ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

54 / 338
第54話  『烈風』カリンの知られざる伝説  戦士から母へ……

 第54話

 『烈風』カリンの知られざる伝説

 戦士から母へ……

 

 古代怪鳥 ラルゲユウス

 大蛙怪獣 トンダイル 登場!

 

 

 戦いは終わった。

 吸血怪獣ギマイラはウルトラマンダイナによって倒され、奴の巣にされていたタルブ村も解放された。

 操られていた人々も、村人たちは極度の貧血状態に陥っていた者が何人かいたが、命に別状のあるものはいなかった。また、マンティコア隊の隊員たちも、重傷者は軽傷者の操るマンティコアで近隣のラ・ロシェールの医療施設へと搬送されていった。

 

「隊長……」

「もうしゃべるなゼッサール、今は自分の体のことだけ考えろ」

「はい……隊長……隊長なら、必ず、きてくれ……」

「気を失ったか、急いで運んで専門医の治療を受けさせろ。絶対に死なせるなよ」

 瀕死の状態であった副隊長ゼッサールも、ギリギリのところで治療が間に合い、衛生兵の『治癒』を受けながら運ばれていった。

 

 そして、後に残ったのはカリーヌと、事後処理に残ったわずかな隊員たちだけだった。

「誰も何も覚えていないか、まあそのほうが幸せだろうな」

 カリーヌは村人たちが半分呆けたような顔で、村に残った衛生兵の治療を受けている姿を見守っていた。

 ギマイラに思考を操られていた人々は、当然その間の記憶がない。村人たちは、操られていたことも、血を吸われていたことも知らずに、数日間欠落した記憶に戸惑い続けていた。

 そこへ、GUYSの制服から村人の服へ着替えた佐々木が松葉杖をつきながらやってきた。

「ササキ、もういいのか?」

「ああ、おかげさまでな。君のところの衛生兵もなかなかいい腕をしている」

 カリーヌは何も言わずにうなづいた。あの後、撃墜されたガンクルセイダーは森の中に不時着し、彼は傷ついた身を押して確認しに行ったのだが、どうやら誰にもばれてはいなかったようで、やっと手当てを受けていた。

 すでに空を覆っていた暗雲もうそのように晴れて、今は赤い夕日が彼らを後ろから照らしている。その牧歌的な風景を見る限り、ここが怪獣に襲われていたとはとても信じられなかった。

「この事件のことは村人たちには知らせないほうがいいな……」

「そうだな」

 無感情に、短くカリーヌは答えた。ガンクルセイダーのことや、なによりウルトラマンダイナのことを説明するのは難しいだけにかえってそのほうが都合がいい。ギマイラのことも、カリーヌが倒したということで落ち着いたし、時間が経てば有象無象の事件の中に埋もれていくだろう。

「ふぅ……」

 だが、対外的にはそのほうがよいと分かっていながらも、釈然としない気持ちをカリーヌはぬぐい得なかった。

「どうしたね?」

「他人の戦果を横取りするようなまねをして、気が楽なはずはないだろう。それに、今回は自分の未熟を嫌というほど思い知らされた。何が『烈風』だ、何がマンティコア隊隊長だ、とんでもない自惚れだった」

「そうだな」

 表情を変えぬままに、佐々木はひとつ前と彼女と同じ答えを返した。それが、誇り高いカリーヌにとって、どれほどの屈辱になるかは彼女の顔を見ればわかる。しかし、半端な慰めは返って彼女のためにはならない。屈辱を知らずして人間に成長はない。

「そう思うなら、もっと強くなることだ」

「ああ……」

 心身ともに、改めて鍛えなおそうとカリーヌは決意した。複数の呪文の同時使用の限界、極限状態での判断力の維持、今回の戦いを経て彼女が足りないと思った課題は多い。そして、目的のために必要な努力を惜しむような性格をしてはいない。

 けれど、その決意に隠れた危うさに気づいていた佐々木は、この若獅子がまた道を踏み外さないように一言を付け加えた。

「ただ、願わくばこの戦いにどうして勝てたのか、その理由は決して忘れないでいてくれよ」

「……結束、か」

 それは、部下を率いて戦ったことはあるが、力を合わせて戦ったことはないカリーヌにとって、新鮮で驚きに満ちたことだった。どんなに強くても、独りよがりな戦い方では、自分より強い敵には絶対勝てない。しかし、弱くても結束することによって、あの凶悪怪獣を倒せたではないか。

 確かに、最後に怪獣にとどめを刺したのはウルトラマンだ。しかし、奴を霧から引きずり出したとき、佐々木がギマイラの人間怪獣化光線からレリアを身を挺してかばったとき、レリアがラブラスの勇気を呼び戻したとき、ウルトラマンにカリーヌが力を与えたとき、そして息絶えた佐々木をティリーが蘇らせたとき、誰一人欠けてもこうして立っていることはできなかっただろう。

 この後に、カリーヌはマンティコア隊を除隊し、領地を家臣の者に預けて一人で旅に出ることになる。ガリア、ロマリア、ゲルマニア、さらにはエルフの住まうという砂漠地帯まで、そのときの彼女の戦いが、『烈風』カリンの最後の伝説として語り継がれることになるが、それはまた別の話である。

