ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第60話  夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (前編) 魔の山の秘密

 第60話

 夏の怪奇特集 ギーシュとモンモンの大冒険! (前編) 魔の山の秘密

 

 怪奇植物 スフラン 登場!

 

 

 夏の短い夜が過ぎて、森のかなたに日が昇る。夏休み本番二日目、ウェストウッド村の夜が明けた。ニワトリの声がしたわけではないが、もっとやかましい声が朝の静寂を叩き壊したのだった。

「きゅいーっ! もう我慢できないのねーっ!! きゃーっ!」

 すさまじい羽音と、地面に重いものが降り立つ地響きがする。住人たちは早朝の惰眠を破られて、慌てて家の外に飛び出すと、そこでドラゴンが暴れているのを見てパニックに陥った。

「きゃぁぁぁっ!!」

「竜だ、ドラゴンだぁ!」

「助けてぇ、おねえちゃーん!」

 子供たちは泣き喚きながらティファニアの元へと逃げていく。なにせ、ハルケギニアの人間にとって竜とは天災に近い、手の打ちようのない強力で凶暴な幻獣である。地球で猪や熊が暴れるのとは訳が違う、脅威の規模こそ小さいが怪獣と意味合いは同じなのだ。

「みんな、森の奥へ逃げるのよ。さあ、姉さんたちも急いで!」

「あー、うん、そうね……」

 ティファニアは、子供たちの保護者として、皆を少しでも早く逃がそうと急いだ。だが、なぜかロングビルたち昨日来た客人たちはひきつった笑顔を見せるばかりで動こうとはせず、その視線を一番小柄な青い髪の少女に一斉に向けて。

「ターバーサー」

「……ごめん、うっかりしてた」

 タバサは、思いっきり非難げな一同の顔を一瞥だにせず、軽くため息をついた。そしてすたすたと竜に歩み寄って、その手に持っている節くれだった大きな杖で、竜の頭を乾いた音が村中に響き渡るくらいまで強くぶっ叩いた。

「きゅいーっ!?」

「暴れすぎ……それから、しゃべるの厳禁」

 後半を目の前の相手だけに聞こえるように言いながら、タバサは空腹のあまり大暴れしていたシルフィードをなだめた後、後ろを振り向いて何か残り物でいいから持ってきてくれるように頼んだ。この、自分の背丈の半分ほどしかない少女が竜を黙らせた光景を見て、ティファニアは目を丸くするしかない。

「えっ、えっ……あの、どういうことなんですか?」

「あのドラゴン、シルフィードはタバサの使い魔なのよ。そういえば昨日から何も食べさせてなかったわね」

「ええっー! そ、そうだったの」

 ティファニアは飛び上がるほど驚いて、大急ぎで保存食の干し肉をとりに走っていった。子供たちはといえば、相手が無害だとわかると現金なもので、好奇心に任せてシルフィードの足元や翼や尻尾に群がっていった。

「すげー、本物のドラゴンだ」

「きれいな青い肌、けどざらざらしてる」

「羽、すべすべー」

「きゅ、きゅぃいっ?」

 シルフィードは急にわいわいと子供たちに群がられて困惑している。この調子なら、休みの間中子供たちのいいおもちゃにされるだろう。

 それにしても、本当ならあと三十分は寝てるつもりだったのに、すっかり目が冴えてしまった。ラジオ体操する小学生じゃないんだから、夏休みの醍醐味はなんの気兼ねもない朝寝なんだがと、才人は目やにをこすってとると、大きくあくびを一つした。

「ふわぁーあ、まあそりゃ丸一日メシ抜きにされちゃ怒るわな。ん、そういや我慢できないって、誰が言ったんだっけ?」

「あ、な、なに言ってるの、空耳よ空耳、寝ぼけてるんじゃないの!」

 シルフィードがしゃべれる竜、韻竜だということは秘密なのだ。才人に疑われて、キュルケは慌ててごまかそうとした。これがタバサの普段の任務で遠くの村へ行ったときなどは「ガーゴイルなの」と言って言い逃れできるが、この面子相手にはそうはいかない。

「空耳か、そうだよな、シルフィードがしゃべるわけねえよな」

「そーよそーよ、それよりもさ、朝食ができるまでには時間があるし、いっしょに森におさんぽに、い、か、な、い?」

「こらーっ! キュルケ、あんたって人は朝のすがすがしさを早々に壊すんじゃなーい!」

 話を逸らすつもりが、本気で乗ってきたルイズを適当にあしらいつつ、キュルケはそそくさとタバサのところへ行ってしまった。怒りのやり場のなくなったルイズは才人に八つ当たりの蹴りを一発入れると、憤懣やるかたないといった感じで散歩に行ってしまった。シエスタはといえば、人数分の朝食を作るために早々と行ってしまっている。残された才人は蹴られた尻をなでるほかには特にすることもなく、とりあえず持って出ていたデルフと軽く話をした。

