ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線- 作:緑餅 +上新粉
筆者の活動報告にも書いてある通り、今後もしばらくは日が空きがちの更新となります。
何とかモチベ―ションを捻り出して、一か月更新を目標にやっていきたいと思います。
赤い火が見える。木々の間を駆けて熱波が此方まで届くあたり、相当な熱量が戦場では渦巻いているのだろう。
そして、その渦中で数百の人間が、文字通り命を賭して戦っている。己が身を守るため、東京エリアを守るため、家族を守るため....それぞれの戦う理由を裡に秘めながら。
共に戦地へ赴くことを提案し、しかし後方で控えているよう樹万さんに諌められたことは、正直今でも納得がいかない。いかないが、それは私個人の感情の部分だ。もっと冷静な、理性的な部分の私が下した判断は、ほぼ確実な自身の死だ。
「....でも、心配なものは心配ですから」
せめて、無事だけでも確認できれば。そうすれば、この背を焼かれるにも似た焦燥感を霧散させられるのに。
背後には廃校舎の体育館を拠点にした病棟がある。そこには既に負傷した民警や、生き残った自衛隊員などが担ぎ込まれ、応急治療が行われている。中にはかなり酷い状態の者もおり、これから彼らのような人間が増えるかと思うとぞっとする。
そういった人たちが命を繋ぎとめられているのは、室戸菫医師の迅速かつ的確な指示があってこそだ。招聘された歴戦の医師たちすら目から鱗と驚くほどの術前対処、治療技術。彼女がいなかったら、重傷患者の殆どは
「そろそろ、戻りましょうか。休憩など、五分もあれば十分です」
かくいう私も、医療技術に関して一定の知識はある。知識だけで、その大半は現場で施行したことはないのだが、数度医師の前で行った異物摘出、皮膚等の縫合などは満点を頂いたので、この場において役立たずという最悪のレッテルを貼られることはないはず。
そう自分を鼓舞すると同時に、戦場....というより、樹万さんに向いていた意識を、これから行う負傷者の治療という点に向けていたとき。
「───────ッ!?」
突如響く、樹木がなぎ倒される轟音。否、そんな生易しいものでは無い。
些か現状の説明に苦慮するが、端的に表現するなら、『木の上部が丸ごと吹き飛んだ』。
幸い、吹き飛んだ『モノ』は私の立つ方ではないところへ落下していったが、あまりの異常事態に身体と思考が暫し固まってしまった。
無論、ここに立つ以上最低限の武装はしているのだが、すでに私の脳内には『これほどの膂力を持つ者に勝てるわけがない』という暗い結論がでており、その上での硬直なのかもしれない。
待て。馬鹿なことをいうな。ここで死ぬことを受け容れていいはずがないだろう。
敵わぬなら逃げればいい。この場で勝敗に拘る理由は微塵もない。生きる為に足掻け!その手に....銃を取れッ!
「夏世、か?」
「────────え」
結果的には、判断が遅れていたのは幸いだったのかもしれない。
たとえ間違いであれ、彼....樹万さんに銃口を向けることは避けられたのだから。
そんな安堵は、彼の全貌をその眼にした途端に跡形もなく吹き飛んでしまったのだが。
「!た、樹万さ、うそ....血、が」
「....いや、違う。これは俺じゃない。......飛那の、だ」
「え....飛那、さん?」
彼の胸から腰までべっとりと張り付いた夥しい量の血液が、樹万さん本人のものでは無いとわかり、胸をなでおろしたのもつかの間、耳を疑うような返答が鼓膜を震わせた。
だって、いやまさか。その胸に抱いている血塗れの『ソレ』が....?!