 そして、戦いの終わりは、別れの始まりでもあった。

「ところで、ティリーちゃんとは仲直りしないのかい? 彼女たちは、もうすぐ立つというぞ」

「……」

 カリーヌは無言のままうつむいた。元々、ティリーはアルビオンへの旅の途中であり、いつまでもここにとどまっているわけにはいかない。また、同じところにずっといると、彼女がエルフだということを誰かに勘付かれる危険性もある。

 しかし、彼女の頭の中ではいろいろなことが渦を巻いて、さっきから少しも落ち着くことができない。ティリーに杖を向けてアスカに止められたあのとき……

「お……おともだちになりましょう」

 自分を殺そうとまでした相手に向かっての、完全に予想を裏切るその言葉にさしものカリーヌも完全に毒気を抜かれて、返す言葉が見当たらずに、あろうことかそのまま踵を返して逃げ出してしまった。思い返すと激しく自己嫌悪が湧き上がってくるが、このままうやむやにしていいはずはない。

 とはいえ、こういうときにどう言えばいいのかといえば、正直全然わからないというのが本音だ。学生時代も友人の一人も作らずに、学業、修練に打ち込む毎日だったから……灰色の青春だと馬鹿にしていた奴の、忘れかけていた冷ややかな顔が今になって浮かんでくるのがなんともうらめしい。

「ともだち……か」

 この悩みには、成績優秀だったのもなんの役にも立たない。かといって、佐々木に助言を求めるのもプライドに反するのでできないでいたが、そこは年の功である。カリーヌの心境を的確に読んだ佐々木は軽く彼女の肩を叩いた。

「喜んで、と言えばそれでいいのさ。ま、これに必要な勇気は、戦場で敵を撃つより十倍勇気がいるんだがね」

 そういうものかといえば、そういうものとしか言いようがない。第一、友情というものを論理的に語れというところにそもそも無理がある。が、そろそろ悩む時間もなくなりそうだ。

「カリーヌさん……」

 振り向くと、そこには旅支度を終えたティリーと、荷物持ちをしているアスカの姿があった。

 ティリーはまたあの大きな帽子を目深にかぶっているけれど、視線はまっすぐにカリーヌを見つめてくる。

「行くか……?」

「はい、今から行けば、次のスカボロー行きの便に間に合いますので……お世話になりました」

 ぺこりとおじぎをするティリーの姿を、カリーヌは無表情のままで見ていた。

 エルフは人間の敵、カリーヌはそう教えられ続けてきた。しかし初めて本物のエルフを見て、ほぼ無意識のうちに杖を向けてしまい、アスカに必死で止められて頭を冷やして、その相手に一度は命を救われたことを思うと、平然と教会の教えを履行する気分にはなれないのも事実であった。

 もちろん、カリーヌは狂信者でもなければ殺人趣向家でもない、恩義もあり、同じ釜の飯を食べた仲間を手にかけることを喜ぶ気持ちは一片もない。それでも、ハルケギニアに住む者にとって教会の教えとは精神の根幹にあるものであり、エルフが数千年にわたって恐怖の対象であったことは事実であるから、簡単にそれに逆らうことはできない。しかし、同時にアスカが放った一言が楔のように彼女の心に突き刺さっていた。

"教会だの法律だの、他人の決めたことじゃない、あんた自身がどう考えてるかってことだ"

 自分で法律や教義の是非を考える。出るところに出せば異端審問にかけられそうな台詞だが、これまで、国法と教義をそのまま盲信して従ってきたカリーヌにとっては、頭を氷のハンマーで叩かれるような感触をともなって響いた。

「自分で、考えろ……か」

 軍人は、任務には私情を挟まずに、どんな命令にも忠実に実行するべし。軍人であるための、それは基本であるが、軍隊とは破壊と殺戮を国法のもとに正当化させた暴力機械であるだけに、冷静に考えるとそら恐ろしいことである。良心と羞恥心が欠如した高級軍人の命令を、いつもは善良な一般兵士が愚直に実行した結果の虐殺、略奪などは古今東西枚挙にいとまがない。

 そういうとき、義務と良心のどちらに従うべきか……自分の中ですでに答えは出ている。しかし、それをいざ形にするには、まだあと一歩足りず、彼女はそれを自分にこれほどの難題を押し付けることになったエルフの少女に、杖を持たずに、同じ目の高さとひとつの質問を持って求めた。

「ティリー……お前達エルフは、人間のことを蛮族と呼んで忌避しているのは聞いている。しかし、お前はあのとき友達になりたいと言った。しかも、命をとろうとした相手に向かって……いったい、お前はなんなんだ?」

 その問いに、答えが返ってくるのには長い時は必要としなかった。彼女は困ったような、いや恥ずかしそうに顔を紅く染めながら答えたのである。

「えーっと……そう言われましても、私は別にそんな特別なものじゃないと思います。それは砂漠では、人間を毛嫌いしている人も大勢いますし、実は私もそうで、旅をしている間ずっと不安でしたけど、アスカさんは会ってすぐに……」