「こりゃまた、朝っぱらから騒々しいねえ、相棒」

「まったく、人様の家なんだから、多少は遠慮しておとなしくなるかと思えば変化なしだもんな」

 何度も考えたことだが、トリステイン魔法学院は魔法の教育はよいとして、貴族としての振舞い方やたしなみについての道徳教育は完璧に落第点だと思う。もっとも、その緩いしめつけのおかげで自分のような異分子もさして問題なく溶け込めるのも事実だし、教師がいちいち女生徒のスカートの長さを計るような、息苦しいよい子ちゃん教育の学校なんてまっぴらごめんである。

「で、そんな中の唯一の男である相棒は、これからどうするつもりだい?」

「さてどうしたもんかなあ、来て早々ロングビルさんやテファに迷惑かけるわけにもいかないしなあ」

 結局、とばっちりを食らうのを覚悟でおれが間に入っていくしかないかと、才人は気が重い気がした。こういうとき、男は黙って見ているばかりもいられず、男はつらいよと思わざるを得ない。せめてもう一人、誰か男性がいれば苦労も分散できるのだけれど、世間一般で思われているほど、女子の集団の中に男子が一人というのは楽しいものではないらしい。前にやってたロールプレイングゲームで、男勇者一人、残りのメンバーは全員女というパーティを組んでみたことがあるが、私生活ではさぞ勇者さいとは苦労したことだろう。

「とりあえずは、ルイズを呼んでくるか。やれやれ、こりゃまた蹴り食らうのは覚悟だな」

 起きたばっかりなのに、才人はもう疲れた息をついてしまった。仕方なく、一足早く子供たちに物珍しそうに囲まれたままで朝食をとっているシルフィードの横を通り過ぎて、ルイズの行った森のほうへと歩いていった。

「本当に、まだ二日目だっていうのに先が思いやられるぜ……そういえば、ギーシュの奴はモンモンを実家まで送っていくって言ってたな。あいつは、うまくやってんだろーか」

 ふと、才人は学院を出発するときにあいさつをした二人のことを思い出した。キザ男とデンジャラスな薬師のカップルのデート。一時は浮気がばれてターミネートされかかったギーシュだが、その相手のほうもそんなのとよりを戻すために禁制のほれ薬を調合して、モングラーの事件を巻き起こしたんだからたで食う虫も好き好きというか……送り届けるついでにトリステインを見て回ると言っていたから、今頃はどこかの男女が結ばれるいわれがあるとかいう名所でも巡っているのかもしれない。もっとも、肝心なところで詰めが甘いやつだから、いいムードになりかけたところでほかの美女に目移りして苦労がぶち壊しになるとか、大いに考えられることだが。

「まぁ、休み明けの土産話でも楽しみにしておくか」

 十中八九、美化九九パーセントの話が返ってくるのを想定して、才人はあの二人がどういう顔して登校してくるか、少々意地の悪い笑みを浮かべた。それから、今頃は実家に帰って家族と過ごしているだろうレイナールやギムリ、水精霊騎士隊・WEKCの皆の顔を思い浮かべた後、森の奥で木に向かってなにやらふんぞり返りながら独り言を言っていたルイズに声をかけた。

「おーいルイズ、メシに遅れるぞーっ!」

「……っ!」

 その後、幸せな妄想を途中で中断させられたルイズが才人になにをしたのかについては、三十分ばかりしてから帰ってきた二人が何も語らなかったので、ほかの者たちには知るよしもなかった。ただ、朝食の準備中のティファニアとシエスタのところに遠雷のようなうなりが聞こえてきて以来、ウェストウッド村の周りには一羽の小鳥のさえずりも聞こえなくなったということだけである。

 今日の予定は、親睦遠足のように全員そろって離れた小川でのバーベキュー。夏の長い日は、まだまだ昇ったばかりであった。

 

 

 …………

 

 

 さて、ところは移ってウェストウッド村から数百リーグ離れた、トリステインのとある山岳地帯の小さな村に、当の里帰りと旅行の途中のはずの、キザ男と物好き娘のカップルがなぜかいた。

