花言葉は…………
「舞姫」
「負けずぎらい」
「我慢できない」
馬鹿は風邪を引かない、という言葉がある。
その語源はわからないが子供の頃から聞き覚えがあるのだから、さぞかし古い格言なのだろう。
それは馬鹿は勉強などしないで外で遊んでいるから、身体が鍛えられているという理由なのだろうか。
しかし、それは間違いであると矢澤にこは断言出来る。もしくは、昔はそうだったのかもしれないが、時代が変わってそうでなくなっただけなのか。
にこは馬鹿である。学校の成績は悪いし、仲間内からもμ'sの3馬鹿トリオなどと呼ばれる事もしばしばあるほどに。
だからこそ、馬鹿は風邪を引かないという言葉に、それは間違いだ、と大いに反論したい。
「39.6℃……立派な風邪ね」
「に、にっこにっこにぃぃ………」
差し込んでいた体温計を見て、母親が告げる。
身体に襲いかかってくる倦怠感と戦いながらいつもの挨拶をしようにも、いつもの覇気はそこにはなかった。
矢澤にこ。音乃木坂学院3年生。
実に4年久しい風邪である。
「本当に大丈夫かしら………」
「大丈夫です! にこお姉さまは私達でしっかり看病します!」
身体が死んでしまったかのように動かず、ベッドで横になっているにこの耳に廊下での家族の会話が聞こえてくる。
にこが風邪を引いたこの日に、母親が出張に行かなければならなくなってしまったのだ。これは前々から決まっていた事で、体調を崩さないようにしていたのにこの様なので、にこは何も言えなかった。
父親を早くに無くしてしまった矢澤家にとって、唯一の食い扶持は母親のみだ。だから、休もうかという母親の提案を断ったのだ。
何より、前もって言われていたのに風邪を引いたのだから、にこの責任である。
だから、にこが踏ん張ればいい、と思っていたのだが風邪な何気に酷いものだ。予想以上に身体は重く、頭も朦朧としていた。
「うーん………何かあったらすぐに呼ぶのよ?」
「わかってるよ、ママー」
剽軽な喋り方は三女のココアのものだ。どこか抜けているところがあり、にこも若干の不安を覚えてしまうほどだ。
しかし、ここは妹達の力も借りて2日間を乗り越えなければならない。いつものような猫被りをしている余裕はないのだ。
やがて、名残惜しそうにしていたが、母親は仕事の時間も迫ってきているのか、家を出発駅した。
そして、玄関で送り届けた3人は、がちゃりとにこの部屋を除きこんでくる。
「お姉さま、お加減はどうですか?」
「大分良くなったわ……ごめんね、皆に心配かけちゃって」
「いえいえ、スーパーアイドルのお姉さまのお役にたてるのなら、ココロはへっちゃらです!」
スーパーアイドルにこ。そう満面の笑顔で言うココロに、思わずにこは表情に影を落としてしまう。
それはかつて、アイドル好きから本当のアイドルになった際に言ったにこの肩書きのようなものだ。
1年生の頃、にこはアイドル研究部を創設した。それは表向きにはアイドルを研究する部活としていたが、本当はスクールアイドルをやりたいからであった。
当初は入部してくれた仲間達も参加してくれたが、意識の差には雲泥の差があったのだろう。
1人、また1人と辞めていき、気付けばにこは一人ぼっちとなっていた。
それでもスクールアイドルを、アイドルをしたかったにこは1人でも夢を追いかけて、負けてしまった。
結果的に、今ではμ'sという真の仲間に巡り会えてスクールアイドルとして活動しているが、妹達にはスーパーアイドルにこのバックダンサーとして話してある。
それはなんというか、きっとバレればリーダーやらオレンジ侍あたりが文句を言ってきそうではあるが見栄を張ってしまったのだ。
それが酷くにこの中で突っかかってしまい、逆に素直に言い出せないでいるのである。
「…………さぁ、いつまでも一緒にいたら風邪が移っちゃうからリビングにいなさい。あんまし散らかさないようにね」
「はい、何かありましたら遠慮なく呼んでください!」
そう行ってドアを静かに閉めるココロ。
しかし、ドアは完全には締め切らず、矢澤家長男の虎太朗が手でドアを阻んでいた。
「どうしたの、虎太朗?」
