ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第62話  夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (後編) 二人の勇気とリュリュの夢

 第62話

 夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (後編) 二人の勇気とリュリュの夢

 

 復活怪獣 タブラ 登場!

 

 

 怪獣タブラに洞窟の出口をふさがれ、ギーシュ、モンモランシー、リュリュの三人は逃げ出すこともできずに、この暗い穴倉の中に閉じ込められ続けていた。

「腹減った……」

 もう何度目になるかわからないことをつぶやきながら、洞窟の壁に寄りかかりつつギーシュはうなだれていた。少し離れたところには、モンモランシーとリュリュが同じように伸びている。この洞窟に閉じ込められて早一日、その間水だけはなんとかなったものの、食料はあっという間に尽きてしまって、みるみるうちに体力を失っていったのだ。

「あのオヤジ……適当なこと言いやがって」

 それでもギーシュは残っていた思考力で、錦田景竜が言い残したことを思い出していた。

 

 

”お前たちが責任をとって、もう一度タブラを封印するのじゃ”

 景竜はさも当然と言ってのけてくれたが、それがどれだけ困難なのかは考えるまでもなかった。

”この刀を、もう一度奴の眉間に刺しなおせ、それだけでよい” 

 と、簡単そうに言ってくれるけれど、タブラは初代の身長でも五七メートル。このタブラもほぼ同等の大きさがあり、『フライ』で飛んでもおいそれと近づける高さではない。しかも、この洞窟から出たとたんにタブラは襲い掛かってくるそうであり、人間が大好物だというとんでもないやつである。事実目の前で人が二人食われており、できるなら近づきたくもない。ギーシュはとても無理だと言ったものの、生きて帰るためにはどうしてもタブラの前を通らなければならず、逃げたところで逃げ切れる相手ではないことはすでに証明済みだ。

”できんというならそれもよかろう。封印が解けるまで、あと三日ある。それまでに別の手を考えるがよい”

 断られると、景竜はあっさりとリュリュの体を解放して消えてしまった。

「あ、あのー……今、わたしの中にカゲタツ様が……」

 どうやら、憑依されている間にもリュリュの意識はあったらしい。恐らくは、また霊剣の中に戻ってしまったのだろうが、どうにも危機感のない人である。

 それから、三人はなんとかほかに方法がないものかと話し合った。ともかく、正面きって戦っても勝ち目はなし、普通のドラゴンでさえトライアングル以上のメイジが数人がかりでやっとなのに、その十倍はある巨大怪獣、しかも前に二人が戦ったスコーピスと同じくらい凶暴な奴である。かといって飛んで逃げても長い舌を伸ばされて捕まるだけである。ここは何か作戦を練るべきであったが、メイジとしては最低レベルの彼らでは、できることは限られていたし、これがタバサなら奇策の一つも浮かんだかもしれないが、あいにく彼らにはそこまでの経験が不足していた。

「ワルキューレを出して、奴が気をとられてる隙に逃げるってのは?」

 という策くらいしか、実戦経験に乏しいギーシュに思いつく妙案はなかった。むろんこれは先程逃げたときのことを覚えていたモンモランシーにあっさりボツを受けた。

「さっき逃げるときにワルキューレを囮にしようとしたけど、奴は見向きもしなかったじゃない。忘れたの」

「ああそうか、それじゃあ土魔法でぼくたちの姿を隠して逃げても見つかっちゃうか。けれど、奴はどうやって見分けてるんだろう。視覚じゃないよな」

 遠目で見たら、人間もワルキューレもさして変わらないはずだ。それなのにタブラはワルキューレを完全に無視していた。

「音じゃない? ワルキューレは人間と違ってガシャガシャいうし」

「匂いじゃないでしょうか? 野生の動物は匂いで獲物を見つけるものが多くいますし」

「ふーん、どっちもありえるな」

 怪獣といえども生き物である以上、何らかの感覚で獲物を捉えているはずである。もっとも、怪獣の中にはヒドラやフェミゴンのような霊体や、ジャンボキングやタイラントのように怨念が集合して実体化したもの、クレッセントやホーなどのマイナスエネルギー怪獣のように、生き物なのかそうでないのか曖昧な妖怪じみたものもおり、ひとくくりに「これだ」とまとめられないのが難しいところである。

 しかし、匂いにせよ音にせよ、人間が生きている以上それを消すのは不可能である。水系統の上級のものには『仮死』の魔法というのがあり、タバサあたりなら使えるそうだが、モンモランシーには無理である。

 けれど、そこでモンモランシーがふと思いついたように提案した。

「そうだ、こっちの気配を消せないなら、もっと強い気配でおびきよせればいいんじゃない? その隙に、あいつに近寄って、この剣を刺して封印しちゃうの。ね、名案じゃない? ギーシュ」

