人は仮面をする。感情を隠す為に。
そして。
嘘をつく為に。
「……………………………………」
戦極リョウマは腕を組みながら神妙な顔をしながら、モニターに表示されているデータを眺めていた。あまりにもらしくない仕草だったので、研究室に入った呉島タカトラが一瞬だけ声を掛ける事を躊躇ってしまったくらいだ。
どう声を掛けたものかと迷っていると、不意にテーブルの端にあったボールペンが落ちてしまう。その音がきっかけで止まっていた時間が動き出し、リョウマはモニターから目を離してこちらを向いた。
「なんだ、タカトラ。いたなら声を掛けてくれればいいのに」
「すまない。珍しくお前が神妙な顔をしていたからな」
「失礼だね。私だってそういう顔をする時はあるさ」
心外そうに顔を歪ませるリョウマだが、たいてい神妙な顔をしている時はμ'sのPVを見ている時か研究で解せない事があったかのどちらかであり、曲が流れていないという事は後者なのだろう。
「で、何が解せないんだ?」
「………………タカトラ、アキト君は
一瞬、言っている意味が理解出来ずに返答が止まったが、リョウマの表情に変化はない。普段のような茶化すような空気もなく、タカトラは頷き返す。
「ミツザネにも同様の事を聞かれ、3度ほど諜報部に調べさせた確かな情報だ。母親が早くに亡くなり、仁さんの男で一つで育てられた何の変哲もない普通の少年だ」
啼臥アキト。
タカトラが顧問兼コーチを務めているスクールアイドルμ'sのメンバー、星空凛と小泉花陽の幼馴染で今では立派なサポータ。弟の呉島ミツザネに出来た初めての同性の友人という事で、音ノ木坂学院の生徒でないにも関わらず一緒に行動する事の多い少年だ。
ミツザネ達は高校生にしてアーマードライダーとして、ユグドラシル社員を上回る戦闘力を持っている。それは過去に起きた戦乱が関係しているのだが、それでも未成熟な学生である事に変わりはない。万が一があってはならないと、近付いてきた者の素性を調べるようにタカトラはしていた。
その事はミツザネ本人も話し、了承している事である。
「…………だとしたら、
そう告げてリョウマはタカトラへとある物を投げ渡してくる。
それはウォーターメロンロックシード。アキトがヘルヘイムの森へ突入した際に使用していたロックシードである。
アキトを発見してこちら側へ戻ってきた後、彼は寝泊まりしている貸別荘へ戻って行った。その際に、リョウマへ返却したのだ。
『これ持ってても宝の持ち腐れだろうから返す』
何を思っての発言から測りかねるが、それは返却された
ウォーターメロンロックシードは元々、タカトラも使用した事があるロックシードだ。本来は試作品として開発されたもので、高火力を誇るがその分変身者への負担が強く、実用化は難しいとされていたものだった。
「これが何だと…………」
怪訝そうに顔を顰めたタカトラは、ある点に気付く。
L.S.100とナンバリングされているプレートが、何故か剥がれかけている。
まさかと思い剥がしてみると、それはシールで張り付けられた偽りのナンバーで、
そのロックシードの本当のナンバーは、
『PROTO-10』。
つまり、タカトラがかつての実験で使った物と同一の物だった。
直後。
「リョウマ!!」
タカトラの拳がリョウマの頬を突き刺さり、研究一辺倒で碌に運動もしていないその身体を吹き飛ばした。
がしゃん!! と身体がテーブルに叩き付けられ、資料などがバラバラと舞うがタカトラの怒りは収まらなかった。
「…………君の怒りも最もだ。君の教え子に、かつて君を昏睡させるほどの危険な力を渡したのだからね」
「………………黒の菩提樹が暗躍している事を知っていてアキトを向かわせたのか」
黒の菩提樹。
埼玉県を中心に活動しているカルト集団であり、よくあるユグドラシル反対派の組織である。
ヘルヘイムの森で新型RT、ベロニレックのテストの最中にアキトは黒の菩提樹が暗躍している場面に遭遇し、最悪命を落としても可笑しくはない事態になってしまった。
単なる偶然だと思っていた。
しかし、それを、この男が仕組んだものだとしたら。
「…………………否定はしないよ。私は確かに彼を試した」
「試しただと?」
そうさ、と立ち上がってリョウマはウォーターメロンロックシードを指さす。
「ウォーターメロンロックシード。お察しの通り、それは君を昏睡させた時のものとまったく同じ物だ。それを彼は使い、戦闘もこなし、最後には平然としている」
そういえば、とタカトラは思い返す。アキトを見つけた時、彼は件の青い未知のインベスと相対していたが、多少の疲労感はあったようだが比較的ケロっとしていた。タカトラが使った時は、血反吐を吐くように倒れたというのに。
タカトラとてアーマードライダーとして、日々の鍛錬を怠ってはいない。しかし、アキトは運動も碌にしていない普通の少年だ。彼の身体データは直前のメディカルチェックできちんと認識しており、それも普通の少年であるという証拠になっている。
「それが納得いかないと?」
「まぁね。おー、痛い痛い」
殴って赤くなった頬を擦りながら、リョウマは倒れた椅子を戻して座り込むとキーボードを叩く。
すると、モニターに1つのデータが現れた。何てことは無い、普段から見慣れたアーマードライダーに変身した者の身体データを現した画面だ。
「……………なるほどな」
そこでようやく、リョウマが解せないと顔を顰めている理由をタカトラは理解した。
「わかるかい? ただの少年にしては、この毒素の抜け方は可笑しい」
毒素とは即ち、ヘルヘイムの森の毒素。
世間には公表されていないバックグラウンドデータだ。
ヘルヘイムの果実を変質させたロックシードの力を戦極ドライバーを通じて引き出してアーマードライダーに変身するこのシステム。実は完璧に安全という訳ではない。