虎太朗はこの中で最年少で、まだ5歳である。ようやく1人でトイレに行けるようになったり、抱っこをされるのを嫌ったりと成長してきているが、やはり5歳児は言葉足らずである。
「あにきー」
「…………大丈夫よ。あいつを呼ぶほどじゃないから」
虎太朗の言わんとしている事は、にこにもわかった。
μ'sのコーチや護衛などを務めてくれているチーム鎧武。そのうちのツンデレコミュ障に虎太は懐いている為、即座に顔が浮かんだのだろう。
だが、彼らを頼る事は出来ない。それは単純なにこの強がりではあると同時に、自分の責任だからだ。
虎太朗はにこの言葉に納得したのかそうでないのかわからないが、ココロに手を引かれるようにリビングへと歩いて行った。
妹達がいなくなったので、ベッドに倒れ込むにこ。
とにかく、しばらく洗濯や掃除などの家事はストップだ。この状態ではとてもじゃないが出来そうにない。料理もコンビニ弁当などで済ますしかなかった。
早くに体力を回復させなければ、と意識を沈めようとするにこ。念の為、インベスを召喚して妹達が何かしないよう命令を飛ばす。
そこから、いつも以上ににこは体力を使ってしまうのだった。
虎太朗の場合。
微睡みに沈みそうになっていたにこの耳に、ずるずると何かを引き摺るような音が響く。
何事だ、と重い身体を起こしてベッドを這い出て廊下を覗くと、虎太朗がゴミ袋を持って外に出ようとしている所であった。
「……………何してるの?」
「ごみすてー」
にこに気付いて虎太朗は返事をして、そのまま外に出る。矢澤家のゴミ捨ては学校へ行く前ににこがやっていたのだが、夏休みなのでゴミが溜まっていたらしい。
しかし、問題はそのゴミ袋。安いものなので底が破れてしまい、中身のゴミが線のように出てしまっているのだ。
「こ、虎太朗。いいわよ、ゴミ捨てなんて明日とかでも」
「だめー、やくわりー」
このまま引き摺っていけば外に散らばり、御近所様に迷惑がかかってしまう。
しかし、虎太朗はゴミ捨てに行こうと譲らないらしい。あのツンデレコミュ障と出会ってから真似ているのか、どうも反抗してくる事が多くなった気がする。
はぁ、と大きく息を吐いたにこは新しいゴミ袋を持ってくると、破れたゴミ袋ごと入れ直して持ち上げる。
「私が行ってくるから、虎太朗はお部屋でいい子に待ってて」
「えー、やくわりー」
「カイトなら姉の言う事には素直に従うのが強者のルールだ、って言うと思うわよ」
「わかったー」
そう言って虎太朗はリビングへともどっていく。
にこは気合いを入れてゴミ袋を持ち上げると、ゴミ捨て場へと向かう。このまま家に置いて置いたら虎太朗なやっぱり捨てに行くと言い出しかねないからだ。
かなり苦しい状態で何とかゴミ捨て場に到着したにこは、重苦しい息を吐いて思った。
他に、何かしていないだろうか。
不安に駆られたにこは、まるで火事場の馬鹿力とでもいうかのような速度(それでも普段よりは遅い)で家に戻った。
ココアの場合。
にこが急いで家に戻り、リビングのドアを開けると、そこには椅子に立って棚の上にある箱を取ろうとしているココアの姿があった。それを止めようとにこのインベスがわちゃわちゃと動いているが、ココアは知らん風である。
不安定な椅子の上でさらにつま先立ちという状況に、にこは考えるより先に駆け出した。
「わっ!?」
そして案の定、体勢を崩して椅子ごと倒れ込むココア。床にぶつかる直前でにこがダイブするような形でココアを抱き締めると、小さな体躯が床を走って棚にぶつかって止まった。
「っつー……」
「ね、姉ちゃん!?」
まさかダイブして受け止められるとは思っていなかったのか驚きの声を上げるが、にこは衝撃により言葉を発する事が出来なかった。
唇を噛み締めて痛みが下がるのを待ってから、のろのろと顔を上げてココアをみやる。
「…………何を取ろうとしていたの?」
「え、えっと………棚の植にあるお菓子を取ろうとしたんだ。いつもママが取ってくれてるから……」
にこが見上げると、確かにいつもおやつの時間に出ている籠があるのが見えた。
まだ午前中なのだから本来は出すものではないのだが、母親がいなくなってつい魔が差したのだろう。
にこは視線を動かしてインベスを見やり、顎を動かして示す。すると、インベスはそれだけでにこの意図を理解したらしく、棚の上へと登ると籠を持ち上げてテーブルに着地して置いた。
