迷走大戦   作:萩原@

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第5話

    

    

    

    

「息もせず、死ね」

 見上げる青空を衝撃波で歪める轟音、空中で直径数メートルは下らない火球が弾け飛んだ。衝突した攻撃魔法に力負けして魔法障壁が熱された飴のように融け落ちる。

 難易度は中等部の基礎講義でも用いられるような解しやすい初級魔法。点火のために大気中のマナを行使するだけの呪文が、緻密に織られた障壁の処理容量を越える三千度の熱源となりテルミに叩き付けられた。

 単純明快な魔法は行使者の力量をそのまま反映し、常識はずれに膨れ上がった爆炎が大気の温度を押し上る。手を伸ばせば届きそうな位置で、赤熱した空気が分解され閃光を放ち続けていた。

 一撃のもとにあらゆる物質を焼き払う必殺の魔法にも、テルミの組んだ障壁はぎりぎりの所で持ちこたえている。

 だが次の絶望はすぐにやってくる。

 見上げる瓦礫の上で仁王立ちしたナインの左手が掲げられ、新たな火球が生み出された。ナインの目は冷えきり、この世の色をしてない。ナインの足はすらりと伸びた形を崩すほどに、何度も何度も地面を踏みにじり続けている。じっと見ればわかるが、尖ったヒールでめった打ちにしているのは地面ではない。茶色く土の中から這い出したように薄汚れ倒れ伏したラグナの背だ。

 テルミが今この瞬間も防ぎ続けている爆炎は、ある程度の才能があればケーキの上のろうそく全てを一度に点火するような複数展開が可能な魔法だ。それを世界最高峰の魔女が、一切の加減なしに、全力で唱えたらどうなるか。

「オイオイオイオイオイッ!マジかよ」

 ナインの嫋やかな指先で小さな火球が舞う。一つや二つではない。明るい星を思わせる光点が、徐々に速度を増しながら魔女の怒りのままに膨れ上がる。

 その数、三十。

 周辺のマナ濃度が一気に低下する大規模な魔法の行使に、テルミの頭から血の気が下がった。

 避けることも受け止めることも許しはしない。過剰に過ぎる魔法に、骨さえ残す気がないと言う無慈悲な意志が感じられた。炎はナインの意に従いテルミへと襲いかかる。

 テルミができたのは、防御に徹することだけだった。殺到してくる火球を圧縮した風の弾丸で片っ端から削り取りながら、全力で走る。案の定、火球は地面を焦がしながらテルミに倍する速度で追ってくる。追尾式の魔法弾頭には、避けるという概念が通用しない。テルミが十数発の魔法を叩きこんで落ちた火球は五つ。走り回るテルミをナインは悔しげに歯を食いしばりながら睨みつけている。

「さっさと死になさい」

 生きた災害とでも言うべき魔女の、憎悪のにじむ言葉に火球達が追う動きを止めた。テルミの背を悪寒が走る。引きつった顔で全力の、本当に掛け値なしの全力で、テルミが防御の術を組んだ。なりふり構ってはいられず、魔法だけでなく術式までも発動させ分厚い障壁を生み出した。圧縮された魔素が障壁に黒い影を生み出し、熱を遮る。

 そして、衝撃がテルミを襲う。

 四方からの熱波に障壁はボールのように跳ね飛ばされ、その先でもさらに爆炎を浴び、ひたすらに揺さぶられた。数秒ごとに障壁の層が一枚ずつ限界を迎えて剥がれ落ちる。溶岩に似た灼熱の液体が火花と共にテルミの身体へと上からも下からも降り注ぐ。融けた地面を浴びる経験などそうするものではない。

 あがいても逃げられない。それでも大人しく殺されてやるつもりなどテルミにはなかった。

    

    

    

    

「お姉ちゃんやめて!カズマさんが死んじゃう!」

 何度叫んでもセリカの言葉はナインに届かない。

 聞こえてはいるが聞くつもりがないナインはラグナをボコボコにしながら攻撃魔法を再び紡ぐ。肩に掛かったピンクの髪を鬱陶しそうに掻きあげたナインのヒールがラグナの鼻に突き刺さり悲鳴が上がる。

