浮き世を流れる塵にも似た人間どもの苦悩などお構いなく、いつもと変わらない朝日が街道を照らしていた。
足の前に出した杖を擦りながら、まだ酔いの抜け切らないゲン太と楽しそうに先をいくイリスの背に溜息を吹きかけ、宴気分の抜けたヤタカは悶々とした気持ちを抱えていた。
イリスに何を話すべきなのか、あるいは何にも耳に入れずにおくべきか。
ヤタカの口から聞かされても、イリスは苦しむだろう。このまま黙っていて、いつの日か事の真相が知れたとき、あるいはもっと苦しむかもしれない。幼なじみ二人のことは、殊更に。
――他のことなら、いくらでも俺一人で背負ってやるが
ゴテと野グソだけは、そうもいかないだろう。ずっと先にイリスの恨みを買うことになるとしても今は、名簿のことより、身代わり草に助けられたことより、ヤタカにとっては口にしたくない話だった。
――シュイと、わたるのことも、どうしたものかな
イリスが惚けた振りしてヤタカに秘密を抱えているように、ヤタカにも言えぬ事情が増えていく。
二人の間に細く流れる秘め事の川が、いつか濁流となってヤタカとイリスを押し流す様が胸に浮かんで、ヤタカはぶるりと身震いした。
「ヤタカ、今度はどこを目指すの?」
目元を布で覆ったまま振り返ったイリスが小首を傾げる。
「どこ……に行くのかな?」
現実に戻り切れていなかったヤタカの口から出た、何ともあやふやで頼りない言葉に、イリスが盛大な溜息を吐く。
「行くのかな? じゃないでしょう? このままじゃ、さすらいの旅人になっちゃう。さすらいの旅人……なんかかっこいい。ね、ゲン太!」
か~ん
「ゲン太、もうちょっと気乗りした音で答えてやれよ。それじゃあ俺達がアホみたいじゃないか」
かん かん かん
「そこで肯定か!?」
「ゲン太、今日はお布団にいれてあげない!」
ぷりぷりと尻を振って大股に歩き始めたイリスに、ゲン太の鼻緒がぴくりと跳ね上がる。
湧き水のごとく次々と浮かぶ言い訳と謝罪、そしてゴマすりの文字が木肌でくるくると入り混じる。
――イリス かわいい
――ごめん する
――おふとん はいる
――おこる だめ
「アホウ、目隠ししているイリスに見えるわけがないだろうに」
むきっ、と鼻緒を三角に尖らせ、おまえなんぞに構っていられないと言わんばかりに下駄の後ろの歯でヤタカにざざっと土をかけ、ゲン太はイリスの後を追っていった。
「ありゃあれで、なかなかいいコンビかもな」
そういえばゲン太が一緒に来たのは、紅へ渡す種を集める為ではなかったのか? すっかり忘れていた話を思い出し、ヤタカはひとり首を捻った。
共に居ることに慣れて当たり前のようになっていたが、ゲン太が種を集めているところを最近は目にしていない。そういう機会がなかったからといえばそれまでだが、気付かぬところでこっそり集めているのだろうか。
「あいつも、たまに意味ありげな言葉を吐くが、やっぱり言えない秘密を胸に抱えているんだろうかな」
自分に宿る水の器が、ゲン太の半分でも自分の意思や感情を示してくれたならと思う。人に違いがあるように、異物も個体によって性質はかなり違うのだと、ゲン太と過ごして感じずにはいられない。妙な宿屋で会った女将や、逆さ参りのことといい、いずれイリスの過去が何かを動かす気がして背筋が疼く。イリス自身がはっきりと解っていない様子を見せる以上、ヤタカから強く問いただすつもりはなかった。何よりイリスのあんな様子を見るのは気が進まない。
聞いたこともない口調。
見たことのない冷えた視線。
喜怒哀楽をどこかに落としたような、感情のない顔。
まるで重く鍵かけた扉をこじ開け、そこからもう一人のイリスが表面に現れたような光景が、ヤタカの脳裏に松ヤニのようにべたりと貼り付いている。
