「正義」
「貞節」
「愛らしさ」
「忠実」
途中、*のラインで囲っている場面があります。けっこう生々しい描写があります。苦手な方は読み飛ばすなどして注意してください
将来の夢。
それは誰しもが小学生の頃、一度は作文として書かされた事のあるテーマだろう。
生憎と大人となってしまってはどんな内容をつらつらと恥ずかしげも無く書いたのかは覚えていない。そも、自分の生い立ちを考えてみても書いたのかさえ疑わしいが、ともかく葛葉コウタはその夢とやらに今更頭を抱えていた。
だからか、最近ほぼ俯いている事が多いのかもしれない。
あの空高く、太陽に向かって咲き誇る花のように、顔を上げたのはいつ以来だったのだろうか。
それでも時は進む。思い出は積み重なられていく。
まるで置いてけぼりにされているような気がして、コウタはあまりいい気分ではなかった。
今の場所にしがみついているような感じがしたからか、コウタは手を伸ばす。
眼前でこちらに背を向けて、どこか遠い所へ行ってしまいそうな彼女を。
あの太陽のような笑顔が、もうみれないような気がして。
必死に、がむしゃらにその手を掴もうとする。
だが、それは空を切ってしまい、やがて彼女は本物の太陽になってしまい、手の届かない所へ行ってしまう。
それが堪らなく悔しくて、寂しくて、哀しくて。
なにもない、太陽の光が届かない暗闇で、ただ1人。
コウタの絶望が轟いた。
心地良い振動に揺られていたコウタを、突然の小さな衝撃が襲う。それは傷みを伴うようなものではなく、少しでも小突かれたような程度の差のものだ。ふだなら気にするほどのものではなかったが、微睡みの中から引き戻すのには十分だった。
目覚めたコウタは、ゆっくりと意識を覚醒させていく。霞んでいた視界が鮮明になり、やがてはっきりと世界が映る。
心地よい揺れが起きているのは、電車の中だからだ。 それも通常の電車ではなく、東海道新幹線の中である。
普段、慣れ親しんだ私鉄とは違いきっちりと棲み分けされた指定席に狭さや不便さを感じながらも、軽く伸びをして脳に酸素を送った。
「あっ、起こしちゃった?」
コウタが座っているのは通路側の席であり、2列席の外側だ。
必然的に隣は窓側の席となり、その席を陣取っている『少女』はまるで子供のようにウキウキした様子で窓から外を見ていた。
いや、もはや『少女』とは言えない。出会った当初こそ『少女』であったが、もう6年も経っているのだ。互いに成人も迎えて堂々と飲酒も可能となり、その容姿ほ子供っぽさは些か残っているものの美しい大人へと成長したのだ。
以前から整えてるあった右側を青いリボンで纏めたサイドテールに、肩上くらいまであった髪も今では背中に届きそうなくらいに伸びている。
身体つきも6年前と比べてはっきりとわかるくらいにボディラインがはっきりとしており、本当に見違えるように綺麗になった。
相変わらずデニムのショートパンツと黒いニーソックスの間から見える太股はコウタも見慣れているはずなのに不意に視界に入ってしまえばごくりと生唾を飲み込んでしまう。最近はコウタの趣向に合わせてくれているのか白いシャツに青いカーディガンを着込んでいた。
そんな『彼女』を『少女』とは呼べまい。もう立派な『女性』である。
コウタは起きたのに気付いたのか、こちらを見て申し訳なさそうな表情をする『彼女』に、コウタははにかむ。
「いや、もうすぐ着くだろうし。丁度良かったと思う。てか、寝ちゃってゴメンな」
本当なら話し相手になってあげるべきだったのだが、昨日の夜遅くまでバイトをしていた為に寝不足だったのである。
その為、寝不足で東京を出てくる神奈川県に入った所までは起きていたのは覚えているが、そこからの記憶がないという事は寝てしまったのだろう。
コウタが謝ると、『彼女』はううんと笑って首を横に振る。
「今日の為とこれからの為のバイトだもん、仕方ないよ。まだもう少しかかるみたいだから、寝てても大丈夫だよ?」
「いや、大丈夫。そっちこそ、外を見ていたかったら見てていいんだぜ?」
そう言うと、『彼女』はむっと頬を膨らませる
「私、もう子供じゃないよ」
いや、たった今はしゃいでたじゃん子供みたく。というか、その仕草が子供なんだけど。可愛いからいいけど。
という突っ込みと本心が入り混じった言葉を飲み込み、宥める為にその頭を撫でる。
すると『彼女』はくぅーんと嬉しそうに目を細めてなすがままにされている。まるでもっと撫でて欲しいと言っているようである。
『ご乗車、まとこにありがとうございます。まもなく京都、京都です。お忘れ物ございませんよう、お気を付けください』
その時、アナウンスが響き予め録音されていたであろうメッセージが流れる。
コウタがつい『彼女』の頭から手を離すと、『彼女』は悲しそうな顔をした。
「またいつでも撫でてやるって。降りる準備しないと降りそびれるぞ」
そう言って、ふとコウタはクスリと笑った。
「どうかした?」
「いや、2回目の合宿の時、皆から忘れられた事を思い出してさ」
コウタが言うと、あぁ、と『彼女』も思い出したのか懐かしそうに目を細める。
「そうだねぇ………まさかことりちゃんやアキト君、ミッチにまで忘れられるなんて思わなかったよ」
「まぁ後者2人は間違いなくわざとだろうけどな」
当時、愉快そうに笑っていた弟分と後輩を思い返してため息を漏らすコウタ。本当にいいコンビだとつくづく思う。
当時、今から6年前。廃校の危機に晒されていた2人の母校、音乃木坂学院にスクールアイドルμ'sが誕生した事により、コウタは転入する事となった。
彼女達を支える影武者としての日々は決して楽ばかりではなかったし、沢芽シティを出たというのに戦いは絶えず起こったりした。しかし、それでも日々は充実していて、楽しくて、全力を走った青春だったと言えよう。
そして何より、『彼女』と出会えた事が一番の思い出なのかもしれない。
「懐かしいねぇ……」
「本当にな」
今でも思う。
6年前に出会った9人の女神。
その中の1人とこうして一緒にいる。
『彼女』に手を伸ばして、その手を掴めて本当に良かった。
「……………なぁ」
「うん………?」
『彼女』はこちらを見て首を傾げた。
「一杯、思い出作ろうな。穂乃果」
「……………うん!」
6年前と変わらず、太陽な笑顔で恋人である高坂穂乃果は頷いてくれた。
穂乃果に告白したのは、卒業式の翌日だった。本音を言えば卒業式の直後にでも想いを伝えたかったのだが、共学化により入ってきた男子生徒達から穂乃果は告白され、コウタもまた在校生や同級生の女子生徒達から告白されるというオンステージの為に会う所ではなかったのである。
ちなみに、廃校を救ったでもない自分が何故人気なのか、生徒会の後輩に聞いてみると。
『馬鹿じゃないですか』
『馬鹿じゃないの?』
『ちょっと、それは………』
『ちょっと馬鹿過ぎるんじゃないかにゃー』
