覇王と状助は拳闘大会ナギ・スプリングフィールド杯を見事優勝した。彼らは凱旋とともに、勝利を祈って待つ友人の下へと、姿を現したのだ。
「二人とも、優勝おめでとう」
「おう!」
「ありがとう」
その友人こそ三郎だ。
三郎は二人の姿を見て、即座に勝利の祝い喜んだ。
状助も覇王もそれに反応し、感謝の言葉で答えた。
「これで三郎の借金の半分は手に入れたって訳だぜ」
「だけど、まだ半分だ」
いやはや、三郎の借金は膨大であったが、半分は入手できた。
状助は多少安堵した顔でそう言うと、覇王が硬くした表情で、むしろこれからが本番だと言うような言葉を吐いた。
「ありがとう二人とも……」
「気にする必要はねぇぜ! ダチなんだからよぉー!」
「そういうことさ」
「……ありがとう……」
それはそうと、その半分をゲットしてきた二人へと、三郎は再び嬉し泣きしそうな表情で感謝した。
だが、二人はそんな三郎を温かい目で見ながら、気にするなと言うだけだった。
中等部に入ってからの付き合いではあるが、同じ”転生者”の友人だ。そんな彼を助けるのは当然だと、二人は思っていたのである。
ありがとう、もうそれしか言葉がない。
もはや三郎はその言葉しか出せなかった。感謝しかできなかった。
「しかし、残り半分。熱海先輩が何とか手に入れてくれればいいんだがよ……」
「そればかりは僕にもわからないな……」
ただ、残りの借金の残りの半分が、手に入るのかわからない状況だった。
ナギ・スプリングフィールド杯と双璧をなす大会、ジャック・ラカン杯の決勝へと数多は昇った。しかし、その決勝で待ち受けていたのは、数多の父親である龍一郎だ。
状助も覇王も龍一郎のことはあまり知らないのだが、数多が焦る程であることは理解できていた。
つまり、難敵、強敵、大敵であると。
二人は残り半分がどうなるか、まったくわからなかった。
なので、数多に希望を託し、待つしかなかったのであった。
…… …… ……
数多はアスナたちの助けで、ある程度修行を行う事ができた。
それが今回の戦いにおいて発揮されるかは別だが、自分が修行によって強くなったことは実感できていた。
そして、数多は焔と共に、ジャック・ラカン杯決勝の舞台へと、足を踏み出そうとしていたのである。
「ついに、着いちまったな……」
「ああ……」
試合場へ続く薄暗いトンネルの中、その先は試合場だがまばゆい光で外は見えない。
その場所にやってきた数多は、重苦しい表情を見せていた。
まだまだ修行が足りない、これで大丈夫なのだろうか。いや、それはありえない。そんな不安を抱えたまま、決勝へとやってきたと言う様子だった。
妹の焔もまた、不安を見せていた。
相手は自分も良く知る義父。強さの桁も理解しているつもりだったからだ。
「自信の方は……?」
「ある訳ねぇーぜ……。あの親父相手じゃな……」
「そうであろうな……」
そこで焔は数多へとそれを尋ねると、数多もそんなものはないと額に汗を見せながら言うではないか。
最初から答えなどわかっていた。聞くのも意味がないほどの愚問だったと、焔は小さく言葉にした。
「修行したっつっても、なあ……」
「それでも、絶対に負けられない……、だろう?」
「まーな!」
数多もギリギリまで修行していたとは言え、その程度で親父に勝てたら苦労はしないと言う様子だった。
だが、焔はそこで不安を吹き飛ばすかのように、小さく笑いながら数多へとそれを言った。すると、数多もふっと笑い、当然と豪語するではないか。
「やってやるぜ! とことんな!」
「うむ、あの小さい方は私に任せておいてくれ」
「頼りにしてるぜ!」
とりあえずは勝つとか負けるとかは置いておこう。
勝つために最善を尽くし、できることをすべてやろう。数多ははっきりと、強気の姿勢で宣言した。
ならばと焔も、龍一郎と組んでいるあの少女の相手は自分がすると言ってきた。
それなら一対一で思いっきり戦えるだろうと。
数多はそれに対して、にかっと笑ってそう言った。
ならば問題はない。自分は目の前のでかい壁である父親、龍一郎だけを相手にすればいいと、気合を入れなおしたのである。
…… …… ……
細い通路の先にある、逆光に照らされ輝く場所。
数多と焔はその光の先へと足を踏み入れた。そう、そここそが決戦場。ジャック・ラカン杯最終試合、優勝決定戦だ。
「ほぉー、来たか」
「あったぼーよ!」
そこで腕を組んでようやく来たかと言う顔で、龍一郎が仁王立ちして待っていた。
そして、数多が逃げずに来れたことを感心しつつも、挑発するかのように声を掛ける。
数多も逃げる訳がないと言う前のめりな態度で、龍一郎へと叫んだ。
この決勝こそ龍一郎が用意した試練。ここで逃げたら男が廃るというものだ。
また、龍一郎とチームを組んでいるアーニャも、その横にちょこんと立っていた。
「さてさて、どこまで強くなったのやら、
「テストどころかここでぶっ飛ばしてやっから、覚悟しろよ!」
「でけぇ口は叩けるようになったみてぇだな。まあそこは合格だな」
龍一郎も当然、数多の試練になるだろうと考えて、この決勝に立っていた。
そのことをここではっきりと数多へ伝えれば、数多は血気盛んで生意気な返事を返してきたではないか。
龍一郎はそれを聞いて素直に喜んだ。そうそう、そういうのでいいんだ、そういうので。
ここで挑発の一つや二つできない軟弱者なら、そこで試合終了にしてやろうとさえ思っていたからだ。
「それでは!! ジャック・ラカン杯決勝戦!! 開始!!!」
そして、ついに司会が決勝戦のゴングを大声で叫んだ。
さあ、決勝戦の始まりだ。
「んじゃ、はじめっか」
「おう! いつでもいいぜぇ!」
だが、試合が開始されたというのに、数多も龍一郎もすぐには動かなかった。
龍一郎が遊戯でも始めんとばかりの声を数多にかければ、数多もそんな感じで返事を返していた。
が、どちらも当然真剣そのものだ。ただ、龍一郎には余裕を感じられる態度であったが、数多には余裕がなさそうな様子で冷や汗を頬に流していた。
会話を終えた二人は、ゆっくりと、ゆっくりと、まるで美味を味わうかのように、戦闘態勢に入っていったのだ。
「ふうんっ!!!」
「どおりゃっ!」
その動きは一瞬だった。ゆっくりと戦闘態勢に移行していた二人であったが、それが終わったと同時に気が付けば試合場のど真ん中で衝突していたのだ。
一瞬にして両者とも唸るような叫びと共に、拳同士をぶつけ合っていたのだ。
「おおおおおおおおおおおオォォォォォッ!!」
