ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第70話  呪いを込めたプレゼント

 第70話

 呪いを込めたプレゼント

 

 円盤生物 ブラックテリナ 登場!

 

 

「あれが、王党派とレコン・キスタの全軍……二十万は軽くいるっていうけど、あらためて見るとすさまじい数だわね」

 王党派の陣営から見て、左後ろに一リーグほどの距離に位置する草原の上。そこに今ルイズたちは立って、眼前で生き物のようにうごめく人間の大集団を眺めていた。

 すでに、太陽は高く昇り、空の上からじりじりと彼女たちを照らしてくる。

 さらに草原の先を見渡せば、二日前にミシェルが必死で脱出してきて、もはやヤプールの尖兵になり果ててしまったウェールズがいるであろう小城がそびえ立っている。早朝一番で出てきたが、これを見れば眠気も覚めようというものだ。

「さて、とりあえずはこの道をまっすぐ行けば、平民が働かされている後方陣地まで行けるのよね」

「そういうことだな、にしても、こんなにたやすく近づけると思っていなかった。途中で検問を突破することも考えていたのだがな」

 キュルケの問いに、アニエスは嘆息して答えた。途中、いくつか王党派の監視所があると思い、強行突破の可能性も考慮してやってきたのだが、実際は見張りの兵士が数人いるだけで、王党派に協力したくやってきた義勇兵だと説明すると、あっさりと通されてむしろ拍子抜けしていた。

 だが、それゆえに逆に不自然ではある。これだけの規模なのだから、徴用した平民や逃亡兵を逃がさぬために、第一間諜や破壊工作員が侵入してくるのを防ぐために街道は厳重にかためられていると思うのが普通だ。しかし、その手の気配はまったくなく、ほとんど自由通行に近かった。

「何か、逃亡者を出さない自信があるのか、それとも何か別に理由があるのか……」

 アニエスのつぶやきには、不吉な色がありありと漂っていた。ヤプールがからんでいるとなれば、単純に戦争の勝敗をつけさせようなどということはないだろう。始まる前か、戦闘中に何かが起こる。その可能性は極めて大きかった。

「ですが、考えていても始まりません。ともかく、潜入して話を聞いてみましょう」

 皆の迷いを吹っ切るようなミシェルの言葉に、アニエスもそうだなとうなずいた。

 ちなみに、今ミシェルはまだ立ち上がれるほどに回復していないために、才人が背中におんぶしている形になる。もちろん、怪我人が戦場に行くのは不自然であるし、銃士隊の制服のままでは目立ちすぎるので、戦場に行く家族に会いに行くとかなんとか理由をつけて、アニエスともども銃士隊の制服から、村で拝借してきた村娘の衣装を身に着けている。

「ミシェルさん、具合は大丈夫ですか? なんなら、もう少し静かに歩いたほうが」

「いや、気遣いありがとう。もうだいぶ傷の痛みもひいた。これも、お前のおかげかな」

「そんな、おれはそんな超能力みたいなことできませんよ」

 ミシェルも、今ではすっかり元気を取り戻していた。肉体は傷ついたままでも、良心に恥じることなく信じられる理想と、心から信頼できる仲間を手に入れて、彼らとともに歩めるという喜びが、彼女をずっと強く立ち直らせていた。

 ただ、才人の背中にしっかと抱きついているミシェルを見て、不愉快極まりないのも一人いたが。

「なによなによ。ベッタベタしちゃって……あんなにぴったりくっつくことないじゃない」

 黒いオーラというものが人間の目に見えたら、ルイズの周りには黒炎のようにみなぎっているのが見えただろう。まぁ、おぶさっている以上、くっつかないわけにはいかないのでルイズの言い草は言いがかりもはなはだしいのだが、そのおかげでルイズに持たれているデルフリンガーが、例によってつばで軽快な金属音を鳴らしながら笑った。

「ひっひっひっひっ……あいーかわらずおもしれえねおめえさん。相棒が、ほかの女の子といっしょにいるのが我慢ならないんだな? しっかもあんなにぴったりくっついちゃって、幸せそうだねえ」

「溶かすわよ……た、たかが使い魔が誰といようと、ど、どうでもいいわよ。それに、これはトリステインの平和を守るためだし、怪我人をそのままにしておけないじゃない」

「ずいぶん声が震えてるねえ。けどよ、うらやましいならうらやましいって言えばいいじゃねえか」

「だ、誰がうらやましいですって! そ、そりゃあ……そりゃあ……けど、サイトもサイトよ、デレデレして……」

 だめだこりゃと、デルフは歯をガチガチさせているルイズの顔を見上げて思った。とはいえ、ルイズの気持ちもわからないでもない。

「お前の背中は広くて居心地がいいな。でも、落ちないようにもっとつかまらせてもらおうか」

「わっ! あ、あの、そんなにぎゅっと抱き疲れると……あ、あたるんですが」

「ん? なにがだ」

「だ、だから……その胸が」

 無邪気な笑みを浮かべながら、ミシェルは才人の首筋に吐息があたるほどに背中にしっかと抱きついた。そうして才人は顔を真っ赤にしながら照れまくり、それをルイズは殺気で人を殺せるなら即死間違いなしといった視線で睨みつける。