「飛那を....頼む。菫のところまで、運んでくれ」
樹万さんの上着だろうか。元々黒かったであろうそれに包まれた飛那さんは、主に左半身を激しく損傷しており、左手足は無論丸々削ぎ落とされ、右足は脛から先が無かった。
これまで生きて来て、惨い人の死はかなりの数を見て来た。故に、そこまで精神的なショックは無いと鷹を括っていたが、親しい誰か、というだけでここまで打ちのめされるものなのか。私でこれなのだから、家族のように接していた樹万さんの気持ちなど、私では到底量れるものでは────────....ああ、そんな。
「樹万さん......貴方」
「どうした」
「なんて、目をしているんですか」
彼の、美ヶ月樹万の目は、冷え切っていた。きっと、彼は視線の先に映るものの悉くを視ていない。認識はしているが、それに対し何の反応も示していない。
これでは、殺意と憎悪に衝き動かされている方がまだマシだ。何故なら、今の彼には感情と言うものが無い。いいや、違うか。本来なら多様な感情が介在するはずの容れ物が、たった一つで埋まってしまっている、といったほうが適切だ。ここまで外からもたらされる情報を遮断するのは、飛那さんを『こんな風にした』敵のことしか考えてないからだろう。他のものが入る余地がないのだ。
しかし、こんな状態の彼を野放しにしてはいけない。私は『飛那さんを預けられる誰か』として認識されたにすぎず、本来の彼が知る千寿夏世として接している訳ではない。それは室戸菫医師も同様だろう。極論だが、彼は私たちを人間と見てすらいないのだ。
止めなければ。こんな状態の彼は一秒と眺めていたくない。だが、止めれば容赦なく殺しにかかってくるだろう。普通の人間であればそれでもかまわないが、彼は文字通りガストレアをも素手で殺す術を持っている。あのティナさんを倒したのだから、私が抑えられるはずもない。
─────否、例えそれでも。
「樹万さん、飛那さんはまだ生きてます」
「......そうか」
「報復の理由はあります。けど、そうなる必要はどこにもないでしょう」
「....................」
彼の態度は変わらない。だが、確実に今の発言で私を『敵』と判断しただろう。眼光に何かうすら寒いものを感じ、背筋が粟立つ。
いいや、それでも構わない。大丈夫だ。飛那さんが原因でこうなったのであれば、きっと、いや確実にこの言葉は無視できない。
「今の貴方を見た飛那さんが、喜ぶと思いますか?」
「──────────」
「普段の貴方のことを誰よりも知る飛那さんが、何もかもを諦めてしまった貴方の姿を見て、喜ぶと思いますか?」
「──────、────」
ここまでの台詞は、決して長いものではない。なのに、周囲を漂う質量を感じるほどのプレッシャーで息が続かず、喉が不自然に渇く。危うく唾を呑みこむタイミングを間違えそうだった。
しかし、私の訴えを聞き終えた彼は、目に見えて雰囲気が変わっていた。感情の無かった瞳には怒りとも無念とも取れる色が渦巻き、だらりと下げるだけだった右手がぐっと握りしめられたのだ。
「諦める....諦める、だって?そんなことは思ってない。俺には目的がある。目的。アイツらを殺して根絶やしにする目的。諦めとは違う、違うはずだ」
「......なら、なんでそんなに嫌そうな顔をしているんですか?」
「違う、嫌なんかじゃあない。これは正しいことだ。何かを奪われたんなら、取り返しに行くのは当然だ。だから、殺す。殺せば戻ってくる。ぜんぶ無かったことになる。.....そうすれば元通りだ。何もかも元通り。あのときからまた、すべてやり直せ────ぐがッ!」
私は、その言葉をとても最後まで聞いていられなかった。それ以上の発言を身体が拒むように動き、呆然と佇む彼の顎を全霊を以て爪先で跳ね上げる。
直後、絶対零度の眼差しとなった彼から放たれる右拳を間一髪で避け、身体全部を使って腕を拘束する。
と、同時に右肩に激痛。どうやら先ほどの反撃が掠ってしまったらしい。だが、歯を割れるほど噛み締めて耐え、彼のものとは対になるであろう激情を込めた目を向ける。
駄目だ、冷静になれ、と理性が語りかけてくるが、赤熱する怒りの奔流であっという間に溶かされる。こんな彼を見るのは初めてだから、ショックが大きかったのも一因だろうが、それ以上に許せないことがあった。
彼は、もう高島飛那を諦めてしまっているのだ。
それは駄目だ。彼に生きていてほしいと願ってそうなった彼女に対し、それだけは許せない。
「ふざけるな────ふざけるな!諦めてないなんて嘘!とっくに諦めてる!」
「黙れ。諦めてなんかない。俺は、俺は────」
