第36話
あの頂を目指して
宇宙恐竜 ハイパーゼットン 登場!
夢は覚めた。
平和な世界は、お膳立てされたゆりかごのまどろみでしかなかった。
人々は思い出した。ついこのあいだに世界を二分した大戦争が起きていたことを。
なぜこんな大切なことを忘れていたのか? 宇宙人の仕業とは知らない人々は戸惑い、世界中が混乱の巷に巻き込まれていた。
「俺はなんでこんなところにいるんだ? これからガリアに攻め込むはずじゃなかったのか?」
あるトリステイン兵は頭を抱えてつぶやいた。今までの記憶と、急に戻ってきた過去の記憶が混在して混乱を生み、心の弱い者は心身を保てないほどにさえなっている。
しかし、夢から覚めれば誰でも否応なく現実の中で生きていかねばならない。
たとえ悪夢から覚めた現実が悪夢以上の地獄だとしても、人はゆかねばならない。本当の心地よき眠りは現実に思いきり立ち向かった者にしか訪れないのだから。
誰もが記憶の混乱に苦しんでいる中でも、ゼットン軍団やスフィア再生獣からなる怪獣兵器たちの破壊は続いている。トリステインでは、その戦火を王宮から目の当たりにして、アンリエッタがマザリーニ枢機卿に命じていた。
「民を、民を守るのです! すぐに動ける兵のすべてで逃げ遅れた民を救い出しなさい」
「い、いけませんぞ女王陛下。今我々の身に起きているこの不可思議な現象は敵の策略かもしれませぬ。ここはまず何が起きたのかを確かめませんことには」
「そのようなことは後で考えなさい! 今そこで民が苦しめられているのですよ。今働けなくて、なんのために杖を預かっているのですか。ならばよろしい、わたしが騎士を率いて城下に降ります」
アンリエッタの決意に、枢機卿は慌てて残っていた騎士団に出動するように命じた。若さゆえに猪突の癖があるアンリエッタを沈着に歯止めしてきた枢機卿であったが、いざというときの決断力ではかなわないようだ。
民を救えという一点の命令を与えられて、混乱していた兵たちも頭を切り替えて動き出した。火中に飛び込み、混乱したまま動けなくなっていた街の人々を助け出していく。
一方ガリアでも、記憶を戻されたガリア軍が怪獣兵器の群れを前にして棒立ちになるという最悪の状況に陥りかけていたが、イザベラの一括で立て直すことに成功していた。
「うろたえるな! お前たちの敵はここにいる。惑わされるな、前を見ろ! わたしはお前たちの前にいる。お前たちの目に映っているわたしが現実だ!」
イザベラは自分の姿を誇示し、持ち直したガリア軍はアントラーをはじめとする怪獣兵器軍団への反攻を再開していった。
必死に撃ちかけられる魔法や飛び道具が炸裂し、不完全なゾンビに過ぎない怪獣兵器が崩れ落ちてゆく。その光景に、イザベラはこの戦いの前にタバサに言われたことを思い出していた。
「シャルロット、とうとう世界にかけていた呪いを解いたんだね」
タバサから事前に真相を聞かされていたイザベラは、こうなることをわかっていた。あの時、タバサは自分がグラシエの甘言に乗ってしまったことを悔い、その上でイザベラに混乱するであろうガリアの民をまとめる芯になってほしいと願った。
なにを勝手な、とは思う。けれど、そうまでして会いたい父がいるということは、正直うらやましくもあった。
「父上……」
生まれてこれまで、愛情を注がれた思い出はなくとも、イザベラにとって父はジョゼフひとりだけだった。
ジョゼフは恐らく、すべてを清算した後には死ぬ気でいるとタバサは言った。そうなったとき、あの父は自分のことを少しでも思い出すだろうか? いや、考えるまでもない。
それでも、それでも一度くらいは……。
イザベラは、あの魔都と化したリュティスで、もはや生きているかもさだかではない父のことを思い呟いた。
そして、元に戻された時間の歯車が回り始める中で、タバサはルイズたちを前にして、改めてすべての引き金を引いたことを告白していた。
