ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第50話  『烈風』カリンの知られざる伝説  霧の中の吸血鬼

 第50話

 『烈風』カリンの知られざる伝説

 霧の中の吸血鬼

 

 吸血怪獣 ギマイラ 登場!

 

 

 今から三十年前の暑い夏の日、山賊たちから佐々木たちを救ったマンティコア隊の一群は、負傷者と盗賊の移送に後方に下がった一隊を残して、タルブ村の周囲を警戒しつつ普段の半分ほどの速度で飛んでいた。

 先頭を飛ぶのは巨鳥ラルゲユウス、この世界の名をノワールと名づけられたその背の上には主人たる『烈風』カリンのほか、佐々木武雄、その娘レリア、アスカ・シン、それから彼らに助けられた謎の少女ティリーが乗っている。

「なるほど、報告にあったとおりだな。すごい霧だ……」

 『烈風』カリン、本名カリーヌはタルブ村とその周辺をすっぽりと傘のように覆いつくす霧を見ていぶかしげに言った。

 地図でいうタルブ村のある場所を中心に、その周囲数リーグの森や山を白煙のような霧が包み込んでいる。そのせいで、中の村の姿はまったく見えない。

 これを見て、一月前に村を出てきた佐々木やレリアはこの異常事態に驚き、村に残してきた家族の身を案じた。だが悲嘆に暮れる間もなく、カリーヌから村の様子を聞かれて慌てて答えた。

「この辺は、このような霧が発生することがあるのか?」

「あ! い、いいえ、多少曇ることはありますが、こんなミルクをぶちまけたような濃い霧が出たことは、私が住み着いてから三十年、一度もありませんでした」

「だろうな……」

 カリーヌは佐々木の言を得て確信した。『風』系統の魔法使いである彼女は、村を覆う霧の異常性に最初見たときから気づいている。風が吹いてないわけでもないのに、表面がわずかに波打つだけで動く気配がまったくない。それ以前に、今日の天候はとても暑く、空には分厚い雲が立ち込めている、とても霧が発生するような気候ではない。

 となれば、誰かが意図的に作り出したものと見るべきである。カリーヌはさっそく『水』系統の部下に調査を命じ、すぐさま何騎かが霧に近寄ってディテクトマジックなどで霧を調査し始めた。

「へえーっ、魔法ってのは便利なもんだな」

 その様子を見ていたアスカが、物珍しそうにマンティコア隊の姿を眺めているのを見て、レリア、後のシエスタの母は不思議そうにアスカの顔を見て言った。

「魔法が、そんなに珍しいんですか?」

 実際、平民であるレリアも魔法を見る機会にはそう事欠かない。用水路や新しい畑を作るときには『土』のメイジが、雨が長期間降らないときには『水』のメイジが派遣されてくることはよくある。貴族たちも、税収が少ないよりは多いほうがうれしいわけで、幸いこの当時のタルブ周辺の領主はそれなりに物分りのよい有能な人物だった。

「ん? 俺はけっこう遠いとこから来たんでな。俺のとこじゃいろんな道具を使って調べたりするんだ」

「へー、そういえば、アスカさんって変わった名前ですよね。なんて国から来たんですか?」

 そう聞かれたアスカはひと呼吸置くと、じっと村のほうを見ている佐々木のほうをちらりと見て、わざと向こうにも聞こえるように大きな声で言った。

 

「日本」

 

 そのとき、平静を装っていた佐々木の肩が電気を流されたかのように震えたのを、彼の孫娘は見逃さなかった。

「おじいちゃん、どうしたの?」

「い、いや、なんでもない。ちょっと待ってなさい」

 佐々木は孫娘に待っているように言うと、アスカをノワールの尾羽のほうまで連れて行って、耳元で話しかけた。

「アスカくん、薄々思っていたが、君も……地球人だったのか」

「やっぱり、あんたもそうだったのか……ササキなんて名前、こっちじゃまず無いからな。けど、俺以外にも地球人がこの世界に迷い込んでいたとはな……」

 佐々木とアスカはお互いに顔を見合わせて、アスカはやや茶髪がかっているが、この世界の人間にはまずない黒い髪と瞳を合わせた。

「それで、君はどうしてこの世界へ?」

「俺は、どう説明したもんかな……俺はTPCのスーパーGUTSの隊員なんだけど、怪獣と戦ってる最中にできたワームホールに飲み込まれて、気づいたらこの世界に来ちまってたんだ」

 アスカはそう言って、隊員服についたスーパーGUTSのエンブレムを見せたが、佐々木は少々怪訝な顔をした。

「TPC?」

「地球平和連合、知らねえか? じいさんいったいいつ頃こっちに来たんだ?」

 佐々木は三十年前と答えて、アスカはそれだったらしょうがねえなとうなづいた。彼がやってきた時代は普通に怪獣が出るが、その十数年前までは怪獣の出現などはなく、スーパーGUTSの前身であるGUTSも元は非武装組織だったのだ。