無意識に立ち止まっていたヤタカは頭を一つ振り、先へ行ってしまったイリスとゲン太の後を早足で追い始めた。
「進むべき道が解らない時はとにかく進め、だ」
方向としては、寺の跡地から離れていくのだろうが、今はそれも構わない。いずれまたおばばの元へ顔を出す日も来るだろうが、今戻ったところで何一つ報告できることがない。まだその時ではない、ただそれだけのことだとヤタカは思う。
異種の暴走がどうして起こったのか、時代の流れのなか忘れられた頃に繰り返された異種の里下りが、今回に限ってなぜ暴走といわれるほど収集のつかない事態になってしまったのか。それを廻って暗躍する組織のことさえ、何一つ目的が知れないのだから。
「お兄ちゃん、何か買って!」
不意に袖を引かれて顔を下げると、泥だらけの顔に商売用の笑みをぺたりと張り付けた小さな兄弟が見上げていた。首から紐で提げた木箱に、無造作に売り物が詰め込まれている。ずっと先の道に、屋台とゴザ売りが並でいるのが見える。あそこでゴザを広げる親の手伝いでもしているのだろうか。
「何がある?」
「なんでもあるよ!」
商品とは名ばかりで、年季の入った古道具ばかりが詰まった木箱を、小さな手がごそごそと漁る。子供の声に振り向いたイリスだったが、食い物の匂いがする先の屋台にすっかり気持ちは飛んでいる。風下とはいえ、これほどの距離を物ともせず食い物の匂いを嗅ぎ分ける臭覚は、呆れを通り越して賞賛に値する。
曇った虫眼鏡や、毛玉だらけの襟巻きをしきりに進める子供達の手元を眺めていたヤタカの視線が、木箱の隅にぴたりと止まった。
「これは?」
ヤタカが摘んだのは、取っ手のついた木製のヤスリ。使い込まれて黒光りしているが、ヤスリ部分の細かい突起の先は、日の光にキラキラと輝いている。
「これかい? これは職人用のヤスリさ。木じゃなくて石を彫るとき仕上げの二歩くらい手前に使うんだ!……てさ」
語尾が微妙に尻窄みで自信なさげだったが、用途はおおよそ当たっている。。
「これは幾らだい?」
買って貰えるのかと目を輝かせた兄弟の口からでた金額は、ヤタカが想像していた百分の一にも満たなかった。
廃業した石工の空き家から持ってきたか、あるいは異種に呑み込まれ姿を消した者の家屋から盗んできたか。どちらにしても、これの価値を知らずに売っている。
空き屋の中で持ち主を失った品々は、細々と商いをする者達が持っていく。近所の者にしても、後片付けの手間が省けるから文句もでない。今では当たり前の光景だった。
「このヤスリをもらおうかな」
嬉しそうに飛び上がって、兄弟はパンと手を打ち合わせた。
「すごく欲しかったから、少し上乗せして払うよ」
「ありがとう!」
まだ甲高く幼い声が重なる。
子供達がいった値段に、菓子が買える程度の小銭を足して渡した。嬉しそうに手を振りながら、次の客を捜して兄弟達が去って行く。
手の中に残ったヤスリを眺め、ヤタカは満足気に微笑んだ。
価値のわかるものなら、それこそ百倍以上の値をつけるだろう。子供らは仕上げの二歩手前といっていたが、きらきらと輝く突起の側で荒削り、その裏側の一見平らに見える面で仕上げができる。きらきら輝くのは固い鉱石を粉にしたもの。大抵の石なら、楽に削ることができる。
「これだけの品だ。余程腕の立つ職人が使っていたのだろうな」
かん
ゲン太に呼ばれて顔を上げると、イリスが足踏みしながら待っていた。
「ヤタカ、何を買ったの?」
「ヤスリだよ。俺の石を磨くのにいいと思ってさ」
「おやつを我慢してまで買った、あの偽物石?」
イリスがニヤリと笑う。
「本物かもしれないだろ!? 磨き上がって中に水が入っていたらどうする? 金魚が泳いでたって、イリスには見せてやらないぞ?」
「へぇ、がんばってね」