ロックシードから力を取り出す際、戦極ドライバーであっても微量のヘルヘイムの果実に含まれる毒素を防ぐ事は出来ないのだ。
そもそも、ヘルヘイムの毒素はすでに世界中の空気に含めれており、ある意味でこの世界は侵食されていると言ってもいい。
それでも人間がインベス化をしないのは、本当に毒素が極極々微量な上に常に身体から排出されるからだ。
アーマードライダーの場合はそれよりも毒素を取り入れる量は多いが、それでも摂取量が排出量を上回る事は滅多にない。
しかし、それはアーマードライダーとして慣れた場合である。初めて変身した瞬間、通常よりも多い毒素を摂取した身体はそれなりに負担を受けて疲弊する。だいたい初めてアーマードライダーに変身した人間は、直後に寝込んだりして数日を掛けて毒素を排出する。そして、だんだんと『どのくらいのペースで毒素を外に出せば身体に負担が掛らないのか』という感覚を覚えていくのだ。
アキトは今日、初めて変身した。
にも関わらず、モニターに表示されている時間経過のデータからみるに、まるで
「μ'sの合宿をシンガポールからここへ変更したのも、彼のデータを取る為さ。星空君の彼への執拗性から、きっと合宿に誘うと踏んでいたからね」
「だから、ミツザネにアキトへ戦極ドライバーを渡すよう仕向けたのか」
一般人であるはずのアキトが戦極ドライバーを所持していたのは、ミツザネを経由したものだと聞いた。弟組は3人ともリョウマを毛嫌いしているが、その中でも冷静に判断出来るのはミツザネだけだろう。
「自衛の為、と言ったら受け取ってくれたよ。渋々とね」
「まったく、いつの間に………」
「君達が島に到着した直後さ」
タカトラが呆れた物言いをしてみると、リョウマが飄々と答える。
しかし、すぐにテーブルに肘をついて手を組むと、真剣な眼差しになった。
「タカトラ、君はいざという時の詰が甘い。だからこそ、わかりやすく、はっきりと言うよ。啼臥アキトには気をつけろ」
反論も、弁明も許さぬような絶対的ね声色がそこにはあった。
そして告げる。
「彼がアーマードライダーデュークである可能性が高い」
それは出来れば信じたくはない、信憑性の高い情報だった。
「ふぃー…………あれ?」
用を足した帰り道、葛葉コウタは庭へと続くドアノブに手を掛けた時、4人分のサンダルが置かれている事に気付いた。来る時にはなかったはずのサンダルはおそらくコウタの後のものだが、誰かが別荘内にいるようだ。
別段、可笑しい事はない。バーベキューも始まって時間は経っていて、誰かしら先に床につきたいと戻ってきた可能性もある。
しかし、コウタが不意に振り返ると、丁度そそくさと動く人影が2人あった。
それを追いかけてみると、2人は忍び足でリビングの階段を登り、とある部屋に耳を当てていた。その部屋は確か1年生の荷物が置かれている部屋であり、それほどの広さはなかったはずだ。
奇妙な動きをされれば気になるもので、コウタはその後を追うように忍び足でついていく。
そして。
「何やってんだ?」
「っ、なんだコウタ君か………」
「脅かさないでよ………」
ドアに耳を当てていたのは東條希と矢澤にこの2人であり、びくっと肩を震わせて振り向いてきた。
コウタだとわかってか安堵の息を漏らした希は、耳を当てていたドアを指さした。耳を当てて盗み聞きしろ、ということらしい。
コウタも耳を当てて澄ましてみると、確かに声が聞こえる。
「…………ミッチに真姫か?」
それはコウタの弟分であるミツザネと、μ'sの作曲兼ツンデレお嬢様担当の西木野真姫のものだった。
コウタのぼやきに希が頷く。
「なんか2人で抜け出たのを見て気になったんよ」
「これは間違いないわ。ミッチ、真姫にこ、こここ告白する気よ!」
自信満々で、お忍びなので小声だが強く言い放つにこの言葉に希は目を輝かせる。
しかし、コウタの反応は淡白なもので。
「そうか。じゃ、俺ほ戻るから出歯亀もほどほどにしとけよ」
「ちょちょちょ、帰る!? そこで帰っちゃう!? といか、出歯亀は男の人を指す言葉だからウチらには適用されんよ」
離れようとしたコウタの手を希が掴んでくる。
「気にならないの!?」
「完全にプライバシーの侵害じゃねぇか。それに他人の告白シーンを覗き見なんて趣味が悪いだろ」
元々宣言している事だが、コウタは色恋沙汰が苦手だ。他人から向けられたものはほぼ友情からの物しか感じられないコウタにきてみらば、告白という場面はガラス細工よりも繊細で触れたくないものである。
「だってミッチと真姫ちゃんだよ!? ついに、って感じやん」
「……………ついに? 何で?」
希が興奮を隠し切れずに言った言葉に、意味がわからずコウタは怪訝な顔を浮かべる。
「そんな事もわからないの? このたわけ」
「真姫ちゃん、めっちゃミッチの事好きやんな?」
数秒、コウタの思考が止まる。
遠くのどこかで鶯の鳴き声が響いたような気がして、
「アイッッ!?」
叫び声を上げようとしたコウタの口を、ばっと希とにこが抑えて止めてくる。
今のでミツザネと真姫に気付かれたかもしれない。そう思ったのか2人に引き摺られるようにして、コウタは隣の部屋に連れ込まれた。
そこは男子が使っている個室であり、中は男子らしく1晩しか過ごしていないというのに荷物でごった返していた。
しかし、希とにこも散らかった荷物などには目もくれず、コウタの口元を抑えたまま詰め寄る。
「アンタ馬鹿なのっ!?」
「下手したらバレてるところやん!?」
「もごっ………」
いや、そもそも盗み聞きという行動自体が仲間への信用を落とす行為であり、凄い馬鹿な事なんだけど。
と、口にしても無駄そうなので、取り敢えず離せと目で訴える。はっ、と我に戻った2人は手を離してくれたものの、じっとこちらを睨んでくる。
