伝えるとは白い思考に音を乗せる事
右を向けば湯船に浮かぶ島が2つ。
左を向けば湯船に浮かぶ山が2つ。
「…………………理不尽だわ」
「何が?」
矢澤にこの呟きに右隣にいる絢瀬絵里が首を傾げる。温まって紅潮している頬も相まって可愛らしく見えてきて、「何でもない」と払ってぶくぶくと鼻下まで沈んでぶくぶくと泡立て始める。
それを見た東條希が、にやぁと笑みを浮かべた。
「はっはーん。まぁにこっちはまな板だから仕方ないやんねー」
「誰がまな板よ!?」
「にこっちはまな板の凄さをわかってない!」
「喧しいわよ!」
ばしゃっ、と水しぶきを立てながら反論をすると、くわっと希も反論してくる。
「2人とも、お風呂では騒がないの」
ヒートアップしそうになったところで、絵里に咎められた2人はしゅんとなって再び湯船に浸かった。
ちらり、と絵里と見やる。湯船から出ている肩口にお湯を掛ける仕草は艶めかしく、同性であっても見惚れるほどに美しかった。肌は白く、きっちりと瑞々しい色合いに同性からも黄色い声が上がるのも頷けよう。
次に希を見やる。μ's随一のバストサイズを誇る胸は、やはりというべきか湯船に入っていてもその存在感は圧倒的で、にこの視線を釘づけにするには充分だった。
どちらも立派な胸部装甲であり、にこが到底勝てそうにはなかった。
つい、自分の胸を触ってみる。プロフィールをネット上に記載する為に3サイズを公開するオリに衝撃だったのが、まさか星空凛よりもぺったんこだった事だ。
「………こんなんじゃ…………」
あの男を振り向かせるなんて、到底不可能だ。
ぎりっ、と無意識に歯を食いしばっていた。
その音が聞こえたのか、不意に希が軽く頬に触れてきた。
「……………何よ?」
「カイトの事、考えてるん?」
ずきっ、と胸の奥が跳ね上がるのと同時に痛みが走った。しかし、動揺が隠し切れずに目を見開いてしまい、やっぱりといった感じで希が肩を竦める。
「……………何でそう思うのよ」
「ウチも同じだから」
そう区切って、希ははっきりと告げた。
「ウチは………私は、カイトの事が好きだから」
ばっしゃん! と大きな水しぶきが上がる。
見るとわなわなと口を震わせ、涙目になりつつも顔を真っ赤にさせた絵里が動揺と驚愕が入り混じった表情でこちらを見ていた。
「のっ、のののの希!? あ、貴女ななな何を言って…………」
「いや、何って………エリチだって同じやん?」
けろっと告げてから、次ににこを見やって来た。
「にこっちもでしょ」
「っ!? なっ、ばっ…………!」
ぼんっ、と顔が赤くなる。羞恥ではなく、言い当てられた事による図星の為だ。
にこは、薄々とその感情には気付いていた。自身のあの男への想いも。
そして、希と絵里も、同じ思いを抱いている事も。
何も言えなくなり、唸っているとにこは観念したように湯船へと沈んだ。
「……………あぁ、もう。そうよ、アンタらと一緒よ」
半ば投げやりのような形ではあるが、暴露されてしまい反論出来ない以上、認めざる得ない。
にこは、九紋カイトが好きだ。
いつからか、と問われれば明確に好意を自覚し始めたのはおそらく妹達が事件に巻き込まれ、カイトに助けられた時からだろう。この程度で落ちるのはちょろい、とは自分でも思うが、その反面アイドルは恋愛禁止を率先して宣言している以上、認める訳にはいかなかった。
けれども、この溢れ出そうとしてくる想いには、嘘はつけなかった。
「う、嘘………希も、にこも同じだったなんて…………!」
「いや、なんで絵里はそんな愕然としてるのよ?」
絵里も希も、カイトが好きである事は日々の仕草や視線から何となく察していた。希がにこを言い当てたのだから、絵里も同様と思っていたが違ったらしい。
