ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第32話  ジョゼフとシャルル

 第32話

 ジョゼフとシャルル

 

 異次元獣 スペクター 登場

 

 

 古来、古今東西、王国というものに玉座が二つあるということはまず無い。

 それはしごく、権力者の数だけ国は割れるという人の業に従っている。

 国が国として存在するためには玉座はひとつ、王は一人。その原則は動かない。

 しかし、そのたった一つの玉座。たったひとつの権力の座は悪魔的な引力を持って人の運命を狂わせる。

 特に、権力を世襲する権利を持って生まれてきた王族の、その兄弟親類間での骨肉の争いはそれだけで辞書のような歴史書を書けるほどだ。

 そして、このガリアにも王族に生まれてしまったがために不幸な定めを背負うことになってしまった兄弟がいた。

 数多くの悲劇がそのために撒き散らされ、その因縁はまだ終わっていない。兄ジョゼフは忌まわしい因縁を断ち切るために奔走したが、因縁とはそう簡単に断ち切れるものであろうか。

 次に起こるのは、またも悲劇か? それとも……。

 

 行方がわからなくなってしまったジョゼフの居場所の手がかりを探るため、才人たちは姿を現したバット星人グラシエから情報を引き出そうと悪戦苦闘していた。

 だがグラシエはのらりくらりと追及をかわし、肝心なところでは要領を得ない。才人やルイズたちの我慢もそろそろ限度に達しようとしている。

「それで、王様はもう宮殿にはいないって、どこへ行ったんだよ?」

「さあ? 私は別に王様の行動を縛ったりはしてませんから、どこへ行ったかまでは存じませんね。探してみてはいかがですか、私は止めませんよ」

「この野郎!」

 焦る才人は毒づいたが、グラシエは意にも介さなかった。それで見つかるならとっくにやっている。広大なリュティスの中からノーヒントでたった一人を探し出せなんて無茶ぶりもいいところであった。

 リュティスよりずっと狭いトリスタニアでも抜け道や地下道が網の目のように張り巡らされていた。リュティスに初めてやってきた彼らにとってはリュティスは大迷宮に等しい。シルフィードは、「きっとタバサお姉さまもいっしょにいるのね。お姉さまの匂いならすぐにわかるのね」と言っているが、匂いがわかるほど近くにいかなきゃいけないのでそれも意味がない。

 いや、問題はジョゼフだけではない。あのハイパーゼットンもだ。あんなものが本格的に動き出したらガリアどころかハルケギニアが壊滅する。いくら言っても馬耳東風のグラシエに、ルイズはとうとう堪忍袋の緒が切れた。

「だったら、まずはあんたを締め上げてあのでかいのを止めさせてやるわ!」

「おや、私から聞きたいことはもう無いのですかな?」

「どのみち大事なことを聞いてもはぐらかすでしょ。なら、杖で決着をつけるしかないじゃない。サイト!」

 ルイズに目で訴えられて、才人はルイズの意図を悟った。グラシエはルイズのエクスプロージョンを知っている。普通に撃ってもかわされるだけだ、ならば。

 ルイズが唱えた呪文はエクスプロージョンではなかった。エクスプロージョンを撃つと見せかけて、才人といっしょにグラシエの後ろに瞬間移動したのだった。

『テレポート』

 緩急のない一瞬の移動。これなら見切ることは不可能だ。

 才人はデルフを振り上げ、思い切り振り下ろした。自信あり、必ず当たる!

 だが。

「おっと、その手は食いませんよ」

「なにぃぃっ!?」

 なんと、グラシエは後ろに目があるように才人の斬撃をあっさりと身をかわしてしまった。なぜ? 今の攻撃は避けられるわけはなかったのに。

 渾身の一撃を外してしまった以上、さらに振り回しても宙を飛べるグラシエには当たらない。水精霊騎士隊の仲間もあまりの早業についていけていない。愕然としている才人たちに、グラシエは愉快そうに告げた。

「ふふふ、甘い甘い。同じ手は二度と通じませんよ」

「同じ手ですって? 馬鹿言わないでよ。あんたにテレポートを使ったのは今回が初め、て?」

「お、おいルイズどうした? うっ!」

 突然頭を抑えたルイズを気遣った才人は、自分も突然頭に強い痛みを覚えて顔をしかめた。

 なんだ? 何かが頭の中に沸き上がってくる。

 

「『テレポート!』今よサイト!」

「おっしゃあ!」

 

 なんだ!? 今、頭に浮かんだビジョンは?