『ちゅーか、馬鹿だろ』
ボロクソ言われた。ボロクソ言われたのに、何故か反論出来ない自分がいる。
ともかく、翌日に穂乃果を呼び出してコウタから告白した。ありきたりな言葉で、おそらく今までにないくらい顔を赤くして、これでも抱いていた想いを全力でぶつけた。
すると、穂乃果は最初な泣き出し、「私も同じ気持ちだよ」と言ってくれた。
こうして人生初のコウタの初恋は実り5年間の交際が続いているのである。
穂乃果は大学へと進み、コウタはフリーターとなった為、毎日ではないがそれなりの時間を一緒に過ごしてきた。
小さな事で喧嘩をしつつもちゃんと仲直りはしているし、相手を束縛し過ぎていない。それなりに良い恋人同士でいられているのではないだろうか。
ヤる事はヤっているので『健全』とは言い難いだろうが。
「うわぁー…………」
穂乃果の声にコウタは顔を上げる。目の前には大きなビルのような建築物が建っており、外壁もまるでお城のようなデザインであるが今回の旅行で泊まるホテルである。
「すげぇな」
「本当だねぇ………いつも私達が行っているラブホと違うなぁ」
「ラブホと本格ホテルを一緒にしたらダメだろ………」
相変わらず思った事をすぐに口に出してしまう恋人に苦笑して、コウタは2人分の荷物を持って中に入った。
スタッフの案内でチェックインを済ませた2人は指定された部屋へ行き、荷物を置いた。
「ふぇー、流石に疲れたねー」
「さて、これからどうするかな」
早速ベッドに倒れ込む穂乃果に苦笑しながら、コウタは部屋の時計で時間を確認する。
現時刻は16時40分。夕方に入ったばかりで今から観光というのは中途半端な時間であり、施設も閉館間際の所ばかりであろう。
かと言って、夕食には少し早い。小腹は空いていてコウタはがっつり食べれるだろうが穂乃果が辛いはずだ。
「じゃさ、じゃあさ」
ベッドで仰向けになり、枕を抱き締めながら穂乃果が提案してきた。
「少しホテルの周りを散歩しない? で、ついでに適当な飲み屋で飲んじゃおうよ」
「電車でも駅弁で乾杯してビール飲んだのにまた飲む気なのかよ………」
成人した、という事は当然飲酒が許される年齢に達した、という訳で。
実はコウタ。ビートライダーズ時代からこっそりと飲酒はしてきており、穂乃果に酒を勧めたのもコウタである。
最初の方はコウタがリードするような形だったのだが、予想外な事に穂乃果が酒の味を覚えてしまってからは形勢が逆転。元々、脳細胞がトップギアになった穂乃果は周りが見えなくなり、ブレーキも効かなくなる性格だ。
それは6年経った今でも変わらず、それが災いしてしまいコウタや周りの制止も聞かずに吐くまで飲んでしまうのだ。
その姿はまさしくウワバミ。特に飲み放題コースがある居酒屋などでは一度入れば、まず自分の足でしっかり立って出て来る事はない。
何度か行われているμ'sの飲み会では必ずコウタが迎えに行くか、メンバーに届けられるかの二択である。
だから、旅行とないえ初日からそんなに飲めば明日に響くのは必須であり、観光出来なくなってしまっては京都まで来た意味がなくなってしまう。
「散歩には賛成だけど飲むのはやめとこうぜ。せっかく京都に来たんだし、京都料理食べたい」
「えーっ、いいじゃん! せっかくの旅行なんだし、地酒とか飲みたいー!」
両手をブンブンと回す恋人に、コウタはやれやれと肩を竦める。誰だこいつに酒を教えたのは、俺だよちくしょー。
もはやこの酒好きはprintempsではなくプリン体である。
普段ならここで可愛らしさと愛らしさと自分も酒飲みたいという欲求に負けて、2人で飲んだくれたあげく仲間達に助けて貰うのがパターンだが、ここは神田ではなく京都だ。見ず知らずの土地なのだから、男のコウタがしっかりしなければ。
「ダーメ! ここは京都、ミッチ達や海未達もいないんだか、しっかりしないと」
「うぅ、ケチー!」
「せっかくの旅行で飲み潰れました、なんて残念過ぎるだろ」
今回の旅行は2人がせっせと日々バイトを重ねて貯めた給料で来ている。それらが酒に消えるなど悲しすぎるではないか。
コウタの言葉を理解してくれているのだろうが、納得がいっていない様子の穂乃果。これがもし、普通に制止が効くねら許可も出来るが、穂乃果の場合前例があるだけに許可出来ない。
「うー!」
顔を赤くして上目遣いをしてくる穂乃果は、振り回していた両手を止めて再び枕を抱き締めてくる。正直、もう今すぐ抱き締めたいくらいの可愛さであるがここで負ければ
「…………わかったよ」
コウタの言葉に穂乃果は表情を明るくさせるが、びしっと指を突きつける。
「だったら散歩ついでに飯食べて、ドラッグストアとかで酒とつまみ買ってホテルで飲もうぜ!」
「ホテルで………?」
ホテルで飲めば酒は有限で、何より戻る必要がないのでその場で潰れられる。穂乃果を納得させる形で自重させるにはこれくらいしかないだろう。
「なっ、吐くまでは飲まないだろ」
「コウタ君…………」
いつも穂乃果を丸め込むために、弟分達からのアドバイスで生み出した方法だが、京都でも効果は抜群のようだ。
明るく輝いていた穂乃果に、今度は花が咲いたような光が灯る。
そして、そういう時に穂乃果が取る行動を、コウタは熟知している。
「コウタ君、大好き!」
「ですよね! 感極まったら抱き着いてくるのが穂乃果だもんな! だけどそれ、ミッチとかにもやってるだろ知ってるぞ俺! 俺だけにしてくれ頼むから!」
抱き着いてくる穂乃果を受け止め本音をダダ漏れにしながら、こういう真っ直ぐな所に惚れたんだよなぁと笑みを浮かべた。
音乃木坂学院を卒業してからコウタは大学や専門学校には通わず、フリーターとしての日々を送っていた。
アーマードライダーとして正式にユグドラシルの一員となる、という道もあったが、コウタにはその道を歩む気にはなれなかった。
3年生になった後半、夏休みを過ぎた頃からか。周囲が受験という空気の中で、コウタは「自分のやりたい事」という事が見つからず、ずっと悶々とした日々を送っていたのである。
「ライダーとして戦えばいいんじゃないのかな0」
そう言う穂乃果の言葉に従うがふぉとく、一時期は本気でアーマードライダーとして生きるのも悪くはないと思った事はあるのだ。実際、今でもドライバーとロックシードは持ち歩いているし、ずっとインベスの抗争が起きれば駆けつけた。
しかし、実際に仕事現場を見学させてもらったのだが、現実は思い描いていたモノとは違い、戦闘よりも事務仕事の方が圧倒的に多かった。頭を動かすより身体を動かす方が得意なコウタからしてみれば、現実のライダーの仕事は出来れば御免こうむりたい仕事となったのだ。
当然、ぜひともと言われたり、席は残してあると言ってくれた。ライダーとして戦っていくつもりではあるが、やはり細かい事務仕事は無理である。
