俺はただ見届けるだけだ。
異常な光景だった。
大本営直轄、国内最大規模を誇る最古の鎮守府『横須賀鎮守府』の正面海域。
そこに数多の艦娘が並んでいた。
最前線に並ぶのは駆逐艦。
特一吹雪型、特二綾波型、特三暁型、初春型、睦月型、陽炎型、朝潮型、白露型、更に島風型やドイツ艦のZ1型を含めた百隻以上が列を成している。
その次に列を作るのは軽巡洋艦。
天龍型、球磨型、長良型、阿賀野型、川内型、夕張型。
球磨型が二隻ほど見当たらないが、それでも全てが列を成し並んでいる。
更にその奥には重巡洋艦。
古鷹型、青葉型、妙高型、高雄型、最上型、利根型。
中には航空巡洋艦に改装された者もいるが、彼女等も含め列を作っている。
そしてその左右に展開するのは空母。
鳳翔を始めとした軽空母。
赤城を代表とする正規空母。
唯一の装甲空母である大鳳。
水上機母艦千歳。
そこに瑞鳳と千代田の姿がないものの、彼女達は鶴翼のように左右に分かれ列を作る。
そして潜水艦。
伊168、伊58、伊8、伊401。
潜航する様子もなく、左右の空母の前に陣取り静かに佇んでいる。
最後尾に並ぶのは戦艦。
超々弩級戦艦大和と武蔵。
ビック7の長門と陸奥。
航空戦艦に改装された扶桑、山城、伊勢、日向。
高速戦艦金剛、比叡、榛名、霧島。
ビスマルク級戦艦ビスマルク。
彼女達は最期の塞とばかりに偉容を放ち立ち並ぶ。
まるで観艦式のようにも見えるが、横須賀に属する全ての艦娘が総揃いさせるような観艦式など、天皇照覧の際であってもやりはしない。
なにより、彼女達の背後の横須賀鎮守府では、敵襲を知らせるアラートがずっと鳴り響いているのだ。
では敵はいかほどか?
百か? 千か? それとも万?
……否。
敵はたった一隻。
ボロボロに傷付いた身体に塗装が殆ど剥げた迷彩を塗られた駆逐イ級ただ一隻。
その駆逐イ級は二百近い艦娘達が並ぶ方へと、たった1ノット以下というゆっくりと、本当にゆっくりとした速度で進んでいた。
向かう先には過剰を通り越した数の艦娘がいるにも関わらず、駆逐イ級は全く意に介する様子も見せずに真っすぐ鎮守府へと進む。
そして、この光景がなによりも異状なのは、撃てば落ちると分かっているその敵に対し、誰も武器を構えていないことだ。
空母は手にした弓を番える事もスクロール状の甲板を開く事もをせず、重巡は水上偵察機を発艦させず、戦艦は砲を回塔させず、潜水艦は魚雷官の蓋を開かず、軽巡と駆逐艦は砲を持ち上げることをしない。
アラートだけが響き続けるとても異常な光景がただひたすら続き、遂に駆逐イ級が先頭に立つ吹雪のすぐ側まで近付いた。
すると、吹雪は悩んだ末にただ無言で道を譲り、それに倣うように駆逐イ級を招くように艦娘達は道を開く。
駆逐イ級はその開かれた道をゆっくりと進む。
駆逐艦の作る道を通り、軽巡の横を通過し、重巡の間を抜け、そして大和と武蔵が退いた開かれた道を鎮守府の中へと入っていった。
そこで映像が終わり、切られていた電灯が灯ると会議室が暗闇から解放される。
「…以上が横須賀鎮守府襲撃の一部始終になります」
そう述べたのは会議の進行役を任された軽巡大淀。
次いで、襲撃と言うのも憚るような事件の被害を口頭で報告する。
「襲撃した駆逐イ級による被害は『特別兵装実験棟』の設備一式と保管されていた兵器及び設計図全て。
なお、人員その他妖精さん一人に至るまで人的被害は0です」
「中々愉快な話だな」
大淀の報告に口を開いたのは、肩に大将の官位を縫い付けた初老の男だった。
「総力を結集させたにも関わらず、艦娘の誰一人として死にかけの深海棲艦に砲を撃つことも出来ず、あまつさえ鎮守府への侵入を許すとは…君は一体艦娘にどういった教育を施しているのかね?」
そう会議室の中でただ一人立たされている男に痛烈な批判をぶつける。