 ただ、その次に佐々木が言ったことは、今度はアスカを戸惑わせた。

「そうか……私のいない間にそんなに地球は変っていたのか。三十年も経てば当然か、思えば、怪獣頻出期からでさえ二十五年も経っていたからな。私は、昔はこう見えてもCREW GUYSの隊員でね。怪獣ディノゾールとの戦いの際に乗機ごとこっちに送られてしまって、それ以来こっちに住んでいる。なあ、三十年前のディノゾールとの戦いの結果はどうなったんだ? 防衛チームの一員なら知っているだろう」

「ち、ちょっと待ってくれよ! GUYSにディノゾールって、あんた何言ってるんだ」

 アスカの慌てた言葉に、佐々木のほうが何を言っているんだという顔をした。

「何って、1981年のUGMによる怪獣マーゴドン撃破で怪獣頻出期が終わったことくらい知ってるだろ。それから二十五年怪獣は出現してこなかったが、念のために地球防衛組織としてGUYSが残った。けれど、私が在籍していた2006年に宇宙怪獣ディノゾールが来襲してきたんだ。そのくらいのことは、ニュースでも放送されていたはずだが?」

「いやいやいや……日本に怪獣が出たのは、2007年のゴルザとメルバが最初のはずだぜ、って、2006年? 俺が来たのは2020年だぜ!」

「なに? 私の来た時代から十年少ししか経ってないじゃないか……」

 そこでようやく、二人はお互いの間に大きな食い違いがあることを認識したのだった。地球から来たというだけで無条件に相手を同じ世界からの来訪者だと思ったが、まったく話が合わない。

 気を落ち着けて、両者はあらためてお互いの地球のことをもう少し正確に説明しあった。主に、代表的な怪獣や防衛組織、起こった事件、そしてウルトラマンのことを。

 

「超古代から蘇った怪獣たちとウルトラマンか……だが、ティガやダイナというウルトラマンは聞いたことがない」

「俺だって、ウルトラ兄弟なんて呼ばれるほどたくさんウルトラマンがいるなんて信じられねえよ。ウルトラセブンに、ウルトラマンAって名前も……知ら、ないしなあ」

 アスカは、知らないと言いかけて、何か心に引っかかるものを感じた。確かにこの場で初めて聞いたはずなのに、なぜかそんな気がせず、佐々木の言葉を完全否定することができない。

 二人とも、相手が根も葉もないでたらめを言っているのではないか、自分をだまそうとしているのではないかと一瞬思ったが、すぐにそれを否定した。地球のことを知っているのは地球人以外にはありえない。しかしそれにしても、こうまで突拍子もないうそをつく必要もない。

 けれどそうして二人して頭をひねっていると、ふいにアスカの脳裏にある単語が浮かんできた。

「もしかして……俺とじいさんは、似ているけどちょっと違う地球から来たのかもしれねえなあ」

「それは、どういうことかね?」

「いや、俺の友達から昔聞いたことなんだけどな。多次元宇宙論って言って、この宇宙はよく似ているけど少しずつ違う世界が無数に存在してるっていうんだ」

「つまり、私の来たウルトラ兄弟のいる世界や、君の言うティガやダイナのいる世界というわけだな。そんな馬鹿な、とも言えないな、すでにハルケギニアなんて異世界に来ている身だ」

 佐々木は、そういえばこのハルケギニアのある星は地形が地球と極めてよく似ていたなと思い出し、アスカの説を否定しきれない材料があるなと思った。それに、このアスカという青年はどう見ても嘘をつけそうな風ではない。むしろ、おやつをつまみ食いしたのさえごまかせないような単細胞というか、おバカな感じが伝わってくるというか。

「ふむ、わかった。完全にではないが、君を信用することにしよう。それにしても、多次元宇宙論なんて難しい理論をよく知っているな。その君の友人というのは学者かなにかかい?」

「ああ、天才って言われてたぜ。名前は……あれ?」

 アスカはそこで、誇らしく口に出そうとしたその名前を思い出せないことに気づいた。なぜだろう、小さなころからよく知っていたはずなのに思い出せない。いや、小さなころから? 自分が小さいころにそんな友達がいたか? そいつは天才と言われていて……でも……思い出せない。まるで、自分のなかにもう一人の自分がいて、その記憶を覗いているみたいだ。

「アスカくん? どうしたね」

「いや、なんでもない……ド忘れかなあ。けど、俺もあんたの言うことを信じるぜ」

 それはアスカの理性というよりは本能によって出された答えだった。曖昧な記憶のことはひっかかるものの、この老人はなぜか信じていいという気持ちが胸の奥から沸いてきたのだ。アスカと佐々木は軽く笑みをかわすと、がっちりと手を握り合った。

 そんな二人の様子を、レリアとティリーはさっきから不思議そうに眺めていた。彼らの話はときたま聞こえてくるが、彼女達には意味の分からない言葉ばかりで、具体的に何を話しているのかはさっぱりわからない。けれど、笑みをかわして手を握り合ったところから、なにかいい具合に話がついたのだとは予想がついた。

