prodigy   作:MONO_

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prodigy

渡された鍵を使って、部屋の鍵を開ける。特に軋むことも無く開いた扉の奥から、冷気が流れ出して来る。

 廊下を進んでリビングへ入ると、まだ昼間だというのに薄暗い。その理由はこの部屋の主がカーテンを閉めているからで、分厚い遮光性のカーテンは真っ昼間からその仕事を成し遂げている。

 足元には大量の本が平積みにされていて、足の踏み場も無い。と言うより部屋の入り口から歩いて奥のパソコンにたどり着くまでの必要最低限のスペースがまるで逆浮島のように開いている。相変わらず女性の住む部屋ではない。

 彼女はパソコンのディスプレイにかじりついていて、ディスプレイの向こうでは彼女の操るキャラクターが大きなモンスターと大立ち回りを演じている。

 その頭には彼女の華奢な体には不釣合いな大きくごついヘッドフォンを付けていて、大方ゲームの音量を大きくしているのだろう。僕がこの部屋に入ってきたことに気付いていないようだ。

 相変わらずだな、とは思いつつも遮光性のカーテンを開けに掛かる。

「止めろ。溶ける。本が傷む。」

 と、その動作を視界の端に捉えた彼女が女性にしては若干低い声で僕を制止する。

「一体何度言ったら解るんだ。」

 そう言いつつ、その目と意識は一度たりともディスプレイの向こうの世界からこちらに向けられることが無い。

 因みに今のは僕等なりの挨拶のようなもので、僕が此処に来たときのお決まりのやり取りになっている。

 その証拠に、彼女は口では僕に対して呆れた口調で言いつつも、その唇は少しだけ笑みを形作っている。

 彼女のゲームが1段落するまでの間に二人で座れるだけのスペースを確保しておこう。

 とりあえず部屋の明かりを点ける。彼女の定義では日光でなければ光そのものは特に問題無い様で、僕がこうして部屋の明かりを点けても怒ることはしない。そもそも日光の何が本にとって悪いのかは僕には解らないが、紫外線がいけないのだろうと勝手に推測をしている。ならば電気は問題ない筈だが、実際の所どうなのだろうか。

 そう思いつつ足元を覆う本の山、では無く本の海と形容したくなるような本を適当に退けていく。

 本の扱いに関しては割と無頓着で、僕が乱雑に本を扱っても文句は飛んでこない。

 僕が適当に本を退けて、と言うより積み上げて2人分が座れるスペースを確保したのをまるで見計らったかのように回転式の座椅子を回して彼女が振り向く。

 腰まで届くような長い黒髪が1拍遅れて後に続いた。

 タイミング的にはベストだが、パソコンのディスプレイの向こうではクエストクリアの文字が踊っていて、大方ゲームの切が良くなったタイミングが僕の片付けの終了時間と偶然重なっただけだろう。

「ん、よく来たな。」

 僕を見下ろしてたっぷり1秒程の間を空けてから彼女―木原冷渦―が僕に言ったその声は、普段の彼女を知る人が聞けば恐らく腰を抜かすであろう程、優しげな気配に満ちていて、僕はその声を聞いただけで唇の端が若干上がるのを押さえられない。

「どうしたニヤニヤして。若干気持ち悪いぞ。」

「あ、すいません。」

 あわてて表情を修正。

 彼女は座椅子から降りて僕の前に座る。何の遠慮もせずに僕が手土産代わりに持ってきていたお菓子の封を切り、次いでに500mlペットボトルの蓋を開け直に口をつけて飲みだした。

 相変らず豪気なお方だ。

「ところで今日は一体何の用ですか?」

「ああ。そろそろ君が上位武器の素材集めに苦労している頃だろうと思ってな。私なりに気を利かせてみた。」

「成程。」

 ダウト、だ。実際は僕の顔が見たくなったから呼びつけたといったとこなのだろうが、彼女は大義名分がないとそれを実行できない。非常に初心なのか何なのかは僕には想像も出来ないが、それは付き合って1年弱が経過して僕が彼女について学習したことの1つだ。

「ありがとうございます。丁度1人では行き詰まりかけていた所で。」

 ただ、このタイミングを見計らう能力は正直舌を巻く。恐ろしいほど的確にこちらが苦労し始めた辺りに誘いをかけてくる。それこそ監視でもされているんじゃないだろうか。本望だけど。