「おらよぉ!」
さらに、数多は拳を超高速で連打し、龍一郎へと攻撃した。
だが、龍一郎はそれをまるで赤子の手をひねるかのように、軽々と両手で受け流したのである。
そして、両者は瞬動を用いて高速で移動しつつ、幾度と無く衝突を繰り返していた。
それだけではなく、両者の衝突と同時にすさまじい衝撃が発生し、ビリビリと空気が音を立て周囲の地面を抉り、観客席を覆うバリアも振動するほどであった。
「ちょ……、なによこれ……」
数多と龍一郎の戦いを見たアーニャは、恐ろしいものを見るかのような目で驚いていた。
なんだこの高次元の戦いは。一体自分は何を見ているのか、そんなことを考えながら立ち尽くしていた。
「貴様の相手は私だ」
「っ!」
しかし、アーニャも今は決勝戦の真っ只中。それを狙って焔がアーニャへと攻撃を仕掛けてきたのだ。
アーニャは不意打ち同然の焔のパンチに気が付くと、とっさの行動で回避して見せた。
「むっ……、かわした……? 中々やるみたいだな……」
「あったりまえでしょ!」
焔は今の攻撃がかわされたのをみて、少しだけ驚いた。
あの棒立ちの状態だったと言うのに、寸前で回避されるとは思っていなかったようだ。
何とか今の攻撃を回避したアーニャは、焔から少し距離を置き彼女をにらみつけた。
また、今しがたの焔の発言にムッと来たアーニャは、大声で文句を叫んだのである。
「ただの小娘だと侮っていたが……」
「アンタだって小娘じゃない!」
正直言えば焔はアーニャを下に見ていた。
最初に会ったのは海水浴へ行った時であったが、どこをどう見てもただの
だが、今のアーニャの行動で、それは誤りであることを理解した。
目の前にいる小娘は、確かに龍一郎が鍛えられただけあって、中々の実力者になったようだと。故に、焔はアーニャへと、少し認めた感じの視線を送りつつ、そう言葉にして見せた。
それを聞いたアーニャは、
いや、実際には子供なのだが、背伸びしたお年頃と言うやつだろう。それでアーニャも目の前の焔へと、そっちだって
「……そう言うところが小娘と言うことだ」
「むぐ……!」
が、焔はアーニャの発言を、そのままブーメランにして投げ返した。
そうやって簡単にムキになるところがまさに
それを聞いたアーニャは、口を自分の手でふさぎながらショックを受けていた。
そこで何か言い返そうと思ったが、焔の発言が正論だったため、文句の一つも出なかったのである。まさにぐうの音も出ない、とはこのことだった。
「あちらは派手にやってるようだし、こちらも同じようにやろうではないか」
「いいわね、やってやろうじゃない」
まあ、そんなことはどうでもいいのだ。今は決勝戦の真っ只中。義兄と義父はすでに壮大な戦いを繰り広げている。
それをちらりと見て、再びアーニャへ視線を戻した焔は、こちらもさっさと本気でやろうと言い出した。
アーニャも当然このままくすぶっている訳ではないと、そう考え答えた。
あっちの戦闘は過激で苛烈、あれほどではないにせよ、こちらも派手に戦いたいと思ったのである。
「甘く見たことを後悔させてあげるんだから!」
「そちらも泣き顔晒して恥をかかないようにな!」
ああ、それならば、目の前の先輩に目に物言わせてやろう。
自分のことを下に見て舐めていると、痛めに遭うぞ。自分もこっちに来て龍一郎に多少なりに鍛えられたんだ。負ける気はまったくないと、そう思いアーニャは強気の姿勢を見せていた。
焔もまた、アーニャの挑発的な言葉に、挑発的な言葉を返した。
強く出るのはいいが、それで後悔するのはそっちにならないようにと言う、自分が勝つという宣言であった。
また、数多と龍一郎の方へと場を移せば、そちらも先ほどまでに激しく動いていた両者が一度止まり、再び構えなおしていた。
「だいぶやるようになってきたじゃねぇか」
「あったりめぇだろうが! こちとら親父を超えるためにずっと修行してきたんだからなぁ!!」
「嬉しいねぇ!!」
そして、龍一郎は数多へと、強くなってきていると素直に褒めた。
なるほど、確かに前に会った時よりは、強くなっているようだ。だが、それでもまだまだだと思っている。この試合で数多のさらなる本気を見たいと思っていた。
数多も強くなっているのは当然と、自信ありげに叫んだ。
この時のために、ずっと修行してきた。何度も龍一郎との戦いをシミュレーションした。勝つために必死にやってきた。今、それを龍一郎に見せる時だと、数多も闘志と体を燃やしていたのである。
そう、それでいい。それでいいぞ。
そうでなくては面白くない。龍一郎は数多がさらに力を引き出してきたのを見て、ニヤリと笑って喜んだ。
もっと強くなった姿を見せてみろ、本気で自分を潰しに来い。
そんな思いが混じった言葉で、自分の気持ちを龍一郎は吐き出したのだった。
その龍一郎の発言が終わった瞬間、再び両者は衝突した。
先ほどとは比べ物にならないほどの衝撃と共に、両者の拳がぶつかり合っていたのであった。
…… …… ……
そんな試合の最中、観客席は大きな賑わいを見せ、盛大な歓声が響き渡っていた。
数多と龍一郎のすさまじい攻防に、観客は大興奮していたのだ。
と、その場所とは全く異なり試合会場を見渡せる高い場所に、きらびやかに飾りつけなどがなされた綺麗な部屋が一つ。
その中で、冷静かつ静かに試合を見る少年の姿があった。
「この試合、数多さんは勝てるんでしょうか…」
「ぶっちゃけた話、かなり厳しいぜ」
「えっ!?」
ネギである。その隣にはラカンと小太郎もおり、三人で数多の試合を見に来ていた。
ラカンは拳闘大会の陰の出資者でもある。
陰の出資者であるラカンは、当然
しかし、
まあ、小太郎は龍一郎と数多の戦いが見たいだけでもあるのだが。
そんな状況下で、ネギはこの戦いで数多が龍一郎に勝てるかどうかを、ラカンへと尋ねていた。
するとラカンは、真剣な顔でこりゃ無理だときっぱり言った。
わずかに勝てる確立ぐらいあると思っていたネギは、そんな嘘だと言う様子で驚いた。
「あいつの親父、熱海龍一郎は昔、引退するまでの数年間この大会を優勝し続けた男だ」
ラカンはその理由をゆっくりと、真面目な形で語りだした。
何せあの龍一郎と言う男は拳闘大会を引退するまでの間、このジャック・ラカン杯の頂点を譲らなかった。
無敵、無敗、無双。拳闘大会でその強さを見せたのは、自分とアイツぐらいだとラカンも思っていた。
故に、燃える拳、赤い鉢巻、熱血親父、
