない。この先、どっちへ足を進めるか腹をすえる為には、知っておく必要のあることだ」

 

「そんなこと、俺に教えて良いのか? 俺はあんたの味方でも敵でもない」

 

「それが甘いってんだよ!」

 

 ドスの効いたゴザ売りのひと声に、部屋の隅でゲン太がびくりと鼻緒を跳ねた。

 

「いいか? 全ての者が目指す先は一つだ。異種の暴走を止める。ただ、その為の手段と結果がちげぇんだよ! おまえにとって問題なのは、どの連中が勝とうがおまえらは人身御供でしかねぇってことだ。わかるか? おまえに本当の味方なんざ居やしねぇ!」

 

 かかーん

 

 木肌を打ち鳴らす音と共に、ゴザ売りの頬を蹴り倒したのはゲン太。ゴザ売りの口の端から、切れた口の中の血がちろりと漏れた。

 

「怒んなよ……坊んず。おめぇは誰のもんでもねぇ。どこのもんでもねぇ。ただの下駄……だろうが」

 

 言い聞かせる様に穏やかな声だった。ゲン太をちらりと見遣ったゴザ売りは、まるで眩しい光に当てられたかのように目を細めて視線を外した。

 激しく鼻緒を上下させ、もう一度飛びかかろうとしたゲン太を、シュイが優しく手の平で押さえた。

 

「ゲン太、あっちに行こう? このおっちゃんが怒鳴るから、皿の睡蓮が怯えて花を閉じちゃったんだ。葉を引いてみるからさ、ゲン太の木肌に少しの間移して、宥めてやってくれよ。墨で蝶を飛ばせて、遊んでやって。な?」 

 

 鼻緒をぶるぶると振るわせながら、それでもゲン太はシュイの腕に黙って収まり連れられていく。

 ゴザ売りが、口の端に冷めた笑いを浮かべ指先で唇を拭う。

 

「あいつらの方が、ずっと落ち着いていやがる」

 

「話してくれ、ゴザ売りさんよ。その前に、ちょっと水を飲ませてくれ。薬やら術やらで、すっかり感覚が狂っているが、時期的にもうそろそろ拙いはずだから。妙な話を聞かされる前に、飲めるだけ胃に流し込む」

 

 ゴザ売りの返事を待たずに大きな水瓶へ向かった。

 ちらりと主人をみると、にこやかに頷いてくれたのをみてヤタカは水瓶へ頭を突っ込んだ。水が食道を流れ、胃に辿り着く前に吸収されているかと思うほど早く、体の隅々に水気が行き渡る。

 水の器が身を揺るがせる。

 頭の芯が冬の夜空のごとく冴え渡る。

 

「さぁ、聞こうか」

 

 水瓶の半分ほどを飲んだヤタカは、自己嫌悪も不安も感じさせない所作で、先までとはまるで別人の表情を張り付け、ゴザ売りの前にゆったりと腰を下ろした。

 

「俺がおまえに与えるのはおそらく、希望じゃねえよ。絶望に近い現実だ」

 

「希望か絶望か、決めるのは俺だ。勝手に人の未来を決めるな」

 

 決まってんだよ……小声呟いて、ゴザ売りは口元を歪ませた。

 

「ややこしい話しの前に、互いに見えている事実を整理するか。火隠寺はわたる、音叉院は素堂、羽風堂はミコマと呼ばれる婆、狼煙塚は円大、俺のような輩は代々隠し釘と呼ばれてきた。翠煙は裾野がひろい。おまえが顔を知っている中でいうなら、幼なじみがそうだ」

 

 野グソとゴテが思わぬ形で浮き上がった。汚い仕事をこなすが本来の家業だと言っていたが、だとしたら翠煙の立ち位置はいったいどこにある? ヤタカは目を細めて考えを巡らせる。

 

「ばらばらに物事を考えるな。全体像が掴めなくなるぞ」

 

 ヤタカの心中を見透かしたように、ゴザ売りがいう。

 

「全体像とやらは、どうなっているわけだ?」

 

「色々複雑に絡んじゃいるが、五芒星を頭に浮かべろ。その尖った先にあるのが五つの組織。寺に組みしているように見えて、そのどこにも属さず全体を見渡しているのが俺達隠し釘」

 

 五つの角を持つ星形を一筆で書き上げる五芒星。頭の中で出来上がった図式の、真ん中に浮かび上がる空白が、ヤタカは妙に気にかかった。

 

