ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線-   作:緑餅 +上新粉

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モノリス崩壊に先駆け東京エリアがソマリア化?

流石にそこまでは行きませんが、原作でも描写されているように、当時はかなり酷い有様だったようです。蓮太郎はまだしも、あの延珠が東京を救おうか迷ってしまうほどですからね。
ちなみに、暴徒と化した東京エリアの市民を放っておくと....?


44.無法

 俺は歩きながら持ち運び可能の小型ラジオを片手に下げ、何度も同じ文言を繰り返すニュースキャスターの話に、イヤホン越しで耳を傾ける。

 

 

『明朝、聖天子様からの緊急放送が為され、崩壊が危ぶまれる第三十二号モノリスについて、新たな情報がもたらされました。前日深夜に派遣した専門家が行った実地調査によると、ガストレアにより注入されたバラニウム侵食液は、明らかとなっている通常の侵食液より効果が強く、通常より1.6倍ほどの効力を持つことが専門家の調べにより判明しました。これを受け、モノリス崩壊までの時間が早まることは避けられないとされ、最前線にて戦力を展開する自衛隊は、万が一を予測した聖天子様の命により、既に出撃準備は整えられている模様です。しかし、未だ崩壊する具体的な期日は定まっておらず、発表は今日の夜を予定し────』

 

「....さて、どうなるかな」

 

 

 行き先の分からない乗り物に揺すられているような、漠然とした不安が呟きに滲む。その原因はラジオから垂れ流される物騒な話題に相違ないのだが、残念ながらどこの局に変えようと、やっている内容はほぼこれと同じだ。ラジオに限らず、テレビなどの主要メディアもそうだろう。

 

 ────唐突に発表された、三十二号モノリスの新たな異常。それは、バラニウムの特殊な磁場を無効化し、石灰化させてしまうバラニウム侵食液の侵食速度だ。このバラニウム侵食液の存在は人類にとって既知のものであり、当時は大きな脅威であったが故に情報も多種多様にわたる。だが、侵食液の強弱については記載がなかったという。つまり、これは状況によって変動しうる不確定要素の一つだったというわけだ。

 

 

「流石に、原因究明に関わった有識者を責めるわけにはいかないよな....」

 

 

 これに気付いた人間がいた可能性は極めて高い。だが、目前に提示された逃れようのない絶望に恐慌する中で、さらなる『可能性としての絶望』まで上塗りすることなど狂気の沙汰だ。言ったところで誰も受け入れてはくれないし、己もその絶望を享受する人間に含まれる。何も進んで自分の首を絞める必要はあるまい。

 いずれにせよ、こうしてあり得る可能は起こり得る事実として俺たちの前に姿を現してしまった。おかげで朝の東京は未曾有の混乱状態となりかけたが、火急の事態に陥りつつも終始泰然と構えていた聖天子と菊之丞、そして自衛隊の素早く鮮やかな対応を目にした住民は、多少なりとも落ち着きを取り戻してくれた。

 しかし、天秤は希望を持てる人間側より、持つことが出来ない人間側の方に大きく傾いている。具体的にいうと、地下シェルターに避難できなかった者の大勢が暴徒化し、行き場のない無力感と焦燥感を他者にぶつけることで少量の安堵を得ている、というのが実状だ。

 

 ────そんな人間等が格好の餌にするのは、元々あった雀の涙ほどの信頼すら奪われてしまった『呪われた子どもたち』である。

 

 

 

「っと....アイツら怪しいな」

 

 

 目に映ったのは、草臥れたスーツ姿の男二人組。一方が青いネクタイをしており、もう片方が赤いネクタイを首から申し訳程度に下げている。そんな一件普通の彼らが何故怪しいかと言うと、微かに血の臭いがしたからだ。普通の人間ではまず嗅ぎ分けられないが、今の俺はステージⅠの犬の因子を発現させている。故に、一時的に多少の運動能力向上と、鋭い嗅覚を得ていた。