バット星人グラシエの誘いに乗って皆の記憶を消していたこと、それが今解けたこと。それを話すと、タバサはこちらの反応を待つように神妙な面持ちで立ち尽くし、そんなタバサに才人たちはなにから話しかけるべきか迷い、顔を見合わせながら短い沈黙が流れた。
沈黙をほどなくして終わらせたのはルイズだった。ルイズはタバサの前に出て、厳しい様子で問いかけた。
「理解したわタバサ、あなたがやらせたことだったのね。死んだ自分の父を生き返らせるために」
「ええ、そう。戦争を止めるためにも、ほかに仕方がなかった。いいえ、戦争を止めるためというのは口実……わたしはただ、死んだお父さまにもう一度会いたかった。ただ、それだけのわがままだった」
「それで、なにかわたしたちに言うことは無いの?」
「……ごめんなさい」
実際、タバサに言えることはそれしかなかった。理由はどうあれ、ルイズたちの記憶を奪い、欺き続けていたのは事実だからだ。
タバサが神妙に謝っている姿に、才人や水精霊騎士隊の少年たちは、事情があったんだからしょうがないよと同情的に受け止めようとしていた。だが、慰めの言葉をかけようとした才人たちを止めて、ルイズはタバサにさらにこう問いかけた。
「その”ごめんなさい”は誰に向かって? わたしたち? それとも選択を誤った自分に対して?」
「え? それは……選択を誤って、みんなに迷惑をかけたこと」
ルイズの質問の意味を図りかねたタバサは、自信なさげにそう答えた。すると、ルイズはわかったというふうにタバサの頬を思い切り平手打ちした。
パンという乾いた音が鳴り、タバサは体をよろめかせた。そのルイズの仕打ちに、才人たちはなにをするんだと慌てたが、ルイズは毅然としたままタバサに言った。
「時間がないからそれでけじめにしてあげる。でも、なんでぶたれたかわかる? タバサ」
「ええ、わたしのしたことは、許されることじゃない」
うなだれるタバサ。そんなタバサにシルフィードは「おねえさまは悪くないのね」と必死にかばおうとしているが、タバサはシルフィードには構わずに頭を下げ続けている。
けれどルイズはタバサの前にかがみこみ、その目を下から真っ直ぐに見つめ、強く否定した。
「違うわ。確かに勝手に記憶を取られていたことは腹が立ったけど、それで戦争が止められたならそれは誇ってもいいことでしょう。それに、死んだ家族に会えるなんて、そんな誘惑に心が揺れない人間がいるわけないじゃないの。わたしが本当に腹が立ったのは、あなたがそんな弱気な顔で詫びになんか来たからよ」
「え……?」
ルイズの言葉の意味が理解できないタバサ。それに才人たち。唯一、カトレアだけが静かに見守っている中で、ルイズの強い意思のこもった言葉が続く。
「間違ったことをしたら反省して謝るのは当然だわ。でも、あのときはあれが選べる最良の選択肢だったのでしょ? だったら、そんな顔で自分を否定するのはやめて。少なくともその時あなたは正しい選択をしたんだから」
「けれど、結果的にわたしはこの事態を止められなかった」
「結果がなんだっていうのよ。後知恵で後悔して、それで何か変わるっていうの? あなたも貴族でしょう。いいえ、それどころか王族に連なる者なんでしょう。重要な選択なんて、これからも何百何千とすることになるわ。それが失敗する度にそんな深刻な顔するわけ?」
「けど……」
「けどじゃないわ! 実際、あなたの選択のおかげで戦争は止まって大勢の人が助かった。わたしももしかしたら戦争で死んでたかもしれない。なのにそんな顔されたら助けられても腹が立つだけよ!」
「う、うん」
ルイズの剣幕に、タバサは呑まれかけていた。これまでイザベラに何度脅されても眉ひとつ動かさなかったタバサが、ルイズの迫力に圧されている。
「失敗なんてこれからも山ほどあるわ。でもね、人間はその時目の前にある選択しかできないのよ。それでその時にとれる最良の選択をしたと思うなら、それを自分で誇りに思いなさい。それで成功すれば自分を誇って、失敗したら反省した上で、その時にできる限りのことをした自分を誇ればいいの。それを否定したら、その時にした苦悩や努力も無駄になっちゃう。なにより、あなたの選択で影響を受けた人に対して失礼よ」