 あれは自分たち? でも、あんなことをやった覚えはないぞ。なんでそんなものが見えるんだ? 前に自分たちはグラシエと戦ったことがある? そんな馬鹿な。

 だが、グラシエは困惑している才人やルイズを見下ろしてあざ笑うのだった。

「おやおや、タイムリミットが近いようですね。フフフ、どうですか? ありえない記憶に翻弄される気分というのは」

「なん……ですって。あんた、わたしたちに……何を?」

「ンフフフ、私が説明しなくてもすぐにわかりますよ。それまでもう少しこの前座を楽しみましょう。焦らなくても必ず来るのですから」

 前にも、前からもこんなことはあった。けれど、今回はそれとは違う。まるで、重い蓋で閉じ込められていたものが吹き出しかけているような。

 いったい、いったいこれはなんだっていうの? 自分たちの中に、別の自分がいるような違和感。才人とルイズの困惑を、グラシエはまさに思い通りといった風に見下ろしている。

〔ふふふ、楽しいですねえ本当に。さて、そろそろ王様たちのほうも次の段階に移っている頃でしょうか。仲直り、できるといいですねえ弟君と〕

 全ては予定調和。そう、こうなることは最初から決まっているのだから。

 

 

 誰しもが自分の意思で決断し、自分の意思で行動していると信じている。

 だが、もしその意思に他者が介入していたら? それは、考えるだにおぞましい。

 

 ヴェルサルテイル宮殿の地下から脱出したジョゼフたち。彼らはその後、地下の抜け道を使い、シャルルを背負ったジョゼフはタバサの灯す灯りだけを頼りに闇のなかをひた駆けた。

 行く先はわからない。戻る道は崩れはて、西も東もわからない地の底を走り続けた彼らがたどり着いた場所は、リュティスの一角にあるとある貴族の屋敷の地下室だった。

 どうして宮殿の地下とこの屋敷がつながっていたかはわからない。いつかの時代の国王が緊急時の抜け道で掘らせたと考えるのが自然であろうが、今はそれはどうでもいい。この屋敷もすでに住人が逃げ出していたために、ジョゼフは走っているうちに気を失ってしまったシャルルを適当な寝室のベッドに寝かせると、部屋を出てタバサと向き合っていた。

「こんなに走ったのはガキの頃以来だが、息を切らせるようでは俺も歳かね」

「……」

「そんな目で睨むなシャルロットよ。今更どこにも逃げたりはせん。それより、シャルルについてやらなくてよいのか?」

 ジョゼフの言葉や表情にけんはなく、純粋に思いやって言ってくれているのだろうとタバサは思った。

 恐らくこれが、自分やイザベラが生まれるよりも前のジョゼフの姿なのだろう。タバサは、自分の知らないジョゼフの狂気に染まる以前の姿を目の当たりにして、この兄弟の確執の深さを感じ取った。きっと昔は、ただの仲のよい兄弟でしかなかったに違いない。それを命を奪ってしまうほどの憎悪に駆り立てたのは王族として生まれたが故のいびつな環境……それは、今なら自分にもわかる。

 けれど、ジョゼフはシャルルを殺してしまったことで、自らシャルルに死に逃げをさせてしまった。ジョゼフが王になってからしてきたことは全てその穴を埋めるための悪あがき……むろん、理由が何であれ無実の人々を苦しめてきたことは決して許されはしないけれども、すでに命を持って償う覚悟を決め、シャルルにすべてを譲って消え去ろうとしているジョゼフの表情は本当に穏やかだった。

 だが、タバサは伝えねばならない。超獣ギーゴンと戦ったあの日、旧オルレアン邸の秘密の地下室で見つけた父の秘密を。タバサはあの帳簿をジョゼフに手渡して読むように告げた。