だから、でも、と繰り返しているうちにに高校を卒業となり、5年という月日が経って今に至る、という訳である。
大元が大元であるが故に大きな”変身”を望んでいるのかもしれないが、それを言い訳にして何もしていない以上、今のコウタは単なるダメ人間であった。
「本当にやりたい事…………夢、か」
「うん?」
にしんそばをすすりながら、コウタのぼやきに首を傾げる穂乃果。
結局、散歩をしても目ぼしい店はなく、空腹を訴えた穂乃果の案により、京都駅と一体になっているビルの中にあるそば屋で夕食を食べる事にした。
コウタが注文したのは鴨そばで、穂乃果はにしんそばだ。京都のそばは美味いと聞いていたが、予想以上の美味さに思わず控えよと思っていたビールを1瓶開けてしまい、つい先ほど日本酒の八海山を注文してしまったほどだ。
「いや、旅行に行く前にさ、おじさんと飲む機会があったんだ」
「お父さんと…………?」
コウタの言うおじさん、と言うのは穂乃果の父親の事である。
コウタと穂乃果が付き合う事になって、ひとまずμ’sやチーム鎧武の仲間達にはメールで報告し、真っ先に挨拶へ足を運んだのは穂乃果の両親だった。
コウタが両親との別れに複雑な事情を抱えていると知ったからか、高坂家の人間はよくコウタを家に招いてくれた。姉も帰ってくる事が少ないので夕食をご馳走してくれたりもあった(泊りも薦めてくれたりしてくれたが、流石に遠慮した)。
それだけ親切にしてもらい、特におじさんにはまるで本当の息子のように接してくれた。そのことを穂乃果の母親にそれとなく尋ねてみると「本当は息子が欲しかったのよ、あの人」とのことだ。
「どんな話しをしたの?」
「これからどうするのか………って感じ」
コウタと穂乃果は今年で22歳。本来なら新社会人として働いている年齢ではあるが、2人ともフリーターと実家の手伝いである。
穂乃果はまだ世間的に家の手伝いで何とか通せるが、男のコウタはそうはいかない。しかも、もし家庭を持ってしまったら家族を支えて守っていかなければならないのだ。
コウタの言葉を聞いてか、穂乃果が不安そうな顔をする。
「もしかして、このままフラフラしているようなら交際を辞めろ…………って言われた?」
「いや、酒入ってたし………まぁ、いつになったら孫の顔を見せてくれるんだ。とか、式は和だよな、とか言われたけど」
「お父さん、気が早過ぎ…………」
想像していた嫌な予感が外れたからか、穂乃果は安堵の表情を浮かべる。
コウタも穂乃果と同じ想像をしたのだが、思っている以上におじさんからは信頼を寄せられてた。
だからこそ、自分のやりたい事を、夢を、将来を、未来を見つける必要があった。
コウタにはその覚悟に答える責任が、義務がある。穂乃果に想いを抱いて手を伸ばし、その手を掴めた瞬間から。
他の誰かが、ではない。コウタ自身が穂乃果を幸せにしなければ。
「でも…………出来れば私は今のままがいいかな………」
「………………その先には進めないって事か?」
穂乃果の呟きにコウタがそばをすすりながら尋ねる。
「そうじゃないよ? ただ、子供が出来ちゃうと自由に動けないって希ちゃんも言ってたし………」
そう言って、最後のそばを食べ終わり、穂乃果はお茶を飲む。
「もう少し、コウタ君と一緒にどこかに行きたいなーって」
穂乃果のある意味でプロポーズとも取れる言葉に、コウタは返答しなかった。
否、答えないのではなく、答えられなかったのだ。
コウタは知っている。人は変身する事が出来るが、同時に変身せずにはいられない。必ず今いる場所からいつか、歩き出す時が来る。
だからこそ、その時の為に出来る事をしておかなければならないのだ。
の、だが。
「………………コウタ君。そろそろ行こう? ドラッグストア、閉まっちゃうよ?」
「……………あぁ、そうだな」
気付けば、コウタのそばも食べ切っていた。穂乃果自身の八海山も無くなっているのを見て一気に小グラスを飲み込む。隣で穂乃果があっという貌表情をするがもはや後の祭り。
焼けるような感覚が喉を走るが、その中に含まれている甘味が舌を、脳を刺激していく。揺さぶられたように視界が揺れ、世界にいる感覚がふわふわとしたように軽くなった。
「っっはぁ…………」
つい癖で目を眇めて世界を見てしまい、穂乃果から「あちゃー」という声が聞こえる。が、もはやどうでもいい。細かい事も、あれやこれもどうでもよくなり思考から吹き飛んでいく。
「考えるのはやめた」
そうぼやいてショルダーバックと財布の中身を確認し、穂乃果を見やった。
「穂乃果………」
「はいはい、わかってますよー」
仕方ないなぁと言わんばかりに穂乃果はコウタの頭を撫でてくるが、ふり払う事もせずに互いの顔を見合わせて告げた。
「「一飲み付き合えよ!」」
にかっと笑い、2人は会計を済ませてドラッグストアへと向かった。
しかし、コウタには理解出来てる。酒で誤魔化す事も、快楽に溺れる事も。
結局はただ逃げているだけ。単なる先延ばしでしかないという事を。
**************
微睡みから意識が戻ったコウタが見た光景は、知らない天井であった。どこかで聞いた事のあるようなフレーズだが、実際に知らない天井なのだから仕方がない。
「……………んぅ」
ふと、すぐ隣で声が漏れる。目を向けると、そこには恋人である穂乃果がいた。ただし、一糸纏わぬ生まれた時のままの姿で、だ。
そこでようやく思い出す。昨日はホテルに戻る途中で、すでに酒が回っていた状態なのでドラッグストアで結構な量の酒とつまみを買い込み、そのまま酔いの勢いで事をしてしまったのだ。
穂乃果が動くと布が擦れる音と共に、健康的な肩甲骨が姿を現した。必然的にも肩から先も見えるようになり、その白い肌に思わず唾を飲み込んでしまう。
何度も見たはずなのに、いつまで経っても慣れない光景にコウタは狼狽した。もう付き合って6年になるし、肌を重ねている時はもっと生々しい所も見ているというのに、どうして事後になって恥ずかしさを覚えるのだろうか。
「……………さむい………」
夏場とはいえ部屋にはクーラーが効いており、裸では寒さを感じるほどだ。
掛け布団を穂乃果の肩までかぶせて、ふと特有のオレンジ髪に触れてみる。サラサラで女性特有の甘い香りにコウタの身体は素直に反応するが、いやいや朝だって今日は観光するんだろうが、と自分に言い聞かせる。
そのまま撫でながら、時計を確認する。ホテルから言われている朝食の時間はすでに始まっているが、バイキング形式なのでそれほど急ぐ必要はないだろう。
そして、今度は手を髪から頬へ。やがて、そのピンク色の唇に持っていく。
「……………なにしてるのかな?」
「起きてたのか?」
何となくで穂乃果の口に指を入れようとした所で、声が掛かってその瞳が開かれる。
「おはよう、穂乃果」
「おはよ………で、何で人の口の中に指を突っ込もうとしたの?」