「それにあのメトゥーナト……あっちじゃ来史渡だったな。アレと互角の実力を持ってるってんだからな」
「……それほどまでですか……」
それだけではない。龍一郎はあのクソ真面目で頑固な騎士、メトゥーナトとも渡り合うほどの実力者だ。
戦闘スタイルは違えど、あのメトゥーナトと互角の時点で完全に詰みである。ラカンはそう語ると、ネギもこの話は数多から直接聞かされていたため、これは厳しいと感じたのか、それ以上何も言えないと言う様子だった。
「俺もあいつと戦って勝てるかは五分五分ってぐれーだ。普通に考えりゃ勝てねぇ」
「そりゃ無茶やんけ……」
さらにラカンは自分と龍一郎が戦えば、互角ぐらいであるとも語った。
戦闘スタイルは自分に似て素手の方が強い龍一郎。それと殴り合いをして、自分が勝つヴィジョンが浮かびにくいと考えていた。そんな龍一郎に勝つなんて、奇跡が起こらない限り無理だと、はっきりとさっぱりした表情でラカンは言ったのだ。
話を聞いていた小太郎も、無茶すぎると思った。
ラカンと直接何度も修行した小太郎は、ラカンの実力を理解している。それと同等の相手など、自分もかなりきつい。勝てるか勝てないかと言われれば、ちょっと勝てない、そう言いたくなるぐらいだからだ。
「でもまっ、それでも戦ってんのはあいつの
「ええ……」
だが、今龍一郎が戦っているのはあの数多だ。数多は龍一郎の息子だ。
その息子なんだから、何か起こしてくれるかもしれないだろう。むしろ、それが見たいという様子で、ラカンは笑ってそう言った。
ネギも、それを期待する以外にはないと、小さく返事をしたのであった。
…… …… ……
さらに、ネギたちとは違い観客席の一番後ろで立ち尽くし、試合を眺める二つの影があった。
「ふむ、流石に龍一郎相手には厳しいか」
「確かにワシの目から見ても、これは厳しいと言わざるを得ない」
一つは美しく長い金髪をなびかせた華奢な少女。だと言うのに服装は白衣の下に黒いスーツという何ともギャップのある姿だった。
それこそエヴァンジェリンである。
そして、その横には大柄な亜人の姿。額には巨大な一本の角が生え、その左右には巨大なトゲトゲした耳があった。
格好も学者然としたローブを身に纏い、落ち着いた感じを受ける。それはアルカディアの皇帝の部下の一人、真の姿のギガントだった。
二人は当然龍一郎が数多と試合をするというのを聞き、この決勝戦を見に来ていた。
エヴァンジェリンは、あの皇帝直属の三人の部下で唯一の人間、龍一郎がどのような戦いをするのかが気になった。ギガントは同僚とその息子の試合を見ない訳にはいくまいと考え、どちらもこの試合を見学をすることにしたようだ。
そこでエヴァンジェリンは数多の勝率を考えそれを言葉にすると、ギガントも同意見であると無情にも言葉にした。
「しかしだ、龍一郎の方が圧倒的に有利ではあるが、彼はまだ本気ではない」
「なるほど。つまり、そこを突けばまだ勝算は無くないと言う訳だな」
「むしろ、それ以外に方法はなかろう」
それでもギガントは、著しく低い勝率ではあるがないとは言っていないと、再び口を開いた。
龍一郎はまだ本気ではない。遊んでいる状況だ。この油断しきった状態であれば、その隙を突いて勝つことはできるだろう。
エヴァンジェリンもギガントの言葉で、そのことを理解した。
油断大敵、窮鼠猫を噛む、というやつか。エヴァンジェリンも今なら数多が勝てる可能性はあると考えた。
しかし、ギガントは今でなければ勝てないともはっきり言った。
容赦のない意見であるが、事実でもあるだろう。
「ただ、そこで勝利できなければ、まずいことになるのは明らかだ」
「ああ。アレを本気にさせたら、それこそ勝ち目なんぞ存在しないだろう」
故に、今油断している状態の龍一郎を倒せなければ、勝利は不可能だとギガントは冷静に試合を眺めながら言った。
この一世一代のチャンスを逃せば、敗北は必須。本気にさせてはならないと、エヴァンジェリンも静かに述べていたのだった。
…… …… ……
試合に場を移すと、龍一郎と数多が何度も拳や足を衝突させ続けていた。
拳の連打、中段蹴り、突進。どちらも同じような動作で繰り出され、そして同じように打ち消されていく。
「ふん……!」
「オラァッ!!」
龍一郎が右手を繰り出せば、数多も右腕を繰り出した。
それがぶつかり合うことで、とてつもない衝撃を生み出す。その衝撃は地面を抉りクレーターを作り出すほどであった。
「ちぃ! このぉ!」
「はっ! 寝ぼけてんなよ!」
「そっちもなぁっ!」
数多はそこで中段の蹴りを放つ。が、当然そんな攻撃など龍一郎は体をそらして回避する。
そこで龍一郎は挑発し、さらに数多へとやる気を出させる。数多もその挑発に乗ったような発言をしながら、再び右拳を突き出した。
「そらっ!」
「ぐっ! ウオオォォッ!!」
「ぬ……!」
しかし、数多の右拳は龍一郎の顔を横切り、むしろ龍一郎がその瞬間に放ったパンチが、数多の腹部に突き刺さったのだ。
それでも数多はその痛みに耐え、さらに左手の拳を龍一郎目がけて突き出す。その攻撃は龍一郎の左頬に軽くヒットし、龍一郎は小さく声を漏らした。数多は隙を見て後ろに下がり、龍一郎との距離を取った。
「ほう、随分やるようになったじゃねぇか……」
「当然だぜッ!!」
龍一郎は自分の顔に数多のパンチが入ったことを、素直に褒めた。
なるほど、確かにちょいとは修行で強くなったみたいだと。
数多もそれを当然と豪語した。
この日のために必死に修行してきたのだ。このぐらいできて当然だと思ったのだ。
そんな数多と龍一郎から多少離れた場所にて、二人の少女も戦っていた。
男二人の戦いよりも過激で苛烈ではないものの、熾烈な戦いとなっていた。
「はあっ!!」
「このおぉ!!」
少女たちも接近戦をしており、焔が右ストレートをアーニャへ放ち、アーニャもそれを蹴りで防いでいた。
「む……、接近戦も仕込まれたな……?」
「ええ! そうよ! まだまだだけどね!」
焔はアーニャが放った蹴りの鋭さを見て、もしや義父に教え込まれたのではと思い、それを尋ねた。
するとアーニャもYESと答えた。しっかりと龍一郎から接近戦を教えてもらったと。これで満足なんてしていないと。
「でも、それだけじゃないわよ!」
「ならば見えてもらおう!」
「目を見開いてじっくりと見るがいいわ!」
また、接近戦での格闘ばかりが能ではないと、アーニャは叫ぶように豪語した。