 なにせ、ミシェルはこれまではずっと銃士隊副長と、間諜としての重圧で目を鋭く尖らせて生きてきた。しかし、その重荷が取り払われた今は、青い髪を短く刈りそろえたボーイッシュな容貌と、なにより表情から険が取れてやわらかくなったのがあいまって、はっきり言ってものすごく可愛くなっていた。

 それに、ルイズがなにより我慢できなかったことだが、これまで鎧に隠れてわからなかったとはいえ、ミシェルは実はキュルケと同クラスのバストサイズの持ち主であった。しかも鍛え上げられて引き締まっているので、全体のバランスでいえばシエスタやティファニア以上かもしれず、そんなグラビアモデルのような美人に薄着で抱きつかれている才人はたまったものではなかった。

「あ、あの、もう少し離れていただけますか?」

「ん? 離れたら落ちてしまうぞ。何か不具合があるのか?」

「そ、そりゃ……胸が、当たるから」

「いいじゃないかそれぐらい。減るものじゃなし」

 おまけに、長いこと男を寄せ付けずに生きてきたから、自分の魅力について無頓着なところも、ある意味たちが悪かった。前に地下貯水槽の崩落で才人にかばわれたときは、防衛本能で動揺していたけれど、もう才人に対しては抵抗がまったくなくなったようだ。

 なお、補足しておくと、自分の感情をもてあましているのは才人も似たようなものだった。元々彼は地球にいたころから、ろくにもてたことはなく、バレンタインでも収穫はゼロだっただけに、これまで傍から見たら呆れるほどわかりやすい好意を自分に向けるルイズにしても、「こんな美少女がおれなんかを好きなわけがない!」と、強迫観念に陥ってしまい、仲が進展しないのだ。対して、自分の気持ちをプライドで押し殺して、反対の態度をとってしまうルイズと違って、甘える子猫のような無邪気な愛情を、しかも年上の美人にぶつけられると、それだけで心臓の鼓動が生まれてはじめての感覚にファンファーレをあげている。

 そんな、純情極まりない二人を、キュルケはルイズからも距離をとって興味深げに眺めていた。

「こりゃあまあ、ルイズもとんでもない伏兵が現れたもんね」

 苦笑しながら、キュルケはルイズの相変わらずの初心さ加減に呆れていた。

 キュルケとルイズの実家は、何十世代にも渡る敵同士、特に男女関係についての因縁は深い。とはいえキュルケとしては、もはや勝って当たり前の勝負をルイズに挑もうとは考えていない。才人のことをダーリンと呼んで、今でもときたまアプローチをかけてはいるが、それはいつまで経っても進展のない才人とルイズにはっぱをかける意味合いが強く、友情はあっても恋愛感情はない。

 というわけで、ルイズにとって現在恋敵といえるのはシエスタぐらいだったのだが、シエスタは戦闘になると離脱せざるを得ないので、事実上一番いいところでルイズは才人を独り占めできていた。しかしこれは、今後うかうかしてられないかもしれない。

「ただ、それこそ見ものかもしれないけどね……うふふふふ」

 楽しくなりそうだと、キュルケは好奇心全開でほくそえみながら、どちらを応援すべきかなと迷っていた。

 もっとも、その肝心のルイズといえば。

「あああ、あいつ……がぎぎぎぎ」

 そろそろ言葉にすらなっていない。対して、ミシェルは今の状況を最大限に利用して、ほおを摺り寄せられるほどに才人に顔を寄せている。

「サーイト」

「な、なんですか?」

「ん、なんでもない」

 この上なく幸せそうに、ミシェルは才人の背中でまどろんでいた。確かに、今世界中で一番ミシェルが安心できるところは、才人の背中の上に違いない。幼い頃に両親を失い、誰かに甘えるなどということができなかった彼女は、ようやく取り戻した安心感のなかで、もし今才人が直視したとしたら、一発で心を奪われたかもしれないような、明るく優しい笑みを浮かべていた。

 本当に、笑顔は女性にとって最高の化粧とは、昔の人はうまいことを言ったものだ。それに引き換え、嫉妬に燃えているルイズのほうは、せっかくの美少女ぶりが台無しになっている。しかも、才人に手を出せば間接的にミシェルにも怪我をさせてしまうために、アニエスに「自重しろ」と言われてしまったおかげで、何も手出しができないのも、ルイズのフラストレーションを増大させていっていた。ただ、いくら不愉快に思ったとしても、「やっぱり死ねばよかったのに」などとは絶対に言わない。それが、人間としての節度であった。

 

 

 信じられないことに、着いてみると王党派の後方陣営は、彼らが想像していたのとはまったく異なっていた。

「こりゃ、まるで市場だな」

 そこは到底これから戦場になるのだとは思えない平和さで、食事を出す屋台や、武器屋や衣料屋に、床屋や無料の医院、簡易の教会に、さらに驚いたことには託児所までがあった。そこを、あちこちの街から集められてきたと思われる人々が、雑多に歩き回って、商品を売買したり、前線で使うと思われる食料品や武器を輸送していたりと仕事している。ただし、働かされているには違いないが、その労働環境は整えられており、聞いたところでは給金まで出ているそうであった。