「これは? ああ、そういえば”真実”がどうとか言っていたな」

「そう。もうこうなってしまった以上は仕方がないけれど、お父様が目を覚ます前に知っておいてほしい。あなたたちが、もうすれ違ったままでいるのは見ていられないから」

「ふむ」

 タバサの悲痛さも浮かぶ様子に、ジョゼフは素直に帳簿を受け取った。もとより死さえ覚悟している。今さら何を知らされたところで決意が揺らぐことはない。

 ページをめくっていくジョゼフ。だが、その表情は次第に険しさを増していった。

 まさか、これはどういう……いや、そうとしか考えようがない。ほかの可能性を検討しようと思っても、明晰なジョゼフの知性は甘えを許してはくれなかった。

 そこに書かれていたのは、多くの貴族たちへの献金の記録。その名義はシャルルからであり、それはつまり、シャルルと貴族たちとの間に贈賄の関係があったということを示していた。しかも、帳簿の分厚さや日付の古さから、その根は相当に広く深いものであったこともうかがい知ることができた。

 読み進めるジョゼフ。すると、かつてシャルルを次期国王にとひときわ強く推していた貴族たちの名前が並び、その者たちには朱線まで引いて、より多額な金銭や美術品をどれだけ贈ったかや、将来大臣や重職に取り立てる約束をしたことなどが克明に記録されていた。

「シャルロット、これは……?」

「わたしの屋敷の、秘密の地下室で見つけた」

「これは間違いなくシャルルの字だ。これはつまり、そういうことなのか。シャルルの、あいつの人気は作られたものだったということか? 金を使い、凡百の貴族どもや平民のように不正に買っていたのだと、あの誰よりも高潔で善良だった、あのシャルルがか?」

「確かめた。間違いない」

 タバサが断言したことに、ジョゼフは気が遠くなる思いで絶句した。

 シャルロットがシャルルに関して嘘をつくことなど絶対にありえない。それにシャルロットは自分の知る限りでもっとも頭の良い人間だ。そのシャルロットが確認して、間違いないと言うのだから間違いがあるわけがなかった。

 シャルルは生前、自分の人気取りのために不正なことをしていた。何のために? そんなもの、王族であるシャルルがそうまでしないと手に入らないものなど、玉座以外にあるわけがない。

「シャルロットよ教えてくれ。俺は臆病な男だ。頭が考えることを、認めることを拒絶してしまっている。お前はもう、あいつの子であるお前はもう答えを出しているのだろう?」

「お父様は、あなたの弟は、ガリアの次の王になることを画策していた。そのために、不正な金銭を使っても自分の支持者を増やし、王位継承者としてふさわしいとアピールしようとしていた。世間に……なによりお祖父様、前国王陛下に」

「だが、父上は俺を後継者に指名してしまったというわけか。しかし、なぜだ。そんなことをわざわざしなくても、人徳も魔法の才もすべてがシャルルは俺を上回っていた。なぜこんなことをしなければならなかったというのだ?」

「あなたはわかっていない。長男というそれだけで、王位継承のなによりの資格になる。それにあなたは自分のことを卑下するけど、優秀とうらやむ弟に曲がりなりにも対峙できていたのはあなただけ。つまりあなたも十分以上に優秀なの。実際、この四年間のガリアは揺らぐことはなかった。無気力に統治をしてそれができたあなたは非凡以外の何者でもない。お父様は、近くで見ていたからそれを誰よりわかっていた。もちろんお祖父様だってそう。そんな兄がいるのに、次男が王位継承者に指名されるのには、ただ優秀なだけでは無理。きっと、お父様はそう思ったの」

 ジョゼフはひざを折りそうになるのを必死にこらえた。

 なんということだ。俺が優秀? それをよりにもよってシャルルの娘から聞かされるとはなんという皮肉か。もちろん今のことはすべてシャルロットの推測だ。だが筋は通っている。俺は父上が王座にいたころから父上にはシャルルに比べてないがしろにされていると感じてきたが、父上も優秀な王だった。あのとき「次王はジョゼフとする」と言った遺言を、俺は父上が死に際で乱心したためだと思い込んでいたが、それが正気だったとしたら? シャルルの後ろ暗さを見抜いていたとしたらどうだ?