 俺は片耳に入れていたイヤホンを抜き、手に持つラジオを小さめのショルダーバッグへ押し込む。そして、本来は主婦でごった返すはずの閑散とした夕刻の商業施設内を歩き、幾ばくかの距離を開けて二人の男を尾行する。

 

 さて、そろそろ俺が何をしているのか説明しておきたい。前述の通り、今の東京エリアは混沌の様相となって間もない。各々の手段で大半の住民が避難した街には、悪逆の意志に侵された暴徒が少なからず徘徊し、治安は悪化の一途をたどっている状況だ。そして、そんな輩の主な標的は、呪われた子どもたち。

 長年に渡り、彼女らを妹のように可愛がってきた俺に、そんな現状を見過ごす事などできようか。....いいや、できるはずがない。

 

 男たちが足を止めたのは、服飾品が売られていた店の中。その奥の柱に、肩から足までを布で雁字搦めにされた少女が、傷だらけで転がっていた。

 

 

「───────ギルティ」

 

 

 それだけ呟き、手に巻いていた黒いTシャツを素早く解いて目出しの頭巾を作成すると、バッグを置いて隠れていた商品棚の影から飛び出す。店内のタイルを滑るようにして移動しながら右横に居た青ネクタイの隣に移動すると、気付いた赤ネクタイが男を挟んだ向こう側で驚愕に目を剥いたが、構わず両方まとめて蹴飛ばす。

 派手な音を立てて台車に衝突した二人は、化粧品の入った小包をぶちまけながら地面に転がる。だが、両者は多少の覚えがあるらしく、存外に短時間で態勢を立て直し、野生の獣の如くギラついた双眸を此方に向ける。

 

 

「テメェ....!余計な邪魔しやがって!」

 

「後悔させてやる!このガキがァ!」

 

 

 基礎的な型のファイティングポーズを取った二人は、こちらを舐めているのか、ほぼ正面切っての吶喊を開始する。対する俺は、視線だけを動かして周囲を粗方確認し終え、迎撃の方法を決定した。

 それに則り、まずは近場にあった商品カゴの中から伸縮性のある婦人服を引っ掴み、両手で伸ばして青ネクタイの拳を受け止める。突っ込んで来たもう片割れの赤ネクタイの蹴りは、掴んでいた袖を伸ばして足首を持ち上げ、そこを起点にくるりと腕を一廻しして巻き付かせる。

 

 

「なっ?!....クソッ!」

 

 

 想定外の手法で拳を止められた青ネクタイは動揺しつつも足を動かすが、軸足を弧を描いて滑らした爪先で払い、仰向けに転倒させる。一方の片足を持ち上げられたまま動けないでいる赤ネクタイには、袖で吊るしている足を思い切り持ち上げて尻もちをつかせ、呻いているところを拳で水月に一発。途端に身体をくの字に折り曲げて激しく嘔吐した。

 

 

「ああぁぁ!死ねやオラ!!」

 

 

 青ネクタイは怒号を上げながら腰からバタフライナイフを引き抜き、畳んでいた刃を慣れた手つきで弾き出すと、明確な殺意を乗せて振りかぶる。そのまま閃いたナイフの刃は、横なぎに俺の首を切りつける軌道だ。

 それらを無感動に読み切ってから青ネクタイの手首を掴み、捻って膝をつかせる。次に空いた手で顎と手の甲に一撃、ナイフを落とす。続けて側頭部を膝で蹴りつけ、最後に背負い投げの要領で近場の商品棚へ向かって投げた。

 短く息を吐いて次手に移る。俺は後ろ向きのまま、地面に手を着いて吶喊してきた赤ネクタイの顎を踵で蹴り抜く。次に軸足で半回転し、視界に星が飛んでるだろう彼の肩へ肘を落として鎖骨を砕いたあと、その手で後頭部を抑えて顔面に膝を撃ち込む。瞬間、パッと鼻孔から漏れた鮮血が舞い、それが地面に落ちて血痕を作るよりも先に顎を掴み、容赦なく地面へ叩き付けた。

