迷走大戦   作:萩原@

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第12話

    

    

    

    

 時は少し遡る。

 ソレは正面からイシャナにやってきた。

 イシャナは海上都市であり、なにより世界から秘匿された土地であった。その存在を知るものは多くない。今現在、ニ〇一七年においては。ソレはその例外のひとつだった。

 ゆらゆらと海面のゆれに混じって、船体が波止場の岸壁にぶつかる衝撃がする。船のどこにいたとしても感じられるだろう感覚にソレは目を覚ました。眠っていたのだ。目を閉じるための目蓋を失って六年あまり、眠ることはほとんどなかったソレの名前はハクメンという。

 眼球ではなく赤いガラスのようなセンサーの目の感度をわざと落としてハクメンは眠る。見たくないものを見ずにいるために目蓋のかわりに体得した技術だった。

「着いたか」

 いわゆる密航という手段を使ってハクメンは厳重な警戒態勢を抜けてイシャナへ進入する手段をとった。今やイシャナは世界の要人が黒き獣を避けて逃げ込む避難場所だ。人や物の往来は過去に類を見ないほど多い。そこにつけ込んでこの土地を目指した。

 今は出て行く人間のほうが多いだろうが、と心の中で呟く。逃げるべき世界の敵黒き獣は数日前に何者かに打ち倒された。単に封印されたという説もあるが真実はハクメンにもわからない。事実、世界からあの強大だった黒き獣の気配は消え去っていた。

「ここがイシャナか」

 どたどたと頭上の甲板を踏む人の足音がする。

 黒き獣が倒されたのは、ちょうどその日ハクメンが訪れた日本の窯でだと聞いたのは後になっての事だった。言葉を失ったハクメンが思い浮かべたのは、その日出会った四人の男女。そして同時にどこか納得した。

 大魔道士ナインと強大な秩序の力を持つ少女、魔法使いらしい少女とローブの男。ハクメンが知る『六英雄』のうち、秘匿されたプラチナ=ザ=トリニティと裏切り者ユウキ=テルミに該当するものが、あの場にいた可能性は高い。六英雄の何人かが揃えば黒き獣を封じられたとしても、おかしくはないだろう。

 だが、封じただけだということをハクメンは知っていた。

 このまま歴史通りに進むならば、後一年で黒き獣は活動を再開する。そして六英雄が集い、今度こそ、黒き獣を打ち倒す。

 ハクメンの目的は、黒き獣を滅する以外にはなかった。今その標的は封じられ沈黙している。ならば、他の『六英雄』に会い、その時に備えなければならない。

 数度戦ったハクメンは己の力を持ってしても、黒き獣を完全に滅しきれないことに気付いていた。削り切る前に逃げられるのだ。無限に時間があるならばハクメン一人でも倒すことはできる。だが負傷した黒き獣はすぐに窯に逃げ込む。これではいつまで経っても倒せはしない。足止めをできるものが必要だ。

 真っ先に浮かんだ顔は、大魔道士ナインだった。術式の始祖にしてアークエネミーの製作者。衛士と兵器の両方を用意できるのは彼女を置いて他にはいないだろう。ハクメンの思考がわずかにかつて軍人だった時のそれに立ち戻る。援護が必要だ。

「大魔道士ナイン……」

 ハクメンは既にナインにたどり着くための策を講じていた。後は時の満ちるのを待てばいい。

 再びハクメンは目を閉じる。それに合わせ全身の活性度を再び最低まで落としていく。もはや生身ではないこの身体ならば、いくらでも魔法の目をかい潜れる。ハクメンは本当に正面から、イシャナへと乗り込む道を選んでいた。

    

    

    

    

「なんだこの荷物?」

 船底の積み荷は、喫水線を保つために重さが偏らないようその場で配置される。そのため、ぱっと見でそれがどこ行きの積み荷なのかわからないことは多い。船員が運び出そうとしたのは、カゴ台車や小さな宅配物の山に混じった大きな木箱だった。

 イシャナ行きの貨客船は荷役施設も装備されており、客の捌けた甲板を開いて船底からクレーンで荷物を運び上げられるようになっている。そのため専用運搬船に乗せるような大型の積み荷がしばしば交じるのだ。