 再び炎が逃げまわるテルミの背で炸裂し、余波で吹き荒れた風がセリカと、その隣の人物の髪を揺らした。

「……カズマさん」

 緑の縁取りがされた黄色いローブから心配気な顔が覗く。セリカの隣で祈るように手を組んだ眼鏡の女性は、ナインの攻撃から逃げるテルミの背をずっと目で追っていた。見つかったことを喜ぶべきか、セリカを連れ出したのが本当に彼だったことに悲しみを覚えるべきか、過ぎ去る数多の感情の処理をしきれず黙りこむしかないトリニティの前で、カズマと呼ばれた男が転がりまわる。

 カズマが逃げ出そうとすれば、氷や炎の壁が行く手を遮る。体勢を立て直す間も与えないほど連射される魔法は、ナインでなければ不可能な弾幕となりカズマの動きを封殺していた。勝敗は目に見えていたが、カズマは何とか食い下がり時間を稼いでいる。そこに勝機を見出そうとしているが、全ては時間の問題のように思えた。

「クソアマがぁっ!」

 鉤爪にした指の間から緑色の閃光がほとばしる。カズマが紡いだのは魔法ではなく術式で、蛇のような容姿を持つ闇が炎の間を縫ってまっすぐに伸びた。術者を狙う以外にカズマに勝機はない。それはナインにもわかっていた。

「あっ」

 セリカが思わず間の抜けた声を出す。大口を開けて襲いかかった蛇は、ナインに届いた瞬間握りつぶされた。

 闇の蛇は見えない巨人に握られたようにめりめりと音を立てて圧縮される。ナインが素手で触れているわけではない。魔法で作った障壁がナインの右手を覆い、見えざる腕となっているのだ。

 限界を超えた術式はコードの不具合を受けて形を保てずナインの手の中で霧散する。明らかに魔法とは異なる何かを感じ、ナインはますます表情を尖らせた。

 火に油を注いだだけに終わった反撃に、カズマが苦い顔をする。

 どうすればいいのかとおろおろするセリカを横目に、トリニティがやっと決心がついたように、大きく息を吸った。迷いを振り払うように魔法の詠唱を始めた彼女にセリカが気づく。しかし、じきに明るくなった表情を凍てつかせる事となった。

    

    

    

    

 横っ面に叩き付けられた魔法は、完全に予想外の威力でテルミをふっ飛ばした。じゅわりと自分が焦げる音を聞いて顔面から瓦礫に突っ伏す。

「と、トリニティ?」

 今まで怒気をはらんでいたナインの声が困惑した様子で友人の名前を呼ぶ。ナインが攻撃の手を止めても、テルミは一切助かった気がしなかった。今の攻撃魔法を放ったのはナインではないからだ。

「大丈夫ですか、カズマさん~」

 間延びした声で背後から声を掛けたのは、トリニティ=グラスフィールのはずだ。だが自分が攻撃魔法を食らわせた相手を心配気に覗きこむ顔は、どこか空々しさを感じさせる。眼鏡の向こう側の目は一切笑っていないのに、顔にはやわらかな微笑が浮かんでいるのは不気味でさえあった。隣にいるセリカは驚きと恐怖に引きつっている。

 何とか手をついてテルミが起き上がる。顔面で炸裂したトリニティの魔法に焼かれた左の頬から首ずじの皮膚には、火膨れが広がっている。

 高音にあぶられ皮膚の下の脂肪が融けだし液状化、頬肉には火が通り、表面の皮膚は白く変色し重度の火傷であることがぱっと見でもわかる有様だった。

「あらあら~火傷しちゃいましたねぇ。手当しないとダメですよ、カズマさん」

 こてんと首を傾げるトリニティの、自分でやっておいての言い草に、さしものテルミも黙った。これはどう贔屓目に見ても激怒している。ナインのようにわかりやすくはないが、だからと言って許してもらえそうかといえば全くそんな生易しい雰囲気ではない。

「いなくなって心配したんですからねぇ」

 後方にナイン、前方にトリニティの、二人の魔女に挟まれたテルミが脂汗を流す。ナインの足元ではラグナが必死で死んだふりをしていた。

    

    

    

    