肩に少将の官位を縫い付けた男はその問いに無言を返すばかり。
「なんとか言ったらどうかね?」
「待ちたまえ」
少々の苛立ちを混じらせる言葉に別の将官が遮る。
「1番の問題はそこではなかろう」
首を切るよりも先に憂慮すべき事、それは
「横須賀の全ての艦娘を結集してなお、誰一人として深海棲艦に砲を向けなかった事こそ問題なのだ」
あれが潮や電といった、戦いに向かない性格の者だけならまだ理解が及ぶ。
だが、あの場には駆逐艦とは思えないほど冷徹に任務を熟す不知火やジャンキーと揶諭されるほど戦うことを渇望する天龍。
海軍としての誇りを重んじる赤城やプライドの高い長門さえもいた。
忌まわしい技術さえ注ぎ込み生み出された深海棲艦への唯一の切り札が、ただ一隻の、それも死にかけと言うしかない駆逐艦一隻を撃つことを躊躇い人垣にすら成りえなかった事は由々しき問題だ。
そう言うと将校は大淀へと尋ねた。
「君から見てアレはどう見えた?」
「はい」
応じたものの、大淀は非常に言いづらそうに言葉を濁す。
「あの場にいなかったのでなんとも言えません。
実際、映像資料からはただの大破した駆逐イ級としか感じません。
ただ、報告にある通りあの場に出た全ての艦娘が手を出すことに己の存在意義を見失いそうだったと」
「存在意義…か」
それは何に凖ずる存在意義だというのか。
「その深海棲艦はどうしたのだ?」
「はい。
施設破壊後一切の行動を停止したため、現在は艦娘用の独房に拘留した状態で搬入されてあります」
艦娘用とは言ったが、これまで一度も使われたことがないその場所を利用したのが深海棲艦だというのはなんという皮肉か。
「そうか。
他には?」
本当にアレの施設を破壊することだけが目的だったのか?
未だ謎以外の答えを出さない深海棲艦だが、これまで泊地型の姫タイプが占拠した事例を除き陸に攻めて来たことはない。
よって、鹵獲の例も一度として存在しておらず、件の駆逐イ級は鹵獲した初の深海棲艦という貴重な存在であった。
「それが…」
どう言っていいのかひどく迷った様子で大淀は言う。
「拘束される前に件の駆逐イ級が日本語を話したと報告が上がっています」
「聞き間違いではないのか?」
信じられないとあちこちから漏れるざわめきの中、将校は内容を問う。
「奴はなんと?」
「『お前達があきつ丸にマルレ挺を使わせたからあきつ丸が死んだ』
『あきつ丸に伝えてくれと頼まれた』
『お前達があんなものを持ち出すから姫が狂って化け物が産まれた』
『化け物はレイテに居る。近づくな』。
それと最後に、燃える棟を眺めながら『これでもう、艦娘が泣かなくて済む』と…」
その言葉に会議室が沈黙に包まれた。
幻聴だと笑い付したくなる話だが、それが事実だとすれば奴は敵である艦娘が特攻兵器を使わせないために、そしてそれを用いたあきつ丸の頼みのためにここに来たということになる。
「馬鹿馬鹿しい!」
一人の将官が声を荒げ机を叩いた。
「我々を惑わすための造言など耳を貸す必要はない!」
彼は1番始めに特攻兵器を採用を堤した者であり、なにがなんでも聞き入れるわけには行かない立場に居た。
「だが、特攻兵器の採用により艦娘達の士気が大幅に下がったという報告もある。
そうだな? 須賀少将」
そう問われ、立ち尽くしていた将校が重く頷く。
「はっ。
最近は訓練に身が入らぬ者、並びに精神カウンセリング室の使用回数は顕著に増えています」
これまで上げ続けていた報告書の内容を口にする横須賀鎮守府の提督『須賀和正』。
「それは貴様が艦娘の管理がなっていないからだろう!」
その報告を切り捨てる声が飛び、再び彼への批難が始まる。
それらに対し須賀は一切何も言わない。
そもそも彼等と須賀では艦娘に対する考え方が違うのだ。