「あっ、すまない君、何か冷たい飲み物を二人分、そう、できれば甘いものがいいね。急いで持ってきてくれたまえ」

 村に一軒だけあった、小さなみすぼらしい飲食店。才人が見れば時代劇の茶店かと感想を持つような店先のテーブルで、ギーシュはモンモランシーを隣に座らせて、思いっきりきざったらしく店主のおじさんに注文していた。

「まったく暑いねモンモランシー、けれど君はその汗のひとしずくさえきらめく真珠のようだよ。さて、ここはぼくのおごりだ。まずは長旅の疲れを癒そうじゃないか」

「で、わたしたちはなんで実家どころか人里からすら大きく離れた山の中で、薬草茶を飲まなきゃならないのかしら?」

 蒸し暑さのおかげでしなだれかかった金髪のロールを怒りで微細に震わせて、モンモランシーは目の前で汗だくで口説き文句を言っている、もう何回本気で別れようかと思った中途半端なプレイボーイを白目で見た。

 間違いの始まりは、魔法学院を出てからしばらく経ってのことだったと思う。最初のうちは一頭の馬に二人で乗っての旅や、ギーシュのすすめで見に行った聖堂や博物館などでロマンチックな充実感を得ていたのは事実であるが、それで思考停止して、次の目的地を聞きもせずにギーシュにまかせっきりにしたのがまずかった。気がついてみれば、セミの声しか聞こえず三百六十度どっちを見ても緑ばかりのド田舎に来てしまっていたのだ。

「お茶がぬるくなってしまうよ」

「お茶どころじゃないわよ! なにが悲しくてこんなところで若年寄りしてなくちゃいけないのよ!」

 するとギーシュは不敵に笑って、テーブルの上に一枚の古びた地図を広げて見せた。

「なによ、これ?」

「宝の地図さ」

「ごめんなさい、もう一度言ってくれる?」

「宝の地図さ、と言ったのさ」

 誇らしげに自慢するギーシュを見て、モンモランシーは目の前が真っ暗になって、真夏だというのに寒気を感じてしまった。

「ギーシュ、今度という今度はあなたを見損ないました。馬はもらっていくわね、それから学院でももう二度とわたしに話しかけないでね。さようなら」

 一息に吐き出すと、モンモランシーはもうギーシュの顔を一瞥だにしようとすらせずに乱暴に席を立ったが、そこはギーシュも彼女の手を握って強引に引き戻すと、反論する間も与えずに一気にまくし立てた。

「モンモランシー、君の言いたいことはわかる。こういう地図の大半は偽物で、貴族をだますために商人がそれっぽく作ったものばかりだということくらい、ぼくでも理解しているさ。ただ、これにははっきりとしたいわくがあるのさ。そう、これは学院の宝物庫から出てきた品なんだよ」

 学院の宝物庫と聞いて、手を振り解きかけていたモンモランシーの力が緩んだ。学院の宝物庫といえば、以前土くれのフーケが『破壊の光』を狙ってきたところであり、学院開闢以来の様々な秘宝が持ち出し不可で収められているとして学院では知らぬ者がいない。だが、宝物庫はフーケ侵入以来、厳重に警備されているはずで、学生にしかすぎないギーシュがやすやすと入れるはずがないのだが。

「ふふふ、あの終業式の大掃除のことを覚えているだろう? あのとき片付け切れなかった生徒の私物がやむを得ず宝物庫に放り込まれたが、そのときにね」

「ちょ、あんたそれ泥棒!」

「人聞きの悪いこと言わないでくれたまえ。とってきた荷物の下にこれが貼りついてただけだよ。そんなことよりもわくわくしないかい? あの学院の宝物庫に収蔵されていた宝の地図だ、絶対本物だよ。ああ、いったいどんなものだろう。古代の大魔法使いの愛用した杖か、それともとてつもない魔力を秘めた石か、いやいや、きっと妖精の作りたもうた巨大な宝玉の首飾りだ。そうだ、手に入れたらすぐに君にプレゼントしよう。間違いなく君は王女殿下のように美しく光り輝くだろう。そのときが楽しみだ、そうだろう?」

「うん、そうね……」

 いつの間にか、モンモランシーはその妖精の作りたもうた巨大な宝玉の首飾りをつけた自分を想像してうっとりとしていた。実際には単なるギーシュの妄想に過ぎないのだが、こうして口先三寸のくさい台詞で女の子をその気にさせてしまえるあたりがギーシュの才能と呼べなくもない。そしてその気になってみると、この古びた地図も本物めいて見えてこなくもない。

 端にこの地方の名前が書かれており、このあたり一帯のものと思われる地形図と、山一つ越えたところに×印と注略がつけられていた。宝の場所は恐らくそこだろう。ただし、そこの文字だけはひときわ古いインクで、ハルケギニア語ではない見たこともない文字で書かれていたので読めなかった。

