ブラック・ブレットー暗殺生業晴らし人ー 作:バロックス(駄犬
朝日も昇り、鳥の鳴き声が聞こえてくる。ボロく、崩れそうな道場の外にて相良美濃は膝を抱えながら壁に寄りかかっていた。隣では伊堵里 墨があくびをしながら髪の薄い坊主頭を掻いている。
「墨さん・・・」
「ん?」
眠気眼をこすって、こちらを見る墨に美濃は心配そうな瞳を向ける。
「七海ちゃん、大丈夫かな」
美濃の問に、墨は自身の肩を摩りながら素っ気ない態度で言うのだ。
「さぁな・・・俺らが知ったことかよ。これはアイツ等二人の問題だ」
「でもさ・・・」
壁の向こうで、けたましい声と竹刀の音が響く中美濃が俯く。その内容は聞くに絶えないものだった。
最初こそ、七海の威勢の良い声が聞こえてはいたのだが十分を超えた辺りから、”痛い”や”ごめん”など弱気な声が多くなってきた。二十分を超えて美濃は中で何が起きているのかを見る勇気が無くなって壁に寄りかかってただ時間が過ぎるのを待っていたのだ。
「おい、終わったみてぇだぜ」
やがて、竹刀の音が一切無くなって扉が動くと中からは汗だくの八洲許が一人だけその姿を晒した。彼はタオルでその顔の汗を拭いながら美濃たちを一瞬だけその視界に納めて、何も言わずに去っていく。若干息を荒くしていたのは年相応に疲れたからだろうか。
「七海ちゃん・・・」
事が済んだのが分かった美濃は急ぎ足で道場へ入り、先程まで二人がいた場所へと向かった。
「・・・あ」
美濃が目にしたのは、うつ伏せに大の字に倒れたボロボロの姿となった七海の姿があった。
30分、それがこの道場にいた時間だった。内容は完全に七海の惨敗。美濃はその試合内容がいかなるものか分からないが、道場から聞こえていたその声の種類でどんな内容だったかを容易に想像出来る。
・・・私の性格って結構最悪なのかな。
律儀にその種類を数えていた自分を卑下した美濃は濡れタオルを持って倒れている七海へと駆け寄った。
その三十分間、試合中に道場で響いた声。
”死ねぇ!” ・・・五回
”くらえ!” ・・・三回
”痛い!” ・・・二十二回
”やめて” ・・・十一回
”もうやだ” ・・・十二回
”死んじゃう”・・・十八回
”ごめんなさい” ・・・二十六回
全てが七海のものであった。
●
「・・・眠ぃ」
普通とはちょっと違う高校生、里見蓮太郎は休日の日曜日の昼を高校生らしい余暇を過ごすことなくただ一人自転車を漕ぎある場所へと向かっていた。坂道を下りながら、ボーっとする脳内の眠気を通り抜けていく風が覚ましていくのを感じる。それを少し冷たいと思うくらいだ。
彼が向かうのは海が見える場所だ。外周区へと繋がる道路が昔はあったわけだが、大戦時の影響かもしくは別の理由で道路は無くなり間に海を挟んでいる。
・・・今日は別に、延珠もいないしな。 たまにはいいだろう。
簡単な話が、気分転換が理由だった。いかに自分が俗世に興味をなくした鉄仮面であろうと、そこにいる個人としての感性はまだ学生である。たまには隣の口うるさくも頼りになる相棒を置かず、一人でボーっとしたい事があるのだ。当の延珠は今日は天誅ガールズの新カードパック『~決闘者の再臨~』とやらを買いに行くらしい。
暫く自転車を走らせて、その場所に到着した。ブレーキをかけ、地面へ足をつけると近くまでは自転車を押して歩くことにした蓮太郎である。
そこで、蓮太郎はある事を考えた。
・・・なんか変な事が起きそうな気がする。