「おじいちゃん、アスカさんと何を話してるの?」

「あ、レリア……いやな、アスカくんは私の来た国と近い国から来たみたいなのでね。懐かしくてつい話し込んでしまった」

 佐々木はそう言ってなんとかごまかした。これまでの話を説明するのは無理すぎる。

 また、アスカも適当に笑ってごまかそうとして、ティリーと話していた。

「アスカさんって不思議な人ですね。どんな人ともすぐに仲良くなっちゃって、私は人と付き合うのが苦手ですからうらやましいです」

「買いかぶりだって! 俺なんて新人のころから隊長にもみんなにも迷惑かけっぱなしでさあ……ヒビキ隊長にコウダ隊員、みんな元気にしてるかなあ……」

「お国にも、お友達が大勢いらっしゃったんですね。私も、故郷に残してきた人たちがいますから……もう、遠くて帰ることはできませんが」

 憂いげにつぶやくティリーを見て、アスカはなんとなく不思議な感じがした。彼女とは三日ほど前にたまたま道で会ったのだが、この世界の土地勘がなくて行き倒れかけていたアスカを拾って食事を与えて、アスカが行く当てが無く、金も持っていないことを知るといっしょに行かないかと誘ってくれた。それでアスカは恩返しのボディガードもかねて馬車に同行させてもらっているのだけれど、馬車の中や寝るときも帽子を離さないし、たまにハルケギニアの常識に対してアスカでもしないようなボケをかます。例えばリンゴひとつを買うのに金貨を出そうとしたり、軽く雨が降ってきただけで子供のようにはしゃぎだして、しかも傘の差し方を知らなかったりといったふうである。彼女いわく、自分は遠い砂漠の国から来たそうだが、それにしてもミステリアスな少女であった。

 

 

 だが、そうして長話をしているうちに状況は変わっていったらしい。調査をしていたマンティコア隊の隊員から隊長に、「魔法の反応は一切ありません」と報告があり、カリーヌはすぐさま次の指示を下していた。

「よし、第二小隊は霧の中に突入して中の様子を偵察してこい。ただし、住民の安否を確かめるのが先決だ。なにかあっても手出しはせずに一旦戻れ」

「了解」

 命令を受けた第二小隊の五名ほどの隊員は、無駄な動作をせずに霧のなかへとそれぞれ飛び込んでいった。

 それを後ろからじっと見ていたアスカと佐々木は、嫌な予感が走るのを覚えていた。確かに魔法の反応は無い、しかし自然の霧がこんな気候の中で流れもせずに停滞し続けているのは気象学的に素人でもありえないと思う。

 だが、魔法の反応が無い以上、危険は低いものと判断したカリーヌの判断を不注意だと笑うことはできない。地球でも科学的な裏づけがないからと怪獣の存在を否定して事件を未然に防げずに、被害を拡大させてしまった例は両手両足の指を使いきっても足りないのだ。

 突入していった隊員たちのマンティコアは霧に覆われてすぐに見えなくなり、再び待ちの姿勢に戻った。誰も私語など一切せぬ中で、五分が過ぎ、十分が過ぎ、暑さで汗が額から滑り落ちていく。

 だが、二十分、さらに三十分が過ぎても入っていった隊員たちは誰一人戻ってこないことから、カリーヌたちはまだしもアスカなどがしびれを切らせてきた。

「おっせえなあ。いったい何してんだ」

 そんなアスカの態度に、カリーヌは眉をぴくりと動かしたが、それ以上のことはしなかった。彼女も、いくらなんでも帰りが遅すぎると考えていた。村ひとつ飲み込んでいるとはいえ、霧の影響範囲はそう広くは無い。万一中で迷ったとしても上昇すれば霧からは抜けられるし、五人が五人とも帰ってこないとはおかしい。

「隊長……」

「わかっている。こうなれば……ぬ? 戻ってきたか」

 しびれを切らしかけた副隊長の言葉にカリーヌが動きかけたとき、霧の中から偵察に行っていた部下達が五人いっせいに現れた。見たところ、傷などを負った様子もなく、全員粛々とこちらにやってくる。

「遅かったではないか、いったい今まで何をやっておった?」

 副隊長がいらだちを見せて五人の騎士に近寄る。だが、彼が近寄ろうとしたときに彼らは変貌した!

 虚ろな表情で顔を上げた彼らは、そのまま杖を掲げて副隊長に攻撃魔法を撃ったのだ。

「な!? 貴様ら」

「下がれ!! ゼッサール!!」

 隊長の言葉に反射的に反応して身を引いた副隊長のいた場所で、五人の騎士とカリーヌの魔法がぶつかり合って爆発を起こす。が、五人の魔法の攻撃力の合計よりカリーヌの魔法の威力が勝っており、爆風はそのまま五人を襲って、彼らを地面の上へとなぎ倒した!