「地図によると、お宝のありかは北東の山を越えたところにあるという。メイジのぼくらならたいしたことはないさ。さあ、ぼくらの栄光のために共にいこう」

 すっかり探検家気分である。何度も宇宙人や怪獣との戦いを潜り抜けて、度胸と行動力が上がった代わりに臆病さと自制心が反比例して減少していた。また、モンモランシーのほうも、この地方の山には危険なオークなどの害獣もいないことだしと、その気になってきていた。ところが、ギーシュの話を聞いた店のおじさんが二人を制止してきた。

「あの、そこの貴族の坊ちゃんと譲ちゃん、あの山へ登るのはやめたほうがいいですぜ」

「なに? 何か危険があるのかね」

「いえね、あの山は昔からこの村では魔の山と呼ばれていて、村の者も狩りや山菜取りもあの山だけは近寄らないんでさあ。なんでも、あの山には何百年も前に恐ろしい人を食う竜が住んでいて、あるとき異国の戦士がそれをあの山に封じ込めましたが、今でも竜は封じられながらも生き続けていて、山に足を踏み入れた者を餌食にしようと待っていると、言い伝えられているんです」

「人を食う、竜ね……」

 モンモランシーはごくりと唾を飲み込んだ。おとぎ話に限らず、ハルケギニアで人食い竜の話は珍しくない。しかも竜は幻獣の中でも最強の実力を持っている。ドットクラスの自分たちなど鉢合わせしたら万に一つも勝ち目はない。

 けれどもギーシュはそれを鼻で笑った。

「あっははは、竜は高山や火山に好んで巣を作るんだ。あんな緑豊かな山に巣食うなんて聞いたことがない。それに、そんな言い伝えがあるってことは、あの山に人を近づけたくない理由があるってことさ。こりゃあますます地図の信憑性が増してきたじゃないか!」

 これが数ヶ月前のギーシュだったら竜の名前を聞いただけで、おじけずいて逃げようとしていたかもしれない。しかし、数々の戦いを潜り抜けてきたことによって、ギーシュはなんとかなるだろうという自信を持っていた。それに、天気はいいし体調は万全、なによりせっかくここまで来たのにおめおめと引き返してはモンモランシーの前でかっこ悪い。

「いや、本当にやめたほうがいいですぜ。ついこないだも、あの山に足を踏み入れたもんがいるんですが、いまだに戻ってこないんです。ほんとに何かがいるんですよ」

「君、忠告ありがたく受け取っておこう。けれどぼくたち貴族はいずれ国のために身命を投げ出して戦わねばならないのだから、この程度のことでは引き下がれないのさ。何が待っていようと、戦場で敵と殺しあうよりははるかにましだろう。なあに、愛しのモンモランシーがついてくれているんだ。ちょっとやそっとのことじゃ負けはしないよ」

 こうして、ギーシュとモンモランシーは土地の人の親切な忠告を無視して、現地の人でさえ足を踏み入れない魔の山へと歩を向けたのだった。だが、同じ店の別の席で二人の話を盗み聞きしていた、真夏だというのにマスクで顔の半分を覆い隠した二人の男がいた。

「おい、貴族のお宝だってよ」

「へっ、そろそろ逃走資金もなくなってきてたところだ。メイジといってもガキ二人、いいカモだぜ」

 その二人は小声で話し合うと、銅貨を数枚乱暴に置いて席を立った。

 

 

 現地住民が『魔の山』と呼ぶ深山は、その禍々しい名称とは裏腹に、さしてけわしくもない傾斜の山腹に木々が青々とした葉をしげらせている美しい自然の山だった。もっとも、現地の人でも足を踏み入れない場所だけに道らしい道はなく、草の浅い場所を選びながら、どうしても徒歩では超えられない場所では『フライ』の魔法で飛び越えて、地図に記された宝の地点へと近づいていった。

「これで、あと半分くらいかな。ほおーらね、やっぱりこんな平和な山に竜がいるなんてうそっぱちだったんだよ。きっとお宝に人を近づかせないために、埋めたやつが流したデマさ」

「そりゃいいけど、けっこうきついわねえ。タバサのシルフィードがいればあっという間だったのに」

 モンモランシーは早くもギーシュについてきたことを後悔し始めていた。考えてみれば、いつもギーシュの調子のよい美辞麗句にひっかかっては後で後悔しているというのに、我ながら進歩がないことはなはだしかった。

