ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線-   作:緑餅 +上新粉

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前話まででれんたろーは十分活躍したので、この話では出てきません。

彼のファンは次話まで待ちましょう。


08.過去

 雨が、降っている。

 冷たい雨だ。

 

 

「う.....ぁ.....」

 

 

 その中で赤色に沈むのは、俺と....膨大な数の人間。その全ては自分自身を除き、身体の大部分を欠損して息絶えていた。

 まさにヒトの死の見本市。地獄の具現といっていいそこは、紛れもない現実だ。目を逸らそうと、音が、匂いが、周囲のあらゆるモノが、生々しく起きた災厄を知らせてくる。

 

 

「ほー。顔半分なくなってて、下半身まるごと喰われても生きてられんのか。坊主」

 

 

 そんな地獄に、生者がもう一人。男は神父の姿をし、血濡れた黒い長剣を片手に嗤っていた。

 この男は、俺が『オッサン』と呼ぶ、ガストレア(怪物)に匹敵した....いや、それを超えると言っても過言ではない化物だ。

 俺はそいつに向かって声を出そうとしたが、代わりに血の塊を吐いた。とはいえ、拭うために動かす腕もないため、そのまま雨を落とす曇天を眺めることしかできない。

 

 

 (はは、戦うとか一端なことを口走っておいて、結局このザマだ)

 

 

 正直、もう何度()()()()か分からない。

 オッサンと出会ったあの日、共にガストレアと戦うと決めてから、これまで多くの怪物どもと殺し合いをしてきたが、結果はほぼ今現在と同じだ。

 ガストレアはバラニウムという金属が弱点なため、基本はそれを加工して作られた武器でのみ有効打を与えられる。とはいえ、どこを狙っても当たれば即死などというものでは決してなく、すぐさま息の根を止めるのならば、やはり脳や心臓部を穿つしかない。

 そして、俺が対ガストレア戦で使用しているのは銃だ。現状、バラニウムは稀少なため、無駄撃ちは控えろとオッサンに言われていることと合わせ、ド素人の戦闘技能を加味すれば、正面から対峙したとして両者のどちらが優勢かは明白だ。

 

 

(照準つけてる間に飛び掛かられて踏み潰される、仮に当てることが出来ても怒り狂った敵に吹っ飛ばされる....結果は変わらねぇな)

 

 

 そう。結果は何一つ変わっていない。守ると宣言し、逃げる人々の前に立ちはだかって戦ったが、俺は敢えなく敗北。そして誓いを立てた己を嘲笑うかのごとく、ヤツは背後の命を存分に貪った。

 無力な人間一人が抗ったところで、目前に広がるソレが少し遅いか早いかだけの違いしかない。その光景に変わった事実はなく、俺が戦おうと戦うまいと、結果は変わらない。意味が、無いのだ。

 それどころか....守るといった約束を反故にした、俺にこそ責任があるのではないか?

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()────?

 

 

(なんだよ....それ)

 

 

 分かっていたはずだった。だが、実際は何一つ分かっちゃいなかった。

 ここは倫理的なルールが適用される公式の戦場などではない。勝者は敗者を殺そうが嬲ろうが文字通り何をしても許されるのだ。裁定者など存在しない、無法の地獄といっていい。

 俺は無意識に、世界で為される悪逆非道には一定の限界があるのだと思い込んでいた。理性的な人間が創った世の中なのだから、そこで起きる事件も、きっと想像の範疇にあるのだろうと。

 だが、現実は──────

 

 

「........」

 

「へぇ?何だ、お前諦めるのか」

 

 

 だって、諦めるしかないじゃないか。死なないからと言って、殺されない訳じゃない。戦ったってこんな結果じゃ、俺がここにいる意味なんてないだろう。

 俺がこの地獄を生き抜いてきたのは、潰されて壊されて、失ってしまった故郷の仇を取るためなのだ。だから、ガストレアを殺せない俺は生きている、理由、が────、あれ?

 

 

(故郷の仇?あれ、そんな理由だったっけ?)