この場から逃げ出してバーベキューの続きにありつきたいコウタだったが、どうやら2人の先輩は許してくれそうにない。
「真姫がミッチを好きって……驚撃だな」
「何、驚撃って。驚愕と衝撃の造語……?」
しかし、そこでコウタは昨晩の希の発言を思い出す。
「あれ、待ってくれ。昨日、ミッチはアネモネに恋してるって…………」
昨日、ミツザネ達が買い物から帰る途中出会ったという少女、アネモネ。白いキャンパスを思わせるような無垢の女の子に、ミツザネは恋したという。
色恋沙汰が苦手なコウタにはわからないが、希にはピンと来たらしい。
ビートライダーズ時代にも何度か同じような場面に出会した事はあったが、その度に首を傾げる仕草しか出来ないのでそういう所に敏感なのは純粋に凄いと思った。
昨日の事を指摘すると、希は神妙に頷いた。
「そうなんよ。これは間違いなく………」
「三角関係ってやつね」
昨日、アイドルは恋愛禁止。と豪語していたにこが複雑そうに呟いた時だ。
「ゔぇええええええええっ!?」
向こうの窓が開いているのか、真姫の驚く声がこちらの部屋まで届いてくる。それを合図にするかのように希とにこが壁に張り付いて盗み聞きを再開した。
どうやら逃れる術はないと悟ったコウタは溜息を吐いて同じように壁に耳を当てる。
何だかんだ言って、色恋沙汰が苦手だろうが何だろうが弟分の恋の行方は気になるものだ。
話しがある、と誰にも気付かれないように言ってきたミツザネに、もしかして……と期待を抱かなかった訳ではない。
しかし、その言葉を聞いて溢れてきたのは胸を突き刺すような痛みだった。
人は失くしてからそれが大切だったと気付く愚かな生き物だ。痛い想いをしなければ改める事はなく、ただただ前へと進む。
馬鹿だな、と前まで見下していた自分を殴り倒したい。それも我が身に降り掛かった今だからこそ言える事だ。
「僕、アネモネさんを好きになってしまったようです」
本当に、馬鹿だ。
もう叶わないと知ってから、
「ゔぇええええええええっ!?」
ちなみに、これは本当の驚愕の叫びである。
「えっ、えっ………え、それって恋愛相談!? なんで私なの!? わ、私は箱入り娘だし、それに女の子よ!? 恋愛なんてした事ないし………!」
「だって、真姫さんくらいなんですよ! まともに相談に乗ってくれそうなの! コウタさんは色恋沙汰はマジ童貞だしカイトさんは強面童貞! アキトは絶対チャラチャラしてるように見て実は純情だったチャラ男系童貞だし!」
何故童貞に拘るのか突っ込みたくなったが、狼狽する真姫はミツザネに詰め寄られてさらに狼狽してしまう。
「ねぇ、女の子と接するってどうしたらいいんですか!?」
「お、落ち着きなさいよ!」
迫ってくるミツザネに言いようのない不安を覚えた真姫は、つい身を引いてしまう。一瞬だけかつて迫って来たあの男の顔が脳裏を過ってしまい、首裏に痛みが走った。
「あ、すみません…………」
「………………女の子はね、そうやってがっつく男は嫌いなものなの。いつのもの爽やかな感じで行けば大丈夫よ」
しゅんとなって下がるミツザネに、真姫は励ましの言葉を贈る。
もう、ミツザネは真姫の方を振り向いてくれない。ならば、せめて笑顔にしてあげよう。ミツザネが笑ってくれれば、真姫の心には光が差すのだから。
あの眼鏡の少女の事を、素直に真姫は凄いと思った。ずっと前に好きだと自覚して、その想いを告げて、それでも叶わないと知ってもなお、その人を思い続ける事が出来るのだから。
花陽には敵わないなぁ。
心の底から尊敬の念を送ってミツザネに『女の子の何たるか(著、西木野真姫)』を教え込む為に、口を開いた。
「なんでさ………」
相も変わらず日本とはかけ離れた民族衣装に身を包んだアキトは、サングラスを掛けてひっそりと物陰に隠れながら呟いた。
「仕方ないでしょ。コウタが穂乃果に連れていかれたんだから」
「だからって、俺も巻き込まないで欲しいっす」
アキトの前でしゃがみこみ、同じサングラスを掛けたにこがこちらを見上げてきながら言ってくる。
収録内容もそれなりに編集するに当たって、かなりの時間を有すると言われた一同は学生らしく思い思いに羽根を伸ばす事にした。
アキトもアキトで幼馴染みの星空凛のフォローをするつもりだったのだが、何でも仲間内でビッグニュースが流行。
あのミツザネがアネモネに恋をして、今日告白するだのなんだの。
その現場を出歯亀しようとコウタににこ、希だったが。
『うっし、行くk………』
『コウタ君! 美味しいパン屋さんがあるんだって! 海未ちゃんとことりちゃんとで行こう!』
『どわっ、アキトあとは頼んだーっ!!』
と、押し付けられてしまったのである。
はぁ、とため息を吐いてアキトはぽつりと。
「俺も凛と一緒にここ限定のラーメン食べたかった…………」
「明日の自由時間に奢ってあげるて言ってるでしょ。うじうじしてるなんて男らしくないわよ」
確かにそうなのだが、理不尽さを感じてため息をついてしまうのは仕方の無い事だろう。
しかし、とアキトはちらりと3人を見やった。
にこはワインレッドの色合いに蝶のイラストがプリントされたシャツに灰色のフリル付きミニスカートにブーサンという動きやすいのかそうでないのかという微妙な衣装にに加えて白と赤のチェック模様に赤いリボンの帽子。
希は薄いピンク色のカーディガンにデニムのショートパンツ。朱色のストッキングに白い肩掛けバックを持っている。首からはハートタイプのシルバーアクセサリーが太陽に照らされて光っており、記憶が正しければ誰かがゲームセンターで取ったものだったはずだ。
真姫は白いシャツに紺色のネクタイを緩く巻いてノースリーブのベストに赤いチェック柄スカートというスタイリッシュな格好である。
「何よ?」
まじまじと見ていたからかにこにジト目を向けられてしまい、アキトは少し恥ずかし気に視線を外して答える。
