「夢見心地」
「清らかな心」
「魅力」
「無邪気」
「うぅ………」
「ことり…………」
音乃木坂学院放課後の教室にて、自分の席でノートを睨みあっている南ことりを葛葉コウタは心配そうに見つめる。
かれこれ1時間ほど教室に居座っているが、埋まっているはずのノートは白紙のままであり、作業が進んでいないのは明白だ。
「…………う、うわぁーん! 何も思い付かないよぉー!」
ついに泣き出したことりが机に突っ伏して、コウタは予想通りの反応に溜息を吐いた。
「なぁ、やっぱオリジナルじゃなくて誰かの……」
「ダメ! それじゃカイトさんやアキト君に勝てないよぉ!」
突っ伏したかと思えばコウタに反論するかのように起き上がり、ことりは瞳を震わせながらも睨んでくる。だが、その特徴的な鶏冠のような髪がへちょんと下がっているので、打開策がないのは明白だ。
「……どーすりゃいいんだよ」
ことりに聞かれない程度に独白してコウタは窓から外を見やる。
先が見えないコウタとことりの心情を表すかのように、どんよりとした重たい雲が一面に広がっていた。
話しの元は1週間ほど前に戻る。
夏場が過ぎて厳しさはなくなったものの、まだ残暑が残る9月上旬。
μ'sの練習後、コウタはことりに呼び出されて2人で帰る事となった。少しそれらしい事を期待していたコウタだったが、ことりの口から語られたのは相談事だった。
何でも以前、メイド喫茶で働いていた頃の同僚から新しいバイト先のイベントでお菓子作りをするというものがあるらしく、伝説のメイドミナリンスキーことことりにも出場してくれないか、と頼まれたらしい。
しかも、参加条件として男女のペアだという事があり、ことりにはコウタを始めとした仲のいい異性がいる事を織り込んでの頼まれ事のようだ。
当然、すでにミナリンスキーとしては引退した身。最初は参加を断っていたそうだが、詳しくはなしを聞くと同僚が働いているメイド喫茶も相当経営が危ないらしく、そのイベントで再起を図ろうとしているらしい。
それを聞いてしまい、さらには世話になった同僚の頼みだ。結局、参加を許可してしまったことり。
だから、相方役として一緒に参加して欲しい、とコウタはことりに頼まれたのだ。もちろん、お菓子作りなどはことりがやるので、本当に形だけになってしまうが。
特に断る理由もなかったコウタはもちろんことりに協力する事にした。
が、問題はここから。
その会話をμ'sの東條希と星空凛が盗み聞きしていたのだ。参加優勝者には商品券贈呈、の部分までしっかりと。
それを聞いてからの2人の対応は早かった。
『カイト、勝って焼肉パーティーや!!』
『アキトー! ラーメン博物館巡りにゃー!』
巻き込まれた九紋カイトと啼臥アキトが遠い目をしていたのは記憶に新しい。が、どちらも料理には一家言を持つ2人だ。勝負事ならば手を抜かないカイトと凛キチであるアキトが、対抗心から
火花を散らすのにはそう時間は掛からなかった。
と、言う訳で周りにいた最強の助っ人は最大のライバルへと早変わりし、ことりの前に立ち塞がる事になったのだが。
「はぁ…………」
見るからに肩を落として隣を歩くことりに、コウタは困ったように後ろ髪を掻く。
カイトとアキトがライバルになった以上、2人と独自性の光るオリジナル作品を作り込んでくるであろう。あの2人の腕前はことりを遥かに凌駕しており、対抗するにはことりもオリジナル作品を作るしかない。
そう言い張って頑なに譲ろうとしないことり。それ故の葛藤なのだが、見てる事しか出来ないコウタとしてはどうにかしてやりたいくらいの落ち込みようだ。
「ことり…………どうしてそこまで勝ちに拘わるんだ?」
コウタの知っていることりという少女は争いは好まず、自ら身を弾くほどの優しい健気な性格をしている。もちろん、好きなお菓子作りで同僚の為に参加するのだからはりきりたい、という気持ちはわかるのだが、はっきり言ってらしくなかった。
素朴な疑問のつもりで投げ掛けたのだが、何故かことりは黙ってしまう。変な質問をしたつもりはないのだが、答えたくないものだったらしい。
「ごめん………」
「う、ううん。違うの! えっと、その……」
コウタの謝りに謝ってくることり。迂闊な質問をしてしまった事にバツが悪そうにあらぬ方向へ目を向ける。
しばらく気まずい空気が漂い、そのままいつも別れている交差点までやって来てしまった。
「…………じゃあ、ことりはこっちだから……」