「なるほど、これなら逃げ出す心配なんかはまずないってわけか」

 一個の街とさえ呼べる、そのいたれりつくせりぶり。てっきり、ブラック星人の言動から、徴用された人々は強制労働させられているものと思っていた一行は、予想外の快適さに目を白黒させるしかなかった。

「ミシェル、お前三日もあの城で足止めされていたのにわからなかったのか?」

「あ、いえ……私はすぐに城に向かいまして、それで私のいたところからでは、遠くてよくわかりませんでしたので」

 申し訳なさそうにミシェルが弁解するが、戦場というと過酷なものという先入観があるために、実際に近くで見ないとわからなかっただろう。

「しっかし、これじゃほんと小さな町だな。後方支援は大事だっていうけど、王党派ってのは金あるんだなあ」

 才人は、ロングビルが買ってきてくれた、串に刺したフランクフルトソーセージをかじりながら、金持ちのやることは次元が違うなあと感心していた。

 けれど、戦略的な面から見れば、後方でこれだけの豊かさがあるということは、前線の兵士たちには絶大な安心感を生むだろう。実際、地球での二次大戦時のアメリカ軍などでは、基地内や輸送船内などに映画館まであったくらいだ。

 おまけに、これだけの人間がひしめいていながら、治安がよくて、盗みや暴力沙汰はほとんど見えず、あってもすぐに兵士がとんできて、犯人を連行していってしまった。これではトリステインの市街よりも安全に見える。

「そこで聞いた話では、何百年にも渡って王家が埋蔵してきた財宝を、この内戦に勝利するために一気に吐き出したそうですわ。で、内戦に勝ったあとは、反乱に組した貴族の財産をすべて没収して、国政を立て直すんですって」

「なるほど、ウェールズは操られても、その下の政治家や軍人はまともということか」

 表面上でウェールズが、勇猛で高潔な皇太子を演じていれば、彼の虚名に引かれて能力のある人間も集まってくるのだろう。さらにそれらの人間が成果をあげれば、ウェールズの人望もさらに上がり、まさかとうにウェールズが洗脳されているとは、誰も気づかないというわけだ。

「これでは、城に乗り込んだところで、気が触れてると思われるか、こっちが間諜あつかいされるのが関の山だな。さて、どうしたものか」

 城を見上げて、アニエスはため息をついた。兵士もヤプールに洗脳されているならば、それを証拠に突破のしようがあるが、ウェールズ以外は正気ならば文字通り必死の抵抗にあって、ウェールズにはたどり着けない。

 まったく、悪辣この上ないものだ。これでは、竜の頭が蛇に摩り替わっているようなもので、兵士たちは自分たちを滅ぼそうとするものを、知らずに命がけで守らされている。

 それについては、才人やルイズたちも同感で、腹立たしさを覚えたものの、かといってウェールズのいる本城へ乗り込むのは無謀でしかないのは彼らもわかっており、ルイズは昔母から教えられた戦術の基礎を思い返してみた。

「竜騎士を落とそうと思えば、まず竜の羽根を撃てというわ、ウェールズに手を出せなくても、この陣地にも何かしらの陰謀の準備がされているかもしれない。手分けして、なにか怪しいものがないか探しましょう」

 才人たちは、そのルイズの口から出たとは思えない道理に合った戦術に驚いた。なにせ、これまでルイズの戦法といえば、今でこそ言わなくなったが「背中を見せない者を貴族というのよ!」の言葉どおりに、ひたすら無謀な突撃をおこなうばかりだったのだ。

「なによ、わたしが戦術を主張しちゃおかしい? 単なるお母様の受け売りよ。けど、間違っちゃいないと思うけど」

「い、いや……そのとおりだと思う」

 慌てて訂正する才人らを見て、ルイズはむずがゆい感じを持っていた。彼女とて、『烈風』と恐れられた母の教えを忘れていたわけでも、軽視していたわけでもないが、ずっと魔法を使えずにいたことで激しいコンプレックスを味わってきた彼女は、その反動から名誉欲が先行して、とにかく成果をあげたいと焦り続け、冷静な判断ができずにいた。それが、長い才人たちとの触れ合いで少しずつ心に余裕が生まれ、それにタルブ村で、ずっと超えることのできない大きすぎる壁として立ちはだかってきた母にも、今の自分のように未熟に苦難した時期があったのだと気づかされ、自分がなにをするべきかだけではなく、自分にはなにができるのかと考えはじめるようになっていた。

 アニエスは、そんなルイズの案を吟味しているようだったが、ほかに妙案も思いつかずに、今はリスクの高い行動をとらないほうがよいだろうと、その策を採用することにした。

「よかろう。それでいこう。分担は、北東は私、北西はミス・ロングビル、南東はミス・ツェルプストー、南西はサイト、ミシェルとミス・ヴァリエールだ」

 とりあえずは順当な組分けとあいなった。北東と北西は前線との境目で、支援部隊と兵士たちが入り混じっていて、調査が専門の二人が行くほうがよく、南東は慰問街ができていてキュルケの独壇場、残る南西は今いるところで、徴用された平民の宿泊する仮設家屋などがある比較的安全な場所だ。