「ルイズ……」
「貴族は平民を、王は全ての民を導く者よ。「私が悪かった、ごめんなさいごめんなさい」なんて言ってる王に誰もついてきたりしないわ。「私のミスだった。次は失敗しない」って誇りを保てる者にだけ、貴族や王としての資格があるのよ」
ルイズの語る貴族の有り様に、タバサははっとした。
それは、ルイズの生きざまそのものだった。何度失敗しても卑屈にならず、次の成功を確信して前向きにぶつかっていく。
使い魔召喚の儀以前のルイズは魔法をいくらやっても成功せず、ゼロのルイズと侮蔑され、普通の人間ならとっくに折れているほどに打ちのめされても学院に登校し、魔法に挑戦することをあきらめなかった。もちろんルイズもくじけそうになるほどのつらさを味わうことはあっただろうが、ルイズは少なくとも弱みを他人に見せようとはしなかった。そんな貴族の誇りと責任感を常に抱いて生きてきたルイズから見たら、めそめそとして責任に押し潰されそうなタバサはさぞいらいらして見えたに違いない。
「ルイズ、あなたは……強いのね」
「当たり前よ。わたしを誰だと思ってるの? ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール、トリステインで王家の次に責任ある家名を背負ってるのよ。そしてあなたは、このガリアで一番尊い存在の名前を背負っているんでしょう。あなたが王になるかどうかは知らないけど、一回の失敗くらいでなよなよするような恥ずかしい真似はわたしが許さないわ!」
「ルイズ……そう、そうね。わたしには、懺悔をしているような暇なんてなかった」
ルイズの叱咤に、タバサは胸の奥に熱いものが沸いてくるのを感じた。罪悪感にさいなまれていた弱い心がみるみる小さくなっていく。失っていた誇りが蘇ってくる。
また、才人もそんなルイズを見て、やっぱりルイズはすごい奴だと思っていた。生意気だけど曲がったことは許せなくて、誇り高くて自分を曲げない頑固者。それでいて素直になれないけど優しくて可愛い素敵な女の子……もっともこんなめんどくさい女を好きになるのは自分くらいだろうけども。
「もう、ごめんなさいなんて言わないわよね、タバサ」
「ルイズ、ありがとう。あの怪獣を止めるために、協力してほしい」
タバサの顔にもう影はなかった。ルイズや才人は、もちろん協力すると喜んで答え、ジョゼフはそんな若者たちを見て自嘲げに呟いていた。
「友人、友情というやつか。まったく、俺たちにも一人くらいそんな奴がいればなあ」
悲しく笑うジョゼフの視線の先には、シャルルを呑み込んでうごめくハイパーゼットンの姿がある。
だがどうやるか? シャルルに呼びかけるのであれば、ハイパーゼットンの頭に近づかなければならない。正直に飛んでいけば暗黒火球で迎撃される。ならばテレポートの魔法で近づくか? それが確実かと話がまとまりかけた時、グラシエが横から口をはさんできた。
「ああ、テレポートとやらで近づくのはやめたほうがいいですよ。ハイパーゼットンの周りは強烈なエネルギーのせいで空間が歪んでいますからね。下手をすれば一生亜空間の迷子になるかもしれませんよ」
呪文を唱えかけていたルイズはびくりと体を凍らせた。異次元巡りはルイズにとってトラウマである。いつ戻れるかもわからない異空間をさまよって、ある星では巨大な包丁に追い回され、特にゴ〇ブリみたいな宇宙人のいた星には死んでも二度と行きたくない。
別の方法で近づきましょう! ルイズの鶴の一声で、正攻法で接近することに決まった。だが、迎撃をかいくぐって接近するためには作戦がいる。グラシエに立ち聞きされているのが気になるが、グラシエは心配無用というふうに笑った。
「ご心配なく、私は邪魔しませんよ。私を殺しても、もはやハイパーゼットンも怪獣兵器も止まりませんからあなた方と私は戦う意味はありませんし、私はよい観察結果が見れれば満足ですからね。むしろあなたがたにどんどんがんばってもらいたいところですよ、ええ」