「あぁ………また明日な」
ここ最近はμ'sの練習後に2人でお菓子作りの意見をあーだこーだと出し合い、この交差点で別れるのが日課になっていた。
コウタは横断歩道を真っ直ぐ渡り、ことりは右に曲がる。
それがいつもになりつつある風景だ。
だから、今日もそうなると思っていた。
「あら、コウタじゃない」
名前を呼ばれて、コウタとことりが振り向く。
するとそこには、久々に見る見知った顔があった。
「姉ちゃん!?」
「久しぶりねー。一緒に住んでるのに久しぶりっていうのもおかしいけど」
そう言ってからからと笑うのは葛葉アキラ。ユグドラシルの広報部で働くコウタの姉であり、滅多に帰って来ない育て親である。
アキラはことりを見ると、満面の笑みを浮かべて会釈した。
「こんにちは。初めましてになるかな………いつもコウタがお世話になっです。姉のアキラです」
「い、いえっ。こちらこそ………南ことりです」
慌てて頭を下げたことりに微笑んでから、アキラはコウタへにやぁと笑い肘で小突いてきた。
「やるじゃない、コウタ。こんな可愛い彼女さんを捕まえるなんて」
「ぴぃっ!?」
彼女、と言われたからかことりの顔が赤くなる。コウタは予想出来た言葉に嘆息してジト目を向ける。
「何言ってんだか………μ'sの仲間だって。前にメールで送ったろ」
呆れた風にコウタが告げると、突然隣のことりから何やら嫌な気配を感じる。一瞥してみると黒いオーラのようなものが見えるのは目の錯覚だろうか。
「…………あの、ことりさん?」
「何かな。ただの仲間のコウタ君?」
呼び掛けに返ってきた言葉に棘があった。何故だろう、先ほどのような変な事は口にしていないはずだが。
何で黒いことり化しているんだ、とコウタが唸っていると今度へアキラがジト目になって溜息を吐いた。
「ほんと……我が弟ながら、何というか………」
「どういう意味だよ、それ」
言っている意味はわからないが、理不尽な物言いをされているのだけはわかる。
抗議の目を向けてみるもアキラは風のごとく受け流し、そうだと何かを思い付いたようにことりへと向き直った。
「ねぇ、ことりちゃん。よかったらウチでご飯食べない?」
「おっ、それいいじゃん。理事長先生、今日は仕事で遅くなるんだろ?」
今日の練習前、屋上へ向かおうとしていたことりの前に理事長がやってきてそう告げていたのを思い出す。その場にコウタもいたので、「よかったらコウタ君と食べてらっしゃいな」と隠れてお金を渡されてあたふたしていた姿は、けっこう可愛いものだった。
「えっ、でも………せっかくお姉さんが帰って来たんだし、2人水入らずの方が……………」
ことりを含めてμ'sの9人や周囲の人間は、コウタに近しい家族は姉であるアキラ(と家族崩壊の原因である兄)しかいない事を知っている。それに加えてアキラは仕事の関係で多忙であり、家に戻ってこない事も知っている。
それらを思ってくれての言葉なのだろう。もちろんその心遣いは嬉しいが、コウタはにっと笑ってことりの額を指で弾く。
「いいんだよ、別に。大人数で食べた方が楽しいしな」
「そうよ、遠慮しないで」
2人に言われてか、ことりは少しだけ考える素振りを見せると、じゃあ、と頷いた。
本当に押しに弱いなぁ、と思いつつ人が増えたのでこのまま買い物に行こうとスーパーへ足を向ける3人。
コウタの役割は当然、荷物持ちである。
もはや宿命であった。
数週間ぶりに葛葉家のコンロに火が点き、食卓に明かりが広がる。
「ごめんねー、お客さんなのに手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ、このくらい」
申し訳なさそうに言ってくるアキラに笑顔で答えながら、ことりは豆腐を均等に切っていく。
せっかくだし豪勢にしようか、というアキラの提案に申し訳ないので断り、ことりも料理の手伝いをする事となったのだ。
「お豆腐、このくらいの大きさでいいですか?」
「えぇ、大丈夫よ。凄いわね、ことりちゃん。学校の理事長先生の娘なのに料理出来るなんて」
切った野菜に回鍋肉の元を突入しながら言ってくるアキラ。よほど弟に女の子の友達が出来た、という事が嬉しいのか先ほどからベタ褒めである。
ーーーーーーズキッ
「お母さん、忙しくて家にいない時があるあら私も料理するんです。お菓子作りも趣味だからキッチンに立つ事は多くて………」
