ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線- 作:緑餅 +上新粉
ここ最近は大変だったお蔭で、危うく体調を崩しかけてしまった。
ちなみに、俺の身体で一番ダメージを受けたのは胃だ。理由はまぁ...飛那のことである。
蓮太郎と顔を合わせたのは久し振りだった。
お互いに蛭子影胤追撃作戦での功績や近況についてなど、話題には事欠かなかったはずなのに...天童民間警備会社の事務所へ入ってから蓮太郎と言葉を交わすまで、凡そ三十分を要した。
已むに已まれぬ事情があったとはいえ、断りなく飛那を何日も彼の所へ預け、彼女の独断で危ない賭けにまで乗せてしまったのだ。普段通りの態度で話せる訳がない。
しかし、そんな俺の緊張は杞憂だったようで、蓮太郎は純粋にカチコチになっている俺を見てついに笑いだしたのだ。
驚きはしたものの、同時に俺の中で張り詰めた弦が弛緩したのを感じ、それまでの自分が唐突に馬鹿らしくなったか、俺も爆笑してしまった。
一頻り笑い転げた後の会話は実にスムーズで、所々蓮太郎から嫌味を言われたものの、いつの間にか友人同士の関係に戻っていた。
『たまには飛那と一緒に遊びに来てくれ。...延珠が寂しがるからな』
別れ際にそう言った蓮太郎だったが、延珠と同じくらい、彼自身も寂しそうな顔をしていた。
そんな蓮太郎へ後ろめたさを感じながらも、勿論。と約束してから、俺は天童民間警備会社を後にした。
これで、一先ずは飛那の件が片付いた....のだが、問題はまだあったのである。
その『問題』は、携帯の通話履歴を見れば一目で分かるのだが...何故か先日会ったティナから、ほぼ間断なく連絡がくるのだ。
やれ、街を案内してだの、買い物に付き合ってだの、遊びに連れてってだの...本人には悪いが、その都度飛那と夏世へ外出する理由を考える此方の身にもなって欲しいものである。
実は、一度朝にコッソリ家を出た事があるのだが、帰って早々俺の目に飛び込んで来たのは、玄関に仁王立ちで佇む二柱の鬼神だった。俺は二度とあのお二方を世に生み出さぬよう、軽率な行動を避けねばならない。
しかし、その願いは天上の神々に聞き届けられてはいないようだ。
***
時は昼の2時過ぎ。
ご飯を食べて腹が膨れれば眠くなるのは道理ではある。が、目前に座る金髪の少女は些か過剰な睡魔に襲われているらしい。
「ふぁ....ぁ」
「眠いか?」
「あっ!..いえ、全然大丈夫です」
「そうは見えなかったけどなぁ....」
俺は先程一緒に食べた昼飯中でしていたティナの暴挙を今一度思い浮かべる。
箸で料理を掴んでも口元へ運ぶ道すがらに船をこぎ始め、何度も何度も取り落としては焦っていた少女のいた光景を見た後では、とても眠くないなどと言えるものではなかった。
今回は俺自らが腕を振るって作った弁当だ。自発的に作った訳ではなく、前回の彼女との外出時に自炊能力があるとうっかり口を滑らせてしまったが為に、ティナから遠まわしでお願いされ、疑いの眼差し×2を全身で受けながら調理する羽目に合った次第である。正直並の拷問より堪えるぞ、あれ。
「べ、別につまらなかったり、退屈だったりしてるわけじゃ――――」
「あぁ、大丈夫大丈夫。だからちょっと落ち着けって」
「ふむっ」
ティナは最初に会ったときのパジャマ姿から一変し、目に見えて気合いの入ったドレス姿となっている。そのため肩が露出しており、俺は彼女の肩ではなく後頭部に触れてから優しく押して己の胸元へ招き入れる。
(抜け出せないように軽くぎゅっとしとくか...意外に頑固だからな、コイツ)
後頭部と腰に廻した腕へ多少力を加え、拘束の意味も込めた抱擁をする。
あまり無理をするつもりはないが、こうでもしないとティナは今日中ずっと肩肘張って過ごすだろう。それこそ『無理』というものだ。
「いらないお世話かもしれないけど、俺といる時ぐらいリラックスしたらどうだ。まぁ、理由は知らないし、聞かないが...最近大変なんだろ?」
「!知って.....?」
「こう何回も顔合わせてりゃ、少しはな。それを差し引いても、お前は普段から分かりやすい」
「........」
何かを隠している。
否、隠し事が無い人間など皆無ではあるが、目前の少女は自覚せず表情や雰囲気にまで影響が出ていた。これではむしろ気にしない方が難しい。
しかし、先程彼女へ言ったように、追究することはしない。が、せめてお節介ぐらいは焼こうと思った。
「.......分かりました。樹万さんのご厚意に甘えたいと思います」
「おう。任せとけ」
「エッチなこと...しないで下さいね?」
「任せとk...って、んなことするかっ!」
そんな釘を刺して置きながらも、ティナは笑顔と共に遠慮なく俺の胸元へ身を預けて腕を廻してきた。やべっ、女の子特有のいい香りが...!
端から見たら、仲の良い兄弟が公園で戯れているように映るのかもしれない。だが、ティナからは何処か幼子らしさの抜けた、大人の女性にも負けない程の色気を感じた。
(馬鹿か俺!意識するな...意識するな.....!)
