士道が空中艦〈フラクシナス〉を訪れ、妹の隠された顔を知った翌日のこと。
「おはよう、鳶一」
朝のホームルーム前、2階の廊下で折紙の姿を見つけた士道は、あいさつをしようと声をかけた。
「おはようございます」
こちらを振り向き、いつものように起伏のない言葉を返す彼女。そこには、昨日精霊と激しい戦闘を繰り広げた面影はどこにもない。
「今日も一日頑張ろうな」
こくりとうなずく折紙。このまま別れてもよかったが、もう少しだけ話を続けることにした。
「昨日は大変だったろ」
「……空間震のこと?」
「そうそう。って、他に何かあったのか?」
「別に、そういうわけではない」
かすかに眉が動いたような気もしたが、ほとんど表情の変化は見受けられない。
「そういえば、鳶一は去年部活に入ってなかったよな。どうだ、今年はどこかに入りたいとかないのか」
「そのつもりはない。当分は」
「そうか。まあ、絶対所属しなきゃいけないわけじゃないからかまわないんだが……俺個人としては、挑戦してみてほしいかな。学生時代の部活っていうのはいいもんだ。後から振り返るとよくわかる」
「そう」
あまり気持ちのこもっていなさそうな返事だった。
「じゃあ、俺は一度職員室に寄るから」
軽く手を挙げて、折紙に背を向けて歩き出す士道。
十分離れたところで、思わずため息がこぼれてしまった。
「こんな遠まわしな言い方じゃ意味ないよな」
しかし、ストレートにASTをやめてほしいとも言えない。
精霊やそれに対抗する組織の存在は伏せられており、本来一般人である士道が知るはずのないことだからだ。
下手にそのことを口にすれば、折紙経由でASTに情報が流れ、警戒されて自由な行動がとれなくなる可能性まである。
……今の段階で、彼女に対してうまく説得ができる可能性は低い。それゆえに、リスクを冒すだけのメリットが見いだせない。
まずは、彼女達ASTが戦わなくてもいいと言えるだけの結果を示さなければならない。つまり、士道達の力で精霊の力を封印する必要がある。
現在の士道の考えとしては、こんなところだ。
「頑張ろう」
やると決めた以上、後戻りはできない。
改めて、ひとり決意を固める士道だった。
もっとも、その前に教師としての仕事にも真剣に取り組まなければならないのだが。
*
それから3日後。
精霊を攻略するための訓練、その第1弾として、士道は〈ラタトスク〉監修により作られた恋愛シミュレーションゲーム『恋してマイ・リトル・シドー』の完全クリアを命じられていた。
琴里からゲームを渡されて3日間、寝る間も極力惜しんで攻略に励んでいる。
励んでいるのだが。
「おい、またゲームオーバーになったぞ」
「……はああああああ」
なかなかエンディングまで進めない士道のプレイ状況を隣で眺めていた琴里が、大きな大きなため息をついた。
「なんでうまくいかないんだろうな」
「女の子に出会うたびに片っ端から胸を揉んでるんだから当たり前でしょうが。馬鹿なの? 学習しないの?」
「失礼な。揉んでるのは巨乳の女の子の胸だけだ。たとえばこの琴里に似ている妹キャラには一切手を出していない」
「………」
くいくい、とこちらに来るよう指示する琴里。それに従い、士道が椅子から立ち上がると。
「ふんっ」
「ぬおっ!?」
ゲシッ! とすね蹴りを食らい、痛みで飛び跳ねてしまう。
「真面目にやりなさい」
「わかったわかった。俺もそろそろ、胸を触ろうとするスタイルはまずいかと思い始めてたんだ」
「初日で気づきなさいこのトンマ」
気を取り直して座り、再びプレイを始める士道。今度は『胸を揉む』という選択肢が出ても無視して先に進んでいく。
「やればできるじゃないの。最初からそうしてればクリアも早くなったのに」
「いや、多分あんまり関係ないと思うぞ」
「なんでよ」
「ゲームオーバーになってやり直しまくってる間に、各キャラの性格とかが把握できてきたからな。今スムーズに進められてるのは、その時間があったからだ」
ふうん、と腕を組む琴里。
「なるほど……さすがに何も考えてないわけじゃなかったのね」
「そうそう。だからお兄ちゃんのこと褒めてくれよー」
「気持ち悪い」
どさくさ紛れに繰り出した、ささやかな兄の願いは一蹴されてしまった。
つけているリボンの色によって琴里の性格が変わることに士道が気づいたのは、一昨日のことである。以来黒リボンの時に可愛いセリフを言わせようと努力しているのだが、うまくいってはいない。
「そういえば、どうして今日はわざわざ〈フラクシナス〉でやってるのよ」
いつもは夜の自宅で行っている訓練だが、今日は士道の希望により上空15000メートルに位置する空中艦の中でプレイしている。
「ああ。一段落ついたら、クルーの人達にあいさつしておこうと思ってさ」
「あいさつ?」