挨拶もそこそこにジト目で見てくる穂乃果から指を抜き、糸が引いているのでそれを舐め取って答える。
「何となく」
「………何となくで入れないでよ。あと、平然と人の唾舐めないで。昨日、あんなにしたのに………満足出来なかった?」
昨晩の最中を思い出したのか、穂乃果は顔を赤くする。それはもう激しかったとも、こっちに来る前なた買っておいたゴムは全部使ってしまったほどに。
しかし、その発言にコウタはムッと表情を顰める。そもそも誘ってきたのは穂乃果であり、コウタ自身そこまでするつもりはなかったのだ。
何故、それほどまでに連戦してしまったのか。決してコウタが絶倫という訳ではない。
「あのさ、穂乃果。本来の戦極ドライバーの機能なこういう事に使うんじゃない、っていつも言ってるだろ」
そう言ってベッド脇のテーブルに置かれている戦極ドライバーに目を向ける。普段ならば戦闘時以外は何もセットされていないはずのドライブベイにはヒマワリロックシードがはめ込まれていた。
戦極ドライバーの本来の機能。それは即ち、森からの侵略の中で人類が生きていく為のものだ。
それを6年前、誰にも知らされていない戦極ドライバーの本来の意味を教えたのは他ならぬコウタ自身であるが、当時の高校生が何をどうしたらこんな使い方をされると予想出来るだろうか。というか、それを思い付いた穂乃果の発想が怖い。
すると、今度は穂乃果がむっと唸った。
「だって、たくさん気持ちいい事出来るし………」
「だからってアレはなし。それだけを求めたら恋人じゃなくて、単なる身体の関係じゃんか」
コウタの指摘に、ついに穂乃果は押し黙る。しゅんとなるその姿はまるで子犬のようであり、耳があれば確実に垂れているであよう。
その姿を見てしまうと、朝から言い過ぎたかの、と反省してぎゅっと穂乃果の肩を掴んで抱き寄せた。
「コウタ君……?」
「まぁ、せっかくの旅行なんだからそういうのは少し我慢して、思い出作ろうぜ」
そっと髪を撫でて、コウタは笑う。せっかくの旅行を楽しまないのは損であり、確実に間違っている。
「…………うん!」
そして、それに穂乃果も同意してくれる。
今回の旅行を提案したのはコウタだったのだが、決して先走っていた訳ではないようだ。
それがわかって嬉しくて、コウタは抱き寄せていた穂乃果の額に軽くキスをする。
こそばゆさと恥ずかしさを感じて、2人は顔を見合わせてはにかんだ。
すでに太陽は完全に登りきっていた。
******************
朝食が終わるギリギリの時間でバイキングを食べた穂乃果とコウタは、シャワーなどの身支度を軽く済ませるとさっそく京都観光へ出発日した。
まず最初に向かうのはホテルから30分ほど歩いた所にある晴明神社という所だ。
雑誌に乗るような観光名所、というより知る人ぞ知る場所、といった方が合っているらしい。
堀川通りに面するような形であるこの神社は、平安時代に活躍した陰陽師という役職の中で、史上最高峰と謳われた安倍晴明を祀っている場所だそうだ。
当時、実際に晴明公が住んでいたとされる場所に建てられており、中学時代におとずれた清水寺などと比べてしまえばこじんまりとしているが、それでも放っている威圧感は尋常ではないくらい感じられた。
「でも、コウタ君がそういうオカルトに興味があったなんてねー」
「いや、実はアキトに寄ってくれって頼まれたんだ。なんでもあいつ、陰陽師の小説のファンらしくてさ………」
あぁ、あの子か。と納得した風に穂乃果は頷いた。
鳥居を潜り中に入ると、左手に小さな竹薮があった。そこにはどういう訳か小さな橋がかけられており、その傍には妖怪のような正直気味の悪い像が設置されていた。
「なんだ、これ…………」
「えっと………一条戻り橋っていうみたいだよ。その昔、晴明様の奥さんはすっごいお化けが苦手で、晴明様が使う式神さん達を凄く怖がったから、この橋に隠してたんだって」
立て札に記されている事を穂乃果なりに砕いて説明してみせると、コウタは不可解そうな表情をする。
「なんでそんな人と結婚したんだよ…………」
「人を好きになるのに理由はないよ、きっと」
穂乃果がコウタを好きになったのは、アーマードライダーなどの理由ではない。そもそも、人の感情に理由など付けられないのだから。
わざわざ付けるのだとしたら、それは葛葉コウタだったから、としか言いようがないだろう。
「そんなもんかねぇ……」
「男の人に女心を理解しろ、っていうのが無理な話しなのかもね」
腕を組んで考え込むコウタに苦笑を浮かべて、穂乃果は反対側にある社を見やった。
特に何かあった訳ではないが、ただ何となく目を向けただけだ。
その瞬間、どこかで白い何かが揺れた。
「…………?」
「あ、穂乃果」
何かの正体を探ろうと目を細めた所で、コウタが声を掛けてくる。
振り向くとコウタがある一点を指指している。そこを見れば厠という看板があり、察した穂乃果は頷く。
そそくさと向かっていくコウタを見届けて、穂乃果は何気なく周りを見回した。かつてはスクールアイドルに身を焦がしていたのだから、今までそれ関係で声を掛けられたことは数知れず。
だから、もしかしたらナンパしてくるような輩がいるのかもしれない。
と、思って警戒してみたのだが、周りにいるのは年のいった夫婦や近所なのか高齢者などであり、穂乃果達のような若い旅行者の姿は見られなかった。
ふと、気になっていた奥の境内へと足を進めた。そちらが本格的な境内らしく、拝殿に御賽銭箱も見えた。
だが、それよりも穂乃果の目を引いたのはごく小さいながらも美しく咲き誇る桔梗の花の庭園だ。
「綺麗…………」
思わず穂乃果は呟いて桔梗をまじまじと見つめる。
普段ならば花にあまり目を向ける事はないのだが、やはり場の空気に当てられてか視線が自然と吸い寄せられた。
「うん、凛ちゃん達がお花に詳しくなるのもわかるかもね………」
その時だ。
背後から、ぼとりと何かが落ちた音がした。
穂乃果が振り向くと、そこには大きな大樹があった。注連縄があるという事は御神木なのだろう。書けられている木札は楠と書いてある。
いや、それは何も可笑しい所はない。可笑しいのは、その根本にあった。
「…………」
そこには猫や犬よりも一回りほど大きく、両手足を含めた全身を白い毛並みで覆った体躯の生き物がいた。兎のように長い耳があるが、猫のように長い尻尾がある。さらに首周りには勾玉のような赤い突起が一巡しているという、穂乃果が見た事のない生き物だ。
どうやら楠から落下してきたらしく、その生き物は器用に足で立つと背中を手を摩る。
そこで穂乃果の視線に気付いたのかこちらを顧みて、
「…………見せモンじゃねぇぞ」
夕陽が溶け込んだような瞳を向け、額の赤い花のような紋様を向けてきながら人語を喋った。
「しゃ、喋った……インベス………?」
「………………ちっ」
