ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線- 作:緑餅 +上新粉
脳内で大方のプロットが出来ていても、やはり文字として書き起こすのに時間が掛かりますね。
「ハハ、ハハハハハハハハ!何だ、何だよ!僕自身、こうまで上手くいくとは思わなかったぞ!」
撃たれた。目の前で、樹万が。
この目に狂いはないと言うのなら、ベレッタを持って壊れたように笑う保脇卓人が...彼を殺したのだ。
(アイツ―――――――――――ッ!!!)
脳髄を焼くほどの怒りを以て起き上がろうとしたものの、さっきの戦闘で空いた二つの風穴に凄絶な激痛が走り、俺の意志などお構いなしに立てた腕が曲がって再び倒れ込んでしまった。同時に喉を通ってきた鉄臭い血の香りが鼻孔を通り抜け、貧血による軽い眩暈も相まって気分を著しく悪化させる。地面に片手を着いて下を向いた瞬間、思わずえずいてしまった。
俺がそんなみっともないことをしていた時、横たわる樹万の傍らにいたティナ・スプラウトが人の出せる声とは思えないほどの咆哮を上げ、片手に樹万のものと思われる黒いナイフを持ちながら立ち上がった。その身体は本来、碌に動かないほどの酷い有様であるはずだが、アレはどうやら気力という名の芯を骨の代わりに突っ込んでいると見ていい。...しかし、誰が見てもそれだけで精一杯だ。とても戦闘をできる身体ではない。
「全く、ギャアギャアと喚き散らしやがって。黙れよゴミ屑」
保脇は心底気分の悪そうな表情で吐き捨てながら、一切の躊躇なしに持っていたベレッタを再び構え、引き金を絞って二回の発砲。その一発がティナの肩に着弾し、二発目は腹部に。それだけで容易く小さな体躯は吹き飛び、アスファルトへ多量の赤色を塗布しながら仰向けに倒れた。それですべてが終わったかのように、黒いナイフが地面へ落下して幕引きの音を響かせる。
.....何故、何故だ。もう少しで誰もが笑って終わる結末を迎えられたはずなのに。拾い集めた希望はこうも簡単に手から滑り落ち、代わりに等価交換の法則を無視した量の絶望が天から降ってくる。抱く希望が大きい程握らされる絶望はより色濃く、それを捨てる方法を知らない俺たちは絶望に心を蝕まれ続ける。
深い失意に身を沈ませたまま、俺は保脇の部下二人に両腕を拘束され、無理矢理跪かされた。そこへ下卑た笑みを浮かべる保脇が近づき、俺の顔をおもむろに蹴りあげた。その瞬間、一度は勢いを削がれた憤怒の炎が再び燃え上がり、やはりこの男は止めねばという観念に突き動かされる。
「がはッ!げほ、グッ....保、脇ィ...テメェ!」
「クク。いいぞ、その表情!口では反抗しつつも、為す術ないこの状況に絶望しているのだろう!?実に気分がいい!」
「ケッ、どうしようもない、外道だな」
英雄と言われる俺に嫌悪感を抱いていたのは以前から知ってはいたが、まさかこれほどまでとは。それら全ては聖天子様が俺に向ける期待に帰結するのだから、保脇の常軌を逸した固執振りが伺える。...そう、彼女が俺に対し興味を抱きさえしなければ、たとえ周りから英雄などと持て囃されたところで、悪質な粘着をされることはないのだから。
この男の聖天子様に対する感情は、もはや忠誠心や敬愛などではないだろう。一刻も早くこのゲス野郎を始末しなければ、あの平和ボケしたお姫様が危ない。そんなことを思っていたところ、いきなり前髪を掴まれて上を向かされた。
「あまり居丈高な態度を取るなよ?里見蓮太郎。折角この国の英雄となる僕が、君みたいな小僧にいい提案をしてあげようとしてるんだからな」
「...なん、だと?」
「くく、僕だけが聖天子様を守った英雄になるのは忍びないからねぇ。君らにも一枚噛ませてやるよ」
俺の前髪から乱暴に手を離した保脇は、血塗れになって横たわるティナの横に立つと、その頭に銃口を突きつけた。その暴挙で再度頭に血が昇ったが、両隣の男二人に背中を殴られ、無理矢理大人しくさせられた。それを見る保脇はさらに笑みを濃くさせながら言う。
「僕の考えたシナリオはこうだ。――――君と、そこに転がるもう一人の雑魚民警が奮闘の末、極悪な聖天子狙撃事件の犯人を見事追い詰めました!しかぁし!あと一歩というところで及ばずに二人は力尽き、重傷を負っているとはいえ極悪犯が勝ってしまいました!これは不味い!」
「テメェ、まさか」
「クククク、そこへ颯爽と登場した僕が、君たちに代わり正義の鉄槌を以てこのクズの息の根を止める!かくして聖天子様は、東京エリアは救われた!そして、僕は彼女に認められる英雄となった!」
この男は今、目先の功績にしか興味がない。権力に酔い、権力に支配される輩の典型的な思考だ。こういった時の悪党は犠牲となる人間にとってどこまでも最悪な結末を思いつく確率が極めて高い。今ここで止めねば、奴はどんなことをしてでも聖天子様を救った英雄となることを優先し、ここにいる俺たち以外の誰かまで影響を及ぼすだろう。いや、そんな馬鹿げたことは絶対に阻止する!