「なっ、なな!?」

「第三小隊、第二小隊の五名を捕縛せよ。薬物、もしくは魔法による精神操作がかけられている恐れがある。衛生兵はただちに原因を究明して治療せよ!」

 うろたえている副隊長を尻目に、カリーヌは迅速にその後も指示を下していった。

 まず、部隊を霧から一定距離離す。さらに一部隊を警戒に当たらせて防御布陣を敷き、霧の中に潜む何者かへの備えを固めることで、衛生兵が安心して拘束した偵察隊になにが起こったのかを調査させる。それにかかった時間はおおよそ一分以下、アスカや佐々木から見てもびっくりするくらいに見事な指揮ぶりであった。

「すげー……ヒビキ隊長の女性版みてえ」

「セリザワ隊長にしごかれてた頃を思い出すな……」

 カリーヌの顔の下半分は鉄の仮面に覆われて、素顔はよく見えなかったが、女性の身でありながら、冷静沈着即断即決な指揮に二人は感嘆を禁じえなかった。

 やがて、衛生兵から偵察隊には魔法で操られた形跡はなく、薬物による洗脳、恐らくは霧と共に毒物を吸引させられた可能性が高いという報告が上がってきて、カリーヌは全軍に警戒態勢から戦闘態勢に移行するように命令を下した。

 

「毒の霧に身を隠して立てこもるか……姑息なことを考えたものだな」

「しかし、これではうかつに侵入できません、どういたしますか?」

 タルブ村を覆う霧は、相変わらず村の周囲に立ち込めて動く気配がない。もはやこれが人工のものであることは明らかとなったが、うかつに飛び込めば偵察隊の二の舞になる。ただし、これが並みの部隊であったのなら手詰まりになったかもしれないが、これは『烈風』の率いる部隊である。

「簡単だ。霧を吹き飛ばせばいい」

 事もなく言い放ったカリーヌは杖を振るうと、霧の上空をかすめるように『カッター・トルネード』を放った。瞬時に形勢された巨大竜巻が、横殴りに巨大なグラインダーのように霧を削っていく。

「うわーっ……すげー」

 その圧倒的な光景に、アスカはアホのように口を開いて見とれていた。まだハルケギニアに来て日が浅いアスカにとっては、まだまだ魔法というのは新鮮で刺激的なものだった。

 だが、急激な気圧差と気流を生み、周囲の森の木々すら引き込みそうな勢いの竜巻にさらされながら、霧の固まりは表面を振るわせる程度でビクとも動く気配がない。

「やはり、ただの霧じゃないな……」

 『カッター・トルネード』を解除して、カリーヌは憮然とつぶやいた。周りでは、隊長のスクウェアスペルが通用しないことで隊員たちがとまどいの声をあげているが、そのようなものに構っている暇は無い。

 それにしても、これはいったいなんなのかとカリーヌは思考をめぐらせた。村ひとつを包み込むほどの毒の霧を発生させ、なおかつ魔力を一切検知させない方法など聞いたこともない。ならば、精霊の力を使うという先住魔法の類か? 毒の霧に包まれたタルブの村は、いまだに沈黙を守っている。

 しかし、考えてもらちがあかないとカリーヌは後ろを振り返り、現地協力者たちに声をかけた。

「ササキ、最近タルブに何か変ったことはなかったか? これだけのことだ、お前たちが村を出る前からも前兆が現れていた可能性もある」

「はあ……」

 佐々木は頭をひねって考えたが、特にこれといって思い浮かぶことはない。出かける前も、タルブ村はいつもどおりに平穏だった。けれど、彼の後ろから娘のレリアが手を上げた。

「あのー……いいですか?」

「なんだ?」

 祖父の後ろから貴族を恐れておずおずと顔を出しているレリアの容姿は、才人に会ったころのシエスタとよく似ている。

「一週間ほど前なんですけど……夜中に山小屋の窓から、タルブの方向に流れ星が落ちていくのが見えたんです」

「流れ星だと?」

「はい……夜中に目が覚めて……すごく大きくて、真っ赤な……そのときは夢かと思ったんですが」

「ふむ、流れ星か……悪いが、それだけでは手がかりにはならんな」

「すみません」

 残念ながら、カリーヌはレリアの話を重視することはなかった。善意で言った者をけん責するようなことはしないけれど、流れ星などというありふれた自然現象が関係しているとは彼女には思えなかった。

 レリアは緊張と恥ずかしさのあまり顔を赤くしてうなだれている。無理もない、彼女にとっては貴族にものを申すという、なけなしの勇気を振り絞ったことが空振りに終わったのだから。だが、防衛チーム出身の佐々木とアスカは別の感想を持っていた。

「流れ星か……臭いな、それは」

「ああ、怪獣の卵か……宇宙船か」

 二人の世界のどちらでも、奇妙な流れ星のあった後に事件が発生したという事例は数え切れないほどある。宇宙怪獣か、もしくは宇宙人か……けれども、残念ながらそういった経験を持たないカリーヌたちは、充分に用心はしているのだろうが、なおも霧の中への突入をあきらめてはいなかった。

「第一、第三小隊突入用意!! 私も行く」

「お、おいおい!! あれは毒の霧だってわかったんだろ!! 無茶じゃねえか」

 ためらいもなくそう言い放ったカリーヌに、なにを考えてるんだとアスカは叫んだ。しかし、もちろんカリーヌにも考えはあった。

「心配いらん、風の防壁で自分達の周りに空気の球を作り、霧に侵入されるのを防ぐ。本来は水中に潜るときに使う手だが、吸い込まなければ毒の霧とて問題はない。それよりも……」

 カリーヌは一呼吸置くと、一行を見渡して冷然と言い放った。

「お前たち、悪いがこのまま連れていくのは危険になった。離れた場所に衛生兵といっしょに下ろすから、そこで片がつくまで待っていろ」

「えっ!? 今更なに言うんだよ!」

 最初は彼らが役に立つかもと思い、同行を許可したカリーヌだったが、事態の悪化によってためらわずに彼らを下ろす判断をしていた。アスカなどは抗議したものの、カリーヌは一度した決断を変えようとはしなかった。