白い生き物は尻尾を揺らして四つん這いになると、猫のごとく穂乃果の前から去る。先ひどいた一条戻り橋の方へと走っていくのを見て、気になった穂乃果は追いかけた。
そして、穂乃果はその生き物を何の苦もなく見つける事が出来た。
その生き物は一条戻り橋にいた少年の肩に乗ると、こちらを警戒するように睨んできた。
「…………どうした?」
少年は肩に乗った生き物に問掛ける。地元の学生だろうか黒い学ランに腰まで届きそうなくらい長い黒髪は、一見すれば女子のように見えなくはない。端正な顔立ちもコウタのような男らしい、ではなく弟分のようね美少年といったジャンルに位置するであろう。
「……………何か?」
見つめていたからか、少年が首を傾げて尋ねてくる。
はっとなった穂乃果は慌てて言葉を見繕った、
「そ、その肩に乗っているの猫って珍しいですね。インベスとは違うし………」
すると、少年はぎょっとしたように肩の生き物を一瞥し、まじまじと穂乃果を見やってくる。
「………『視』えるんですか?」
「えっ………」
少年の問掛けの意味がわからず、穂乃果は首を傾げてしまう。
しかし、少年は何かに気付くとまじまじと見つめ返してきた。
コウタという恋人がいるとはいえ、年下の美少年である。コウタは嫉妬するかもしれないが赤面するな、という方が無理である。
「な、何か………?」
「……………何か大きな悩み事を抱えていらっしゃるようですね。それも、本当ならお相手に相談したいような、大きな悩みを…………」
瞬間。
穂乃果は思わず瞠目してしまう。それは完全な図星であり、寸分違わぬ指摘だったからだ。
その反応を見て確信を持ったのか、少年は頷いて言う。
「俺、そういう占いみたいのが得意で……」
少し気恥ずかしそうに頬を掻いている少年に、穂乃果は何も答えられない。
穂乃果の大きな悩み。それはコウタと同じ、これからの事だ。
よく母親に言われるのだ。これから先、何をしていくのか。
即ち穂むらを継いでいくのか、それとも別の仕事を見つけるのか。
両親はこれといって家を継げ、とは言ってこない。コウタとの関係も良好なのを知っているかるか口を出してこない。
だからか、ずっと考えないようにしていた自身の将来。それを昨晩、コウタとの会話で思い知らされた。
恋人であるコウタはしっかりと、自分との未来を見据えている。なのに、自分は知らない振りをして、今が楽しいからそれでいいと振舞っていた。
それがとても恥ずかしく感じてしまいっているのである。
「…………でも、将来に不安を持つのって当たり前だと思います」
俯いた穂乃果を励まそうとしてくれたのか、少年が言ってくれる。しかし、中学生ほどの少年の言葉は穂乃果には届かない。むしろ、惨めさを感じさせるくらいだ。
「…………情けないな」
その言葉を発したのは少年ではなく、肩に乗っかかっていた生き物であった。
「もっくん……」
「もっくん言うな」
咎めようとする少年だが、生き物の夕陽の瞳に黙殺される。
生き物は穂乃果へとその瞳を向けてくる。それに含まれている得体のしれないプレッシャーは、今まで生きてきた中で感じた事があるような、ないような感覚だ。
「落胆したな。それでもかつては世界の命運を賭けて歌った歌姫……その中心にいた身か」
瞬間、穂乃果は驚く。6年前、確かに大きな戦いがあった。この世界は平和だと思っていたが、それは所詮偽りだったという事を世界が知った日。内包していただけの闇が吹き出し、世界を侵食しようとした出来事。
今ではそれを知る人はいない。世界を巻き込んだはずなのに、その記憶が一部の人を除いて消したという。
それを知るという人(というか生き物?)がいたという事に驚きを隠せないが、それの質問すらも黙殺されそうである。
「将来に不安を覚える。そんなの、小童ですらわかる事だ。お前はあの時、それすらを乗り越えて前に進み、世界を切り開いたんじゃないのか。かつて乗り越えた壁よりも小さな壁を、どうして乗り越えようとしない。簡単だろうがぁぁぁぁっ!?」
生き物の言葉の言葉を最後に潰したのは少年だった。今まで黙殺されていたが我慢ならなくなったように生き物の顔面にヘッドロックをかますように潰している。
「……………すみません。ぱっと出の俺達が口を挟む事じゃありませんでした」
そこで区切って、しかし少年は確信を持ったように告げた。
「でも貴女は、この旅で『答え』を見つける事が出来ますよ。占にもそう出ている」
「『答え』…………?」
「人は悩み、けれど答えを出せる生き物です。だから、諦めないでください。そして、貴女のお相手は必ず貴女を受け入れてくれますよ」
それはアドバイスなのだろうか、それとも。
そう言って不思議な雰囲気を持った少年は去っていく。「そういうキザな台詞、藤の花にも言えたらいいのにな。晴明の孫よ」「さっきは言えなかったけど孫言うな、物の怪のもっくんの分際で」「俺は物の怪じゃなーい!」という言い合いを残して。
残された穂乃果は、嫌な汗が噴き出すのを感じた。現実を改めて知ってしまい、夢を語るだけでは済まされなくなってしまった。
穂乃果とてゆくゆくはコウタと結婚をして、家庭を持ちたいと思っている。しかし、それを現実のモノにするにはお金が必要であり、それを得るには仕事に就かなければならない。実家が和菓子屋なのだから稼業を継ぐ、というのもあるだが、本当にそれがやりたい事なのか、自分の本心はわからなかった。
このご時世、夫の給料だけ生活していくのは心苦しい世界であり、共働きというのが当たり前の世界だ。もとより、穂乃果もコウタだけに働かせるような事はしたくない。
だからこそ、穂乃果もやりたい事を見つけなければならない。
だが、本当にやりたい事とは何だろうか。今までのような『その時だけ』ではなく、この先のやりたい事。
「穂乃果ー!」
ふと、振り向くと戻ってきたのかコウタが駆け寄ってくる。
「コウタ君…………」
「こっち側にいたのか。いないから心配したぜ」
「ご、ごめん………」
謝罪の言葉を口にしながら、穂乃果は先ほどの少年が去って行った方向を見やる。
人は悩み、けれど答えを出せる生き物です。だから、諦めないでください。そして、貴女のお相手は必ず貴女を受け入れてくれますよ。
本当にこの旅行でやりたい事がわかるのだろうか。
「さて、アキトへの適当な見上げ見繕ってから、次は貴船神社だ。バスで出町柳って駅まで行くぜ」
そう言って土産売り場に歩いていくコウタの後に続こうとして、ふと思い出す。
あの不思議な少年。穂乃果の出で立ちを見て、どうして旅行者だとわかったのだろうか。それに喋る生き物がいたというのに、周りの参拝者達は気にも止めなかった。
不思議な少年で済ましていいものではないように思えたが、それ以上は深く考えてもしかたがない。
そう結論を出した穂乃果の耳奥で、本人も気付かないくらい小さくケラケラと笑う声が響いた。