「それで、なんでぼくに聞くんだい?」

「そりゃあ、こんな仕事はあんたしか適任はいないじゃない。骨は拾ってあげるから頑張んなさい」

 死者に祈るような仕草で言われて、ギーシュは慌てて断った。

「じょ、冗談! あんな化け物にぼく一人で向かっていけって言うのかい」

「なによ、だらしないわね。それでもあんたWEKCの隊長?」

「そ、そう言われても……」

 仲間がいるときならまだしも、たった一人であんな人食いの巨大怪獣に挑めと言われたらさすがにギーシュも腰が引けた。と、そのとき自分にとっては聞きなれない単語にリュリュが首をかしげた。

「あの、うぇーくってなんですか?」

「ああ、水精霊騎士隊の略称でWEKC、こいつらがやってる騎士ごっこよ」

「失礼だなモンランシー! そりゃ今は確かに、名前だけの中途半端な隊だけど、これにはいつか公式にこの栄光ある名前を冠することができるようにとの、我らの強い決意が込められているんだ!」

「だったら、根性見せてみなさいよ」

「う……」

 そう言われても、飛び出ていった瞬間にカメレオンの前のハエのような運命が待っているのは考えるまでもない。前にパンドラたちやスコーピスと戦ったときにも、結局歯が立たずにエースに助けられているのだし。彼としても女の子二人の前でかっこつけたいのはやまやまだが、戦場で華々しく散るならまだしも、怪獣の口で噛み砕かれての末路など考えたくもなかった。

「やれやれ。ま、ギーシュのヘタレはいいとして、あの怪獣をなんとかしないと、どのみち外に出られないしね」

「そういうこと、本人の目の前で言うかね……」

 ギーシュは抗議したが、モンモランシーのほうもこんなのと付き合っていたら、嫌でも毒舌も進化しようというものだ。さて、彼をいびるのはともかくこの状況はなんとかしなければいけない。

「ともかく、正面から挑んでも無駄だしね。何か囮が必要よね、たとえば、すっごくおいしそうな肉の匂いとかで引き付けるとか」

「おいおいモンモランシー、そんなものどこにあるんだい? この洞窟にはぼくら以外にはコウモリ一匹いやしないんだぜ。外に狩りに行こうものならあっというまにあいつに見つかってペロリさ」

 手持ちの食材で怪獣を引き付けられそうなものはとうにない、あったらこちらが食べたいくらいなのだ。ところが彼女はリュックの底をあさると、昼食のときに食べて吐き出した肉の代用食の塊を取り出した。

「なんだ、その肉のできそこないじゃハエの餌にだってならないぜ。いや、逆にこんなものに引っかかってもらったら、ぼくが傷つくぞ」

「うっさいわよ、話は最後まで聞きなさい。確かにこのままじゃ無理だけど、リュリュさん、あなたならこれにさらに味付けできるんじゃない?」

「え!?」

「そうか! 『錬金』は応用すればものの味も変えられるというからな。料理人志望の彼女なら、こんなものでもうまくできるかもしれない」

 それができるなら、問題は一気に解決すると、二人の視線がリュリュに集まった。そもそもリュリュがここへ来た目的も虹燕の肉の味を再現するためだ。この代用肉に虹燕の肉の味を再現できれば囮として申し分ない。しかし、リュリュは申し訳なさそうな顔をすると、自分のリュックからまったく同じ代用肉を取り出して見せた。

「それは……」

「ご覧のとおりの、肉の出来損ない……失敗作です」

「もしかして、あなたが作ったの?」

 リュリュの言葉の調子で気づいたモンモランシーが尋ねると、リュリュは恥ずかしそうにうなづいた。

「……はい、わたしが考えたんです。庶民の方々に、おいしいものが行き渡るにはどうすればいいのかって一生懸命考えて、この代用肉を作りました。美食が一部の人間の特権なのは、その量が足りないからです。パンやニシンのように、誰でも手に入るものになれば、ぐっとおいしいものも身近になるでしょう?」

 二人が黙ってうなづくと、リュリュは話を続けた。

「お察しのとおり、これは『錬金』で豆から作った代用肉です。街の商人たちと取引して、お店に置かせてもらっています。それほど売り行きは悪くないんです。けれど……」

「正直に言うと、まずいわね」

 モンモランシーに厳しく評価されて、リュリュは苦しく言葉を詰まらせた。

「わたしも、別に美食家というほどではないけど。これなら安物の豚肉のほうがまだましね。まあ、肉のような味はしなくもないけど……なんていうか、塩やコショウで無理矢理味をごまかしているというか、偽物くささが抜けてないのよね」

 貧乏貴族の出で、貴族としてはスレスレの生活を送ったこともあるモンモランシーは、筋張った安物肉の味にみじめさを感じたことはあっても、それでもこの代用肉よりはましだった。 

「まだ、修行が足りないからです。最初は、本当に泥のような味しかしませんでしたが、なんとか口にだけはできるようになりました。でも、まだ何か……何かが足りないんです」