 他の船員も気付いて木箱に寄ってくる。手作業で搬出できないものはクレーンから伸びたワイヤーに玉掛け、つまり固定しなければならない。この大きさだと玉掛けも数人がかりだろう。なにより、こう言った荷物は密航者が紛れ込んでいることが少なくない。

「開けるぞ」

 蓋は釘が打たれておらず、簡易の鍵が掛けられているだけ。一人が訝しげに積み荷の伝票と貼られた送り状を照合する横で、もう一人が鍵を打ち壊す。中を見られて困るような厳重注意物はチャーター便で送られているはずだ。保安の観点から船員にもこの程度の検閲は許されていた。

「おい、これ十聖宛の荷物だぞ」

 伝票には詳細な宛先は書かれていないが、受取人は『大魔道士ナイン』と記されている。十聖ナインにそんな称号があったかは船員の記憶にはないが、他に該当する人間もいない。面倒なものを開けてしまった、と思った時には遅かった。

「なんだこれ」

 伝票が挟まれたバインダーから顔を上げた船員が荷物の方を向く。声を上げた青いつなぎを着た方の船員は、背の高い木箱の蓋を持ち上げて覗きこんでいた。

 中にいるものと目が合う。

「鎧、なのか?」

 甲冑、というにはずいぶん生き物がかった質感の白い鎧。目が合ったと思ったのは、甲冑の随所に埋め込まれた赤い宝珠のスリットを正面から見たからだ。それは顔の部分が大きなシェードで覆われた時代錯誤な全身甲冑だった。固定用にたっぷりと入れられたおがくずの中、尖った装飾や硬質な装甲が一部だけ覗いている。

「いや、品目上は『ゴーレム』となっている。十聖の特注品らしい」

「伝票にはそんなこと書かれていないぞ?」

 箱の検分をする船員が書類上にはなかった箱の品書きを見つけ、顔をしかめた。

「勘弁してくれ、何でチャーターで送らないんだ」

 静かに自分の足を抱えてうずくまる巨体を二人は見下ろす。こういう厄介なものこそ、一般物と分けて送ってもらわなければ、もし万一なにかあった時に対処できないというのに。幸い開けた程度では起動しなかったが。

「十聖に確認を取る必要がある。一度降ろすぞ」

「また仕事が増えるのか」

 ぼやきながら船員が箱の蓋を閉めた。再び暗くなった箱のなかで鎧が唸るが、船の駆動音にかき消された。

 そう上手くは運ばんか。

 箱にワイヤーが掛けられるのを感じながら、ハクメンは脱出すべきか、十聖への連絡を待つべきか迷った。一時の逡巡。すぐに答えは出た。待つのも迷うのも、この男は昔から好きではなかった。そっと指で押し上げた蓋の隙間からおがくずが舞う。手についた目は、はっきりと港の明るい景色の仔細を映しだす。そうそこに漂うかすかな、懐かしい気配さえも。

(馬鹿な……ッ!)

 叫ばずに済んだのは、驚愕のあまり声を失ったからだ。硬直した身体のすべての目が、イシャナの結界内に拡散した『ソレ』の微細な存在を捉えるのに、時間は掛からなかった。予想通り秩序の力により浄化された清純な空気。眩しくさえある気配に押しつぶされそうになってはいるが、確かにハクメンには感じられた。

 黒き獣の微弱な『心臓なき』鼓動。

 指先が強張って蓋を取り落とした。ぱたりと閉まった箱の中、ハクメンが身震いする。

 封じられた黒き獣。封じた十聖。どう封じられたかは歴史のどこにも残されてはいない。だがもし、封じた黒き獣を十聖が持ち帰っていたら。

 もし、その封印が黒き獣を『あるべき姿』に戻すものだったとしたら。その暴威の根源たる『心臓』を封じる術だったとしたら。

 ハクメンには聞き覚えがあった。その手の温もりも表情も思い出せないけれど、こびりついた兄の最後の鼓動だけは忘れられない。あの女と融け合って聞こえなくなってしまった人間としての最後の脈打ち。それと同じものを、気配を、ハクメンの限界まで発達した器官が拾い上げる。

 初めてハクメンの鳴神を握る手が寒け立つ。かつてユキアネサを握っていた時と同じように。

 ここに、黒き獣がいる。

    

    

    

    

    

 


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