相変わらず一言一言がしゃくにさわる。しかし構っている暇はない。が、もっとしゃくにさわることにジョゼフが仕切ってきた。
「あれの近くまで行ければ俺のエクスプロージョンで風穴を開けて、奴の中にいるシャルルのところまで行ける。だが俺の精神力も残り少ないのでな、俺を楽に運ぶ方法を考えろ小僧ども」
「こ、のっ! 誰のせいだと思って」
才人や水精霊騎士隊の少年たちはぶっ飛ばしたい気持ちでいっぱいになったものの、ルイズとタバサにたしなめられて必死に我慢した。このおっさん、必ず後でぶっ飛ばす。もっとも、最初から生き残るつもりのないジョゼフを相手にしては無為な目標ではあったが。
だがルイズはジョゼフに「まさか虚無の担い手の一人が本当にジョゼフ王本人だったなんてね」と、うんざりしたようにぼやいた。それを聞いたジョゼフは「なんだ、信じてなかったのか」と呆れたように返した。以前、教皇が自分を利用しようとしたときに打った芝居で、ジョゼフこそが虚無の担い手でありガリアの救世主だと大々的に宣伝していたはずだろう。が、ルイズはつまらなさそうな表情のまま答えた。
「直接見たわけじゃないから半信半疑だったわ。けど、前の教皇との戦いの時もほかの虚無の担い手は助けに現れなかったし、それならきっと敵だろうくらいは思ってた。それでも、王様本人だとはまさかだったけれどね。担い手をタバサみたいに手下にしてるって考えるほうが自然じゃない」
「ははは、お前は小僧どもよりは頭がいいようだな。だが安心しろ、俺がいなくなれば虚無の力は他の誰かに宿るはずだ。それが誰かはわからんが、まあ俺よりはまともなやつだろう」
ジョゼフは虚無の力にまったく未練など無い風につぶやき、ルイズもそれには少し共感した。この力を授かったことを誇りには思うけれども、決して望んで得た力ではない。むしろ、与えられたことの引き換えに押しつけられた重い宿命を考えれば、自分のようなほうが異常なのかもと、あのタバサでさえ責任に負けそうになった姿を見たルイズは少し思った。
ただしルイズにジョゼフに同情するつもりはない。これまでにもさんざん自分たちに悪辣な策略を仕掛けてきた張本人なのだ。今は仕方がないからハイパーゼットンを倒すための道具として利用してやるが、生きていたら必ず裁きの場へ引きづりだすつもりでいる。
「簡単には死なさないけど勘違いしないでね。なあなあですませたら、あなたに拐われたことのあるティファニアを始め、苦しめられた大勢への申し訳が立たないんだからね」
「ああ、覚悟しておこう。だが無駄話はそろそろ終わりにしろ。シャルルがあれと完全に同化されてしまったらもはや打てる手はないぞ」
スペクターとの戦いで消耗しているジョゼフやタバサの魔法には頼れない。となれば二人を乗せてハイパーゼットンへ向かうシルフィードの安全を確保するのはルイズたちの肩に委ねられることになる。
方法は? ハイパーゼットンに対抗できる可能性のあるのはルイズの虚無しかない。ルイズは一度深呼吸して気持ちを整えると、待ちわびている才人やタバサたちに考えを披露した。
「タバサたちはシルフィードで可能な限りあれに近づいて。それから先はわたしがなんとかするから」
「なんとか? 具体的に言ってほしい」
「詳しくは説明できないわ。でもタバサ、あなたは知っているはずよ。虚無の魔法の本当の力がどんなものなのか」
ルイズの言うことを、タバサは最初どういう意味かわからなかった。虚無の魔法の本当の力? だがその言葉の意味に気づいたとき、戦慄してルイズに問い返した。
「ルイズ、まさかあれを!?」
「そうよ、もうあれしかないわ。できれば使いたくはなかったけど、でもあれなら確実に通用するはず。それでも倒すのは無理だと思うから、動きを止めたところに突入しなさい。たぶんそれでわたしの精神力はカラになると思うから」
タバサはうんと答えることができなかった。ルイズのしようとしていることは、恐らくあの巨大な怪物に有効なたった一つの手だろうが、同時に結果がどうなるかまったく未知数な危険な方法だ。