「だ、だって…………! みんながみんな、カイトを好きって事は取り合いになって骨肉の争いに……………!」
「アンタそれどんなドラマ観て得た情報よ…………」
呆れたように肩を竦めて、にこは苦笑と共に思った。
ここにいる3人はカイトが好きで、それはもうどうしようのないくらい変えられない強い願望で、想いだとして。
仮に。
仮に3人がそれぞれ、たとえ望みが薄くても想いを告げたとしたら。
もしも。
もしも、絵里の言う通り、カイトを取り合うような形になったとしても。
きっと。
きっと、カイトが3人のうちの誰かを選んだとしても。
そして。
そして、誰を選ばなかったとしても。
にこは誰かを憎んだり、怒ったりはしないと確信出来た。
「……………告白、するの?」
「んー、どうだろ」
にこの問いかけに希は曖昧な返事をする。悪戯な意味合いえはなく、本気であぐねいているようだ。
「今はそんな事言ってる場合じゃないしね………」
「………………明日、死んじゃうかもしれないのにいいの?」
ちゃぽん、と水を弾ける音だけが響いた。
西木野真姫の提案で、この地獄を切り抜ける為の希望は見出せた。上手くいけば元の日常に、平和な神田の街へと戻る事が出来る。
しかし、その可能性は著しく低い。
あの時、あの場所では誰も言わなかったが、にこ達が今回の作戦の肝となるという事は、当然戦場へ行く事になる。
それはつまり、死ぬかもしれないという事だ。
無力だった自分達が力になれる。その事に嬉しさがある。カイト達の力になれる事に、喜びを感じているのは嘘ではない。真姫の提案に否定の気持ちはない。
けれども。
それでも、死ぬかもしれないという不安は払拭する事は出来ない。
にこ達はただの女子高生だ。アーマードライダー達がすぐ近くにいて、アイドル狩りという事件が起きているからこそ、空気を感じる事はあれど戦場に立った事などなかった。
巻き込まれただけで、絵里は恐怖を感じて身を竦めてしまった。あれは一瞬の出来事であり、すぐカイトが助けてくれたからこそ何ともなかったが、今回はそうはいかない。
戦場に飛び込めば、その空気を常時感じる事になる。
にこはこの島に来て、命の危機にさらされた。インベスに襲われそうになって、本当にこれでダメなのかもしれないとも思った。
奇蹟的に助かった、と言っていいだろう。あの時、アネモネを追った先でアーマードライダー斬月が駆けつけてくれていなければ、本当に死んでいたのだから。
絵里も希も、戦場に向かうという事はわかっている。
その上で、にこは問い掛ける。
「死ぬかもしれない。起きてないけど、それでも想いを告げるのなら…………」
「にこっち」
希はにこの言葉を遮るようにはにかんだ。
「ウチらは大丈夫。ちゃんと神田に戻れるよ」
「……………どうして言い切れるのよ? またいつものカード?」
希のタロットカード占いを得意としており、様々な事を見据えて言い当てたりしている。予感というものはよく当たるもので、本人の口癖でもあるスピリチュアルという摩訶不思議なパワーを体現しているような少女だ。
そんな摩訶不思議少女は笑みを浮かべた。
「ウチの勘や」
「…………あぁ、それはこれ以上にないくらい安心ね」
本気なのかふざけているのか、わからりにくい言葉ににこは軽い口調で答える。
さて、少し長湯してしまい少し眩暈を感じてきたので、にこは立ち上がった。
「そろそろ出ましょうか」
「そうやね。エリチも…………って!」
希の驚愕の言葉に目を向けると、湯船の淵に身体を預けて目を回している絵里の姿があった。
「きゅぅぅぅ…………」
「え、エリチィィィィィィッ!!」
「この賢くない姿がカイトにはぐっとくるのかしらね………」
そうぼやきながら絵里を助ける為に、涙目になって慌てている希のフォローをすべくにこは2人へと歩み寄った。
