ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線- 作:緑餅 +上新粉
斉武大統領との非公式会議は、俺の眼前に聳える八十六階建ての超高層ホテルで行われるらしい。こんなものを創るほどの金銭的余裕があるのなら、もう少しガストレア対策の方にも資金を廻して貰ってもいいじゃないかと心から思う。しかし、今はそんなことより別の問題でモチベーションが下がっている。
俺の意気消沈ぶりに気が付いたらしく、今日も今日とて純白の礼装に身を包んだ聖天子様は、心配そうに形の良い眉を歪めた。
「お気分が優れないのですか?」
「いや、昨日ちょっと頭が痛くなる事件が起こってな...。でもこっちの事だから気にしないでくれ。アンタは今日の事だけ考えてろ」
愚痴のようにそう漏らしてから、脳内に一人の女性を思い浮かべる。
――――――――『
対ガストレア兵器製作の第一人者である司馬重工の社長令嬢。いつも豪奢な着物を身に着け、長い黒髪を左右で纏め、鉄扇(護身用)まで持つ人物だ。俺が勾田高校に通う羽目となったのは、半分以上そこの生徒会長をしている未織のせい...お蔭だ。
で、その未織が昨日の晩に何故か俺の家へ特攻かまして来て、運悪く後からやって来た木更さんとエンカウント。
事情を知らない人間がこれを聞いても事態の深刻さは全く伝わらないだろう。....勘のいい人は分かるかもしれないが、二人は壊滅的に仲が悪い。水と油どころではなく、天と地ほどに相容れないと言っていい。
そんな二人が、昨日俺の家で火花を散らしたのだ。比喩ではなく、物理的に。
木更さんは天童式抜刀術免許皆伝。対する未織は数百年の歴史を持つ司馬流戦闘術の使い手、規格外な彼女らの技が密室で放たれた場合、ソコがどうなるか...駄目だ。あの惨劇は本気で思い出したくない。
と、そんな事を考えているうちにホテル内のエレベーター前まで来てしまった。
聖天子様はエレベーターらしからぬ重厚な扉を潜ると、先ほどフロントで渡されたらしい鍵を穴へ差し込み、先ほどまで表示されていなかった最上階のボタンを押し込んだ。
それからは暫く沈黙が蟠ったが、聖天子様の澄んだ声で破られる。
「里見さんは、斉武大統領と面識があるのですよね?」
「あぁ。昔は菊之丞に連れられて政治家がわんさかいるパーティとか連れ回されたからな」
「では、里見さんの思う斉武大統領のイメージはどのようなものなのですか?菊之丞さんに尋ねると途端に不機嫌になるものですから、追及しづらかったんです」
確かに、あのジジィは斉武と仲が悪い。木更さんと未織ほどではないが。
俺は変動するエレベーターの回数表示を視界に入れながら少し唸ったが、三秒経たないうちに斉武とピッタリなとある偉人の名前が脳裏へ浮かんだ。
「アドルフ・ヒトラーだな」
「は?」
俺の返答を聞いた聖天子様は、見たこともない表情で愕然とした。
彼女は目を閉じながら首を振ると、額に手を当てる
「...すみません里見さん。もう一度言ってくれませんか?」
「だから、アドルフ・ヒトラーだって。アンタも知ってんだろ?斉武が
その中でも斉武は筋金入りだと、最後に聖天子様へ付け加えておく。彼女は緊張を顕わに重々しく首を縦に振った。
実際、それだけ殺されかかっておきながら本人はどこ吹く風だしな...。馬鹿ではないのだが、些か考えが浅薄な気がする。
俺の思考を中断させたのは、目的地に着いたことを伝えるエレベーターの電子音だった。
はぁ...恐らく、初見から罵声が飛び交うんだろうなぁ。ウチの純粋な国家元首様を失神させないように気を付けねぇと.....