 前のダメージもあって、これで赤ネクタイは意識を手放し、先ほど商品棚に突っ込んだ青ネクタイも立ち上がる気配はなく、二人とも沈んだらしい。ティナから教えを受け始めて最初の対人戦だったのだが、上手くいったようでよかった。ガストレアを倒す時と同じ加減でやると爆散させかねないからな。

 

 

「よし、女の子は....っと。あぁ、めっちゃくちゃ俺を見て怖がってる....」

 

 

 俺の視点で見ると、少女を救うために颯爽と現れたヒーロー的な立ち位置だと思われがちだが、彼女からしてみれば、今まで自分に暴力を振るっていた人間より更に上の暴力を振るえる人間が現れた、みたいなところだろう。世の中には自分に都合のいいものが折良く転がっていることなど稀であり、それは彼女たちが最も痛感しているはずの残酷な事実なのだ。

 しかし、例えそんな世にいるのだとしても諦めてほしくない。何度裏切られ続けても、目の前に誰かがいるのなら『助けて』と、そう言ってほしい。もし、その雑踏の中に俺がいれば、その声を頼りに救うことが出来るのだから。

 

 ───────閑話休題。

 

 暴漢との戦闘以上に、ある意味これからが本番なのだ。

 俺は顔に巻いていた頭巾を取り、再び腕に巻き付けて縛りながら少女に近づくと、出来る限り恐怖心を与えないような言動を心掛け、いの一番に伝えなければいけないことを口にする。

 

 

「ごめん、怖がらせたな。俺はコイツらと同じじゃない。助けに来ただけから安心してくれ」

 

「....ホント?」

 

「ああ。ちょっと待ってろ、布を解いてやるからな」

 

「う、うん」

 

 

 少し茶混じりの髪を撫でてやってから、少女を拘束していた布を一つづつ解いていく。その中にはかなりきつく縛っているものもあり、ところによっては痣が残ってしまうだろう。そう思うと、自分がやった訳ではないにもかかわらず、途方もない罪悪感が湧きあがるのを止められなかった。

 

 全て解き終わったのを確認すると、横たわる少女に『もう大丈夫だぞ』と声をかける。だが、水際立った動きで起き上がった彼女は、銀閃を以て俺の行動に応えた。

 

 震える少女の手に握られていたものは、青ネクタイの手から落としたバタフライナイフ。そして、その刃先は俺の腹部に半ばまで埋まり、流れ出た鮮血で銀色を赤く汚している。それら全てを見た俺は、すっかり慣れてしまった痛みの中で自嘲気味な笑みを浮かべ、荒い息を吐く少女の頭に優しく手を乗せながら言った。

 

 

「これで、許して貰えるか?」

 

「えっ....?」

 

「『俺たち』がお前にしたことは、決して許されることじゃない。でも、俺に向けたこの怒りで今の気が済むなら、それに越したことはないから」

 

「うそ。さ、刺されてるのよ?普通は怒るでしょ?仕返し、しようとするでしょ?....なんで、許してなんて」

 

「最初に言ったろ、助けに来たって。お前がこのまま俺に助けられて欲しいから、許してくれってお願いしてるんだ」

 

 

 少女は今の言葉で今度こそ絶句する。だが、俺はその反応で彼女の心根が優しいものであると確信し、そっと安堵の息を吐く。この分だと、ナイフでの報復も思わずやってしまったか、激しい葛藤の末での行いだろう。その証拠に、俺が尚も頭を撫でる行為を止めずにいると、少女はやがてナイフから手を離し、俯いてしまう。

 俺は口に溜まった血を呑みこんでから、無造作に腹のナイフを抜いて放る。他の人間だったらかなりの重傷だが、俺は別だ。腹に空いた穴は瞬く間に修復され、血痕のみが残る形となった。