「悪いが、民を守るのが軍隊の絶対の存在意義だ。民を危険に合わせて事態に当たるようでは本末転倒、これ以上は協力を超えてしまう。軍の規律に合わせても、お前たちを連れてはいけん」

 そう言われては、これ以上文句も言えない。そもそも始めからかなり無理を言って連れてきてもらったのだ。

 また、彼女の指揮官としての態度や気構えにはアスカや佐々木も正直感心していた。判断力、決断力があるだけでなく、『自分たちは何のためにいるのか』ということをよくわきまえている。きっと、常に正しい判断ができるように心に強く抑制をかけているのだろう。そんな相手に向かって、規律を曲げてまで手伝わせてくれと言っても聞いてもらえるとは思えない。

 だが、優秀な指揮官が常に正しい判断をするとは限らない。ハルケギニアの作戦行動の基準でいえば正しいのだろうが、佐々木やアスカから見れば怪獣か宇宙人が潜んでいるかもしれない場所にのこのこ踏み込んでいくのは危険すぎる。けれども、それをこの世界の人間に説明するのは至難の業だ。ならば自分達としてはどうするべきか。

 カリーヌの使い魔の巨鳥ノワールが着陸するまでの間に考えた結果、佐々木は思い切ってもう一度カリーヌに進言してみた。

「隊長どの、霧の中での案内役は必要ではありませんか?」

「案内役?」

 佐々木は、この霧の中では手探りで進むことになるだろう。タルブは小さな村だが、丘もあれば大きな家や林もあるので、そうすればいくら数がいるとはいえ迷ってしまう。恐らく霧を発生させた奴は、村の中央の村長の家あたりに潜んでいるかもしれないからそこまで案内する。原因が見つかれば、あとは適当な隊員に外まで送ってもらえればいいと懇願し、カリーヌは考えた結果佐々木一人のみの同行を許可した。

 これで、もし中で何かあっても土地勘のある佐々木が同行すれば、危機を回避できるかもしれない。後は外のことだ。佐々木はレリアとアスカを近くに呼ぶと、耳元で短くささやいた。

「レリア、アスカくんを私のあれのところまで案内してあげてくれ、いいな」

「うん、おじいちゃん」

「なんだい、アレって?」

「そこへ行けば、すべて分かるはずだ。頼む、黙って聞いてくれ」

 その真剣な表情に、アスカはそれ以上の詮索はやめてうなづいた。

「ありがとう……では、これを持っていってくれ」

 佐々木は懐からオレンジ色をした小さな機械をアスカの手に握らせた。

「これは?」

「GUYSメモリーディスプレイ、あとのことはレリアから聞いてくれ」

 それは、佐々木がこの世界にやってきてから、これだけはGUYS隊員の証として肌身離さず持っているものだった。それを託すということは、本気で信頼して頼ってくれている証である。アスカはそれを大事に受け取ると、右手の親指を立てるグの形にして答えた。

「ラジャー!」

「?」

「スーパーGUTSの了解のあいさつだよ。じゃあ、佐々木さんも気をつけろよ」

「フッ……G・I・G」

 

 霧の前では、マンティコア隊の隊員たちが風のメイジを中心にして、次々に空気のドームを作っていた。地球ではガスマスクをかぶるだろうが、この世界にそんな気の利いたものはない。アスカたちを後ろに置き、カリーヌも杖を振るって空気のドームを作った。大きさは半径およそ二十メイル、ほかの隊員達のおよそ五倍はある。

「よし、全隊マンティコアに騎乗では危険なので、徒歩で中を探索する。第一目的は村人の安全の確保、第二目的は霧の元凶の発見とこれの停止だ。中で何が待っているかはわからん、くれぐれも用心してかかれ、私が村の中央を目指す。第一小隊は左翼、第三小隊は右翼を探索だ。では、全隊突入!」

「はっ!」

 隊員たちは一糸乱れぬ敬礼をすると、そのまま霧の中へと突入していった。もちろん、カリーヌと佐々木も同様に、この危険極まりない中へと足を踏み入れる。

 頼むぞ、アスカくん……

 霧の中へ消える寸前、佐々木とアスカは目で会話し、レリアに案内されてアスカは駆け出した。

 ……待ってろよ、じいさん。

 その、霧の中と山の中へ去っていく者達を見守りながら、ティリーは無事を心の中で祈っていた。

 ……あなた方に、大いなる意思のご加護があらんことを……

 

 タルブ村の中は、完全に白い闇に包み込まれていた。

「まるで雲の中を歩いてるみたいだな……」

 一月前には村人達が今年のぶどうの出来高でも考えながら歩いていた道も、今では人間を寄せ付けない毒の霧で覆われていて、不気味な沈黙に支配されている。

「ササキ、村長の屋敷はこのまま進めばいいのか?」

 先頭を自然体の、いつでもどの方向にでも杖を向けられるように構えた姿勢で歩きながら、カリーヌは佐々木に尋ねた。その肩には、最小サイズまで縮小したノワールが止まって、鉄仮面と不釣合いな奇妙な雰囲気を作り出している。