「でも、もしかしてってこともあるじゃないか、せっかくそのために、幻の虹燕を捕らえたんだろう。味の再現、やってみてくれないか?」

「はい……」

 リュリュは自信なさげだったが、保存しておいた虹燕を取り出し、携帯している調理器具ですばやく解体していった。皮をはぐところではモンモランシーはさすがに目をそむけたけれど、リュリュの手並みのよさはさすがに魔法の料理人を目指しているだけのことはあった。やがて、食用になる肉の部分だけを取り出すと、『発火』の呪文で焼き鳥にしていった。たちまち、なんともいえないよい香りが洞窟の中に漂い、こんな状況だというのにほおがほころび、口内に唾液が満ちてくる。

「じゃあ、いただきます」

 まずは当然、リュリュが一口かじった。するとこわばっていた彼女の顔がほぐれて、涙まで浮かべた。

「お、おいしい」

「ほ、本当かい?」

「ええ、どうぞお二人も召し上がってください」

「え? いいのかい」

「はい、これで味は覚えましたので、もしうまくできましたら、お二人にも食べ比べていただかなければなりませんから」

 そう言われれば嫌も応もない。二人は、もともと少ない燕の肉を、それぞれ一口ぶんだけに分けて食べた。

「う、うまい!」

「ほんと、最高」

 単純な調理だからこそ、素材の味が引き立つ。口の中に広がる肉汁の芳醇さ、歯ごたえ、のどいっぱいに伝わる香りはそんじょそこらの肉とは比べ物にならない。さすがに世界七大美味に数えられることはある。

「これなら、うまくいくんじゃないか!」

「そ、そうですね。じゃあ、やってみます!」

 自信を得たリュリュは、杖を代用肉にかざして、たった今食べた虹燕の肉の味をイメージして『錬金』を唱えた。だがしかし、魔法が終わったあとも代用肉に特に変化は見られず、匂いにも変わりはなかった。

「やっぱりだめですね。いったい、何が足りないんだろう」

 がっくりと肩を落とすリュリュを見ていると、二人も責めるよりも先に可哀そうに見えてくる。

「ほらギーシュ、同じ土系統のメイジとして、何かアドバイスはないの?」

「う、そうだなあ……」

 ギーシュは腕を組むと、あまりまじめに聞いていなかった学院の講義をなんとか思い出そうとした。

 まず、『錬金』について復習してみる。土の基本スペルである『錬金』は、基礎であるが同時に土の魔法の根幹ともいえる重要な魔法である。巨大ゴーレムを作るのも、『錬金』の延長上であり、極論すれば土の魔法とは『錬金』の魔法といってもいい。

 その特徴としては、作りたいものに近ければ近い物質であるほど難易度は下がる。たとえば鋼鉄を『錬金』するには鉄が一番やりやすく、リュリュが代用肉の材料として肉と同じたんぱく質である豆を使ったのは懸命な選択であるといえる。なお、身近な例としてはギーシュのワルキューレは等身大であるから土からでも青銅を作り出せ、その反対に巨大ゴーレムを生み出すとなれば、トライアングルであったフーケでさえ終始土くれのゴーレムを使い続けていたことから、別の物質に変えるのがどれだけ難しいかがわかる。

 だが、重要なことはもうひとつ、『錬金』したいものをよく知るということである。術者のランクやセンスも当然左右するが、仮に絵を描くことに例えるならば、東京タワーや戦艦大和などは日本人なら誰でも知っているが、素人とマニアに書き分けさせれば、大まかな部分はともかく鉄骨の数や対空銃座の数で本物と大きく差が出るというわけだ。ちなみに、ギーシュが脳内でたとえ話に使ったのは、女性の体をどれだけよく観察しているかで裸婦像を作ったときの出来が違うかというものであったが、たとえ話としては不適切すぎたのでさしもの彼も口にはしなかった。

「要は、強いイメージ力が大切ということだろうなあ。ぼくも、美しい女性ほどブロンズ像を作るときに精密にできるし、いだっ!」

 やはりいらないことを言ってしまったためにモンモランシーにどつかれて、ギーシュはとりあえず話を続けた。

「ま、まあ……魔法全般に言えることだけど、なにより肝心なのは真剣さだろうねえ。感情の多寡といってもいいけど、本気で怒ったり悲しんだりしたときは、ドットがトライアングルクラスを使ったこともあるそうだし、なによりキレたときのルイズの爆発の威力は並外れてるしなあ……」

 最後の例えはリュリュにはわからなかったものの、モンモランシーはうんうんとうなづいた。ルイズと才人の痴話げんかで女子寮は何回倒壊するかと思ったことか。けれども、リュリュはそれでなお悲しそうな顔になった。

「わたしは、真剣さが足りないんでしょうか……」

 二人は、そうだとは言えなかった。たった一人で食材を求めてこんな奥地に乗り込んでくるなど、並の情熱でなしえることではない。けれど、『錬金』とは基礎であるだけに、とても奥が深い魔法なのである。

「いや、『錬金』しようとするものが料理だから、難易度が桁違いなんだろう。スクウェアクラスの『錬金』で作った鋼鉄でも、どこかに不純物が混じる。金属はそれでも十分実用に耐えるから問題にはならないが、料理ってやつは、塩コショウひと匙違いで大きく味が変わってくるからねえ」