カーテンが夜風に煽られて揺れる。
電気もつけず、窓から差し込む月明かりだけが照らす部屋で高坂穂乃果は眠ったままの葛葉コウタの顔を見つめて、息をついた。
穂乃果達を守る為に戦い、後ろからの攻撃で昏倒してしまったコウタは一向に目覚める気配はない。同じように意識を失った者は目覚めたというのに、コウタとカイトだけが起きないのが心細く感じられた。
そっと、目にかかりそうな前髪をどけて目を細める。
「…………こうして見ると、本当にただの高校生なのになぁ」
どこか幼さを感じられる寝顔は、授業中でもよく目にしていたものだ。毎回のようにコウタが居眠りをしてしまい、親友に小言を言われるのがパターンとなっている。さらに最近ではその寝顔を見たいが為に、穂乃果はあまり居眠りをしなくなった。
コウタが訪れてから、本当に様々な事が変わったと思う。
その変化を与えてくれたこの少年は、眠っていればまだあどけなさが残っているのに、戦場を走りインベスと戦うアーマードライダーとしての顔も持っている。
同じくらいの少年なのに、戦いに身を置いている。いつもそれを感じているはずなのに、この寝顔を見る度にそれが夢や物語のような感じを覚えて、穂乃果は不思議な気持ちになった。
けれども、わかっている。そう思ってもコウタは戦いに身を置くアーマードライダーであり、そのおかげで穂乃果達やたくさんの人々が守られているのも確かなのだ。
「コウタ君、今度は私達が………私が助ける番だよ…………」
穂乃果達の歌声で、この戦いを終わらせる事が出来るかもしれない。そう聞いた瞬間、穂乃果の胸奥で強い何かが燃焼するかのように燃え上がった。
熱く、激しく、何かを突き動かす衝動に、穂乃果は抗う気など吹き飛ばして強くそれに従いたいという欲求が生まれたのだ。
「穂乃果…………?」
ふと、顔を上げると部屋の入口で親友の園田海未が怪訝そうな顔をして覗いていた。
各自、明日に備えて休むように言われたが眠れず、海未と南ことりとで談笑をしていたのだが、用を足したくなって部屋を出てから戻る途中でふと気になったのでコウタの元へ寄ったのだ。
「帰りが遅いので気になりました。まぁ、やっぱりここですよね」
「ごめん………コウタ君の事が気になっちゃって…………」
同じように歩み寄って海未は、口元を緩めるとコウタの頭を優しく撫でる。
「…………本当。いつも無茶をして」
「そうだね」
コウタを見つめる海未の眼差しは、まるでやんちゃな弟を見守る姉のような優しいものだった。
コウタはいつも無茶をする。戦いだけではなくその他でも、穂乃果はそれほどではないがよく海未をはらはらさせたりしているらしく、ここ最近では小言の矢先はコウタに向きつつある。
ふと、ある事に気付く。
海未のその眼差しに他の異なったものが混じっているのだ。
それは穂乃果と同じだと気付くのにかかった時間は一瞬で、思わず口を開いた。
「海未ちゃんも、コウタ君が好きなんだね」
「っ!?」
愕然とした表情で海未がこちらを見てくるが、真っ直ぐ見つめ返すと何かを悟ったように息を吐いて頷いた。
「えぇ………この奔放さや見ててハラハラしたり、まだ短い時間しか一緒にいませんが………コウタは、惹きつけるには十分すぎる魅力を持っています」
「うん、私も一緒」
海未とは母親のお腹にいる時から幼馴染なのだ。ずっと一緒にいたとはいえ、まさか男の人を好きになるのも一緒になるとは思わず笑みが零れる。
「海未ちゃん、私決めたよ」
「何がです?」
「……………この戦いが終わって神田に戻ったら、コウタ君に告白する」
突然の宣言に海未が驚く。
唐突かもしれない。もしかしたら、海未も好きだと知って焦っているのかもしれない。