ここ数日の出来事を思い返して見ると、総じてロクな事が無かった。呪われた子供達を殺す警官に出会い、依頼主が謎の殺人に会ったり、自分の会社の社長を喘がせるマッサージを行う少女と自身を激痛のフルコースで痛みつけた着物を着た坊主の男の事だ。特にこの場所は最初の呪われた子供を殺した刑事と再び出くわした場所でもある。
・・・いやぁ、あの時は頭に血が上って手が出てしまったが、普通は多分手錠掛けられるレベルだよな。
過去の自分の若さ故の過ちを恥じる。ここでお縄にかかろうものなら自分の高校生活は勿論、これまで以上に会社の自分の低い立ち位置が更に低くなってしまう。これからは、もっと冷静に対処出来るような思考を持ち合わせていこうと心に決めた蓮太郎だった。
「ん・・・? あれは・・」
到着地点までもう数メートルと言ったところだろうか。ふと蓮太郎が足を止めた時だ。その視線の先にはなんと、犬が居たのだ。
いや、これは勿論比喩だ、と蓮太郎は顔を振ってそれを内心で呟いてみせる。彼が見たのは地面に座った一人の少女だ。そしてこの後ろ姿は自分が良く知っている人物である。 だがどこか様子がおかしい、顔を見なくても分かるという表現があるように、その背中から漂う負のオーラが何かを蓮太郎に感じさせた。
一人の少女がこんな所に来るわけがない、とそう思った蓮太郎は見知った人物の可能性もあったことに希望を抱きながら、その少女に声を掛けることにした。
「おーい、なにやってんだ」
自身の声に、座り込んでいた少女が顔を振り向かせた。その顔を見て、蓮太郎は見知った人物だと確信して安堵の息をつく。
「蓮太郎さん?」
「よう、静香」
その見知った少女は七海静香だった。
●
里見蓮太郎は、あまり人付き合いしない部類の方だ。本当に親しくなった人間としかコミュケーションを取っていないし、そのコミュニケーションをおろそかにした結果が彼の勾田高校での生活を表しているといったほうがいい。
だが、そんな男が延珠や木更と同じくらいの気を許せる人物がいた。それが七海だった。元々は延珠の友達繋がりからよく顔を合わせるようになった程度だったのだが、彼女は蓮太郎を物珍しい目で良く見ながら、彼にこう言ったのだ。
―――連太郎さんって、安心できる匂いの人だね。私ティンと来た!!
確かにこう言ってくれたのを蓮太郎は覚えている。その日以来、まるで道端にいた犬に餌をやったかの如く、なつかれてしまった。延珠からはその度に叱咤を受けることが多くなったのは言うまでもない。
だが、その人懐っこい彼女の元気な姿はどこに見当たらない。これは何かがあったと見て間違いないだろう。
「・・・そうか、親父さんと喧嘩したのか」
「うん」
理由を聞いた蓮太郎自身も七海の隣に座って足を宙へと投げ出すような姿勢を取った。途中で購入して来たレッドマウンテンコーヒーを開けて彼女に手渡すがそっとそれを七海は手でいらない、というジェスチャーをした。
「ありがとう蓮太郎さん、でも私はプレミアム派なんだ」
「そ、そうか。 今度はちゃんと揃えておくよ」
コーヒーに妙な拘りを持っているのはなぜだろうか、と理由は聞くまい。
「今回の喧嘩でさ、私もうその人信じられなくなっちゃった。 ずっと味方だと思ってたのにさ」
妙な誤解を産まないように、そして『自分が晴らし人』だという事が露見されないように言葉を選びながら七海はそう言葉を漏らした。足をぶらんと動かして、やり場のないため息が最後に出る。
・・・そんなに重い話だったのかよ!