「あ、はい。けど、村人達の姿が見えません、いったいどこに消えたのでしょうか……」

 何軒かの家を覗いてみたものの、村人達の姿はどこにも見当たらなかった。村に息子夫婦を残している佐々木としては気がかりでしょうがないが、今は私情をぐっとこらえてカリーヌたちを先導する。

「家族が心配か?」

「えっ!?」

 唐突にカリーヌにそんなことを聞かれたので佐々木は思わず間抜けな声を出してしまった。

「そりゃ当然気になります。息子に嫁に、万一のことがあればと思うと……隊長殿にはご家族は……?」

「父はだいぶ前に戦死した。母も長いこと会ってはいない」

「お子さんは?」

 そう聞いてみて佐々木はしまったと思った。この軍人というものを具象化したような戦乙女に子供がいるとは考えにくい。そして案の定、カリーヌの口からは「いない」の一言が返ってきた。

 そういえば、自分も地球からハルケギニアに来てから向こうに残した家族には会っていない。あのディノゾールとの戦いで自分は確実に殉職扱いになっているであろうから、自分の両親や兄弟はすでに自分のことはほとんど忘れているだろうけど、それでも懐かしいことに変りはない。佐々木は、この目じりだけでも美人と分かる女戦士が恋も知らずに老いていくのかと、少し物悲しくなった。

「余計なことかもしれませんが、ご自分の家庭を持たれるのもよいかと思いますよ。人間、一生に一人は子供を残して親に報いるのが義務ではないですか」

「その心配なら無用だ。私が死ぬまで戦い続ければ、私が守った者達が代わりに子を産み育ててくれる。それで元は取れるだろう」

 やはりにべもなかった。佐々木は苦笑したが、彼女の部下たちの手前もあってこれ以上言うのは避けた。

 霧はなおも深く、魔法の障壁の外はぼやけ、ほんの三メイル先のことさえ見えない。

 

 

 そのころ…

 カリーヌたちから右手に見ておよそ六百メイルほど離れた霧の中を、マンティコア隊第三小隊の五名の隊員たちは、周囲を警戒しながらゆっくりと進んでいた。

「……」

 空気のドームを作っている風のメイジ一人を除いて、残りの四人のメイジは何があっても対応できるように杖を握り、感覚を研ぎ澄ませて進む。『烈風』カリン一人に目が行きがちだが、彼女に鍛えられたこのマンティコア隊の隊員たちもまたトリステイン有数の魔法騎士で、それぞれが最低トライアングルクラス、戦闘能力だけで言えば、一人でオーク鬼十匹や火竜を相手にできるだけの実力がある。

 そんな彼らが五感をフルに発揮して臨戦態勢をとっている今、例え四方からオーク鬼が襲い掛かったとしても返り討ちに会うだけだろう。それだけの実力と経験に裏付けられた自信を持って、彼らは隊長から与えられた任務を果たさんと無心に歩んでいた。

「物音ひとつしないな……」

 普段なら小鳥かカラスの声でもしているであろう、のどかな田舎の風景を切り取った箱庭の中は、自分の心音でも聞こえそうなくらい沈黙に包まれている。

 隊長から与えられた探すものは二つ、"敵"と"村人"、正直こんな環境の中で村人が無事とは思いがたいが、彼らの任務遂行の意思に変わりはない。そして、そんな彼らに誰かが応えたのか、彼らの進むドームの前に突然地面に倒れ伏している人間の姿が複数現れてきたのだった。

「構え!」

 小隊指揮官の号令で、第三小隊の先頭はその倒れている人間に杖を向けた。そしてそのままじりじりと警戒態勢をとったまま倒れている人間たちに歩み寄る。どうやら身なりから見てタルブの村人らしい。だがなぜすぐに助けにいかないかといえば、戦場で死んだふりをしている敵や、死体を囮にしての攻撃などは当たり前、それにさっき凶暴化させられた第二小隊のように彼らが襲ってこないとも限らない。

 慎重に、一人が近づいて倒れている村人の呼吸を確かめ、体温を測る。

「生きています。この霧で意識を失っているようです」

 簡潔に、必要事項だけをまとめた報告が他の隊員たちにわずかな安堵を与えた。

「運び出しますか?」

「いや、この霧を晴らすのが先だ。村人といっても数百人はいるだろう、我らだけで運び出すのは無理だ、とりあえず生存を確認できただけでよしとしよう。我らはこのまま……」

 小隊長が、我らはこのまま前進、と言いかけたときだった。突然、霧の奥から獣のものとも知れない不気味な遠吠えのようなものが彼らを守る空気の壁を震わせたのだ。

「今の鳴き声はなんだ!?」

「し、小隊長、あれを!」

 隊員の一人が、指差した先……ドームの天上部分を見た隊員たちは一様に絶句した。

 彼らの頭上の霧の中から、突如鈍く不気味に輝く目が現れ、次の瞬間には鋭い牙をいっぱいに生やした火竜の十倍はありそうな巨大な口が彼らに向かって顎を開いてきたのだ!!

