第25話
邪神の胎動
熔鉄怪獣 デマーガ
地底怪獣 テレスドン
古代怪獣 ゴメス 登場
陰謀という言葉の功罪は大きい。
なにかしら不可思議な事件が起きたとき、人は陰謀を疑い推理を巡らせる。
しかし、そのほとんどは徒労に終わる。なぜなら、そんな簡単に見破られては陰謀の意味がないし、なにより最初から陰謀なんか無かったことが大半だからだ。
だが、今このガリアではまさにその大陰謀劇が繰り広げられていた。
ジョゼフの策謀で混乱に陥るガリアと、それを食い止めようとする者たちの間で攻防戦が繰り広げられ、イレギュラーを重ねながらもジョゼフは諦めずに目的に向かって邁進している。
けれど、陰謀を巡らせているのはジョゼフだけではなかった。あのコウモリ姿の宇宙人は、ジョゼフに様々な助力を与えながら、自らもまた何かを企んで暗躍を続けていた。
これだけの人、ウルトラマンを敵に回してまで狙っているものとは何か? 確かなことは、ジョゼフの陰謀が終幕に近づくにつれ、それの陰謀もまた目的に近づいている。それだけだった……。
ただ、その予兆は静かにガリアを蝕みつつあったのだ。
いまや外にも内にも大混乱のガリア王国。その混乱を避けて、荒れ野が続く山道をひた走る一台の馬車があった。
「さすがの大国ガリアも、これだけ田舎に回ると静かなものね」
馬車の窓から顔を覗かせたのはキュルケだった。揺れる田舎の山道に辟易した様子が見えるが、行く先を見るその眼差しは眠っていない。
「急がば回れとは言うけど、タバサってばこんな裏道をよく知ってたものだわ」
ラグドリアン湖を出発してから、キュルケはタバサを追って一路ガリアへ入った。しかし主要な街道は封鎖されており、銃士隊のように関所をすり抜ける手もないキュルケは、以前にタバサから気まぐれに教えてもらったことのある裏道を使っていた。なんでも、シルフィードを召喚する以前に使っていた道らしい。
「地図にも載ってない道だから早いって言ってたけど。これほど寂しい道だとはねえ。ま、あの子らしいかしら」
道らしいものはあるものの、路肩を離れると枯れた雑草が生い茂っていて、遠くを見渡してもツタの絡まった貧相な立木がちらほらとしか見えない殺風景な眺めが続いている。
これが表の街道だったら、旅人の休息場となる飲食店が軒を連ねていたり、山賊やたまに旅人を狙って人里に近づいてくるコボルトやオーク鬼を警戒した衛士の見回りも目にするものだが、ろくにすれ違う人間もいない。人家もちらほらと、見ないわけではないけれど、本当に知る人ぞ知る裏道のようだった。
「よくもこんな場所に人が住んでるものだわ。前に行ったタルブ村もここに比べたら都会ね。フレイム、道が悪くて気持ち悪いでしょうけど、もう少し我慢してね」
キュルケは荒れた道で車酔いしている使い魔のフレイムを気遣いながら、リュティスに着いた時のことを思案し続けた。
「待っててね、タバサ……」
リュティスではきっと、これまでにない厳しい戦いが待っているに違いない。けれど、それを乗り越えなければタバサを助けることはできない。
そして、タバサを助けることができなければ、借りっぱなしになっている数々の恩も返せないし、お説教してあげたいことも伝えることができない。
キュルケは、ツェルプストーの女に燃やせない壁なんて無いことをタバサに絶対見せてあげようと念じながら、いつ果てるともわからない道の先を望み続けた。
しかし、リュティスに着くまでは安心だろうと思っていたキュルケの期待は思いがけない形で裏切られる形となった。
「フレイム、今の聞こえた? 悲鳴、よね」
こんな山深い場所で? キュルケはいぶかしんだが、風に乗って確かに聞こえた。それに、空耳ではない証拠にフレイムも頭を上げて唸り声をあげている。
キュルケは御者のゴーレムに、馬車のスピードを上げるように命じるのだった。
そして、結論から言えばキュルケの聞いた悲鳴は空耳では無かった。
裏街道の一角にある少し開けた場所で、一台の馬車が十数人の暴漢に取り囲まれていたのだ。
