迷走大戦   作:萩原@

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第16話

    

    

    

    

 この世界にある無数の神秘の内いくつかは、遥か太古に現出した僅かな蒼を起源としている。元来、この世界に神秘はなかった、と言い換えた方がいいだろうか。蒼によって生み出された箱庭である世界は、下位の世界だ。そこに上位存在が現出することは、箱庭の管理人が許しはしない。それでも、その禁忌を破って蒼を引きずり下ろした存在がいたのだ。均一な理の中に、別の理を無理やりねじ込んだ結果、神秘という新たな法則が世界に現出した。この法則が生き物として形を持ったもの、それが幻想生物である。

 この世の理では殺せず、しかし世界を破壊し得る力を持つ物。ナインはそれに類似したものをよく知っていた。

 それは、

「……黒き獣」

「おうよ、理解が早くて助かんぜ、どっかの馬鹿とは違ってよ」

 テルミが手に持っていたチョークで宙に花丸を書く。手慰みに指で回していたせいで、手は白く汚れていた。そんな手元などナインは見ていない。険しい視線は部屋の壁面を占める黒板に釘付けになっている。学園であればどこででも見られるありふれた授業風景。けれど、講義されている内容は、世界の深淵・根幹に関わる壮絶なものだ。

 緑色の板の上には白線が無数に引かれている。文字であったり図解であったり数式であったり、見慣れたものも多い。しかしその関係はナインでさえ仮説でしか考えつかなかった世界の縮図だ。禁忌中の禁忌。ごく僅かな存在しか知り得ない世界の真理たる《蒼》を中心に据え再構築された世界の見取り図。壁面を覆い尽くさんばかりの膨大な情報の群れがテルミによって描かれている。

「黒き獣は《蒼》を根幹に据えた魂喰らいだ。幻想生物と魔道兵器の中間あたりか?」

 そこにテルミが文字を書き加える。

「魔法は届くが、現代兵装じゃまっったく歯が立たねぇのはこの辺りが原因だな」

 黒き獣の絵だろうか。八つの首を持つ蛇に似た怪獣がずっと空いていた黒板の中心付近に描かれた。

 ナインは苛立たしそうに手元にあった紅茶を口に運ぶ。舌に苦味が広がる。砂糖を食んでいるのに摂取した先から脳で消費されて糖分が不足しているのだ。

「どこの馬鹿よ、そんな怪物生み出したのは!」

「テメェが一番知ってんじゃね?あっ絶縁してたんだったか!悪ぃ悪ぃ!」

 取手がもげないことが不思議な勢いでティーカップが机に叩きつけられた。ぶちぶちと堪忍袋の緒がほつれている音が聞こえそうな鬼の形相に、テルミは終始上機嫌だ。真性の悪党の楽しい講義は続く。

「昔っからだが、日本には窯に干渉できる血筋ってやつがいたせいか、窯を利用しようって動きがたまーに起きてんだよ。直近だと御剣機関か?あそこも《巫女》の傍流を飼ってたっつぅ話しだしな」

 見てきたように言うテルミの言葉を、ナインは遮らない。この男は見た目通りの年齢や、そもそも人間であるかも疑わしい。自分で見聞きして語っていたとしてもおかしくはないくらいには、妖しい存在だ。

「《蒼》を境界から引きずり出せないまでも、その窯を使って観測しようとしてた連中がいたのが第一区画だ」

 第一の窯と称される黒き獣の出現した第一区画の窯。そこで何が行われていたのか、資料で薄ぼんやりと把握はしていたがナインはテルミの話に聞き入った。

「それが黒き獣を生み出したわけね」

「いーや違うぜ」

 テルミはせせら笑う。教壇に立っている事自体が悪い冗談のような男だ。教卓に腰掛け、長い足を組んでいるが、人にものを教える態度ではない。

「……《蒼》を観測しようとして《蒼》に触れたわけじゃないの?どういうこと?」

 ナインの顔に浮かんだのは純粋な疑問だ。ナインもナインで学生机にふんぞり返って座っている。机の上には紅茶しかない。全て頭の中に叩き込むくらいは造作も無いからだ。

「《蒼》を探す必要なんざなかったんだよ、手元に持ってたからな」

 ぽんっ、と告げられた言葉の意味がナインの息を止める。過去に《蒼》に近づいた人間がいなかったわけではない。だが、手にしたものはいない、はずだ。

「連中は《蒼》を手に入れた。だったら連中が、科学者どもが次にすることは何だ?《蒼》を使って世界征服か?違うだろう?あの業突張りの何でもかんでもバラッバラにして頭の中身まで覗いちまう知識欲の化け物どもが、次にする事なんざひとつっきりだ!そうだろ?」