 とはいえ、乗りかかった船である。最初からダメで元々であるし、誰でも行くような旅行よりは刺激があると、彼女は自分に言い聞かせて、何度目かになる倒木を『フライ』で飛び越えた。

 森は、人の手が加わっていないために完全に自然のままの原生林が残っており、軽い気持ちで踏み込んだ二人は意外な苦労を重ねたが、それでも昼過ぎには目的地まであと三リーグほどまでの距離に到達できていた。

「ねえギーシュ、そろそろ休憩にしない。おなか減っちゃった」

「うん、そうだね。そうしようか」

 いくら若い二人とはいえ、初めての登山はきつかった。二人がメイジだとはいっても、夏山登山は毎年死者が大勢出るほどに危険な側面を持っている。メイジでなかったとしたら、多分一リーグほどでギブアップしていたことだろう。二人は手近な倒木に腰を下ろすと、村で買ってきた黒パンや干し肉などの簡素な弁当を広げた。

「貴族のわたしが、こんな粗末なものを食べなきゃならないなんて」

 モンモランシーはぼやいたが、空腹には代えがたい。才人やシエスタだったら普通にうまいうまいと言っていただろうが、仮にも貴族で舌の肥えた彼女には、おなかさえ空いていなければと思うような代物だった。すると、ギーシュは待っていましたとばかりにカバンから別の包みを取り出して、彼女に差し出した。

「なにこれ、パン? 肉?」

 それはどちらとも形容しがたい形をした、茶色いゲル状の塊だった。

「最近平民たちの間ではやってるという、肉の代用食さ。前の町でよく売れていたみたいだから買っておいたんだけど、さあ食べてみたまえ」

「……本当に食べられるの? これ」

 モンモランシーは逡巡した。茶色いスライムとだけ表現しても、うまそうかどうかと聞かれれば、大半の者がまずそうと答えるはずである。モンモランシーもその例外ではなかったけれど、それでも愛しのギーシュの用意してくれたものというわけで一口かじったが、すぐに額に縦筋を浮かばせ、黙ってギーシュの口にそれをねじ込んだ。

「もっ、もごもごっ!!」

「どう、おいしい?」

「ぺっ、ぺっ、ま、まずい……」

 茶色いスライムは、見た目どおりの味だった。確かに味付けこそ肉のものだが、食感、匂い、なにより味の深みなどは大幅に欠けていて、いくら腹が減っているとはいえ、うまいとはお世辞にも言えないものであったのだ。

「お、おかしいな。平民たちがけっこう買っていたから、うまいと思ったのに」

 ところが、ギーシュの考えは間違っていた。それは確かに平民の間ではそれなりに売れているものの、実際には肉の買えない貧民層がせめて肉の代用にと買っているもので、材料も豆で作ったパン状のものに魔法で味付けした程度の、原価が極めて安いものだった。当然、貴族の口に合うようなものではない。

「せめて、味見してからすすめなさいよねほんとに……」

「ご、ごめん」

 食事して疲れがとれるはずが、逆に疲れてしまった。モンモランシーはせめて口直しにと、これだけはうまいといえる山の湧き水をためた水筒を一口飲んで口をゆすいだ。せめてこうなったら、お宝だけでもゲットしないことには割りにあわない。そう思ったときだった。

 

「きゃああぁーーっ!!」

 

 突然、森の奥から絹を引き裂くような女性の悲鳴が響いてきた! 聞き間違いではない。その証拠にギーシュがはじかれたように立ち上がり、電光石火の高速詠唱で『フライ』を唱えて飛んでいってしまった。そう、まるでバナナに飛びつくサルのように本能的に。

「ちょ、ギーシュ待ちなさいよ!」

 モンモランシーも慌てて後を追うが、全力で飛んでいるのに全然追いつけない。二人の魔法の技量は同じドットで大差ないはずなのに、こんなことは前にトライアングルクラスのキュルケやタバサの飛行を見たとき以来だ。まさか、魔法の力は感情に強く左右されるというが、女の子の悲鳴を聞いてギーシュの秘めたる才能の一端が発動したというのか? そんな馬鹿な、しかしギーシュならありうる。

「あの馬鹿、よりにもよってこんなことで底力発揮しなくてもいいじゃないの!」

 立ちふさがる木々を可能な限りの速度でかわしながら、モンモランシーは見失わないだけで精一杯のギーシュの後を必死で追った。

 そして十と数秒後、ギーシュは森の先で今の悲鳴の主と対面していた。

「た、助けて!」

 そこでは、年のころ一七、八の少女が木々から垂れ下がってきていた太いつたに絡みつかれていた。束ねられた長い髪が首を振るたびにもだえる蛇のようにのたうち、とび色の瞳には涙が浮かんでいる。