 少女はナイフが地面を転がる甲高い音にビクリと肩を震わせ、思わず俯いていた顔を上げる。その折に俺の腹部を見たのだろう。直後に自分が何をしたのか完璧に理解した少女は、血の気の引いた顔で己を縛っていた布を三束ほど引っ手繰り、慌てて俺の腹に巻き付けていく。

 

 

「ご、ごめんなさいッ!私、こんなこと!布を解いてくれた時点で、助けにきてくれた人って、分かってたのに....!」

 

「いいや、あんな状況だ。相当に剛毅な奴でもない限り、誰だってお前と同じことをするさ。....それに、俺にだったら大丈夫だ。だから気を落とすなって。ほら、傷の手当はもういいから。ここに居たら、ああいう奴と同類のが来るぞ」

 

「そ、それは────って、きゃっ!」

 

「そうら、肩車だ!子どもは元気が一番だぞ!」

 

「ちょ、そういうアンタが一番元気なんじゃないの!?」

 

 

 非難の声が頭上から響いてくるが、無視して店内を歩き回る。少しの間は反抗の意志表示らしく頭をポカポカと叩いていたが、歩く途中でノびている赤ネクタイの男が視界に入って来ると、一転して少女の息を呑んだ雰囲気が俺の頭に置いた小さな両手から伝わってきた。

 俺は彼女に断ってから止まっていた歩みを再開させ、あちこちを物色しながら口を開く。

 

 

「......勝手なことだと分かってていうけどさ」

 

「なに?」

 

「あの二人は、元はこういうことをする人間じゃなかったんだ」

 

「........」

 

「『命の危機にある。でも、自分の身を守る術がない』。その恐怖を少しでも和らげるために、理性のタガを外していた。それは逃げではあるけど、そうすることでしか生き続ける希望を持てなかった弱い人たちだ」

 

「....弱い、ね。でも、結局は言い訳でしょ。それで全部許されるなら、警察はいらないわ。その警察も腐ってるけど」

 

「─────」

 

 

 予想以上に鋭い物言いで言葉に詰まる。気になって問いかけてみたところ、普段は多くの時間を読書に充てているとのことだった。なるほど、思考のレベルが上がる訳である。

 少女の言った通り、自分の弱さを盾に罪から逃れようとするのは低俗な行為だ。彼女を襲った男二人も、そこにある現実と向き合うことができず、混乱の中で自分を棄ててしまった弱き者であり、同時に罪科を背負ってしまった者だ。

 

 

「でも、皆が皆俺たちのように強くはない。だから、こういう人間もいることを許容してやってくれ。コイツらが間違った行いをすることを許してくれと言ってるわけじゃないんだ。ただ、『いる』ということを認めてやってくれないか」

 

「....さっきまで襲われていた本人に、酷なことをいうのね」

 

「そうだな」

 

「世の中が、アンタみたいな優しい人ばかりだったらいいんだけど....そうもいかないのよね」

 

「そう、だな」

 

「私、アンタのこと好きよ」

 

「そう......え?」

 

 

 思わず歩みを止めてしまうと、悪戯が成功したような笑い声を頭上で上げる少女。それに少しだけイラッときた俺は、肩車した姿勢で飛んだり跳ねたりする。それに年相応の黄色い歓声で応える彼女は、ようやく生来の気質を顕わにしてくれたのだろう。

 そうしている間に目的のものを一通り手に入れた俺は、もう少し肩車しててもいいのに、と宣う少女を降ろしてから、戦利品を目の前に広げてやる。

 それらは至って普通の子供用の服だ。それでも、外周区に住まう彼女たちにしてみれば、こんなものは到底手の届かない領域にある物品である。案の定、少女は当てつけかと言外に非難している視線をぶつけてくるが、そんな不機嫌急転直下の彼女に向かって、俺は悪びれもせず言う。

 

 

「この中から一着、選んでくれ」

 

「なによ。それをどうするっての?」

 

「お前にあげるんだよ」

 