 蒼を手に入れたその先。それは蒼を知ること。

 蒼が何であるか。使い方より何より、知りたいこと。それは。

「……《蒼》の根源を、神を観測ようとした!窯の底の《蒼》そのものを!」

「そう!パーフェクトだぜ!糞女だけあったマジ頭だけは良いよな!」

 チョークを放り出したテルミが手を叩く。わざとらしい拍手が虚しく響く。この教室にはテルミとナイン以外ない。出来のいい生徒と何でも知っている教師、二人の茶番劇は外因子の介入なく続く。

「連中は神様を、概念としてさえ確立していないマスターユニットを探した。窯のどっかにいるアイツをな。だーが、運が悪かった。窯の中は可能性の坩堝だ。過去・未来・現在ありとあらゆる絶望と希望が生まれ還る場所だ。んなとこ外から掻き回したらどうなっか、分かってなかったわけじゃねぇだろうが、とにかく運が悪かったんだな、コレが」

 肩をすくめる男の一挙手一投足をナインが見る。テルミが語るのは、誰もが知る今代のグランギニョルの真実だ。それ以上など存在しない未曾有の大災害。

「絶望によ、見つかっちまったんだ」

 テルミの脳裏に赤い大きな瞳が浮かんだ。あの眼を見た本当の最初の最初は、確かにあの第一区画の地下だったはずだ。しかし、そばにいたのはラグナ=ザ=ブラッドエッジではなくレリウス=クローバーだ。

 始まりの始まり、テルミが最初に黒き獣を『生み出した』瞬間。あの時自分を映したのと同じ眼を、つい先日久しぶりに同じ場所で見た。二つの真っ赤な球体は、テルミの記憶の中でぴたりと重なった。

「決して窯を開けてはならない、窯を開ければ大いなる厄災がそこから這い出してくる……天之矛坂や、黒辰から、連中も再三警告を受けてたんだろうが、まぁガン無視だよなぁ、知ったこっちゃねぇわな」

 這い出してきた厄災が何なのか、今の世界に知らない者はいないだろう。

 ナインは頭を抱える。自分の血の繋がった男がいったい何をしていたのか、何をしでかしたのか。その功罪の重さと、湧き上がる憎悪に。

「あの男は……ッ!」

「出てきちまったもんは、大人しくおっ死んでもらわねぇとな」

 テルミは愉快そうに、赤いチョークをとって黒板に大きなバツを書き込んだ。交差した二本の線は、デフォルメされた黒き獣の絵の上で交差する。

「……そうね」

 ナインの眼に怨嗟がこもる。誰よりも私怨ゆえに黒き獣を滅ぼそうとする女の眼には躊躇いも何もない。

 テルミは若干の不快感を持ってその眼を見返した。例え好きなように利用できようと、根本からこの女とは合わない。そう言った眼だ。

「あのバケモンをぶっ殺す話をしようぜ」

 赤いチョークで汚れたテルミの手は、未だ血では汚れていなかった。けれどこれから存分に血みどろになるだろうことを予測できないほど、ナインは愚かではなかった。それでも、この男の手を取ったのだ。守るために修羅となった魔女が選んだ道の先で、緑色の悪魔は満足気に笑っていた。

    

    

    

    

    

    

    

    

 かつて、多くの人間にとって、魔法とは迷信に過ぎなかった。その迷信を笑い飛ばせていたのが、単に身近に存在せず観測されなかったゆえだと思い知ったのは、人類には不幸以外の何物でもなかった。

 知るという行為は、必要として初めてなされる。つまるところ、魔法が一般に認知され始めると言うことは、地球上の全人類が、魔法を必要とせざるを得ない厄災に見舞われた事を意味していた。

 わずか六年。人類はその数を最盛期の一割まで減らしていた。いくつかの大都市は暴威のもとに殲滅され、ある国は根こそぎ吹き飛んだ。

 まったくもって、由々しき事態である。ユウキ=テルミはそう考えていた。狂った思考が、さも当たり前のように困った、と結論付ける。世界の危機も、彼の思考にかかれば計画に支障をきたす障害の一つでしかない。

 当たり前であるが、憂いているのは人類の未来などではなく、生贄にする人間が減ることに反比例して増えていく自分の仕事量である。

「マジ困んだよなぁ、くっそ面倒くせぇ」

 はためく黄色いローブの下で、テルミは顔をしかめる。燦々と太陽がさんざめく炎天下、噴き上げる砂ぼこりに、テルミの姿は溶け込んでいた。足首まで砂に埋まっては一瞬で踏み出される靴が、金属打ちの革靴でなければ砂漠の民でも通じただろう。金色の眼は青空の下の黄金色の砂漠に良く似合っていた。もちろん、砂漠の悪魔がいたならばこう言った姿だろう、と言う意味でだが。