本来ならまだ早い、と叱るべきなのだろうが今のにこにはそこまでの体力は残されていない。気合いの緊張が切れただけで、この場に倒れ伏せそうなのだ。
だが、ここで倒れる訳にはいかない。母親がいない今、母親代わりは自分なのだから。
根性で身体を起こしたにこは、顔を青くしながらも次の問題の為に身体を動かす。
とにかく、自分の責任に屈する訳にはいかなかった。
ココロの場合。
あれから昼過ぎとなり、テーブルの椅子にぐったりとした様子でにこは座っていた。
ゴミ捨てを諦めたかと思えば虎太朗が掃除と称して辺りを散らかし始めたので片付け、ココアが近所の野良猫に餌をやると言い出したので1人では危険なのでついて行き。
いくつもの困難をもはやテンションと勢いとその他で乗り越えたにこに、アイドルらしさなどなかった。
というかアイドルって何だっけ、風邪の中労働する仕事だったっけ。
確実に悪化している風邪症状に、昼食を作る余裕すらないにこはどうしようと漠然とした意識で考える。が、どうあっても答えが出ない。コンビニで済ませるなどの選択があるはずなのに、熱に浮かれた頭にはそれすらも浮かんでこない。
意識が沈む。その時、ぴぃーっという甲高い音で意識が浮上した。
目を向けると、ヤカンでお湯を沸かしているココロの姿があるが、どう考えてもココロの身長では台所に届くはずがない。
そして、彼女はそのヤカンを持ち上げようとしている。
「やめなさい! ココロ!」
「わわっ!?」
咄嗟の叫びに驚いたココロが体勢を崩す。
当然、先ほどのココアと同じようにヤカンもコンロから離れてココロに襲いかかろうとする。
その時にはすでににこの身体は動いており、ココロを庇うように覆いかぶさっていた。
そしてヤカンが、にこの小さな体躯に激突して中身の熱湯を吐き出す。
「ぅぅ!?」
熱さと痛みが同時に襲いかかり、にこは苦悶の声を漏らして倒れ込む。
そして今度こそ、どうにもなろないほどに視界が明暗し始める。
妹達が何か言っているようだが、すでににこには届かない。
その時、床に倒れ伏せているからか振動が伝わってきた。誰かが鍵を開けて入ってきたようだ。
一瞬、母親が帰ってきたのでは、という希望を抱いたが、即座に思考が否定する。
母親ならば必ず連絡を入れるだろうし、何より今回の仕事はおいそれと戻ってこれるような仕事ではなかったはずだ。
母親ではないとしたら誰なのか。
即座に第三者。即ち強盗の類いの存在が頭をちらついた。
ちらついたが、もはやにこには立ち上がる力は残されていなかった。風邪による悪化に加えて自分が守らなければならないという心労が加わり、にこの四肢は動けないまでに疲弊してしまった。
だけら、近付いてくる悪を目の前にして、本当の意味での無力となってしまったにこには何も出来る事は、願う事しかない。
………助けて、カイト……
意識が完全に沈む直前思ったのはどういう訳かツンデレコミュ障。
そして見たのは、慌てて入ってきた黒ズボンを履いてシルバーアクセサリーを付けた人間だった。
矢澤家に父親はいない。
にこが幼い頃、それこそ物心がつく前にいなくなったらしい。それが死別なのか、それとも単なる離婚だったのかはわからない。母親は頑なに喋ろうとしないのだ。
仏壇がないという事はそういう事なのかもしれないが、母親の口から直接言われてないのだから真実は闇の中である。
もはや父親がいないのが当たり前になっているのだから、今更羨ましいという感情は沸かない。
ただ、父親がいなくて母親もいないのなら、妹達を守らなければならないのは長女であるにこの役割になったのはごく自然な流れであった。
その役割に不満など一度も抱いた事はないし、それは今でも変わりはしない。
だからこそ、にこは強くならなければならない。家族を守れるくらいに、その笑顔を守る強さを欲する為に。
アイドルに憧れて、アイドルになったにこは強くあらなければならない。
にこ個人としても、アイドルとしても。
人を笑顔にするべきアイドルのにこが倒れてしまっては、一体誰が笑顔を届けるというのか。
だから、もっと、もっと…………!!