「は?」

 

「ここであったのも何かの縁だ。折角もとが可愛いんだから、そんな煤だらけの服じゃなく、もっとマシなのを着てけ」

 

「かわっ?!......も、もう。分かったわよ」

 

 

 仕方なさそうに言うものの、口の端は明らかに持ち上がっており、手は既に俺の用意した服の一着を持ち上げていた。素直じゃないが、そういうところがまたいいと思うのは、もしかして末期なのだろうか。

 体感で数十分ほど消費して散々悩みぬいた末に少女が選び取ったのは、目立たない程度に花柄をあしらったワンピースだ。きっと着たら似合うだろう。しかし、俺が選んできた服の中で最もお高いのがそれなのだが....まぁいい。ここは彼女の審美眼を褒めておくことにしよう。

 俺は財布を取り出し、男らしくきっちり8000円を抜き取って会計の台を飛び越えると、レジの中へ突っ込んでおいた。その一部始終を見ていた少女は、どこか呆れたような表情をして戻って来た俺を出迎える。

 

 

「ホント、アンタって損な性分してるわね」

 

「そうか?俺はなるべく後々に自分の行いを悔いないような選択を心掛けてるつもりなんだが」

 

「そういった考えも含めて、よ」

 

 

 少女の言いたいことも分かる。だが、いくらこんな状況だからと言って、物盗りをやっていいかと問われれば、答えは無論NOだ。この考えを善人気取りだと謗り、後ろ指を指してくれても別に構わない。ただ、己の中にある普通の人間の在り方とは、こういう選択肢を迫られた時にこういう選択をする、というだけのことだ。

 少女は怯まない俺に対し大仰に肩をすくめて見せてから、少し悩む素振りをみせつつも、ちょっと待ってなさいよ、と言ってワンピースを胸に抱えると、足早に近くの試着室へ入って行った。俺はそんな少女を見て、あんなところに行かなくてもココで着替えたらいいのに、と思ったが、口にしたらもう一度ナイフが飛んでくることだろう。言わなくてよかった。

 そして、待つこと五分。試着室のカーテンが開け放たれると、そこには純然たる無垢の象徴が立っていた。

 

 

「ど、どうかしら」

 

「うん。凄く似合ってるぞ」

 

「....ストレートに言われると、結構照れるわね」

 

「可愛いよ!むっちゃ可愛いよ!」

 

「く......!」

 

 

 要望に応えてストレートな評価を口にしてみると、少女は目を逸らしつつ激しく赤面するという期待通りの反応を見せてくれた。あまりの初々しさにもう一度からかいたい衝動に駆られるが、怒らせては意味がない。

 

 ────さて、一頻りはしゃいでおいて今更だが、さすがに長居し過ぎたかもしれない。どれくらいの頻度でこの場を人が行き交うのか検証できていない以上、彼女とここに留まり続けるのは新たな火種を生む要因になるだろう。それに、素顔を晒しての戦闘は避けたい。

 そうした反省の意も含め、少し真面目な顔を作ってから少女へ向かって手を伸ばす。

 

 

「さ、そろそろここから出るぞ。少なくともこの場所よりは絶対に安全なところへ案内してやるから、着いて来てくれ」

 

「ん、分かったわ」

 

 

 迷うことなく俺の手を取ってくれた少女に向けて笑みを浮かべると、肩車で行くか?と提案してみる。すると、恥ずかしいから嫌だ、といって照れ隠しに腹へ拳を撃ち込んで来のだが、自分が刺した傷があったことに遅れて気付き、半泣きになりながら謝り始めてしまう。

 俺はそんな彼女に布を解いて服を捲り、その傷が何処にもないことを証明すると、露骨に安堵した顔を見せてくれた。それにニヤニヤしていると、もう一度腹パンをされる憂き目にあう。今度は加減を抜いたもので普通に痛い。