しかし代案はタバサにもない。タバサは無言でうなづくと、ジョゼフをうながしてシルフィードの背に乗った。ジョゼフはいぶかしげに見つめてくるが、すでにこちらに運命をベットするのは決めているというふうに口出ししてくる気配はない。
そしてタバサは最後に悠然と見下ろしてきているグラシエを睨みあげた。
「フフフ、心配しなくても私は見てるだけですよ。約束ですからね、手出しはしませんとも」
すべての種を蒔いておいて高見の見物。だが責任の半分はこちらにある。人を憎む前に、まず自分の責任をとらなければならないと、タバサは自分に言い聞かせた。
目標はハイパーゼットンの頭部。シルフィードの素早さなら、遠くからの攻撃はかわせる。近づいてからは……ルイズを信じるのみとタバサは決断してシルフィードを飛び立たせた。
風が舞い、蒼い妖精が空に舞い上がっていく。その背をジルは見送り、感慨深げに瞳をうるわせていた。
「帰ってきたと思ったら、またすぐに出かけていくのか。お前はあっという間に、あたしの助けなんかいらないくらい強くなっていたんだな」
血のつながらない妹のように感じていたが、いつの間にか自分の手じゃ抱えられないほど大きくなっていた。がんばりなよシャルロット、たぶんこの戦いでお前の長年の因縁には片が付く。そうして、本当の意味で自由になったお前の姿を見せてくれ。
タバサの越えなければならない最後の壁は大きい。しかし、タバサはまだ自分でも気づいていないが、雄大な愛が彼女を包んで守っている。
あとはタバサ自身がそれに気づいて応えるだけだ。命令してもいないのにここまでやってきてくれたシルフィードに、タバサは心からの謝意を込めて言った。
「シルフィード、ありがとう。私のわがままのために」
「きゅいい、お礼なんておねえさまらしくないのね。シルフィはただ、おねえさまに喜んでほしいだけなのね。ねえ、おねえさま? シルフィはおねえさまの使い魔、でもそれだけで頭を下げるほど風韻竜の誇りは安くないの。覚えてる? シルフィと初めて会ったときのこと」
「ええ、よく」
「そうなのね。おねえさまは強くてかっこよくて、シルフィはこの人となら見たことない空を飛べると、どんな空でも飛ばせてあげたいと思ったの。さっきあのちびっこも言ってたのね、おねえさまはもっと胸を張っていいのね。だから命令して、シルフィは必ずそれに応えてみせるのね」
「シルフィード、あなたも本当に強くなったのね。わかった……あなたの主人として命じる。風より速く飛んで、あの怪物に肉薄して」
「おやすいごようなのね!」
勇躍し、シルフィードは翼を羽ばたかせた。もう、残っていた傷の痛みなど消え去った。タバサが前のように背中に乗っているという実感が、何よりの幸せとなって胸の奥から沸き上がってくる。
だが飛翔したシルフィードに向かって、ハイパーゼットンの触手が伸びてくる。暗黒火球で撃ち落とそうとしてくる触手の攻撃に、シルフィードは翼を力強く広げて吠えた。
「どこからでもかかってこいなのねーっ!」
シルフィードの目が暗黒火球を睨み、翼が無意識に最適な回避ができるように動く。
今のシルフィードはもうただの幼竜ではない。どんな老大竜も経験したことのないような戦いを潜り抜けてきた経験が自然に体を動かし、さらにタバサがいっしょにいるという心強さが巨大な死の化身を前にしても無限の勇気を与えてくれる。
もう怖いものなどなにもない。おねえさまが行きたいところがあるのなら、シルフィがどこへでも連れて行く。
そして、タバサたちが無事ハイパーゼットンにたどり着けるかどうかを背負ったルイズたちの戦いも始まろうとしていた。
「いい? これからわたしが呪文の詠唱を終えるまで、誰もわたしに近づかせないで」
「ちょ、ちょっと待てよルイズ。いったい何を始めるつもりなんだ?」
才人や水精霊騎士隊の少年たちにはわからなかった。ルイズはときおり前触れなく大変なことを言い出すが、今回は特にわからない。