「ただの図式と言われればそれまでだが、ぽかりと真ん中に位置する空白には何が入る?」

 

 会話の流れに妙な間が空く。

 二人を囲んでいた知らぬ存ぜぬの温い空気が、音を立てて凍ったように思えた。

 

「いっただろう? 先に全体像を掴め。己を知らぬ者に世界は見えない。世界を知らぬ者に、己の存在を見極めることはできん」

 

「まるで謎かけだな」

 

 木肌に睡蓮を宿したゲン太がわざとらしい歩調で、かんかかんと部屋を闊歩する。それに釣られたように、拭いた皿を重ねる音や、薬草をすり潰す音が立ち、宿の部屋は日常を装う音に染められた。

 

「隠し釘に立ち位置などないが、それ以外は得意とする分野を持つ。得意というより、愛でられたがゆえに関わりが深くなったというべきだろう。長い歴史がそうさせた。最初に仕掛けたのは狼煙塚だ。それこそ狼煙を上げたのさ、巧妙にな。それに気づかなかった寺は、知っての通りの末路を辿った。だがな……」

 

 ゴザ売りは羽織っていた外套を脱ぎ隣の丸太にばさりと掛けた。

 

「もっと昔に先手を打って仕掛けたのは寺だ。どこが始まりなのかは今となっちゃわからんが、素堂様の先代、あるいは先々代の時代にはとっくにこの戦いは火ぶたが切られていたんだろうと俺は睨んでいる」

 

「何を廻る戦いだ?」

 

「己の信じる道を貫き通す戦いだ。寺は人を重んじ、異種と異物を掻き集め、この世から排除しようとした。火隠寺は異種に愛でられた一族だ。本来の住み処である山深い地で、彼らが静かに生き延びる道を模索した。羽風堂は異物に愛でられる血筋だからな、異物と心を通わせ異物を人の手から守ろうと戦ってきた。翠煙は、幼なじみの表の家業をみれば解るだろうが、異種や異物と共に生き、その力を僅かに人の為に役立て共存すべきだと信じる者達の集まり。まぁ、その温厚で平和な理念を守るため、血生臭いことに手を染めた歴史を持つがな。狼煙塚は円大が取り仕切っている。永い時を掛けて寺にもぐり込み、屋台骨から寺を崩すことで、全ての異種と異物を解放しようとした。だが同じ共存でも、他の組織が願う共存とは質が違う。狼煙塚はこの大地を自然に帰そうとしていた。人がいなくなれば、大地は太古の森へと返る。異物も異種も自然の理の中実を隠すことなく存在できる世を目指していた」

 

 ちょっと待て、とヤタカは眉根を寄せてゴザ売りの言葉を遮った。

 

「仕掛けたところで、人が居なくなればどうやってその後を生きる? 狼煙塚の者だって人間だ。異物と異種が無秩序に溢れかえる世界で生きてなどいけないだろう」

 

 ヤタカを真っ直ぐに見据えたまま、ゴザ売りはゆっくりと頷いた。

 

「狼煙塚の先々代の伝え語りを耳にしたことがあってな。本来の狼煙塚は、自分達だけ生き残ろうなどと姑息な考えは微塵も持っていなかっただろうよ。人がこの地を駄目にした。人が生き続ける限り、大地は精気を失っていく。土を汚し空を汚し、純粋に生きるだけの者の命を奪うのが人だと。そんな人間から自然を取り戻そうと狂信的に思っていた者達だったと思う。だがそれを、円大が変えた」

 

 じっとゴザ売りから目を話さなかったヤタカの視線が下を向く。自分を貫いた円大の表情は霧の向こうに隠れていた。見下したように下卑た含み笑いも時間の彼方に流れて消えた。

 悪戯が過ぎて素堂に引き摺られるヤタカを、庭を箒で掃きながら見送る柔らかな明るい笑みが蘇る。薬草にかぶれて晴れた肌に、薬を貼ってくれた温もりが肌に残る。友としての思いなど、すでに微塵も残していない。だというのに、ヤタカにも制御できないまま、日溜まりのような思い出だけが胸に浮かぶ。 

 

「寺を消滅させたのは、狼煙塚が首謀だといっていい。だが目的はだれも気づかぬうちに円大によってすり替えられていたのさ。奴が願うのは異種と異物の解放による、自然への返却ではない。解放した異種と異物を我が物とし、人が生きる世を統べる為の私欲。奴が身に宿す蔓は、代々受け継がれる物だ。先代の死によって次代の者へ受け継がれる。だが奴は時を待たず手に入れた」