「どうかお見逃しくださいませ! お金なら差し上げますでございます」
その馬車は、キュルケの乗っているものに比べたら質素なものの、貴族用に家紋のついた立派なものだった。馬車の前には、執事風の老人が手を広げて馬車に乗った婦人と幼い兄妹をかばい、必死に暴漢たちに呼び掛けている。
しかし、馬車を取り囲んだ薄汚い姿の暴漢たちは、相手が貴族と承知しているかのように弓で四方八方から狙いながら怒鳴った。
「うるせぇい! はした金なんかいらねんだよ。こんなとっから逃げようとしてるってことは、おめえら王様の仲間だろ。ってことは、オルレアン公に差し出せばたんまり恩賞を受け取れるって寸法じゃ」
田舎者丸出しの下品な物言いで迫る暴漢たちに、執事はとても話し合いができる相手ではないと絶望するしかなかった。
「これだけの矢に狙われたら貴族もいちころじゃろ。それ、馬車から引きずり出しちまえ!」
リーダーらしい男の命令で、暴漢たちは一斉に馬車に襲いかかってきた。
止めようとした執事は軽く振り払われ、馬車の中で震えていた婦人と幼い兄妹に汚い手が迫る。
「こないで、こないでください。ああっ!」
婦人は杖を持っていたが、荒事などしたこともないようで、あっという間に馬車の外に腕を掴まれて引き出されてしまった。
そして婦人の抱いていた、まだ五歳くらいの幼い兄妹も暴漢たちに捕まって泣き叫ぶ。
「うわーん、おかあさまーっ!」
暴漢たちは子供たちも容赦なく乱暴に扱い、執事と婦人は悲鳴のように叫んだ。
「おやめくだされ! 無体なことはおやめくだされ!」
「お願いです。私はどうなっても構いません。どうか子供たちだけは許してください!」
悲痛な叫びがこだまする。婦人は涙まで流し、必死に我が子を助けてくれるように懇願していた。
ここで少しでも真心のある者ならば、いかに身分は違えども我が子を思う母の心に感じるものがあっただろう。けれど、恩賞という妄想に取りつかれた落武者狩り気取りの暴漢たちは、目をギラギラさせながらあざ笑った。
「お貴族様が許してくださいだとよ! 笑わせんな、お前ら俺たちの稼ぎをかっぱらっていい暮らししてたんだろうが」
「おい、恩賞と引き換えに突き出すのは女だけで十分だろ。ガキどもは別に売り飛ばしたほうが儲かるぜ。ひゃはは」
恐ろしいことを平然と言う暴漢たちに、婦人は顔を青ざめさせながら子供たちを取り戻そうとして、無力にも押さえつけられてしまった。
「お願いです。子供たちには何の罪もありません。お慈悲を、どうかお慈悲を」
涙を流しながら許しを請う婦人の姿に、婦人と同じように取り押さえられてしまった老執事は「奥さま……」と嘆きながら歯噛みするしかできなかった。
だが、暴漢たちは自分たちが振るう暴力に酔いながら、さらに残忍な所業に手を染めようとした。
「金目のものもいただくぜ。おっと、ガキつきのババアかと思えば、まだいける年頃じゃねえか。せっかくだから味見といくか」
「ひっ、ひぃっ!」
「そりゃいいぜ、回せ回せ」
「めんどうだ、まとめて三、四人いっぺんにいけ!」
非道極まる所業。縛られた子供たちも「お母さま!」と号泣しているのに、暴漢たちは「うるせえ!」と怒鳴り返すのみである。
けれど、暴漢たちは自分たちにとって最悪のタイミングで愚行に臨もうとしていることに気づいていなかった。
彼らがその畜生そのものな行為に及ぼうとした時、猛烈な勢いで飛んできた火の玉が婦人を押し倒していた暴漢を吹き飛ばしたのである。
『ファイヤー・ボール!』
火炎弾は婦人を傷つけない絶妙なコントロールで暴漢を焼きながら吹き飛ばし、暴漢の「ぎゃあ」という耳障りな絶叫が流れた。
「だっ、誰でい!」
焚き火のように燃え上がる仲間を背にした暴漢どもの月並みな台詞。だが、彼らは振り返らないほうが幸せだったかもしれない。そこには、微熱ではなく灼熱の怒りを燃えたぎらせたキュルケが立っていたからである。