「あらぁ、素敵! コウタも見習ってくれればいいのにねぇ」
その言葉に思わず苦笑してしまう。以前、営業時間が終わったラーメン仁郎の厨房を使わせてもらい、カイトとアキトがμ'sのメンバーに手料理を振る舞ってくれた時があったのだが、コウタもと厨房に入って滅茶苦茶に引っ掻き回すだけに終わったのだ。
あの時の、カイトだけでなくアキトの殺気立った瞳は凛達ですら本気で怖がっていた。「ここは
「呼んだー?」
名前を口にしたからか、リビングで寛いでいたコウタがキッチンに顔を覗かせる。
「何でもないわ。もう少しだから待ってなさい」
「と、言うか俺も何か手伝おうか? お客さんのことりが手伝ってるのに、俺が何もしないってのは………」
「コウタ君、前にカイトさんとアキト君に言われた事忘れちゃった?」
「……………大人しく待ってます」
そう言って引っ込んでいくコウタに思わず笑みを浮かべてしまうことりとアキラ。
やがて料理は皿に盛り付けるだけとなったところで、ふとアキラが告げた。
「ことりちゃん。ありがとね、コウタの友達になってくれて」
「えっ…………?」
ーーーーーーズキッ
「あの子、それなりに社交性はある方だから心配はしていなかったんだけど、やっぱりこの目で見れるまでは心配になっちゃってね。本当は私がいつも一緒にいてあげれたらいいんだけど…………」
切った生野菜を盛り付けながら呟くアキラは、どこか寂しげな表情である。まるでいつも後ろを追い掛け回していた弟が大きくなって肩を並べるようになって、いつの間にか自分の手の届かない所までその足で歩いて行ってしまった。
自立していく弟を嬉しく思いながらも、同時に寂しく思う。そんな感情が顔から読み取れた。
「あの子、今までまともに女の子と接した事なかったみたいだから、女子校に転校して四苦八苦していなければ、って思ったの。だから、友達が沢山出来たようで安心したの」
ーーーーーーーズキッ
「………昔のコウタ君って、どんな子供だったんですか?」
「そうねぇ………本当に子供の時はやんちゃ坊主、って感じでね。私の私物をどこかに隠したり、学校の銅像とかに悪戯書きしたり……目立ちたがり屋でやんちゃ坊主。うん、我ながら的確な表現だわ」
やんちゃ坊主、という言葉を聞いて、ことりは当時のコウタの姿を容易に思い浮かべる事が出来て苦笑する。
「だからか、周りにいるのはいつも男の子ばっかり。一応、近所だった女の子もたまに絡んでいたみたいだけど、やっぱり男友達と一緒にいた方が気は楽だったんでしょうね。ビートライダーズになってチームに女の子が入ってきた時は、やっぱりやりにくそうだった」
そこまでの女子嫌い、という訳ではなくとも接するのが苦手ならば、よく女子校の音乃木坂学院に転入する気になったものだ、と今の話しを聞いてことりは思う。
音乃木坂学院にいるのは当然女子ばかりで、男子はまずいない。女子の相手が苦手ならばまずはその選択はしないはずだ。もちろん、出会えたおかげでμ'sの実力は上がったし、楽しい日々を送れているのだからその選択には感謝したい。
「だから安心したの。ちゃんと友達を作れて、楽しそうな毎日を送れているなって……」
ーーーーーーーズキッ
「だから、ことりちゃん。これけらもコウタの友達でいてあげてけ」
ーーーーーーーズキッ
「はい! 私……私達なんかで良ければ!」
にこりと笑って、アキラの頼みにことりは答える。
先程から走る胸の痛みを無視して。
「ご馳走様でした」
「いえいえ、またいつでも遊びに来てね」
夕飯を食べ終わってから談笑していたが時間も程よい頃合となったので、ことりは葛葉家を後にする事にした。
暗いのでコウタが送って行く事となり、ことりは玄関でアキラに頭を下げる。
「いい、コウタ。決して送り狼になっちゃダメよ」
「送り狼って何だよ………?」
アキラの弄るような笑みを浮かべながらコウタに言うと、意味がわからないと不思議そうな顔をする。
それに目を瞬かせたアキラは、ことりへと言う。
「ことりちゃん。コウタが送り狼になったらさっきの連絡先に電話するのよ?」
「はい……でも、その……送り狼って………?」
本気で意味がわからずことりまでもが首を傾げてみると、アキラは再び目を瞬かせ、しばらくしてからことりとコウタの肩に手を置いた。
「いい? 2人とも。タカトラさんとミツザネ君に変な事吹き込まれても、そのまま育っていくのよ」
「は、はぁ………?」
「いや、全然わかんねぇよ……」