そんな失礼極まりないことを考えながら、俺は聖天子様に続いて再びエレベーターの扉を潜った。
***
帰りのリムジンへ乗り込んだ頃には、すっかりと夜の帳が降りていた。
車内にいた延珠は長時間待たされていたお蔭で、今は俺の膝上にて夢の中だ。妾は護衛役を頂戴するのだ!とか言っていた奴の体たらくがコレか。大したもんだ。
聖天子は隣で目に見えて落ち込んでいる。会談で浴びせかけられた斉武の言があまりに横暴だったのにもかかわらず、気迫や迫力に押されて言い返せなかった事が原因だろう。
しかし、ある程度予測していたとは言え、レールガンを本気で抑止力として運用する気があったとは...。実際問題、アイツの目は日本だけでなく世界へ向いていた。
それにしても、今回の会談は俺がついていて良かったかもしれないな。聖天子様は完全に斉武のジジイに呑まれかけていたんだから。
「まぁ、元気出せって」
「ですが、私は...」
「アンタはアンタなりにやりたい事があんだろ?ならあのジジイの挑発に乗るな。ちっと歳喰っただけで偉そうにしてる小五月蠅い爺さんとでも思っとけ」
「.........ふふ、里見さんは豪胆ですね」
「ったく、国家元首を名乗るアンタがゴロツキの民警に励まされてるなんて、誰にも言えねぇぞ?」
「里見さんはゴロツキなんかじゃないですよ。我が国の英雄です」
そう言った聖天子は微笑み、俺もつられて笑うと、車内へ暖かな空気が流れた。これで少しは持ち直したか。
胸を撫で下ろしていると、唐突に俺の膝上から不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「蓮太郎はだめだぞ」
「んっ?」「えっ?」
「蓮太郎はおっぱい星人だから、木更より小さいと女として認識されないのだ。だから――――――」
「だぁぁぁ!なに言ってんだ延珠っ、言い掛かりも甚だしいぞ!」
「里見さん、不潔です」
「ちっがうってのッ」
俺を見る聖天子様の目は嫌悪感丸出しだった。何か、何か弁解のネタはないのかっ?
俺は一縷の希望を掛けて延珠を見るが、当の言いがかり少女は車窓から夜の街を眺めていた。何故か顰めっ面で。
「蓮太郎、なんか嫌な感じがする」
「随分と抽象的な言い方だな」
リムジンはちょうど十字路の交差点へ差し掛かり、赤信号で停車する。俺はその隙に窓際へ取り付き、己の両目へ全神経を集中させた。
延珠の向けた指の先...ビル群の屋上へと瞳を動かすが、赤く点滅する航空誘導灯ぐらいしか見えない。ましてや人影など皆無だ。
やがてリムジンは発車し、身体が慣性によって少し傾ぐ。
―――――その時に、見えた。白い
「ヤバいッ!皆、何かに掴ま―――――」
言い終わる前に、強烈な破砕音が耳を打った。
リムジンは横腹に受けた衝撃と、運転手の動揺によるステアリングミスで横滑りし、かなりの勢いとともに歩道脇の道路標識へ突っ込んだ。
車内にいた俺たちは揉みくちゃにされ、身体をいたるところにぶつけた。しかし、痛みに呻いている時間はない。これは恐らく、いや確実に聖天子様を狙った狙撃だ!
「延珠はドライバーを頼む!聖天子様、外に出るぞ!」
「そ、外は寧ろ危険なのでは....?」
「俺たちを撃った狙撃手は走行するリムジンを狙える。―――――恐らく、次に鉛玉ブチ込むターゲットは....」
ドアを蹴破り、俺は聖天子様と転がるようにしてリムジンの車外へ躍り出る。そして、その直後に背後から爆発音とともに熱風が吹き付けた。
(やっぱり、ガソリンタンクを狙ってきたな...!)