「欲に目がくらんだ人間の醜さというのは、貴族も平民も変わらないものね。あまりこういうことはあたしらしくないけれど……特別にお仕置きしてあげるわ」
「こっ、こいつも貴族だ。射て、射殺しちまえ!」
キュルケがメイジだと知った暴漢たちは、慌てて矢を射かけてきた。普段は熊などの獣射ちに使っているのであろう武骨な弓から、木を削り出して作った矢が何十と射たれてキュルケに迫る。
しかし、ドットやラインのへっぽこメイジだったら矢の多さに対応しきれずに食らってしまったであろうが、キュルケは数多くの死線をくぐった戦闘のプロであった。
「ウル・カーノ」
初歩の『発火』の魔法を唱え、キュルケは杖をぐるっと円状に動かした。すると、杖先からほとばしった炎は炎のリングを形作って一気に燃え上がり、炎の盾となって矢を焼き尽くしてしまったのだ。
「これでおしまい?」
「ひっ、ひええ!」
炎の壁の向こうから冷たい視線を向けてくるキュルケに、暴漢たちは相手が場馴れしたメイジであることを知って怖じ気づいた。
当然、怯えた彼らはとっさに二の矢を次ぐことができず、その隙にキュルケは反撃の魔法を放った。
『ファイヤー・ボール』
火炎弾の魔法が今度は三発同時に放たれて、三人の暴漢を飲み込んだ。
「ぎゃああ! あっちいい!」
髪や粗末な服に燃え移ってのたうち回る暴漢たち。残った暴漢たちの半分はそれで戦意を喪失して逃げ出したが、キュルケは今度は五発のファイヤー・ボールを逃げ出した連中に向かって放った。
「逃げて許されるようなことをしたと思ってるのかしら?」
人間が走るよりもはるかに速い魔法は簡単に追いつき、逃げた暴漢たちもさっきの奴らと同じ目に会った。
体を燃やされて悲鳴をあげながら七転八倒する暴漢たち。残ったリーダー格と数人の仲間たちは、逃げられないことを悟って婦人と子供たちに刃を向けた。
「うっ、動くなあ! こいつらを殺すぞ!」
「今度は人質? どこまでも腐りきった人たちね」
「うるせえ! 杖を捨てろ。こいつらを殺すぞ、本当だぞ」
婦人と子供たちの喉元にナイフを突きつける暴漢たちに、キュルケは心底見下した目を向けた。
しかし、意外なことにキュルケはあっさりと杖を地面に放り投げた。
「ほら、これでいいんでしょう?」
「は?」
あまりにも簡単にキュルケが杖を手放したので、暴漢たちはあっけにとられてしまった。するとキュルケは、何人もの男子生徒を虜にした悩ましげな笑みを向けながら男たちを誘った。
「どうしたの? 丸腰の小娘ひとりに腰が引けちゃうネンネちゃんたちなの?」
それは明らかな挑発だったが、胸元をさらして舌なめずりをするキュルケの妖艶さが男たちの冷静さを失わせた。
「うおおお!」
欲望の塊になった暴漢たちは、人質を放り出してキュルケに襲いかかろうとした。
だが、そんな野蛮で不潔な連中にキュルケが肌を触れさせるのを許すわけがなかった。
「フレイム」
キュルケが呼ぶと、キュルケの横から猛烈な火炎がほとばしり、一気に暴漢たちを飲み込んでしまったのだ。
「はぎゃああーっ!」
火だるまになる暴漢たち。キュルケの傍らで伏せながら主を守っていたサラマンダーのフレイムが、その炎のブレスを浴びせかけたのだった。
「よくやったわね、えらいわフレイム」
比較的軽度で残ったのはリーダー格の一人のみ。キュルケは素早く杖を拾うと、もだえているリーダー格の男を蹴り飛ばして杖を突きつけた。
「チェックメイトよ。観念しなさい」
「お、お許しを……」
怯えて媚びる男だったが、いまさらキュルケが情けをかけるわけもない。
「あなたたち、どれだけひどいことをしようとしたかわかってるの? 親子を引き裂いて売り飛ばそうなんて、わたしは正義の味方じゃないけど、醜悪すぎて吐き気がしたわ」
「お、俺たちもやりたくてやってたわけじゃないんです。俺たちはこの先の山で果物を作って売ってたんですが、急に山の木がみんな枯れ出して、金が無くなって、つい」
「どんな理由があろうと、やってはいけないことは変わらないのよ。なにより、笑っていたでしょあなたたち。人を苦しめて笑える人を、わたしは人間と認めないわ」