何故ここで呉島兄弟? と更なる疑問が増えたが、本当に時間も迫ってきているのでことりはコウタに連れられて葛葉家を後にする。
少し離れた所でロックビークルを取り出そうとするコウタの服の裾をことりは握って止めた。
「ごめんね。歩いて帰りたいんだ……送るのは途中まででいいから…………」
無理なお願いだというのはわかっていた。コウタにだって予定とまでいかなくても1人でゆっくりしたい時間もあるだろう。ただでさえアーマードライダーとして戦う日々に身を投じているのだから、ここ連日のような平和な時間は貴重なはずだ。
それでも。
我が儘と知りつつも、ことりはコウタと一緒にいたかった。
コウタといれば胸を刺すような痛みは無くなっていく。それどころか暖かく心地良い感情で満たされていき、幸せな気持ちになれた。
「……………ごめんね」
「何で謝るんだよ?」
歩き出した途端にその言葉を口にしたからか、コウタが首を傾げてくる。
それにことりは答える事は出来ない。ことりは幸せを感じているが、コウタもそうであるとは限らないからだ。
そうであってくれると、とても嬉しいが。
だから、ことりの独り善がりな理由で歩きにしてしまい、ことりの想いだけで時間を独占してしまい。
その想いからの謝罪の言葉だったのだろうか。自分の言葉のはずなのに自分でその言葉を口にした理由がわからない。
この感情に、この気持ちに名前はあるのだろうか。今までことりが抱いた事のない気持ちは。
「ことり」
名前を呼ばれて、いつの間にか俯いていた顔を上げる。いつの間にか裾を掴んでいた手は離しており、足も止まっていたらしくコウタは数歩先の所で止まっていた。
名前を呼ばれた。それだけなのに、胸が熱くなる。風邪なのだろうか、それとも病気なのだろうか。
同時にことりの頬も紅潮していき、顔が火照っていく。
「お、おい……大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよっ」
突然顔を赤くしたからか、コウタがこちらに戻ってきて顔を覗き込もうとしてくる。
赤くなった顔を見たくない。そう思ったことりは思わず俯いてコウタから顔を逸らしてしまう。
「ことり………?」
「う、うーん………お菓子作りの事で頭使い過ぎたのかな。ことり、帰るね。ここで大丈夫だから!」
「えっ、いやっ全然送ってないし………」
戸惑うコウタを振り切ってことりは走る。背後から困惑するコウタの声がするが、ことりは止まらず振り返らず走り切る。
いつの間にか、かなりの距離を走っていたらしい。南家に戻ってきたことりは玄関の鍵を開けて中に入ると、駆け込むように自室へ入りベッドへと飛び込んだ。
一体何だったというのだろうか、あの感覚は。今だに身体は熱く、これは走っただけのせいではないだろう。
大きく呼吸をして自分を落ち着かせると、ようやく身体から熱が引いていく。
しかし、今度は脳裏にコウタの顔が浮かび上がるようになった。それだけで身体からは引いたが、顔は火照ったままだ。
「っっー!」
不可思議の感情に翻弄されることりは、枕に顔を埋めてバタバタと足を動かす。特に意味はないが、何かしていないと一生この熱が冷めない気がした。
ふと、コンコンと窓を叩く音がして埋めていた顔を上げる。
見るとベランダへの窓に小さなシカインベスがいる。何度も見た事があるコウタのバディインベスだ。おそらく豹変したことりが心配になってコウタが家まで帰れたか見届けるよう頼んだのだろう。
シカインベスはぺこりと頭を下げてからクラックの中に飛び込む。すると、ことりの頭上にクラックが開いてシカインベスが出てくる。
「………シカちゃん」
枕元に着地したシカインベスは、ことりの頭を優しく撫でる。理由はやからないけど元気出して、と言っているようで笑みを浮かべる。
「ありがとう……コウタ君にことりは大丈夫だから、と伝えて。また明日でね、って」
ことりが撫で返すと、シカインベスは元気を取り戻したかのように頷きクラックへ返っていく。
「……………ふぅ 」
息を付いてことりはごろんと寝返りを打つ。
「……コウタ君…………」
脳裏に浮かぶ少年の名前を呟くと、まるで魔法のように熱が引いていく。
一体、自分の身に何が起きているのだろうか。
それを理解する暇もなく、引いていく熱と共に意識も夢の世界へ沈んでいく。
その心をアキトに言わせるならば、
それは世界を滅ぼす感情。