「では、二時間探索して、その後はまたここに集合だ。厳命しておくが、たとえ何も収穫がなくても戻っていること、いいな」

 一同はうなずき、自分こそが手がかりを見つけてきてやると意気込んだ。

 とはいえ、後方陣地だけでも二万人はいるのだ。人を隠すには人の中というように、これでは怪しい奴が何人か紛れ込んでいても、簡単にはわからないだろう。

「ようし、じゃあいくわよサイト、ぐずぐずすんじゃないわよ」

「はいはい。わかりましたよ」

 真っ先に飛び出していこうとするルイズを、才人はやれやれと思いながら追いかけようとしたが、その前にロングビルがちょっと待ってと呼び止めた。

「お金が少しはないと困るでしょう」

 そう言って、いくらかの小銭を才人に手渡した。ルイズに渡さなかったのは、平民と金銭感覚のズレがまだひどいからだが、金貨と銀貨を数枚混ぜて渡されて、「こんなにいりませんよ」と返そうとしたら、「情報収集にはそれなりの代償も必要なんですよ」と、さすが元盗賊らしい言葉を聞かされて、なるほどと思った。

 が、それにしてもロングビルも、ここは昔自分から貴族の地位と家族を奪い取った憎き王族のお膝元だというのに、よく協力してくれて感謝してもしたりない。けれど、そのことを聞くと、彼女は微笑しながら。

「こんな時期に、何年も前に取り潰された家の娘一人のことを思い出すような酔狂な人はいないでしょう。それに、アルビオンはこんなところでも私やテファの故郷です」

 テファや子供たちのためならば、自分一人の怨恨にこだわっていても仕方がない。それに、未来だけでなく、彼女自身のものも含めてたくさんの大事な思い出がこの地には眠っている。地球人も、地球を守るためには命を懸けてきたように、ロングビルにもまた、故郷を愛する思いはあった。

「わかりました。では、無駄遣いせずに使わせていただきます」

「はは、そうしゃちほこばらなくても、おやつくらい買っていいわよ」

 そう言われると、たった今食べきったばかりのソーセージの味が恋しくなってくる。熱々の肉汁たっぷりに、マスタードをかけた味は、屋台で買ったものとしてはこの上なく、すぐさま注文に走って、ついでにみんなの分も買って戻ってきた。

「はい、皆さんもどうぞ」

「おっ、悪いな……ん、なんだこれは?」

 アニエスは、渡されたソーセージの袋の中に、菓子のおまけのような小袋がついているのを見つけて、それを破ってみると、中から手のひらサイズのピンク色の貝殻が出てきた。

「ああ、それですか? なんでも、幸運を呼ぶお守りだとかなんとかで、買い物をした人にはおまけでついてくるみたいです。まあ、きれいだし、いいんじゃないですか」

「ふむ、そういう趣味はないのだが、まあもらっておくか」

 なにげなく、アニエスはその桜貝に似た貝殻を懐にしまいこみ、キュルケやロングビルも、捨てるのも悪いし、とりあえずきれいだからタバサやテファへのお土産にしようかとポケットに入れ、ミシェルも才人から受け取った。

 しかし、ルイズだけはなんとなく、その貝殻を見回していた。

「どこかで見たような気がするのよね……」

 はっきりとは思い出せないが、つい最近のように思える。けれど、よい香りをただよわせるソーセージの魅力には効しきれずに、とりあえずポケットに入れると、そのまま食欲に身をゆだねた。なにせ、各人、歩いて腹が減っていたので、渡されたソーセージに遠慮なくかぶりついていく。

「うん、うまい。このソーセージは極上だな」

「そうね、平民の店にしてはいい出来ね。おいしいわ」

「今度シエスタに作ってもらおうかしら、タバサにも食べさせてあげたいわ」

 まずは、一仕事前の腹ごしらえというわけか。皆、それぞれ夢中になってぱくついている。

 なお、才人におんぶされたままのミシェルは、肩越しに才人に食べさせてもらっている。あーんと言いながらソーセージに食いつく姿は、まるで子供みたいだが、今本人は羞恥心より幸福感が圧倒的に勝っていた。天国から地獄という表現はよく使われるけれど、地獄から天国とはまさにこのことだろう。これは帰ってもおいそれと部下たちに見せられんなと、アニエスは苦笑したが、泣き顔やしかめっ面を続けさせておくよりはよほどいいと思って、そのままにしておいた。