 ティリーはアスカと出会ったときのことを思い出しながら言った。行き倒れかけていたアスカを救ったティリーは、その後恩返しに目的地までボディガードをしてやると言った彼に、恐る恐る「お友達になってくれませんか?」と尋ねた。すると、「オッケー! そんな堅苦しくすんなよ。旅は道連れ世は情けってな!」と、アスカは簡単に了承してくれた。それが、一人旅を続けてきたティリーにどれだけ救いになったか。

「わたし、それでお友達ができるって、こんなうれしいものなんだなって……それでカリーヌさんも皆さんもすごくいい人ですし、あなたとケンカなんかしたくないと思っただけで……」

 しどろもどろ、汗をかきながら言葉をつむぐティリーの必死な姿には、殺気を持ち続けるということこそ困難だろう。最初は裏があるのかと疑ったが、これでは疑ったこちらのほうが恥ずかしくなってくる。

「あ、あの……」

 厳格な国語教師に読書感想文を採点されるのを待っているようなティリーのまなざしを見るうちに、カリーヌは何もかも馬鹿馬鹿しくなっていくのを感じていた。

「ふふふ……はっはっはっは!」

 ふいに笑いが込み上げてくる。それはそうだ、自分はなにを真剣に考え込んでいたんだろう。エルフだから? 異教徒だから? ましてや決まりだから? 冗談ではない、弱いものいじめのどこに正義があるのか?

「あの……」

「いやすまん、だが……悪いが、えーと、あのときの言葉を、その、もう一度言ってくれぬか?」

「えっ?」

 怪訝な顔をしているティリーに、カリーヌは恥ずかしそうに言葉を付け加える。

「だから、その……さっきの……まだ私は答えを言ってないから……その」

 歯切れが悪いが、それはカリーヌの精一杯の勇気を振り絞ったものだった。けれど、もう何が言いたいのかは子供でもわかる。ティリーはにっこりと笑うと、両手を静かに差し出して言った。

「お友達に、なってください」

「……よ、喜んで」

 差し出された手を握り、仮面の中に長い間隠されていた本当のカリーヌの笑顔が、ぎこちない言葉とともに白日にさらされた。

「ふふっ、ふふふ」

「ははっ、はははは」

 少々苦笑いが混じる。それでも、ようやくお互いに顔を見て笑えるようになった二人を、佐々木とレリア、それからアスカはそれぞれ楽しそうに眺めていた。

「おうおう、まったく楽しそうにしおって」

「おじいちゃん、そりゃそうよ、新しく友達ができてうれしくない人なんていないもの。最初は怖かったけど、やっぱりすごくいい人だったわね」

 昨日、初めて会ったときとはもう別人のようだ。他者を寄せ付けなかった雰囲気が和らぎ、人間らしさがはっきり表に出てきている。大きな挫折を経験し、助け助けられることの重要さを知ったことが、彼女を人間的にも成長させたのだろう。

「うーむ、人間変われば変わるもんだなあ……何度侵略に失敗してもぜんぜん懲りないうっとうしい宇宙人たちにも見習わせたいもんだぜ」

 そのとき、時空を超えた場所でとある三人組がくしゃみをしたかは定かではない。

 けれど、本来友人とは宣言してなるものではなく、自然と隣にいるものである。その点では、なんの気兼ねもなく語り合うことのできるこの三人も、すでにカリーヌにとってはかけがえのない友と呼んでよい。

「ところで佐々木さん、俺はまた元の世界に戻るために旅を続けるけど、あんたはどうするんだ?」

 そのアスカの問いに、佐々木はタルブ村の風景と、孫娘の姿を交互に眺めて、深くため息をついた。

「私は、ここに骨をうずめるつもりだ。地球へ帰るには、私は少々ここに長くいすぎた。それに、いまさら戻ったところで私の居場所はあるまい」

 第二の故郷を、残りの人生をかけて守るという佐々木の意思に、アスカは黙ってうなづいた。

 平和を取り戻したタルブの平原に、出身も身分も何もかも違う五人の明るい笑い声が、誰をはばかることなく響き渡り、空に消えていった。

 こうして、ハルケギニア全体の運命を揺るがしかねなかった事件は、たった五人の活躍のうちに完全に解決し、そしてたった五人の心の中にのみその真実を残して幕を閉じた。

 

 だが、時間は無情に別れの時を告げる。アスカとティリー、カリーヌと佐々木とレリアは、惜しみつつ最後の言葉をかわした。

「それではこれで……それにしても、何もかも夢だったようですね」

「ああ、私達五人だけのな……けれど、いい夢というのは人に言うとご利益がなくなってしまうものだ」

 佐々木の暗示したことを、他の者達も口には出さなかったが理解した。ウルトラマンダイナの登場やエルフと関わったことなどが公になれば、誰にも益をなすことはないだろう。異端審問の特権を使いたがる神官や、カリーヌを陥れて自己の栄達を図ろうとする貴族など、人面獣心のやからに絶好の口実を与えることになる。

「三十年……少なくともそれくらいは、この事件のことは我々のうちに秘めておこう。その後は、子供なり孫なりに話してやればいい。独創性に欠けた昔話にくらいはなるだろう」