しかし、この戦いの空気に僅かに触れて思ったのだ。当たり前だが、今日という日は今しかない。悔やんだ時点でそれは過去の事となり、後戻りは出来ない昔の話しになってしまう。
後悔したくない。スクールアイドルをやっている事を、どれだけコウタ君達が戦う目にあったとしても諦めたくないように。
一緒に戦場を走る事になっても、後悔だけはしたくないから。
「そう、ですか」
「うん、たった今だけど決めた」
だから、と前置きをして穂乃果は海未の手を握った。
「海未ちゃんも、一緒に告白しよ?」
「わ、私もですか!?」
狼狽した海未は穂乃果の手を払うと、顔を赤くさせながら少し後ずさる。
「わ、私には無理です!」
「恥ずかしがっちゃいけないよ! だって、もしかしたら明日は来ないかもしれないんだよ!?」
海未の両肩を掴んで、強く言い放つ。
誰も言わなかった事ではあるが、明日の作戦が上手くいくとは限らない。最悪、穂乃果達は無事に神田に戻れない可能性もあるのだ。戦場に足を踏み入れる、という事は馬鹿な穂乃果でもわかる明確な結末を提示している。
本当なら、今ここでコウタを叩き起こして告白して明日の臨みたいのだが、そういう訳にはいかない。
だから、全てが無事に終わったら告げる。それが穂乃果の決めた事だった。
「だから、海未ちゃんも勇気出そう!」
「穂乃果…………」
海未にも後悔して欲しくないからこそ、穂乃果は強く言う。何もしないまま過ぎ去って欲しくないから。
しばらかく恥ずかしがっていた海未は、突然くすりと笑みを浮かべた。
「本当に………穂乃果は私を知らないステージへ連れて行ってくれるんですね」
「海未ちゃん…………」
そっと肩を掴んでいた手を放し、優しく握り返してくれた。
「そのためにも、明日は全力でライブをしましょう。この島の人々のためにも」
「海未ちゃん…………うん!」
明日への活力を向ける親友に、穂乃果は強く頷く。
まずは明日を切り抜ける。でなければコウタに想いを告げる事も、大好きなパンを食べる事も、夢の続きを走る事も出来ないのだ。
だから、明日を懸命に生きる。
親友と未来の自分に誓い、穂乃果は海未の手を握り返した。
部屋の入口の傍で、少女が背を預けながら全てを聞いていた。
ずきり、と胸奥が痛むのを無視して、彼女はその場を後にした。
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呉島ミツザネは大浴場には入らず、シャワーで軽く汗を流してから部屋のベランダから外の景色を眺めていた。
夜風が吹き抜ける度に心地よい気分になるが、それも遠く離れた所で目につくオレンジ色に光を目にするたびに吹き飛んだ。
輝くオレンジ色の光は、暴走したインベス達が引き起こしている爆炎だ。
それを目にするたびに、ミツザネの喉奥が焼けたように痛みが走る。
操られていたり、自我がなかったとはいえあの炎を広げる事に参加していた。それが酷くミツザネに罪の意識を植え付けてくるのだ。
「……………っ」
「ミッチ」
呼ばれて振り向くと、そこには真姫がいた。一昨日、昨日と同じパジャマ姿は連続で目にしているはずなのに、今日という日が濃密過ぎたからか酷く新鮮に見えた。
「大丈夫?」
「えぇ、とりあえずは…………」
気遣う真姫に答えて、ミツザネはベランダの柵に乗せていたコーヒーカップに口を付ける。
「…………まさか、真姫さんがあんな事を言い出すなんて思いませんでした」
真姫が自分達にこの事件を解決出来るかもしれない、と言い出した時、そんな馬鹿なと思った。真姫達はスクールアイドルであり、ただの女子高生だ。ミツザネ達のようにアーマードライダーとして戦える訳ではない。