キュルケは容赦なく魔法を放ち、残った一人も火だるまにした。
周囲に他に隠れている気配はなく、キュルケはふうと一息ついて杖をしまい、襲われていた親子に歩み寄った。
「もう大丈夫よ。わたしはゲルマニアのフォン・ツェルプストーの者ですわ。差し出がましいかと思いましたが、義憤により手を出させていただきました。お怪我はありませんこと?」
「ありがとうございます。私どもはリュティスのしがない下級官僚の一家にございます。おかげさまで、私も子供たちも無事で、なんとお礼を申していいことか」
貴族の礼に則ってあいさつしたキュルケに、婦人は子供たちを抱き締めながら感謝してくれた。
どうやら、誰にも怪我はなさそうだ。二人の子供も、怖かったと母親の腕の中で泣きじゃくっているが、傷つけられた様子はない。
無事に済んで良かったと告げるキュルケに、もう一人無事だった老執事もお礼を述べてきた。
「ありがとうございます。まさかこのようなところで異国のお方に救われるとは、ここにおられない旦那様に代わって感謝申し上げまする」
「いいのよ。単なるあたしのおせっかいなんだから気にしないで。ところで、あなたたちはこんなところでどこへ行こうとしてたの?」
「は、それは……」
老執事が口ごもると、婦人は、言っても構わないという風に首を振った。
「実は私どもの旦那様は、今のジョゼフ王様に仕えている身なのです。とはいえ、戦場に出るなどとんでもない温和なお方で、派閥争いに関わることも避けておいででした。今回の戦争も、軍隊に駆り出されることなくすんでいたのですが……」
執事が言いにくそうにしていると、婦人が代わって後を次いだ。
「そこへあの、オルレアン公が現れてしまったのです。国の貴族たちは大混乱になり、逃げ出す者が続出しました」
「オルレアン公……」
キュルケもここへ来る途中で買い求めた新聞で、オルレアン公が生還したという話は知っていた。もっとも、ゲルマニア人のキュルケはガリアの英雄が帰ってきたなどという話にはなんの感銘も持たず、むしろそんな都合のいい話があるものかしらと疑念のほうを強く抱いていた。
「オルレアン公は、ジョゼフ派を保護すると宣言しましたが、リュティスでのジョゼフ派への風当たりは一気に冷たくなりました。でも、私どもの夫はジョゼフ派とは申しましても、政務には一切関わらずに地道にお城と銀行の間の会計に励んできただけの、真面目で優しい、本当に優しいだけが取り柄のような人なんです。それなのに、それなのに、誰もわかってくれなくて……」
「ご主人を愛してらっしゃるのね。わかりますわ」
悔しさで震えながら語る婦人に、キュルケはハンカチを差し出した。
「ありがとうございます。そして、ついに私たち家族にも追及が延びてくるようになり、夫は私たちを親戚の元でかくまってもらえるよう、手配してくれたのです」
「今は、そこへ向かう途中だったのね。それで、旦那様は?」
「リュティスに残りました。あの人は、「自分が逃げ出せば、せっかく民が納めてくれた税金が失われる。自分はガリアの金庫番なんだ」と……ううっ」
「尊敬いたします。素晴らしい旦那様ですわ」
涙をこらえきれなくなった婦人に、キュルケは貴族として最大限の敬意を込めた礼を送った。
キュルケにはひとつのルールがある。それは、ツェルプストーの伝統として恋愛には情熱的に、たとえ誰かの恋人だとしても堂々と奪ってやるほど奔放に生きよ。ただし、うわべだけでない本物の愛情がそこにあったら決して手をつけるべからず。キュルケは久しぶりに、貴族の中で胸のすくようなよいものを見た気分を味わった。
そしてキュルケは、婦人の胸に抱かれている幼い兄妹の頭をなでて、諭すように話しかけた。
「いい、あなたたちも今のお母さんのお話をよく覚えておきなさい。あなたたちのお父様は、自分の仕事に誇りを持って国のために一生懸命働いている人。とてもとても偉い人なのよ」
きょとんとしている兄妹に、キュルケは「大きくなったらわかるわ」と前置きして、兄から順に声をかけた。