 佐々木とアスカ以外の者達は、そこで少し老いた自分達の目の前で、つまらなさそうに昔話を聞いていた子供達が、やがて聞き飽きてすやすやと眠っていく姿を思い浮かべた。

「フッフッフッフッ……」

 思ってみて、カリーヌは笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。この私に子供がか。さて、生まれてくるとしてどんな可愛げのない悪餓鬼になるか。

「アスカ」

「うん?」

「お前にも、いろいろと教えられた。私はとうに一人前になっていたつもりだったが、まだまだ軟弱な未熟者だったよ」

「おいおい、あんたが未熟者なら、俺はまだおしめもとれない赤ん坊だよ。でも、俺もあんたに会えてよかった。短いあいだだったけど、楽しかったぜ」

 カリーヌは軽く頬を緩めて苦笑した。今まで、自分と会って楽しかったなどいう人間はいなかった。本当にこのお調子者には驚かされる。しかし、こうして別れを前にすると名残惜しさが沸いてくるのはなぜだろう。

「また会おう」

「ラジャー」

 がっちりとアスカとカリーヌは握手を結び、そしてお互いに踵を返すと、振り返ることなくそれぞれの行くべき道へと歩み始めた。

「じゃあ、わたしも行きます。ササキさん、レリアさん、お世話になりました」

「こちらこそ、君は命の恩人だからな。何かあったら遠慮なくうちに来い。エルフのひとりやふたり、面倒みてやる」

「さようならティリーさん、道中の無事を祈ります。またいっしょにヨシュナヴェを作りましょうね」

 短く別れをすませると、ティリーもアスカについてラ・ロシェールの方角へと旅立っていった。

 後には、本当にうそのような平穏と静寂が、夕食の調理を始めた家々の明かりと夜の闇とを包んでいた。

 

 …………

 

「そうして、アスカさんとティリーさんは旅立っていきました。彼らが、その後アルビオンでどうしたのかは、私も知りません。けど、あの人たちのことです、何が起きてもあきらめずに、今でも前に進み続けていると信じています」

 時は、三十年前から再び現代に戻り、天高く上った月の光が窓からガンクルセイダーの銀色の機体を照らす中で、レリアは昔話を締めくくった。

 後には、呆然とした様子で話の内容を反芻している一行の姿が残っていた。

 ルイズもシエスタも、自分の母親が三十年前にそれほどの戦いを潜り抜けてきたとはまだ信じきれない。しかし、それがまぎれもない真実であることを確信せざるを得なかった。

 また、才人もそれらの話にも増して、あの旧GUYSの生き残りの佐々木隊員の活躍や、ウルトラマンダイナの戦いなど、ヤプールの襲来以前からハルケギニアでも怪獣が現れていたのだと深刻に考え込んでいた。

 考えてみれば地球と同じように生命にあふれた星である。血を求めてやってくるギマイラのように、昔からこの星を訪れた怪獣や星人は人間達が知らないだけで、かなりな数に上るのではないか……最初にダイナが戦ったアリゲラも渡りの最中だったのかもしれないし、オルフィたちや先日のザラガスのようにこの星に元々住み着いていた怪獣も数多い、ましてやヤプールがいる今となっては……

「アスカさん……あんた、三十年遅くこっちに来てほしかったな……」

 今、アスカがどうしているかはわからないが、ヤプールが大規模侵略をしている今、もしまだハルケギニアにいたらこの状況に黙ってはいないだろう。となれば考えられるのは、すでに亡くなっているか、もしくはもうハルケギニアにはいないか……しかし、ウルトラマンが簡単に死ぬはずはない。

「アスカって人は、絶対に帰る方法を見つけるのをあきらめはしなかったはずだ……となれば答えはひとつ、何かの方法でこの世界を後にしたんだ……これは、是が非でも俺もアルビオンに行かなくっちゃな」

 才人は、このハルケギニアでヤプールを迎え撃つ以外の目標をはじめて見つけて、決意を新たにした。ダイナの足跡を追う、きっとそこには何かがあるはずだ。

 一方、ほぼ傍観者として聞いていたキュルケとタバサは、昼間の疲れから話の途中で寝てしまったアイをロングビルに背負わせた後、自分達なりに今の話を吟味していた。

「どう思う、タバサ? あのうわさに聞く『烈風』を倒すほどの怪物がいたなんて」

「恐らく、全部本当。空から落ちてきた魔物には、昔から多くの伝承がある。それに常識を超えた怪物なら、わたしたちも戦った」

 二人は、ついこの間のエギンハイム村での戦いを思い出した。先住魔法の使い手の翼人と彼らの伝説の守護神の力を借りても、ようやくギリギリのところで倒せた怪物。それにタバサはそれ以前にも火竜山脈で毒ガス怪獣ケムラーとも戦っている。

「と、なると……ある日突然頭の上から化け物が降ってくるかもしれないってことね。はぁ、迷惑な話だこと」

 そうはいっても、つい数年前までの地球がまさにそんな状況だったのだ。空からは宇宙人、地底からは大怪獣、そんなぶっそうな中で学生生活を送ってきていたのだから、才人はけっこう度胸が据わっている。