 第一区画に程近い山道は、無数の攻撃魔法によりとてもではないが道とは呼べない土砂の山と化していた。地形が変化するほど叩きこまれた熱量で土が熱を持ち、あたりの空気がどんよりと歪んでいる。掘り返された土の臭いが鼻につく有様に、しかし顔をしかめるものはいない。

「はいどうぞ」

 差し出されたお茶を、怯えながらもラグナは左手で受け取った。セリカよりいくぶん年上の少女が差し出したコップからは、暖かな湯気が立ち上る。ハーブティーらしい香りがする液体を見つめるラグナの目は、同じように差し出されたコップを受け取った隣の男に向けられた。

「カズマさんもどうぞ~」

 なにも言わずテルミはコップを受け取った。中身を煽り一気に飲み干すと、渡してきた手にコップを押し返す。

 少女は少し驚いたようだったが、空のコップを受け取り微笑んだ。

「おかわりお入れしましょうかカズマさん?」

「テメェ、馬鹿だろ」

「かもしれませんねぇ~」

 自分を挟んで何かわけありな会話をする少女とテルミに、非常に居心地が悪くなったラグナは、テルミに目で訴えた。どっか別の場所でやってくれ、と。

 ラグナをめった打ちにした三角帽子の魔女はナイン、テルミを黒焦げにしたフードの魔女はトリニティと言うらしかった。二人ともセリカと同じ制服を身に着けているところからして、イシャナというところの学生なのだろう。セリカなどよりはるかに魔法使い然とした彼女たちに怯えさえ感じながらラグナはハーブティーに口をつける。

 ラグナ達がアルカード家を後にしたのは昼前というには少し早い時間だった。執事のヴァルケンハインが用意した朝食を取り、ゆっくりデザートのジェラートまで味わった上で日本に空間転移で送り出されたラグナたちの穏やかな時間は、セリカが地図を手にした瞬間終わった。

 方向音痴のセリカが道案内していたらまた遭難するのは目に見えていた。ラグナとテルミが何とか地図を取り戻そうと奮闘するが、ラグナは片手、テルミはセリカに触れないように地図だけ取ろうとするせいで、難易度が高すぎていつまで経っても成功しない。あげく、空間転移で現れた保護者達に会話をする間もなくふっ飛ばされた。

 そして今に至る。

 適当な岩に腰掛けてずたぼろの体を休める男二人は、遠い目をして今回の騒ぎの元凶をぼんやり見ていた。少し離れた所で、セリカとナインが激しく言い争っている。論争の焦点は定まらず、家での原因の父親のことから、拾った小汚い生き物扱いされているラグナのこと、殺人的な剣幕でこき下ろされているテルミのこと、大声で叫んでいるおかげで聞く気もないのに耳に入ってくる。

 口を挟むべきなのだろうが、顔面と言わず背中と言わずヒールの先でえぐられた部分の痛みに苛まれていると、あそこに割り込むのは結構な勇気が必要だった。ラグナがどうするか決めあぐねていると、再びトリニティがテルミに話しかけ始めた。

「記憶戻られたんですねぇ」

 トリニティは、おっとりしたこちらの雰囲気のほうが素なのだろうとラグナにもわかった。開幕一発目が静かに怒りを燃やす彼女の魔法攻撃だったので怯えてしまったが、本来は優しげな歳相応の少女なのだろう。

 本当に心底ほっとした顔で自分の分のハーブティーを手に、彼女がラグナの隣に腰掛けた。ラグナを挟んで左右にテルミとトリニティがいる。言うまでもなく、ラグナには二人の会話がよく聞こえた。

「そうだ、俺は取り戻したぜ。テメェに邪魔されたがな」

 未だ火傷の残る顔でテルミは前を見ている。組んだ足の上で指を遊ばせるが、その指にも火傷があった。じわじわと変色した皮膚の領域が狭まっているのは気になったが、それが、未来のテルミに回復能力があったことをラグナに思い出させた。ライフリンクによる回復だとばかり思っていたが、体質か何かだったらしい。

「俺はテメェの知ってる『カズマ』じゃねぇぞ」

 ラグナはテルミの記憶喪失について詳しくは聞いていない。記憶をなくして何年も普通に学生生活を送っていたらしいことと、そのときの名前がカズマ=クヴァルだったことくらいは会話から拾えた。