「いや、みんな気合い入れてるなーって」
「どこか変?」
自身のカーディガンを翻しながら困り顔をする希に、そんな事はないっす、と首を横に振った。
「そうじゃないですけど、一体誰に見て欲しいのかなーって」
「……………っ」
その言葉に3人はピクリ、と反応を見せて固まる。
「…………………アキトだってそうじゃない」
「そりゃぁ、まぁな………………」
真姫の指摘にアキトは自身を顧みる。
昨日のようなタイパンツではなくエスニック調の柄が入ったジーパンに革製のチェーンを付けて、トップスは青みのかかったストライプのキーネックプルオーバーに肌色のサワティシャツ。蓮の絵が入ったネックレス型時計を首から下げていた。
どうしてそこまで気合いを入れたのか、と問われれば3人同様に言葉に詰まってしまうだろう。
「………で、そのミッチなんだけど」
沈黙を破った希が同じくサングラスをかけて周りを見回した。
「どこにおるん?」
「……………………」
アキトとにこは顔を見合わせて周囲を見回す。
そこには人、人、人。
どこにも追っていたあの背中は見当たらなかった。
「見失った!?」
「…………人の恋路を覗き見るなんて野暮よ」
ガーン、とショックを受けるにこだったが、真姫の我関せずな態度にくわっと振り向いた。
「真姫はいい訳!? ミッチがあんなぽっと出に取られちゃって!?」
「ヴぇえっ……いや、別にそんなのミッチの勝手だし………」
と、真姬はごにょごにょと言い訳をしながら自慢の髪をくるくると指で巻き始める。その仕草は普段からしているものだが、いつもと巻き方が逆だ。それは真姬が嘘をついたり誤魔化したりしている癖であり、希が半目になって耳元で囁いた。
「えぇのー? 本当にー?」
「……………」
ごにょごにょと聞こえない言い訳をしていた真姫の口が止まる。
それを尻目にアキトはしみじみと空を見上げた。
昨日までは晴れ晴れとした青空が広がっていたものだが、今ではやや雲が陰り始め、朝に確認した情報でもこれから天気は悪化するらしい。
どこか不安で言いようのない予感に駆られたアキトだったが、まずはにこ真姬の口喧嘩で周囲から注目されているのをどうにかしようと、しゃがんでいた腰を上げた。
意気揚々と前を歩く高坂穂乃果に、園田海未が小姑のように言葉を投げる。
「穂乃果、ここは外国でたくさんの人がいるのですから、ちゃんと前を見て歩かないと怪我をしますよ」
「大丈夫だって海未ちゃん。逆に堂々としていれば………わっ」
穂乃果が答えようも振り向いた矢先、前から出てきた大柄の男性とぶつかってしまう。身体はコウタよりも大きいものの表情は穏やかでで、ぶつかってしまった穂乃果を気遣うように見やってきた。
「ご、ごめんなさい……!」
「いや、相手は外人なんだしここな英語で謝った方がいいんじゃないか?」
言わんこっちゃない、と額を抑える海未の隣でコウタがアドバイスをする。しかし、相手は穂乃果の慌てた様子とお辞儀を見て謝ってくれていると察してくれたのか、豪快な笑みを浮かべてサムズアップしながら去って行った。
「いい人でよかったねー」
「まったくです。いつも言っていますが、穂乃果は注意力散漫し過ぎです! ここは日本ではないのですから…………」
ことりがおっとりとした声で場を和ませようとしたのだが、海未が穂乃果に向かって説教をし始める。最初はコウタも軽い気持ちで口を挟んでいたのだが、こっちにも飛び火してくるので最近ではあまり首を出さないようにしている。
そんな平和な光景に苦笑して、コウタは改めて3人を見やる。
穂乃果はクリーム色のブラウスにデニムのワンピースを着こなし、腕には黄色いミサンガを付けている。いつも以上に大きいピンクのリボンでサイドテールを結わっており、左側に降ろした前髪を赤いピン2つつけている。
海未は生真面目な性格を表しているかのように水色のネルシャツに白と薄い緑色の横線が交互に入ったチュニック。ボトムスはチューリップスカートを履いており、頭には朱色のベレー帽をかぶっていた。
ことりは一貫して白いワンピースでそれほど凝ったコーデはしておらず、その分首回りに鳥の形をしたネックレスに右手には腕時計。左手にはパングルと糸タイプのブレスレットで可愛らしさを固めていた。
うん、眼福眼福。ちなみにコウタはいつものように肌色のチノパンツに半袖無地の青いポロシャツという何ともシンプル過ぎる格好だ。アキトに一度コーデしてみようか、と誘われたがあのような派手な格好はごめんである。
「わかったよー………だったら!」
「………は?」
「なっ………!」
何を思ったのかわからないが、穂乃果はコウタの隣までぴょんぴょんと飛び跳ねるように歩み寄り、左腕にがしっと抱き着いた。
コウタは突然のようで何となく予想出来た行動にポカンとし、海未ちゃんは驚いた反応をしてからわなわなと口を震わせて穂乃果に詰め寄る。
「な、何をしているのですか貴女は! は、破廉恥です!」
「破廉恥じゃないよ! そう言う海未ちゃんが破廉恥なんじゃないかなー?」
にやにやと言い返した穂乃果に、海未は絶句の表情を浮かべる。仕切りに「破廉恥……? 私が………そんな、私はそんな…………」と嘯き始めた。
「で、これは何?」
「コウタ君にしがみついていれば、逸れる事も誰かにぶつかる事もないもんねー!」
コウタが聞くと穂乃果は満面の笑みで返してくる。要するに自らしっかりする気はない、という事らしい。
しかし、正直に申し上げるとコウタとしては非常によくない。ただでさえ暑い陽射しの下、自分の汗がダイレクトに穂乃果に伝わってしまうかもしれないというのと、風に乗って鼻腔を擽る穂乃果の甘い香りは健全な男の子であるコウタにとって毒だ。