 だが、誰よりもショックを受けていたのはやはりルイズだった。

「『鉄の規律』をモットーとしてきたお母様が、あのお母様が自ら法を犯したことがあったなんて……」

 ルイズにとってのカリーヌは、恐怖と畏敬の対象であって、完全無欠、その言葉が人の形をとっているとしか思えない、まさに天の上の存在だったのだ。

 けれど、レリアは三十年前よりしわを刻んではいるが、暖かみには少しの変わりもない笑顔をルイズに向けて語りかけた。

「もちろん、カリーヌ様も法を破ったということは重々承知していましたよ。国に帰られた後、あの方は部隊全滅の責任と自らへの戒めとして、一週間謹慎の上、断食して再出仕したときには幽霊のようにやせこけていたそうです。それでも、救いたい人のために、あの人はあえて禁を犯したんです。あなたも、いつかわかるでしょう」

 自分以外のもののために自分の矜持を曲げる。常に誇り高くあろうとしてきたルイズには、それがどれほど苦しんだ末の決断だったのか、おぼろげながらわかる気がした。

「けれど、あのお母様にそんな時期があったなんて、やっぱりとても信じられないわ」

「あの人は、自分にも他人にも大変厳しい人ですから。冷たく見えてしまうかもしれませんが、本音はとても優しい人なのですよ」

「そんな、お母様が……」

「やれやれ、あの人は今でも不器用なところは変わってないようですね。けれど、あの人だって人間ですよ。悩みもあれば、苦しみもしていました。ただ、その理由が他の人とは違っていたから、そうは見えなかっただけで、人と比べて強すぎるけれど、決して万能ではない自分の力におぼれないように、常に自分を律していました。けれど、普段自分を出し切れないことは、どれほど苦痛だったか」

 力に心が飲み込まれないように自分を押し殺す。力がありすぎるからゆえの苦悩、ルイズは、これまで強い力を持つ人を内心でうらやんでいたが、彼らにも力を律しなければならない苦しみがあったのだ。

 それに比べれば、ただ爆発を起こすしかない力を振り回し、感情を好き放題に発散できる自分は気楽なものなのかもしれない。むろん、だからといって力を感情のままに振りかざして弱者をいたぶることに快楽を覚えるような、有象無象の三流貴族と同類になりたいとは死んでも思わないが。

 また才人も、ウルトラマンであることを隠して生きている自分達ともどことなく似ていると思った。感情のままに動くにはウルトラマンの力は強すぎる。その力を使うべき時を見極めるという、ウルトラマンの重圧は、全てのウルトラマンが等しく味わってきたものだ。

 レリアはそんな風に、自分の旧友の娘が母の本当の心の一端を知ってとまどうのを、落ち着きを取り戻すまでじっと見ていたが、やがて改めて話を再開した。

「そうやって考え込むしぐさも、あの人とそっくりですね。ああそうだ、これは秘密なんですが、実はあの人は今でもたまにこの村に来ることがあるんですよ」

 それを聞いて、今度はシエスタがびっくりした。

「えっ、お母さんもしかして……昔からたまにうちに来ていた青いローブの親戚のお姉さんって」

「そう、お忍びで来ていたカリン様よ。あなたも小さいころはよく遊んでもらったわね」

「そ、そんな……そういえば、なにをしているのかよくわからない人だったけど」

 自分の知り合いが、まさかそんなすごい人だったとは知らずに、今更ながら愕然としている娘を横目で見ながらレリアは話を続けた。

「あの人は、公務の合間を縫って、祖父とよく話していました。また、この神社を建てるときにも、飛行機に固定化をかけるときにも、惜しみなく助力してくれたものです。祖父が亡くなってからは数は減りましたが、それでもうちのヨシュナヴェが大変気に入ってくれたみたいで、無くなることはありませんでした。それで、今から二十四年前と二十一年前、そして十七年前、そのとき尋ねていらしたときの様子は忘れることができません」

「それって、もしかして」

「そう、あなた方三姉妹をそれぞれ身ごもったときです。あのときほどあの方が笑っていらしたときはありません。本当にうれしそうに言うんです。男か女か、自分に似てくれるかなって。特にあなたのときは、私はあのときすでにシエスタを身ごもっていましたから、特に喜んで、"この子とお前の子は違う身分の元に生まれる。しかし願わくば、いつか出会ったとき、そんなつまらぬ垣根を越えて、共に歩める本当の友になってほしいものだな"、と」

 数奇な巡り合わせだと、ルイズもシエスタも思っただろう。ほぼ同い年なだけでまったく触れ合うことなく育ってきた二人が、魔法学院の生徒とメイドとして出会い、才人をきっかけとして奇妙な友情を抱くようになったことには、目に見えない運命の導きを感じざるを得ない。

 それでもなお、ルイズにはまだあの母にそんな一面があったとは信じきれなかった。ルイズが物心ついた頃から常に毅然としていて、誰にも弱みを見せたことのない母。教育に厳しくて、自分たち姉妹の嫁ぎ先のことしか考えていないように思えた。魔法が使えない女の子は、きちんとしたところに嫁ぐことはできませんよ。そんなことばかり言われていた気がする……けれど、そんなルイズをレリアは優しく諭した。