ならばと焔もさらに挑発を繰り返す。そこまで言うのならば、何か出てくるんだろうと。その挑発に当然のように乗りつつも、ニヤリと笑うアーニャは、そこで詠唱を始めたのだ。
「フォルティス・ラ・ティウス……」
「むっ! 詠唱が早い!」
アーニャのすばやい詠唱に、焔は驚きを感じた。
これほどまで早く詠唱を唱えられる魔法使いは、そうそういないからである。アーニャは強くなるために体術だけではなく、詠唱速度もしっかり鍛えていたのだ。
「”燃える天空”!」
「くっ!」
そこでアーニャが詠唱を終えると、すさまじい爆発と衝撃が焔の目の前で発生したのである。
焔はハッとした時に瞬時に後ろへと下がることで、何とかダメージを小さく抑えることに成功した。が、度肝を抜かれたのは間違いなかった。さらに、爆発で完全に視界を塞がれた状態となっていた。
「そこぉ!」
「魔法は目くらましかっ!」
爆発で発生した黒煙から、突如としてアーニャが飛び出してきた。
ただ飛び出してきた訳ではない。炎を纏った脚で飛び蹴りをかましてきたのである。
焔は横から飛び出してきたアーニャを見て、今の魔法がけん制であったことを悟った。
燃える天空は強力な魔法だ。それをけん制として使うとは思っていなかったため、完全に不意をつかれた状況になってしまったのだ。
「あのタイミングでガードされるなんて……!」
「今のは中々危なかったぞ」
しかし、何と言うことだろうか。その不意打ちを左腕で受け止め、後ろへ下がる焔の姿があった。
アーニャは今のタイミングでガードされるとは思いもよらなかったようで、驚きを隠せないでいた。だが、焔も若干表情に焦りが出ており、額に汗を流しながら、アーニャへ賞賛の言葉を述べたのだった。
「ならば、私も全てを出し尽くすしかないようだな」
「何ですって!!」
なるほど。確かに強い。義父が短期間とは言え鍛えただけはある。正直言えば目の前のガキを侮っていた。舐めていた。
焔はそう考え、自分も本気を出すことに決めた。そして、そう宣言しながら懐から一枚のカードを取り出したのである。
焔の突然の宣言に、アーニャは驚きと怒りを感じていた。
今まで本気でなかったと言うことに驚き、今まで本気を出す必要がなかったと思われていたことに怒りを感じたのだ。
「
「アーティファクト!?」
焔が取り出したカードとは、すなわち仮契約カードである。
そう、幼き頃に龍一郎とかわした仮契約を可視化した存在だ。そのカードを手に持ちながら、そっとその呪文を唱える。
アーニャも仮契約カードを見て、アーティファクトが展開されたことを理解した。
しかし、目に見えて武器や防具、道具と言った類の姿が見受けられなかったことに、多少の困惑を見せていた。が、その困惑も次の光景を見た瞬間に吹き飛ぶことになる。
「そして……”
「っ! それって……!」
「察したな」
それは、焔の
全身を炎の精霊とし、炎と化するこの能力。まるで闇の魔法で雷化したネギのごとく、自らの体を炎に変換することができるのだ。
また、精霊化の際には、頭に二つの角が生え、体が炎となったがために衣服なども全て焼却されてしまう。
のだが、何故か衣服も体と同じように、炎と化していたのである。
…………それは昔、数多が焔の
そりゃ女の子が裸になって戦うというのは、ちょっとアレな感じだ。まるで変態プレイだ。まあ男でも変態ではあるのだが。
数多は衣服も一緒に炎精霊化できないものかと焔へ持ちかけた。それで焔もできるかもしれないと思い、何度も練習をしたのである。
そして、何百と言う衣服を犠牲に、ようやく衣服ごと炎精霊化できるようになったのだ。なお、燃焼した衣服は仮契約カードのオマケ効果を使ったため、損害はまったくない。
と言うのも、雷化したネギは衣服も当然のように雷化していた。
闇の魔法とは言え衣服も雷化するのであれば、精霊化で衣服も炎化してもおかしくはないだろう。ただ、その事実は数多も
炎精霊化を見たアーニャは、ぞっとした表情を見せた。
ここで初めて弱気な表情を見せたアーニャは、どうしようもない状況だと言う事を理解したのだ。
焔も自分の体が炎化したことによるアドバンテージを理解していた。
なので、それを悟ったアーニャに感心しつつ、ニヤリと笑っていたのである。
「貴様がよく使うのは炎系の魔法のようだ。つまり、相性最悪と言う訳だ」
「そっ、その程度なんてことないわ!」
何故アーニャが青ざめ、焔が笑ったのか。そんなもの見ればわかることだ。
炎精霊化し、炎と化した焔には、アーニャが得意としている炎系の魔法が通じなくなるからだ。
焔はそれを得意げに語れば、焦りながらも強がりを言うアーニャがいた。
「それにこの状態ならば、物理攻撃にも大きな耐性を持つことができる」
「まさか……!」
「そう、貴様程度の体術では、そう簡単にダメージにならない、と言うことになる」
しかし、相性が悪いのはそれだけではないと、焔はさらに語る。
炎化しているというのであれば、物理的攻撃すらもダメージが通じづらくなっているということだ。ラカンクラスのバグでなければ、掴むことすら不可能なのだ。
アーニャは焔の言葉を聞いて、想像していたことがあたったと言う表情を見せた。
想像があたったのならば喜ばしきことなのだが、むしろ更なる焦りと不安に彩られた表情であった。得意な炎魔法も、鍛えてきた体術すらも無効化されてしまったアーニャの頭は、もはやどうやって手を打つかを考えるので精一杯だった。
「……だとしても、私だってこの程度で止まっていられないのよ!!」
「それでもなお挑んでくるのか。無謀なのか、それとも……」
それでも、それでもアーニャは止まることはしない。諦めることはしない。
元々負けず嫌いな性格故に、その程度の困難すらも乗り越えてやるとさえ言い切って見せた。手はまだあるはずだと、折れることなく挑むのだ。
とは言え、アーニャが圧倒的に不利に立たされているのは事実。
この優位はゆるぎないものであると確信している焔は、目の前で吼えるアーニャの言葉が戯言か否か判断を見極めていた。何故か。それは最初に出した切り札を、未だ見せていなかったからだ。
「それに、こちらも忘れては困るぞっ!!」
「はっ!! キャアッ!?」
アーニャは
装備として目に見えた形となって現れなかったが故に、アーニャの頭から抜け落ちてしまっていたものだ。
焔はその言葉を吐き終わる前に、不意打ち同然にそれを起動した。
するとどうだろうか。本来の能力である炎発生とは別に、強力な
アーニャはその