 だが、そのくらいでジョゼフの信念も変わるものではない。

「残念なことだ。だが、それでもシャルルは『王族らしいこと』をしていただけではないのか? 俺は人気取りをする知恵もないくらい無能だったのだからな。なにより、それでもシャルルが王になったほうが俺が王でいるよりずっとマシではないか」

「本当に、それでいいと思うの?」

「……ああ、そうだ」

 俺が王になってシャルルよりましなことなどひとつも無い。それを思えばたいしたことではないはずだ。

 けれども、もうひとつ。

「だが、シャルルは俺が王に指名されたときに言ったのだ。「兄さんおめでとう。兄さんが王になってくれて嬉しいよ。二人でこの国をもっとよくしていこう」と。俺はあのときのことを昨日のように思い出せる。いったい、あれはなんだったというのだ?」

「それは……」

 タバサは答えようとした。だが、答えるのはタバサにもつらかった。それに、ジョゼフほどの頭脳の持ち主が察せられていないわけがない。

 わかっていても認めたくないことはあるものだ。直接見たというなら認めざるを得ないだろうが、こうして間接的に証拠を突きつけられても人間の心は防衛本能を働かせる。

 それでも、認めなければならない。タバサがそう思って言葉を紡ごうとしたときだった。シャルルを寝かせている部屋から物音がして、タバサとジョゼフはびくりと体を震わせた。

「シャルル、目を覚ましたのか」

「どうする? あなたが、説明するはずだったのでしょう」

「……少しだけ時間をくれ。情けない話だが、頭が回らん」

「今さら……」

「恥を忍んで頼む。決して逃げたりはせん。だが、本当に少しだけ落ち着く時間を作らせてくれ」

 ジョゼフはおぼつかない足取りで洗面所のほうへ歩いていった。

 まるで親に叱られるのを引き伸ばそうとする子供だ。タバサは、ジョゼフのそんなみじめな姿を見たいと思ってきたのに、空しさとやるせなさしか湧いてこない自分の心を恨んだ。

 逃げ出したいのは自分のほうだ。確かに、父が帰ってくるならばと、グラシエの誘いに乗ったのは自分だ。けれど、いざこうなってみるとどんな顔をして会えばいいのかわからない……。

 けれど、生き返って右も左もわからない父を一人でほっておくわけにはいかない。タバサは、あれほど会いたかった父との対面だというのに、緊張しながらドアを開けた。

「……失礼します」

 ドアの向こうでは、父シャルルがベッドから上半身を起こしてこちらを見ていた。

 父様が、生きた父様が目の前にいる。タバサの動悸が早くなる。シャルルはタバサを見つめて、怪訝そうな様子で口を開いた。

「君は……誰だ?」

 タバサは頭をハンマーで殴られたようなショックを覚えた。父が、自分をわかってくれない。

 だが無理もない……あれからもう四年。幼かったタバサも立派に成長し、容姿は大きく変わっているのに、シャルルの時間は四年前で止まってしまっているのだ。タバサは息を落ち着かせると、眼鏡をとって答えた。

「父様、信じられないかもしれませんが、あなたは戴冠式のあの日から四年間も眠らされていたんです。わたしは、わたしはシャルロット、あなたの娘です」

「シャルロット? まさかそんな。だが、その顔は……すまない、もっと顔をよく見せておくれ」

 タバサは父に歩み寄ってかがみこんだ。その顔をシャルルはまじまじと見つめると、感極まったように言った。

「おお、おお、シャルロット、本当にシャルロットなのか。大きく、大きくなったなあ」

「父さま、父さま……っ」

 タバサは感激をこらえきれず、ボロボロと涙をこぼした。シャルルはそんなタバサに、いたわるように言った。

「長い間、とても長い間眠っていたような気はしていた。だが、そんなに長い時間が経っていたとは。シャルロットよ教えてくれ。いったい、私が眠っていた四年間になにがあったのか?」

「それは……」

 タバサはためらいながらもとつとつと話し始めた。四年という時は大きい。しかし、どんな理由でも再びこの世の人となってしまったシャルルをこのままにしておくことはもうできない。