 

「殺したのか、先代を」

 

 ゴザ売りが頷いた。

 

「円大の行いは、微妙な均衡を保っていた秩序を根底から壊した。互いに敵と味方も区別がつかない。己の義を通すためには、他は排除するしかないように仕向けたのさ」

 

「狼煙塚の他の連中が黙ってはいないだろう。命を投げ出すことを厭わない古の意思を引き継ぐ者達も、円大の野望の火にくべる命はないだろう?」

 

「ないさ、在るはずがない」

 

 肩で大きく息を吐いたゴザ売りは、心底嫌そうに眉根を寄せた。

 

「今や狼煙塚は、円大個人を指すただの名称に成り下がった」

 

「どういう意味だ?」

 

 ゴザ売りの目がぎらりと光る。

 

「狼煙塚の民と呼ばれた者達は、百人はいたと伝えられているが、全員この世の者ではなくなった。策に嵌められ自滅した者、使命と信じて動いた上で命を落とした者、残っていた民は一夜の闇に紛れて命の火を消した」

 

「まさか、円大が……」

 

 頷くゴザ売りの目は、敵味方を通り越した怒りに煮えるような光を宿す。

 

「寺が更地になった一夜の内に、命は闇に葬られた」

 

 寺での最後の一夜が蘇る。声が音が地鳴りが、亡霊となってヤタカの身を襲う。気力で肩を押さえつけ、胃だけを膨らませて大きく息を吸う。揺れることない現実を取り戻そうと、深い呼吸は幾度も繰り返された。

 

「まさか、それを目にしたのか、あんたは」

 

「しかとこの目で見た」

 

 寺を転覆させた騒動を引き起こすためには、大がかりな仕掛けと人の手が必要だったはずだろう。それをどうやって円大一人で葬った? 普通に暮らす村人を襲い仕留めるのとは訳が違う。使命の為なら働き蜂のように命を投げ出し戦う輩を相手に、どうやって一人で立ち回ったというのか。不可能だろう。どれほどの手練れであっても、数の暴力には無力だ。

 ヤタカは被りを振って、有り得ないというように両手の平を持ち上げた。

 

「寺の襲撃の後なら狼煙塚の者が一同に会すことがあったろう。全員を殺そうと思うなら千載一遇の機会ともいえるが、最悪の状況でもある。命を投げ出すことさえ厭わない連中だ。幼い頃から肉体も精神も徹底的に仕込まれている筈だ。そんな、この世を破壊するために存在するような者達を何十人も相手にしたのでは、たとえ円大でも勝てやしない。無理だ。どう考えてもな」

 

 鼻で笑うかと思ったゴザ売りが、表情を変えることなく頷いた。意外な反応にヤタカは目の端をぴくりと持ち上げた。

 

「その通りだ。奴らは徹底的に訓練されている。円大はその性質を利用した。使命の為なら死を恐れぬ狂気に染まりきった真っ新に白い無垢な心だからこそ、円大ひとりで事足りた」

 

 まるで謎かけだ。聞き返す言葉さえ浮かべられなかったヤタカは、じっと耳を傾けゴザ売りの放つ次の言葉を待った。

 

「寺に囚われていた異種と異物の解放を成し遂げて、残るは人の殲滅のみ。それは奴らの手には余ること。後は仕上げの鍵さえ噛み合わせることができたなら、自由になった異種と異物が放っておいても人という種族をこの世から消し去る。まぁ、そういう教えを教え込まれた連中だ。円大は、その教えを巧妙に言い換え手札を切った」

 

「何をした」

 

 想像することさえ拒否しようと、頭の芯が冷えていく。

 

「鍵は揃った……そう告げた」

 

「揃ったのか?」

 

「まさか。見破られればさすがの円大といえ命はない。それこそ数の暴力だ。ところが、一世一代の嘘は、狼煙塚の者達に真実として受け入れられた」

 

 涙を流す者さえいた。そういってゴア売りは溜息と共に嫌悪感に染まる眉根を潜めた。

 

「寺から解放された異物の中に、シズクと呼ばれる異物があった。それを円大はサザナミと言われる鍵穴だと偽った。その鍵穴の中で芽吹く異種、ユウモヤも手に入れたと。もちろん見せたのは誰も目にしたことのない異種だ。遠い昔に寺に囚われ眠っていた異種の一つに過ぎない」