かん
「男の少年心は永遠なんだよ!」
「はいはい。それより屋台にいこう。お腹空いた」
かん
「昨日食い過ぎたんだから、少しだぞ」
最後の言葉なんか聞いていないイリスが、足取りも軽やかに屋台目掛けて歩いて行く。
「なぁゲン太。おまえもこれ、偽物だと思う?」
懐から灰色の丸い石を取りだして見せると、見上げるようにゲン太が後ろの歯で立ち上がり、すとんと尻を下ろす。
――そろそろ
「そろそろ中が透けてくるか?」
――おとな なれ
からんからんと下駄が行く。
がくりと肩を落として、とぼとぼと歩くヤタカの背中は、これ以上ないほどに丸まっていた。
夜も更け、街道沿いの小屋で休む二人とひと下駄は、それぞれに旅の隙間の休みを楽しんでいた。昼間に屋台で買った小さなリンゴ飴を口に咥えながら髪を梳くイリス、その隣で追い出されまいと今から布団に齧り付いているゲン太。
ヤタカはといえば、昼間買ったヤスリで意地になって石を磨いていた。
しゃりしゃりと絶え間なく響くヤスリの音は、蝋燭の薄明かりの下、虫の音を聞くように心地よい。どんな道具にもいえるが、その物の質は使った時の音に現れる。
「今までの安物とは削れる速さが桁違いだ。これなら、爺になるまえに磨き切れるかも」
布団にころころと絡まっていたゲン太が逆さまのままぴたりと止まり、イリスがつつっと冷ややかな視線を向ける。
「じじいになる前に?」
「う、うん」
「そうね、爺になる頃にはきっと、小豆くらいの大きさまで磨けてるね」
「ぐぐっ」
言い返す言葉が見つからない。してやったと言わんばかりに、ぷいっと顎を背けるイリスに空息を吐きかけヤタカは立ち上がると、石とヤスリを手に留め具の壊れた入口の戸を蹴り開ける。
「ちょっと涼んでくる!」
「あ、一緒にいく!」
空気を読めこの馬鹿イリス。心の中だけで叫んで白目を剥きながら表にでたヤタカの後を、ぱたぱたと小さな足音と、からりころりと下駄の音が追ってきた。
男の心意気や意地なんて、脳天気なイリスの前では塵に等しい。
街道には心地よい夜風が流れ、ときおり森の葉が擦れ合う音だけが響いている。
「気持ちいいな」
雲に覆われて星一つ見えない空は、じっと眺めていると天と地の境を曖昧にさせる。ヤタカはくらりとした軽い目眩に頭を振った。
「ヤタカ、誰か来るよ」
イリスの囁きに耳を澄ませると、街道の暗がりの向こうからずずり、ずずりと土の道を擦る音が近付いてきていた。
見えない闇にイリスが持ってきた蝋燭を翳すと、背を丸めた老婆が姿を現した。
その異様な姿に、ヤタカは足を引くことも声をかけることも忘れて視線を注ぐ。
くの字に曲がった背。頭にぐるりと長い布を一巻きして頬の横からだらりと垂らし、灰色のすれた着物の上から、黒地に金糸で蝶の柄をあしらった豪奢な、いやかつては豪奢であったろう打ち掛けを羽織っている。小さな体に羽織ったそれは、身の丈の三分の一ほどだらりと地面に引き摺られ、歩くたびにずずり、ずずりと低い音を立てる。
引き摺られる布の音に混じり、ゆっくりとした足取りに合わせてぽくり、ぽくりと鳴る音は、老婆が手にした一本ののぼり。のぼりとは言っても、地面に向けて先細りした歪な長い枝に、縦に細長い布の一端を結びつけただけのもの。老婆にとっては杖代わりでもあるのだろう。雨風に晒され、ぎざぎざに端がほつれ煤けた布には、提灯に入れる屋号に似た太い墨字で、『辻読み』と書かれていた。
まるでさざ波模様のように顔全体に深く刻まれた皺の隙間から、目玉らしき物が細く覗いて、立ち竦むヤタカに顔を向けてぴたりと止まった。
「誰かおるのかの?」
尋ねる老婆の表情は変わらない。こっちを向いたとはいえ、顔は微妙にヤタカ達とは違う方向に向けられている。
――まさか、見えないのか?