 しかし、当然のごとくルイズはどんどん顔を不愉快にしていき、しまいには串を噛み砕いてしまった。

「このエロ犬が……なにが、あーんよ」

 殺気を込めたつぶやきがルイズの口から漏れるが、幸か不幸か周囲の喧騒のせいで才人の耳には届かなかった。

 さて、才人と、彼の垂らした蜘蛛の糸のおかげで地獄からサルベージされた、もう少女と呼んでいいほどに青春を取り戻した娘は、ルイズのそんなダークな台風注意報に気づかずと、気づく気もなく、傍から見たらソーセージ以上に熱々な雰囲気を漂わせていた。

「あっ、もうなくなっちゃいましたね」

「うん、残念……そうだサイト、お前のを一口くれないか?」

「え、いいですよ。おれはもう二本目ですし」

 と、才人が半分くらい食べていたのを、ミシェルがぱくりといただいて、それが才人は無自覚だが間接キッスになっているので、ルイズが歯軋りをしてキュルケがほくそえむ。

 ギーシュなどが見たら、「君もたいしたものだな」と感心するかもしれないが、あいにく才人は経験が圧倒的に不足しているために、まだ恋や愛というものがなんなのかすら、よく理解できておらず、女心というものが相対性理論以上にわからない。

 けれど、そんな純粋な才人だからこそ、大貴族の娘や、天涯孤独の身の上で、人を疑って生きてきたルイズやミシェルは安心して好意を持てるのかもしれない。まじりっけの無い、裏の無い、純粋な優しさ、それはこれまで打算から仮面の笑顔で近づいてくる男ばかりを見てきたルイズやミシェルから見たら、とてもまぶしいものであっただろうから。

 とはいえ、それゆえにアニエスやキュルケから見たら、才人はまだまだお子様なので、保護対象や友達から恋愛感情に発展しない。おかげでまがりなりにも恋愛と呼べるのはルイズと、あとはシエスタくらいですんでいたのだが、これは才人はとんでもないパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。

 アニエスは、しばらくしらけた表情でその突発性の愛憎劇を眺めていたが、やがて大きく息を吸うと。

「もういいからさっさと行け!!」

「はいいっ!!」

 クモの子を散らすように、一同はそれぞれ三方に駆け出していった。

 

 

 そして、四方に散った一同は、慣れているものはそれなりに、慣れないものは手探りで、怪しい物資や施設がないか、見回ったり聞き込みをしたりして調査をおこない、やがて二時間後に元の場所に全員集合していた。

「よし、全員そろってるな。では、それぞれ結果を報告してもらおうか」

 アニエスがまとめ役となって、それぞれの報告を頭に叩き込もうと準備する。周りには大勢人がおり、話し声は隠されもしないが、こういう雑踏の中のほうがかえってひそひそ話もばれないものだ。

「よし、それではまず……と、その前に、サイト、なんだその買い物袋いっぱいの貝殻の山は?」

 ちらりと、アニエスに細目で睨まれて、才人たちがギクりとしたのをアニエスは見逃さなかった。

「あ、これですか? 屋台のオヤジさんに、ここで妙なことはなかったか聞き込んでいるうちに……ゲップ」

「まさかと思うが、食い歩きをしていただけではあるまいな」

 才人たち三人の顔に、冷や汗が流れた。

「いえ、そんなことはないですよ……けど、どこの店もおいしくて、つい、なあルイズ」

「え、ええ。ちょ、ちょっと寄り道してただけよ。ちょ、たった一〇件くらい」

 その瞬間、アニエスはキレた。

「大馬鹿者! この非常時になにを考えてるんだお前たちは! ミシェル、お前がついていながらなんだこの有様は!」

「す、すいません、まじめにやるつもりだったのですが、なにかいつの間にやらみんなどうでもよくなっていて」

「誰が逢引をしにいけと言ったんだ! で、それで収穫は?」

「あ、出店ではどこでもこの貝殻をくれたんですが、結局なんの貝殻なのかは誰も知らないんですって」

「だからどうした!? もう邪魔だからさっさと捨てて来い!」

「はいぃっ!」

 慌てて駆け出す才人とルイズに、アニエスたちはやれやれと頭を抱えた。元々、調べごとにはド素人の彼らにはほとんど期待をしていなかったが、ほんとにもうとしか言いようがない。おまけに、ミシェルがついていればフォローもできるだろうと思ったが、夢見心地で完全に仕事を見失っている。

「ミス・ツェルプストー、なんとかならんのかあれは?」

「なりませんわね。恋心というものは、自分で制御できるような代物じゃありませんわ。特に、ミス・ミシェルのあれはどうみても初恋ですわ。わたくしにも覚えがありますけど、あのときはもう、わたしがわたしじゃなくなりましたもの。ミス・アニエスにはご記憶はなくって?」

「そんな軟弱なものに興味はない」

 そっけなくアニエスが答えると、キュルケの口元がいやらしく歪んだ。

「あら、お気の毒、ということは部下に先を越されちゃったってわけですわね」

 わざとらしく、語尾にざますとつけてもいいくらいに、宮廷の老婦人のようなしぐさで呆れたしぐさをとられると、さすがにアニエスも反論しなくては収まらなくなる。

「どうせ、いずれ私は王女殿下と国のために真っ先に命をささげる。男など作っている暇はない!」

「あら、だったらわたくしの母も、祖母も、曾祖母も軍人でしたけど、立派に恋愛の上で家庭を持って、わたくしもそれに習うつもりですわよ」

「だったら私が、母となる者を百人守りたおして死ねば、それで元はとれるだろう」

 この頑固者めと、キュルケは心の中で、アニエスの意外な幼稚さを笑った。くしくも、アニエスの言い訳のそれは、三十年前にカリーヌが佐々木に言ったものと同一だったのだが、あのカリーヌでさえ子供がいるんだから、アニエスにだけ恋ができない道理があるまい。