「違う!貴方の中ではもう、飛那さんは『取り戻せないもの』になってる!でも認めたくないから、取り戻せないものを奪われた復讐という動機ではなく、奪われたものを取り戻しに行く目的にすり替えている!まだ望みはあるんだと、原因を絶てば全て元通りになるんだと、そう言い聞かせて貴方はここに立てている!違いますか!?」
「っ......やめて、くれ。やめてくれ....!」
必死に己の中で誤魔化し続けていただろう本質を言い当てられ、彼は血に濡れた口の端をわななかせる。
そう、彼はずっと飛那さんのことを誤魔化し続けていた。ずっと腕に抱きかかえているくせに、今の今まで一度たりとも彼女のことを見ておらず、取り返しのつかない事実を知りながら取り戻せると叫んでいる。背後から迫る真実に追いつかれぬよう、『今』を絶えず否定しているのだ。
その姿は、かつて星空の下で私を諭した彼とは思えぬほど小さく。化物と呼称し、絶望の象徴とも言えるガストレアを容易くなぎ倒す勇猛さも、微塵も感じられない。
─────だが、私はそれに心から安堵していた。
だって、いままでの美ヶ月樹万は強く、精悍で、たくましすぎたのだ。
そう。同じ人間とは思えぬほどに。
しかし、今の彼はままならぬ現実に打ちのめされ、絶望と悲嘆に沈んでいる。....ガストレアに何もかもを奪われた当時の、私たちのように。
それで、今更ながらに気付いたのだ。
彼も。美ヶ月樹万も、人に見せぬ弱さを抱える、私たちと同じ人間なのだと。
「....樹万さん。飛那さんは私と室戸医師で治療します」
「な、に?」
信じられない、という顔で此方を見る樹万さん。腕の中にいる飛那さんへ目を移したところを見るに、相当動揺しているのだろう。
確かに、これはイニシエーターであっても命を落とすに足る重傷だ。実際、私だったら傷を負って数分足らずで再生が最低限の生命維持にすら追い付かず、死亡するだろう。
しかし、彼女は例外だ。何故なら、
「さっき私が生きている、といったのは気休めではないんですよ?....飛那さんは鷹と鷲のガストレア因子を併せ持つ
今はその回復力を持ってすら生命維持で手いっぱいだが、それを私と室戸医師でアシストすれば、十分持ち直す可能性はあるだろう。倒すべき怨敵の持つ強力かつ忌まわしい能力だが、この時だけはそれに感謝しよう。
しかし、この取り乱しようだと、樹万さんは飛那さんが傷ついたところをほとんど見たことが無いと考えられる。そうでもなければ、浅くとも確かにしている呼気、緩慢であろうと微かに鼓動している心臓に気付かないはずはない。
それと合わせ、世界を渡り歩くなかで多様な因子を持つイニシエーターを知り、能力や特性から、傷がどれほどの程度からデッドゾーンなのかは大方把握しているだろうから、彼女の生死は直後にでも概ね見当をつけられたはずだ。
それが出来なかったのは、単純に彼が普通の精神状態では無かったからだろう。希望的観測など、この状態の彼女を見た時点で思考の外側へ押し流されてしまったに違いない。
私の発言を聞いた樹万さんは、此方にまで聞こえるほど息を呑む音を響かせると、やっと気づけたといわんばかりに、飛那さんの生命維持活動を担う要所を凄まじい勢いで確認していく。
知識として補完しているからこそ分かるが、その精度は医学書が指南する手法よりも高い。以前室戸医師と話していたときに、彼がもし職を失ったら、私のところに助手に来てほしいんだよ、という願望を黒い笑みと共に漏らしていたことを何となく思い出し、それが冗談ではなく事実だったことを確信する。
きっと、戦場は凶器をぶつけあうだけの戦いだけではなかったのだろう。消えゆこうとする命を繋ぎとめるための凄絶な戦いも彼は経験し、身に着けてきたのだ。
「........俺さ、飛那と出会う前はめちゃくちゃ荒れてたんだ」
「......はい」
飛那さんに出来る限りの応急処置を施しながら、独りごとのようにつぶやいた樹万さん。にもかかわらず私が返事をしたのは、聞き手がいることで会話を円滑にしようという意図だ。
「最初は全く干渉してこなかったし、俺もしなかったけどさ。....ある日、俺がいつものように血まみれで帰ってきたら、玄関で待っててタオルを渡してくれたんだ。びっくりして、なんで、って聞いたら、臭いから、だって。笑っちまうよな」
その笑顔は、思い出すというより、噛み締めるようで。恐らく思い出すという工程を挟む間もないほど、常に近くにそれを置いているのだろう。
羨ましいと、素直にそう思う。自分の笑顔を思い浮かべて、彼にこんな幸せそうな表情をさせることができたら、どんなに幸福だろうか。