「驚かせてすみません。そこの小屋に宿を求めている者です。夜風に当たろうとして、ここに立っていました」
ヤタカの言葉に老婆はあん? といって耳に萎れた手を当てた。声を大きくして繰り返すと、ようやく聞こえたのかしわしわの口元をもぞもぞしながら頷いた。
「クマや猪じゃのうて良かったわい」
喉元で咳をするように老婆が笑う。
「失礼ですが、目が不自由なのでは? この夜道を歩くのは危険ですよ?」
老婆は提灯どころか燭台さえ手にしていなかった。だから街道の闇に紛れて、近付くまで姿を目にすることはできなかった。
「この目は生まれつきじゃて。目の見える者に説明するのは難しいがの、物のある無しは感じるんじゃよ。命ある者が近くに立ってもそれと解る。まぁ、それが人かクマかの区別はつかんがの」
もう鼻も老いとるから、そういって老婆は腰を叩き背を伸ばす。拳ひとつ分ほど持ち上げられた頭は、すぐにすとんと元の位置へ落とされた。
――まさか現実に目にするとはな
生まれつき、あるいは幼い時に視力を失った者が、ある程度周囲を把握できるという事例なら聞いたことがある。だが、一人で街道を歩き回るなど、目にした今でも信じがたい。
誰よりも異質なヤタカが言えたことではないが、人の皮を被った魑魅魍魎が行き交う街道においても、この老婆は異様で異質だった。
――体が心を動かすのか、心が体を動かすのか。不思議な生き物だな、人は
そんなヤタカの物思いを遮るように、イリスの明るい声が響く。
「おばあちゃん、辻読みってなに?」
「古く言えば、辻占いじゃて。わしの大婆様も、そのまた大婆様も辻占いでおまんまを食っちょった」
「占い、ですか」
占いなら、目が不自由でも商えるか。
「おばあちゃん、どんな占いなの? 当たる?」
花びら占い、木葉占い、女の子はどうしてこうも占いと名が付くものが好きなのか、男のヤタカにはイマイチ理解できない領域だ。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦というじゃろう? 所詮は占いじゃて。その日風に舞う塵と同じよのう。占いに道具もやり方もないさ。わしは占うというより……読むんじゃよ」
「読む?」
「そう、目が見えないからこそ、見えない物の向こうに潜む物が見えることもある。見える者は、形に惑い色に惑う。見せかけの姿に、本質を見失う。違うかの?」
そうかもしれない。客の興味を惹く口上だとしても、人の本質をついていると思えるのは、老婆が生きてきた時間の重みに曲がった容姿のせいだろうか。いや、これも惑うということかな、とヤタカはひとり鼻先を擦る。
「慣れているとはいえ夜道は危ないですし、よければこの小屋に一緒に泊まっていきませんか?」
ヤタカの言葉に、老婆は可笑しそうに肩を揺する。
「何も見えない者が、人通りの多いお天道様の下を歩けば邪魔になるでの。わしは夜の闇に紛れて移動して、ここという場所で昼間は日が沈むまで客を待つ。歳だもんで、ちびっと眠れば済むからのう」
「そうですか」
「おばあちゃん、気をつけてね」
ありがとさん、小さく頭を下げよいこらしょと老婆はのぼりを持ち直す。
「久しぶりに辻読み以外で人様と話せて良かったわい。涼みとはいっても体の芯まで冷やさんよう、御三方も気を付けなされ」
「はい」
ずずり、ずずりと老婆の足跡を追って、打ち掛けの裾が土を擦る。
ふと老婆は立ち止まり、背を向けたまま何かを覗くように顔を傾げた。
「あんたさん、あんまり悩まないことじゃよ。色んなものがあんたさんから溢れ出て、すっかり手の中の物が濁っとる。溜まり水じゃのうて、綺麗な川でもあったら浸けてやるとええ。それはどうやら、水のものらしいからの」