ーーーーそんなもの、強さでも何でもない。ただの馬鹿だ。
ーーーーそんな風にこわばった笑顔で、誰を笑顔にする。張り詰めと弦が簡単に弾けて切れてしまうように、余裕がなければ人を笑顔にする事など出来ん。
ーーーーそんなものお前には似合わない。
にこが目を覚ましたのは、自分の部屋のベッドの中であった。
部屋の灯りはついておらず、開いてある窓から白い花が風によって揺らいでいる。透明なガラス素材の花瓶に備えられた花は、風に煽られるとその花びらの形からか、まるで白い蝶が舞っているように見えた。
にこには花を飾る趣味はない。ならば、誰かが飾ったという事になるが、一体誰なのだろうか。
知り合いの中で花に詳しい人物といえばラーメン屋の息子とその幼馴染み2人であるが、3人はにこの家など知るはずが無い。
と、そこでにこはベッドから跳ねるように起きた。呑気にベッドの事を考えている場合ではない。もしかしたら強盗に侵入されたのかもしれないのだ。
その時、部屋の引戸が開かれ、現れた少年は安堵少しと呆れが大部分、という表情をした。
「意外と余裕そうだな」
「カイト………!?」
九紋カイトは左手にお盆を模って入ってくると、それをテーブルの上に置く。お盆には今作ったのであろうお粥が乗せてあり、それを見た途端ににこのお腹が欲求を訴えた。
「…………………」
「…………………くっ」
「わ、笑うんじゃないわよ!」
顔を赤くしてにこは反論するが、お腹は正直者で空腹を訴えていた。
「昼時に倒れたんだ。お腹も空くだろう」
「あんたが作ったの?」
と、質問しといて何だがカイトの料理の腕前は知っている。いくらばかりか家庭料理が出来るにこよりは数段上であり、一度どけ3年生メンバーに振舞ってくれた事かまあるが、凄く美味しかったのを覚えている。
「オレだけじゃない。ココロ達と一緒に、だ」
「あの子達も……?」
「あいつらは取り敢えず寝かしつけた。明日になれば希達も来るだろう」
「…………ママから頼まれた訳?」
カイトは矢澤家の人間とそれなりの関係がある。とある事件で助けられてから虎太朗は懐いて、ココロはお嫁さんになると言い出してりひと悶着あったのだ。
それはともかく、カイトは母親に気に入られ、また親御さんもいないという事もあって晩酌に招いたりする関係となったのだ。
なので、カイトの連絡先を知る母親が助けを求めたのは自然の流れと言えよう。
「連絡を受けて向かってみれば、ココロ達の悲鳴が上がったのでな。合鍵の隠し場所は聞いていたから、それで中に入った」
「そう……迷惑かけちゃったわね」
「気にするな」
そう言ってカイトは踵を返す。
「明日の分の飯を作っといてやる。晩飯は希にでも作って貰え。あと、お粥食べておけ」
「…………ありがと」
本当に、何から何まで。
カイトが部屋を出てから、にこは言われた通りにお粥に手を伸ばす。かなり空腹だったのと体力が回復した事、そして何より美味しかったからかあっという間に平らげてしまった。
ある意味、カイトが部屋にいなくて正解と言えよう。宇宙一ナンバーワンアイドルとして、ご飯にがっつく姿は見られたくない。
食べ終わる頃にカイトも調理が終わったのか、部屋に戻ってきた。手にはにことカイトが使っているマグカップがにぎられており、微かに湯気が立っていて。
「ご馳走様でした」
「お粗末だったな。ホットミルクだ……夏場だが落ち着くだろう」