珍しくも口から放たれたシリアス全開のセリフに蓮太郎が気まずさを感じながら内心で思う。小学生十歳が疑心に駆られるとか、一体どんな家庭事情があるんだ、と。
「今私は、私自身も他の皆も信じられない。蓮太郎さんはこんな時にどうする?」
蓮太郎は知らぬ話だが、八洲許に負けて今夜には夏世の護衛対象を殺す事になってしまった。そこで夏世たちに見つかったら、問答無用でその夏世を口封じで殺さなければならない。 仲間達ももうやる気だ。自分だけがやらないというわけにはいかない。だが、友達を手に掛けたくはない。だが、自分の強さに自信も持てない中、今自分が何を信じればいいのか七海には分からなかった。
「そうだな・・・」
視線の先にいた蓮太郎は一瞬だけ空を見て、
「結局は、どっちにかに転ぶ感じだな・・・流れのままに、か、一周回って自分の信念を貫くか」
小学生相手に、難しい話をするなと蓮太郎は思う。自身の人生と重ねながら語るのは自己陶酔に近いのではないか。己の短い半生を振り返って、天童家にて木更の召使として世話になり、菊之丞に政治家にされるためののイロハを叩き込まれて、仏像も掘っていた彼だが、その自分の意志はあっただろうか。そんなレールの上の人生を歩くのを止めた今では、天童家を出て民間警備会社での生活を通し、木更や延珠の居る世界を守りたいという信念がある。
こう言った心の問題は色々と遠回りをして辿り着く事があるのだが、まだ自分や七海は年齢的にもその場所に至っているとは思えない。これはまだ途中なのだ。 そう思った蓮太郎は結局は難しい話をしようとしているな、と小さく笑って七海の頭に手を置いた。
「お前のようなチビッ子が、変に悩むな。確かに悩むことも大切だろうよ、流れのままに生きる事もあるさ。でも自分の芯を強く持っていることは全然悪いことじゃない。それを無くしちゃったら、自分の足で立つこともままならなくなる・・・もしかしたら、芯を持つって事が一番大事なのかもな」
とにかく、と蓮太郎は七海に向かってはにかんで見せた。
「笑えよ。 いつものように、延珠とバイオレット優劣論争繰り広げてるくらいの元気がねぇとさ、あいつも・・・延珠も寂しがるからよ」
思わず七海と延珠のやり取りを想像して、彼女にその笑顔を取り戻して欲しいと思った時だ。七海が小さく肩を震わせていることに気付いて、咄嗟に頭の上に置いていた手を蓮太郎は引っ込める。
「ど、どうした! 何か気に障ること言っちまったか!?」
まずい、と蓮太郎は冷や汗を流す。こんな所を人に目撃されたら幼女の頭を撫でて泣かせるという事案発生等見出しの書かれた新聞が東京エリアに知れ渡ることになるだろう。そんな最悪の事態を想像した蓮太郎だったが顔を上げた七海の顔は、
「ふふふ・・・」
笑っていた。 若干涙目になっているが、しっかりと笑っている。時間にして数十秒程だったか、後に彼女はこちらにほほ笑みかけながら言ったのだ。まるで悩みを吹っ切ったかのように、
「やっぱり蓮太郎さんはいい人だ。 私の鼻に狂いはなかった! やっぱり蓮太郎さんって、ある種才能の匂いがする!」
「お前初対面の時もそう言ってたよな。どう言う意味だよ」
その笑顔を見て蓮太郎は自分の事のように安心したのだ。七海はまるで延珠のような小悪魔的な笑みを浮かべて口元で半月を作りながら言う。
「コイツは臭ぇ! ロリたらしの匂いがプンプンするぜェ―――ッ!!」
「誤解を招くこと言うな! 延珠ひとりでもその手の対応には苦労してるんだッ これ以上俺を冥府魔道に誘うなッ!!」
くそう、と苦言を小さく呟くと七海は立ち上がって、蓮太郎に対して背を向けた。
「でもありがとう蓮太郎さん。 私、もうちょい頑張ってみる」
「お、おう」