焦燥感で思考を熱くしながらも、情報の処理は冷静に試みる。...一応樹万から手当を受けているが、そんなものは急場しのぎの止血ぐらいだ。傷は全く塞がっていないのだから、必然無理をすればいとも簡単に死ねる。それに、XDはビルの中に置いて来てしまったし、ナイフももってないので武器すらない。
「どうだ?お前たちは高尚な僕の引き立て役となって死ぬのだ。身に余る光栄だろう」
「保脇...!お前は英雄になんざなれねぇよ!」
「ふ、せいぜい吼えるがいい。...さて、そろそろこのゴミを始末するか。バラニウムでなくても心臓と脳をぶち抜けば殺せるだろ。.......ん、ああそうだ。良いことを思いついた」
保脇はティナに向けた銃口をそのまま、顔だけをもう一度俺の方へ向ける。
――――――その表情は、今まで見た奴の顔の中で最も不気味な笑みを象っていた。
「里見蓮太郎。お前には藍原延珠というイニシエーターがいたな」
「それが.....どうした」
口の中が干上がる。呼吸が凄まじい勢いで浅くなっていく。俺の脳みそがひっきりなしに警鐘を鳴らしている。それ以上言わせるなと。その男が口に出し、実行しようとしていることは、里見蓮太郎にとって何よりも許せない事であると。理性すら食い破るほどの勢いで叫び続ける。しかし、それでも。現実というものは本当にままならない。
保脇は笑顔のまま、恐ろしいことをのたまった。
「お前のイニシエーターは、聖天子狙撃事件の犯人と内通していた。いいな?」
「...........は?」
何を言っている。延珠がそんなことをするはずがない。...いや、そうか。コイツは延珠を――――――!
「聖天子様は随分とあのゴミ屑らにご執心のようだからな。事前に潰しておかないと後々が面倒だ。...ということで、お前のイニシエーターは敵に寝返った悪党だという事にする。後はその敵も赤目だったという情報を流せば、間違いなくこのゴミ屑どもを支持する阿呆は東京エリアからいなくなるぞ!」
――――コイツは、延珠とティナを利用して東京エリア内の『呪われた子どもたち』全てを始末しようとしている――――。そう頭で理解した瞬間、目の前に火花が散ったのではないかというほど壮絶な衝動が湧きあがる。.....その衝動の名は、夜の闇より深い、どこまでもドス黒い殺意。
駄目だ。コイツは、このクソ野郎だけは生かしておけない。殺す。殺す殺す殺す!今すぐ、この場で、確実に、俺がッッ!!じゃないと、俺だけじゃなく延珠まで絶望を抱いたまま殺されることになる!!
感情は憎しみと怒りに彩られる。あまりの激情に奥歯を物理的に噛み砕きながら、抑えつけられる力へ抗うために上半身を揉みくちゃに動かし、殴られても蹴られても意に介さず、この不快な黒い感情を溢れさせる目前の要因を駆逐するために咆哮を上げる。
「ふ...ざけんなァァァッ!!保脇ィィィィッ!!!」
「ふはははは!君ほどの英雄くんが負けたんだ!敵方へ情報を垂れ流す奴がいて当然だよなぁ!それが一番信頼していた仲間だとは悲しいねぇ!悔しいねぇ!許せないよねぇ!安心したまえよ!裏切り者にはこの世に存在する苦痛全てを味わわせた後に君の下へ送ってやるよ、里見蓮太郎!!」
「殺す!テメェだけは絶対に殺すッ!!ぅうおおおオオオオオオ!!」
「ハハハハハ!最高だ、最高に愉快だよ!その表情ッ!叫び!!さぁ、先ずは君の目の前で一人目の屑を始末してあげようじゃないか!泣いて喜べよ贋作英雄!」
何でもいい。延珠以外なら俺から何を奪ってくれても構わない。だから、誰か。あの男を止めてくれ―――――――――!!
