「…正直、貴様を見くびっていたと言うしかあるまいな」
そう称賛の言葉を俺に向ける装甲空母姫。
阿鼻叫喚の昼を生き抜き、無限地獄とも思えた夜を駆け抜け朝日を迎えた俺。
正直どうやって生き残れたよく覚えていない。
時間の感覚も失いただレーダーに映る赤い点が何処にあって、どうしたら死ぬのかそれだけを考え、ひたすらにそれを躱し続けているうちに朝を迎えていただけだった。
つうかこれで何日目だ?
多分一日だと思うが、自信は全くない。
全身を襲う倦怠感を振り払い、俺は姫に牙を剥き悪態を吐く。
「駆逐艦を舐めたツケだ。ざまあ…みろ…」
一瞬ぐらついた意識に喝を入れ改めて状況を確認すれば、最初に比べ深海棲艦の数は半分近くが消えているが残りは重巡以上の分厚い装甲の艦ばかり。
勿論残したくて残したわけでは無い。
単にファランクスの火力では歯が立たずやり損なっただけだ。
同士討ちを狙おうにも最初にやり過ぎたせいで警戒され、記憶が間違っていなければ終いには露骨に隙を作り誘っても無視されていたしもう同士討ちは見込めないだろう。
…俺、これが終わったら回避盾辞めて酸素魚雷ガン積みするんだ。
切羽詰まり過ぎて思わず死亡フラグを立てつつも、俺は、逃げるならいい加減そろそろ限界だろうなと考えていた。
直撃弾こそ無かったが、百門以上の機銃と至近弾の雨霰に曝された装甲は中破を越える程に傷付き、燃料は半分をとっくに下回って弾薬は爆雷を使い果たしファランクスの残弾も一割といったところだ。
ぶっちゃけ、時間を稼ぐにもケツ捲くって逃げる以外方法ねえんだよ。
「もう終わりにしねえ?」
微かな可能性に掛けてそう提案してみるが…
「貴様もつくづく冗談が好きなようだな?」
デスヨネー。
相手にしてみればたった一隻の駆逐艦にここまでしてやられたのだ。
生かして帰せる道理はないわな。
「まあ、しゃあないわな」
そう言うと同時に俺は全力で走り始める。
「なっ!?」
驚く装甲空母姫だがそれもそうだろう。
何故なら俺は装甲空母姫達に尻を向け真っ直ぐ逃げ出したのだから。
「誰が死ぬまで付き合うかよ!!」
そう挑発を重ね島とは反対方向に走る。
「貴様ァ!!??」
いきなり逃げだした俺に怒鳴りながら、怒り心頭といった様子で猛然と追い掛ける姫と深海棲艦の群れ。
俺は引き離しきらない程度に速度を落とし、時折飛んでくる砲雷撃に注意しながらひたすら逃げる。
正直いつまでも持つとは思っていないが、後半日も引き付ければ向こうにはアルファも居るしどうにか木曾達も逃げ切れるだろう。
後はそれだけ逃げ続け、更に撒ききるだけの燃料が残るかどうか…
「…っ!?」
そう考えた直後、レーダーが進路上に一隻の船を感知。
サイズは艦娘か深海棲艦!?
深海棲艦ならまだしも、艦娘だったら間違いなく巻き添えにしちまう!!
俺は危険と解っていながら、それでも無関係の誰かを巻き込むことを厭い木曾が教えてくれた短距離通信、所謂モールス信号を発する。
「キデンノ、シンロジョウ、シンカイセイカン、ダイブタイ、セッキン、テキキカン、ヒメタイプ、シンロヘンコウシ、タイヒサレタシ」
確かこれで合っているはず。
俺は同じ電文を何度も発信しながら転進を確認するためレーダーへの注意を深くする。
これで向こうにも気付かれただろうが、それも今更だろうし艦娘ならこれで逃げるはず。
そう思った直後、俺に対し相手からモールス信号が発せられた。
『ワレ、キカンヲ、キュウエンスル』
なっ!!??