何をだ、と言葉の意味を理解していない蓮太郎はそう頷いて見せることしかできなかった。 だが蓮太郎は確信することがある、今の七海には一つの信念のような物を感じると。
蓮太郎はその場に誰も居なくなったのを確認して買っていたもう一本のコーヒーを開けて飲み始めた。カフェイン中毒に最近なりかけている気がする、大丈夫だろうか。
「ああいう子供の親父さんって一体どんな人なんだろうな」
普段は延珠と同じくらいにハチャメチャな性格の七海が一度はあんなにしょげているのを見たのは蓮太郎は初めて見ただろう。その原因となった父親の事を彼は気になっていた。
・・・まぁ、あんなに元気な子供を育てたんだ、かなりの教育者なのかもしれないな。一度あやかりたいもんだ。
実際は、その父親と一度は会っているのだが、その事実を蓮太郎は知る由もない。
●
―――やがて、時間は経過して夜となった。作戦決行3時間前。
場所は変わり、八洲許たちは観音長屋(かんのんながや)と呼ばれる古い建物の中に入っていた。この観音長屋は、エリアのある林の中に存在している。現代の長屋はタウンハウスと呼ばれる鉄筋コンクリートでできているのだが、この観音長屋は江戸時代のテレビでよく見られる物と同じ作りであった。畳と中央には八洲許の家にもあるようなちゃぶ台が置かれ、風化した障子や壁などを見ているとさながら江戸時代にタイムスリップしたようである。
イメージは簡単に言うと、時代劇で見られる下町の人々が暮らす家を想像してもらえれば良いだろう。
その場所の畳に腰を下ろした墨は両手を広げて八洲許たちに言う。
「どうよ。ここなら人目も気にせずに仲間同士で集まれるし、作戦も立てられるな。裏の仕事用の時の為に、こういう所を探しといたのよ」
そう言う墨をよそに、何やら美濃と七海は辺りを手当たり次第に触り始めた。
「うわ、この壁ぼろい・・・触っただけで崩れてきそう」
「ねぇー墨さん。 この畳の裏にある『白衣の天使』っていう黒いパッケージは何かな」
既に何やら地雷を踏みかけている気がして慌てて大人たちが二人の行動を制限、直ぐに話を戻すことにする。
「んで、殺しの標的の矢野橋は今港の倉庫にいるらしい。密輸先に送るブツをチェックする日らしいぞ。こいつの周りには将監の他にも護衛が五人いる。合わせて七人だ」
ロウソクを灯り代わりに灯して八洲許が大きく地図を広げる。矢野橋のいる場所に大きく赤い丸が付けられているのを見ると、美濃や七海たちに説明するために工夫したようだ。
「はい質問」
そう手を挙げたのは美濃だった。八洲許が彼女に回答の権利を与える。
「なんだ美濃」
「普通こういうのって、社長クラスの人は直接出向いてこないんじゃないのかな。 間に何枚も足がつかない人を仕込んで、黒幕は我関せずっていうのをやるんじゃないの?」
いい質問だ、と八洲許が顎をさすった。
「この矢野橋って野郎はな、兎に角几帳面でな。自分が密輸する物を何が何でも一度はその目に通さねぇと送らねぇっていう仕事への拘りがあるんだとよ」
「へんな人だね」
七海の言葉に墨が笑って、いいじゃねぇか、と返す。
「そいつの家に忍び込むよりよっぽど楽だぜ、なんせ標的わざわざ外にその身を晒してくれるんだからよ。殺り易いったらありゃしねぇ」
確かにその通りで、社長となると家の警備も厳しい事もあり、現在のセキュリティでは潜入することも容易ではない。その点で考えると今回の彼の几帳面な性格はこの仕事を行うにあたって八洲許たちには非常にラッキーとも呼べる事だった。
「まぁその几帳面な性格のせいで千番代のプロモーターを呼び寄せちまったワケだ」
「だが、やっちゃん。俺は気になる事がある。民警でも流石にこの裏取引みてぇな危ねぇヤマにはあまり関わんねぇんじゃねぇのか。下手すりゃ護衛の将監も共犯者とも呼ばれるかもしれねぇんだぜ」