それから3日ほどが経った。
その間、変わった事と言えばことりは気が付いたらコウタを目線で追うようになっていた。
教室の席はことりの斜め前に位置するので授業中はその背中をぽけーと見て、休み時間にはクラスメート達と話しながら机に突っ伏している寝顔を見ては細く笑み、お菓子作りで考え込んでいる真剣な表情に見惚れたり。
ことりの日常にコウタはすぅっと入り込んできた。とても不快ではなく、むしろ心地良いくらいに。
得た事のない感情にことりは戸惑いは一瞬あったものの、迷いなく受け入れた。
それは言葉で現すなら『幸せな時間』だった。十数年生きてきた中で、体験した事のない時間。
体験した事のない時間だったからここ、その感情に戸惑いを隠せなかった。
昼休み。
この日はコウタとお昼を一緒にしようと、早起きして弁当を作ってみたのだ。
コウタはかなり大食いだ。男子高校生はよく食べる、とは聞いていたがその量はことりの3倍。同い年の中ではことりも食べる方だが、それを軽く上回っている。
世の中不公平だよね。
ずるいです。
というのは、和菓子屋の娘とお米大好き少女のコメントだ。
音乃木坂学院に食堂はない為、ほとんど1人暮らし状態のコウタは昼食は登校途中で寄るコンビニで買うか音乃木坂学院の購買で買うかのどちらかである。
いつもはそれらに加えてカップラーメンを持参しては大和撫子の幼馴染みに小言を貰っている光景はもはや見慣れたものだ。
ーーーーーーズキッ
だから、普段から足りてないであろうと思ったことりは弁当を作ってきたのだ。驚かそうとして内緒で。
「コウ………」
チャイムが鳴ったと同時に声を掛けようとして、ことりは口を止める。
見れば昼休みに突入した途端、コウタはダッシュで教室を出て行ったのだ。音乃木坂学院は女子校とは言え、購買部の競争は激しい。体育会系の女生徒達を相手にしてしまえばことりに勝てる要素は皆無で、コウタ達でさえ敗北する可能性の高い。
だから、もう少ししたら戻ってくるだろう。とことりは思って教室で待っていた。小腹が鳴き始めているが、それもコウタが戻ってくるまでの我慢だ。
しかし、20分ほど経ったというのにコウタが戻ってくる気配はない。幼馴染み2人は生徒会の仕事がある為この場にはおらず、話し相手もいないので手持ち無沙汰になってしまった。
もしかしたら、購買で買った物をどこかで食べているのかもしれない。コウタはことりが弁当を作ってきた事を知らないのだから。
そう思ったことりは2人分の弁当箱が入った保温バッグを抱えて教室を出ると、早速コウタが、食べていそうな場所を虱潰しに回っていく。
アイドル研究部の部室、屋上、体育館の裏、校庭のベンチや芝生、いつもことり達が食べている木の下。
そのいずれにもコウタの姿はなく、思い当たる場所はだいたい行ったはずだ。
「まさか外に出ちゃったのかなぁ……」
今までであったらそんな事を思い付いたりしなかっただろうが、3日前のアキラのやんちゃ坊主だった、という言葉が脳裏にちらつく。
そんな話し、転校してきてからは聞いて事がないが念の為に正門まで足を運んでみた。
流石に昼休みも終わる前だからか生徒の姿はほとんどなく、朝の風景と違ってしんと静まり返っていた。
ここにもいないかな、と息をついて踵を返した時だ。
視界に、青いパーカーが目に入った。
「あれ………?」
この学校で青い服を着ているのは教師以外で言えばコウタくらいだ。普段、制服のブレザーの下に沢芽シティ時代から愛用しているチーム鎧武のロゴが入ったパーカーを着込んでいるのだ。
そこは小さな林の中だ。正門から校舎への道の脇にあり、普通は誰も足を踏み入れようとは思わない。少なくともことりは踏み込んだ事はなかった。
「コウタ君………」
ゆっくりとその中へと足を踏み入れる。立ち入りが禁止されている訳ではないが、初めて入るので少し気分は高揚している。まるで冒険に挑んでいるようだ。
その冒険の果てに、ことりは見てしまう。
林の少し奥の開けた所で。
「おっ、これ美味ぇな!」
「本当に? 良かったー!」
コウタと知らない女生徒が芝生の上にレジャーシートを広げて、昼食を食べていた。いや、確か女生徒の方は隣のクラスの子で、家庭科部に所属している女生徒だった気がする。
その2人が仲睦まじい様子が、ことりの目に映る。
その姿は他者が入り込む余地のないくらいに完璧で、まるで1つの絵であった。
ーーーーーーーズキィッ!