まさかの支援宣言に俺は絶句する。
「ワレ、タイヒカノウ、シエンムヨウ、イノチヲマモレ」
まだ視認に至らないがレーダーは急速に接近する反応を伝え、転進するわけにも行かない俺は何度も逃げろと発する。
しかし、相手はそれ以降全く返信を寄越す事はなく、遂に水平線の向こうに黒い人影が現れた。
「あれは…」
見た記憶があるような気がして記憶を掘り返そうとした直後、俺の真横を小さな船が何隻も駆け抜け、そして、その正体を確認しようと視界を向けた直後後ろから追って来ていた姫達に体当たりを行った。
「ガァッ!!??」
直後に信じられない大爆発が起きほぼ全ての深海棲艦が沈んでいく中、足を止めなければ転覆の危険もあるほどに海面が大きく波飛沫を立てる海上で俺は、態勢の維持だけは行いつつも先の光景に愕然と声を失っていた。
「……」
一瞬見えたあの小船は、ベニヤにエンジンを搭載しただけのただのモーターボートだった。
それが何故あれほどの威力を放ったのか、その答えは駆逐イ級の身体が知っていた。
「『震洋』…いや、あれは『マルレ艇』…か……?」
緑色の迷彩が施されたその姿から『アマガエル』とも呼ばれ、元々は甲標的のように生還を視野に入れつつ敵艦への爆雷投下のために開発されるも最終的に特攻兵器として使われた『四式肉薄攻撃艇』。
俺を救ったのが今回の発端である特攻兵器だったなんてどんな茶番だ!!??
「む?
避難を促すので艦娘と思っていたのでありますが、まさか深海棲艦だったとは…」
呆然と海上に立ち止まっていた俺に向けられた声。
そこに居たのは発艦カタパルトを採用した緑に塗り染められた特徴的な艤装を腰に、黒い学生服と学帽に短いスカートを履いてランドセルを背負う白い肌と黒の髪と瞳を持つ少女。
その姿を目にし、俺は無意識に呟いていた。
「あきつ丸……お前、なんで……?」
北上達と同じように特攻兵器を用いていたことから横須賀所属の艦娘なのだろう。
だが、あいつらと違いあきつ丸の顔には特攻兵器を用いる事への恐怖や悔恨の貌は見えなかった。
「気安く呼ばないで欲しいであります」
手にした走馬灯みたいなランタンを俺に向けながらあきつ丸は言う。
「貴殿の御蔭で自分は護国の鬼として皆に胸を張って靖国に名を連ねるよう送り出す事が叶ったでありますが、元より我等は不倶戴天の怨敵同士。
今回だけは見逃してやるでありますが、気安く馴れ合うなど以っての外であります」
下手に動けば沈めるぞと警告するあきつ丸。
しかし俺はあきつ丸の台詞がどうしても許せない。
「なにが靖国だ…」
木曾は妖精さん達は艦娘が大好きだから自分達のために頑張ってくれているのだと語った。
特例だとしても深海棲艦の俺にも妖精さんは乗っているし、今だって無茶をさせ続けた缶やタービンが壊れたりファランクスが暴発しないようにと必死で調整に走り回っているのを感じている。
そんな彼等を俺は本当に尊敬し感謝している。
それなのにこいつは、死ぬことがなによりも誇らし事だと言わんばかりに胸を張りやがった。
「テメエ、妖精さんをなんだと思ってやがる!!??」
「む!?」
俺の怒号に一瞬たじろいだあきつ丸だが、すぐに怒鳴り反してきた。
「深海棲艦が知った風な口を聞くなであります!!」
「元を糾せば貴様ら深海棲艦の悪鬼羅刹がごとき跳梁跋扈こそが全ての原因!!
貴様らさえいなければ銃後の民が怯え我等が決起することも、ましてや特別攻撃隊の編成も彼等が乗る兵器の復活もなかったのであります!!??」
口角泡を飛ばす勢いで怒鳴り反すあきつ丸。
確かにあきつ丸の言う通り、俺達深海棲艦がいるから特攻兵器の復活が起きたことは間違いないだろう。
だが、そいつが持ち出された本当の理由は横須賀が見栄を張った自業自得。
どっちが悪いとかそんなもんは関係ねえ。
「使うなっつってんだよ!!
んなもん使わなきゃ勝てねえ戦争なんか、最初から負けじゃねえか!!??」
そう怒鳴る俺にあきつ丸もまた怒鳴り反す。
「勝たねばならないのであります!!
そうでなければ、かつて国のために散った数多の英霊達に顔向け出来ないであります!!??」
そう叫ぶと同時に背の甲板が展開し、手にしたランタンの光が艦載機の影を写す。
「自分はもはや艦娘に非ず。
愛する国と多くの民のため、靖国に名を遺すこともなく貴様ら深海棲艦を道連れに沈む一匹の鬼であります!!」
そう宣うと影が艦載機の、正確には陸軍の戦闘機『隼』が甲板から飛び立つ。
「御託は無用!!