 実際、地球で工業製品で作られる鉄も、精錬の過程で内部に硫黄やリン、水素などの不純物がどうしても残り、百パーセント純鉄の製品というものはない。また、これに硬度や耐食性を増させるために炭素やクロムを添加し、熱処理などを加えて使用できる鉄製品にするまでには大変な手間と、時間が必要とされる。むろん、そのためには巨大な設備と莫大な費用がかかる。鉄でこれなのだから、完全に人間のさじ加減だけで、多数の味が混在し、なおかつ舌触りや歯ごたえ、匂いまでも満足させえるレベルで食品を作り出そうというのが、魔法でもどれほど困難なのかは容易に想像しえることであった。

「やっぱり……魔法では、腕のいいコックの作った料理には及ばないんでしょうか」

「まあ、『錬金』でなんでも作り出せるなら、高い金を出して薬を買う人なんていないでしょうからねえ」

 モンモランシーも同意する。スクウェアクラスのメイジでも、黄金を『錬金』するには一月ぶんの精神力を使ってほんのわずかというふうに、希少物質ほど難易度は上がっていく。言っては悪いが、リュリュの挑戦は、夜空の星を掴み取ろうとするのにも似た、無茶で無謀な試みに見えた。

 それでも、女性に優しくということを小さいころから教え込まれてきたギーシュは、なんとかいいアドバイスはないかと無い頭をひねって、あることを思いついた。

「君の情熱は本物だろう。けれど、魔法は精神力の強さ、言い換えればそれを成功させたいという欲望の強さといってもいい。古代には、少数の兵で大軍と戦うに際して、自軍を逃げ場のない川岸に布陣して、兵士を死ぬ気にさせて勝利を得たり、的を射るにあたって一本を残して残りの矢を全部折ったという故事もある。多分、君の心のどこかに、失敗してももう一度やればいいという逃げの気持ちがあったんじゃないかな」

 そう言われてリュリュははっとした。

「そうですね。そういえばわたしは、これまで本当に食べ物がないってことを経験したことがないんです。食べ物がなくって不自由したことも、実家から仕送りが届くまでの一晩くらいで……そんなわたしが、”肉が食べられない人のためにお肉を作る”なんて、おこがましいのかもしれません」

「……」

 かける言葉を、今度こそ二人は失った。ここで「頑張れ」と言うのはたやすくても、彼女のこれまでの努力を考えれば、自分たちごときの言葉に重みを持たせられるとは思えない。

「どうしたものかしらね……」

 モンモランシーは息を吐き出すと、うなだれているリュリュを見下ろしてつぶやいた。考えられるだけのことは考えたが、結局名案は浮かばなかった。洞窟の外では、今もタブラが封印の解ける瞬間と、獲物が来るときを待って、荒い息を吐いている。

 

 

 しかし、たとえ地上の人間たちが何をしていようと、時間は遠慮などせずに刻一刻と流れていき、それと反比例して三人の体力と精神力は削られていった。

「暑い、おなか減った……」

 ギーシュに比べても、モンモランシーとリュリュの消耗は激しかった。脱水症状の心配がないのが唯一の救いといえたが、やはり何も食べられないというのは若い彼女たちにはきつかった。

「はは、こりゃ、休み明けにはかなりダイエットできてるわね」

 冗談を言ってみても、特に事態が改善するわけでもないけれど、なにかしゃべってないと本当に気がおかしくなりそうだった。

「ギーシュ、怪獣の様子は?」

「まだ頑張ってるよ。これじゃとても動けそうにないなあ」

 一度我慢できなくなって外に出ようとしたとき、一歩洞窟から足を踏み出したとたんにタブラがうっすらと目を開けかけたから、慌てて中に引き返してきた。これでは出口にクモの巣を張られたようなもので、別の出口がない限り、どうしたってクモの巣にかかるしかなくなる。夜の闇にまぎれて出てみようとしたのもだめだった。残念だが、景竜の言ったとおりに、洞窟から出たら奴は空腹のままに三人を捕食してしまうだろう。

 いったいどうすればいいのか? 少しでも体力の消耗を避けるために寝て動かないのを続けているにも限度がある。だが、やはりいい考えは浮かばない。

 

 二日目、水っ腹でごまかすのも限界に近づいてきていた。

「食い物が、こんなにありがたいものとは思わなかったな」

 目を閉じると、学院の食堂での光景が浮かんでくる。いつもは、毎日豪華なディナーが当たり前のように出てきて、食べられて当然だと思っていたが、こうして絶食するとそのありがたみがしみじみとわかる。思えば、いつもは食べきれないからとけっこうな量を残していた……あれだけでもいいから今は食べたい。

 モンモランシーとリュリュは、もう冗談を言う元気もなくなったのか、洞窟の奥でうなだれている。この状況で、錯乱して二人を襲わなかったのは、まがりなりにもギーシュのフェミニズムが本物であったということであろうけど、それ以上に、肉体が食欲以外の感覚を麻痺させていたというのもあるだろう。