「わかっています」

 よほど、記憶をなくしていたときの『カズマ』に思い入れがあったのだろうか。膝の上でぎゅっとコップを握ったトリニティの表情は、さみしげだ。

「どれだけカズマさんが記憶を取り戻したかったか、私にもわかっていました。それでも、私は止めたかった。カズマさんにとってが記憶を取り戻すことが、とても危険なことのように思えたんです。だから、私は止めたことを後悔していません」

 心情を吐き出すトリニティは横を向き、テルミを見ている。まっすぐに迷いのない目には悲しみはあっても、後ろ向きな暗さはない。

 記憶を取り戻そうとしたテルミを彼女が止めきっていたなら、何かが変わったのだろうか。居た堪れない気持ちで身体を小さくするラグナは、できるだけ二人の視界に入らないようにしながら思う。

「けどカズマさんはカズマさんですよ~」

 ふいに表情を崩しニコニコと自分を見るトリニティを、横目でテルミが見る。焼け落ちざんばらになった髪を隠すために被った黄色いフードから、金色の目と口元だけが覗いている。火傷が走った唇は返事をしない。

「本当のカズマさんはワイルドなんですねぇ」

 ワイルドさならさっきのトリニティには負ける、と思ったがラグナは腰掛けた岩に同化した気持ちで押し黙った。

「あっ、別にカズマさんが暗かったとか、引きこもり気味だったとか、言いたいわけではないですよぉ」

「ハッキリそう言ってんだろが」

 テルミは記憶がなかったときは大人しかった、と言うか根暗だったらしい。是非、直にこの目で見て指をさして笑ってやりたい。

 ラグナの記憶にあるテルミはいつでも五月蝿く鬱陶しいほど存在を主張している男だ。だが統制機構に所属する軍人でもあったはずだから、四六時中アレと言うわけでもないのだろ。軍人がどういったものか無職のラグナにはわからなかったが、上官の命令にぺこぺこして言われるがまま動いているような印象しかない。とてもテルミが耐えられるようには思えなかった。

「でも、カズマさんが無事でよかったです……」

 トリニティの脳裏に浮かんだのは、ナインから教えられた聖堂内の惨状だった。カズマにより気絶させられたトリニティが起きた時には、全てが終わっていた。

 カズマが聖堂に侵入したこと。十聖でも容易には入れない聖堂の最奥部で何者かが争い、大量の血痕が残されていたこと。その血が人間のものと獣人のもの、二種類あったこと。どちらも聖堂関係者のものではなかったこと。

 カズマが何者かに襲撃されていた場面に出くわしたことを思い出さずにはいられなかった。記憶を取り戻そうとするカズマと、それと同時期に発生した襲撃が無関係であるとは考えにくかった。

 襲われたカズマがどこへ消えたのか。無事なのか。自分が力づくでも止めていれば行方不明になることなどなかったかもしれない。カズマが消えてからのトリニティはそればかり考えていた。

 ナインと共にセリカを探しまわり始めてからも、セリカの失踪とカズマが消えたことが無関係に思えず、もしかしたらと淡い期待を抱いていたのだ。やがてそれは現実となってトリニティの目の前に現れた。

 カズマ=クヴァルは記憶を取り戻し、セリカと共にいた。

「どうしてカズマさんは日本に来られたんですか~?」

 記憶を取り戻したカズマがなぜ日本まで来たのか。どうしてセリカと共にいたのか。聞きたいことはトリニティには山ほどあった。たくさんのどうしてがこもった言葉は、口から出てみれば一言にしかならなかったけれど、声の明るさとは違い、重い言葉だった。

「テメェには関係ねぇ」

「いいえ、あります」

 切り捨てようとしたテルミに、トリニティが食い下がる。

「私は、カズマさんのことをお友達だと思っています。だから、私は……カズマさんの『最後』を知りたいんです。私の知っていたカズマさんがどうなったのか。これから、どうやって生きていくのか」

 間延びしてはいたが、トリニティはしっかりとした口調でテルミに訴えかける。

 テルミが珍しく躊躇うような空気をまとう。この男なら女子供だろうが突き放して踏みにじるとラグナは思っていたが、一欠片くらいは真っ当な精神も持っているらしい。それが記憶を失った間に培われたものだとしたら、ずっと失っているままのほうが良かったに違いない。