「説明してる時間はないのよ。サイト、あなたも知ってるはずよ。あの魔法を使うわ」
「あの魔法って、お前にエクスプロージョン以外にそんなもん……おい!? まさかブリミルさんが使いかけたあれか!」
「そうよ。『生命』の虚無魔法よ」
ルイズの言葉に才人は愕然とした。その魔法は、たった今思い出した記憶にある。ロマリア戦後にブリミルが見せてくれた過去のビジョンでブリミルが使いかけた最後にして最大の虚無魔法。
そのときに見た光景では、街ひとつを一瞬で消滅させ、そのまま膨張し続ければ星全体の生命を飲み込んでいたとされる、まさに禁断の超魔法。
「バカかルイズ! あんなもんを使えばこの街も、いやお前だってどうなるか」
「わたしだって危険なのはわかってるわ。でも、他にあれに通用しそうな手はないのよ!」
ルイズの決意は固かった。才人は反論できず、それでもルイズがあまりに危険だと止めようとしたが、ルイズは心配しないでと才人をなだめて言った。
「たぶん始祖ブリミルが使ったようなことは起きないわ。わたしの精神力の残りはたかが知れてるし、きっと不完全な発動で終わるはず。それでもどうなるかわからないから危険な賭けだけど、やる価値はあるはず」
「ルイズ……わかったぜ。お前がそこまで考えて決めたことなら、おれはもう止めねえ。そこまで言ったからには絶対に成功、いや失敗すりゃいいのか? ともかく魔法に食われてミイラになるなんてことするなよ」
「わたしを誰だと思ってるの? あんたこそ、ちゃんと仕事はあるんだからね。わたしが詠唱を終えるまでの間、わたしをああいうのから守ってもらうんだからね」
ルイズが指さした先を見て才人ははっとした。ゼットンがヒカリとの戦闘で押されながらもこちらにゼットンナパームの照準を向けてきている。発射されたロケット弾から才人はルイズをかばい、煙でむせながら毒を吐いた。
「ちくしょう、あのぶよぶよゼットン野郎。まだやられてなかったのかよ」
こっちに夢中ですっかり忘れていたが、ウルトラマンヒカリならとっくに倒していたと思っていた。実際このゼットンは見掛け倒しもはなはだしく、ウルトラマンジャックとの戦いではバット星人が横槍を入れなかったらジャックに劣勢であった。
原因はあれだ。ヒカリとゼットンとの間に巨大な花を体につけた怪獣が立ちふさがって邪魔をしている。才人はその怪獣を見て、一目で名前を口走らせた。
「アストロモンス!?」
それはかつて宮殿に現れてティガと戦ったアストロモンスが怪獣兵器として再生した姿であった。
むろん、怪獣兵器としては不完全な再生ゆえに、目に光はなく動きはゾンビのように緩慢だ。だが怪獣はその巨体がそこにいるだけでも脅威であり、ヒカリはナイトビームブレードを伸ばしてアストロモンスへ袈裟懸けに斬りかかった。
「テヤアッ!」
一瞬の出来事。アストロモンスはヒカリの剣の前に一瞬で両断され、もろくも崩れ落ちていく。
やったぜ! 才人はヒカリのあざやかさに手を叩いて喜んだ。だが、再びゼットンに挑みかかっていくヒカリは、喜ぶのは早いと才人に向けて警告する。
『まずいぞ。街の中を見ろ、怪獣兵器どもが街中にまで現れ始めている』
「えっ!」
才人たちはまさかと思ったが、ヒカリの言ったことは本当だった。怪獣兵器たちが、まだ数は少ないもののリュティスの街中にまで入り込んできてさ迷い歩いている。
「これじゃあハイパーゼットンの前に、世界中がゾンビ怪獣に埋め尽くされちまう」
怪獣兵器は弱いが本物のゾンビのように湧き出してくる。このままではジリ貧だ、早く元凶のハイパーゼットンを倒さなければならない。
ルイズは才人にうなづき、水精霊騎士隊にも向けて要請した。
「みんな、今からわたしがあいつに大きなのをぶつけるから、呪文を唱え終わるまでわたしを守って!」
「えっ、ええっ!?」
生命の魔法を知らない少年たちは困惑した。ルイズがあの見上げるようなハイパーゼットンに効くような魔法を使えるとは思えず、おかしくなってしまったのかとさえ思っている。