 

【挿絵表示】

 

「う、撃て! 撃て!」

 小隊長は本能的に攻撃を命じた。言われるまでもなく、隊員たちも反射的に杖を空の口に向ける。

 しかし、そこから魔法が放たれることはなかった。

「う、うわっ! こいつら!?」

「は、離せ、離さんか!!」

 隊員たちが頭上に注意を向けた隙に、気を失っていたはずの村人たちが起き上がり、隊員たちにつかみかかってきて、杖を降るわせまいと押し倒そうとしてくるではないか。

「あ、操られているんだ!!」

 村人たちの目は焦点が合っておらず、まるで死人のように表情がない。つまり、第二小隊とまったく同じ状態にされている。意思を持たない操り人形に。

「く、くそっ! こいつらどんどん増えやがる!」

 やはり、村人も敵のコントロール下にあったのだと気づいたときにはすでに遅かった。これが彼らと同数か三倍程度の数だったら、鍛え上げた肉体を持つ隊員たちは力ずくで振り切れただろうが、霧の中から同じように虚ろな目をした村人たちが次々にやってきて彼らに絡みついていく。

「小隊長、やむを得ません。村人ごと!」

「い、いや……」

 村人ごと魔法を放つか否か、その迷った一瞬が彼らの命取りになった。

 小隊長が命令を言い終わる前に、ドームを噛み潰すほどに接近してきた口から真っ白い煙が噴き出して、風の防壁をものともせずに彼らを包み込んでしまったからである。

 

 

 それから、およそ十分後。

 左翼担当、第一小隊にて。

「ぬ……お前たちは右翼担当の第三小隊ではないか、どうした迷ったのか? ……いや!? 迎撃戦闘!!」

 戦いの音は、それから五分ほど続き、その轟音もこの霧の特性からかカリーヌのいる本隊まで届くことはなかった。

 

 

 すべてがカリーヌの知るところとなったのは、もはやすべてが手遅れとなったときだった。

「ヴェルノー、ロンダーナ、クリストファー……見事に全員揃っているな」

 自分たちの周りを取り囲み、杖を向けてくる部下たちを見渡し、カリーヌは苦々しげに吐き捨てた。

「ミヨーズ、ロリー、お前たちもか……」

 もはや自我を失ったマンティコア隊の隙間を埋めるように立ち尽くす村人たちの中に、自分の息子とその妻の変わり果てた姿を見て、佐々木は音がするほど歯軋りをした。

「ふん……残るは、我々だけということか」

 まさか、部下たちが揃って敵になるとは思わなかった。いや、可能性はあったのだが、自分が知らない間に全滅してしまうとは、少々考えが甘かったか。

 そして、空気のドームのすぐそばに立ち、最後に残った獲物を見下ろしてくる、鼻先に長い角を生やしたとげとげしい竜のような怪物が、この事件の元凶であるとカリーヌも佐々木も悟り、奴がなぜタルブ村を占領したのかを理解した。その怪獣は、カリーヌたちを見下ろしながら、口から先端が木の枝のように細かく枝分かれした触手のような舌を長く伸ばし、それを手近な村人の首筋に蛭のように吸い付かせていたのだ。

「血を吸っているのか……」

 隊員二人が口元に手を当ててうめいた。このハルケギニアには吸血鬼という種族がいるにはいるが、血を吸う竜など聞いたこともない。しかし、いる以上は認めるしかない。

 つまり、タルブ村は餌場として選ばれてしまったらしい。それにしても、吸血鬼は霧に姿を変えられるというが、こんな巨大怪獣ならドラキュラもびっくりするだろう。

「吸血怪獣、ギマイラか……」

 佐々木は口の中だけでつぶやきながら、GUYS時代の記憶から、この怪獣がドキュメントUGMに残された宇宙怪獣の同族であると判断した。かつては潮風島という島に宇宙から飛来し、そこの島民を思考力を奪う霧で操って血を吸っていたらしい。しかし、思い出せばGUYS新人のころにセリザワ隊長に「お前は記憶力がいいからひととおり見ておくといい」と言われて、過去の怪獣達との戦いの記録である『アーカイブドキュメント』を覚えておいてよかったと思う。勉強するより訓練訓練に励む後輩のリュウは見ても覚えられなかったようだが、勉強というものは、どこで役に立つものかわからない。

 だがこれは間違いなく『烈風』カリン最強の敵だろう。かつてはウルトラマン80をも苦戦させた大怪獣、それだけではなく、奴にはカリーヌが自ら素質を見込み、育て上げてきた部下たちがついている。これ以上の相手はまずいない。愛弟子たちが師匠に向かってためらいなく杖を向けてきている、そう思うと感傷を覚えなくもないが、ここは十年早いと言ってやるべきだろう。

「よかろう、まとめて可愛がってやるか」

 不敵に笑ったカリーヌを見て佐々木は背筋がぞっとするものを感じた。この隊長殿は一人で戦おうとしている。確かに佐々木も『烈風』の異名は聞き及んでいるし、その高い実力と判断力も見てきたが、相手は怪獣、しかも自分の記憶が正しければ、こいつは並の怪獣ではない。さらに、奴はマンティコア隊の隊員や村人たちまで操り、手駒兼人質にしている。