「まあ、なんといったって、男はいずれ父に、女はいずれ母親になるものですわよ。ただ、彼女の場合は、十年も心を閉ざしていたから反動がすごいんでしょう。しばらくすれば落ち着くと思いますわ」

 キュルケは苦笑しながら、そういえばタバサも、父が死んで花壇騎士にされる以前は明るい性格だったそうだと聞かされたのを思い出し、いつか彼女にも元のように笑えるようになってほしいと思った。

「ま、恋は盲目っていいますし、ね」

「それにしても、なあ」

 アニエスにしても、ミシェルが新しい生き方を見つけたのはいいが、少々いきすぎの感があると思わざるを得なかった。これはどうも、傷が治ったら鍛えなおしてやらねばいかんなと、前途に多難なものを感じて仕方がない。

 

「やれやれ……それで、ミス・ロングビルのほうはなにか収穫がありましたか?」

 息を切らせながら才人たちがゴミ箱から戻ってくると、気を取り直したアニエスは次にロングビルに話を聞くことにし、問われたロングビルは懐から小さな鉄砲を取り出して見せた。

「兵士に話を聞いてみたんですが、最近軍全体に新式の武器が支給されたそうです。その一つをちょっと拝借してきたんですが」

「ふむ、見たところ新しい以外には、特に不自然なところはないようだが?」

「ええ、けれどおかしいところは、同列のまだ使える武器まで根こそぎ、有無を言わさず無理矢理交換させられてしまったそうです。兵士たちには、愛銃を取り上げられて、不満を漏らしている人が何人もおりました」

「それは確かに変だな……けれど、どう見てもただの銃だが」

 アニエスは、手の中でその銃をくるくると回して眺めていたが、何度見てもどこの軍隊でも普通に使っているような拳銃で、妙な点は見当たらなかった。

 だが、そのとき才人はその銃のグリップに、歪んだ赤い三角形の中を銀色にくりぬいたような、妙なエンブレムがついているのを見つけてアニエスに伝えた。

「なに? 確かに……なんだ、銃の工廠のマークかな。確かに見たことはないが、銃に自分の工房のマークをつけるのは、別に珍しいことではないぞ」

 彼女はそれで、その銃への関心を打ち切った。考えてもわからないものはわからないし、まだまだ聞くべきことはあったからだ。しかし、才人はまだひっかかるものを感じていた。その奇妙なエンブレム、前にどこかで見たような気がしてならなかったのだ。

「次は、ミス・ツェルプストーか」

 呼ばれたキュルケは、勇んで自分の成果を公表していった。

 彼女は酒場で、休息していた兵士や商人などから情報を得ており、その手段はルイズを閉口させたが、得た情報の密度は三人組より格段に濃いものであった。

 まず、兵士たちの士気ははなはだ高く、特に食料事情が極めてよいために誰もが健康で、勝利を疑っていない。

 また、商人からの情報では、軍の上層部からの命令で、大量の武器を仕入れて兵士たちに供給したのだが、その武器の出所である工房がいまいちはっきりとしない。しかも八万人分の武器であるから、莫大な量になるはずなのに、その供給は一度として遅れたことはなく、それに軍から指示された、その工房以外からの仕入れは固く禁じられたという。

 そして、それらの補給及び兵站の一切を取り仕切っているのが、ここ数ヶ月のあいだにいつの間にかウェールズ皇太子に取り入っていた老将であるということだった。参謀として辣腕を振るっているが、その出身は誰も知らないのだという。

「その参謀、怪しいな」

 才人がつぶやいたのに、全員が同意した。洗脳されたウェールズのすぐそばで活躍する、出所不明の名軍師というだけで、すでに黒に限りなく近い灰色といえる。

 そして最後に、アニエスが調べてきたことを公表した。

「私はレコン・キスタ陣営のことを聞き込んでみたのだが、どうも向こうのほうも、ここ最近新式武器の購入や、兵力増強をおこなっているらしい」

「なんだ、それならこちらと同じじゃないですか」

「まあそうだが、話は続きがある。知ってのとおり、レコン・キスタ勢は今王党派陣営に押されている。よって、財源もこちらに比べてとぼしいはずなのだが、食料や武器弾薬などの補給に滞りはまったくないそうだ。しかもだ、こういうときはどちらかが体勢が整う前に打って出るのが普通なのだが、何度もその気配はあったが、そのたびに突然雨が降ったり、指揮官がいきなり倒れたりとトラブルがあいついで中止になったそうだ。両方の陣営でな」