 激しい風も焦げ付く陽射しも、テルミはものともしない。これだけ日に曝されても全く日焼けを起こさない真っ白な肌には、わずかに汗が浮いているだけだ。疾風に追いつく早さで砂上を駆けているとは思えない。

「どこまで行ってんだよ、あの糞犬はよぉ!」

 生き物の強さは、その自重に対する出力比で決まる。同じ筋力なら、より体重が軽いほうが強い、と言うことだ。その意味でレリウスは正しくテルミの器を調整していた。

 圧倒的に速く軽い踏み込みに、砂の分子間力が拮抗する。その瞬間だけ、慣性と摩擦により見かけ上、砂は岩石と同じ強度を持つ。それが足場になる。理屈上は、体重が軽ければ水の上だろうが走れる。さすがに砂とは違い術式の補正なしに行うことはテルミにも無理だったが。

 十メートルはくだらない砂山が峰から崩れて形を変える中で、山を登っては駆け下り、また登り。ひたすらそれを追ってテルミはだだっ広いだけで何もない砂漠を全力疾走していた。

「ぶっ殺すぞ、ラグ──」

 テルミの言葉は、中断を余儀なくされた。

 衝撃、轟音、熱量、遠く聞こえる悲鳴、連続した熱風、ひっくり返る天地、閃光のような太陽、そして高らかと笑い声。テルミが笑う。

「──舐めた真似してんじゃねぇぞ!ヒャハハハ!」

 言葉は半ばから怒声に変わっていた。

 空に放り上げられた大爆砂。自然現象ではありえない突発的な地面の隆起が十数メートル直径・高さで起こり、テルミを高々と宙に投げ出したのだ。

 表情を変えて、テルミは爆心地の方を向いた。掻き回された三半規管が天地を感じるよりも先に、眼がそこを捉える。

「うおおおおおおおおおおおおおおげぼっご」

 哀れな被害者が一緒に視界に映り込んだが、それの大きさに比べれば豆粒のようなものだった。むせながらもまだまだ元気一杯に叫んでいる被害者こと、ラグナ=ザ=ブラッドエッジを口の端に引っ掛けたそれは強大な身をゆすり、砂を払い落とす。真っ黒な巨体。太さ十メートル。地元で化け物ミミズと呼ばれている怪物が大口を開けて、テルミが落ちてくるのを今か今かと待っている。

 テルミは自分が追っていたのが、このミミズの尾であったことに気付いた。尾を見ている獲物の背後を頭が捕るのは、よくある捕食行動だ。だが些細だった。

「ようやくぶっ殺せるなぁ!」

 全力で逃げ回られるのに比べれば。尾だろうが頭だろうが、向かってきたものは潰せば終わりなのだから。

 投げ出された身体が重力のままミミズの頭に向かい落ちる。いや、獣だ。化け物ミミズの形をとってはいるが、これを構築しているのは莫大な魔素だ。魔獣とは異なる証拠に、限界以上に広げられた顎の中では、三角形の歯が何重にも円陣を組み、さらに円が互い違いに高速回転している。同心円上の真っ黒な回転鋸が砂を弾き飛ばし、酷い音を立てている。いくらなんでも、こんな出鱈目な生き物が変異とはいえ生じるはずもない。骨格も筋肉も重心も、まして先ほどの推進力を生み出した器官さえ曖昧な、ただ恐怖を塗りたくった戯画から生まれたようなこれが、黒き獣の一部である以外の何だと言うのか。

 砂だらけの視野に、テルミは獣を捉えた。獣の叫びが空気を揺らし、砂の満ちた空に波紋を走らせる。

 暴れ回る獣を鎮圧する方法はそう多くない、と考えられるのはテルミだからだ。人類はその内の一つとしてまともに思いつけず、一方的に殺戮されるだけ。知っているか知らないか。人類を獣との生存競争に勝たせるには、この差を埋めなければならない。なにせ、今その方法を知る人間は誰も居ないのだから。

「死ねや、糞虫!」

「ちょ」

 何か引きつった声が聞こえたが、テルミは気にしなかった。今は誰も知らない、けれどこれから誰もが知ることになるそれが、ラグナの足元の空に大きく広がる。

 翼を広げたような捻くれた蛇の紋章。異能者が示すドライブの発現だが、その先に起こる事はドライブだけに寄るものでないとラグナは知っていた。

「テルミイイイイイィィィィィ」

 巻き添えを食らったラグナがもろともに術式の濁流に飲まれ、炸裂する寸前で振り落とされた。そんなことはお構いなしに、テルミが絶好調に蛟を放つ。ふっ飛ばされた獣の破片がラグナを強打したことも、今からどうやって着地するかも、何一つとして計算していない。

 一度として進んだことのない事象を貪り尽くすことだけに腐心するテルミの心は、狂気と歓喜に似た何かで満たされていた。

    

    

    

    


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