しかし、話しを聞いて、本当にどうにかなるかもしれない、と思えた。というより、他に手立てがないのでそれに縋るしかないというのが正しい。
その事を指摘すると、真姫は少し不安そうな色を瞳に滲ませながら、ミツザネの隣に立つ。
「正直、本当に進めていいのか、不安がない訳じゃないわ。穴だらけだしね」
「プロフェッサーも言ってましたけど、現状で打てる手の中では一番マシなものだと僕も思います。明日は僕が真姫さん達を護ります、とは言えないけど………」
ミツザネの中ではアネモネは他の誰にも譲る気はない。アネモネを止めるのは自分でなければ、という使命感が強く燃え上がっていた。
「ミッチは……アネモネを止められたとして、どうするつもり……………?」
「……………嫌な質問ですね」
わかってて真姫もしているのだろう。
アネモネはもはや重罪人だ。仮に殺さずに止める事が出来たとしても、もうミツザネ達と同じ陽の下を歩ける事はないだろう。よしんば出来たとしても、それは果たして何年先になる事やら。
それだけの事を彼女はしてしまった。そして、今からそれ以上の事をしようとしている。
だから、その質問に対してミツザネはこう答えた。
「待ちますよ。それでも………操られただとしても、解き放たれた今でも目を閉じればアネモネさんの笑顔が消えない。それはもしかしたら、僕を陥れる為の偽りの笑顔なのかもしれない。だけど、だったらなおの事、本当の笑顔が見たいんです」
そう言い切れるほどに、ミツザネの中に強くアネモネという少女の存在は植え付けられている。μ'sの誰よりも、強く、苛烈に。
だから、例え何年経とうとも待つ。一緒に背かいを歩けるその日まで。
「そっか…………」
そう呟いて、真姫は身を翻してベランダに背中を預けて夜空を見上げてぽつりと。
「じゃあ、私なんかが入り込む余地なんてないわね……………」
「…………………ごめんなさい」
小さく、聞かれないように呟いた言葉は、生憎とミツザネには聞こえてしまった。
謝った事に、真姫が驚きの目を向けてくる。
真姫が自分へ向けていた想い事を、ミツザネは自覚していた。これでも昔から社会の闇というものを少なからず垣間見てきたのだから、顔色から感情を読み取るのは得意だった。
これほどまでに得意である事を後悔した事はないが、それに文句を口にした所で意味はない。
だから、ミツザネには謝る事しか出来なかった。
「………………ごめん」
「なんだ、ミッチは気付いてたんだ。私なんて、昨日自覚したばっかりなのに」
そう言って俯いて、しばらく無言になってしまう。
漣の音が響き、それだけが世界を包み込む。
「………………帰ってきなさい」
ぽつり、と真姫が漏らす。
その意味を理解出来ないほど、ミツザネも盲目している訳ではない。
「アネモネも一緒でいいから、絶対に帰ってきて。私の元に………ううん、μ'sの所に…………」
「もちろんですよ。僕はこんな所で、反逆者の名前を歴史に刻む気は毛頭ありませんから」
アネモネと心中する気などさらさらない。
μ'sの未来をまだ見届けていない身で、消える気などなかった。
ミツザネが言うと、安心したのか真姫は顔を上げて笑みを浮かべる。しかし、その笑みにどこか消え入りそうな儚い雰囲気を感じ、つい凝らす様に見つめてしまう。
「……………何?」
「いえ」
女性をまじまじと見つめるのは失礼だ。ミツザネは謝ってからベランダ柵から背中を離すと、空になったカップを下の台所に戻そうと一歩踏み出した。
「ミッチ」
「なんで……………」
すか、という言葉は続かなかった。
呼ばれて振り返った瞬間、目の前に迫っていた真姫の顔を反射的に避ける事も出来なかったのだから。
触れ合ったのは刹那で、茫然としている隙に真姫はミツザネよりも先に部屋の方へと行ってしまった。