彼等にとって艦娘とは、量産には向かないが唯一深海棲艦を打倒し得る決戦兵器でしかなく、書面以上のものを見る気もない彼等と、毎日顔を合わせ部下として接する須賀とでは根本からして違う。
故に彼等とは決して折り合う事はなく、ただ彼等からの不満不平を聞き流すのが彼のここでの役割だった。
「もうよかろう」
散々叱責の声が出たところで最上段に座る男が止める。
「確かにあれらは強力であったことは確かだ。
だが、特別攻撃兵器一つを造るのに大和型10隻分の建造が見込める資材を溶かした事実は看過出来るものではない。
そして、それほどの資材を浪費して揃えたあれらの兵器は彼の深海棲艦の手で葬られた。
もしかしたら、これはかつて国のために戦った英霊達からの警告やもしれぬ。
護国を担う艦娘達が手出しできなかったのも、それが理由ならば筋は通ろう」
あの深海棲艦が国のために散った英霊の代弁者かもしれないと嘯く元帥。
認めたくはないが、それを否定する材料も、彼に逆らう度量を持ち合わせた者もこの場にはいなかった。
「現時刻を以って特別攻撃兵器の開発を凍結とする」
その通達に拳を握る音が小さく響くが、それに異を唱える声は出ない。
そして捕縛している駆逐イ級の処遇に着いては後日改めて決を取るとして、今回の会議は終了した。
〜〜〜〜
いやもうさ、あきつ丸の事や木曾の事でやけっぱちになって横須賀に乗り込んだ訳だけど、なんでまだ俺は生きてんだ?
今更ながら自分がどんだけ無茶をやらかしたのか、しかも目的を全部達した事に俺はどうしてこうなったと悩んでいた。
つうかさ、正気に戻ってみれば今の状況はよろしくないよな。
あきつ丸の頼みを叶えるためだって、せっかく木曾が生かしてくれたのにそれを無駄にしてんだもんな。
だけどさ、正直どうしたいのかわかんねえんだよ。
明石達がどうなったか気にはなる。
だけど、あの装甲空母ヲ級の事を考えると正直生きているとら確信が持てない。
アルバコアは一人になってでも逃げ回ってるだろうから気にするほうが無駄だろうが、他の奴らはどうだか。
それに、探しに行こうにもタンクの中に燃料は残ってないし、全身に巨大な鎖がこれでもかと巻き付けられている。
もうあれだね、絶体絶命。
「……はぁ」
駄目だな。
本当は余計な事を考えてないと頭がどうにかなりそうなんだよ。
横須賀に来るまでの航海中は頭がどうにかなっていたこともあって目的以外何も考えなくてもよかった。
だが、目的を達しちまって、指針を無くした今は、少しでも気を抜くと木曾の事ばかりを考えてしまう。
なんであの時出会ってしまったのか。
見付けた時に迷わず見捨て、深海棲艦として生きようと最初から腹を括っていればこんなに苦しい思いはしなくて済んだんじゃないか?
自分が生きていることに後悔だけが募り、いっそこのまま死んでしまえと己を罵っても、だけど今生きているのは木曾が身を省みず俺を救ったからだと死ぬ決断すら出来ない。
「なあ糞野郎。
これで満足かよ?」
掻き毟るような自分の無様さに、思わず俺は転生させた糞野郎に毒を吐く。
「何が艦隊これくしょんの世界だコンチクショウ。
ここは、ただの糞ったれな地獄じゃねえか」
今も俺を見て笑っているのだろう。
だったら、愚痴の一つも吐いたって罰は当たらねえだろう。
いや、今この情況が罰か。
そう考えれば、こんなに相応しい罰もないか。
「…ん?」
何気なくレーダーを起動してみると、なにやらこちらに近付く反応が三つ。
尋問か、それとも処遇が決まったらどこかに遷されるのか。
といったところで何ができるわけでもないのでレーダーを切り向こうが来るのか暫く待ってみると、重たい金属音が鳴って分厚い扉が開いた。
次回はアンチ要素多数というか虐めがあります。