「いい、あなたも男なら、次からはあなたがお母さんと妹を守れるように強くなりなさい。男の子は、自分より弱い誰かを守るためにいるのよ」
「えっ、う、うん」
答えながらも意味がわからないでいる兄に、キュルケはしょうがないわねと微笑んでもう一言付け足した。
「強くなったら、お姉さんみたいな女の子にもモテモテよ」
「う、うん! ぼく、強くなる!」
幼いくせに現金なものだとキュルケは思ったが、続いて妹のほうにもキュルケはささやいた。
「いい? これからお兄ちゃんがくじけそうになったり調子に乗ったりしそうになったら、思いっきりお尻を蹴っ飛ばしてあげなさい。いい男を乗りこなすのはいい女の特権よ」
「とっけん?」
「女の子は男の子より偉いってことよ。そのためにも、まずはお母さまの言うことをよく聞いて、同じくらい立派な淑女になりなさい。そうすれば、いつかお姉さんみたいなレディにもなれるわよ」
ウィンクしたキュルケに、妹は「はい」と元気よく答えた。
さて、おせっかいはここまでだ。キュルケは一歩下がると婦人に一礼して言った。
「どうも失礼をいたしました。ここからの道には特に危ないこともありませんでしたわ。お気をつけて向かわれませ」
「本当にありがとうございました。このご恩は、一生忘れません。もし、あなたはいずこへ行かれるのですか」
「リュティスに、友達が待っているもので」
「まさか、今からリュティスに入るのは危なすぎますわ。特に外国人のあなたは、戦乱に巻き込まれるやもしれません」
「お心使い、感謝いたします。でも、どうしても行って助けてあげなくちゃいけないんです。それがわたしの、決めたことですから」
「そうですか……ではどうか、ご無理をなさいませぬよう。あなたに、始祖のご加護があらんことをお祈りしております」
「道中のご安全を、お祈りいたします」
そう言って、キュルケは婦人家族と別れた。
小さな馬車が自分の走ってきた方向に見えなくなるまで見送り、キュルケはさわやかな声色でフレイムにつぶやいた。
「気持ちのいい人たちだったわね」
優しい婦人に素直な兄妹、誠実な執事。貴族としての爵位が高くなくても、ああいう『人間』に触れるとほっとする。本当に、あの一家を守れてよかった。
ああいう人たちがいるからこそ、タバサもどんな理不尽な目に遭ってもガリアを守ろうとするのかもしれない。ゲルマニア人の自分にとってガリアがどうなろうと正直知ったことではないけれど、あんないい人たちが平和に過ごせるように、少しくらいおせっかいしたくなる気もする。
「さあ、あたしたちも急がないとね」
キュルケはフレイムとともに馬車に乗り込み、再びリュティスを目指す旅路に着いた。
だが、しばらく馬車を走らせていくとキュルケの前に奇怪な風景が流れてきた。
「どうしたのかしら。冬でもないというのに、木に一枚も葉がついてないわ……」
延々と、枯れ木と枯れ草だけが続くはげ山が広がっている。これまで通ってきた場所も、決して肥えた土地だったわけではないが、それなりの緑があった。
また、道沿いにはいくらかの集落もあったが、そこの畑や果樹も枯れていて、村人がやつれ果てた様子で座り込んでいた。そこに生気はまるでなく、キュルケはふとさっきの暴漢たちが最後に言っていたことを思い出した。
「村の果樹園が使い物にならなくなったって、あながち嘘じゃなかったみたいね」
確かに農作物が全滅したら、こんな数十人しかいないような集落は全滅だろう。それに、木々がこんな有り様では獣もいないに違いない。
もっとも、飢饉に見舞われたことが本当だったとしても、山賊に堕ちたことを同情する気は一切ない。しかし、リュティスに近づくにつれ、山野の荒れ具合がひどくなってくるのを感じて、たまらずキュルケは馬車を止めて外に飛び出した。
「フレイム、ここにいなさい。ちょっと上から様子を見てくるわ」
キュルケは『フライ』の魔法を唱えて空に飛び上がった。