しかし、この状況は初めてではない。最近になって、穂乃果とことりのボディタッチというか妙に距離感が縮まってきている気がするのだ。海未でさえどこか羨ましそうに見てきたり、頭を撫でたりしたらとても喜んだりと。
友達、という枠を飛び越えてきている感覚に、コウタはつい思い耽ってしまう。
…………まさかな。
「コウタ! 貴方も貴方でなすがままにされないで下さい!」
「って言われてもなぁ………」
海未にそう言われるも、ちらりと穂乃果を見やると潤んだ瞳も大きく震わせて見つめ返された。
「………も、もういいです!」
何かが感に触ったのか、海未は顔を赤くするとズンズンと効果音がついてしまいそうな足取りで先へと進んでしまう。
「あっ、海未!」
「海未ちゃん!」
慌てたコウタとことりが呼び止めるもすでに遅し。丁度、十字路になっていたので横から飛び出してきた人影にぶつかってしまい、海未が倒れそうになる。
駆け寄ろうとした瞬間、海未の転倒を防いだのはぶつかった人影だった。
「大丈夫!?」
それは青年だった。コウタと同じくらいの身長だが大学生くらいの風貌であり、短い黒髪にジーパンと白い無地のシャツ姿。単調でありながらも活気溢れる笑顔は一目で害のない人間だとわかるほどに晴れ晴れとしていた。
そして何より、どこからどう見ても日本人である事にコウタ達はどこか親近感が湧いた。
「ごめんね。急いでたから止まれなくて………」
「い、いえ………こちらこそ不注意で………… 」
心の底から謝罪してくる青年に海未は顔を赤くしながら会釈返す。ふと、4人は同時に青年が首から下げているものに気付いた。
「あ、アキト君と同じカメラだ」
それは唯一部外者でありながら仲間であるアキトが常に所持している二眼レフのトイカメラだった。ただし、アキトの物はシアンカラーに対して青年が持っているのはピンクの物、正しくはマゼンタカラーのトイカメラだ。
穂乃果が何気なく呟いた名前に、青年は顔を向けてきた。
「アキトの知り合い?」
「アンタもアキトの知り合いか?」
こんな限定されたリゾートエリアに日本人と会えただけでなく、共通の知人を持った事に流石のコウタも驚きを隠せず聞き返す。
「あぁ。この前の……雪が降ってた日かな。トラックに弾かれそうになったあいつを助けて、お礼にってラーメン奢ってくれたんだ」
「……この前?」
「あ、もしかしてオレンジ髪……君が星空凛ちゃんで、そっちが小泉花陽ちゃんかな?」
青年に指摘された穂乃果とことりは思わず顔を見合わせる。確かに穂乃果と凛の髪の色は似ており、活発な所はそっくりだ。ことりと花陽も纏っているおっとりとした雰囲気とじめじめした恋愛をしそうな点(チーム鎧武談)に立派な胸部装甲は似ていると言えば似ている。
「いえ、私は高坂穂乃果で……」
「私は南ことりです」
「えっ、あっ……ごめん。話にしか聞いてなかったから………」
名前を間違えた事に気付いてばっと頭を下げる青年に、コウタ質は顔を見合わせて苦笑する。
「男がそんな簡単に頭を下げるもんじゃねぇだろ」
呆れた風にコウタが告げると、青年は「そうかな?」と顔を上げる。
「頭を下げて争いが避けられるならその方がいいと思うけど」
「………そんな簡単に言える事じゃねぇだろ」
男としての矜持、などと語るつもりはない。しかし、砕いた言い方をしてしまえば最初からへこへこと下手に出ては相手を調子づかせるだけだ。
「争い事を無くすなら堂々としてた方がいいだろ。頭を下げて近付いたって、相手に対話の意思がなけりゃ成り果てるのは屍か下僕に成り下がるかだ」
「コウタ君……?」
はっ、とコウタは穂乃果の声に言葉を詰める。見れば海未とことりも驚きの顔をしているが、青年が放った価値観はコウタにとって看過できないものだ。
コウタが体験してきた戦いはいずれも、出来れば回避したいのに選択肢が1つしかないものばかりだった。そんな選択を前にへこへこと頭を垂れていては、最初から敗北を認めているようなものである。
敗北をすれば全てが終わる。少なくとも、コウタが経験した戦いはそうだった。
「力を振るわなきゃ、どうにも出来ない事がほとんどだ」
「うーん………確かにそうかもだけど…………」
青年はどういう訳か苦笑を浮かべながら、握り拳を掲げる。
「最初から握り拳を振り上げて話そうとしたって、相手だって警戒するだろうし」
次に握っていた拳を開くと、それを差し出してくる。
「こうすれば、握手をする事も出来るだろう?」
「……………そんなの、ただの綺麗事じゃんか」
青年が言っているのはただの理想。こうであって欲しいなという想いを告げているだけに過ぎない。
理想論者。厳しい現実に何度も絶望を突きつけられてきたコウタには、その言葉は許容出来るものではなかった。
「そうだよ、綺麗事だよ」
しかし、青年は呆気なく告げた。
「だからこそ、現実にしたいんだよ」
「っ……………」
コウタは思わず息を詰まらせる。この青年は、自分が何を言っているのか理解出来ているのだろうか。
それは、受け取る人によっては狂人と見られかねない言動だ。事実、コウタは青年を狂人とでしか見る事が出来なかった。
しかし、だというのに。
どうして、まるで頭を殴られた気持ちになるのだろうか。
「………なーんてね」
言いようのない雰囲気を纏っていた青年は、破顔して手を下ろす。
「これ聞いたら、そうなるよね」
「あっ、いや…………」
出過ぎた物言いをしてしまった事に気付いたコウタはバツの悪そうな顔をするが、青年は特に気分を害した様子もなく続けた。
「俺も最初、そう思ったんだ。そんなの絵空事だ、現実を見ていない……ただの妄言だって」
「それは……」
「でも、誰もが笑っていられる世界って、そういう事なんだと思う。確かにこの世界には理由のない悪意なんて様々ある。辛い事だって、悲劇だって………人である以上、それは避けられないよ」