「いいえ、ようく思い出してごらんなさい。たとえ普段は厳しくても、自分の子供を大切に思わない親なんていないわ。いつだって心配してくれて、あなたを守ってきてくれたはずよ」

 その導く言葉は、母として有無を言わさぬ強さを持っていた。そして、導きに従って記憶の泉の底からひとつずつ思い出をさらううちに、ルイズは忘れかけていたひとつの事件のことを思い出した。

 

 それは、ルイズが八つのときの、ある嵐の夜。ラ・ヴァリエールの屋敷で風の音に怯えながらルイズはベッドにもぐりこんで震えていた。この日は、いつも幼いルイズの面倒をよく見てくれるひとつ上の姉が体調を崩していたために、ルイズは一人で孤独に怯えて夜の明けるのを待っていた。

 しかし、嵐の恐怖はさらに狂騒となってルイズを襲った。深夜、荒れ狂う風雨の中に紛れ込むようにして忍び寄ってきていた怪しい男がルイズの部屋の窓を割り、彼女を無理やり連れ去ったのだ。

 当時、たった八歳だったルイズには当然抵抗できる力はなく、犯人と思われる仮面をつけたメイジの腕の中でただ泣きじゃくっていた。

 森を抜け、泉を超え、屋敷がどんどん遠くなっていくにつれて、恐怖は絶望へと塗り替えられていった。自分がなぜ連れ去られたのかは、幼いルイズにはわからなかったが、このままだと二度と家に帰ることはできないと察することはできた。

 だが、領地のはずれの川に差し掛かったとき、ルイズの耳に聞きなれた鳥の声が響いてきた。

「ノワール……おかあさま……」

 それは、危急を知って飛び出してきたカリーヌが、間一髪駆けつけてきたのだった。

 

"くっ……なぜここがわかった!?"

"簡単なことだ、わが領内で我らの追撃を逃れる術はない。ならば領地を抜ける最短ルートを読んだだけのこと。私の娘は、返してもらうぞ"

 

 それからの記憶はルイズにはほとんどない。わずかに、風を切る音がしていたことから思うに、犯人も風のメイジだったらしいが、所詮『烈風』の敵ではなく、気がついたときにはルイズはノワールの上でカリーヌの腕に抱かれていた。

「おかあ……さま」

「ルイズ……よかった……無事で、本当によかった」

 そのときの母の姿は、嵐の中で美しいブロンドの髪はしなだれ落ち、着替える間もなく飛び出してきたドレスも、雨と戦いで見る影もなく崩れきっていた。けれども、その顔にはいつも張り詰めている冷たさはどこにもなく、その顔を一目見たときから、安心感に包まれたルイズは、強く抱きしめる母の腕の中では嵐の冷たさも感じることはなく、急速に眠りの中へと落ちていった。

 その後の顛末は、犯人はルイズを連れて逃亡しようとしたものの、カリーヌに阻まれてルイズを捨てて逃亡した。しかしカリーヌはルイズの安全を優先して追撃はかけなかったために、おそらくは生きているものと思われるが、この事件は公爵家の娘が誘拐されかかった不名誉なこととして、表ざたにされることなく闇に葬られた。

 一方、無事に救われたルイズも、強すぎる恐怖体験に対する心の防御機能から、事件のことは記憶の中に封印されて、やがて戻ってきた日常の中に埋没していった。

 だが、強い記憶はいつか心が成長したときに思い起こされるものである。

「思い出した。なんで今まで忘れてたんだろう、あのときお母様は……」

 泣いていた。娘の無事を知って、大粒の涙を流していた。あのときは、雨のしずくで隠されていたけれど、今ならはっきりとわかる。孤独ではなく、わが身に変えても守りたいものの、その一端でも知った今なら。

 貴族の誇りを常に尊ぶ母なのに、着の身着のままで、無残な姿になることもかまわずに、さらに公爵家を愚弄した賊を捕らえることよりも娘の身を案じて。

 

 それだけではない。子供時代のまた別の頃、ルイズがアンリエッタの遊び相手として宮廷に上がったときのことだ。

 二人はある日、外の世界を冒険しようとして、グリフォンを一頭勝手に連れ出し、目的地も定めずに飛び出させた結果、どことも知れない深い森の中に迷い込んでしまった。

 乗ってきたグリフォンも、元々乗りこなすことなどできずに逃げられてしまい、幼い二人はどうすることもできずに、人の気配さえない森の中でさまよい続けた。

「ルイズ、ルイズもう歩けないわ……きっとわたしたち、この森の中で死ぬのよ」

「姫様、あきらめないでください。姫様は、このわたくしが命に代えても城にお帰しします。ああ、あそこに池があります。あそこで一休みいたしましょう」

 二人は、せめて水を飲もうとその池のほとりへと走った。しかし、そこには魔物が住んでいた。

「ルイズ、あれはなに?」

 池のほとりにしゃがみこんだ二人の前で、突如池の水が泡立ちはじめた。二人は、いやな予感はしたが、経験の浅さからそこを動くことができなかった。そして、そこから巨大な蛙の頭が現れたときには、すでに手遅れとなっていた。