「教えてください」

「……」

 フード越しにぼりぼりと頭を掻くテルミが、居心地悪そうにそっぽを向く。トリニティを無視しても嘲ってもいいはずだが、面倒なことになったとでも思っているのだろう。ラグナはニヤニヤとそれを見ていた。どうやらテルミには、思ったよりも弱点が多いらしかった。

「レリウスを探してんだよ」

「……レリウスってレリウス=クローバーかよ!」

 聞き覚えがある名前に声を荒げたラグナに、トリニティが眼鏡と同じように目を丸くする。ラグナがいることを意識していなかったので、少しだけ肩が跳ね上がっていた。

 背中越しのトリニティのことなど気付かず、今度はラグナがテルミに食って掛かる。

 レリウス=クローバーと言えば、テルミと共謀していた統制機構の男だ。ラグナの蒼の魔道書にも興味を示していたので覚えている。

「なんであのオッサンがここにいんだよ!」

「正しくはもうこっちにはいねぇ」

 こっち、がどこを指すかわからずラグナが表情を険しくする。テルミは頭を搔いてた手を後頭部に回して組むと、猫背気味だった背を延ばして立ち上がる。

「窯に落ちてむこうにいっちまったからな」

「……はぁ?」

 関節をほぐすように組んだ手を上げて背伸びするテルミをラグナが見上げた。ようやく『こっち』と『むこう』がどこかわかる。『過去』と『未来』だ。

「んなホイホイ行き来できるもんなのかよ!」

 タイムスリップなど夢物語でしかないと、実際に過去へ来たラグナでさえ思ったのにだ。自分以外にもタイムスリップした人間がごろごろいるなど考えにくかった。

「頑丈な身体と精神がありゃ難しくねぇぜ?まぁ記憶がブッ飛んじまうがな」

 窯ってのはそう言うもんだ、とテルミに言われても納得しがたい。背を向けたテルミは腕の調子を確かめるように今度は胸の前で長い腕を伸ばしている。

「もっともテメェは越えれなきゃおかしいんだがよ」

 嘲りを浮かべたテルミが、解いた指で青白い喉元を指差す。ちょうど左右の鎖骨の窪みあたり。

 ラグナが苛つきながら自分の胸元を左手で握る。ラグナには、テルミが指したのと同じ位置に刺青のような刻印があった。《No.5》。ラグナが人間ではなく、製造された素体であることを示すナンバリングが振られている。おそらくは境界接触用素体としてラムダ、ノエル、ミューと同じようにラグナも作られたのだろう。

「俺が探してんのは、レリウスが残した資料だ」

 黙り込んだラグナに気を良くしてテルミがふり返る。その先では困惑した顔のトリニティもいた。

「レリウスはシュウイチロウ=アヤツキと研究をやってたからな。目的地が同じだけで、俺はあのガキに何かしようなんざ思ってねぇ」

 むしろ邪魔なんだよ、と嫌悪を隠さないテルミの舌打ちは思いのほか大きく響いた。

「カズマ=クヴァルは『俺』を取り戻した。だからもういねぇ、どこにもな。俺はユウキ=テルミだ。これでいいかトリニティ=グラスフィール」

「……はい」

 か細い返事は、トリニティの最後の希望が打ち砕かれたにしては小さな音だった。

 話は終わったとばかりにテルミは背を向けた。道だったはずの場所を一人先に歩き出す背を、トリニティはラグナの隣で座って見ていた。大きな目から耐え切れなくなった涙が一粒だけ零れる。頬の曲線を伝った涙が顔の輪郭から離れてスカートの布地に染みを作った。

「おい、その……」

 流れたのは本当に一粒だけで、静かに手で拭った目元はもう潤んではいなかった。慌てるラグナを尻目に、トリニティも立ち上がる。

「いいんですよ、わかっていましたから~」

 砂糖菓子のような甘さで微笑む少女に、掛ける言葉を探してわたわたとしていたラグナが驚いて顔を上げる。納得などできていないのに気丈に、テルミを受け入れようとしている健気さは痛々しくさえあった。

「お別れ、できましたから」

 わずかばかりの安堵が滲んだ言葉に、ラグナは口をつぐむしかなかった。

    

    

    

    

    


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