十メイル、二十メイルと高く上がっていく。風のメイジではないキュルケはタバサのように高くも自由にも飛べないが、今はとりあえず垂直上昇できれば十分だ。
そして、目も眩むような高さに昇り切って下界を見下ろしたキュルケは、そこに広がる光景を見て唖然とした。
「なにこれ、野にも山にもひとつも緑がないじゃない」
見渡す限り、草木一本にいたるまで枯れ果てて、茶色のカーペットが延々と続いていた。まるで真冬の山野……いや、たとえ真冬だとしても、草木には一年中緑の葉っぱをつけている種類もあるから、一本残らず枯れ果てるなんて事態は起こるはずがない。
ひたすら続く死の荒野の寒々しさに、キュルケは言い知れぬ悪寒を感じて身震いした。
けれど、いくら不気味でも自然現象ではないのか? 今年はたまたまひどい凶作だったのではとキュルケが思ったとき、彼女は少し離れた山あいの盆地に異様な影を見つけて目を細めた。
「あれって……仕方ないわね。飛ぶのはそんなに得意じゃないけど、行ってみましょう」
高度を活かして、滑空するようにキュルケはフライの魔法を制御してそこへ向かった。風を読むのは専門外だが、単純なランクではすでにスクウェアに相当するキュルケは力に任せて逆風も切り抜けた。
そして、街道から数リーグ離れたそこに到達したキュルケが見たものは、枯れ木をなぎ倒して横たわっている二つの巨体だったのである。
「怪獣……死んでるわ」
キュルケは一本の枯れ木の上に着地し、ぞっとした様子で屍と化した二体の巨体を見下ろした。
一匹は、土色の体に太い手足を持つ地底怪獣テレスドン。その近くには、黒々とした皮膚を持つ爬虫類の原始怪獣ゴメスが倒れている。
「見たところ、死んだのはごく最近みたいね。けど……」
死骸はまだ腐敗しておらず、恐らくはこの数日中に死んだものと思われた。しかし、二匹の死骸には争った跡もなく、どうして死んだものかとキュルケは不思議に思った。
けれど、キュルケが思案を巡らせようとした時、彼女の立っていた大木がいきなり揺れだし、キュルケは慌てて宙に飛び出した。
「なによ! 地震?」
地面が激しく揺れ、枯れ木ばかりの森の木々がどんどん倒れていく。そして、地中から土煙を上げて、黄色い角を光らせた巨影が姿を現した。
「あっちっちっ! また別の怪獣!?」
怪獣の出現と同時に吹き出してきた熱気に当てられて、キュルケは悲鳴を上げた。
今度出てきた怪獣はゴメスと同じような肉食恐竜型だが、背中に大きく鋭い背鰭が並び、頭部には黄色く光る角が輝いている。
だが、それにも増して近くにいるだけなのに真夏の太陽のように熱い。信じられないような高熱を発している。
「まるで焼けた岩、生きた溶鉱炉みたいだわ!」
熱さにたまらなくなったキュルケは飛んで離れた。火のメイジである自分でさえ耐えられないような高熱を発する怪獣って。キュルケを驚かせたこいつは、全身が溶けた鉄でできている、その名も熔鉄怪獣デマーガであった。
デマーガは地上に現れると、鳥と獣を混ぜ合わせたような遠吠えを空に向かって放った。また、デマーガの高熱の体温により、周辺の木々も自然発火を始めている。
とてもこんな奴の近くにはいられない。キュルケは急いでデマーガから距離をとろうとした。だが……。
「えっ?」
なんと、暴れだすかと思っていたデマーガは、ふらりとよろめくと、そのまま倒れ込んでしまった。
そして、唖然と見つめているキュルケの前で、デマーガは苦しそうに数回うごめくと、そのまま動かなくなってしまったのである。
その、あまりに予想外のことにキュルケはしばらく動けないでいた。しかし、デマーガからの熱気が弱まり、倒れたデマーガの生気を失った目を覗きこんだことで、冷や汗をかきながらもようやく事態を理解することができた。
「死んでる……」
信じられないが、間違いないようだった。デマーガはほかの二匹同様完全に死骸と化し、もうぴくりとも動かなくなっている。
なぜ、突然……? 三匹もの怪獣が死骸を並べている光景に、キュルケは理解が追いつけるわけもなく、ただ呆然と立ち尽くした。