強く、今までて一番鋭い痛みがことりの胸を襲う。
その痛みでことりは、思わず後ずさりをしてしまい、その拍子に足元の枝を踏んで音を立ててしまった。
「っ………」
「あっ、ことり………!」
その音で当然、コウタはことりの存在に気付く。
それはことりにとって、見られたくない姿だった。
「ちょうど良かった。彼女な………」
「ご、ごめんねっ!」
レジャーシートから立ち上がって女生徒を紹介しようとするコウタに、ことりは後ず去って拒絶してしまう。
目の前の光景を。まるで嫌いな食べ物から目を逸らす子供のように。
「じゃ、邪魔しちゃったね……その…………みんなには秘密にしておくから………」
「えっ、秘密って何だかとてつもない勘違いをしてないか!?」
「ごめんなさい!」
「お、おい! ことり!?」
コウタのちゃんとした返答を、女生徒の反応を待たずその場から駆け出してしまう。
林を抜け出し校舎に入り込み、教室へ向かわず階段を駆け登る。途中、クラスメート達から声を掛けられるも反応しない。する余裕はなかった。
どこかへ向かうと考えていなかったが、気付いた時には屋上への扉を開いていた。
放課後はμ'sの練習場所となっている屋上ももう間もなく授業が始まろうとしているこの時間は、正門同様誰もおらず、ことりの荒い呼吸だけが響く。
ことりはフェンスに背中でもたれかかるようにしてから、重々しく息を吐いてしゃがみ込む。
最低だよ。
ことりはたった今の自分を吐き捨てるように評価した。
「コウタ君………!」
コウタとて年頃の男であり、そのルックスは世間で言う所のイケメンだ。当然、音乃木坂学院の中でも人気者で何度か告白されたという話しもよく聞く。
ならば、もう恋人くらい出来ても可笑しくはない。コウタはμ'sの協力者ではあるが、それ以上はこちらから口出しをする権利などないのだから。
なのに。
だけど。
ずっと胸が痛い。コウタの顔を思い浮かべても、その名前を口にしても痛みは消えていかない。それどころか痛みは増していくばかりで、まるであの幸せな時間は制限付きの魔法だったかのように。
そのまま膝を抱え込み、痛みに耐える。チャイムが鳴り響いているが教室には戻る気力は沸かない。むしろ、誰かと顔を合わせる事も出来なさそうだった。
自分は本当にどうしてしまったのだろうか。病気なのか、それとも………。
ふと、抱えている2人分の弁当箱が入ったバッグが目に入る。コウタの笑顔が見たくて朝早く起きて、母親にも内緒で作ったものだが、それも無駄となってしまった。
普通に考えたら、こんな事をしてはいけないのかもしれない。しかし、頭がぐちゃぐちゃになっていることりは立ち上がると、フェンスからその弁当箱を投げ捨てようと振りかぶった。
コウタの為に作ってきたけど、意味がないのなら持っていても仕方がない。むしろ持っていても痛みが増すばかりなら。
普段のことりならしないような事をしようとした時、
「捨てちゃうの? それ」
声を掛けられて、振り切ろうとしていた腕が止まる。
目を向けると、彼女は入口に立っていた。ことりをきっと誰よりも知っていて、誰よりもことりを愛してくれている
「お母さん………」
「頑張って早起きして作ったのに、捨ててしまうなんて勿体ないわよ」
ことりの母親にて、音乃木坂学院の理事長がそう言いながら歩み寄って、振り上げていたことりの手を優しく包み込んで捨てようとしていた弁当箱を下ろしてくる。
「お母さん……どうして…………」
「どうして、はこちらのセリフね。もう授業は始まってるわよ?」
指摘された事にことりは押し黙ってしまう。確かにその通りではあるのだが、理事長に言われても教室に戻る気は起きなかった。
「…………どうしたの? 朝はあんだけ楽しそうにコウタ君の名前口にしながらお弁当を作っていたのに」
「……………あのね、お母さん」
見られていた、という事に恥ずかしさを覚えつつも、ことりは観念したように今胸に抱えている問題を吐露した。未体験ばかりの問題は、ことりだけで解決するのには無理があり過ぎる。
最近、コウタのことばかり考えてしまう事。コウタの事を目で自然と追ってしまう事。コウタの事を考えると胸が苦しくなって、名前を呼ぶと痛みが引いていく事。
そして、先程他の女の子と一緒にいるのを見ただけなのに胸が締め付けられるように痛いという事。
それらを理事長は笑う事なく、まるで成長を祝うかのように嬉しそうに聞いていた。
「そう……やっとことりにも来たのね」
「も、って事はお母さんも………?」
ことりの言葉に理事長は優しく笑って頷く。
「もちろん。私だって元女の子ですもの」
「なら、この胸が痛いのは病気なの……?」
ことりが問い掛けると、理事長は首を横に振って頭を撫でてくる。そこにいたのは音乃木坂学院の理事長ではなく、ことりの母親だ。