保脇の哄笑。俺の発する慟哭。涙と土埃で滲む視界。
しかし、その中でも確かに聞こえ、そして見えた。一人の男が、俺の叫びに答える瞬間を。
「蓮太郎!腰のベレッタを抜け!」
「ッ!」
「何?!」
響いた発砲音は二。その全てが両隣で俺を拘束していた男二人へ直撃し、後方へ絶叫と共にもんどりうって倒れた。保脇はその光景を見て驚愕を呈するが、腐っても
俺はその隙に、先ほどの指示通り腰を素早くまさぐる。すると、確かに保脇の持っているものと酷似したベレッタが顔を出した。...いいや、これは俺の持っていたものじゃない。コイツは確か――――――
『ったく...お前ら、敵意を向けるべき相手を間違えてんぞ?』
『チッ!....行くぞ』
――――そうだ。以前、聖居の中で保脇ともみあいになった時、奴が落として行ったベレッタ。俺はそれを拾い、腰に差したままだった。
それを思い出した俺はどこか複雑な気分のままベレッタを抜き取り、今まで生きて来た最高速度で初弾を装填する。今日は自分の持っていたXDに銃口を向けられ、自分のものではないベレッタの銃口を元持ち主に向けるなどと、随分と武器に踊らされたな。
銃を構える俺に気付いたか、保脇は何事かを叫びながら俺に向かって照準を合わせる。その前に発砲し、躊躇なく目前の外道野郎の眉間を撃ち抜く。奴は何も言わず、間抜けな表情のまま持っていたベレッタを落とし、自分も埃だらけのアスファルトに転がった。
「はは、迷うことなくドタマぶち抜いたか。そりゃ、あんだけのこと言われりゃ当然だわな」
「ッ.....!」
もう、二度と聞くことはないと思っていた声。多大な喪失感は保脇へ対する怒りで姿を無理やりにでも消されていたが、覆うように燃え盛っていた焔が鎮火した今、もはやそれを隠すものはない。にも関わらず、俺が俺の中にある悲しみに気付くより先に、この男は勝手気ままに帰って来た。
だが、この時ばかりは思惑通りに進まぬ現実へ深く感謝しなければならない。
「死んでねぇなら、最初から死んだような面すんなよ、バカ樹万」
「わりぃな。お前と同じで、俺もまだまだ死ねねぇんだよ。アホ蓮太郎」
パチン、と。白煙の向こうから手を挙げて歩いてきた樹万のハイタッチに答え、乾いた音を響かせた。
***
「なぁ樹万」
「んー?」
「あんだけ撃たれておいて、なんで生きてんだ?」
「随分ド直球な質問だな。ええと...これだよ、これ」
いっそ死ななかったことが残念だとも取れる言葉遣いに半眼となりながら、俺は懐を漁って数本の空の注射器を見せる。蓮太郎はそれに見覚えがあったらしく、当初期待していなかった反応を貰えたので、話がスムーズに運べそうだった。
「コイツはAGV試験薬だ。効果は...」
「使用者に驚異的な再生能力をもたらす代わりに、約20%の確率でガストレア化する、だろ?」
「ご名答。コイツを使って何とか生き延びた」
血を流し過ぎて危うく心臓が止まりかけたが、その前に傷の修復を何とか終えて一命を取りとめ、それからは一時的な脳の酸欠によって昏倒し、蓮太郎とティナがピンチのときまで眠りこけていた。...そういったら頭を叩かれたが、「無事でよかったよ」と最後に挟まれ、典型的なツンデレ気質に思わず大爆笑してしまった。
蓮太郎はもう一度俺を叩いて黙らせてから、今度は顔を横たわるティナに向ける。
「大丈夫そうか?」
「ん...急げば平気だ。これ以上撃たれてたら流石に不味かったけどな」
「そうか。よかったぜ」
苦しそうに喘ぐティナへ銃弾を抜く、止血するなどの応急処置を施しながら、蓮太郎の質問に答える。
蓮太郎はティナが四賢人、エイン・ランド教授の操り人形だと聞いてからこの通り、自分や聖天子様を狙撃したことの全てを許している。彼は恐らく、日の当たるところに居場所を作りたくても作れず、結局いいように利用されるだけの未来しかない、深い影のさす場へ廻される彼女たちの事を良く知っているからだろう。俺たちは、殺しを望まぬというのに殺しを強要させられたティナの辛さなど推し量ることはできようもないが、その苦境にいる彼女を救う事はできる。
さて、とっととティナを連れてこの場とオサラバしたいところなのだが、最後の大仕事がまだある。俺はティナの腹部へ包帯を巻き終えたあと、ゆっくりと立ち上がりながら、独り言にしては大きい声量で『この場に居る誰か』へ質問を投げる。