出町柳駅までバスで揺られたコウタと穂乃果は、少し時間が空いた為に軽食を取る事にした。と言っても、たまたま観光客向けに出ていた屋台で焼き鳥のようなものを食べていた。
「…………ふぅ」
ベンチに1人、コウタは息を吐いて座っていた。穂乃果はトイレに言っているので、ある意味荷物番のようなものだ。
コウタは自販機で買ったスポーツドリンクを飲みながら、息をつく。
穂乃果の様子が可笑しい。
そう感じたのは晴明神社でコウタがトイレから戻ってからすぐであった。
振る舞いそのものは普段通りで、朝と大差はないのだが、何かを気にしているような感じがするのだ。それは6年間、一緒にいるからこそわかる些細な違いである。
もちろん、それが何かまではわからないし、気のせいと言われてしまえばそれまでだが。
「……………何なんだろうな」
本当は、こんな風に頭を抱えるような旅行になるはずではなかった。ただ、大好きな穂乃果と一緒に楽しく思い出を作る。それだけだったはずなのに。
「おやおや、男が言い訳とはみっともないな」
突然の事に思わずコウタの思考が止まりかけた。
いつの間にか、コウタの座るベンチの真横に女性が座っていた。漆黒という名がつくありとあらゆる物を吸い込んだような髪を腰まで伸ばしており、瑠璃のように美しい双眸がこちらを貫く。
着ているスーツから休憩中のOLに見えるが、纏っている気配は人間のものとは思えないほどに苛烈なものだ。これに敵意や殺気が含まれていたとしたら、一瞬にして意識を刈り取られていただろう。
「…………何者なんだ、アンタ」
敵意はないが只者ではない。それを感じたからこそ、コウタは慎重に尋ねた。
敵意がないという事は敵ではないという事であり、逆に言えば敵意が生まれれば敵と見なされた事になる。
そうなれば勝敗は別として、楽しい旅行が台無しになるのは目に見えていた。
そんな思惑が漏れていたのか、女性は肩を震わせる。
「そう身構えるな。なかなか面白そうな人間がこの地に足を踏み入れたというからな、少し現世に降り立ってみたくなっただけだ」
「…………まるで自分は人間じゃない、みたいな言い方だな」
「しかし、また貴船に行くとは………一体誰の入れ知恵なのだろうな?」
こちらの言葉には聞く耳を持たないとでも言いたいのだろうか。一方的に話す女性に理不尽さを感じ、コウタは思わず口元をへの字に曲げた。
「…………頼るなよ」
「は?」
「人の子よ、いつだって未来を決めるのは他者ではなく己自身だ」
それは今、コウタが抱えている悩み事に大しての言葉なのだろうか。他人に頼るな、という事なのだろうが、やはり自分で答えをみつけだせ、という事か。
「逸るなよ、子供。お待ちはまだ生まれ落ちて永く生きた訳ではない。たかだか少し生きただけだ………それで夢など遠くを見据えるほうが可笑しい」
「…………何が言いたいんだよ」
苛立ちげにコウタが聴くと、女性はベンチから立ち上がる。
「まずは自分が今、何がしたいのかを見つめろ。答えを急ぐ必要ですはない………人は短命だが、貴様はまだまだ長い間度の途中ぞ」
そして、青い空を見上げて懐かしむように女性は告げた。
「まずは飛び込んでみる……そういう無鉄砲さも、人間の持つ色であろう」
その言葉を最後に、女性は人混みの中へと消えて行った。
「……………っはぁ」
大きく息を吐き出して脳の簡素を入れ変える。
ここまで精神的に疲れたのはいつ以来だろう、と感じるほどに。
「…………何だったんだよ」
名前も、その存在すらもわからない何か
。
それはかつての『アレ』を思い出してしまうようで、コウタは頭を振りかぶって思考から追い出すかのごとく青い空を仰いだ。
どこまでも澄んでいる美しい青一色。
人間の生き方も、ここまで簡単ならいいのにな、と思ってしまうコウタだった。
トイレから戻ってくると、どういう訳かコウタは酷く疲れ切っていた。何かがあったようだが聞いても答えて貰えず、ひとまず穂乃果は様態を気にしていようと心に決めた。
叡山電車に乗って鞍馬行の電車に乗り、途中林のトンネルをくぐり抜けて電車は貴船口駅というほぼ断崖絶壁の駅に到着した。
貴船神社は縁結びとしても有名なパワースポットでもあるからか、やはり女性のみのグループが多い。
その中でフォームに降り立った途端に、穂乃果とコウタは同時に溜息をついた。
「……………どうした?」
「コウタ君こそ………」
電車の中でも美しい景色が見えたというのに、穂乃果ははしゃぐ事なく考え込んでしまった。
ある意味で晴明神社で出会ったあの少年のせいではあるが、元々目を逸らしていたのは穂乃果なのだから当たる気にはなれない。
改札を出るとすでに山の中で、近くに渓流が走っているからか夏場だというのに肌寒く感じられる。
「寒いな………」
「ここからはバスだっけ」
駅から貴船神社の本殿まではかなりの距離があり、歩けば30回ほどかかるらしい。穂乃果もコウタも鍛えた身なので、それほど苦にはならないだろうが面倒である事に変わりはない。
しかし、駅を出て2人の前に現れたのは、バス停に貼られた『本日は運行しておりせん』という無情な張り紙であった。
「……………何で何で何でぇぇ!?」
予想外の事態に穂乃果が喚いて頭を抱えるが、隣のコウタも同じようにげんなりしている。
「参ったな…………」
「どーしよ………?」
今回の旅行日程を決めるにあたって。ほとんど穂乃果は携わっておらずコウタが決めたのだ。目的場所は流し程度に聞いてはいるが、どうしてそこなのかなどの理由までは聞いていない。
どうしても貴神社へ行きたい理由でもあるのだろうか。
「うーん、せっかく来たけど往復1時間だろ………昼時にも差し掛かるし、やめとこうか?」
「いいの?」
あっさりと諦めたコウタに、穂乃果は意外そうな顔を向ける。すると、少し微妙そうな顔をした。
「実は貴船神社もアキトから行けって言われたんだ。まぁ特にどこに行きたいってのもなかったし、いいかなって」
「………………貴船神社って縁結びの神社でもあるんだよね?」
「…………………え、何そのジト目。疑ってる? んな訳ないじゃん! 俺が愛してるのは穂乃果だけだよ」
流石コウタ。そういう台詞を平然と言えるのがコウタの美点だ。
頬を赤くしながら穂乃果は思わずコウタの手を握る。すると、自然とコウタも握り返してくれて、うれしい気持ちになる。
やはり、穂乃果にはコウタしかない。きっと将来、この先どれだけの男性に巡り会えたとしても、コウタ以上に素敵な男性はいないだろう。
いつまでも一緒にいたい。もし、貴船神社が縁結びを司っているのなら、その神様にこの縁が絶対に切れないよう祈りたかった。
「………………ん?」
その時、ふとコウタが背後を振り向いて怪訝な顔をした。
「コウタ君………?」
それにつられて穂乃果も振り向くと、1台のバスが坂を走ってきた。東京からやって来た観光バスのようで、窓からは小学生くらいの子供達が楽しそうに景色を眺めている。