 その後僕は苦労していた武具の素材集めのために彼女の協力を借りて魔物を討伐する。正直彼女と付き合うまではゲームなんてまともにプレイしたことが無い様な人間だったが、今では彼女の影響で一端のゲーマーだ。

 因みに彼女が協力プレイ可能なゲームを勧めてくる場合はこの様に僕と会う為の口実に使うことを見越しているようで、それが見透かせるから可愛い。

 見たいな話を友達に真顔でしたら『すまない俺にリア充の言葉は解らないんだ。』と言われた。つまりは惚気るならよそでやれと。 

 無自覚で惚気られるのは一種の才能に近いらしく、僕は事ある毎に無自覚惚気を炸裂させ、皆がそれに総ツッコミを入れるというのが僕の周りでの会話の一種の定型になりつつある。

僕の立ち位置が固まってきたことを喜ぶべきなのかどうかはイマイチ判然としない。

「ねぇ、先輩。」

「先輩。は禁止だといったろう。」

 なので相談しようとしたら先に呼び方で注意をされた。いかん、学校の時の癖が抜けない。

「冷渦さん。」

 呼びなおす。

「ん、どうした。」

 因みに僕も彼女も1度たりとも携帯ゲーム機の画面から顔を上げていない。その内デートがネットゲームの中とかになりそうだ。

 まぁ僕として彼女と時間を共有して何かが出来れば満足なので別に構わないけど。音声チャットが出来ればほぼ文句なしかな。

 閑話休題。

 僕の仲間内での立ち位置を冷渦さんに話す。

「む。君は仲間内で私との惚気話をしているのか・・・。少々恥ずかしいな。」

 その話を聞いた冷渦さんが複雑そうな声で呟く。画面からちらりと顔を上げて冷渦さんの顔を伺うと若干頬を赤らめてらっしゃる。ああもう「可愛いなぁ。」

 その瞬間に画面の中で僕のキャラクターが宙を舞った。

 どうやら照れ隠しに吹き飛ばし判定のある攻撃を見方である僕に当てたらしい。因みにこのゲーム、かなりシビアなことで有名で、僕のキャラクターのHPがごっそりと消えた。

 その反応も個人的にはどストライクだが、そこで天丼をかますかどうかを脳内で検討してやめる。多分次は命が無い、僕のキャラクターの。

「まぁ、いいんじゃないか。別にそれが不快なわけではないのだろう?」

 不意に冷渦さんが口を開いて、僕は一体何のことを言っているのか一瞬わからなくなった。

「ええ、まぁ。」

 が、直ぐに先刻の質問の答えだということに思考が辿り着く。この辺は律儀な人なのだ。もう答えなど僕の頭は欲しておらず、又1つ惚気るネタが増えちゃったゼ!!とか思っていたのだがそんなこと冷渦さんが知る由もあるまい。

 知ったら知ったで命が無さそうだ、僕のキャラクターの。

 このゲームのシビアさはとどまるところを知らず、一度キャラクターが行動不能になると、確率で本当に死に、データごと消える。

 キャッチコピーは『本物を越える仮想』そんなとこまでリアルにされるとゲームである意味が無くなると僕なんかは思うのだけど『だからこそやりがいがあり、レベルカンストしたときの感慨も一入。』なのだそうだ、冷渦さん談。

 僕はまだまだ俄ゲーマーらしい。そんなことで喜べるM格好良い人にはあまりなりたくないけども。

「冷渦さんは惚気話とかしないんですか?お友達に。」

「する訳無いだろう。そもそもそんなに会話する人間が私の学校に居ると思うか?」

 いや、思いませんが。

 そもそもこの人はこうして休日に一人で部屋に閉じこもって1日中ゲームをやっていることからも解るようにあまり人付き合いが得意ではない。

 そんな僕と彼女が何故付き合うようになったのかと言えば実に意外で、いやそれは僕にとって意外なのであって彼女の思考的には実に適当且つ妥当なことなのかも知れないが、驚くべきことに彼女のほうに告白された。