何をいっているのか解らなかった。
あぁ、老婆はひとり頷くと、半身見返って皺だらけの顔に笑みを浮かべた。
「あんたさんらじゃったかい。覚えておらんじゃろうが、うちの孫が世話になったことがあっての」
「孫、ですか?」
うんうん、と老婆が頷く。
「孫が世話になった礼に、また会うことがあったら、辻を読んで差し上げますわ」
「辻占いをですか? あのお孫さんのお名前は?」
「あれは不憫な子での。人ではない者に愛でられてしもうた。辻読みの方は……今夜はまだ、時が満ちておらんようじゃから」
ずずり、ずずりと老婆が闇の向こうへ去って行く。追いかければすぐにでも追いつけるというのに、竦んだようにヤタカの足は動かなかった。
ヤタカの脳裏を、生意気で優しい小さな紳士の顔が過ぎる。
――あぁ
すでに闇に呑まれた老婆の背に視線を注いでいたヤタカは、見る間に目を見開き手にした蝋燭の灯りを吹き消した。
老婆が姿を消した黒い闇の中に、儚げに細く舞う金糸が見えた。
光源もないというのに、ちりちりと輝いて細い金糸が舞い踊る。
「ヤタカ、寒くなったから入ろう?」
小屋の入口から顔を出してイリスが呼んでいる。
「あぁ」
土を擦る打ち掛けの音がすっかり聞こえなくなって、呪縛から解き放たれたようにヤタカはやっと小屋へと足を向けた。
――そうか
感じた違和感が、形になって浮かび上がる。
「どうしたのヤタカ? ぼんやりしちゃって」
小屋の壁に背を凭れ、ヤタカはヤスリで石を磨きはじめた。
「あの婆さん、目が見えないのは本当だろうな」
「うん、だって眼球が白濁していたもの」
そう。イリスがいう通り、うっすらと開いた瞼の隙間から覗いた目は、すっかり白濁していた。
「でも婆さんは、確かに何かが見えているんだ」
「どういうこと?」
石を磨く手を止めて、ヤタカはイリスに顔を向ける。
「あの婆さんには、ある意味俺達が見えていたってことだよ」
訳がわからない様子のイリスが、きょとんと小首を傾げる。
「さらりと言ったんだよ、あの婆さん。お三方ってな」
ゲン太の鼻緒がぴくりと立った。
「俺にイリス、ゲン太の存在にも気付いていた。だから、御三方。だろ?」
「そっか。気付かなかった。辻占いができる人って、特別な力があるのかな?」
どうだろうな、曖昧に答えてヤタカは手元の石に視線を戻す。
「婆さんが去った後の闇に、幻みたいに舞っていた」
「何が?」
ヤスリにふっと息を吹きかけ粉を飛ばし、しゃりしゃりとヤタカは丸い石を削り続ける。
「婆さんの打ち掛けから飛び出したみたいに、金糸の蝶がちらちらと舞っていた」
目を丸くしてから、イリスはにこりと微笑んだ。
「ヤタカの蝋燭の灯りを照り返したんでしょう? 金糸はきらきらしているもの。お婆さんの歩きに合わせて打ち掛けが動くから、きっとそんな風に見えたんだね。いいな、見たかったな」
「そうだな、きっとそうかもな」
興味をなくしたイリスが、布団からゲン太を追い出そうと意地悪な顔をつくって這っていく。慌てて布団に潜り込んだゲン太の上に、布団ごとイリスが覆い被さった。
ぐえっ、というゲン太の声が聞こえてきそうに楽しげな光景。
「イリス、金糸の蝶はな……」
石に視線を落としたまま、ヤタカは口の中だけで呟いた。
「舞い上がったんだよ。金糸に縁取られた蝶がひらひらと、舞い上がったんだ」
イリスとゲン太が笑いながら転がっている。
開け放った小窓から金糸の蝶を追うように、しゃりしゃり、しゃりしゃりと石を削る音が街道に染み出て闇に溶けた。
読みに来て下さったみなさん、ありがとうございました!