 それはなんとも作為的だと、一同は思った。ヤプールだったら、雨を降らすことや、数人の人間を病気に見せかけて倒すなど造作もないことだ。これで、ヤプールがレコン・キスタ陣営にも根を張っていることと、同時にどちらの陣営も戦力を蓄えさせ、それが最大限に達するまではぶつけまいとしていることは、この情報で読み解くことはできた。

 ただし、これらの証拠から、最終的にヤプールがなにを企んでいるのかまでは洞察することは無理だった。単純に考えれば、両軍の戦力を集められるだけ集めさせて、二十万人に壮絶な殺し合いをさせようかとしているのかと思えるが、あの悪辣さでは他の追随を許さないヤプールが、そんな簡単に思いつく方法を使うとも思えなかった。

「出所不明の大量の武器、謎の参謀、同じ行動をとるレコン・キスタ、大兵力……わからんな」

 どうにも、証拠が不足していると思わざるをえなかった。とはいっても、ヤプールのやることを人間の常識で察知しろ、というほうがそもそも困難なのだ。仮に、空がガラスのように割れたり、牛のたたりで人間が牛人間に変えられるなどといった話を人にしてみたら、おとぎ話の見すぎと笑われるのが関の山だろう。しかし、現実にそういうことを起こせるのがヤプールなのだ。

 ただし、まだなにか見落としていることがあるのではないかということは、この中の全員が共通して思考していた。だが、それをノーヒントで見つけるとなると、とほうもない時間と労力が必要となり、残念ながら悠長に調査を続けるだけの余裕はなかった。

「こうなったら、直接軍主力に潜り込んで調べるしかないか」

「ですけど、さすがに前線は軍関係者以外は締め出されるでしょう。女子供ばかりの私たちなんて、門前払いですよ」

 ロングビルが、根本的な問題を提示すると、一同はそろって頭を抱えた。見回せば、ここに戦場にいて不自然ではない人間は一人もいない。

「こうなると、平民に変装したのが痛いな。ルイズもキュルケも、今は村娘のかっこしてるし」

「ふん、だからあたしはこんなみすぼらしい服を着るのはイヤだって言ったのよ」

「いまさら言っても仕方ねえだろ。どうしたもんかな、こっそり潜り込むにしても、こんなかっこじゃ軍隊の中じゃ目立ちすぎるしな」

 才人はこんなことなら、軍服を調達しておけばよかったと思ったものの、後悔先に立たずである。

 けれどそのとき、彼女たちの視線の先に、鎧がこすれるうるさい音をたてながら、えっちらおっちらとやってくる、目に見えて新兵ばかりと思える一団が入ってきた。

「ひい、ふう、みい……ちょうど六人か、悪いが、彼らに協力してもらおうかな」

 アニエスが横目でキュルケに目配せすると、彼女は水を得た魚のように、一瞬妖絶な笑みを浮かべた。むろん、アニエスが言わんとすることは、ルイズたちにも伝わって、ルイズはいやな顔をしたが、かといって代案があるわけでもなかったので、それに従った。いやむしろ、不満の原因は、なぜ実行役がキュルケで、自分ではないのかということであった。ただし、その理由を考えるのは屈辱的すぎるので、それよりも新兵たちの先回りをするために、先頭きって走り出すのを選んだ。

 

 さて、そんな企みに気づくこともなく、えっほ、えっほと新兵たちは着慣れない鎧に振り回されながら、彼らにとっては初陣になる戦場へと遅れまいと急いでいた。ところが人通りのないところで、連立している小屋の隙間の暗がりから、扇情的な声と共に、なまめかしい女性の生足がヘビのように這い出てきて、彼らは一様に足を止めて、それに見入ってしまった。

「ねえーん、そこのお兄さんたち、ちょっとよろしいかしら?」

「な、なんでありましょうか?」

 スカートを太ももまでめくり上げて、キュルケは上着の胸元を開けながら、上目使いに話しかけた。その大人の色気に対して、一応メイジであるみたいだが、純朴そうな顔をした少年兵が、トマトと見まごうばかりに顔面を腫れ上がらせて、無価値な敬礼をしながら答えたのは、むしろほほえましかったかもしれない。

「あたし、急にお友達たちが行っちゃって、さびしくてたまらないの、お願い、あなた方で慰めてえ」

「も、もうしわけありませんが、我々は軍務が……」

「五、六人くらい、抜けてもわからないわよ。それよりも、ね、この奥、み、た、く、な、い?」

「……!」

 その後のことは、彼らのささやかな名誉のためにも伏せておくべきであろう。ただし、その後暗がりの奥から何かをぶっつける音が複数した後で、その中から、入っていったのとは別の六人組が出てきたことで、経過は明らかであった。

「大成功」

 鎧兜を着込んだ才人が、Vサインをしながら言った。彼に続いて、同じように装備を整えたアニエス、キュルケ、ロングビルが現れてくる。古典的な手段だが、この手にひっかかる男は、恐らく人類の歴史上、これからも絶えることはないだろう。