「だ、大丈夫かい、君!?」

 ギーシュは目の前の光景に驚いたものの、若い女性の危機とみるやお助けしようと駆け寄っていった。けれど、無用心に近寄ろうとしたギーシュはまだ事の重大性に気づいていなかった。

「危ない!」

「え? わあっ!」

 少女の叫び声でギーシュがとっさに飛びのいたところを、少女に絡み付いているのと同じつたが蛇のように高速で通り過ぎていった。しかも一本ではない。二本、三本と投げ縄が牛を狙うようにギーシュめがけて伸びてきて、彼がなんとかつたの届かないところまで逃げると、少女の周りには十本近いつたがゆらゆらと、動物のように揺らめいていた。

「き、吸血植物!?」

 ギーシュはぞっとした思いで、以前生物の授業で聞きかじった、ハルケギニアの危険な生物についての項を思い出した。ハルケギニアの危険な生物は、なにもオーク鬼やドラゴンだけではない。なかには近寄るだけで死ぬ猛毒を持っていたり、眠り花粉で眠らせた獲物から血を吸う危険な植物もいくつも確認されており、このつたもその一種ではないかと考え、実際それは当たっていた。

 こいつは、怪奇植物スフランといい、ハルケギニアだけではなく、地球でも多々良島やジョンスン島で生息が確認されているつた状の吸血植物である。普段は木から垂れ下がってただのつたの振りをしているが、近くに獲物となる動物が通りかかると動物のように動いてからみつき、動きを封じて血を吸う恐ろしいやつだ。

「く、苦しい……たすけ、助けて」

 少女はまだなんとか自力で立てているけれど、締めつけがかなりきついらしく息も絶え絶えになっている。このスフラン、ひ弱そうに見えてかなり頑強で、絡みつかれたら人間の力では脱出できない。ギーシュは助けようとしていたが、近寄ろうとすると別のスフランに阻まれて、なかなか少女に近寄れないでいた。

 ならば、こういうときこそ魔法を使えばいいものなのだが。

「あっ……ああん、そ、そこは……いやああ」

「お、おお……」

 つまりは、こういうわけである。縛り上げられてもだえる美少女という構図が、思春期真っ只中の少年の脳髄を直撃してしまったのだ。呆れたものであるが、逆に婦女子の痴態に無反応なギーシュというのも気持ち悪いから、人間の評価というのは難しいものである。

「や、やだ……そんなところ、やめてぇ」

「あ、おおお」

 鼻血をたらして見とれている姿は、もはや見苦しいというのを通り越している。実際には、締め付けは彼女の華奢な体なら骨を砕きかねないほどに強くなり、つた全体に生えた吸血針が何本も突き刺さった危険な状態であったのだが、そこへようやく救いの女神がやってきた。

「さっさと助けなさいよ! このバカギーシュ!!」

 やっと追いついてきたモンモランシーが飛んでる勢いのまま、ギーシュの後頭部に思いっきり拳骨を叩き込んだ! ギーシュはでかいこぶを作らされながら前のめりにこけさせられて、そこでやっと目が覚めた。

「そ、そうだった。ワルキューレ!」

 どうにか正気を取り戻したギーシュは、薔薇を模した杖を振るって青銅の騎士人形ワルキューレを四体作り出した。それぞれ手には剣を握っており、ギーシュが杖を振るうと一斉にスフランのテリトリーに進入して、群がってくるつたを切り払い始めた。

「ようし、いいぞいいぞ」

 四体のワルキューレは剣を振るってどんどんスフランを切り払っていく。スフランのほうも絡み付こうとするが、相手は青銅のゴーレムであるために血は吸えず、腕力も人間より強いために、雑草でも刈るかのようにどんどん地面に落ちていき、少女に絡み付いていた分もすぐに斬られて力を失った。

「よし、そのまま彼女を連れてこい!」

 このとおり、スフランはやり方さえわかってしまえばそんなに強い相手ではない。植物であるために、つたの伸びる範囲しか攻撃できないというほかにも、燃えやすいという弱点もあり、科特隊時代にはスパイダーショットの火炎放射で簡単に焼ききられている。ただし、植物であるためにつたを切られただけでは死なずに、地下の根まで絶やさなくてはとどめにならない。こいつらも、ほっておけば数週間で元通りになってしまうだろう。