 

「それを信じたのか? 異物に愛でられる一族なら、円大が手にした異物がそうではないとわかっただろうに。異物そのものに問いかければ、嘘などすぐばれる」

 

 いいや、とゴザ売りは首を振る。

 

「下駄の坊主のように自ら話す者でさえ、その言葉を目に出来る者は限られる。普通の異物は意思を持てど、それを人に知らせる言葉を持たない。言葉なき意思をくみ取れるのは、一握りの人間だけだ。狼火塚の奴らは異物を見ることはできる。だが強烈な怯えや喜びといった感情の波くらいしか感じることはできない」

 

「円大が嘘をついたなら、嘘の元に晒された異物は強い感情を放っていただろう? それすら感じられなかったというのか?」

 

「異物は人の言葉を理解する。言葉というより、感情というべきか。円大は、幼少期のおまえを騙し続けた人好きする笑みで、異物にこれからすることの意味を言い含め、安心させていた」

 

「見たのか?」

 

「あぁ。突然起きた寺の崩壊に怯えていた異物は、円大の笑顔と優しい声色に落ち着きを取り戻し、異物達を守り自由に森で在り続けるために自分が役立つのだと信じたようだった。そんな異物から発される気を、狼煙塚の連中は本物の落ち着きとして受け取った」

 

 シズクと呼ばれる異物が哀れだった。親愛を寄せる数少ない人間の頭目に、エゴにまみれた薄っぺらな笑顔に騙された無垢な存在が悲しく愛おしい。

 

「信じた連中を、その後どうやって始末した?」

 

「なにもしないさ」

 

「なにも?」

 

「奴らは言い伝え通り、自らの血をシズクに注いだ。力を与えるとい言うより、人は去るから後は頼む……血を介して異物にこの世の行く末を託すのさ」

 

 馬鹿らしい。死んで何になる? 

 

「最後の一人が地に倒れ、最後に自分も逝くと手首に当てていた小刀を、円大はゆっくり下ろした。シズクを濡らす赤い海に、円大の血が混ざることはなかった。もう一度振り上げた小刀で、円大はシズクを打ち砕いた」

 

 嫌悪感に首筋がゾクリと震えた。シズクは最後の時に何を思っただろう。時代が違ったなら……見ず知らずのシズクとゲン太が戯れる姿を思い浮かべ、ヤタカは奥歯を噛みしめる。

 

「円大は声を出さずに笑っていやがった」

 

 部屋の隅から鼻を啜る音がした。必死に押さえていたであろう嗚咽は次第に唇を押し開き、人目も憚らずにおいおいと鳴く声が壁に木霊する。

 異物達を抱きしめて、シュイが泣いていた。

 呼応するように、慰めるように部屋の異物達がかたかたと身を揺らす。

 木板に巻き付けられていた白い糸がシュルシュルと解けた。糸は小さな竜巻となって舞い上がり、飛び散ったように身を膨らませて、そっとシュイの背を包み込む。

 糸に縁取られた大きな鶴が、いっぱいに広げた翼で守るようにシュイを覆う。

 

「人間様より、あいつらの方がよっぽど心を持っていやがる」

 

 ゴザ売りが呟く。

 

「あんた、どうして予測不可能な現場に居合わせることができる? あんたの持つ力は人外だ」

 

 素直な思いだった。

 

「この目のおかげさ」

 

 にやりと指差した二つの眼をヤタカはマジマジと見つめた。改めて見ると年の割に濁り一つ無い綺麗な目だった。

 

「こいつ異物だ。万能じゃないが、人には見えない者もみえる。少し先の未来を見せてくれることもある」

 

 幾度も出会っていながら、異物の気配を感じなかったことにヤタカは愕然とした。

 

「こいつは気配を消す。宿り主の体に馴染む」

 

「どうやって手に入れた?」

 

「命と引き替えに、オレは宿主になった」

 

 死にかけた者の命を繋ぐ代わりに身に宿る異物。耳にしたことはあるが、半分お伽噺のようなものと思っていた。

 

「こいつは死にかけている者か、視力を失った者に宿る。そういう質なんだろうよ。こいつが離れれば、寿命を待たずに宿り主は死ぬ。本来はこんな血生臭いものを見たがる異物じゃない。オレなんざに宿って、ちっと可愛そうな目に合わしちまっているがな」

 

「おまえが死んだらどうなる?」

 