 殆ど学長が冗談で作った飛び級制度に学校の歴史上唯一合格し、僅か14歳にして大学に進学。

 その大学も4年制の所を僅か2年で卒業。実に驚くべきことに現在16歳にして大学院の博士課程前期生だ。

 流石に博士課程を飛び級するのは困難なのか、博士号は順当に5年間でもらう心算でいるらしいが。

 因みに、日本の国家姿勢そのものは飛び級を容認していないから、本来なら高卒未満であり、大学すら受験できないが、その辺は私立の小学校から大学までを内包する超マンモス校だからこそ出来る芸当で、彼女は既に学校から大学の卒業予定をもらっている。詰まり彼女は時が来れば自動的に大卒になるということだ。この分だと博士号も獲得予定になるのだろう。

 因みに学校そのものが非常に有名である為か、彼女にはありとあらゆる研究機関からのオファーが殺到している。

 ベル研からも来たと言うから驚きだ。因みに彼女は英語を初めとしたほぼ全てのヨーロッパ圏の言語を習得している。全部でいくつかは数えたことが無いし、まだ増えているだろうからカウントそのものが無意味になりつつある。

 そんな彼女が何故僕を知ったのかといえば僕がその大学に進学したからだ。市内のさして有名でもないが名前を出せばまぁそれなりの知名度をもった普通校から私立の超マンモス校に進学した僕は非常に肩身が狭い思いをしていた。

 そりゃそうだ。なにせ周りにいる人間は殆どが幼馴染状態。そこにポンっと入ってきた人間が馴染めるわけがない。

 僕自身あまり人と話すのが得意でないのも手伝って、殆どぼっち状態。

 そんな僕のぼっち特有の気配を感じ取ったのか、彼女のほうから近づいてきた。

 彼女も彼女で、良すぎる頭の所為で、気付けば1人だったそうだ。

 そんな彼女と僕が意気投合した直接の原因は奇しくもゲームだった。

 僕と彼女との間にある愛情の大半はそのゲームが育んだと言っても過言ではない。

 因みに彼女が真っ赤な顔で僕に告白してきた後で判明したことだが、実際は近寄ってきたのは僕からぼっちの匂いを感じたからではなく、一目惚れでいても立ってもいられずに僕に近寄ってきたらしい。

 あまりの可愛さにその場で抱きしめて頬ずりしかけたのは内緒だ。

 因みに僕は順当に大学に進学しているので現在19歳。3歳差というのは社会的には別に非常識でもなんでもないが、いかんせん彼女は年齢的にはまだやっと高校1年生なったばかりといった所で、僕の友達内での評価が『ロリコン野郎』なのは言うまでもあるまい。