「きゃああーっ!!」

 それは、この奥地の沼地に古くから生息していた大蛙怪獣トンダイルだった。かつてはZATの時代に地球にも現れ、地底戦車ペルミダーⅡ世と激闘を繰り広げた、人間を捕食する凶悪な怪獣だ。

「姫様、お逃げください!!」

 ルイズはアンリエッタの背中を押して、森の中へと逃がそうとした。彼女の高い忠誠心は幼い頃からだったが、未熟な彼女はまだ自らがした行動がどういう意味を持つかまではわかっていなかった。アンリエッタを逃がそうとしたとき、ルイズはトンダイルが吐き出した大きな透明なカプセルにすっぽりと取り込まれて、そのままカプセルごとトンダイルの口の中に一直線に吸い込まれていったのだ。

「いやぁぁっー!!」

 迫ってくるトンダイルの巨大な口に、ルイズは気が狂わんばかりに悲鳴をあげた。しかしそのとき!

『ライトニング・クラウド!!』

 天空から降り注いできた雷がトンダイルの脳天に落雷し、ルイズのカプセルは池の上に投げ出された。

『レビテーション』

「きゃあっ!」

 そのまま、カプセルは来た方向を逆戻りし、恐る恐る見守っていたアンリエッタの前に下りた。

「ルイズ、大丈夫ルイズ!?」

 アンリエッタは、そのとき覚えていた水魔法を使ってなんとかカプセルを壊してルイズを救出した。

「だ、大丈夫です。それよりも、姫様こそ……」

「わたしも大丈夫です。どうやら、助けが来たみたいです」

 喜色を浮かべるアンリエッタの見ている前で、巨大な影が彼女達の頭上を飛び去っていった。それは、見間違うはずもない母の使い魔の巨影。そしてその背に立つ鉄仮面の騎士を、見すごすはずなどなかった。

 アンリエッタが行方不明になった頃、カリーヌは園遊会に参加していてトリスタニアに来ていた。そこで王女がいなくなったという知らせを受けると、帰巣本能で城に戻ってきたグリフォンの進路から逆算して、常に持ち歩いている戦装束を持って何者も追いつけない速さでここまで駆けつけてきた。そしてこれが、ルイズがはじめて見る本気で戦う母の姿だった。

 今でも、その光景はルイズの目に焼きついている。怪獣を四十体の偏在で取り囲んでの『ライトニング・クラウド』での超集中雷撃。さらに水中へ逃げ込もうとした怪獣を、同じく四十倍の『カッター・トルネード』で池の水ごと空中へ舞い上げ、粉々に打ち砕いたのである。

 ……むろん、その後苛烈なまでの雷は無謀な冒険をやらかした二人の少女に降りかかった。

「大馬鹿者!!」

 乾いた音が二つ響き、泥の上に二人が激しく投げ出された。

「お前達が無茶をしたおかげでどれだけの人間が心配したと思う! 何かをする前に、自分達の行動で何が起こるのかよく考えろ!!」

「うっ、うぇぇーん!」

「ルイズ、痛いよ、痛いよぉ」

 カリーヌはアンリエッタにも容赦なく平手を打っていた。ここで、王女だからと特別扱いをすれば、まだ正確な判断力を持たない幼児は自らのエゴイズムがどんなときでも許されると錯覚し、際限なく増長していって、やがては国を蝕む暴君の誕生を呼ぶことにつながるからだ。

 そして、泣きじゃくる二人から、この事件は外の世界を見たいアンリエッタが、お友達のルイズにそう頼み、ルイズが他ならぬ姫様の頼みだからと後押しする形で進めたことを聞き出し、カリーヌは改めて両者を叱責した。

「まず……ルイズ! なぜ姫様を止めなかった、お前が姫様を止めていれば、はじめからこんな騒ぎにはならなかったはずだ!」

「それは……わたしは、姫様の、おともだちだから」

「馬鹿者! 友達とは都合のいいように召使をするものではない。共に歩むだけでなく、道を踏み外そうとすれば力づくでも引き戻すようなものをいうのだ。ただ姫様を楽しませて言うことを聞くだけなら、そこらの道化でもできる。なんのためにお前が姫様の遊び相手に選ばれたのか、自分の役目をよく考えろ!!」

「はっ、はいぃ!!」

 それ以上平手をふるいはしなかったが、カリーヌの言葉の雷はルイズの心に食い込んでいっていた。

「それから、姫様!」

「はっ、はいっ!!」

 次にカリーヌはアンリエッタの前にひざまづき、仮面をつけたままで視線を彼女の高さまで落とした。その眼光の鋭さはルイズのときとまったく変わらず、これまで多くの大人にかしずかれてきたアンリエッタには経験のない、他者に威圧されるという感覚を始めて感じていた。

「姫様、好奇心の強いのはよいことです。しかし、あなた一人の勝手のためにどれだけ多くの臣下が慌てたと思っているのです。いいえ、心配だけならともかく、あなたはルイズを……自分のお友達をあわや死なせてしまうところだったのですよ」

「は、はい……」

 そのときアンリエッタは、はいとは言ったものの、視線はカリーヌを見返していなかった。いや、その内心ではむしろ一騎士ごときがなぜ邪魔をするのかと、いわば不当に叱責されているという、幼い心にすでに巣食った傲慢さがかいま見えていた。