「…………私なりのけじめよ」
「えっ……………」
聞き返そうとする前に、真姫は部屋を出て行ってしまう。
残されたミツザネは伸ばしかけた手を宛てもなく彷徨わせ、口元に触れる。
本当に一瞬の出来事だったが、何をされたかはちゃんと理解している。
言葉通りのけじめ、なのだろう。
しかし、どうも真姫らしくないという疑問が浮かぶも、それを口にする事はなかった。
使っていたシャンプーの香りなのか、薔薇の匂いが部屋に微かに残ったがそれも吹き込んできた夜風が吹き飛ばしてしまう。
まるで、真姫の想いと一緒に儚く消えるかのように。
「にゃっにゃっにゃー!」
濃厚な1日を過ごしたというのに、元気いっぱいに浜辺を走る星空凛に啼臥アキトは呆れつつも逸れないように後を付いていった。
というか、聞いた話しでは先ほどこの場所でインベスに襲われたというのに、何故再びここに来ようと思えるのか。
「アキトー!」
嬉しそうにぶんぶんと手を振って呼んでくる凛に、アキトは判目になりながら言う。
「お前、今日死ぬほど疲れてんじゃねーのかよ」
「うん! 疲れてるよ!」
「満面の笑顔で言う事じゃねぇ」
こちらは意識不明からチートアイテムを使ってようやく蘇生したような死に体なのだ。そこの所を考慮してほしいものだが、そこを考慮出来るようになったら凛じゃなくなる気がして、言うのはやめた。
ばしゃばしゃ、と海辺を走っていた凛は、やがてこちらへと駆けてくると腕に抱き付いて来る。
「やけにひっついて来るな」
「うん、凛わかったから!」
何が、と口にする前にくるりとアキトの周囲を踊る様に回り、目の前にきた凛は前屈になりながらも上目遣いで見上げてくる。
「アキトが倒れたって知って。凛ね、頭が真っ白になった。世界が終わっちゃったんじゃないか、って思うくらい…………ううん、本当に終わったんだと思う」
「んな大げさな…………」
「大げさじゃないよ! 凛にとっては本当だったんだから」
真っ直ぐ身体を起こして、凛は見上げてくる。まるでご主人としばらく会っていなかった猫のようなしゅんとした表情に、アキトは心の奥底で何かが干上がるのを感じた。
「だから、こうしてまたアキトといられる時間ってすっごい大切なんだ、ってわかったんだ。時間が限られているなら、素直にならなきゃ損するなって」
—————当たり前だと思っていたものが当たり前じゃなくて、特別なものだって知ったら………今がとても大切に思えて…………
瞬間、脳裏のあの夜の言葉が過る。
あの時は、凛は酔っていた。酔っていたからこそ、不用意にその心の音を吐露しようとした。
しかし、今はそれはないはずだ。その心の音に繋がる物を、あの夜にアキトが奪ったのだから。
もう、凛の中には何もないはず。
だから、偶然だ。
同じような言葉を口にするのも、凛の中にあるセンチメンタルな部分が詩人のような表現をさせているだけに過ぎない。
「だから、凛は素直になる事にしたの」
「……………いつも素直じゃんか。1にラーメンに2にかよちん、3、4ラーメン続いて5に猫だ」
「ううん、1つ抜けてるよ」
わざとらしく茶化した口調で告げてみるも、凛は微笑みから顔を変えない。何かを悟ったような優しい眼差しに耐えきれず、さり気なく顔を逸らす。
すると、凛は両頬に手を添えてくると、ほぼ強引に顔を引き戻した。
「なんで目を逸らしたの」
「………逸らしてない」
「アキト、凛ね」
両手を頬に添えたままで、まるで慈しむように優しく撫でてくる。
その仕草は明確にアキトの嫌な未来へ突き進んでいる事を証明しており、嫌悪感が吹き上がった。
嫌なはずがない。凛が優しく触れてくれる事が、嫌なはずがない。
しかし、もう凛には優しくするような想いは残っているはずないのだ。アキトが奪ったのだから。