「すぐに次の宿り主を捜す。体から離れれば、こいつはただの黒曜石だ。河原に転がれば普通の人間には見分けがつかねぇ」

 

「どうして俺に話した? そいつを抜けばおまえは死ぬんだろ? 眠っている間に引っこ抜くかもしれないぜ?」

 

 くくくっとゴザ売りが笑う。

 

「やれるもんならやってみな。おまえにやられるほど落ちぶれちゃいねぇよ。教えたのは事のついでだ。気まぐれさ」

 

 気味が悪いぜ……そう呟いてヤタカは黙る。

 大方話しも終わったかね? そういって主人が熱い茶を運んでくれた。

 シュイは蹲ったまま泣きじゃくっている。あやすようにゲン太が薄墨を浮かべては跳ねている。

 ずずっと音を立てて茶を啜ったゴザ売りは、熱い湯呑みと戦うように握っては放しを繰り返す。視線は泣きじゃっくりを繰り返すシュイに注がれていた。

 

「話に出てきたサザナミとユウモヤとやらを、円大はまだ手に入れていないのだろう?」

 

「今はまだ……な」

 

 燭台の木肌のあちらこちらで、木目をそのままに木肌色の花が咲く。浮いては爆ぜる泡のように、月見草に似た花が咲く。

 

「だが、手に入れる算段はとっくにつけているだろうよ。仲間を葬ったってことは、その頃合いが間近だということよ」

 

 まだ痛む傷口に手を当て、ヤタカは円大を思い浮かべた。見慣れた笑顔が灰色の塵に霞んでいく。思い出の笑顔がまやかしなのだと、瞼に焼き付く笑顔を掻き消していく。

 

「それはどこにある? 俺が円大より先に手に入れる」

 

 ヤタカの言葉に、ゴザ売りの三白眼がちろりと光る。

 

「てめぇは、本気でこの世の平穏を取り戻したいか?」

 

「あぁ。俺は穏やかな日の下で、イリスに故郷の泉をみせてやりたい」

 

 ゴザ売りの目が僅かに泳ぐ。感情とさえ言えないほど微々たる動きだった。

 

「嬢ちゃんを守る為なら、自分を捨てられるか」

 

「全力を尽くす。死んでもイリスを見捨てるような真似はしない。この世がどっちに転がろうと、それは変わらない。それより……どこにある?」

 

 答えずに立ち上がったゴザ売りは、ばさりと外套を羽織り目深に頭巾をかぶり踵を返す。

 

「だったら、まずは嬢ちゃんを助け出せ」

 

 背を向けたまま出口へと歩き出すゴザ売りに釣られて、ヤタカも立ち上がる。

 

「おい、答えになっていないだろ!」

 

 岩壁を掻き分けた手がしゃらしゃらと音を立てて止まる。

 

「ユウモヤは嬢ちゃんに宿っている。今や嬢ちゃんそのもの」

 

「なんだって……」

 

 力の抜けた腕がの置かれた湯呑みを押し倒した。流れ出た茶に驚いて、木肌に乱れ咲く異物の花が慌てて身を潜める。

 

「鍵穴に鍵を差し込むってのは比喩だ。異種と異物をあるべき場所に戻すには、ユウモヤとサザナミが必要とされる。歴史がそれを事実だと語っている。そして……」

 

 背を向けたゴザ売りの肩が僅かに上がり、すとんと落ちた。

 

「異物か異種が取り出され、鍵穴に鍵が差し込まれるとき、どちらかの宿り主は死ぬ。それが定めだ」

 

 イリスの目に宿る異種がユウモヤなのだと、理解に心が追いつかずヤタカの視界が霞んでいく。

 

「サザナミは……」

 

 ヤタカは掠れた声を絞り出した。

 

「サザナミは、おまえが宿す水の器。今はおまえがサザナミそのもの」

 

 しゃらしゃらという音を潜ってゴザ売りは出ていった。

 

――俺がおまえに与えるのはおそらく、希望じゃねえよ。絶望に近い現実だ

 

 ゴザ売りの言葉が嫌な反響を伴って耳の奥で蘇る。

 燭台の上で握りしめたヤタカの手を、恐る恐る近寄ってきた木の花が囲む。ぶるぶると木目の花びらを振るわせ、助けを請うように揺れ続けた。

 

 

 

 

 

 




 読んでくれてありがとうでしたっ
 次話はゴザ売りおっちゃんの回想なり……

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