 

 

 いや。まて、おかしいだろう。何故ここで疑問が生じる?十年程とはいえ、生まれ育った場所にあんなことをされたんだ。憎んで当然だろう。理不尽に涙するのが当然だろう。

 じゃあ、この釈然としない感覚は何だ?まるで、見つからないパズルのピースの代わりに、急拵えの偽物を嵌め込んだかのようなズレは。

 

 俺は考える。この『納得のいかなさ』に対する答えを求めるために。

 だが、案外あっけなくそれらしきものに己の指先が触れた。

 

 確かに、喪失感はあった。だが、それだけだ。

 その証拠に、全てが終わり、そして始まったあの日。俺はオッサンの『家に一度戻るか?』という提案をにべもなく断っている。

 泣きもせず、怒りもせず。ただこうなったという現状を受け容れた。

 理由は、分からない。しかし、少なくともこの疑問だけは解消できる。俺は、

 

 

「ああ、そうだ。テメェは、恨みつらみを糧にここまで戦ってきた訳じゃねぇ」

 

 

 まさか────先に言われるとは思わなかった。

 この男は、些か他人の心情を察知する能力が高すぎる。

 

 

「顔半分削がれてても分かるぜ。お前納得いかなかっただろ?ここまで生きて来た理由がよォ」

 

「ぅ....ぐ......」

 

 

 その通りだ。てっきり、俺は故郷を廃墟に変えたガストレアを憎悪からぶち殺すために生きているのだと思っていたが、どうやら違う()()()

 いや、勿論件のガストレアを見つけたら確実に殺すつもりでいるが、他の何をおいても、というほど前のめりという訳でもないのだ。

 俺は、この分かりやす過ぎる生存理由で、本当の目的を別のモノとすり替えていた?だとしたら、気づいた時点でそれに気付けてもいいはずだが....

 

 

「あぁーあ、しかしようやくか。理由も無しによくもまァここまでボロ雑巾になれたもんだ。お人好しににもホドがあンだろ」

 

「な、に....?」

 

 

 再生が追い付いてきたか、少しずつ喉が動くようになってきた。いや、それよりもだ。理由もなしに、だと?

 馬鹿な。じゃあ俺は、生きる理由を別のモノとすり変えたんじゃなく、初めからなかったから、いかにも尤もらしいソレを当て嵌めただけだってのか?

 いや、それでも辻褄は合わない。もし初めからなかったのだとしたら、そもそもオッサンと出会ったあの時点で俺は全てを諦めていた。『己の持つ何もかもを奪ったガストレアに復讐する』、これが後から生まれて定着したものだとしたら、オッサンの叱咤で立ち上がった俺は、一体何を理由に克己できたのか。

 

 

「テメェがあの場で立ち上がれた理由はな、知りたい、という無謀で自分勝手な欲望、その一点だ。この世は俺が言ったように正しく地獄の有様なのか。外に出ることを是としたテメェは、コレを知らねぇままじゃあ死んでも死にきれん、って顔だったぜ?」

 

「......」

 

「なぁにとぼけた顔してやがる。俺だってなァ、何の目的も覚悟も無ェガキ連れ回すほど物好きじゃねぇさ。何度も言ってるだろ?俺は生きてんのか死んでんのか分からねぇ奴が一番嫌いだってな」

 

 

 オッサンの言葉は決して嘘ではない。だって、そういう人間を彼は一切の躊躇なく殺してきたからだ。そして、生存の芽を摘まれた者も、同様に。

 

 ───意識がまだあり、泣き叫んで生きることを渇望する者も。

 ───喰われてもいいと訴える夫の目の前で、ガストレアになりかけている妻も。

 ───この世は終わりだと、自暴自棄になって人間を殺した者も。

 

 等しく、殺してきた。無慈悲に、機械的に。()()()()()()()()()()()()()()、この男は自ら外道の所業を買って出た。

 

 

 

「いいか、あの廃工場に居た時のお前には少なくとも、今の世の中を知りたいっつー理由があった。だが、それは俺とこのクソ溜めみてぇな地獄を駆けずり回るなかで自然と達成されちまった。で、その後は無意識に碌に燃えもしねぇ復讐の火を焚き続けてたって訳だ。動き続ける燃料としてな」

 

 

 無くなってしまった生存理由の代わりに、ガストレアへの恨みはあった。だが、それは心からのものでは無く、唐突に空いた大きな穴を埋めるための補填でしかなかった。

 本来なら、生きる理由というのは人間にとって不可欠で大切なものだ。にもかかわらず、このようなことになってしまったのは....偏に、大きすぎたからなのかもしれない。

 常に己の傍にあるものをいちいち確認などしないように、『生きる理由』などというあまりにも根本的な自身の構成要素は、再定義しようとする思考すら湧かないのだ。

 また、新たにすり替えられた理由が、現状を続けるのに全く疑問を抱かない内容だったことも大きな原因だろう。

 