「隊長殿、これはいくらなんでも不利です。相手は怪獣ですよ!」

「いかな状況下にあっても、民を守るべき貴族が敵に背を向けるわけにはいかん。それに、あれは私の部下たちだ、隊長が部下を見捨てるわけにはいかんだろう」

 カリーヌは、最後まで隊長としての責務を果たそうとしていた。

 指揮官として部隊全滅の責任はとらなければならない。それに、せっかくこの事件の黒幕も登場してきているのだ。圧倒的に不利な立場での戦いなど、これまでの戦歴で数え切れないほどあった。また一人で戦うことになるが、それも仕方あるまい。

「ゼッサール、パトリック、ササキを連れて霧の外まで退避しろ。明日の朝までに私が戻らなければ、王宮に軍の出動を要請しろ、いいな」

「隊長、しかし!」

「命令だ、早く行け」

 命令と言われると、反射的にそれに従うように叩き込まれている二人は佐々木の手をとり、自らの周りに小規模な空気のドームを発生させて、後は『フライ』で離脱しようと試みた。

 しかし、ギマイラは恐竜型怪獣そのものの外見に反して、かなりの知能を有する。獲物が逃げ出そうとしているのに感ずいて、その大きく裂けた口を開いて吼えると、それが命令となったようで洗脳されたマンティコア隊がいっせいに全方向から魔法攻撃を放ってきた!! 火が氷が、風が、岩が、あらゆる系統の強力な魔法が迫ってくる!!

「伏せろ!!」

 回避する場所などない。とっさにカリーヌは三人を伏せさせると、『カッター・トルネード』の応用で、自分を中心に竜巻を発生させて向かってくる魔法を弾き飛ばした。

「おお!!」

「さすが隊長!!」

 十人を超えるメイジの一斉攻撃を跳ね返した隊長の力に、二人の隊員はあらためて『烈風』の強さに心酔した。

 しかしながら、カリーヌは彼らが見るほど余裕があるわけではなかった。

 ……ちっ、思ったよりきついか……

 余裕の態度をとっているので忘れられているが、今カリーヌは毒の霧の侵入を防ぐ空気のドームを作る魔法を使い続けている。同時に複数の呪文を使うことは不可能ではないけれど、極めて高度で負担も大きく、それはカリーヌとて例外ではない。

 ……この狭さではノワールも使えん。ササキたちを逃して、村人も傷つけずに怪物と戦うには、さて、どうする? 『偏在』の魔法で分身を作って防壁の維持を任せるか……いや、維持させる分身を守るためにさらに分身がいる。それに、この狭い中でこちらも数を出したら身動きがとれなくなる……

 『烈風』カリンの額に、長く流したことのない類の汗が一筋、流れ落ちた。

 

 

 だがそのころ、霧に閉ざされた村の外では、わずかな希望が動き出そうとしていた。

「こいつは……戦闘機か!!」

 村を少し離れた山の中、雨風を避けるのがようやくといった倉庫の中に保管されていたものを見て、アスカは思わず喝采していた。

「はい、おじいちゃんがこの村に来たときに乗っていたと聞いています。確か名前は、ガンクルセイダーというそうです」

「ガンクルセイダーか……どことなくアルファ号に似てるな、こいつはいいぜ! で、動くんだろ?」

「ええ、まだネンリョウは残っていると言っていました。けど、動かし方までは……」

「その点なら心配いらねえよ!」

 アスカは不敵に笑うと、さっそうと機体に飛び乗り、コクピットに体を沈めた。すると、見たこともないタイプのコクピットながらも、座席の固さ、計器の配列などがまるで昔から見知ったもののように見えてきた。

 だが、それよりもコクピットに収まった瞬間、心が躍るような感触に包まれたことを自分でも感じている。

 ああ、俺はやっぱり根っからこの感触が好きなんだな。異世界に来てしばらく忘れていたけど、父親譲りのパイロットとしての血がここにいると沸き立ってくる。

 燃料計、スピードメーター、レーダー、各種計器をチェックしていく。作られた世界は違っても戦闘機の作りにそう違いはない。

「佐々木さん、あんたの翼、確かに借りたぜ」

 アスカは最後に、まるでそうすることを最初から知っていたように、佐々木から預かったGUYSメモリーディスプレイをあるべき場所へと収めた。すると、エンジンが作動を始め、三十年間眠っていた翼が本来の姿を取り戻していく。

「きゃあっ、なにこれっ!? どうなってるの」

「あっ、レリアちゃん、危ないから下がって下がって!! 吹っ飛ばされるよ」

「は、はい!!」

 うっかりレリアのことを忘れていたアスカは慌てて機外スピーカーで注意した。ジェット機が垂直発進するときに近くにいたら、人間なんか軽く吹き飛ばされてしまう。孫娘に怪我でもさせたら佐々木になんと言って謝ればいいのか、レリアが大急ぎで倉庫から出て行くと、アスカはほっとすると同時にあらためて発進プロセスを再開した。

「各部チェック、オールグリーン……レーダー作動……このでかい影は、やっぱ怪獣がいやがったか! ようし、スロットル全開、ガンクルセイダー、発進!!」

 あばら家を吹き飛ばし、木片が暴風に吹かれて飛び散る中を、銀色の翼が再び空へと舞い上がった!!

 

 

 続く


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