そんな中で、一人カトレアだけは何も言わずにじっとルイズを見つめてきていた。ルイズはカトレアに向き合い、母カリーヌと同じ目で自分を試すかのように見ている姉に決意を告げた。
「お姉さま、うまく説明はできませんが、わたしはこれからハルケギニアのために命をかけます。どうか、見届けてください」
「ルイズ、あなたが貴族として責務を果たそうとしていることを私は誇りに思います。きっと 、お母様もそうおっしゃるでしょう。でもねルイズ、命をかけることと命を捨てることは違うことを決して忘れてはなりませんよ。がんばりなさい」
「はい!」
最後に愛情に満ちた言葉を贈ってくれたカトレアの笑顔を見て、ルイズは胸の奥から力が湧いてくるのを感じた。
才人からもらえる力とはまた違った力。尊敬する姉にいいところを見せたい。いや、ずっとかわいがってくれた姉に、自分が成長したことを見せて喜ばせてあげたいという家族愛から来る思い。虚無魔法の強化のために必要な力とは違うかもしれないが、カトレアはさらに一言ルイズに付け加えた。
「でもルイズ、かっこいいところを見せるなら、私よりも未来の旦那様に見てもらえるようにがんばりなさい、ね」
「へっ、だんなさまって……へええぇぇっ!」
その瞬間、ルイズの顔面は沸騰した。
「そ、そんなちぃねえさまねわたしとこいつはべつにそんなんじゃ!」
才人のほうをちらちらと見て反論しているが舌がもつれて説得力はない。そんなルイズに、カトレアをはじめ水精霊騎士隊の面々も「なにをいまさら」な顔をしているが、そんなルイズに才人は叫んだ。
「おいルイズ! なにやってんだよ、早くしないとタバサたち行っちまうぞ」
「ああ、あんた! ここ、これは大事な……ああわかったわよ、やるわよ! やればいいんでしょ! あんたたちもちゃんと働かないとぶっ飛ばすからね!」
八つ当たりで才人を爆発で吹っ飛ばしながらルイズは怒鳴った。その剣幕に、水精霊騎士隊の少年たちもとばっちりを受けてはたまらないと、ルイズを囲んで杖を抜いた。
「いくわよ。始祖ブリミル……どうか力をお貸しください。虚無の魔法の終点、『生命!』」
ルイズは杖を掲げ、呪文を唱え始めた。呪文の全文は知らないけれど、始祖の血に刻まれた記憶がそうさせるのか、ルイズの口からは流れるように呪文が紡ぎだされていく。
才人は爆発から立ち上がり、一心に呪文を唱えるルイズを見つめた。
「ルイズ、がんばれよ」
本来、これほどの魔法を個人で使えるのはブリミル一人のはずだ。それをルイズだけでやるのはあまりに荷が重く、そして危険である。それでも、ルイズが決めたことならおれはそれを信じると才人は思った。どんなに強引でも、今のルイズは自分の名誉のことしか頭になかった頃とは違う。
「さあ、矢でも鉄砲でも持ってきやがれ」
デルフリンガーを構えて、才人は不敵に笑って見せた。虚無の担い手が呪文を唱える時に主を守るのがガンダールヴの役割。だが、おれはルイズを守りたいから守るだけだ。
だが、盛り上がる才人の頭を冷やすようにデルフが言った。
「おい相棒。張り切ってるのはいいけどよ、ちゃんと前を見ないと危ねえぜ」
「え? どわぁぁぁ!」
なんとどれかの怪獣に蹴り飛ばされてきたのか、大岩ほどの巨大な瓦礫がこちらに向かって飛んできていたのだ。
デルフで弾くか? いやさすがにでかすぎて無理だろ。焦った才人はパニックになって体を動かせずにいたが、そこへ大きなゴーレムの手が割り込んできて瓦礫を弾き飛ばしてしまった。
「ナイトさん、張り切るのはけっこうですけれど、もう少ししっかりしてくださいね。わたしはルイズを守ってくれるのであれば多くは求めませんが、あまりふがいないとルイズのために少しはわたしも厳しくしますよ」
杖を振ってゴーレムを操るカトレアからの言葉に、才人は以前にヴァリエール領に行ったときに手荒い試験を受けさせられたことを思い出した。
背筋がぞっとして、才人はテンション上がっていた自分の気を引き締め直した。