 

「それに気づかせるにゃあ、一度心身ともにズタボロにされる必要があったのさ。でもねぇと、しっかり死ぬ理由探さねえだろ?で、死ぬ理由は生きる理由と表裏一体。お前さんはようやく()()まで辿り着けたって訳だ」

 

 

 回りくどいことを、と思う。オッサンは他人にすぐ答えを出すよう求めるから、正直なところ短気で非人情なのだろうなと高を括っていたが、思い返すとそれは死に直接繋がることばかりだった。

 案外、こういった人の本質や本音を見抜いたりして、それを本人に気付かせるなどという行為も、オッサンの分かりにくい優しさの表れなのかもしれない。

 

 

「さ、て。ここまで懇切丁寧に答え合わせをしてやったわけだが」

 

 

 オッサンは担いでいた長剣を動かし、俺の頭が置いてある真横の地面へ切っ先を落とす。

 ヤツの表情は依然としてそのまま、軽薄な笑みを形作っている。だが、地面に臥せった状態で見上げる俺には、この男がまるで死神であるかのように映った。

 次の瞬間、俺はこの男が次に何をするか、己に何を問うかを悟った。

 

 

「今度こそ生き続ける理由を失くしちまったテメェは、この後どうするのかねェ」

 

 

 そうだ。俺は死を覚悟したがために己の生と向き合い、そして肝心の部分が空っぽだった事実に気が付いた。

 これまで戦って来た理由は、はき違えた虚飾のものだったが、それでも歩くことはできたのだ。贋作を真作と最初に刷り込まれてしまえば、贋作こそが正規の造形なのだと思い込み、己の中では価値を維持できるように。

 だが、それもここまでだ。自身の中にあるものは贋作だと露見した。代わりを見繕わねば、俺は永遠に動けない。

 

 

(ハ、探したところでどうする?また殺されて、また人を目の前で喰われて、それを繰り返すっていうのか?)

 

 

 これからも生き続けるというのは、つまるところ悪夢を継続させるという狂った選択だ。俺がここに至るまでに見てきた光景であれば、常人なら死という結末に十分な希望と言い訳を見いだせるだろう。

 俺は確かに、他の人間と違って特別なのだと断言はできる。だが、この程度の特別では、あの怪物との間に開いた差を埋めるには全く足らない。何度コンティニューが出来ようと、初めから敗北が決定していては戦う意味がないのだ。

 

 

「返答無し、か。なら殺すぞ?おっと、声が出ねぇなんて言い訳すんなよ?本当に生きたいって思ってんなら、それくらいの逆境跳ね返せや」

 

 

 だが、何だろうか。この感覚は。

 後悔、か?今ここで死ぬと、絶対に後悔することになると、己の中にある何かが囁いている。

 否、駄目だ。そんな胡乱なものじゃ、この地獄を歩き続けることなどできはしない。

 

 ────オッサンが地面に刺した長剣の切っ先を持ち上げる。

 

 

「まぁ、ここで死んでおいた方が確実にいいぜ。実力のある無しもそうだがな、精神面での弱者も生きる資格はねぇ。この世で生き残れるのはなァ、残酷非道で奸黠(かんかつ)な、賊徒だけよ」

 

 

 生きる理由がなければ、生きられない。目標が無ければ、目的にはたどり着けない。戦う理由が無いから、戦えない。無力だから、抗えない。

 違う。何が違うか?まず前提からだ。何かを成すためには犠牲が必要ではあるが、身の丈に合わない結果を手に入れようと遮二無二吶喊したところで、返ってくるのは無謀な行動を起こした自分と、期待をした周囲への報復だ。

 

 俺はガストレアとは戦えない。強くないから。俺は誰かを守れない。強くないから。

 

 では、問おう。弱者である俺は、どうすればこの身に余る望みを叶えることができるのか?