墨が唸るように首を傾げる。もし将監たちのような民警ペアを雇う場合は仕事の内容などを話すのだろうが、この裏取引の事情が露見された時は将監たちもタダでは済まない。最悪、墨の言うように共犯者にされる可能性があるのだ。
それを承知で二人が護衛を引き受けたという事は何かしら理由があるのだろう。八洲許は考察する。
「仕事内容が表向きの物で伝えられていて、事情を知らないか・・・或いは『繋がり』があるか、だ」
「繋がり?」
そう言ったのは七海だ。頷いて八洲許は続ける。
「分からねぇが、矢野橋が将監、もしくは三ヶ島ロイヤルガーターの何かしらの『弱み』を握っているとか、だ」
そうやって相手をいいなりにしてコキ使うというのは未だにあるものだ。裏の世界でもよくある事である。誰かの治療費を負担する代わりや、故郷の仕送りの為に殺しの片棒を担がせるなど。
ここで気づいたかのように八洲許が目線を七海へと移し、言葉を発した。
「ところで七海、お前今日この場所にいるって事は・・・この仕事をやる決心が出来たんだな? 俺はてっきり、今日は来ねぇかと思ったぞ」
誰もが触れようともしていなかった話題を持ち出したのは八洲許なりにも考えがあった。これを機に、七海の仕事に対する”覚悟”を聞いておきたかったのだ。七海は意志のこもった瞳で八洲許に言う。
「私は、この仕事を受ける」
「お前の友達の夏世ちゃんとも殺し合う事になるかもしれねぇだろ」
若干、雰囲気がざわついた。 墨や美濃が自宅で暴れる寸前までの状態になった七海の事を思い出して、また同じことが起きるのではないかと息を飲む。だが、七海は腕を組んで、
「殺さないよ」
言った。
「絶対に、殺さない」
自分の信念を表すかのように。八洲許も腕を組んでまた問う。
「どうやってやるんだ。自信はあるのかよ」
そう、顔を見られてしまえばすぐに身元が割れてしまう。 この世界で顔を見られた場合はその者を消さなければならない。そうならない方法を知っているかのように、七海は首を小さく縦に振った。
「勇次。私の因子は何故だか姿を大きく変えるよ。 髪だって白くなって伸びるし、服は和服で、瞳なんて能力を使っている間は紅い目になる・・・夏世ちんたちにとって、多分『晴らし人』の私は初めて見る相手になると思う・・・バレなきゃいいんだ」
「能力の特徴を上手に使うってのか。考えたなぁ」
「私は、私のやり方で乗り切るよ。勇次・・・いや、皆にも迷惑はかけない」
墨が腕を組んで、数度頷いて納得している。七海の能力は確かに姿にまで大きな影響を及ぼす。 服も変わるから余計に夏世が七海であると特定するのは難しいかもしれない。紅い目なんて、呪われた子供なら幾らでもいるのだから。
それを聞いた八洲許は小さく溜息をついて、頭を面倒くさそうに掻いた。
・・・まだ、まだまだ甘ぇよ、七海。
八洲許の目の前でこちらを睨む七海を見る。彼女はあくまで自分の信念を貫くつもりだ。七海が一度決めたら引かない性格だというのを八洲許は知っている。だが、この信念は良い方にも、悪い方にも転んでしまう諸刃の剣のようなものだ。
・・・そんな考えでいたらよぉ、どこかで折れちまうよ。一日だけ出会ったヤツの為に、もう二度と立ち上がれなくなっちまってもいいのかよ。
強い信念は強固な物は自分を支える大きな柱となる。だが、それが一度折られてしまえば、二度と立ち上がれなくなってしまう事もある。それは、八洲許が十数年以上の殺し屋の世界で味わって、経験してきた事だ。
―――なぁ、やっさん。俺たちは一体今まで何やってきたんだろうな。俺たちのやってきた事が、少しでもこの世の中の為になったことがあったか?