危なかった。今しがたしゃべっていたが、この場がおしゃべりするための女子会ではなく、戦場であることを忘れていたら直撃していた。アーニャは今の攻撃を避けれた自分に対して、内心褒めた。自画自賛した。
「寸前でかわしたか」
「アーティファクト……」
焔は今の不意打ちが回避されたところを見て、がっかりすることなく感心する様子を見せていた。
今の不意打ちで決まっていれば楽ではあったが、それでは面白くない。そう思いながらアーニャを見ていた。
アーニャは回避に成功し体を何度か地面に転がし、その勢いで再び態勢を立て直しつつ、焔の方に顔を向ける。
そして、最初にカードから出現したであろう、アーティファクトの存在をしっかり再認識したのであった。
「そうだ。このアーティファクトにて、私の炎の力を増幅し、指向性を持たせることが可能なのだ」
「まるで目からビームね……」
焔はアーニャが態勢を立て直したのを見ると、自分のアーティファクトの効果を説明するかのように話し出した。
その能力とは、焔が操る炎を増幅し、まるで
アーニャは今の不意打ちで、その特性を理解した。つまるところ、目からビームが出ると言う認識だった。
焔が語ったのはアーニャが今の攻撃で、アーティファクトの力を理解したからだと考えたからだ。
「さあ、どうする?」
「どうするですって?」
と、説明を終えた焔は、アーニャへと質問をしだした。
それはここで負けを認めるか、戦うかのどちらかを選べ、と言う内容だった。
アーニャも焔の一言でしかない質問の意味を理解し、あえて挑発するように聞き返した。
「愚問ね! それでも私は負けないんだから!」
「いい返事だ! だが、勝利するのは私だ!」
そんな質問など無意味だ。
答えなくてもわかってるはずだ。戦うだけだ。勝つだけだ。アーニャはそう思いながら、はっきりと自分の勝利はゆるぎないものであると宣言した。
そう、それが聞きたかった。焔はふっと笑いそう思った。何せ焔の今の質問は、単なる茶番にすぎなかった。
今のくだらない質問は、アーニャの今の強気の発言を聞き、目の前の少女が未だ折れていないことを再認識するためだけであった。
であれば、全力で戦うのみ。
不利を目の前にして未だ折れぬアーニャと、それに対して真摯に真っ向から立ちふさがる焔の戦いは、再び始まったのだった。
少女たちが再び戦いだしたところで、その少し離れた場所で、未だに激しい衝突をする男二人の姿があった。
「オラオラオラァッ!!」
「ふんっ! そらよぉ!」
「ちぃぃッ!!」
数多はすさまじい拳のラッシュを龍一郎へと放つ。何度も放つ。幾度と無く放つ。
その拳が見えないぐらい、すさまじいラッシュだ。スピードだけではない。あたれば大抵の相手なら一撃でダウンできるほどの威力もある。
しかしだ、しかし。そんな攻撃など龍一郎の前では蝿が飛んでいるに等しい。
涼しい顔でそのラッシュを、体を動かすだけでかわしているではないか。
さらに龍一郎は回避に飽きると次の瞬間、ちょいと腕を振り回した。
それだけの動作で、数多はラッシュを中断せざるを得ない衝撃を受け、態勢を崩したのだ。なんというすさまじい強さ。圧倒的強者。だからこそ数多は、龍一郎を相手にするのを臆していた訳だ。
「チクショウ……。全然攻撃がつうじねぇ……」
「あたぼーよ。テメェのひよっこの拳が通じる訳ねぇだろ?」
態勢を崩された数多は、とっさに距離をとってすぐさま態勢を整え龍一郎を睨みつけた。
睨まれた龍一郎は追撃する様子もなく、ニヤリと笑いながら、ただ数多の次の攻撃を警戒しているだけだった。
……まるで手ごたえがないこの状況に、数多は焦っていた。
自分の攻撃が龍一郎にまったく届いていないことに。まるで赤子をひねるかのように、簡単にあしらわれている様に。修行したというのに、背中どころか影にさえ追いついていない状況に。
数多の言葉に龍一郎は、鼻で笑って反応した。
そりゃ年季が全く違うんだから当然だ。くぐった修羅場の数も桁違いだ。そんな相手に簡単に抜かれるほど、老いてはいないと龍一郎は言い放ったのだ。
「しょうがねぇ……。やるしかねぇか!」
「何かやる気か? まっ、せいぜいあがいて見せな!」
「言われなくてもよぉッ!!!」
とは言え、挑んだからには諦めるなんてことはありえない。
今までの攻撃でダメならば、さらに強い攻撃を使うまでだ。
数多はそう考え、覚悟を決めた。
最大最高の技を使い、一撃で龍一郎を倒すと決めた。いや、一撃で倒さなければ勝ち目はないと判断したのだ。
そんな数多を見た龍一郎は、特に気にした様子もなく笑っていた。
数多が何かやるらしい。自分に勝つためにあがくらしい。では、何をやるのか楽しみにするか。と、その程度にしか考えていなかった。
故に、その油断を利用する手はない。油断を利用しなければ、勝機はない。
数多は今の龍一郎の態度を見て、勝てると思った。今こそが土壇場だということを理解した。だからこそ、やってやろうとさらに心を燃焼させる。強い闘志を燃え上がらせる。
「オラァァッ!!」
「さっきとかわんねぇぞ? どうした?」
「どうもこうもねぇよ!」
数多は炎を纏った拳を、再び龍一郎へとぶつけようと突撃する。
龍一郎は数多のパンチを余裕の態度で体をそらしてかわしながら、つまらないという様子を見せていた。なんということだろうか。先ほどと代わり映えしない攻撃。これじゃ自分に攻撃など通らないことはわかりきっているだとうと。
が、数多も当然そんなことは理解していた。
これじゃダメなことなど百も承知。だからこそ、さらなる攻撃を加える。
「オラオラァ!!」
「ふむ、早くなったな」
数多は拳を振るスピードをあげ、龍一郎へと何度も殴りこむ。
1回のパンチが出せる速度で10のパンチを。10のパンチが出せる速度で100のパンチを繰り出す。しかも、同じ場所で拳を振る訳ではない。超スピードでかく乱しながら、龍一郎の死角を突いて攻撃しだしたのだ。
龍一郎は数多の動きがよくなったのを見て、やっとあったまったのかと感心した。
そうそう、そうじゃなくちゃ面白くない。そう内心喜びつつも、まだまだ甘いと判断していた。
「炎の光で目をくらまし、超高速移動で姿を消しつつ攻撃、か……」
「オラオラオラオラッ!!!」
さらに、炎を纏った拳が龍一郎の視力を減衰させる。俗に言う目くらましだ。
それプラス高速移動で死角を狙う攻撃。なるほど、ちょいとは考えたなと、龍一郎は思った。