 

 ────長剣の切っ先が上を向く。

 

 

「じゃあな、樹万」

 

 

 斃せぬ敵が居るのなら、斃せるまでに強く成ればいい。

 守れぬ人が居るのなら、守れるまでに強く成ればいい。

 

 そうだ。この地獄でも心折らぬ、絶対的な強者と成ればいい。

 

 

「────!?」

 

「俺は、強く成る。教えてくれ、オッサン。どうすればできるんだ」

 

 

 

 俺はオッサンの振り下ろした長剣を片手で掴み、その顔を下方から視線で射抜く。見上げた彼の顔は始めて見る驚愕に染まっていたが、今はそんなことなどどうでもいい。

 やがてオッサンは剣を俺の手から引き、地面に思い切り突き刺すと、顔を覆って笑い始める。それは耳にタコといわんばかりの頻度でよく聞く呆れまじりのものではなく、純粋な『喜』から生まれたもの。

 

 

「あーあ。止せばいいのに、()()()()に来ちまったか!あぁでも、今のお前なら恐らく、出来るだろうな!」

 

 

「....何を、言ってんだ?」

 

 

「あぁ、つまるところ合格ってこった。いいじゃねぇの、『強く成るために生きる』。同じ男としてソンケ―する目標だねェ」

 

 

 ソンケー(尊敬)してるとは到底思えないヘラヘラした口調だが、彼の纏っていた死神の雰囲気は嘘のように霧散している。どうやら、少なくとも『合格』というのは本当のことらしい。

 俺は通常なら一時間以上は掛かる筈の重傷を数分で完治させた異常事態をも忘れ、思わず前のめりになって偽物神父に問いかける。

 

 

「じゃあ、俺を強くしてくれるのか?」

 

「いいぜ、テメェが諦めない限り幾らでも強くしてやるよ。だがなァ、ガストレアに殺されるより何倍も辛いぜ。それでもやるか?」

 

「....望むところだ」

 

 

 俺は周囲に倒れ伏す無辜の人々を見下ろしてから、決意を新たに、そう答えた。

 

 

 

 

 

          ****

 

 

 

「────!」

 

 グン、と意識が急激に現世へ浮上し、勢いそのまま跳び起きる。その動作で腹部と背中に激痛。状態を確認しようと動かした右腕も付け根が激痛を訴え、であればと首を動かして傷の程度だけでも視ようとしたら激痛が迸った。

 全身痛む箇所だらけで軽く絶望した俺は、ゆっくりと刺激しないように再び上体を横たえることにした。どうやら、動かさなければ痛むことはないらしい。

 そうして幾分か思考に余裕ができたところで、俺は脳内に展開された複数の行動選択の中から、周囲を気にするという選択肢(カード)を選び取ることにした。

 

 ....さて、ここは何処だろうか?

 

 己はベッドに寝かされていたらしく、何故か装いは病人服となっており、周りを半透明なビニールらしき物で隔離されていた。そのせいか、ここからでは外の様子は判然としない。

 ただ、断言できるのは己の身体が執拗なまでに痛めつけられたということだ。

 

 

「....この感じ、()()してるな」

 

 

 身体の内側から水が湧き出るような不快感。今では慣れたものだが、当初は身体の再生の折に何度も吐いてしまった。これのお蔭で、あのエセ神父から暫くゲロ吐き小僧の呼称が消えなかったのだ。

 ...とにかく、嫌な過去の記憶ばかりに浸るのを止め、今度はこれまでのことを顧みようと、霞がかった脳みそに指令を飛ばすことにした。すると、こんなことも忘れるんなら、いっそ人間止めれば?とでも言いたげな速度で、今までの事が芋づる式に脳内で展開された。

 

 

「こ、こりゃ....やべぇ!」

 

「何がだい?」

 

「何がってそりゃ....うおぁっ!」

 

 

 立ち上がろうとベッドに手を着き、身体の重心を移動させようかというその時を見計らうかのようにして、右横から穏やかでいて、どこか生気の抜けた声が聞こえた。驚いてひっくり返りそうになるが、そんなことをしようものなら全身が激痛に見舞われるので、必死に耐える。

 ────やはり、眼前で笑う明らか不健康そうなこの女性は、

 

 

「やぁ、久し振りだね美ヶ月樹万くん。壮健そうで何よりだ」

 

 

「この状態でそう見えるんなら、医者辞めた方が良いですよ」

 

「おや、北極圏の海水でもぶっかけられたかのような元気のいい飛び起きっぷりだったじゃないか。それに、私の本職は医者ではないぞ?」

 