 飢えの苦しさは、実際に味わってみないとわからないものだ。ちょっとくらい食事を抜いた程度でどうにかなりはするまいと、たかをくくっていた彼らは、その判断を大いに後悔していた。あるいは、この日が怪獣の前を強行突破する最後のチャンスだったのかもしれないが、彼らは空腹といらだちによって決断できなかった。

 

 そしてとうとう、運命の三日目の朝がやってきた。

「モンモランシー……水を、頼む」

 げっそりと衰えたギーシュたち三人が、幽霊のような姿になってそこにいた。この気候の中、かろうじてまだ正気は保っているものの、体力は衰えきっていた。だが、むしろ正気を失っていたほうが幸せだったかもしれない。なぜなら、タブラの封印が解ける時間がやってきたのだから。それまで、座り込んで眠ったようにおとなしくしていたタブラがうっすらと目を開け、まるで睡眠薬での眠りに抵抗するように身震いをはじめたのである。

「もうすぐってことか……」

 三人は、洞窟の入り口でそれぞれ杖を握り締めたままで、運命のときが来たのをかみ締めていた。もうすぐ、タブラは飢えの欲求に頼らずとも復活を果たして襲ってくる。そうなったときはもはや洞窟ごとつぶされて餌食にされてしまうのがオチだ。決断するべきときが、やってきた。

「しょうがないな……もしかして奇跡でも起きるかもと期待したけど、モンモランシー、ぼくが先に出てあいつの気を引き付けるから、そのあいだに彼女を連れて逃げてくれ」

「ギーシュ、あなた急に何言い出すの!? 死ぬ気?」

「いやあ、ぼくだってこんなところで死ぬなんてまっぴらごめんさ。けれど、この三日間ずっと考えてたけど、女性を守れずに死んだとあっては家名を汚すどころか、仲間たちの名誉もないし、あの世で死んだ祖父に叩きのめされてしまう。こういうときには男は女を守るものだろう」

「あなた! あなたを犠牲にして助かって、わたしがうれしいと思ってるの?」

 モンモランシーが叫ぶと、すぐにリュリュも同意した。

「そうです。軽々しく死んだりしちゃだめです。死んだら、もう何もできません。それに、大好きな人とも会えなくなっちゃうんですよ!」

「ありがとう、心配してくれてぼくは幸せだなあ。けど、ぼくもむざむざ死ぬ気はないさ。封印の剣を持っていくから、食われそうになったら斬りつけてやる。うまくいけば再封印することもできるだろう。それに、ぼくの性分でね、こんなときにはどうしてもかっこつけずにはいられないのさ」

「あんた……バカよ」

「けっこうけっこう、君の口から言ってもらえれば、悪い気持ちはしないな。けどもう何も言わないでくれ、散々迷って情けないけど、一応小なりとはいえ騎士隊の隊長だからね。決めれるところでは決めておかないと、サイトあたりに隊長の座をとられそうだからね」

「そりゃそうね。って! 冗談言ってる場合!?」

「ふふ、下手に決めようとしても失敗するのは経験済みだからね。おっと、ほんとに時間がないようだ。じゃ、この剣は預かっていくよ……うーん、剣なんて平民の使う武器だと思ってたけど、こうして見るとけっこう恐ろしいものだな」

 ギーシュは景竜の刀をしげしげと眺めて思った。ハルケギニアで一般的な洋剣と違って、日本刀の研ぎ澄まされた鋭さは、触れれば切れるという本能的な恐怖心を呼び起こすものがあった。

「じゃあ、ぼくが飛び出て、奴がぼくを追いかけ始めたら逆方向に逃げてくれ。決して、振り向いてはいけないよ。ぼくがどうなろうと、安全なところまで逃げるまでは振り向いてはいけない。いいね」

「ギーシュ、そういうかっこいい台詞は足の震えを止めてから言いなさい」

 足元を指差されてギーシュは思わず苦笑いした。最終的に命よりかっこつけるほうを選んだとはいえ、やはりギーシュはギーシュで変わらないようだ。けれど、たとえ虚勢であろうと男が一度決断したら後には引けない。ついにタブラがゆっくりと起き上がってきたとき、ギーシュは飛び出した!

「うおぉぉぉっ!」

 タブラの眼前を、このときばかりは空腹も恐怖も忘れて彼は走り抜けた。すると、タブラはその濁ったルビーのような赤い目を見開き、恐ろしげな咆哮をあげて襲い掛かってくる。かつて地球で同族が三千年の昔に、大勢の人間を追い詰めて食ったときの光景が再現されつつあった。

「さぁ、こい!」

 このときギーシュは三日間食事を抜いたとは思えない体力と頭の冴えを発揮していた。肉体的な疲労は精神の高揚によってある程度払拭されうる。端的に言えば火事場の馬鹿力というやつだろう。しかしそれでも、タブラの舌は蛇のように伸びてくる。そのとき彼は景竜の刀を刃を外にして直立させて構えた。すると、タブラの舌はギーシュに巻きつこうとしたが、刀を巻き込んで締め付けることになってしまったために、内側を切られてはじけるように引き戻した。

「やった! どんなもんだい」

 思ったとおりうまくいった。いかな大蛇でも鉄のとげを生やしたサボテンを締め付けることはできない。かなり危険な賭けではあったが、あの舌さえなんとかできれば魔法を駆使すれば逃げまくるのはなんとかできる。あとはどれだけ時間を稼げるか。

 だが、そうギーシュが思ったとき、舌を傷つけられて怒ったタブラはその両眼からいなづまのような破壊光線を放ってきたのだ!