 実質女性は16から結婚できるのだから合法だと思うのだけど、所詮はからかいたいだけの連中だ。聞く耳を持つはずも無い。

「まぁ、惚気話をする人間がいるとすれば研究室の教授位だが、あの教授は堅物だからなぁ・・・。」

 そう言いながら遠い目をする。 

 因みに彼女の専攻は量子力学で、少し前に興味本位で研究室を覗かせてもらったが、あれは人間がやる学問じゃないと思う。

 又、彼女のその有り余る才能は初め計算機として使用していたパソコンの分野でも遺憾無く発揮され、現在では量子力学から量子コンピュータへと映ろうかと思っているらしい。

 そんな天才が成績は生まれてこの方中の下から中の中を行ったり来たりしている人間に一目惚れするのだから世の中解らない。

 彼女曰く『君が私のように賢しい人間ではなく、適度に単純でいてくれるお陰で私がどれだけ救われているのか、君には想像も付かないのだろな。』との事。

 その通りだ。

 余談だが、彼女のいる研究室の教授は別に堅物ではない。ただ、40過ぎの女性で結婚を焦っているだけにそういった話題に敏感なのだ。

 冷渦さんが僕と付き合っているという話をしたときの『裏切られた・・・。』とでも言いたげな表情が忘れられない。

 その心情が原因で彼女とそういった話題を避けているのが彼女にとって『堅物』と写ったのだろう。

「ま、実際にそんな話が出来る友人がいたところで私にはそんな話をする度胸は無いがな。」

 少しはにかみながらそういった冷渦さんへの僕の愛が鼻から出そうになったのは言うまでも無い。

「別に、話をされる相手が了承しているなら惚気話なんて普通ですよ?」

 とりあえず話題を続ける為に適当に言葉を口にする。

「君は了承されていないだろう?」

 その言葉に冷渦さんがさらに疑問を返す。

 基本的に友達付き合いと呼べるものの経験が欠如している彼女はそんな友人同士の機微と呼ばれるものに疎い。

「いえ、僕の惚気話から始まる一連の会話がボケと突っ込みで1つのネタみたいになっているので、半ば予定調和じみたコントみたいなものなんですよ。」

 人にこれまでの人生で一度もしたことが無いような説明をしながら、冷渦さんの顔を伺う。

「そういうものなのか・・・。」

 予想通りというか何と言うか、非常に困惑した表情をしている。

 無理も無い。彼女は凡そ人が想像する幼子からはかけ離れた少女だった所為で、とてつもなく苛烈な幼少期を過ごしている。

 一時期は日常会話にすら苦労したそうだ。

 流石にそのときは解りにくい冗談を言われたのかと我が耳を疑ったが、冗談でも比喩表現でも何でもなく、ただの事実らしい。

 所謂“雑談”が彼女には理解できなかったのだそうで、こうして僕と会話が出来るようになったのも、意外と最近のことだ。

「君と付き合うようになってから、私の口数は増加の一途を辿っているが、その辺の事情はまだまだ理解の範疇の外だな。」

 そりゃそうだ。友人関係を殆どすっ飛ばして恋愛関係にまで発展させた彼女の行動力は当然のように評価に値するが、そんな機微を習得する暇すらなかったのは言うまでも無い。

 人間関係の経験が浅い所為でふとした瞬間に見せる反応が非常に無防備で、それは周囲にいる男共に要らん期待をさせる事になりかねないと心配をせずにはいられない程のものだ。

 正直その程度の対人能力は取得して欲しかった。

まぁもう後の祭りであり、所詮気に病んでいるのは僕だけだから、どうでも良いと言えばどうでも良いのかも知れないが。

因みに彼女は僕があなたの取るその仕草の一つ一つがいかに危険かを説いたところで聞く耳を持たず、挙句の果てには『私に惚れてくれる様な酔狂な人間がそう何人もいるか。』と一蹴する。

 その台詞で死にかける人間は少なくともこの日本に後数人はいる筈だが、その辺の事情は彼女には理解して貰えない。

「ま、その内解るようになりますよ。」

 とりあえず気休めを言っておく。恐らく友達を彼女が能動的に作らない限り身に付く能力ではないような気がするが、それを今彼女に言ったところでどうにもなるまい。

 

 

 

 

 彼女と他愛も無い会話を繰り広げること数時間。彼女に断りを入れてトイレに行った後。

 トイレから戻ってきた僕の目に、先ほど確保したスペースに丸くなって眠る彼女の姿が飛び込んだ。

 どうやら僕がトイレに行っている間に軽い気持ちで横になったらそのまま眠ってしまったらしい。

「やれやれ。」

 何とは無しにその言葉を呟いてみる。本当に意味は無い。

 とりあえず彼女の傍らまで歩み寄って、しゃがみこんで彼女の顔を覗き込む。安らかな寝顔だな。とか意味の無い感情を抱いた。

 そのまま右手を彼女の頭に伸ばす。艶やかな黒髪に指を埋めて、滑らかな指通りを暫し楽しんだ後、流れで彼女の頬に触れる。柔らかな皮膚に僕の手が触れた。ここまでの動作の中で心臓が早鐘を打つ。頬が赤くなっていることを、熱として知覚した。

 もしかして彼女の目が開いてその口が僕を糾弾するのではないかという危惧が遅まきながら僕の心の中で鎌首を擡げたが、彼女の目が開かないことから考えて杞憂だろう。

 さて、この段階で僕に与えられた選択肢は3通り位だろう。

1、彼女の傍でそのまま眠る。

2、彼女を置いてそのまま帰る。

3、彼女を起こして話を続ける。

正直3は無い。僕の選択肢からして、彼女の機嫌を損ねるようなまねは決してしない。

ま、どうするかなんて正直決まっているんですけどね。

本を掻き分けながら押入れの前まで進む。引き戸を開けて、その中からブランケットを取り出した。まだ暖かいとはいえ、今の時期に毛布の一枚すら被らずに寝るのは少々危険だろう。風邪でも引かれたらと思うとぞっとする。

そして、毛布を彼女と僕に掛けながら彼女の傍に丸くなる。役得役得。

「お休み。」

 彼女の寝顔に就寝の挨拶をしながら、目を閉じた。

 

 


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