「よし、ここは撤退だ」

 ギーシュはワルキューレに彼女を抱えさせたまま、スフランの生息地から急いで離れていった。貴族に逃走はないといっても、相手が吸血植物ならこだわる必要はない。やがて、森の中でも多少は開けたところを見つけて、周りを見渡してもとりあえず危険な動植物はいないことを確認して彼女を下ろすと、すぐにモンモランシーが『治癒』の魔法で治療を始めた。

「幸い、骨に異常はないし、吸われた血も微量だったからこれで十分なはずよ」

「あ、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」

 傷がふさがって痛みがやむと、少女は礼儀正しく頭を下げて、二人に礼を示した。はじめは気づかなかったけれど、その瞳には強い光が宿り、立ち振る舞いにも高貴さがにじみ出ている。よくよく見れば、破れた服のすきまから杖がのぞいていた。

「君も、貴族だったのかい。危ないところだったね、けれど、なぜ君みたいなお嬢さんがここに? あ、おっと。先に自己紹介をするべきだね。ぼくはギーシュ・ド・グラモン、トリステイン魔法学院の二年生だ」

「わたしはモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ、同じく二年生」

「わ、わたしは、リュリュといいます。ガリアのルションから来ました」

 リュリュと名乗った少女は、自分のことを簡単に二人に説明していった。ルションという町は二人は知らなかったが、ガリア西部にあり、温暖な気候の住みいい町とのことで、彼女はそこの行政官の娘だった。彼女はそこで、なに不自由なく育てられてきたのだが、そんな彼女がこんな辺境の山奥にいた理由は二人を驚かせた。

「わたしの趣味は”美食”なんです。世界中のおいしいものをお金に任せて買い求め、ランチをとるためだけにロマリアやゲルマニアの店まで旅行したこともあります。で、そうしているうちに、自分で作るほうに興味が移っていきました。けれども、貴族の娘が公然と料理を学ぶとなると風当たりが強くて。でも、どうしても我慢できなくなったわたしは家を飛び出して、あちこちを放浪しながら修行を積んでいるんです」

 通常、貴族にとって料理は下々の者がやることとして忌避されるために、わざわざ自分から料理人になりたいという貴族は珍しい。とはいえ、簡単なお菓子作りとかいうのであれば可愛いともいわれ、実際王家には宮中ミサの折に女王が始祖ブリミルが最後の晩餐のときに食したという聖なるパンケーキを焼くという伝統があるらしい。ただし、その味は代々天地ほども違い、女王の代替わりのたびに上級貴族の背筋を寒からしめるという。

 ギーシュとモンモランシーは、とりあえず自分のことは棚にあげておいて変わった子だなあと思ったが、リュリュの回想はさらに熱を増して続いた。

「それで、各地を放浪しながら旅を続けるうちに、わたしは一つの事実に気づきました……そう、世の中の大半の人は、おいしいものが食べられないんだということに!」

 二人は急に剣幕を増したリュリュにびくっとした。最初はおとなしい子だと思ったが、内には燃えるような情熱がたぎっているようだ。いや、そうでなければそもそも貴族が家を飛び出して料理修行などできはしまい。

「旅の途中、いろいろな人に親切にしていただきました……寝るところが見つからずに、うろうろしていたら農夫の方が宿を提供してくれました。食べるものがなくなって道端で寝転んでいたら、パンをいただいたことも。それで、確信しました。そういう人たちが、親切でまっとうに生きている人たちが、かつてわたしたちが食べていたような、おいしい料理を食べられないのは間違っていると! 美食は貴族だけのものであってはなりません! 万人に認められるべき娯楽なのです! そうでしょう!!」

 鬼気迫るといったリュリュの表情に、モンモランシーは正直ひいたが、ギーシュは涙まで流して感動の意を表した。

「素晴らしい! 確かにそのとおりだ。いつでも誰でもうまいものが食える。これほどの幸福はあるまいよ」

 ギーシュのことだから、女の子の言葉に無批判に納得したというのはあるものの、半分は本音だった。以前の彼だったら、貧しい平民がどんな粗食を食べていようと気にしなかっただろうが、モンモランシーが、ルイズが才人へのおしおきの一環としてメシ抜きをすることにヒントを得て、ギーシュが他の女の子に目移りするたびに、彼のランチを水魔法で味を変えたり、失敗作の香水でしばらく食事がとれないようにしたり、本当にキレたときはランチそのものを壊滅させたりしたので、飢えの苦しみをいい加減思い知っていたのだ。

 こうして、多少ズレながらも理解しあったギーシュとリュリュは手を取り合って”同志!”と友情を深めていった。けれども、一歩下がって見ていたモンモランシーは冷静にツッコミを入れるのを忘れてはいなかった。