 

 最初から見てたのかよ...と非難まじりの呟きを飛ばすが、本人はどこ吹く風で計器の操作を始めている。まぁ、お互い浅い付き合いの人間ではないから、多少の痴態を晒したところでどうという事でもないが。

 

 

「で、一つ聞きたいんですけど。俺を助けてくれたのは貴女ですか?室戸菫ドクター」

 

「ん....まぁ半分正解かな」

 

「え?半分ってどういう」

 

研究室(ココ)の扉の前に血塗れで転がっていてね。邪魔くさいから持ってきて適当に治療しただけさ。というかね、よく考えたまえよ。この私が、君の死体を回収するためだけに外出すると思うかい?」

 

 

 咄嗟に否定できない所が流石ではあるが、では一体何処の誰がドクターの研究室まで俺を運んで来てくれたのだろうか。

 そんな俺の疑問を予期していたらしく、彼女は赤い手紙のようなものを羽織る白衣のポケットから取り出し、こちらへ手渡してきた。気になるだろうに、ご丁寧に開封は一度もされてなく、「こういう当たり前な常識を、私生活にも持ってきて欲しいな」という愚痴を零しながら封を切る。そして、中身を見た瞬間に思わず目を見開いた。

 

 

「....!ま、マジかよ。アイツら」

 

「ほう。君の反応を見る分だと、相当借りを作りたくない人物に助けて貰ったと思える」

 

「ええまぁ、概ねその通りです」

 

 

口元を引き攣らせながら眺める紙には、こう書かれていた。

 

 

『ウチの娘が、終始寝首を掻こうか迷っていたよ?』

 

 

 脳裏に笑顔を象る白貌の面を被った奇怪な男と、壊れた笑みを浮かべる少女の姿が浮かび上がり、俄かに背筋へ冷たいものが走る。この借りは早めに返しておかねば、精神衛生上大変よろしくない。

 俺は紙を畳んでから溜息を漏らすと、上げた視線の先で、『君はよくよく殺されながらにして次の殺される要因を連れてくる器用な男だからねぇ』などと呟きつつ、肩を竦めながら立ち上がるドクターが目に入った。 

 

 

「あの....」

 

「ああ、やりたい事があるのは分かるさ。それの重要性を承知した上で、私はこう忠告しよう。今の君は絶対安静だ」

 

「っ....はあぁ、ドクターにはなんでもお見通しですね」

 

「ハハハ、私はそんなに万能じゃない。ただ、常人より少し察しが良い程度のマッドサイエンティストなだけだ」

 

 

 ドクターは色白の肌を歪めて笑うと、おもむろに上を指さした。釣られて視線を向けてしまったが、そこにはビニールらしき物の透明な壁面が微かに揺れているのみだ。

 訝しむ俺を見て答えが出そうにない事を悟ったか、ドクターは正解を口にした。

 

 

「ここは簡易性の無菌室だ。大方の再生が終わったら出てくれよ?結構場所取ってるんだからな」

 

「こういう場面で金銭面を気にしないのは、やっぱりドクターらしいですね」

 

「皮肉として受け取っておこう」

 

 

 彼女は気にした風もなくそう言い放つと、最後に事情を後で説明するよう付け加えてから、緩慢な足取りで無菌室を出て行った。

 ────何だか、どっと疲れが出て来たな。

 

 

「やっぱり、中途半端な状態でステージⅣとまともにやりあうのは辛かったかぁ....」

 

 

 ベッドへ四肢を投げ出し、既に慣れ切ったはずの鈍い痛みをトリガーとして、錠前の掛かった過去の棚を開け放つ。

 

 ────かつて英雄と持て囃され、ステージⅤ(ゾディアック)ガストレアをも討滅した俺は、もういない。

 

 戦うことでしか己を証明できなかった俺は、エセ神父から平和学習という名の下で東京エリアに缶詰めとなった。....それにしても、ここ以外に札幌、仙台、大阪、博多と日本には四つのエリアがあるのだが、何故東京なのかは未だに不明だ。

 

 

「....最初は、ここで笑っている人間全てが悪人に見えたもんだ」

 

 

 モノリスの内側で暮らす平和を知った者達は、まるであの日々の惨劇を忘れてしまったかのように、のうのうと生きていた。

 俺はそれが腹立たしく、同時に理解できず、思わず道行く一人の男性の胸倉を掴み上げ、ガストレアへの恐怖、憎悪を何処にやってしまったのかを聞いたのだ。すると、男は逆に俺の胸倉を掴み返しながらこう言った。