そんな思考する龍一郎など目もくれず、ただひたすら攻撃を繰り返す数多。
この戦法でさえ、龍一郎は場を移動することなく体をそらすだけで攻撃をかわし、両腕でパンチをいなしていた。
これほどやってもまだ届かない。数多はやはり小手先の攻撃じゃ勝てないということを完全に理解した。
やはり最大の大技でなければ倒せないと。
「姑息だな。この程度のジャブじゃ俺を倒すぐれぇの決定打にはならねぇぞ」
「んなこったぁ! わかってんだよっ!!!」
龍一郎は数多の考えを知ってか知らずか、こんなつまらない攻撃じゃ傷にならないと言い出した。
はっきり言ってしまえば、軽すぎる。こんな軽いパンチ、例え何度ももらったとしても痛くもかゆくもないと言った風だった。
数多もわかりきったことを言われてもうるさいだけだと、攻撃の合間に大声で叫んだ。
「わかってんなら次出して来いよ。退屈だぜ?」
「そうやって余裕こいてられんのも今のうちだぜ!!」
そう叫ぶなら、さっさと行動してこいよ。クソつまらないぞ。
まだまだこんなもんじゃないだろ? かかってこいよ。龍一郎は数多をさらに挑発する。さらなる力を見たいがために。
数多は挑発を聞いて、龍一郎が油断しきっていることを察した。
だからこそ、次が最大のチャンスであり、最後のチャンスだと考えた。これを外せばおしまいだ。であれば、確実に当てるのみ。
「影分身か。そんなもんもあったな」
「とりゃぁあ!!」
そこで数多は更なる姑息な手を使った。
影分身だ。最大の気で練られた影分身は、本人と区別がつかない程となる。その影分身で
龍一郎はなんだそりゃ、と言う感じのため息をつきたそうな表情を見せた。
そうじゃねえだろ、そんなことを言いたげな顔だった。
そうがっかりしている龍一郎へと、二人の数多の同時攻撃が雄たけびと共に炸裂する。
「まあ、意味なんてねぇが……、……な!」
「うぐぇ!」
「ごぱぁ!!」
が、その寸前で龍一郎は後ろ回し蹴りを瞬時にきめて見せたではないか。
影分身で増えようが、関係ない。どうせ一撃で終わるからだ。
すると、
そう、龍一郎が本体だと思っていた数多すら消えたのだ。
「っ! 本体がいねぇ……?」
龍一郎はハッとして、すぐさま周囲を警戒した。
なんと、片方は本体だと思っていたのに、どちらも影分身だった。そのことに龍一郎は少し焦った。
数多は影分身を行った際、本体を影分身と入れ替わり姿をくらましたのだ。
先ほどの炎での目くらましは、このために行っていたのである。
策が通ったことで、数多はここで賭けに出た。最大のチャンスが訪れたからだ。
龍一郎に勝つならば、ここで最大最高、最終奥義を叩き込むことだ。
「俺は……ここだぁ!!」
「背後や横からじゃなく正面からだと?」
そして、数多はなんということか、龍一郎の懐正面に姿を現したではないか。
龍一郎は後ろや横、あるいは真上から来るとばかり思っていたのか、完全に不意をつかれた形となった。しまった、ちょっと調子こいてた。そんな焦りを龍一郎は感じていたのだった。
「”超熱血衝撃”……」
「ちぃッ!? やりやがったなッ!!?」
数多は腰を深く下ろし、拳を後ろに下げて構えを取った。
そして、静かにその最大奥義の名を、呼吸で息を吐き出すかのように言葉にした。
と、数多の全身からとてつもないほどの火柱が上がり、周囲が炎に包まれたではないか。
この奥義こそ龍一郎が数多へと授けた、最大の炎の熱量と、鉄をも砕く超衝撃の両方を同時に拳によって叩き込む、超熱血衝撃崩壊拳だ。
その数多が構えている時間はわずか数秒にも満たないものだった。
しかし、龍一郎にはそれが数分とも錯覚するかのような、時間の長さを感じていた。そして、この数多の攻撃を即座に回避も防御もできないことを龍一郎は悟り、できることは「あーちくしょう!」と叫ぶことだけだった。
「”崩壊拳”ンンンンッッ!!!」
「ぐっ!?」
数多がその最大奥義の名を言い終えると、すでに凝縮した炎と気を込めた拳が、龍一郎の腹部に深く突き刺さっていた。
それだけではない。周囲の炎も数多の拳に渦巻くようにして流れ、その熱量も同時に龍一郎へとぶつかっていたのだ。
龍一郎はそこでたまらず小さな悲鳴を漏らした。
流石に数多が放ったのは最大にて最高の奥義。龍一郎とて涼しい顔はしていられなかったようだ。
「油断したな! 正面からはこねぇと油断したなッッ!?」
どんどん腹部に突き刺さる拳。踏み込んだ足は地面を砕き、小さなクレーターを作っていた。
龍一郎は両足で踏ん張り、その衝撃を耐えていた。この程度で吹き飛ぶものかと、地面に脚を沈めながら耐えていた。
そこへ数多は龍一郎へと、してやったと叫んだ。甘かったなと大声で叫んだ。
また、数多はさらに全身に力を込め、耐えている龍一郎を吹き飛ばそうと前へと体を押し進める。
「ウオオオオオリャアアアアアアァァァァァアァァァアアァァァッッ!!!!」
「ぬうううっ……ぅぅぉぉおおおおぉぉぉおおおおおおッッ!?」
数多は大声で力強く叫んだ。気合を何度も入れるかのように叫んだ。
龍一郎をこの一撃で倒すと決意した意志を、拳に上乗せするかのように叫んだ。
龍一郎の腹部へとねじ込まれていく拳と炎は、さらに強さを増していく。
メキメキ、メリメリ、すさまじい音が鳴り響き、数多を中心に会場に地面に大きくヒビが入っていく。砕けた大地が岩石となって注を舞い、その岩石は数多の拳が放つ衝撃により小さく粉砕されていく。
炎は燃え上がり、周囲の温度を上げていく。
燃え上がった炎は灼熱の火柱となり、数多と龍一郎を飲み込んでいく。
さらに火柱は数多の拳へと吸収され、渦巻く炎の篭手となりて呆れるほどの熱量をこもらせ、龍一郎に押し込まれていく。
龍一郎は数多の奥義を耐えるのに必死だった。
両足で踏ん張り、気での防御でその熱と衝撃に耐えていた。それは意地であった。倒れるものかと言う強い意地だった。
だが、流石の龍一郎も最大奥義の衝撃をを耐えることはできなかった。
龍一郎は数多の拳が放った衝撃により、足腰を踏ん張ったまま地面を砕き、勢いよく後ろの方へと吹き飛んだのだ。
まるで炎の槍のようなすさまじい気と熱量のエネルギーが、巨大な渦を巻くようにして龍一郎の腹部に突き刺さっていた。
とてつもないパワー。気と炎の巨大な渦は、龍一郎をはるか後ろへと吹き飛ばした。その衝撃やいなや、会場が大きく揺れ、その地面が盛大に割れるほどのものだった。
そして、会場は炎の熱量から発生した煙と、地面が砕けた時に発生した土埃で視界が閉ざされた。