なのに、その想いが溢れている。奪ったはずのものが、たった2日という短い期間で再び生まれたというのか。
「…………馬鹿な」
アキトの独白は凛には聞こえない。
ただ、あの時と同じように熱に浮かされ、こちらの気など知らずに言葉を並べる。
「凛、ずっと………ずっと……………!」
咄嗟に、凛の口に手を押し付けて言葉を遮った。
あの時のように、想いが現実にならないように。同時に、やはり再び凛の中に想いが生まれているという事を確信し、アキトは瞳を震わせる。
「…………むぐっ。何するの!?」
「吊り橋効果ってやつだ。お前は…………」
「そんな事ない!」
アキトの腕を振り払い、凛は慟哭を上げる。
「どうして!? どうして言わせてくれないの!?」
瞳を大きく震わせ、悲しみを滲ませる。
そんな凛の顔を見たい、などと愉悦に満ちた外道の思考を持っている訳ではない。
ちゃんとした理由があるのだ。その想いを受け取ってはならない、という理由が。
過去の清算や罪の意識からなどではなく、ちゃんとした理由が。もちろんそれは話せるものではなく、誰にも話せない明かしてはならないものが。
それが凛をこんな顔にさせてしまっている。それがとても歯痒くて、苦しくて。
自らが望んだ事に違いはない。違いはないが、後悔がないという事になりはしない。
怒りをぶちまけたい気分になる時もある。しかし、そういう時は決まってはぐらかしたり飄々としたりして、それを防いできた。
今はそれが出来ない。
「…………明日、凛達………死ぬかもしれないんだよ…………」
明日、この島だけならず、世界の未来も委ねられているかもしれない戦いが始まる。そのカギを握るのは凛達、スクールアイドルμ'sだ。
それは今までのような遠巻きで、常に守られていた神田とは違う。
絞り出すように呟き、俯いた凛が肩を振るわせて雫が浜辺の砂に吸い込まれて消えていく。
今という瞬間は、言葉通り今しかない。それは当たり前の事だが、誰しもがそれを忘れている。
明日がある。
明日には明日の風が吹く。
何故なら、誰もが明日は必ず来るものだとわかっている事だからだ。
しかし、今この島にいる者達に明日が来るとは限らないのだ。
だから、後悔したくないと思えば、誰だってその想いを吐露したくなる。それが出来てしまう。
「凛……………」
凛がアキトの服を握り締めて頭を胸元へ押し付けてくる。それに応じるように、握る拳も強くなって血が滲み出るが、隠す様にもう片方の手で頭を優しく撫でた。
「今、聞いたら多分、死亡フラグになるからさ」
「アキト…………」
「頼む」
そして、撫でた手でそのまま凛を抱きしめた。
「今は何も聞かないでくれ。ちゃんと……神田に着いたら、続きを聞くから」
「……………」
凛からの返答はない。嗚咽と漣の音だけがアキトの耳朶を打ち、闇の世界に苦い空気が漂う。
やがて。
「…………………わかった」
何を思ったのか、凛はそっと胸から顔を離して見上げてくる。
少しでも近付けば、触れ合いそうな距離にアキトの鼓動が不用意に跳ね上がった。
心は叫びたがっている。
その想いを受け入れたいと。
言霊にして、自分の想いを告げたいと。
だけど、それは叶えてはならないもので、現実にしてはならない事だ。叶えてしまえば今までが崩れ去ってしまい、比喩表現などではなくこの世界にどう影響するかもわかっていない。
だから、絶対に現実にしてはならない強い楔。
「じゃあ…………」
そんな思考に四苦八苦していたアキトは、凛の行動を察する事も避ける事も出来なかった。
そっと近づいて来る凛の顔。
それは真正面からではなく、少しずれてアキトの左頬を掠めた。
「っ…………!?」
突然の事に、虚を突かれたアキトは瞠目して固まってしまう。