だけど、と青年は区切ってコウタを見つめてきた。その真っ直ぐで強い瞳に、コウタは思わず息を飲む。
強い。しかしながら、同じくらいに優しさと悲しみを孕んだ瞳。
それを、コウタはどこかで見たような気がした。
「世界はこんなはずじゃなかった、て事ばっかりだけど………少なくとも、誰に理不尽にもたらされる悲劇なんてあっちゃいけないんだ」
「理不尽な悲劇………」
「俺はそういの絶対に許せない。だから、そういうのと戦う為に拳を握りしめるんだ。本当は戦いたくないけど、でも………戦わなきゃ守れないものもあるから」
もちろん戦わずにいられるならいいんだけどね、と再び苦笑を浮かべる青年。しかし、その想いをコウタはよく知る。否、自分と同じ考えだと気が付いた。
「無茶な事かもしれない。けど、それを現実にやってのけたんだ…………俺の憧れてる人は」
「……………凄い方なのですね」
端から話しを聞いていて、海未が感嘆したように声を漏らす。
「うん、本当に凄いとしか言いようのない人だよ」
「どんな人なんですか?」
ことりの質問に青年がえっとね、と答えようとした時だ。ふと、青年は言葉を止めてポケットに手を突っ込み携帯を取り出す。今では珍しい折り畳み式の携帯であり、青年はどこかムッとしてからコウタ達に謝る仕草をしてから通話に出る。
「お前今どこにいるんだよ…………あ? 灯台にいる? こっちは大変だったんだぞ。突然、写真館を訪れては写真を現像してくれって押し付けるもんだから夏海ちゃんぶちキレて…………いや、細かい事じゃないし。だから、お前と展示用のカメラ取り替えたんだけど………俺じゃないよ!? とにかく、お前のカメラ持ってきてるからどこかで合流するぞ……………ファイズの世界!? 別世界かよ!」
こちらには理解出来ない言葉をつらつらと並べる青年に、コウタ達は顔を見合わせる。世界だのどうのスケールが大きい言葉が聞こえてくるが、何故か触れてはいけないような気がしてひとまず通話が終わるのを待った。
「わかったよ…………」
やがて、通話を切った青年はこちらを顧みて申し訳なさそうに言う。
「ごめんね。俺、もう行かなきゃ」
「あ、はい。ぶつかってしまって申し訳ありません」
頭を下げる海未に青年は笑いかけてから、穂乃果とことりを見やる。
「アキトに、俺は元気だからって伝えといてくれると嬉しい」
「はい、わかりました!」
そして、青年は次にコウタを見やる。
「……………大丈夫」
「えっ…………」
「君の考えも、間違いじゃない。世界はどうしようもない事ばかりで、綺麗事なんて通用しない事も多い。けど、最初から拳を振り上げてちゃ話し合う事も、わかり合う事も出来ない。きっと、あの人が言いたい事はそういう事なんじゃないかな」
励ますように伝わってくるその言葉は、コウタの中にあった不安を見透かして払拭させていくようだった。
「もう君は、それをわかっているだろ?」
そして、強く右手を握り親指を立てる、所謂サムズアップをして、
「大丈夫!」
その笑顔はとびっきりのもので、見ているこちらが安心出来るものだった。
「君なら、大丈夫だよ」
「………………はい!」
不思議とコウタの胸奥が熱くなり、いつの間にか姿勢を正して頷いてた。
「じゃあ、頑張ってね。
「えっ…………」
穂乃果が隣で驚いたように声を漏らすが、コウタただただ深く頭を下げて立ち去る青年を見送った。
「あの方、どうしてコウタの名前を………それに、仮面ライダーとは……………?」
「アーマードライダー、だよねぇ」
「どうしたの、コウタ君?」
不思議そうに首を傾げる海未とことりを他所に、穂乃果がこちらを伺ってくる。
「……………ずっと昔。本当にガキの頃なんだけどさ」
顔を上げて、もう見えなくなった青年の背中を見つめる。
「あんなかっこいい男になりたいなって、思ったなって」
「コウタ君は十分かっこいいよ?」
気遣うように言ってくれる穂乃果には目もくれず、コウタは首を横に振る。
そういう事ではない。たった数回の会話だけで、嫌というほど痛感した。コウタあの青年の足元にも及ばず、きっとその憧れの人はもっと差を感じるのだろう。
しかし、その差は決して不快なものではなく、むしろ自分も追いつこうという気持ちにさせてくれるものだった。
奥底で燃え上がる何かを感じ取って、穂乃果達に気付かれないように決意を固めるがごとく拳を握りしめた。
「本当にここなんですか?」
イーヴィングルの中でも少ない自然公園で九紋カイトは額に皺を寄せながら茂みを掻き分けていた。
後ろでは同じように絢瀬絵里と凛、小泉花陽が茂みを掻き分けている。
そして。
「可笑しいなぁ………こっちに飛んできたはずなんだけど…………」
もう1人、同じようにして茂みの中に入って掻き分けている青年。
アキトと同じようにエスニック系統の服を着こなし、肩くらいまで伸ばして跳ねた黒髪の風貌は20歳ほどの青年だ。
出会ったのはほんの10分ほど前。凛に連れられて4人でラーメンを食べた後、アキトと一緒に来れなかった鬱憤を晴らすが如く走り出した猫娘を追い掛けて自然公園に来たのだ。
そこで、何かを探すこの青年を見て、お節介焼き精神豊富な絵里が声を掛けると、どうやら大切なものを無くしてしまったらしく探しているのだという。
それを聞いて絵里が黙っていられるはずもなく、こうして4人も探し物を手伝っているのだが。
「どこにもないよー」
「うーん………でも確かにこっちに飛んできたはずなんだ………」
凛もぼやきにながらTシャツにデニムシャツにガウチョパンツについた枝を払う。その横では花陽が絵里と同じような水玉模様のあるワンピースと羽織ってる白いブラウスについた葉っぱを落とす。
カイトもカイトで茂みにずっともぐりこんでいたのでが着ている黒いカットソーは葉っぱまみれになってしまい、立ち上がって灰色のジャケットやスラックスもろもろの汚れも叩き落とす。