煙は龍一郎を覆い隠し、誰の目からも龍一郎の姿を見ることができなくなっていた。
ただ、数多は今の攻撃での感触をつかめていた。確実に入ったのをしっかりと確認できていた。
「兄さん……やったのか!?」
「リューイチローさん!!?」
少女二人も今の衝撃に驚き戸惑い、戦いを一時中断していた。
焔は数多が龍一郎に一撃入れたのを見て、終わらせたのかと叫んでいた。。アーニャは龍一郎が数多の最大奥義を受け、無事なのかどうかを叫んでいた。
「ハァ……ハァ……。渾身の一撃だ……。流石の親父でも流石に……」
最大奥義を放ち終わり、少し息を荒くする数多。
体全身の力を抜きながら、未だ煙の先で見えぬ龍一郎へと視線を外さずに眺めていた。
確かに今の奥義は直撃した。龍一郎とてあの衝撃のダメージは大きかったはずだ。
姿は見えないが、ただでは済んでいないと数多には確信があった。
「っ……なっ……!!?」
しかし、何と言うことか、ああしかしだ。
突如として視界をふさいでいた煙が晴れ、そこに龍一郎の姿が現れた。その姿に誰もが驚愕した。嘘だろ、馬鹿な。そんな声がどよめいた。
「何……だと……」
何より、何より一番驚いたのは、数多だ。
どうして、何故、そんなありえるのか。数多は龍一郎の姿を見て、そう考え頭をめぐらせるのが精一杯だった。
「無……傷……?」
「……だと……?」
無傷。まったくもって無傷。
ところどころ羽織った上着が焼け焦げているが、それだけ。ただそれだけ。
龍一郎は踏ん張った態勢のまま、傷もなくそこにたたずんでいた。
静かに、まるで大理石の彫刻のように静かに立ち尽くしていた。数多の奥義が、ただのキャンプファイヤーだったと言わんばかりに。
焔もそれを見て絶句した。
今の義兄の奥義は完全に入っていた。あれで無傷とはどういうことだ。何か裏技を使ったのではないか。そう思わずにはいられなかった。
数多も今の最大奥義が直撃したというのに、倒れるどころか傷一つない龍一郎に度肝を抜かざるを得なかった。
当然だろう。自身が誇る最強の大技をぶつけたというのに、ダメージになってないのだ。まだギリギリ戦意を落とさず、放心状態になっていないだけマシな方だ。
ただ、流石に驚愕すべき事実を目の当たりにした衝撃は大きく、数多は指一つ動かすことができないでいた。
「…………」
その龍一郎は、ただただ俯き静かに立っているだけ。
二本の脚でしっかり立ち、多少前かがみの態勢で立っているだけ。まさに隙だらけ。であるはずなのだが、未だに数多は驚き戸惑いが体を縛りつけ、動きことすらできないでいた。
「……あー……。なんてこった……。俺のお気に入りの一張羅がコゲちまったじゃあ……ねぇ――」
龍一郎ははぁー……っと息を口から吐いた後、自分の体を眺め始めた。
それは怪我やダメージの確認ではない。いたるところにできた服の焦げた場所を確認するためだ。
そして、両手で埃を服から叩き落すかのように、パンパンという軽い音を出しながら体のあちこちを叩きだした。
なんということだろうか。今しがた奥義を食らったものとは思えぬ、すさまじく余裕のある態度だった。言動も余裕そのもので、気にしているのは服が焦げてしまっているという部分だけだったのである。
だが、龍一郎が埃を叩き終わり、ゆっくりと姿勢を戻した後で、とてつもない現象が発生したのだ。
「――――か……ッ!!!」
誰もがその光景に驚き、戸惑い、声すらでなかった。
なんだこの状況は、まるで夢を見ているのか、これは現実なのか。その誰もがこの惨状を見て思った。意味がわからないと理解を拒んだ。
それは、地獄だった。灼熱の地獄だった。燃え盛る炎は大地を焼き尽くし、赤き溶岩と変えていた。
龍一郎の周囲に突如発生した、大規模な炎の爆発が治まったかと思えば、すでにこの光景が広がっているではないか。燃え滾るマグマは湯立つかのようにしぶきを上げ、冷えて固まる様子もない。
なんということか。龍一郎を中心とし、半径30メートル四方は全て焼け落ち、溶けきっていた。
誰がこんな現象を起こしたのか。それは当然龍一郎だ。溶岩の中心に立ち尽くし、ぼんやりと炎を纏った龍一郎だ。
龍一郎が
ほんの少し気合を入れて踏ん張った結果がこの状況と言う訳なのだ。
「っ!!」
数多はその光景に絶句した。
なんという力量差。なんという実力差。一瞬にしてこんなことなど、自分にはできない。それ以上に、この試合の流れがまずいものになったというのも察した。
この光景を見せたということは、つまり、龍一郎が本気になったということだからだ。
もはや手加減も余裕も慢心もなく、数多が立ち上がる力すら出せぬほどに、完膚なきまでに叩き潰すだろうと言うことだからだ。
「これは……!」
「どっ……どうなってんのよ……」
焔もアーニャも、龍一郎の周囲を見て困惑の色を見せていた。
先ほどはなんとも無かった会場の地面が、マグマになってしまっているではないか。一瞬にしてこのようなことが起こったことに、二人も戸惑うしかなかったのである。
と、少女が戸惑っている間に、龍一郎がゆっくりと動き出した。
俯いていた顔は数多を捉え、睨みつけていたのだ。
「どうしてくれん……」
「ハッ!!?」
そして、龍一郎が口を開き、愚痴らしき言葉を吐き出し始めた。
が、その愚痴が言い終わる前に、すでに、なんと言うことかすでに、数多の手前まで移動してきていたのだ。
「ガハァアァァ!?!?」
数多は一瞬にして距離をつめられたことに気が付かず、驚く表情をみせるだけで動けなかった。
そこへ龍一郎の拳が、数多の腹部に突き刺さった。ゴキゴキ、ミシミシ、体のどこかが壊れる気味の悪い音が、数多から響いてきた。
殴られた数多は、激痛と共に悲鳴を上げた。
馬鹿な。何で気が付かなかった。距離をつめられたことがわからなかった。そう思考を繰り返した。だが、もう遅い。遅すぎた。こうなってしまっては、もう手遅れだ。
「……だ?」
龍一郎は数多を殴り終えた後、愚痴の最後の一言を言い終えた。
否、言い終える前に、すでに殴り終わっていたと言った方が正しかった。その声は灼熱の炎を纏った姿とは逆で、完全に冷え切った、冷淡なものだった。
「え?」
「なっ、何!?」
一体何が起こった。今の光景を見ていた誰もがそう思っただろう。
焔とアーニャもそう思った。あの距離一瞬にしてつめた龍一郎の姿に驚いた。何度、何が起こったのかと驚くのだろうか。驚きの連続とはこのことであろう。