幾度となく、自分の理想を拒絶され、嫌な現実を見せられ、表の仕事に対する怒りを払拭するように殺しの裏稼業に身を投じた。表がダメなら裏だ。一度はその世界で結果的に世の中が良くなればいい、そう思った時期もあったかもしれない。
―――俺は今日を機に、この東京を出る。ここじゃあもう仕事なんて出来やしねぇよ。死んだあの二人は運が悪かったって諦めちまうんだな
だがそれでも世は変わらず、逆にガストレア大戦が起きて数年、呪われた子供に対する批判やバラニウムを巡っての争いなどが起き、己を含めた人間の醜い部分を見せつけられて彼の心は磨り減ってしまった。結局、殺しでも世界を変えられないと思った八洲許は一つの結論に辿り着く。
所詮は殺し屋、人は殺せても、人を・・・ましてや世を救うことなんてできやしない。
―――や、八洲許はん・・・この「仕事」は・・・ぜ、絶対に辞めたらあきまへんでっ いつまでも、いつまでもっ・・・続けておくんなはれやっ!
それでもこの仕事を辞めなかったのは、過去に死んでいった者たちから託された想いを無碍にしないためであった。だがそれは裏稼業への道を更に深いものにする彼を縛る、強固な鎖となってしまった。それは今も尚、八洲許を縛り付けている。
まるで死んでいった彼らを忘れさせないように、または、早くお前も地獄に来いと引きずり込む為に。
「結局、これが裏の道に進んだ俺の宿命なのかもな」
自分の辿ってきた道を今の七海と重ね合わせながら、誰にも聞こえないようにそう呟くと八洲許は七海の頭を、がしっ、と掴んだ。少しだけ頬の筋肉が緩んだか、うっすらと笑みを浮かべて彼は言う。
「馬鹿野郎。 結局顔見られたら終わりなんだよ。夏世ちゃんはお前の顔を見たりして、一晩同じ布団で寝泊まりした仲だ・・・姿が変わってもすぐに見分けがつくわ」
そう言って手を頭から離すと八洲許は七海にあるものを手渡した。七海が受け取ったのは一枚のお面だ。無機質な白でまるで道化師のピエロのように目と口が笑っている半月の隙間が刻まれている。
「どうせなら、顔も隠しちまえ」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべて見せて、七海はまじまじとその仮面を見つめて顔を歪ませた。
「これ・・・ちょっと気味悪い。 普通さ、私に合わせて犬のお面とか無かったの?」
「うるせぇな、アイツこのタイプのお面しかストックしてねぇんだとよ」
アイツって誰さ、と顔をしかめた七海だったが仕方ないと行った表情でそのお面を被る。和服にお面・・・なかなかシュールだ。
「やっぱり見えにくいよ、勇次」
「それくらいの条件でやってのけなきゃ、晴らし人は務まらねぇぜ」
「むぅ・・・」
明らかに不満がなのが仮面越しにも分かるが、その光景を八洲許やそれを見守る墨もこれから殺しを行うというのに、思わず笑みを浮かべていたのだ。
「・・・七海ちゃん」
だが一方で目を点にして呆然となっていた美濃が七海の肩を掴む。何事か、と七海が見たときには彼女はロボットのように口をカチカチと動かし始めて、
「オナジフトンデネタッテ・・・ドウイウコトカナ」
「急にカタコトになってるよ美濃ちゃん!?」
「フジュンダヨ。イヤラシイコトガアッタンダ」
「怖い!怖いよ美濃ちゃん!何もなかったよ!本当に! スマブラやって寝ただけだって!!」
「嘘だッ!!」
まるでどこかの世界でひぐらしが泣いたかのような形相で美濃は続ける。
「七海ちゃんも墨さんと同じだ!墨さんも同じ布団でよく知らない女の人と半裸で寝てるんだもん!七海ちゃんだってそうなんだ!!不潔だよ!インモラルだよ!!」