「こりゃ、マジでやらないと死ぬ。つか殺される」
ヴァリエールの基準の”少し”が言葉の通りではないことを才人は知っていた。カトレアさんは優しい人だけど、それは甘やかしてくれるという意味ではないのだ。
才人はデルフを握りしめ直し、ちらりと振り返って呪文を唱えているルイズを見た。ルイズは初めて使う最高位の虚無魔法のために一心不乱に詠唱を続けており、まったくの無防備な状態である。
けれど、ルイズの懸命な姿を見た才人の心には熱く燃えるものが再び沸き上がってきていた。才人の中にある「好き」の半分はルイズの道を切り開きたいという思い。それが才人がガンダールヴに選ばれた理由だったのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
たとえ河原でたまたま拾われた1個の石ころが自分だったとしても、ここにこうして立っているのは自分の意思でだ。まだこれが恋なのか愛なのかはわからないけれど、この胸のドキドキだけは嘘であるわけがない。あってなるものか。
「ルイズ、お前がどんなに無茶を考えても、おれはお前の全部を認めてやる。だから安心してなんでもしやがれ。おれがルイズの最終防衛線、こっから先は誰も一歩も通さねえ!」
才人は吠えた。水精霊騎士隊の皆には、危なくなったら逃げる権利がある。しかし、自分はたとえ怪獣が来ても、踏みつぶされる瞬間までここにいる。それがおれだけの義務であって権利だ。
だが才人はルイズを見て心が高ぶるのと同時に、もうひとつ自分の中から呼びかけてくる強いものの存在に気づいていた。自分の心をドキドキさせてくる、もう半分の「好き」。今こうしている間にも、それが「忘れないで」と儚げな声で願ってくるのが胸に響くたびに、また別の熱い思いがこみあげてくる。
絶対に忘れたりなんかしない。忘れたくなんか無いけれど、近い未来にこの二つの思いに決着をつけなければならない時が来ると、才人は気づいていた。
その答えだけは運命なんか関係なく、自分の気持ちで必ず……。
空の上ではシルフィードが攻撃をかわしながらハイパーゼットンへと向かい、地上ではウルトラマンヒカリが怪獣兵器に手を焼きながらもゼットンを追い詰めている。
だがまだゼットンは三体も残り、ウルトラマンたちの数を上回っている。
激闘が続く魔法学院でのバルタン星人との戦いも、まだこれからどう転ぶか予断を許さない。
その全ての元凶であるグラシエは、ハイパーゼットンの頭上で世界中を俯瞰しながら悦に入っている。
「にぎやかでたいへんけっこうですねえ。この日のために地道に努力してきて本当によかったですよ。おかげで、ハイパーゼットンの研究をしている彼にもいいデータを送れそうです」
普通、これだけの実験を宇宙警備隊に邪魔されずにおこなうのは非常に難しいはずだ。しかし、別宇宙でこれらを行うことによって実験は最終段階まで妨害されることなく到達することができた。
ことによってはハイパーゼットンのデータよりも、この結果のほうが貴重かもしれないとグラシエは思った。考えれば簡単なことだが、ウルトラマンのいない宇宙でならウルトラマンに邪魔されることはない。この経験則はこれからのバット星人がハイパーゼットンの研究を進めるうえで大いに役立つことだろう。
けれど、まだ足りないとグラシエは考える。
「せっかくここまで来たんです。これまでは妨害されたくありませんでしたが、実戦データをとるにはこの程度ではなく、もっともっと激しく最大限に抵抗してもらわないと意味がありません。ウルトラマンさんたちが”最大限”に戦ってもらえるために、最後のあれの封印を解く時も近そうです。それでこの世界がどうなろうと知ったことではありませんからねえ……我々バット星人が味わわされた”あの時”の屈辱、その恨みをこの機会に晴らさせていただこうじゃありませんか」
グラシエは空を仰ぎながら、ご満悦気に肩を揺らしていた。
空には太陽が輝き、夜であればそこに月が輝いているであろう当たり前の光景が広がり続けている。
続く