こんな風に思ってしまっている時点で意識していることは明白なのだが、それすら頭から除外して思考自体を放棄する。
素数を必死に数えては失敗しを何度か繰り返した頃、突然ティナの携帯が震えだした。どうやらメールの類いではなく通話のようで、腕の中で眠るティナを起こそうとしたのだが、彼女はそれを上回るスピードで飛び起きた。
「...........ッ」
ティナは素早く携帯の画面を確認すると、僅かながら眉を顰めた。一瞬の事だったので特に言及しなかったが、彼女は俺が事情を聞く前に頭を下げた。
「すみません樹万さん。急用が出来たので失礼します」
「.......そうか。気を付けてな」
「樹万さんも、気を付けて」
ティナの表情は強張っていた。まるで何かと争っているかのように、あるいは耐えているかのように。
しかし、彼女の雰囲気からは明確な拒絶が感じられた。これ以上こっちには来ないで、と。それは感情的なものではなく、俺の身を案じるような意図があった...と思う。
「ま、深追いしたら後が怖いし...大人しく帰るかな」
さてと。うぅーむ、帰りの買い物ついでにご機嫌とりグッズ買ってくか。そうすれば少しは二人も...
と、目下の問題解決に勤しんでいるうちに、ティナから感じた違和感はすっかりと忘れていた。
***
彼のいた場所からある程度離れたところで、先程通話を試みて来た相手へ折り返し電話をかける。
『遅いぞ。何かよからぬ事があったのではなかろうな?』
「すみません、マスター。どうしても応答出来ない状況下にありました。ですが、不足の事態は起きていません」
『ならいい。...本題に入らせて貰おう』
私は霞がかる意識へ鞭打ち、次の言葉に備える。
『次回の聖天子の警護計画書が手に入った』
「...随分と早いですね」
『クク...なに、あちらへ
鼻につくような低い笑声を聞きながら、私は情報を流した聖居内の人物が何を思ってこのような行為に及んだのか気になった。だが、これから行うことには必要の無い知識だ。
そんなことより、まず最優先で対処しなければならないことがある。
「ですがマスター、聖天子の側には先の
『それも問題はない。お前がこれからすべき事は、その民警の対処だからな。次まで邪魔される訳にはいかん』
私の狙撃を真正面から受け回避してみせた、あの民警ペアと戦う....面白い。
携帯を握る手に力が入り、ミシリと音をたてた。
『ティナ・スプラウト、次の任務だ。天童民間警備会社社長、天童木更を殺害せよ』
***
「狙撃ぃ?聖天子の乗ったリムジンがかよ」
『ああ、そうだ。俺も危うく殺されかけた』
俺は今しがた淹れ終わったドリップコーヒーを持ちながら移動し、ソファへ座ってから溜め息を吐く。こいつはまた厄介な問題を抱えて来やがったな...
しかし、狙撃か。数キロ離れた地点から対象へ狙い撃ち出来る規格外相手に、よく生き残ったもんだ。
「...はぁ。相変わらず危ねぇことに巻き込まれてんなぁ蓮太郎」
『俺だって好き好んで巻き込まれてるわけじゃねぇよ。んで、ちょっとその件で相談したいことがだな...っておい未織止めろ!今大事な話を――――おあぁっ!?』
「?」
なにやら愉快な悲鳴が聞こえたかと思いきや、蓮太郎の声が完全にフェードアウトしてしまった。
代わりに鼓膜を震わせたのは、訛りがありながら艶然とした美声だ。
『別にええでしょ?里見ちゃん、何でもかんでも隠したがるのはあかんよ。そういうのは木更だけにしとき』
「あのー、どちら様で?」
『あらごめんなさいね、こっちが騒がしくて。ちと里見ちゃんがヘソ曲げてなぁ...私は司馬未織。司馬重工ってとこの社長令嬢つーいらん肩書き持っとるいち高校生や。兎も角、蛭子影胤追撃作戦の影の功労者である美ヵ月樹万さんに、どうしても正式なお礼を言いたくてなー』
「いや、俺は別に...ってか、司馬重工の令嬢だって?」
『そやそや。コレがあるから、里見ちゃんへ個人的な武器のバックアップできんねんよ』
「はぁー、なるほど....って話の趣旨ずれてね?」
未織ののんびりした声に乗せられて、こっちまで持ってかれそうになった。意外に油断できない人物だな....
俺は勝手に戦々恐々としているが、あちらはケラケラと笑いながら明るい態度を崩さない。
『それもそや。今里見ちゃんとはなしとったんはな?今回の聖天子様を狙った狙撃に関してなんやけど...ひゃ!もー里見ちゃん乱暴!もちっとれでぃの扱いを心得や!――――――』
「??」
今度は未織の声がフェードアウトしていき、首を傾げる。俺の携帯がおかしい訳じゃないよな...?
と、訝しんでいる間に今度は蓮太郎の声が復活した。
『ったく未織の奴、言いたい放題しやがって...スマン樹万、話の続きだが――――」
ここで何かがぶち壊される派手な音がスピーカーから響き、同時に女性のものと思われる叫び声まで...もうなんなんだよ一体...
軽くげんなりしていると、蓮太郎の焦ったような声が割り込んできた。
「樹万!続きは先生のトコで話す!だから勾田大学病院の研究室まで来てくれ――――――」
ブツッ。ツー、ツー....
「えぇ....」
俺は冷めたコーヒーを前に、呆然とすることしかできなかった。
ティナがついに天童民間警備会社を補足です。