 少し歩いた所で、『肩車をした方が、より兄妹のような体で自分の身分を偽れるんじゃないかしら』という発言で、結局遠まわしに肩車をお願いされた。俺がそれに快く承諾すると、三割増し元気になった。単純である。

 

 

 ─────そんな風に談笑をしながら歩き、やがて目的地についた。

 

 

 

「このマンホールの中?」

 

「そうだ。....一応確認しておくが、今は『あの報道』のお蔭で、お前たちに対する害悪の感情が正当化されつつあることはわかってるか?」

 

「......ええ」

 

「正直気は進まないが、それのほとぼりが冷めるまでは、なるべく一つところに集まっていて貰いたいんだ」

 

 

 外周区に出てしまえば、今のところは安全だろう。しかし、街に入ればどうなるか分からない。

 実際、避難により人が少なった今を機と見て、街の中に入り込んで資源を調達しようとする子がチラホラとおり、その中の数%が少女のように捕えられ、嬲られている。

 更に人々の鬱屈とした感情は高まる危険性もある。揺らぐ精神の均衡を保つために、彼女たちの迫害という目的を掲げ、それに邁進することで理性と希望を得ている人種が集まった場合、その集団が何をしでかすかは予想もつかない。少女たちの安全を確保するのなら、その行動を制限してしまうのが最も望ましい。

 だが、流石に軟禁してしまうのも行き過ぎだ。目的のために負わせる代償が些か大きすぎる。

 

 

「あくまでお願いな。外周区内だったら出歩いて構わない。でも、街には出ないでくれ。それだけは....頼む」

 

 

 俺はありったけの誠意を込めて頭を下げる。遊び盛りの無邪気な少女たちに酷な仕打ちだとは思うが、それは今だけだ。今を乗り切れば、少なくとも彼女たちの生活は数日前のものに戻る。

 

 失われてからでは、遅いのだ。今ある彼女たちの命を守らねばならない。

 

 そんな決意を固めていたところ、下げた頭に何か柔らかいものがぶつかって来た。その正体を確かめるために閉じていた両目を開くと、小さい足が視界に入ってくる。どうやら少女に頭を抱きしめられているらしい。

 

 

「いい大人がこんな子どもに頭を下げないの。安く見られるわよ」

 

「もし安く見られたんなら、それは普段の行いの結果だ。いい大人だと思ってくれなくて構わない」

 

「....ホント、アンタって損な性分してるわね。笑えるわ」

 

 

 少女はそんな発言に反して力のない声を口にすると、一度ぎゅっと頭を強めに抱きしめてから、離す。それを皮切りに、言いたいことの全てを既に言い終えていた俺は、踵を返して元来た道を引き返していく。

 その途中、まだ歩数が二桁に届かないうちに呼び止める声が背後から掛けられ、歩みを止めると首だけ動かして後ろを見る。思わず制止を叫んでしまったのか、少女は暫しモゴモゴと口を動かしていたが、やがて明確に意味のある言葉が紡がれる。

 

 

「わ、私!カザネっていうの!アンタは?!」

 

「俺か?俺は───── 」

 

 

 強い風が吹き、発言の間を空ける。その最中に犬の因子を多少強化し、膨れ上がった脚力で地面を踏む。そして、風が止んだと同時に答えを口にし、直後に爪先で前方へ向かって強く跳躍した。

 

 

「美ヶ月樹万だ」

 

「え───────」

 

 

 驚愕の声は、流れる強風が鼓膜を叩く音で遮られた。

 




樹万サンの名は、外周区の子どもたちの間ではとってもポピュラーです。
ただ、人相は子ども特有の大雑把な解釈で為されています。その点、彼は突出した身体的特徴がないため、挙げられるものは人によっててんでバラバラ。そのため、初めて会った場合は名前を知っていても既知の姿と全く一致しないことが大半であり、ほとんど本人と気付けません。

ちなみに、蓮太郎は本能で察せるレベルの不幸顔なので、彼女たちはあっという間に覚えられました。
木更サンはおっp(ザシュ

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