 

 

『そんなものをいつまでも燻らせていたら周りが見えないだろう!?俺も、この世界も、あの時から少しづつ変わって行ってるんだ!───もう、憎しみと怒りだけで生きる世じゃなくなったんだよ!』

 

 

 衆目に晒さることも構わずにそう怒鳴った男は、しかし大きく息を吐いた後に『変わる自分と周囲を認め、そして受け入れろ。でないと精神がもたんぞ』と打って変わって諭すように呟くと、微笑を湛え俺の頭を小突いてから立ち去った。

 

 後から知ったのだが、あの男性はガストレア戦争時に前線で指揮を執り、多くの人間を救い、または殺した陸軍大佐であった。

 当時は、きっと俺以上にこの世に絶望し、希望を見失っていたのだろう。『人の世にあらざる地獄』を見た者特有の、煤けた灰色を瞳の奥に湛えていたのが何よりの証拠だ。....あるいは、彼も俺の目を見てそれを悟っていたのかもしれない。

 

 だからか、いつまでも周りの人間に対し怒りをぶつけていた己が馬鹿らしくて、惨めで仕方なく思えた。

 

 

「....ま、色々変えようと頑張ったけど、戦争時代は毎日のようにガストレアを惨殺してたんだからなぁ」

 

 

 そんな俺でも、確かに変化はあった。

 

 食生活は酷く、毎日生きて行ける最低限のモノを口にするだけだった。

 人との交流を過剰に避け、外出を全くしなかった。

 時折未踏査領域へ踏み入って、狂ったようにガストレアの死体を積み上げ、翌日のトップニュースを飾ったこともあった。

 

 

「でも、飛那と会ってから、あっというまに何もかも変わった」

 

 

 彼女と出会えたからこそ、今の自分はある。

 殺し、殺されることが日常となってしまった壊れた俺に、安息をもたらした少女。

 

 

「アイツ───生きてるよな」

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

「『東京エリア内プロモーター連続傷害事件容疑者、高島飛那捕縛依頼』....か」

 

 

 先ほど印刷した紙の上部には、そう大きく書かれていた。そして、その一番下の詳細へ目を落とすと....

 

 

『抵抗による実害を被った時点で、已むを得ない殺害を認める。尚、個人的な理由、第三者の介入や意見、その他違反とみられる意図や行動を含んだ殺害、傷害に及んだ場合は、厳重処罰の対象となる』

 

 

 一連の件に目を通した後、私は思い切り舌打ちをしながら紙を破り捨てた。こんな真っ当な約款を並べ立てるくらいなら、初めから真っ当な組織や人物に依頼して然るべきだろうに。何故、そんな地位とは縁遠い愚物ばかりをクライアントとして優先しているのか。

 

 

「ハ、大方は一度手を汚した輩であれば、さっさと事を収めてくれるとでも思っているのだろうな。尤も、解決法としては最低の部類だが」

 

 

 無糖のコーヒーを口にしながら、手に付いている紙屑をゴミ箱へ落としていく。次に、カップをデスクへ置いてからマウスを操作し、PCのブラウザを閉じる。そして新たに画面へ写し出したのは、IISO....国際イニシエーター監督機構という、世界中の民警ペアが登録されているデータベースから引っ張って来た、高島飛那のプロフィールだ。

 

 

「何でこう、無気力だったり不幸顔だったりな男にばかり、可愛いイニシエーターが食いつくのかねぇ。....全く、世の不条理だよ」

 

 

 ブツクサと、声に出したところで現実など変わりはしない文句を垂れながらカチカチと画像を下にスクロールし、プロモーター情報へと行き着く。

 

 ────が、目的の箇所は虫に喰われたかのように空白となっていた。

 

 そして、更にその下へ移動すると。

 

 

「ふむ....これは、樹万くんに伝えるか否か。どちらがいいのかねぇ」

 

 

 椅子に深く腰掛け、響く金属音の悲鳴を聞きながらコーヒーをもう一度口元へ運ぶ。

 ────届けられた苦味は、何故か最初より色濃く刻み込まれた。

 

 




 次回、れんたろーとオリ主が対面します。(予定)

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