「だああっ! そんなのありか!!」

 破壊光線の爆発で吹き飛ばされかけながらも、彼はなんとか右へ左へと回避を続けた。この光線はタブラの最強の武器で、直撃すればウルトラマン80でさえダウンに追い込まれたほど強力な威力を誇る。当然人間なんかが食らえば骨も残らないが、それでいいと思うくらいにタブラは怒っていた。

 それを見て、ギーシュを見捨てられずに洞窟の影から見守っていたリュリュは思わず叫んだ。

「ギーシュさま! ああ、いったいどうしましょうモンモランシーさん!」

「あいつ、柄にもない無茶をするから! わたしが行くから、あなたはすぐに逃げて」

「なっ、なにを言うんです。そんなことできるわけないじゃないですか!」

「いいから聞いて、こうなったのも結局はわたしたちの責任だし、あなたには本来関係なかったことよ。少なくともあなただけは逃がす責任がわたしたちにはあるわ。それに、誰かがあの怪獣のことを外の人に知らせないといけないわ」

 そう有無を言わせない口調で告げると、モンモランシーは一目散に駆け出した。普段高慢でも、彼女もまたトリステインの貴族である、いざというときには男同様に肝が据わっている。

 けれども、これといった攻撃魔法をほとんど使えない彼女の力では、せいぜい水玉をぶつけて気を引く程度しかできない。

「モンモランシー! 来るなって言っただろ」

「早々に死にそうになってるくせに偉そうなこと言ってるんじゃないわよ! って、わーっ!」

 言ったとたんにお返しとばかりに、タブラの長くて太い尻尾が巨人の鞭のように襲い掛かってきて、慌てて飛び上がった先で森の木が一度に十本以上へし折られていく。

「い、いまよギーシュ! 奴を封印して!」

「で、できるかぁ!」

 助けに入ったはいいものの、タブラは尻尾を振り回してモンモランシーを襲い、破壊光線の乱射でギーシュを追い詰めていく。この巨大怪獣に対抗するには、二人の力ではいくらなんでも不足だった。

「畜生! ぼくはこんなところで終わるのかよ」

 せめてキュルケくらいの力があれば、勝てなくても時間だけは稼げるのにと、ギーシュは己の非力さに怒りを覚えた。このまま、体力も精神力も尽きて、人知れぬまま怪獣の餌食となって死ぬのか。せめてもう一回モンモランシーとデートしてから、いいやせめて結婚してから、いいや子供が生まれてから、いやいや孫ができてから死にたかった。

 だが、ギーシュがそんな贅沢な妄想を走馬灯のように脳裏に駆け巡らせたとき、突然タブラの目の前の地面が青白い光を発しだしたのだ。

「な?」

「え?」

 二人と、タブラもその不自然な輝きに一瞬目を取られたが、すぐに青白い光は掻き消え、代わってあたり一面に、えもいわれぬうまそうな香りが漂いだした。

「この匂いは……虹燕の肉?」

 この香りを嗅いだとたん、二人の口内にあの虹燕の味がフラッシュバックしてきた。その大層な美味の記憶が呼び起こされ、危機的状態だというのに、口の中に唾液が満ちてくる。

 タブラも、その強い肉の香りに気づいたのだろう。二人を追いかけるのをやめて、より食欲をそそる香りを放つ地面に目を向け、前屈姿勢をとると舌を地面に突き刺して、それを掘り起こした。

「肉?」

 なんとそれは、ほどよく焼けた匂いを放つ大きな肉の塊であった。タブラはそれを口の中に運び込むと、すっかり味を占めたのか、さらに舌を伸ばして肉を掘り返し始めた。むろん、ギーシュとモンモランシーは完全に忘れ去られている。

「これは……リュリュくん!」

 見ると、洞窟の影から飛び出てきていたリュリュが荒い息をつきながら杖をかざしている。それで二人は理解した。この肉は、リュリュが魔法で地面を変化させて作り出したものだということに。

「今ですギーシュさま、封印を!」

「あっ、そ、そうか!」

 今タブラは前かがみで、ちょうどギーシュに頭を向けている。直線距離でおよそ二十メイル、チャンスは今しかない。ギーシュは覚悟を決めると、右手に刀を、左手に杖を構えて、残った精神力を全て『フライ』に変えて飛んだ!