そんな驚く二人など他所に、龍一郎はさらに数多に追い討ちをかける。
「ほらよ」
「グアッ!? ぐっ……。やべぇ……態勢を……」
龍一郎は冷淡な声で、軽く数多を上空へと吹き飛ばす。
数多はこのまずい流れをどうにかしなければと考え、激痛を我慢しつつ、まずは態勢を立て直すことにした。
「考え事か?」
「グアアアアアアガアアアアッ!?!?」
だが、飛ばされている数多に一瞬で追いつき、再び数多の腹部へと攻撃を直撃させる龍一郎。
今度は拳ではなく、膝蹴りだ。龍一郎の膝が、先ほどの拳と同様に、数多の腹部に深々と刺さっていたのである。
龍一郎は数多に膝蹴りをかましつつ、数多が何を考えているのだろうか、と思った。
ただ、思っただけで、特に気にしてはいない。むしろ、考えながら戦うなんて無駄なことをしているのがアホだと思った。瞬間的に体で反応し、対応できない方がマヌケだと思っていた。
一瞬。今のも一瞬。
数秒の差異もいなく、一瞬で距離をつめ、数多へと攻撃を繰り出す龍一郎。この膝蹴りの衝撃とダメージで、たまらず数多は大声で苦痛を叫び吐き出した。
「んな余裕あるのか……?」
「ぐっ……あ……っ!」
考え事をするということは、余裕があるということなんだろう。
自分を前にして、そんな余裕があるのだろうか、と龍一郎は数多へ淡々と問う。問いながら、脚を大きく振り回し、そのまま数多を地面へと叩き落す。
数多は龍一郎の蹴りで地面へと逆戻りしながらも、対策を練っていた。
が、それ以上に今のダメージが相当だったのか、口から血を流しつつ苦悶の声を漏らすのが精一杯であった。
「くっ! くそっ!!」
「あ? 何だそりゃ?」
しかし、このまま殴られ放題のままでいる訳にはいかない。
なんとか地面に着地し、反撃として右腕を大きく振り、気と炎を宿した拳を龍一郎へと放つ数多。
龍一郎はその気合の入ってない情けないパンチを見て、つまらなそうな感じでそれを言葉に出した。
なんという取るに足らない反撃だろうか。未だにナメているのだろうか。この程度の反撃しかできないのだろうかと龍一郎は思っていた。
「ふん」
「グガア!?」
当然、そんな軟弱なパンチが龍一郎に当たる訳もなく、むしろ龍一郎が後から放ったパンチの方が、数多の腹部に命中する始末だ。数多は、再び肺にたまった空気を全部吐き出すかのような声を、血と同時に吐き出した。
「ほらよぉ」
「グッ!? アガッ!???」
それだけで龍一郎の攻撃が終わるなんて、甘い現実は存在しない。
さらに龍一郎は、追撃で数多の腹を膝で蹴り上げ、その勢いのまま顎にまで蹴りを放ち、数多を上空へと吹き飛ばしたのである。すさまじい蹴り技のコンボに、数多はうめき声しか上げれなかった。反撃どころか手すら出なかった。
上空へとグングンと飛び上がる数多。
そんな加速的に上空へ跳ね上がる数多の目の前に、突如として影が現れた。それは当然龍一郎だ。
「ガアアアアアアアアアアッ!!!!???」
「……こんなもんなのか? 本当に?」
龍一郎は数多の目の前に現れると、さらに膝で数多の腹部を蹴り上げる。
そして、その勢いのまま、闘技場の天井に張り巡らされている、観客席を守護するバリアへと数多を衝突させたのだ。その瞬間、バリアがミシミシという音を立て大きく揺れ、砕けかねない程の衝撃が発生する。
その攻撃にたまらず大声で叫ぶ数多。
ガハァッ! と口から大量の血を吐き出し、まさに死ぬ寸前と言うほどの苦悶の表情を見せていた。
そこで膝を腹部に押し付け苦痛に狂いもだえる数多を見下しながら、本当につまらないいと龍一郎は冷淡な声で言い放つ。なんだよ、これで終わりになってしまうのか? 龍一郎はそうつまらなそうに言葉にした。
「そら」
「ううう……。ヤベェ……」
龍一郎は数多を解放すると、数多は重力に従い落下を始めた。
今の膝蹴りは特大のダメージだった。かなりヤバイ状況にまで陥った。この状況を打破しなければならないのだが、数多はまったく対策が思いつかないでいた。
「ヤベェとは余裕だな」
「ッッッッ~~~~~~!!!!!」
そう少し考え事をしている数多へと、再び蹴りが炸裂した。
龍一郎が重力と虚空瞬動での加速を利用し、数多へと蹴りを放ったのだ。
それが見事に数多の体へと直撃し、そのまま数多の体を地面へと叩き付けたのである。
その衝撃はすさまじいほどのクレーターを作り、周囲の地面を砕き押し上げるほどだった。
もはや声にすらならない叫びが、闘技場全体に響き渡る。
数多は目玉が飛び出るのではないかと言うほどに目をひん剥き、裂けるのではないかと言うほどの口を開き絶句していた。
「もうちょい期待してたんだがなぁ……」
「がっ!? ぐうっ!?」
数多の体に脚を乗せてのしかかったまま、龍一郎はぽつりとつぶやく。
修行して強くなったと思っていたのだが、実際そこまでではなかったようだ。龍一郎は数多を過大評価していたと思い、情けないと言う顔を見せていた。
すると、龍一郎はふわりと飛び上がると、今度は全体重を乗せた肘を数多へとぶち込んだのだ。
数多はそれを避けることすらかなわず、腹部に直撃させていた。
何度も吐いたかわからぬほどに、血が数多の口から流れ出た。
そして、龍一郎は回転するようにして飛び上がると同時に、苦痛に耐える数多を蹴り上げ吹き飛ばしたのだ。
「そいよ」
「グアアアッ!!!」
すさまじい勢いで吹き飛ばされた数多を瞬時に追い越した龍一郎は、その背中に再び膝蹴りを食らわせる。
勢いが止まり、そこにとてつもない程の衝撃が発生する。数多はもはや叫ぶことしかできなかった。龍一郎の圧倒的な強さの前に、苦しみもだえることしかできなかった。
「とんだ期待はずれだ」
「グアアアアアッ!!!!」
せっかく強くなったと聞いて楽しみにしていたというのに、この程度か。
龍一郎はそうはっきりと吐き捨てた。数多の今の実力を体感し、つまらないものだと切り捨てた。
そういい終えた龍一郎は、数多の背中に蹴りを放った態勢から、数多を地面に叩きつけたのである。
その叩きつける動作は小さいものだと言うのに、その衝撃は爆発以上だった。メギメギと数多の体が軋む音が流れ、地面も砕き周囲の地面が突出したのだ。
数多は叫びながら、自分はこのまま負けるのか、と思い始めていた。
何度も蹴られ殴られボロボロにされた数多は、自分と龍一郎との実力差に絶望するしかなかったのであった。
龍一郎が反撃を始めてから、わずか数十秒。
たった数十秒の戦いで、数多はボロボロとなり、地面に倒れ伏せていたのだった。