絵里のワンピースにも葉っぱがついてしまっており、胸元の水玉模様も隠れてしまっている。持っているハンドバックの中にも同じ状況なのか、それに気付いて慌ててぱっぱと掻き出していた。
青年はうーんとさきほどから唸っているが、当たり前だとカイトは溜息を吐いた。
「オレ達は貴様が何を探しているのき教えてもらってない」
「…………あぁっ! そうだった!」
「ぴゃぁぁぁっ!?」
カイトの指摘にそういえば、と青年が声を上げた時だ。花陽が悲鳴と共に跳ね上がって茂みから出て尻餅をついてしまう。
迂闊にも聖域に目が行きそうになるも何とか堪え、花陽が探していた茂みを覗き込む。すると、そこにある物を見つけて顔を顰めた。
「何があったの!?」
「かよちん、大丈夫!?」
絵里と凛が駆け寄ると、2人も花陽同様に顔を真っ赤にして、わなわなと指を震わせて茂みの中を指差してこちらを見てくる。
虫でもいたのか思ったが、凛は虫は苦手ではない。その凛でさえも顔を赤くして触れない物とは何だろうか。
カイトが覗き込むと、一瞬にして顔が強張る。嫌悪感さえもにじみ出ている表情をしながら指先でそれをつまみ上げた。
「……………な、何で男性の下着が……………」
顔を赤くして両眼を手で隠すも好奇心が負けてしまうのか、指の隙間からカイトの撮んでいる男性下着をまじまじと見てしまっている。
黄緑色の生地にモンシロチョウらしい蝶んぼ絵柄がプリントされているそれは、確かに男性下着だ。カイトはボクサータイプの下着を愛用しているが、これらのタイプはアキトが好んで使っているものだ。
「あぁぁーっ!」
絵里と同じく「どうしてこんな繁みに?」とカイトが首を傾げると、繁みから顔を上げてこちたを見た青年が顔を輝かせてこちらへと駆け寄って来た。
そして、半ば引っ手繰る様に下着を取り上げて、高々と叫んだ。
「あった………俺の明日のパンツゥゥゥゥゥ!!」
「絵里。今すぐ警備部に連絡しろ。変態がいる」
「そ、そうね」
「ああぁっ、待って待って待ってください!」
バナナロックシードを構えていつでもインベスを召喚出来るよう準備してから、絵里へと目の前の不審者と拿捕すべく命令を飛ばす。流石のカイトも堂々と下着を持っている、という青年を不審者として認識せざる得なかった。
そんなカイトに頷いた絵里に青年は下着を広げたまま慌てて詰め寄る。ばばっ、と距離を取って間にカイトが割って立つが、青年からは敵意などは感じられず表情が心外だと告げているが怪しい所は何もない。
「これです、俺が探してたの!」
「……………パンツを探してたの?」
アキトで慣れているのか、絵里より先に回復した凛の疑問に花陽もどこか胡散臭げな目を向けている。
「そう! 俺の祖父の口癖っていうか………男はいつ死ぬかわからない。だから、一張羅は常に履いておけって」
「けど、だからってパンツを持ち歩くのは…………」
「俺、旅の途中だから持ってないとダメなんだ」
なるほど、だから動きやすそうなエスニックな格好なのか。とその点には納得しつつも、フンと腕を組んで思わず鋭い目を向けてしまう。
「いつ死ぬかわからない………そんな弱い考えで、よく旅など出来るものだ」
「カイト!」
初対面の相手に言うべきではない、と絵里が叱るように言ってくるがカイトは無視して続ける。
「死んだら何もかもが終わりだ。何も残りはしない…………生きなければ意味はない。生きるにはそれだけの力、強さが必要だ。いつ死ぬか、などという後ろ向きな考えで生きていけるはずもない」
「カイト、失礼よ」
「いや、変態扱いしていた絵里ちゃんが言えた事じゃないと思う」
「あはは、仲が良いんだね」
貶しているというのに気にした様子もなく青年はどこか羨まし気に笑う。
「でも、わかるよ。君の言っている事」
「…………………えっ?」
まさかこちらの言い分に同意すると思っていなかったので、絵里の呆けた顔の横でカイトも思わず柳眉を動かす。
「色んな所に行ってきた。ここみたいに平和な場所や紛争がある場所………どこでも一緒だった。楽して助かる命がないのは………力がなかったら、助ける事も出来ないからね」
「紛争って………」
自分達より少し上くらいの青年が桁違いの話しをしている事が、凛と花陽には信じられないらしく息を飲む。
しかし、青年が纏っている雰囲気は間違いなく戦場で磨かれたものだ。悔しいがカイトですら勝てないほどのものだった。
「君はどうして、そんなに力が欲しいの?」
「…………力がなければ何も出来ない。この世は弱肉強食、弱ければ死に強ければ生きる。それが真理だ」
カイトの幼少時代はずっと力に虐げられてきた時代だった。
夢を金によって捨ててしまった父親は、すぐに弱さを露見して母親やカイトに暴力を振りまいた。弱かったカイトと姉はそれを止める事は出来ず、挙句の果てには自ら罪の重さに耐え切れず自壊した。
それはカイトという少年にとって、この世の全ては力が全てだと教え込むには充分な時間だった。例えコウタ達と和解しμ'sと一緒にいようと、その根本は変わらない。
「無力なものほど、存在する価値などない」
カイトの言葉に絵里が歯噛みする。反論したいが、それは間違いなく世界の一面であるという事をこの数か月間で彼女達は思い知らされてしまった。人情が拒否したくても、事実を曲げる事が出来ないのだ。
「…………そうだね」
同意するように青年は頷く。それでいて、でも、と続けた。
「力だけが全てじゃない。力だけに捕らわれていては、いずれ全てを失う………ま、君は大丈夫そうだけどね」
「…………………何だと?」
優し気な笑みを浮かべた青年に、カイトの目付きに不機嫌さが加わる。
「君はちゃんとそこの分別を持っていて、それでいて間違った道を進んでしまったら手を掴んでくれる仲間もいるからね」
「貴様にオレの何がわかる」