「最初はぶっきらぼうで、言葉数も少なかったけどな。掃除とか洗濯とか、段々気遣いの頻度が増えてきて、何度目かでやっと気づいたんだ。ああ、コイツは俺のこと心配してくれてるんだな、って。で、今度はなんでそんなに気に掛けてくれるんだ、って聞いたら、貴方が先に私を気にかけてくれたから、って返って来たんだ」
「....気にかけてくれた。ですか」
「ああ。毎日下手くそな飯を作って衣服を与えて、風呂に入らせて。それが飛那の言った気遣い。そんな当然のことに、そんな感謝をされるとは微塵も思ってなくてさ。寧ろ、こんな抜け殻みたいな人間と一緒にいても苦痛しかないだろうなって申し訳なさを感じてたってのに」
イニシエーターに対し差別的な態度を取るプロモーターは、それこそ掃いて捨てるほどいる。....話からすると、以前は
満足な食事、最低限の清潔、健康。そういったものすら与えられてこなかった彼女たちにしてみれば、樹万さんが与えた生活は、猜疑心すら抱くほどの待遇なのだ。
しかしそれも、ある程度の期間を共に過ごすことで徐々に消えてなくなり、あとに残るのは確かな信頼だけ。曲がったことが嫌いな飛那さんのことだ。一度すると決めたら真っ直ぐだったろう。
「それからはあっという間だったな。私のこと気にする前に自分をよく見ろって言って、今度は俺がお世話されるようになっちまった。気付けばくよくよしてる暇なんてなくなっててさ。飛那と一緒に笑うことばかり増えていった」
「........」
樹万さんは創傷を手早く湿った布で覆いながら喋っているが、その一切に乱雑さなどなく、丁寧に処置を施す。持参しているらしい医療キットから、彼の手によって次々と器具が飛び出し、忙しなくまた戻ってゆく。
私は返事の言葉を出そうと喉を絞ったが、直前に彼の視線が飛那さんを捉えていることを察知し、寸でのところで口腔内の空気ごと呑みこんだ。
────もしかしたら、彼はそれは独りごとではなく、飛那さんに語り聞かせる胸中の告白なのかもしれない。
「いっぱい、助けられてきた。錆びついて動かなくなった足でも、もう一度立ち上がろうと思えたのは、お前がいたからだ。どうでもいいとさえ思っていた世界でも、お前が生きているなら、生きていてくれるなら、もう一度あの地獄に戻ってもいいと、そう思ったんだ」
樹万さんは最後に、布で血に塗れた飛那さんの顔を優しく拭き、一息に抱きかかえる。完全に脱力した状態の人体は、たとえ小児であろうと想像以上に重いと言うが、しっかりと芯を入れた足で立ち上がって見せた。
その光景に一安心していた矢先、彼は大きく息を吐いたあと、空へ向かって『あぁッ!!』と短く叫ぶ。それで自分の中にあったどす黒いものを吹き飛ばしたか、面食らってる最中の私の方へ身体ごと向き直り、そのまま頭を下げた。
「本当に申し訳ない。不甲斐ないところを見せた。......でも、ありがとう、夏世。お前の叱咤は確かに届いてたぞ。────お蔭で、俺の中にあった弱い部分に、また一つ気が付けた」
「─────はい」
きっと、彼だけではないのだろう。
誰であろうと、大切な人を失った時は平静でいられるはずがない。数多の戦場で、多くの死を経験してきた樹万さんであろうと、やはりかけがえのないものを失う苦痛には向き合えず、逃避を選んだ。
強さとは、必ずしも実力を尺度として指すのではない。精神面での泰然さも、それは強さというのだ。....だが、それも行き過ぎれば暴力、非情、冷徹という言葉に変わる。他者を守るために必要な強さも、結局はリスクしか生まないのかもしれない。
大切であればあるほど、失った時の悲しみが大きいのであれば。いっそ大切なものなど作らない方が却っていいのではないか。そんな、いつ壊れるかもわからない存在を身近において危うい人生を歩むより、己が手で盤石を築き、己のみを守って生きれば良いのではないか。
「もう、大丈夫だ。お別れなんて絶対に言わせねぇからな」
「......ふふ」
「?....どうした、夏世」
「いえ、何でないですよ。さぁ、樹万さん。飛那さんが重傷であることには変わりないんですから、早く室戸医師のところまで運びますよ」
「お、おう」
───────その考えは間違っている。
何かを、誰かを守らねばいう想いに衝き動かされて取った剣は、きっと他のどんな理由で持つ剣よりも輝いていることだろう。振るえば多くの者達が勇気づけられ、鞘に戻し還れば祝福と喝采を浴びる────。
何を隠そうこの私、千寿夏世は、彼のそんな姿が見られる日を、ずっと願っているのだ。
飛那ちゃん戦闘不能。傷の程度は....深刻ですね。
今後の活躍は、果たして?