「大丈夫、病気なんかじゃないわ。女の子ならきっと、誰とが通る道よ」
撫でていた手を離すと、理事長は踵を返す。
「ことり、その気持ちはとても大切な事で、決して目を逸らしてはいけない。そして、自分の力で乗り越えなくちゃいけないものなの。頑張ってね」
「お母さん……でも、どうしたら………」
誰もが通る道だとしても、ことりは未知の感情に戸惑う事しか出来ない。
「そうね……なら、ここは彼に任せようかしら。ここからは貴女達のステージだからね」
それだけ告げて理事長は屋上から去っていく。
それと入れ替わるように入ってきた影に、ことりは目を見開いてしまう。
「コウタ君………」
「ことり………」
階段を全力で駆け上がってきたのか、肩を上下させながら呼吸を荒くしてながらことりへと歩み寄ってくる。
「何で………」
「何でって………様子可笑しかったし、教室に戻ってもいなかったから………」
「ごめんね………」
そう言ってコウタはことりのとなりに腰を降ろすと暑いのか制服のブレザーとパーカーを脱ぎ捨てる。9月上旬とはいえ日照りが強ければ気温は上昇しているのだから、ブレザーの中にパーカーを着込むのはかなり暑いだろう。
「暑いならパーカー着なければいいのに………」
「このパーカーは俺のアイデンティティー。ことりの鶏冠髪と一緒!」
そう言ってコウタはフェンスに寄りかかり、空を見上げてぽつりと。
「…………誤解してるようだから言っとく」
「えっ?」
「さっきの子、隣のクラスの家庭科部の子なんだけどな。別にことりが思っているような関係じゃないから」
力説するのではなく、まるで何となくで告げるコウタにことりは驚く。
「だって、あんなに仲良さそうに……」
「仲が良いって………まぁそれに関しては俺からは何も言えないけどさ。ことり、お菓子作りの事で悩んでたろ? 俺も何か手助け出来ないかな、って思って……アドバイス貰ってたんだ。それで一応作ってみた、って言うから試食してたんだ………」
その言葉にことりは声を漏らす事が出来なかった。
それはつまり、ことりの早とちり。決してコウタとは恋人同士という訳ではなく、それもことりの為だったと言う。
「そう、なんだ………」
ことりは胸をなで下ろして安堵した。
「良かった………」
そして、理解する。
ようやく、この胸を刺すような痛みが何なのか。
理事長が言っていたように、これは決して病気などではなく、特別な何かではない。
女の子なら誰もが持つ事になる特別な物ではないけれど、特別で大切な気持ち。
あぁ、そうなんだ。ちょっと気付くのが遅すぎたかな。でも、もう誤魔化す事の出来ない奔流。
それにことりは細く笑む。
その時、安心したからかことりのお腹から空腹を知らせる音が響く。
「ことり………」
「うぅ、お昼休みはずっとコウタ君を探し回ってたから、ことりおベント
食べてないんだ……」
「えっ、そうなのか!? わ、悪い……って言うか、俺なんか待たないで穂乃果達と食べてれば良かったのに」
「その………実はね」
そう言って顔を赤くしながらことりは投げ捨てようとしていた弁当箱を差し出した。
「コウタ君っていつもお腹を空かせてるから、もし良かったらって思って………材料も余ってたし、ついでというか………」
あわあわと言い訳じみた言葉を並べてみても、素直な事が言えない。これもある意味で感情を理解してしまった弊害なのだろう。
「………でも要らないよね………あの子から色々貰ったみたいだし」
「…………あれ、ことりさん何か知らないけど怒ってます!? いやくれるなら貰うって! パンケーキとかばっかりでおんまお腹膨れなかったし………」
「じゃあ召し上がれ!」
にこっ、とことりは笑って弁当箱を開けてみせて、その表情を凍らせた。
投げ捨てようとしたからか中身はぐちゃぐちゃに混じっており、ご飯やらおかずが滅茶苦茶に混同していたのだ。それはことりの方も同じであり、見栄えは最悪な弁当となってしまっていた。
「ありゃりゃ………」
「ご、ごめんなさい………」
ことりの早とちりの結果がこれなのだから、何の弁明のしようもない。これでは食べさせられないとことりが弁当箱を引こうとするより先に、コウタが弁当箱を持ち上げた。
「えっ………食べるの………?」
「そりゃあ、せっかくことりが作ってきてくれたんだし。床に零したとかじゃないから平気平気」
「でも、味とか滅茶苦茶だろうし………」
「胃袋に入っちゃえば同じだって」
その発言がカイトやアキトの神経を逆撫でしているというのに、コウタは気付く事なく箸を握り締める。
「じゃ、頂きまーす!」
そして、煮汁が染み込んでしまったご飯をぱくりと食べ、目を見開く。
「ど、どうかな………?」