もしも、タバサならばこの状況でも何かを掴めただろうか? キュルケはそう思いながら見ると、死んだデマーガから魂のような半透明のエネルギー体が抜け出て、どこかへと飛んでいってしまった。
「あの方向は……リュティス? どうやら、あたしはまだ敵を甘く見てたみたいね。なにが起きてるか知らないけど、タバサ、あたしが行くまで無茶しちゃダメよ」
キュルケは敵の凶悪さをあらためて肝に命じると、フレイムの待つ馬車へと急いで戻っていった。
ジョゼフと、彼に力を与えている何者かは、人知の及ばないような恐ろしいことをきっと企んでいる。いくらタバサでも、一人の力ではどうにもならないだろう。
だからこそ、自分が行く。なぜって、理由は簡単だ。
「タバサ、あなたと友達になってあげるって言った、あの日の約束を忘れたとは言わせないわよ!」
タバサがなんと言おうと、自分はそう言った。だから行く。文句があるなら直接聞く、だから行く。
キュルケはリュティスへの旅路を再び急ぎ始めた。そこにどんな恐ろしい敵が待っていようと、そこにタバサがいるのだけは間違いないから。
だが、リュティスで起ころうとしているのは、キュルケの想像をさらに上回る恐ろしいことだった。
追いつめられ続けているかに見えるジョゼフは、リュティスに迫る様々な者たちの足音を聞きながら、悠然とせせら笑っていた。
「ふはは、来る来る。招いた者たちも、招いてない連中も続々集まってきよる。祭りとはこうでなければおもしろくない。さて、役者が揃ってきたところで、そろそろ主演にふさわしい舞台作りをせねばなるまい」
ジョゼフはその手に赤く輝く魔石を乗せて念じた。それは、ムザン星人の残したムザン星の邪悪な魔石、そこから溢れ出す邪悪なオーラは王宮を満たし、さらにリュティスの市街地へと見えない霧となって流れていった。
これで準備は万端。イザベラに乗っ取られたガリア軍がリュティスに近づくころには結果が表れていることだろう。
「踊れ、ガリアの民どもよ。新王即位のための盛大な祭りだ。そしていよいよだ。いよいよ、ガリアは本来のあるべき姿へと戻る……すまなかったなシャルル、俺のせいで長い間悪い夢を見せてしまって。だが、目が覚めたときにはお前にふさわしい世界ができあがっている。楽しみにしていろ」
ジョゼフが視線を流した先では、シェフィールドが棺に向かってなにかしらのマジックアイテムを使い、難しそうな操作をしていた。
料理を美味しく仕上げるには、どれだけ下ごしらえに時間をかけるかが重要だという。その点で言えば、この最後の祭りには可能な限りの準備をかけた。
「もうすぐだ。もうすぐ、もうすぐ……」
もう誰にもこの流れは止められない。ジョゼフは悲願が成就する時が迫っていると、子供のように時を刻み続けた。
そしてシェフィールドも、そんなジョゼフの言葉を聞きながらひとつの決意を固めていた。
「ジョゼフ様……ジョゼフ様の悲願の成就は必ずやこの私が……たとえ、この身に代えることになったとしても」
しかし、すべての仕掛人である、あのコウモリ姿の宇宙人は、そんな世界やジョゼフを眺めながら不敵な笑いをこぼしていた。
「フフフフ、約束は守りますよ。私は紳士ですからね。でも、私にも私の目的がありますからねえ」
彼はリュティスに蔓延しようとしている邪悪な空気を透かし見ながらほくそ笑んだ。
「ウフフ、よい土壌によい肥料をまいてくれました。これは、孵化のいい栄養になりそうです。私のこれも、よく育ってはくれてますがしょせんは試作品。完成品なら惑星中の生命を吸い取れるはずですけど、このガリアの一部からしか吸えないので栄養不足に困っていたところです」
王宮の地下深くで脈動を続けている"何か”。それは雑草が根を広げて土地の養分を吸い尽くすように、ガリアの土地から生命力を奪いながら成長を続けていた。
しかし、まだ足りない。最後に与えられるべき栄養を待ちわびて、漆黒のその影はあとわずかであるに違いないまどろみの時をたゆとっていた。
続く