差し出されたマグカップを受け取り、程良い暖かさになっているホットミルクを一口飲む。少量の砂糖が入っているのか、仄かな甘みが口に広がった。
自然と頬が緩むにこに、カイトは薄く笑むと同じようにマグカップに口を付けた。
「……………ところで、あの花ってアンタが?」
窓際に飾られている花を見ながら尋ねると、カイトは少しそっぽを向いて答える。
「連絡を貰ったのがラーメン仁郎でな。アキトと凛からあの花を買っていけと言われたから買ってきた………他意はない。邪魔なら捨てとけ」
「そんな事ないわよ。ただ、カイトが花ってのが珍しいなって、思っただけ」
「言うな。自覚はある」
花を飾る趣味はないが、せっかくの見舞いの花である。それもツンデレコミュ障のカイトからの物だ。捨ててしまっては罰が当たるというものだ。
花の意味はあの2人に聞くとして、ひとまず明日の心配はしなくて済みそうだ。時期に眠気がきて眠るだろう。
「………カイト」
「…………何だ?」
「来てくれて、ありがとね」
今日は。いや、この前からにこはカイトに感謝しっぱなしだ。
しかし、今回もカイトが来てくれなければどうなっていたか想像が出来ない。それほどまでに、にこだけでなく矢澤家にとってカイトは恩人となっている。
だからこそ、申し訳なく思ってしまう。カイトはただの学生ではなく、アーマードライダーとしての戦いもある。ただでさえ自由な時間が少ないのに、自分の失態で潰してしまって罪悪感があった。
しかし、その一方で自分の為に時間を費やしてくれているという事に、喜ぶ感情が湧き上がってきている事に戸惑いを感じていた。
今まで感じた事のない不可思議の気持ちに戸惑いつつ、にこは自然と語り始める。
「情けないわよね、宇宙一ナンバーワンアイドルが……風邪ごときにやられて」
「………誰だって風邪は引く」
「でも、日頃から体調管理をしていればこんな事にはならなかったわ。ラブライブ!も近いし、μ'sにも影響が出ちゃうし………」
そう呟いて、にこは膝を抱える。決して弱気を見せる訳でもないし、カイトがそういうのを嫌っているのはわかっているが、吐かずにはいられなかった。
にこはただ、強くあろうと無様に足掻いている弱者でしかない。
強がって誤魔化していた事を改めて思い知らされたような気分である。
「…………にこ」
まるで呆れたようにカイトは、にこの額へと右手を伸ばしてくる。
ついドキッと心を震わせるにこだったが、カイトは額に軽くデコピンを放った。
「っ………!」
「人間は1人では生きていけん………オレも、お前も。だから、もう少し頼れ」
それは、ある意味でらしからぬ言葉だったのかもしれない。
しかし、本来の九紋カイトとは情に溢れた男だ。そこには厳しさもあれば、当然優しさも含まれている。
ならば、これは彼なりの励ましなのだろう。
それが堪らなく嬉しくて、思わず頬が緩んでしまいそうになるのを気合いで堪らえる。
「明日には希が来てくれる。それまでは辛抱しておけ」
「あっ………帰っちゃうの……?」
帰ろうする気配を感じたにこが、思わずカイトの裾を掴んでしまった。
カイトが怪訝そうな顔をして、何をしろというんだ。という疑問を目線で投げかけて来たので、慌ててにこは要求を告げる。
「身体、拭いて欲しいんだけど………」
瞬間。
言葉を受けたカイトも、にこも硬直してしまった。
(な、なに言っちゃってるのよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!?)