 

「いっけぇぇーっ!」

 

 これでしくじったらもはや後はない。全力をかけて可能な限りの速度で彼は飛んだ。

 しかし、タブラまであと五メイル程度というところでタブラの目がギーシュのほうを睨んだ。

「だめかっ!」

 あと一歩だというのに気づかれてしまった。これでは、一瞬の後に破壊光線を浴びてギーシュの体は粉々に打ち砕かれてしまうだろう。そうなれば、残った二人の運命も……せめてあと一秒あればと彼が思ったとき、タブラの目が見開かれて光線が放たれようとした。その瞬間だった!

”ようやった小僧ども、上出来じゃ”

 突如、彼らの頭の中に景竜の声が響き、タブラの動きが止まった。

”奴の気が逸れたおかげで、今の拙者でも動きをわずかじゃが止められる。さあ、ゆけ!”

「おおおっ!!」

 言われるまでもなく、雄たけびをあげてギーシュは突進し、景竜の小太刀が突き刺さっている場所のすぐそばをめがけて渾身の力で刀を突き立てた。

「やったか!?」

 手ごたえを感じて刀を放し、刀が突き刺さっていることを確認するとギーシュはすぐさまタブラから飛びのいて離れた。これでだめなら、もう他に打つ手は一つもない。

 タブラは、再び封印の刀を打ち込まれて、しばらくは呆然としたように棒立ちになっていた。だが、刀から霊力のほとばしりを思わせる白光がひらめくと、身震いしてもだえだし、前のめりに倒れると苦しみから逃れたがっているかのように前足で地面を掻き分けて地底に潜り始めた。

「まずい! 二人とも逃げろ!」

 この山岳地帯の地質は硬い金属質岩石でできている。そこを無理矢理掻き分けて潜り、岩盤を破壊し始めたものだから、周りの地面もあおりを食って地割れを生じ始めたのだ。モンモランシーとリュリュは地割れに飲み込まれかけたものの、かろうじて『フライ』で飛んで逃れることに成功した。

 しかし、周辺はどんどん陥没を始めて、ついには周囲一帯がクレーターのようになってしまった。

 

 

「や……やったのか……」

 壊滅した一帯を離れた場所に降り立って見つめながら、三人は呆然と立ち尽くしていた。

 すでにタブラの姿はどこにもない。地下深くに逃げ去り、死んだのか生きているのか、確かめる術はない。

「ともかく、助かったのよ。やったわねギーシュ、かっこよかったわよ」

「いやあ、君たちが助けてくれたからだよ。ありがとう……それにリュリュくん、なによりも君の魔法、見事に成功したじゃないか!」

 ギーシュは自分のことよりも、とにかくリュリュの魔法の成功を喜んでみせ、彼女ははっとしたように自分の手の中の杖を見つめた。

「そういえば……わたし、できた、できたんですね! でも、これまでずっと失敗してたのに、なんで?」

「多分、三日間食事をしないで、餓えきって食べ物がほしいと心から思ったからでしょうね。魔法の力は心の力、あなたに”食べ物に対する切実な思い”が芽生えたから、杖はあなたにこたえてくれたのよ」

「そうか……確かに、あんなにお肉が食べたいと思ったことは生まれて初めてでした。ありがとうございます! あなた方のおかげです」

 リュリュはやせこけた顔でにっこりと笑うと、二人に向かって深々と頭を下げた。

「そんな、むしろぼくたちはこんなことに巻き込んで、おわびをしなけりゃならないくらいさ」

「いいえ、これでわたしの夢は一歩前進できました。それにしても、ギーシュさまはすごく勇敢でいらっしゃるのですね」

 羨望のまなざしを向けられて、ギーシュは思わずいつものようにかっこうをつけようとしたが、それより早くモンモランシーのツッコミが入った。

「あー、リュリュちゃん、間違ってもこんなのにあこがれちゃだめよ。なにせこいつったら、いつもは女の子と見れば見境なく口説きにかかる最低な奴なんだから」

「それでも、わたしたちを救ってくれたのは間違いなくギーシュさまです! このご恩は一生忘れません」

「ほんとに……いつものこいつを知らないから」

 そう言いつつも、そんなのと付き合い続けているのだからモンモランシーも人のことは言えない。それに、リュリュ自身も気づいていないかもしれないが、彼女の魔法が成功した理由の一つは、ギーシュを助けたいと切に思う気持ちがあったからである。人間の本能で自己保存についで強いものとは何か、それが働いたからでもあろう。

 そのギーシュはといえば、モンモランシーに最低よばわりされて少々へこんでいた。一応はかっこいいところを見せたのだから、もう少し胸を張っていればいいものだけれど、仮にも惚れている女性に侮蔑されて愉快でいるほど彼は異常性癖ではない。

「あー……もうそのへんにしておいてくれ。やれやれ、ともかくよかったねリュリュくん、これからどうするね?」

「はい、成功したとはいえ、これをいつでもできるようにしなければ意味がありませんので、もうしばらく修行に専念することにします。美食は虹燕だけではありませんし、魔法の腕ももっと磨かなければなりません。どこかに魔法の訓練ができて、腕の立つコックさんがいるところがあればいいんですが」