顔を離した凛は俯いて離れる。頬は確認するまでもなくゆでだこのように紅潮しており、今更やった事に恥ずかしさを覚えたのか肩が小刻みに震え出した。
「じゃ、じゃあ凛! 先に戻ってるから!」
追及から逃れるように一方的に言い放った凛は、そのまま目も合わせずに浜辺を走り去って行った。
再び世界が静寂に包まれるが、残されたアキトの耳にはうるさいほどの音が響いている。海の音が聞こえなくなるくらいに心臓が跳ねる音で満たされ、落ち着かせようと深呼吸を何度も繰り返した。
やっと落ち着いた頃には、額に玉の汗が浮かび上がっており呼吸と共にぬぐい取ってその場に尻もちをつく。
「……………………………………のやろぉぉぉぉ」
口にしたのは、
その矛先は、黒の菩提樹の党首である狗道クガイ。
感謝はしている。自分の驕りを教えてくれて、しかも今のようなラッキーな事も黒の菩提樹により地獄がなければ、だ。
しかし、黒の菩提樹の地獄がなければ、これほどまでに自分と役割との間で揺れ動き、苦しむ事もなかった。
責任転換と言われても否定はしない。いや、これは明確な責任転換だ。だけど、もはやそうしなければパンクしてしまいそうになるくらい、アキトはもはや考える事に疲れていた。
狗道クガイを倒すのは、誰でも構わないと思っていた。それがタカトラでも、ミツザネでも、ヨウコでも。目覚めたコウタでもカイトでも、誰でも構わない。
しかし、それでは納得がいかなかった。
「…………狗道クガイは、俺が倒す」
誰にも譲れない。凛を、μ'sを、世界をこんな風に追い詰めた狗道クガイを倒す役目は。
世界に携わる者としてではなく、秘密のアーマードライダーとしてではなく。
凛の幼馴染として、μ'sのファンとして、仲間として。
アキトの瞳に焔が宿る。
それは、自分のやりたい事を決意した戦士の瞳だった。
啼臥アキトが所持するロックシード
・レモンエナジー
・バナナ
・ローズアタッカー
次回のラブ鎧武!は……………
「……………どうしてお前達はそんなに余所余所しいんだ?」
昨日はお楽しみでしたね。
「忍びなれども忍ばない!」
「忍ぶどころか、暴れるわよ!」
危機を脱したμ's達の珍道中!?
「だって俺、クウガだし!」
「俺も。目の前で助けを求めて手を伸ばしているなら、それを掴まなきゃ絶対後悔する。だから、俺はその手を掴みたい!」
少女達の前に、最高のタイミングで駆けつけてくれたヒーロー。
「君達には、働いてもらうよ。その姿の人間おもちゃを見るのが一番面白いからね」
地獄に投げ込まれた石。それは…………
次回、ラブ鎧武!
45話:ExA ~反撃の矢~
おぃ、ちょっと色気づくの早くね?
どうも、グラニです!
おそらく今月ラストの更新となります。
残りは夏合宿まで書き上げてから、かもしれないしそうでもないかもしれないし?
今回の話しで、μ'sのそれぞれのヒーローへの想いを認識する回となりました。
待って、まだ知り合って早くない?
自分もそう思います。むしろ、自分は恋や愛というのはそれなりの時間をかけて育んで気付くもの、と思ってます。
これにも相応のイベントというか、意味を用意してますので突っ込まずにお待ち頂けると。
一目ぼれ、というのはあると思いますけど、どうも不純に思ってしまう自分のクソ具合。
次回、反撃に向けてμ'sが動く!
感想、評価随時受け付けておりますのでよろしくお願いします!
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話しのネタバレなどやってるかもしれませんので、良ければどうぞ!
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