自分で発言した言葉ににこは絶句し、ようやく静まった熱がぶり返したかのように身体が中から熱くなっていく。
確かに頼れ、とは言ってくれたがそれは頼る事とは違うだろう。そも、男女で思春期真っ盛りでこいつは耐性皆無な明治ツンデレコミュ障とはいえイケメン男子だから襲ってこないとも限らないいやしかし男は獣だこの身体のどこにバナスピアーを隠し持っているかわからへんでと希も言っていたのだし撤回しなきゃでも汗がべったりで気持ち悪くどうにかしたいというのも本音であって…………。
という事を悶々していると、目を瞬かせたカイトが若干頬を引き吊らせながら尋ねてくる。
「何を、しろと?」
「か、身体よ! 汗かいて気持ち悪いの! 頼れって言ったのはアンタでしょ。もう言った事曲げるんだ?」
何故挑発する。何様だ、お前は。
と、にこは物凄く頭を抱えたい気分になるが、混乱していて「あ、やっぱ今のなし」という言葉が口から放たれる事はない。
そして、カイトは息を付いて目を伏せると、はぁとため息をついて立ち上がる。
「わかった。少し待っていろ」
「………えっ?」
立ち上がったカイトはにこが平らげたお粥の器とお盆を持ち上げると、そそくさと出ていく。
そして、数分してからカイトが戻ってくると、その両手にはお盆の変わりにお風呂場にあったであろう桶があった。桶からは湯気が立っており、さらには白いタオルが覗かせている。
「か、カイト…………?」
「……………脱げ」
頭が沸騰したかのように何も考えられなくなる。鼓動がまるで爆発したかのように跳ね上がり、聞こえないはずなのに大きくにこの中でドクンドクンという音が響く。
曲がりなりにもカイトは音乃木坂学院で誇るイケメン男子である。中身はともかく外面はモデルをやっていそうなくらいの美形なのだから、そのような男から低い声で言われたらにことて来る物がある。
もっとも、傍から見れば変態の発言ではあるが。
「ふ、ふん………! 欲情しないでよね?」
「誰がお前みたいな幼女に誰が欲情するか」
「幼女って何よ!? 幼児体型って言いなさいよ、せめて!」
大して意味は変わらず馬鹿にしているのだろうが、馬鹿にされたというよりも女の子として見られてないという認識に腹が立った。
にこの講義を軽い態度で避けると、カイトはタオルを絞って広げて熱さを加減してくれる。
「いいから早くしろ。それとも、しなくていいのか?」
何だか卑猥に聞こえなくもないが、にこは一瞬だが躊躇う。この感情の正体はともかく、流石に同い年の男の前で肌を見せるのには抵抗があった。
しかし、気持ち悪いのも事実で言い出したのはこちらだ。
瞬時に意を決したにこは、ばっと上を脱ぐ。
同時にカイトが背中を向けた。
「前から脱ぐ奴があるか」
「……………………あ」
にこが着ている寝間着はシャツなので、必然的にたくし上げるような形でしか脱げない。そうなると、悲しいかなまな板も披露される訳で。
もうすでに最大まで赤くなっている顔で、にこはわなわなと口を震わせながら同じように背を向けた。
「………せ、背中からお願い」
「お、おう………」
にこが言うと、カイトはタオルを絞って背中に当ててくる。
「ひゃっ………」
「おい………」
「だ、大丈夫……続けて………」
にこが先を促すと、ごくりとカイトが息を飲む音が聞こえてくる。きりっとした表情をしているが、まるで明治時代のような人間だ。おこらく女の子の肌に触れるというのも初めてなのだろう。
強面な顔でも震えている手からカイトの感情が読み取れて、にこは思わず笑んだ。
震えながらも触れてくれている手は、痛みを与えないようにしてくれているのがわかる。ぶっきらぼうな彼なりの優しさが伝わってきて、それを理解出来るのが堪らなく嬉しかった。
「カイト…………」
「何だ」
にこの言葉に手を止めて、カイトが続きを促してくる。
「……………前もおね」
そこまで言いかけた時、突然にこの足に痛みが走る。まるで神経が引っ張られたような感覚に、にこは咄嗟に反応出来なかった。
「っぁ………!?」
「なっ………!」
突然の事でカイトも反応出来ず、一緒に倒れ込んでしまった。しかも、途中で抱きとめようとしていたのか、運悪くにことカイトの位置が入れ替わるように、である。
結果。
「あっ…………」
「っ………」