「で、なんでその美食家志望のあなたが、こんな辺境の危険な森にいたわけ?」

「あ、はい。それで、わたしは平民の方でも簡単に手に入るよう、安価な材料での美食を目指して試行錯誤しているんですが、豆とか麦とかから作ったいくつかの試作品はどれもおいしいとは言いがたい中途半端な失敗作でした。なのでもっと修行を積もうと、この世のおいしいものをたくさん知るために、あちこちをめぐっているんですが、ここの山腹に世界七大美味のひとつである虹燕の巣があると聞きまして」

「ああ、あの鳥肉としては最高の美味だっていう虹燕がねえ。それで、身一つで採りに来たというわけ?」

「はい、実は数ヶ月前にも火竜山脈で、極楽鳥の卵を手に入れようとしたこともあります。そのときは怪獣が現れたうえに山が噴火してしまって手に入れられずに、命からがら逃げてきたんですけれど」

 二人は、リュリュの無茶さ加減に心底あきれた。火竜山脈の極楽鳥の卵は凶暴な火竜に守られていて、たとえスクウェアクラスのメイジでも、その採取は命がけであるのに、可愛い顔してすごい命知らずである。

「あんた、早死にするわよ。今も、偶然わたしたちが通りかからなきゃ、誰にも知られずにミイラになってたとこよ」

「それについては、本当にお礼を申し上げます。けれど、わたしもここで引くわけにはいきません。虹燕の巣の味を再現して、多くの人に味わってもらうという夢のためにも!」

 リュリュの目は、情熱と使命感に燃えていた。高価すぎる食材をそのままとはいかないが、安価な方法で大勢に解放するというのは、カニ味のかまぼこや、養殖マグロなどにも通じる大衆食の理念だ。無理に天然ものにこだわらなくても、養殖と天然の味を見分けられるほどの食通はそういない。大半の人間はうまければ満足してくれるのだ。ただし、その味の再現には高度な技術がいるのはいうまでもない。

「すごいね君は、ぼくたちと年はそう変わらないのに自分の道をしっかりと持っている。ようし、ものはついでだ。君の目的のものを手に入れるのを、ぼくも手伝おう」

「ちょ、ギーシュ、わたしたちの目的はどうするの?」

「別に急ぐものでもないし、彼女を一人で歩かせて、またさっきみたいなのに出くわしたらどうする? 彼女てこでも引き返さないぞ」

 そう言われては、帰り道に彼女のミイラなんかを見つけたら後味が悪すぎるし、ギーシュとリュリュを二人っきりで行動させるのも問題ありすぎる。

「仕方ないわね。じゃあ、日が暮れる前に帰れるように急ぎましょう。その場所は?」

「あ、ここです」

 リュリュは二人に、虹燕の巣があるという場所を示した地図を見せた。

「どれどれ……なんだ、ぼくたちの目的地と一リーグも離れてないじゃないか」

「へぇー、偶然ですね。そういえば、ギーシュさんたちの目的ってなんなんですか?」

「ぼくたちは、夏休みのちょっとした冒険というか、宝探しというか……」

「宝探し?」

「ああいやいや、夢とロマンを若き日に求めるのも、青春の一ページというところだが、君の目的に比べたらたいしたことはないさ。先に君の目的を済ませちゃおう。お宝はその帰り道で、もしあったら君にも山分けしよう」

 元々、土のメイジであるギーシュにとって、場所さえわかれば宝が地面に埋まっていようと探し出すのはそんなに難しくはない。ついででも、充分おつりがくるだろう。とはいえ、リュリュも宝というのが十中八九ガセだということは知っているので、苦笑いで期待していますとだけ答えて、それよりも手助けしてくれることに改めて礼を言った。

「本当に、どうもいろいろとお世話になってしまいまして、すいません」

「いいさいいさ、こんなときはえーっと、ぼくの友人の国の言葉なんだが、袖触れ合うも多少の縁というらしい。じゃあ、善は急げだ。さっそくいこうか」

 ギーシュは元気よく掛け声をあげると、リュリュの手をとって歩き出そうとしたが、後ろ手をモンモランシーにつねられて断念せざるを得なかった。

 

 こうして、思わぬ同行者を得て三人となったギーシュたち一行は、まずは虹燕を捕まえに目的地を変更して歩みだした。森は、山は緑の木々に覆われて、風と鳥の声が平和の歌を奏でている。

 しかし、その平和のヴェールの下に、どんな闇が封印されているのか。魔の山は、まだその全貌を明らかにしてはいない。

 

 

 続く


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