 だが、これでよかったのだろうか? タバサは、父の所業を知ったとき、このまま父を生き返らせてはいけないと決意した。だがそれでも、父が戻ってきてくれたのは嬉しい。それに、父が不正をしていたのは事実でも、別に誰かを傷つけたりしたわけではないではないかと、心の中から別の自分が呼びかけてくる。

 こうなった以上、どんな強引な方法を使っても、ジョゼフの思惑に乗ることになったとしても、シャルルの生還を既成事実化するしかないのか。タバサはその選択肢にこらえがたい誘惑を感じた。父とのあの楽しかった日々が帰ってくる……そのあまりの甘美さに、このままで終わるはずがないという狩人としての勘が鈍っていることに気づかず。

 

 たとえどんな選択肢であろうと、一度選んでしまった結果にやり直しはきかない。だから人は分かれ道で迷う。

 そして分かれ道は次々に現れて人を迷わせる。それの例外になる人間はおらず、その頃、ジョゼフは洗面所で鏡を前にしながら独語していた。

「俺が、こんなに臆病な男だったとはな……」

 シャルルが生き返ったら、喜んでシャルルに王位を譲り、それで終われると思っていた。そのために、シャルルの生存をでっち上げるための偽物を用意するなど手を回して、それはすべてうまくいっていたはずだった。

 けれど今は、シャルルにどんな顔をして会えばいいのかわからない。シャルルが不正を多少していたところで、そんなもの貴族なら誰でもやっていたことではないか。あいつが俺より優秀だったのは間違いないのだし、迷わず王位を明け渡すのに何の躊躇がいるのか?

 鏡の向こうの虚像の自分に言い聞かせるも、何かが躊躇させる。なぜだ? なぜ俺はあれほど望んだシャルルとの対面を拒もうとしている? 俺は何を恐れている?

 結局俺は、シャルルの心どころか自分の心も理解していなかったということか。まったく笑わせる、やはりこんな俺は王になどふさわしくない……む?

 ふと、ジョゼフは違和感に気がついた。目の前の洗面所の大鏡に映っていた自分の姿が水面のように揺らめくと、見たことのない砂丘のような風景が映った。

「なんだ? なにかのマジックアイテムか?」

 貴族の屋敷には一般の調度品に見せかけて魔法の仕掛けがされていることが珍しくない。危険を感じたジョゼフが鏡から離れようとしたとき、鏡にひびが入った。

 世界が虹色に変わり、上下の感覚がなくなる。そのままジョゼフは鏡の中へと吸い込まれていった。

「なっ! うおおぉぉ……」

 ジョゼフの叫び声を聞いて、タバサとシャルルも弾かれるように飛び出した。

「ジョゼフ!」

「兄さん!? 兄さんがいるのかい」

 だが飛び込んだ洗面所にはすでにジョゼフはおらず、タバサとシャルルもそのまま鏡の中へと引きずり込まれていった。

「うわぁぁ……」

 悲鳴も鏡に吸い込まれるように消えていく。やがて、無人となった屋敷では割れた鏡の破片だけが鈍く輝き続けていた。

 

 

「こ、ここはどこだ?」

 ジョゼフが気がついた時、彼は広大な砂丘の中にたたずんでいた。

 周りは砂以外何も見えない。少なくとも、リュティスのどこでもないようだ。

「シャルル! シャルロット!」

 叫んで二人を探しながら、ジョゼフは考えた。さっき、鏡に吸い込まれたまでは覚えている。となると、あの鏡を通して別のどこかに送り込まれてしまった可能性が高い。

 問題はどうしてそんなことに? あの屋敷にあった魔法装置を偶然自分が動かしてしまったのか? いや、偶然にしてはできすぎている。となれば、こんなことを仕掛けてくる奴は一人しか思い当たらない。