それは穂乃果とコウタの隣を通り過ぎて、登っていく。が、コウタはすぐに違和感を口にした。
「………………あのバス、蛇行してね?」
「うん、なんか変だよね」
穂乃果は車の運転は出来ないが、登っていったバスのスピードが少し速いような気がした。特にこの道は狭く、対向車が来たら擦れ違うのもギリギリなくらいの広さしかない。
6年間、定期的な戦いに身を置いていたからか、嫌な予感が穂乃果の脳裏を過る。それはコウタも同じなのか、表情は険しい。
行ってみようか、と提案しようと口を開いた時。
登った先の方から人々の悲鳴、転倒する音、金属が擦れる音が轟いた。
「コウタ君!」
「くそっ!」
コウタは舌打ちをして駆け出し、穂乃果もそれに続く。
登った先で広がっていた光景は、予想していたものと相違ないものだった。先ほど蛇行していたバスが横転し、火花を散らしていた。エンジン部からは黒煙が吐き出されており、今にもさらなる火炎を生み出しそうであった。
「大変……………!」
「穂乃果、警察に連絡! ロックシードを持っている人! インベスで救援作業をします! 手伝ってくれ!」
バスの中から子供達の悲鳴が小さく聞こえ、事の一大事を痛感する穂乃果。コウタはすぐに指示を飛ばして所有しているオレンジ、パイン、イチゴ、レモンエナジーのロックシードを取り出すと開錠してインベスを召喚する。
ヘルヘイムの森から呼び出されたインベス達はコウタの言葉を待たずしてバスへ走り、車体を壊さないよう乗ると窓を覗き込み、壊さないように慎重に窓を取り外した。
その時、6年前からずっと付き従っていた古参であるシカインベスが何かに気付いたようで、コウタにエンジン部を指さす。そこからは液体が流れ出ており、それががガソリンである事、引火すれば大事故に繋がる事は容易に想像出来た。
「早く助けないと………!」
コウタは呟くと爆発するかもしれないバスに向かって走り出して持前の運動神経でバスの飛び乗ると、インベスに言う。
「俺が子供達を持ち上げるから、外に連れ出してくれ!」
「き、君! 危険だ!」
コウタの行動を無謀と感じたのか、遠目で見ていた観光客が吠える。しかし、中に入り込みながらコウタが叫び返す。
「一番危険なのは子供達なんだ! 目の前で泣いている子供を助けられなくて、何が仮面ライダーだよ!」
コウタがアーマードライダーに変身しないのは、コウタ1人の手で行うより複数人で当たった方が効率がいいからだろう。
警察へ通報が終わった穂乃果は、正直気が気でない。何せ恋人が目の前で爆発するかもしれないバスで子供達を助けているのだ。
わかっている。葛葉コウタとは、仮面ライダーとはそういうものなのだ。目の前で悪が木場を剥くのならば戦わずにはいられず、誰かが助けを呼べば駆けつけずにはいられない。
そんなコウタだからこそ、穂乃果は好きになったのだ。そんな
だから、穂乃果もバスに駆け寄ったのは当然の事だった。穂乃果には上るほどの身体能力はないが、コウタから子供を受け取ったインベスを受け取るくらいの事は出来るはずだ。
受け取った子供は泣きじゃくってはいるが、見たところ怪我はなさそうである。そのことに安堵して、遠目で見ている人達に子供を任せて、次の子供を受け取る。
そんな穂乃果とコウタの行動を見て触発されたのか、他の観光客達も子供達を助け出そうとインベスを呼び出してくれる。
総勢23人による救援作業はすぐに終わり、ものの数分で最後の1人を救出に成功する。
「これで最後…………………!」
「君、逃げなさい! バスが…………………!」
最後の子供を救い上げたコウタに向かって投げられあ観光客の言葉を遮ったのは、ついに限界を迎えたバスの爆発だった。
唖然となる周囲。それは穂乃果も同じであり、瞳には炎上するバスが映る。
そして、心が絶望に染まりかけた瞬間、
『大、大、大、大、大将軍!!』
爆炎の中から1人の戦士が飛び出てくる。腕の中には子供を抱きかかえており、穂乃果の目の前に着地すると光が走り戦士から恋人へ姿が戻る。
「あ、あぶねー 」
「コウタ君…………!」
信じていた。この程度で倒れる人ではないという事は。
しかし、それでも心配になるというものだ。
感極まった穂乃果はコウタに抱きつく。胸に顔を埋めて服を涙で濡らしてしまうが、コウタは気にした様子もなく優しく頭を撫でてくれた。
それがとても嬉しくて、心地よくて。
「……………良かった」
「あぁ」
しかし、安堵ばかりもしていられない。
泣きじゃくる子供達をなだめようと周囲の人達が必死にあやすが、泣き止みそうになかった。
目の前でバスが爆発して本能的にも死ぬかもしれなかった、と痛感したのだろう。それも致し方のない事だ。
そんな子供達に、穂乃果が出来る事。
それはきっと、6年前から1つしかない。
コウタを見やると、こくりと頷いてくれた。
「ここからは穂乃果のステージだ」
「…………うん、見ててね。穂乃果のオンステージ!」
一歩前に出て、穂乃果は息を吸う。
それは最初に、コウタも知らない時期にその場で生み出した歌。
明日がわからなくて不安に満ち溢れた中で、希望を捨てずに前に進むための歌。
「ーーーーーーーーーー♪」
それはμ'sを体現してくれた曲。
動けば世界を変えてくれる、希望の歌だった。
そして、それを口にしている時、穂乃果は心が踊った。まるで、ここが魂の居場所、とでも言うかのように。
だから、これがあったからこそ。
穂乃果は自分の中でがっちりと、歯車が埋まったような気がした。
子供達に怪我はなくかったが、バスの運転手も過労によるもので病院へ担ぎ込まれた。
駆け付けた警察と消防により後始末は何とか解決し、コウタと穂乃果は事情聴取などで拘束され、解放されたのはまさかの陽が落ちてからだった。
「わぁー…………」
2人がいるのは貴船神社のさらに上にある細道だ。召喚したインベスを戻そうとした際、シカインベスが上を示したのだ。まるで行け、とでも言うかのように。
だからこそ、解放された2人は立ち入り禁止となった道を逸らして、獣道を突き進んで登ったのだ。
そこで2人を待っていたのは夜空の中で輝く京都の町並みだった。どうやら京都が一望出来るようで、それを見た穂乃果から感嘆の声が上がった。
「すげぇ…………」
その美しさはコウタも心奪われる景色であり、自然と穂乃果の手を求めていた。
「…………子供達を助けた御褒美なのかな」
「かもな」
子供達を助けた報酬ならば、これは嬉しいものだ。
「……………久々に聞いたな、穂乃果の歌声」
「えへへ………少し恥ずかしかったけどね」
高校を卒業して、スクールアイドルでなくなってから穂乃果は歌う機会がめっきり減った。アイドルとしての活動は辞めたのだから当たり前なのだが、その姿はとても活き活きしているように見えた。