「・・・・」
怒り心頭にそう言い放つ美濃の言葉を聞いて八洲許はその修羅場的な光景から目を逸らして口笛を吹いている墨にジト目を向けた。視線に耐えられなくなった墨は舌打ちをして、
「ちげーよ! 本番前だったんだよオイ! いざ試合開始ッ プレイボール!キックオフ!の時にはいつも美濃が部屋にやって来るの!! 全部未遂事件だったの! 不発弾だったの!! 一夜の夢から強制的に醒めさせられたの!!」
「そのまま一生寝てろテメェはァァァ!!」
拳による一撃が墨の頭をえぐった。
●
「かわいいよ、美濃ちゃん」
「え、えへへへ、そ、そうかな?」
数分後、観音長屋の中心では和んだ表情で蕩けた笑みを浮かべる美濃の頭を撫で続ける七海の姿があった。基本、美濃は照れ屋なので機嫌を悪くした後には墨は大抵この方法で乗り切っているらしい・・・なので。
「うん、くぁいい。世界一、かわいいよー!」
「~~~~~~ッッッ!!」
某王国民の儀式のごとく彼女は満面の笑みとポーズを美濃に送ると、般若の顔を浮かべていた美濃が次第にその顔を蕩けた笑みを浮かべしまっている。ちょろい。
「よし、なんとかなったぜ・・・」
「なってねぇッ!!」
畳の上で伸びている墨の頭を八洲許は平手で、ぱしん、と叩いたのだ。
「お前ら仕事する気にはなったんだろうがよぉ、将監のペアはどうすんだ」
八洲許の言うとおりで、この仕事の大きな障害は護衛にあたっている将監と夏世の民警ペアだ。千番代というのはこの上なく厄介だ。しかも情報によれば、夏世はもっぱら裏方のサポートで、前線の役は殆ど将監が行っているという。それならば、将監単騎でもかなりの実力の筈だ。
「当然、七海や美濃が当たれればいいが、出来れば一人は矢野橋を仕留める為に割いておきてぇ。だが千番代の野郎相手にガキ一人を向かわせるのは、ちぃと無理がある・・・何か作戦を考えねぇといけねぇな」
「あい、わかった」
足を組んでいて悩む八洲許の言葉に即座に反応した声がある。その声の主は身を起こして頭を掻いている墨であった。
「分かったって、お前・・・どうすんだよ」
「最低でもそのイルカの子の援護を無くせりゃいいんだ。その件、俺に任せろ。いい考えがある・・・上手く行けば、将監とイルカを分断できるかもしれねぇ」
「ホント!?」
七海の嬉しそうな声に墨が頷いてみせた。
「それにはちょっと道具がいるわけだが・・・やっちゃん。 出来れば今からでも元締めちゃんにお願い出来るかァ?」
「・・・金さえ積ませれば、なんとか」
そう言って、八洲許は携帯を溜息をつく。よし、と墨は自身の膝下を叩くと勢い良く立ち上がった。
「ガキどもにみっともねぇモン見せちまった詫びだ。俺が大人としての責任を取らせてもらうぜ」
「・・・つまり?」
おっ、と八洲許が身を乗り出すと、墨は頷いて自身の着物の右の袖から金属のブレスレットを巻いた右腕を露にしてニヤリと笑った。
「・・・将監の相手は、俺がやる」
墨が指を動かす度にバキバキと冷たく鳴り響いた関節の音に、一同は背筋に凍る物を感じていた。
「ところで七海、ちょっとその仮面被って”ハレルヤ”って言ってくれ。記念に動画に残したい」
「ハレルヤ!!」
ポチッ。
「よし」
・・・今度この動画を影胤に見せてみるか。
八洲許「おい影胤。ちょっとお前の仮面貸せ」
影胤「いいだろう我が友よ。べっこう、プラスティック、チタン、エコタイプ、ハイカラ仕様、蹴られて割られたVer、全部で百種類以上あるのだがどれをご所望かな?」
八洲許「ファッ!?」
実はこんなやり取りがあったり無かったり。もしかしたら後二話で終わるかもです。