 すると、カリーヌはアンリエッタの肩に手を置くと、彼女の肩を外れない程度に加減をかけながら握力を込めた。

「姫様、これだけは覚えておいてください……」

「いたっ! 痛いっ、離して、離しなさい!」

 アンリエッタの肩に激痛が走り、反射的に彼女は振り払おうともがいた。しかし、カリーヌはアンリエッタの悲鳴にも耳を貸さない。

「主君が主君たる器を見せなければ、臣は忠誠を尽くす義務を持ちません。もしあなたが、ルイズを、自分以外の者を犠牲にしてでもわがままを通そうというのなら、そのときは力を持って訓をたれさせていただきます」

「痛い、痛い痛いっ、ルイズ、ルイズ助けて!」

「やめて! もうやめてあげてください」

 とうとう見かねたルイズがカリーヌの手に飛び掛っても、カリーヌは力を緩めない。

「甘ったれるな!! お前はこれよりもっとひどい痛みをルイズに与えようとしたのだ。いいか!! これが罰だ、この痛みをよく覚えておけ! わかったか、返事は!?」

「はいっ!! わかりました、二度と、二度とこんなことはいたしません!」

 必死で泣き喚きながらアンリエッタが答えたとき、カリーヌはようやく手を離した。ルイズが慌てて駆け寄り、震えている彼女の肩をさすってやっている。このときすでにアンリエッタの中の伸びすぎた自尊心の牙は完全にへし折られてしまっていた。

 カリーヌは、そんな二人の姿をじっと見下ろしていたが、やがて二人の前に腰を下ろして、怯えているアンリエッタに目じりを緩めて穏やかに話しかけた。

「姫様、今ルイズがなぜあなたをかばったか御分かりですか? それは、この子はあなたのことが好きだからですよ。あなたにとってはただの一臣下でも、この子にとっては初めてできた大切な友達なんです。それだけでも、この子の存在はあなたにとってかけがえのない財産になるでしょう。よく、覚えておいてください」

「はい……」

「よろしい……では、帰りますよ」

 辺境の沼地を、ラルゲユウスの翼に抱かれて一行は後にした。このときのことが、アンリエッタが『烈風』に会った最初のことになるのだが、まだ彼女は『烈風』の正体には気づいておらず、それを知るのはさらに長い年月を必要とした。

 やがて、アンリエッタが疲労のために眠ってしまうと、カリーヌはようやく仮面を外して娘に素顔を見せた。

「お母様……」

「まったく、お前という子はいつもいつも心配ばかりかけて……けれど、よく姫様を守ってくれましたね」

 泥だらけの娘の体をぐっと抱きしめる母のぬくもりは、冷え切ったルイズの体をゆっくりと温めていった。

 その後のことは、内々に処理されたらしく、公式記録には残されていない。しかし、このときの経験が、後のアンリエッタの人格形成に大きく影響したであろうことはまず間違いない。

 それに、ルイズもこの事件のトラウマでその後蛙が大嫌いになったものの、アンリエッタに従うだけでなく、時に意見が違えばけんかしてでも筋を通そうとするようになった。

 だが、考えて見ればそれもこれも、みんなあのときカリーヌに救われていたらこそあることだ。あのとき、矢も盾もたまらずに飛び出してきて、身分もはばからずに過ちを叱責してくれたからこそ、今ルイズとアンリエッタの間には主従ではなく、本物の友情がある。

 

 それに気づいたルイズは、知っていたはずなのに忘れていた母の愛の強さに、自分が縛られていたのではなく強い力で守られていたのだと気づき、こみ上げる感情にのどを押さえた。

「……」

「あの人は不器用ですけど、母としての役割を果たすことに努力を怠ったことはないですよ。あなたがこうして立派に成長できたのがなによりの証拠です」

 親の心、子知らずとはよく言ったものだ。親が子に与える愛は純粋すぎてかえって相手には歪んで伝わってしまう。才人も、ハルケギニアに来て以来、ずっと会っていない日本の両親のことを思い出し、キュルケも逃げるようにして出てきた国の両親のことを、タバサも遠い過去に消えていった家族との思い出を蘇らせていた。

「わたしったら、本当にゼロね。昔からお母様たちには迷惑をかけてばかりで……母親になるって、本当に大変なことなのね」

「いいえ、それがわかっただけでも、あなたにこのお話をしたかいがあったわ……けど、このことは絶対秘密にしておいてね。カリーヌさまに知られたら、怒られちゃうから」

 いたずらっぽく微笑むレリアの横顔には、昔を懐かしむ思いと、ようやく自分たちの子供にこのことを伝えられたという満足感が漂っていた。

「さあ、そろそろ帰りましょう。皆さんのぶんのヨシュナヴェが待ってますよ」

「はーい!」

 言われてみれば、夕食を放り出して出てきたのだった。急に襲ってきた空腹感が全員に伝染し、一行は一も二もなく賛成して村への帰途についた。

 

 けれども、村への道を歩く中、話をただ黙って聞いていたロングビルがぽつりと誰にも聞こえないようつぶやいた。

「数奇な運命か……程ってものがあるわよ……」

 

 

 続く


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。