動揺しながらも俺は何とか我が国のトップを守ろうと庇うが、結局一緒に吹き飛ばされて路上へ転がる。それでも横目で倒れている聖天子様を確認し、目だった傷がない事にホッとした。
だが、あまりうかうかしてはいられない。此方が態勢を立て直す前に三射目が来るはず――――――――
(ッ!)
盛大な悪寒が背中を走った。...確実に、俺は今狙撃手の可殺領域内に入っている。
脳内へ己の死が濃厚に投影される直前、延珠が叫んだ。
「蓮太郎、しゃがんでッ!」
「っ!」
必死の形相だったため、言葉の意味を理解してからではなく本能に近い挙動で身をかがめる。
すると、俺の頭と入れ替わるように延珠は長いツインテールを翻しながら蹴りを放った。
「ハァッ!」
ガッギィィンッ!!
頭上で甲高い金属音。それが途切れたと同時に延珠が足を振り抜き、相殺しきれなかった威力を証明するかのように地面を何度も転がった。
俺は聖天子様を抱え起こしながら、銃口炎が見えたビルを凝視する。しかし、すぐに止めた。
先ほどまでの殺意が無くなっている。敵はもう逃げたのだろう。
延珠にも臨戦態勢を解いて貰うが、俺は思わず歯軋りした。
あの銃口炎が見えたビルは、狙撃された地点から何kmある...?いや、それ以前に走行するリムジンの左後輪を正確に狙い撃ち、更に爆破させるなど人間の為せる業ではない。
ならば、偶々当たった――――?
(車のタイヤとガソリンタンク、でもって俺の
―――――そう。偶然ではない。何故なら、狙撃手は撃ち出した三発とも、寸分の狂いなく対象を捉えていたからだ。
俺はまだ見ぬ敵に感服するとともに、心の底から戦慄した。有り得ない。...が、それは事実として目の前で起こっている。
顔を蒼白にしてしまっている聖天子様を抱え直した時、俺の耳が何かを捉えた。
(ん.......?何だ、この音)
虫の羽音らしき異音が聞こえ周囲に目を向けるが、夜の闇が手伝って確認できなかった。
二台分の車のブレーキ音で意識を此方側へ戻された俺は、その車内から出て来た保脇たちに眉を顰める。今更ご到着とは、ホント良い御身分だな...
とりあえず、聖天子様をこの場所から移動させよう。無能な聖天子付き護衛官などには任せられない。
***
「マスター、作戦失敗しました。ターゲットに手練れの民警が護衛として付いています」
『なんだと...?馬鹿な、聖天子のお守り役はあの烏合の衆だけではないのかっ?チッ、情報と違うぞ!』
インカムを通して聞こえるマスターの苛立たしげな声に取り合わず、置いてあった固定台を畳んでから、持っていた対戦車ライフルと一緒にケースへしまう。
丁度留め金を嵌めた所で、幾分か落ち着いたらしいマスターの声が耳朶を打った。
『護衛していた民警の姿は見えたか?』
「確認出来ましたが、遠すぎて顔立ちまでは見てとれませんでした」
言いながら、今一度肉眼であの交差点を俯瞰する。
自分の目がおかしくなければ、二発目に放った銃弾は飛び出してきたイニシエーターの蹴りによって弾かれていた。
対艦砲やバルカン砲などを除けば、この対戦車ライフルから吐き出される弾の威力は既存しているほぼ全ての銃弾を凌ぐ。それを防ぐとなると―――――間違いなく強敵だ。
「邪魔をする者は....排除する」
己へ言い聞かせるように。そうするべきが正義なのだと窘めるように、誰もいないビルの屋上で呟く。
しかし、その言葉は吹きすさぶ強風に掻き消される。
身を震わせた時に響いたカフェイン錠剤のぶつかり合う音が、初めて五月蝿く聞こえた。
なんだか、誰かを殺すことに葛藤する場面が多い気がします。
...うむ、この作品のコンセプトにしようか。