「奴め、そろそろこの俺も用済みだということか」

 心乱されようとも、ジョゼフの頭の切れは衰えてはいなかった。しかし悔しくはない、奴とは別に盟友でもなく、こういう場合は引っかけられるほうが間抜けなだけだ。

 だが、何のためにこんなことを? 始末するだけなら簡単なはずだが……いや、どうせろくなことではないから考えるだけ無駄だろう。成り行きに身を任せるしかない。

 すると、砂丘の中腹に倒れている人影をジョゼフは見つけた。その背格好に、シャルルだと気づいたジョゼフは駆け寄って助け起こした。

「シャルル! シャルルよ」

「に、兄さん……兄さんなのかい?」

 気がついたシャルルの顔も声も、自分が毒矢で射る前のシャルルのそのままで、ジョゼフはこみあげてくる何かをぐっとこらえた。

「そうだ、俺だよ。シャルルよ、俺がわかるのか」

「ああ、シャルロットから聞いたよ。僕が奇病に倒れている間にガリアを一人で支えてくれたんだってね。やっぱり兄さんはすごいや」

「あ、ああ……」

 ジョゼフの心に忘れていた罪悪感が蘇ってくる。なぜだ、俺はこの心の揺らぎを取り戻したくてこれまでしゃにむに駆けてきたというのに、なぜこんなに苦しい。

「ともかく、ここから動こう。シャルル、立てるか?」

「あ……ごめん兄さん、ちょっと、腰が抜けちゃって」

「なに、仕方のない奴だ。ほら、立たせてやる」

 ジョゼフはシャルルに肩を貸して歩き出した。

 砂丘の砂にさくさくと足音が響き、他にはなにも聞こえない。空も風も実感がなく、ここがまともな世界ではないことを肌で感じることができた。

「ごめんよ兄さん、僕が情けないばかりに」

「なにを言うんだ。俺は兄貴だぞ、これくらい軽いものだ」

 遠慮がちなシャルルに、ジョゼフはなかば強がって言ってやった。偉丈夫なジョゼフにとって、細身なシャルルの体を支えるなんて簡単だが、こうして自分が殺した相手の顔をすぐそばで見るのはつらい。

 シャルロットはシャルルに俺がシャルルを殺したことを言っていないのか。その気づかいがまた胸に刺さる。

「シャルロットはどうした? あいつもいっしょだったはずだろう?」

「それが、確かにいっしょにいたはずなんだけど、鏡が光った後はなにもわからなくて」

「そうか、ならばまずはシャルロットを探さねばならんな」

 あてなどないが、ジョゼフはそのまま歩き続けた。止まれば、見えないなにかに背中を掴まれそうな、子供のような恐怖がジョゼフを突き動かしていた。

「シャルルよ、まだ足は動かんか?」

「うん、さっきよりはましだけど、まだうまく力が入らなくて」

「そうか、無理はするな。だが……こうしてお前と二人だけで歩くのは、いつ以来だろうな」

「お互い、大人になったらどうしても人の目があるものね。大人になるのって、あっという間だったね」

 シャルルもジョゼフと同じように、遠い思い出に心をはせて遠く目を細めた。

「覚えてる兄さん? 父さんの王冠の中にトカゲをしこんでやったときのことを」

「もちろん覚えているとも。あのとき、大臣どもの前で慌てふためいた親父どのの顔はけっさくだったなあ、はっはっはっ」

「あはは。思えば、子供の頃の僕らはまったく王子らしくない王子だったね」

「ああ、二人で思いつく限りの悪事を働いて、何度親父どのに雷を落とされたか数えきれん」

「兄さんがドジなせいだよ」

「お前の逃げ足が遅いからだ」

 二人は顔を見合わせて笑いあった。

「だが、ガキでいられる時間は短い。意地の悪い家庭教師を何人もつけられ、やれ学問だの作法だのを押しつけられる」

「父さんはそれだけ、兄さんに期待していたんだよ」

「どうかな。だが、俺が伸び悩むのに比べて、お前はメキメキと才能を表した。魔法でも、学問でも、お前を褒め称える声を聞かない日は無かった」

「大げさだよ。家庭教師の奴ら、半分以上はおべっかだったさ」

「いや、お前が優秀だったのは変わらない。お前の魔法の才は突出していた。大人でも覚えるのが難しいような魔法を、お前はあっという間に覚えてしまう。学問でもそうだ。お前は若くして風と水の真理を解き明かした。俺はそれが、うらやましくてたまらなかったよ」