それを見ているコウタも、嬉しくなるほどに。
「……………ねぇ、コウタ君」
「うん…………?」
「私ね、コウタ君とずっと一緒にいたい。結婚して、家庭を作って、子供が出来て…………出来れば一緒に死にたい。重い女って思われるかもしれないけど………もうこの気持ちは抑えきれない。具体的な人生設計なんか出来てないけど、我慢出来ないの」
「…………あぁ、皆まで言うなって。わかってる、俺だって同じ気持ちだから」
「やっぱコウタ君は凄いなぁ………今すぐには無理だってわかってる。だから、まずはその為の準備をしなきゃ、だよね」
「…………決まったのか、やりたい事」
そう言って穂乃果の表情を見ると、今までよりも輝いていた。まるで、あの頃に戻ったかのように。
「今日歌った時、とても心が踊ったの。やっぱり、私って歌うのが大好きなんだ、って………」
「じゃあ、プロを目指すのか?」
すると、穂乃果は困ったように頬をかく。
「うーん………私の歌で皆が笑顔になればそれでって感じだから………テレビで、ってわけがじゃないかな」
「なら、世界各地を歌って渡り歩いてみるか?」
えっ、と穂乃果は驚いたようにこちらを見やってくる。
「やりたい事を見つけたのは、穂乃果だけじゃないって事」
子供達を助けて、コウタはやはり嬉しかった。この力で誰かを守る事が出来て、笑顔でありがとうと言ってくれて。
人は変われる。どんな事でも望めば必ず。
即ち。
「デメリットとか気にしてたら前に進めねぇよ。そんなちまちま考えてたら変身出来ない………その事を俺はとっくに穂乃果から教わってたのに、忘れちまってたみたいだ」
大好きな女の子からのメッセージを忘れていたという事に自嘲しそうになるが、コウタは決して後悔の為ではなく穂乃果の背中を押すためにも笑った。
「やってみようぜ、世界を回って穂乃果の歌で皆を笑顔にする。俺達なら出来るって」
「で、でもお金とかは………」
理想だけでは生きていけない。だからこそ、今まで悩んでいた。
だが、わかった事もある。言い訳ばかりして逃げていても、仕方ないのだ。
「タカトラさんから聞いたんだ。ユグドラシルで実績踏めばある程度自由が許されるって………そうすれば、旅も出来る」
「コウタ君…………」
もう決めた。小難しい理論を考えるのは苦手だが、だからといって逃げていい年でもないのだから。
「俺のやりたい事な穂乃果が目指す道を一緒に進む事。それが俺の夢なんだ」
「コウタ君…………いいの、本当に?」
瞳を震わす穂乃果を見つめて、コウタは向き合う。
ずっと答えたくて、けど濁してた言葉。それは今言わなければならないと思った。
「高坂穂乃果さん」
「…………はい」
「1年間、時間を下さい。その時間で俺、力を付けて貴女を守れるくらいに強くなります。そしたら、世界を一緒に回って…………」
一度区切って、躊躇いなく告げる。
この言葉を、ずっと言いたかった言葉を。
「俺と、結婚して下さい!」
「………………はい!」
瞬間。
足元が光出した。いや、足元だけでなく周りも強く発光する。
そして、まるで光の玉が空へと登っていく。それはまさしく星の海であり、コウタと穂乃果はそれに目を奪われる。
「……………蛍……」
「こんなにたくさん………!」
まるで2人を祝福するかのごとく飛び立つ蛍に、息を飲む2人。
神田では滅多に見る事のない蛍は、その存在だけでコウタと穂乃果の目線を奪うのは簡単だ。
「あ……」
ふと、穂乃果が何かを見つけたように屈んだ。
コウタも目を向けてみると、そこには1輪の花があった。紫色の花弁が袋のようになっており、その中に蛍が入り込んてだらしく発光していた。
「すごーい、ランプみたい………」
「これが蛍袋、かな………アキトが言ってた」
少しの間、その花を見つめていた2人。
「コウタ君…………」
「うん?」
ぎゅっ、と強く穂乃果が握る手を強めてくる。
「ずっと一緒だよ」
「…………あぁ」
もう決して離れる事はない。2人は二翼の鳥、羽ばたくには2人でなければならない。
穂乃果と歩む新たな道、その先にある世界が2人の次のステージなのだから。
「わざわざ裏方に徹してまで、あの2人を次の舞台に上げる必要があったのか?」
「単なるお礼ですよ、あの人は俺にとってのヒーローですから。俺でさえ幸せになれたんだ、あの人達にもなって欲しいじゃないですか」
空中で胡座をかく女性にそう告げて、今度は背後にいる少年を見やった。
「次代殿にも協力して頂いて感謝する」
「いえ、俺なんかでよければ全然」
謙虚に笑う少年に申し訳ないと頭を下げて尊敬する2人を見つめる。
「末永くお幸せに。俺もあいつの事、絶対に幸せにしますから」
「惚気ならよそでやれ」
何も言い返せなかった。
世界は困難に満ち溢れている。それは大きく言えば闘争であり、細々とした事で言うならば毎日を生きる事だって戦いだ。
けれども、人は誰しもが戦わなければならない時が必ず来る。例え望まずとも、その運命を受け入れなければならない時がくる。
けれども、人は必ず乗り越えられる。少なくとも、1人の青年は乗り越える事が出来た。
そこに『彼女』がいてくれるのならば。
蛍袋のように包み込んでくれる人ならば、
きっと世界は見捨てない。
遅れて申し訳ないです。
が、やっと書けましたんで………
まずは穂乃果ちゃん、誕生日おめでとう!
如何でしたでしょうか、今回のお話は。
うむ、時間を掛けた割にはなんだかバラバラなお話しになってしまったような………
長さも2万超え。次回からはもっと簡単なお話しにしよう(遠い目)
まぁこれでもない頭を酒で絞って生み出したお話しなのでございます。
このお話しは付き合い出した2人が、これからをどう見据えていくのか、という感じで掻きました。
今が最高、確かにそれも素晴らしい事ですが人は前に進まざる得ない生き物です。いつまでもそこにとどまっていては置いていかれる……
原作のミッチがそうであるように、この世界での2人も同じような境遇に立たされて、文字通り次のステージへの門出を祝って貰えれば。
さて、今回のお話しの舞台は京都という事で、出てきた2つの名所。実はこの2つに由のある作品から2人のキャラクターを出させて頂いてます。多分ら特撮もラブライブ!も関係ないので気付く方はいないでしょうが、グラニの遊び心です。
Twitterをご覧の方はお気付きになられているかもしれませんが、当初題名の花は向日葵のはずでした。
しかし、晴明神社にある桔梗の花にしようかと思ったのですが、向日葵も桔梗も僕光で使われている為に急遽変更しました。
もしもかもしれないし、実際の未来かもしれない物語。
そんな2人の新たなステージをどうか皆さん、祝福してあげてください
さて、次回こそ本編を更新出来たらなと思います!
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