「これからお世話になるんだから、ひとりひとりとちゃんと話しておくのが筋ってもんだ」
「それもそうね。さすがは社会人ってところかしら」
「いや、きちんとした社会人なら初日にあいさつしてると思うぞ」
「じゃあ社会人失格ね。大学からやり直し」
手厳しい感想をいただきながらもゲームのストーリーを着々と進展させていった士道は、1時間後にヒロインひとりのルートを完結させたのだった。
「よーし、いっちょあがり」
「残りヒロインは5人よ。その調子でさっさとクリアしなさい」
「ああ。でも区切りがいいし、そろそろ休憩がてらあいさつ回りに――」
士道が思い切り伸びの姿勢をとっていると、部屋にひとりの女性が入って来た。
「……やあ、2人とも。首尾はどうかな」
目の下に大きな隈のできた、若い女性だ。軍服のポケットからはクマの人形が顔をのぞかせている。
「令音さん。いやあ、今日もお美しい」
「……ん、ありがとう。シンもなかなかだ」
「そうですか? あはは」
「お世辞に決まってるでしょう、馬鹿」
「夢を壊すようなことを言うな!」
村雨令音。〈ラタトスク〉の解析官である彼女を、士道はすでに知っている。
なぜなら3日前、彼女が突然来禅高校の教師として彼の目の前に現れたからである。士道のサポートが目的とのことだが、なぜか彼のことを『シン』と呼んでいる。
「………」
士道の視線が自然と下がる。すると目に入るのは、令音の豊満なバスト。非常に触り心地がよさそうだった。
「……精霊の前でも同じように鼻の下伸ばしてたら、胴体真っ二つにされるわよ」
「えっ! な、なんのことだ琴里?」
顔を上げて取り繕う士道だが、琴里は呆れたようにため息をつくだけだった。
「ほら、みんなにあいさつしてくるんでしょう。さっさと行ってきなさい」
「あ、ああ。じゃあ行ってきます」
これ以上の追及を避けるために、士道は逃げるようにして通路に出て行った。
*
「まったく、あのエロ兄は……どうしたのよ、令音」
下心が透けて見える士道の態度に文句を言おうとした琴里は、令音が部屋の出口をずっと見つめていることに気づく。
「……いや、なかなか予想外だと思ってね」
「予想外? なにがよ」
「……シンの態度さ。すでにここの環境にも適応しているように見える。初めてここに来た時も、もっと混乱すると思っていたのだがね」
「ああ、そういうこと」
令音に言われて、琴里も先日の出来事を思い出す。精霊だのなんだのと、到底信じられないような話を次々されたにもかかわらず、士道はある程度冷静に事態をのみこんでいた。唯一取り乱したと言っていいのは、琴里の態度の豹変についてだけだ。
「昔からそういう人間なのよ、士道って」
「……と、いうと?」
「滅多なことじゃ自分を見失わないというか……クソ度胸とでも言おうかしら。とにかく、メンタルは強い方ね」
「……なるほど。それならなおのこと、精霊との対話には適任か」
「後はあの胸への執着を抑えてほしいんだけど……そこを考えると頭が痛くなるわ」
「……彼は胸が好きなのかい?」
「見ればわかるでしょ。生粋のおっぱい星人よ」
再びため息をつく琴里。さすがに士道も本番となったら自重するだろうと信じているのだが、ついいつもの癖が出てしまうことだって十分にありうる。
「よりにもよって、どうして〈プリンセス〉は――」
*
「あの〈プリンセス〉って精霊……ぶっちゃけ巨乳ですよね」
「うん。士道くんの言う通り、それは間違いないだろうね。鎧の上からでも形の良さがはっきりとわかる」
「実は私のストライクゾーンど真ん中なんです。彼女が精霊じゃなかったら交際を申し込んでいるところですよ」
「俺は実際に話し合いに行くんで、うっかりガン見しすぎないように気をつけないとですね」
〈フラクシナス〉の艦橋で、士道は男性クルー達と談笑していた。
若干下世話な内容も混じってはいるものの、全員ノリよく彼の話に付き合っている。
「頼むよ士道くん。我々の命運は君の話術にかかっているんだ」
「やれるだけはやってみます。これでも一時期美人の彼女がいたことあるんで、その時を思い出してみますよ」
「ほう、それは本当かい?」
「ま、一日で別れたんですけどね」
「駄目じゃないか!」
「でも可愛かったかなあ、あの子。今どうしてるんだろ」
「ひょっとして、その子も巨乳だったりするんですか」
「さすが川越さん。よくわかってる」
「士道くんが巨乳好きなのはよく伝わってきましたからね」
わははは、と盛り上がる男性陣。
その様子を遠目で観察していた女性陣は、本当にこんなんで大丈夫なのかと一抹の不安を抱いたという。
変わり種が多いラタトスクのメンバーですが、この士道先生ならきっと仲良くできるはず。
果たして十香に対して下心を出さずにコミュニケーションをとれるのか。ご対面の時は近いです。