「で、どうでした?貴方の一番近くにいた信頼すべき聖室付き護衛隊隊長の末路は」
それから間もなく甲高い靴音が地面を鳴らし、辺りへ大きく反響した。位置的に俺の目前に立つ蓮太郎は、その眼で本来この場にいるはずのない彼女を見ることが出来たのだろう。面白いほど顔を驚愕に染めていた。
「な、聖天子様?!アンタなんでこんなトコにいるんだよ!斉武のジジィとの会談はどうした!」
「美ヶ月樹万さんのイニシエーターから、貴方達が私を狙う狙撃手との交戦をしている知らせを聞き、斉武大統領との会談は中止してきました。お蔭で、私は東京の抱えていた闇の一つを知る事ができたのです。対価としてはお釣りが来るくらいでしょう」
「ッ...たく、本当になんちゅう国家元首様だ。よりにもよって斉武のジジィに喧嘩売るとは」
蓮太郎は大げさに頭を抱えるが、声には全くと言っていいほど怒りは含まれていなかった。実際助かったのは確かだし、暗に俺たちを心配して来てくれたのだから、その好意を無碍にもできない。しかし、だからといって大阪との国交を蔑ろにしていい訳でもないのだが。...実に難しい判断だな。
聖天子様はそんな俺たちの下へ歩み寄ると、おもむろに深く頭を下げた。それは支配する側が支配される側に対して取る行動にはあまりにも適さないものだったが、顔を上げた彼女には有無を言わせぬ意志があり、口を出すことは憚られた。
「私は無力です。国家元首という大層な肩書きを提げていようと、私は所詮周りの力を利用するだけの弱者。...正直、ここで終わるのならそれまでと覚悟していました」
「聖天子様、アンタ.....ッ」
「ですが、貴方達は教えてくれました。立ち向かう勇気、諦めない思想、その気高さを。弱者も武器を手に取り、戦えるのだということを」
聖天子様のした弱気な発言に食って掛かろうとした蓮太郎だったが、遮るように放たれた力強い言葉によって溜飲を下げたようだ。彼女の蓮太郎へ向けた表情を見るに、アイツはこの国家元首様を良い方向へ導いてくれつつあるらしい。というか、蓮太郎の口が悪く、所々挟まれる致命的なまでに分かり難い親切心を汲み取れる人間がこの世に存在するとは。...驚きだ。
既に俺たちの周りでは、聖天子様お付きの連中が現場検証を始めている。保脇の部下は殺していないので身柄を拘束され、保脇本人の亡骸は白い布を掛けられ運ばれていた。蓮太郎はそれを見て、聖天子様にティナを保護するよう交渉してくれている。
俺は深いため息を吐いたあと、オフィスビルの出口近くまでさりげなく移動してから、半眼を作りながら口を開く。
「さてと。いつまでそこに隠れてるつもりかな?お二人さん」
「うっ」「...バレましたか」
二人...飛那と夏世は、まるでお菓子の万引きを指摘されたかのように縮こまりながら、柱の翳からゆっくりと出て来る。そんな様子に少し笑いそうになったが、ぐっとこらえてココに来るまでの経緯を聞いてみた。すると、離しにくそうにしながらも、案外第一声は早くに放たれる。
「樹万さんのデスクに置いてあった、直前まで立ててた作戦要項...あれを見て、エリア内にある場所から方角、建造物とかを調べて、大体の位置を割り出しました。それからはもう居てもたってもいられずで、考えれば考えるほど悪い想像しか浮かんでこなくて...!」
「ひ、秘密だって言うなら、ちゃんとそれなりの管理をしてくださいよ、樹万。私たちにこらえ性がないことはとっくに分かってるはずです。もう、あんな血塗れになった樹万は見たくないんですから...ッ!」
本当は怒るべきなのだろうが、二人の必死さに心打たれ、寧ろここまで心配させてしまった自分へ腹が立ってきた。こういった時でもあまり表情を変えないはずの夏世は涙を滲ませて激情を露わにし、飛那に関しては既に溢れんばかりの涙を零しながら訴えかけてくるのだから、罪悪感は強まるばかりだ。
俺は血に濡れた衣服も構わず、二人を思い切り抱きしめる。泣き止むようにと思っての行動だったのだが、それは寧ろ逆効果となってしまったようで、安心感からか更に泣かせてしまった。そのため、俺は目的を変更して好きなだけ泣かせるために両肩を貸すことにした。
次話がティナ編最後になると思います。
小説ではようやっと二巻が終わったところですね。