「わかるよ」
カイトの言葉に迷いなく即答した青年は、まっすぐ目を合わせてくる。その強い意思が込められた瞳に、カイトは思わず飲み込まれそうになるが、それを耐えて睨み返す。
「君によく似た人とオレは会った事があるし、もしかしたら俺も君みたいに力を渇望していたかもしれないから」
「オレと貴様は違う。オレは貴様のような弱い考えなど…………」
「違うよ」
そう言って青年は持っているパンツに目を落とす。
「大切なのは、”明日の”って部分。これは、今日をしっかり生き抜いて明日に繋げるっていう決意なんだ」
いつ死ぬかわからないから一張羅を履いておく。それはいつ死んで悔いはない、という訳ではない。
この青年は明日のパンツと言った。明日履く為の、生きる為に。
「…………貴様は」
カイトが言いかけた時、夏特有の強風が吹き荒れる。
それはカイト達はもちろん、青年にも襲いかかり握っていたパンツを吹き飛ばした。
「あぁっ、明日のパンツぅぅぅぅぅぅ!!」
「あ、ちょっ………!」
絵里が呼び止める間もなく青年は飛んでいったパンツを追い掛けて走り出してしまう。それはまさしく脱兎と言うべきスピードで、スクールアイドルとして鍛えているはずの絵里ですら追いつけそうにないくらいのものだった。
嵐のように去っていった青年に、絵里が目を瞬かせながら呟く。
「な、何だったのかしらね………」
「さぁな。だが………」
それ以上の事は噤み、カイトがふと見やると花陽が怪訝そうな顔をしていた。
「かよちん?」
凛も気になったのか声を掛けると、花陽はやわら口を開く。
「あの人、アキト君の憧れの人に似てるような………」
「明日のパンツ、エスニック………ほんとだ!」
「たまたまじゃないかしら………」
あれやこれやと話している3人の横で、カイトは言いようのない感情に目を細める。
まるで褒められて嬉しく思う子供のように、心の奥から温かい何かが溢れてくる。
「カイト、何だか嬉しそう」
「そうか?」
絵里にそう返しつつも、歓喜の気持ちがある事は確かだ。
何せ、思いもしない強さを持った者と巡り会えたのだから。
カイトとは異なった強さを持つ男に。
「また会いたいものだ」
絵里に聞こえないほど小さな声で呟き、カイトは不意に空を見上げる。
広がっていたのは青空を染め上げるよいな雲であり、言いようのない予感を感じてカイトは目を剣呑に輝かせた。
平和な時間は突如壊される。
少女が軽々しくとした足取りで肉塊の上を歩く。せっかく着こなしている純白のワンピースが跳ね返った血で汚れてしまっていても気にもせず、むしろコーディネートを楽しむかのように足取りは楽しげにタップを踏む。
やがて、肉塊が病んで真っ白い床の上を歩き、顔を上げた。
「……………始めるぞ」
声に応えるべく、少女は奏で始める。
世界の終わりを導く唄を。
世界は突然壊れる。
唄と共に。
呉島タカトラが所有するロックシード
・メロン
・ウォーターメロン
・ドリアン
・ヒマワリ
次回のラブ鎧武!は…………
物語を始めましょう。
終わりの、終わりの、終わりの始まりを。
次回、ラブ鎧武!
36話:WORLD END ~散る者たち~
おまけ
グロッキーなアキトを置いて新しいPVの撮影をし、その休憩の時。
「やっぱり、外国でも海はいいねー」
「? 海未は私ですが………」
「海未ちゃん………」
「そのボケはもういいいわよ」
穂乃果、海未、にこが青い世界を前にしてリラックスしていると、少し離れた後ろでミツザネと凛が並んで眺めていた。
「穂乃果ちゃん」
「70点」
「ことりちゃん」
「90点」
「海未ちゃんとにこちゃん」
「2点」
「何をしているか貴様らは!?」
しょうもない発言をしているミツザネと凛の前に、ざざっと滑り込んでくるカイト。
「何って、採点ですけど」
「い、如何わしい! 破廉恥だぞミツザネ!」
「それ、役目は海未ちゃんやん」
呆れ顔で告げてくるのは、希だ。その隣には苦笑を浮かべたことりに少し恥ずかしそうな絵里に至極どうでもよさげな真姫。何とも華になる絵面で、密かにミツザネがグッとガッツポーズしたくらいである。
「馬鹿じゃないの…………」
「真姫ちゃん」
「2兆点(ミツザネ補正あり)」
「うむ、確かに圧倒的…………ではなくてだな!」
慌てて言い繕うカイトに、希はにやにやとおやじ染みた笑みを浮かべた。
「カイトも見てる所は見てるんやねぇ」
「くっ………だいたい、凛もそれほど点数は…………」
「ふっふーん、凛はすでに『ある意味90点』を貰ってるもんねー!」
「それ、回答者がアキトか花陽の場合じゃない」
絵里が呆れた顔を浮かべるが、カイトは渋面を作る。
「貴様で90点だと…………!? 採点基準がわからん………何点満点だというのだ!?」
「突っ込むとこそこじゃねぇだろ………」
ざっとやって来たのはコウタである。後ろでは遠巻きでも話し声が聞こえていたのか、顔を赤くして俯いてしまっている花陽もいる。
「むっ、葛葉………」
「アキトは大丈夫そうだった。で、それぞれ何点だって?」
コウタはアキトの様子を見に行ってもらうついでに新しいビデオテープの予備を取ってきてもらったのだ。
「あ、あぁ………穂乃果は70点でことりが90点。海未とにこが2点で凛がマニアックなんだ…………」
「そりゃぁすげぇ。海未とにこはまぁ、妥当かも………あれ、みんなどうしたんだ?」
と、そこでカイトとコウタはは気付く。話を聞いていた全員が顔を青ざめて、ざざっと距離を置いている事に。
「覚悟は……………」
「いいですね……………?」
そして、背後にじゃりっと砂を踏む音と低い殺意めいた圧迫感。
2人は振り向く。
そして。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
砂浜に2人の絶叫が轟いた。