カイトがにこを押し倒したような形で、互いに硬直してしまった。
しかも、背中を出すためにシャツを上げると必然的に前も捲りあげられる訳で、胸がギリギリ見えないくらいの位置にまで上がっていた。
つまり、かなり際どい格好でカイトに押し倒されている訳である。床ドンという言葉を聞いた事があるが、こういうのを言うのだろうか。
いや、冷静に判断している場合ではない。目の前にはカイトの端整な顔があるのだ。それも唇同士がもう少しで触れてしまいそうになるくらい近い距離に。
吐く息が頬に当たる。しかし、擽ったい感覚よりも不快感よりもその瞳に、唇ににこの視線はカイト目が離せなかった。
少しでも力を加えて離れるよう仕向けば、カイトはどいてくれるだろう。
だけど、にこはそれをしたくなかった。むしろ本能が、その僅かな距離を近付けたいと思っている。
あぁ、そうか。そうなんだ。
そこではっきりと、ようやくにこは理解した。
ずっとわからなかった、感情の波。何故、こうにもカイトといると鼓動が早くなり、心が弾むのか。
これが、そうなのか。17年という短い人生の中で、もっと昔に体験していたはずの気持ち。世間の女子達が当たり前に抱いていて、にこには抱いた事がないもの。
即ち。
「……………何してるんですか?」
どきりと、にこは心臓と目玉が飛び出しそうになって、カイトと同時にそちらに目を向ける。
そこにはトイレの戻りなのだろうか、パジャマ姿で目を擦りながら部屋を覗いているココロがいた。
「こ、ココロ………!」
「ぷろれすごっこですか………? ココロもやりますー」
わーいと、勘違いしたココロがにことカイトへと飛び込んできた。
ようやく浮き彫りになった新たな感情に嬉しさを覚えるにこだが、それを表に現している暇はない。
どっからがっしゃんと、抱きついてくる妹に四苦八苦し、どさくさに胸を触られたとか何とかと言い合いながら、その日は終わった。
結局その日はカイトも泊まっていくはめになり、翌日に来た生徒会コンビに何があったのかと問い詰められ、風邪は4日ほどで治った。
だが、ココロが来てくれて助かったのかもしれない。もし来てくれなければ、理解してしまったこの本能をも飲み込む感情に従っていたかもしれないから。
ようやく見つけた想い。ならば大切にしたいと思う。
でなければ、せっかく見つけた意味がないと思ったからだ。
この不器用でぶっきらぼうな男は勘違いされやすいのだから人間関係は得意ではない同士、少しずつ歩み寄っていくしかないだろう。
敵は多いが、必ずその心を掴んでみせる。
宇宙一ナンバーワンアイドルは、人を笑顔にするのも心を掴む事もナンバーワンなのだか。
後日、ラーメン仁郎にて花の事を3人に聞いてみた。
「私が風邪引いた時、カイトに花を見舞いに持っていくように薦めたんですって?」
すると、3人は互いの顔を見合わせた。
「えっと…………」
「何の話しにゃ?」
「カイトさん、その時ウチには来てないですよ?」
「えっ、じゃあこの花は何なのよ?」
にこは予め撮っていた白い花の写真を見せる。
すると、3人は驚いてた顔をしてから苦笑してみせた。
「何よ………?」
「いや、意外とカイトさんって………」
「ロマンチストなんだなーって思っただけにゃ」
「ふふぅ。にこちゃん、その花は『白蝶草』。その花言葉は………」
それを聞いた瞬間、にこはボンッと顔を赤くする。
それに含まれている言葉は、
『舞姫』
『負けず嫌い』
『可憐な少女』
ふぃー。
22日前になんとか書き終えたぜ…………
誕生日おめでとう、にこにー!
如何でしたか。前がカイトと矢澤家の絡みの話しだったので、せっかくなので派生してみました。が、一応この話しも本編から切り離された物語として見て頂けると。
今回は本当に難産でした。なにせ書いてる途中なのに穂乃果誕生日の話しが思いつくし旅行に行くしで、まったく執筆進まないんですもん。
とりあえずやっぱり思うのは脳内プロットだけでなくリアルに書き出した方がいいと身に染みました。
なので、次の穂乃果誕と夏合宿編。相当遅れます。特に下手をしたら穂乃果誕、日付までに投稿出来ないかもしれません。というか本編並の長さになるかもしれない…………
頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いします!
ではでは~