「あれくらいのこと、もしも他の貴族たちと同じように魔法学院に通っていたら、僕くらいの成績の子はたくさんいたさ。兄さんが劣っていたなんてとんでもない。周りの奴らは、派手な結果ばかり見たがるけれども、基礎を固めて堅実な論文を作ったりするのは兄さんのほうが得意だったじゃないか」

「それでも、俺はお前に勝ちたかったのだ」

 シャルルの気づかいに満ちた言葉も昔のままでジョゼフはつらかった。昔はこれで嫉妬に狂い、嫉妬は憎悪に変わった。だが、今は憎悪の先に何もないことを知っている。知っているからこそ、蘇ってきたやり場のない劣等感がつらかった。

 二人の間に沈黙が流れる。だが行けども行けども、砂丘の風景は変わりない。まるで同じところをグルグル回っているような感覚が、二人に黙り続けることを許さなかった。

「兄さん、聞かせてよ。今は兄さんがガリアの王なんだろう。僕が眠っている間に、ガリアはどう変わったんだい?」

「そうたいして変わってはいないさ。やはり俺は王には向いてない男だったらしい。今を持たせるのに精いっぱいで、世間では無能王なんて俺を呼んでいるようだ」

「それは、ひどいね」

 シャルルは目を伏せ、憤ったようにつぶやいた。

 その様子を見て、『シャルルよ、やはりお前は……』と、ジョゼフの胸に昔は気づかなかったある確信が浮かぶ。

「まあ俺のことはどうでもいい。俺などよりも、シャルロットにはもう会ったのだろう。あいつはすごいぞ。さすがお前の娘だけあって、聡明で魔法の才にも優れている。おかげでずいぶん俺も助けられたものよ」

 その言い草はタバサも怒るだろう。確かに結果的にタバサはジョゼフの治世を助けたことにはなるけれども、それは脅迫そのものの北花壇騎士としての役割であってだ。とはいえ、方便も必要だ。こんなときに、お前の娘をこき使って死なせかけていたなんて言えるわけがない。

 すると、シャルロットのことを褒められたのが嬉しかったのか、シャルルの顔に喜色が湧いた。

「そうだろうねえ。さっき見た時はびっくりしたよ。あの小さかったシャルロットがあんなに立派になって。でも、シャルロットにも苦労をかけて、申し訳ないことだ」

「気に病むな。シャルロットは、お前のためにこの四年間を頑張ってきたのだ。もっと誇りに思ってやれ、あれは本当にたいしたものだ」

「そうだね。僕も鼻が高いよ。シャルロットはいい子だ。さっきちょっと見たけれど、あの子に流れている魔力はすでに僕を超えているよ。軽くスクウェアクラスかな。あの小さかったシャルロットがだよ。ねえ兄さん、シャルロットはすごいだけじゃなくて賢くて……いやいやそれだけじゃなくて、とても優しくて可愛いんだ。天使というものがいるとすればシャルロットのような子を言うのかな。あの小さな体で大きな杖を振るのがとても愛らしくて」

「わかったわかったよシャルル。お前にそんな顔があったとは初めて知ったぞ」

 ジョゼフはシャルルの親ばかぶりに少しげんなりしながらうなづいた。

 まあ確かにシャルロットのような利発な娘を持てば親ばかになってもおかしくはない。比べて自分はといえば……いや、比べるだけ無意味か。あれを今さら俺の娘だなどというのは恥知らずにもほどがある。

「やれやれ、このままお前の娘自慢に付き合わされたらかなわん。さっさとシャルロットを探さねば……むっ?」

 ジョゼフは突然強烈な違和感を感じて立ち止まった。

 なんだ? 殺気? なにかが俺たちを狙っている。

「兄さん? どうしたんだい」

「しっ、どうやらお遊びは終わりらしい……来るぞ! 怪獣だ」

 ジョゼフが叫んだ瞬間、砂丘の砂煙の向こうから地響きを立てて怪獣が現れた。網目状になった全身は銀色に光輝いていて、鏡を全身に貼り付けたような、いや鏡そのものの鏡の怪獣だ。