「これで、とりあえず怪しまれはしないだろう。しかし、情けない男どもだ」

「あの子たち、少々お子さま過ぎましたから、この『微熱』の前に立つには、あと十年は必要ですわね」

 装備を剥ぎ取られた少年たちが聞いたら、女性不審に陥りそうなことをしゃべりつつ、キュルケは意外と様になっている鎧を鳴らしながら笑っていた。

 だが、一番サイズの小さい鎧をつけたにもかかわらず、サイズが大きくて寸詰まりのロボットのようになってしまったルイズが抗議した。

「ちょっと! なんでわたしまでこんな鉄くずを着なきゃならないのよ!」

「仕方ないだろ、メイジの衣装は一着しかないんだから」

 そう、一人分だけあったメイジの服はミシェルが着てしまったために、やむを得ずルイズは雑兵の鎧を着るはめになってしまったのである。

「ならちょっとあんた、その服わたしによこしなさいよ!」

「無茶言うな。兵士がメイジを背負えばかっこうもつくが、兵士が兵士を背負っていれば不自然すぎるだろう」

 ミシェルに言い返されると、ルイズは歯軋りしながら才人を睨んだ。もっとも、本当に兵士のかっこうが嫌だったのか、それともミシェルを才人の背中から下ろしたかったのかはさだかではない。

 というわけで、一種異様な雰囲気となってしまった一行は、周りからどう見られているとか考えずに、最前線の陣地へと潜入していった。

 

 

 しかし、才人たちが広すぎる陣地の中で、陰謀の尻尾を掴みえずに苦難しているころ、二つの陣営では、彼らの予想を上回る速度で事態は進行しつつあった。

 戦場を遠く離れたアルビオンの首都ロンディニウムでは、クロムウェルが時期が早まったことを、秘書であるシェフィールドとは別に囲っている一人の専属のメイドに命じていた。

「予定が早まった。サウスゴータにいるお前の九番目の姉妹に命じて、行動を開始させよ」

 うやうやしく会釈したメイドが、ほかのメイドとまったく違わないしぐさで退室していくと、次に彼は、先日王党派陣営からやってきて、今はトリステインの内情を知る協力者という立場で、壁際でふてぶてしく構えているワルド、だったものに命令した。

「さて、これで両軍は都合のいい形でぶつかり合うことになる。そして、これまで仕込みを続けていた”あれ”も動き出し、作戦も最終段階だ」

「ええ、長いお芝居ご苦労さまでした。ですが、おそらくはまた、奴が妨害しにくるでしょう」

 奴とはいったい誰をさすのか、二人にとってその名を出すのも忌まわしかったが、同時に現実から目をそむけるわけにもいかなかった。

「だから、保険をかける意味でも、我々はもうしばらく茶番劇を続けなければならん。下の階にいる、王様きどりの人間どもの相手はまかせた。精々明るい未来を聞かせて安心させてやれ、こちらは人形遣いのつもりでいる小娘の相手をしてやらねばならん。うまく乗せてやれば、漁夫の利を狙ってやってくる、きゃつらの国の軍隊も使えるかもしれんからな」

「布石のために、努力は怠らないというわけですか。そういう地道なところはあなたらしい」

「ふふ、お前こそ、今度は寝ているあいだに手袋を外されないようにな」

 クロムウェルは、口元を醜くゆがめてワルドに笑いかけると自分の役者としてのスイッチを切り替えた。これからどうせ手際の悪さをなじってくるシェフィールドの嗜虐心と優越感を満足させてやるために、小人の皮をかぶって、頭を下げながら別室で待っている彼女の元へと歩いていった。

 

 同時刻、王党派陣営でも、ウェールズが突然幕僚たちを招集して、決戦を一日早めると通告していた。

「わが参謀の情報によれば、敵軍は本日午後を持って、奇襲をかけようとしているようである。よって、我々はこれを利用し、逆撃をもって敵軍を撃破し、余勢を持ってロンディニウムを叛徒どもから奪還する!」

 並居る名将、名政治家を前にして、英雄ウェールズの勇壮で気高く、壮麗な演説が響き渡り、人間たちの理性を麻痺させていく。

 彼らの中にも、不自然な硬直状態をいぶかしむ者もいるが、勝利を前にしての慎重派は、常に少数派たるを強いられる。しかも、そんなわずかな者たちも、脳を侵食するようなウェールズの言葉と、部屋の中にたなびき始めた薄赤い空気に包まれるうちに、「ウェールズ皇太子万歳」「アルビオン万歳」「勝利を我が手に」と、狂乱の大合唱に巻き込まれていった。

 

 

 それと同時に、両陣営の上にたなびくいくつかの入道雲に混じって、雲の白さとはまったく異なる、巨大な黒い影が降下してきていた。とてつもなく巨大な二枚貝に、無数の触手を生やしたその異形は、見るものに戦慄を与えずにはいられない。

 それは、ノーバと同じくブラックスターの破片から蘇った、混乱と破壊を振りまく暗殺者、円盤生物ブラックテリナ。その体内から吐き出される無数の美しい輝きは、いったいこのアルビオンになにをもたらそうというのであろうか……

 

 

 続く


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