「そうだね。ん、まてよ? 魔法の練習ができて腕のいいコックのいるところ、ぴったりの場所があるじゃないか!」

 指を鳴らして喜びの声をあげるギーシュを見て、モンモランシーは彼と同じ結論にいたって息を呑んだ。

「あんた、もしかして」

「そう、トリステイン魔法学院、魔法の訓練には最適の場所だし、なにより料理長のマルトー氏はトリステイン有数の腕利きコックだ。国中探しても、彼以上の腕利きはそういるまいよ」

 モンモランシーは驚いたが、確かにギーシュの言うとおりだった。マルトーは並の貴族などは及ばないほどの高給で学院に雇われた身であり、それでなくては数百の貴族の子弟の舌を毎日満足させることはできない。けれど、他国の学校に行こうということは彼女にとってはどうかと思われたし、何よりそんなギーシュの下心丸出しの意見などと思ったが、意外にもリュリュは二つ返事でこれを受け入れた。

「喜んで! 実はそろそろ一人で修行するのにも行き詰まりを感じていたので、いっそ基礎からやり直すのもいいかもしれません」

「ちょ、ちょっと! こいつの言うこと真に受けちゃだめよ! それならギーシュ、彼女はわたしたちより年長なのに、どうやって今から転入させるのよ」

「大丈夫大丈夫、学院長に話を通せばすぐにわかってもらえるさ」

 一瞬でモンモランシーは反論の余地を失ってしまった。あのセクハラ魔でその名を知らぬ者のいないオスマン学院長が、リュリュほどの美少女の転入を断るとは、九九.九九九九パーセント考えられない。ちなみに、残りの零コンマ一万分の一パーセントはというと、ヤメタランス病にでもかかってスケベを「やーめた」としたぐらいだが、あの人からスケベを抜いたら幾人が彼をオスマンと認めるだろうか? 奇妙な話だが、ギーシュにとっての女好き、ルイズのかんしゃくもちなど、一見欠点としか見えないところもまた、その人間を形作るうえで重要なアドバンテージを持っている。逆説的な話だけれど、長所より欠点のほうがその人間の魅力を引き立たせることが多々あるのだ。たとえば、知勇兼備で関羽や孔明を必要としない劉備玄徳や、穏やかな性格の織田信長、美男子な豊臣秀吉などが、いくら優れていようと歴史上以上に英雄として人の心を掴み得ただろうか? 天は二物を与えずと言うが、欠点こそが天が人間に与えた二つ目の長所なのである。

 ともあれ、新学期になったら新しい仲間が学院に加わることになるだろう。

「あらためて、よろしくね。リュリュくん」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「やれやれ……仕方ないけど、学院に来てこいつに幻滅しないようにね。ま、これからもよろしくね」

 お宝を探しに来て、新しく友達を得てしまった。けれど、使えば消えてしまう金銀財宝よりも、一生もので残る人間の絆のほうが、将来得るものは大きいだろう。だが、そうやって三人がうれしそうに笑っていると、突然三人の頭の中にまた景竜の言葉が響いた。

 

”そちら、大儀であった。よくぞ封印を成功させてくれたな”

「カゲタツのおっさん! あんたいままでどこで」

”おっさんよばわりは心外じゃのう……しかしともかく、タブラは再び地の底で長い眠りについた。もはや何者も手出しのできない地の底にな。これで、当分は奴が蘇る心配はないじゃろう。ごくろうじゃった、これでわしもまた安心して眠れるわい”

「そりゃどうも、よかったですこと」

 ギーシュとモンモランシーは苦笑いを殺しきれなかった。この無責任な幽霊のおかげで、どれだけ苦労するはめになったことか。

”うむ、では拙者はそろそろ去ることにしよう。さらばだ、若者たちよ”

「あー、さよーなら」

 名残惜しさの分子すら感じさせない口調で、投げやりにギーシュは景竜に別れを告げた。すると、さすがにちょっとカチンときたのか、景竜は去り際にとんでもない捨て台詞を残していった。

”おお、そうじゃ、言い忘れておったが、この世界にはタブラのほかにも拙者が封印した魔物がいくつも眠っておる。命が惜しくば足元にはゆめゆめ注意することじゃな。はっはっはははは……”

「なっ、なにぃー!」

 笑い声を残して、景竜の霊は消えていった。もはや、呼べど叫べど虚空は答えない。まったく、最後の最後まで面倒な置き土産を残していってくれる人だった。

 けれど、これで大変であった冒険もようやく幕が下りようというものだ。

「はぁー、なんかどっと疲れたな。それに、腹減った……」

「ふふ、じゃあ村に戻ったらわたしが腕によりをかけてごちそうしてあげますよ」

「ほんとか! じゃあ帰ろう、すぐ帰ろう! リュリュくんの料理、いやあ楽しみだなあ」

「まったく、ちょっとは遠慮ってものを覚えなさいよね。でも……ま、いっか」

 

 平和と平穏を取り戻した魔の山を、三人は仲良く語らいながら下りていった。

 彼らにとっての夏休みは、まだまだ半分も終わっていなかった。

 

 

 続く


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