 異次元獣スペクター。身長59メートル、体重3万9千トン。マザラス星人が操っていた怪獣で、全身が鏡になっているような特異な体を持つ。その巨体に、初めて怪獣を見るシャルルはすくみあがってジョゼフに問うた。

「に、兄さん。なんだいあの怪物は?」

「どうやら、あれが俺たちをこの妙な世界に引きずり込んだ犯人らしいな。シャルル、もう一人で歩けるだろう? 俺があれを引き付ける。お前はその隙に反対方向へ逃げろ」

「な、何を言うんだい。僕だって」

「馬鹿め。杖のない今のお前に何ができる。ともかく逃げろ。逃げていればそのうちシャルロットに拾ってもらえるだろう。さあ、ゆくぞ。『エクスプロージョン!』」

 ジョゼフが杖を抜いて呪文を唱えると、巨大な爆発が起こってスペクターを吹き飛ばした。ルイズが使うものと同じ虚無の初級呪文。だが、ほとんど魔法を使わずに生きてきたジョゼフの精神力は蓄積されており、その威力は上回る。

 スペクターは吹っ飛ばされて転倒し、その威力にシャルルは目を丸くした。

「す、すごい。でも、今の魔法はいったい? 兄さん、兄さんはいったい何の系統に目覚めたんだい?」

「聞きたいか? 虚無だ、虚無の系統だよ。すごいだろう? 始祖の使っていた伝説の魔法だぞ」

「虚無? 虚無だって! 兄さんが、あの伝説の系統に目覚めたというのかい」

「そうとも。さあ、わかったなら早く行け」

「でも、奴は今の兄さんの魔法で」

「怪獣があんな程度で死ぬわけがあるまい」

 チャリジャやグラシエの連れてきた怪獣たちを見てきたジョゼフは、いくら虚無の魔法といえど、よほどのことがなければ怪獣に致命打を与えることはできないと知っていた。それが正しい証拠に、スペクターはまったく無傷のままでむくりと起き上がってきた。

「見ての通りだ。さあ行け、今のお前では足手まといにしかならん」

「し、しかし、それじゃ兄さんが」

「馬鹿やろう、俺は兄貴だぞ。一度くらい弟の前でいいかっこうつけさせろ!」

 そう叫んで、ジョゼフは杖を握ってシャルルを押し退けた。

 正直に言えば、シャルルを連れたまま逃げる方法も存在する。しかしここはあの怪獣の箱庭のようなもの、中途半端に逃げ回っても意味がない。

 それになにより、ジョゼフにも意地があった。これまでさんざん知謀を巡らせてきたが、自分の手で何かを成し遂げたことはない。自分の手を汚さないゲームでの勝利ではなく、一生に一度くらい自分の力だけでやったことをこの世に残しておかなくては男が廃る。

 

 人生で恐らくは最初で最後の真剣勝負に望まんとするジョゼフ。その前に、鏡の世界の支配者である怪獣スペクターが雄叫びをあげて迫りくる。

 だが、ジョゼフとシャルルを鏡の世界に閉じ込めた意図はどこにあるのだろうか? そしてタバサは……?

 同じように鏡の世界に飛ばされていたタバサは、必死にジョゼフとシャルルを探し回っていた。しかし鏡の世界は砂煙で見通しが悪く、風の流れも現実世界とは違っていて読めない。

 そんなときだった。焦るタバサの元へ戦いの唸りが伝わってきたのは。

「これは……誰かが魔法を使った? ジョゼフっ」

 メイジは杖を持たねば魔法を使えない。シャルルは杖を持っていないから魔法を使えるのはジョゼフしかいない。しかも、こんなに強い気配を持つ魔法を使うのはただごとではないと、タバサは弾かれたように飛び出した。

「早まらないで! ジョゼフ」

 なにか、とてつもなく悪い予感がタバサの中に沸き上がってきていた。確かな根拠があるわけではない。だが、戦いを始めるようになってから何度となく感じてきた危険を知らせる狩人の本能が、タバサにこれから起ころうとしている惨劇の未来を伝えていた。

 

 

 続く


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