貴殿も海の藻屑と果てるであります!!」
あきつ丸の命に従い隼が抱いた爆弾を次々に投下する。
「糞が!!??」
降り懸かる爆弾の雨を俺は迎撃しながら必死に躱していく。
目下最大の問題であった装甲空母姫も沈んだ。
これ以上付き合ってもいられないと俺は離脱するため逃げ道を探していると、俺の聴覚に聞き覚えのある声が響いた。
「イ級!!??」
その声に俺はどうしてと思いながら声を張り上げた。
「木曾!!??」
アルファの野郎、何で木曾を!?
「まさか…木曾殿でありますか?」
あきつ丸も木曾に気付き、俺への攻撃を中断して目を疑っている。
「木曾、お前なんで!?」
「すまない、だけどアルファが…」
悔しそうに肩を落とす木曾に俺はアルファが破壊されたことを悟る。
「……そうか」
あのアルファがなんて想像もしていなかったが、木曾がそう言う以上真実なのだろう。
「木曾殿、生きておられたのでありますか…?」
困惑しながらも、生きていたことを喜ぶあきつ丸。
「お前、俺の知っているあきつ丸なのか?」
「やっぱり木曾殿でありましたか!?」
俺の事など忘れてあきつ丸は木曾に語る。
「遠征中に起きた渦潮に飲み込まれ沈んだと聞かされておりましたが、自分や球磨殿は必ず生きていると信じてたであります」
「……」
無邪気に喜ぶあきつ丸だが、脱走した事実を言うわけにもいかず何とも言えない表情になってしまう。
「ところで、木曾殿はその深海棲艦といかな…」
そこまで言ったところであきつ丸ははたと声を大にする。
「まさか、木曾殿は深海棲艦と道ならぬ恋を!?」
「は?」
なんでそうなるんだ?
「ダメでありますよ木曾殿!!??
新しい恋を探すのは素晴らしい事でありますが、怨敵とはいくらなんでもよろしくないであります!?」
がっくんがっくん揺さ振りながら説得するあきつ丸に、俺は取り敢えず木曾への助け舟を出す。
「落ち着けあきつ丸。
俺と木曾はんな関係じゃねえから」
つうか多分俺も一応船だから性別は女のはず。
見た目は化物だし元の性別もはっきりしねえから気にもしてなかったけどな!
そう言ったところで脳みそをシェイクされぐらぐらしながらも木曾も言葉を連ねる。
「お、俺が遭難していたところをこいつに助けられたんだよ」
「そうでありますか…」
今一信用ならないといった様子で俺を睨むあきつ丸。
あきつ丸としては木曾の言葉を信じたいとは思っているのだろうが、深海棲艦である俺を信じていいのか悩むところなのだろう。
久々に嫌な沈黙が流れそうになったところで、俺のレーダーに反応が生まれた。
おおおおぉぉおおお…
「これは…」
「まさか先の姫タイプでありますか…?」
身を震わせる木曾とその声が禍々しいと吐き捨てるあきつ丸だが、俺はそんな二人とは全く違う感情を抱いていた。
「姫が、泣いている…?」
俺にはこの声が、言葉に出来ない悲しみに装甲空母姫が慟哭の叫びを上げているように聞こえるのだ。
突然俺達から少し離れた場所の海面が膨れ上がるように立ち上ぼり、一度は沈んだ装甲空母姫が再び姿を顕す。
しかし、その姿に俺達は息を飲んだ。
最大の特徴である大型飛行甲板は無惨に折れて艦載機の発着等叶う由もなく、艤装そのものもひしゃげ何故浮かんでいられるのか。
そして人の部分は煤と油と血で赤と黒に汚れ人外の美しさも見る影もない。
だが、俺達がなにより目を疑ったのは、装甲空母姫の腕に抱かれた空母ヲ級の存在だった。
マルレ艇の特攻で胸から下の下半身を失い力無く抱かれたその姿はどう見てももう死んでいる。
なのに、まるで死しても姫を守ろうというかのように装甲空母姫に抱かれ続ける姿が、どうしようもないほど哀しく見えた。
「仕留めそこなったでありますか!?
だけど、今度こそ倒すであります!!」
「今度は俺が!」
あきつ丸がカタパルトを開き飛行甲板にランタンの光を当て、木曾も魚雷発射管の蓋を開きアームを稼動させ主砲を構える。
「止めろ二人共!!??
今の奴に手を出すな!!??」
今攻撃したら取り返しの着かないことが起きる。
理由は分からないがそれだけは確かだとそう叫んだ直後、
「…ヨクモ、ヨクモワガムスメヲオォオォオオオオオ!!!!????」
世界中の憎悪と絶望を凝縮したような、胸を刔るような装甲空母姫の悲嘆の絶叫が轟いた。