恐る恐ると聞くことりには答えず、コウタは箸を弁当箱に置いて一言。
「…………ごめん」
それはことりにとっての死刑宣告に等しかった。コウタの為に作ってきた弁当は滅茶苦茶で、当然のごとく味も変な味になっているだろう。
本来ならそんな事を言わないであろうコウタが、その言葉を口にしたということは味の意味は火を見るよりも明らかだ。
だが。
「俺、もう姉ちゃんの手料理……食べられないや……」
「ぴぃ……?」
少し上ずった声を漏らしてしまうことり。当たり前だ。先に口走った言葉と現状が違うし、何より何故姉に謝罪の言葉を述べたのか。
「美味い! えっ、この状態でこの美味さって何!? 姉ちゃんの料理霞んじゃってるよ!」
くわっと顔を上げて笑顔を浮かべたコウタは笑顔を浮かべると、がつがつと弁当を食べ始める。
コウタに美味しいと言ってもらえた。それだけで嬉しさが胸に広がる。つい先程まで暗雲が覆っていたというのに、ことりの本音というものは思っていた以上に現金だったらしい。
「……………あ」
ふと、声を漏らして慌ててことりが立ち上がった。コウタが何事か、と見上げてくるがそれほど大した事ではない。
「思い付いた………」
「えっ?」
「思い付いたの! オリジナルのお菓子が!」
時折、μ'sの作曲担当のツンデレ嬢が「音が舞い降りてきた」と表現した事がある。それはまさしくこんな感覚を言うのだろう。
ことりの言葉に弁当を口に放り込んだコウタが、飲み込みながら立ち上がった。
「本当か! 良かったなぁっ!」
「うん! コウタ君のおかげだよ!」
心の底から湧き出る喜びのあまり、ことりはコウタに抱き付く。ふにょんと柔らかい自分の双丘を押し付けてしまっているが、ことりにとってはその感触も幸福だ。
「お、おい………ことり!」
顔を赤くしながら狼狽するコウタに構わず、ことりは思い浮かべた事を口にする。
「そうだ! コウタ君、今すぐウチに行こう!」
「えぇっ!? いや、授業は……………」
「そんな事よりこっちの方が大切だよ! コウタ君なら秘密の抜け道くらい知ってるよね?」
「そりゃまぁ知ってるけどぉぉぉぉっ!?」
コウタが言い終わる前にことりはコウタの手を引っ張って屋上を飛び出す。
普段のことりからは考えられない行動力、思いつき。
それらは確かに南ことりという少女らしからぬ事なのかもしれない。
しかし、その変貌は当たり前の事なのだ。
それが、ことりが知った感情によるものなのだから。
その感情の名は『恋』。
恋する乙女は神が相手であっても敵に回せる。
その格言通り恋とは盲目であり、恋する乙女は無敵なのである。
数日後、某メイド喫茶にて。
「では、優勝されたミナリンスキーさんとオレンジ侍さんからコメントを頂きます!」
メイド喫茶にて行われたお菓子作りコンテストの優勝者は、コウタとことりのペアで飾った。
それを端っこのテーブル席に座りながらカイトは腕を組みながら、希からの睨みに耐えていた。
「………何で優勝逃したん?」
「アキトもだにゃー!」
隣で同じようににゃーと唸っている凛の爪とぎを受けながら、アキトが座って喜んでいる2人を見つめている。
「だって、さぁ……………」
「…………あぁ」
アキトの言葉に同意するように、力なくカイトは言葉を吐く。確かにことりの料理、お菓子のみならず全体的な視野で見てもカイトには及ばないだろう。
なので、カイトの勝ちは揺るがなかった。
だから、ことりが勝てたという事はカイトが勝ちを譲ったという事だ。だから希は怒っている。アキトでもことりよりかは上の腕前を持っていたのだから、同じくことりに勝ちを譲ったのだろう。
2人の目は同じ言葉を語っている。
ちらりとコウタに抱き付いていることりを見て、呟く。
「あんな恋する素敵な笑顔見せられちゃなぁ……………」
「あの笑顔を奪う気にはなれん……………」
それぞれの相方に聞かれないほど小さな声で、祝福を呟く。
テーブルに飾られている霞草が風もないのに揺れる。
それは少女の笑顔を見て喜んでいるかのように。夢に浸る少女の願いを叶える事を祈るかのように。
ことりの笑顔は、いつまでも咲き誇っていた。
今回は間に合ったー。
お誕生日おめでとう、ことりちゃん! その蕩けるような声はいつもみんなを笑顔にしてますぜ!
さて、どうでしたか。ことりちゃんの回。前回の穂乃果と違って、ことりちゃんが恋心を自覚する話しでした。
ことりちゃんって恋をしたら盲目になるタイプだと思うんですよねー。そこからやがてヤンデレや黒い小鳥へと…………
ともかく、お誕生日おめでとうございます!
次はたぶん本編。ちゅんちゅんが恋心を自覚した次は、ミッチの番!?
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