ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第24話  真祖覚醒

 第24話

 真祖覚醒

 

 原始地底人 キング・ボックル 登場!

 

 

 広大な平原。二十万以上の将兵が埋め尽くし、今や戦場となっているそこを、イザベラは戦塵を浴びながらひた走っていた。

 周りは見渡す限り、敵、敵、敵。元素の兄弟が味方についているとはいえ、これほど絶望的な状況は他にないだろう。

 どうしてこんなことになっちまったんだろうな……イザベラは走りながら、自分が歩んできた道を思い返し始めた。

 

 王族に生まれた自分は、生まれた時から姫だった。だけど、それを自覚し始めたのはいつからだっただろうか……?

 

 いつだったか、平民の間では、お姫様というのは憧れの的だと聞いた。

 その時は、「そうだろう、わたしはお前ら平民とは違う特別な存在なんだ」と、得意になったが、今だったら、「ふざけるな、平民ふぜいが気楽なことを言いやがって」と、怒るだろう。

 確かになんでも飲み食いできるし、好きなように着飾れる。どいつもこいつもかしづいてへりくだる。それがおもしろいかといえばおもしろかった。

 だけど、てめえら平民どもは知らないだろう。お姫様ほど平民どもに値踏みされる立場は無いってことを。

 やれ、清楚に淑女に王女らしくなんやらと、周りの大人が期待するのはそれだけだ。そんなことに応えてやって、わたしになんの得がある? なんのおもしろみがあるっていうんだ? 第一お前ら、そんなもの見て何が嬉しいってんだ?

 そんなくせして、わたしが淑女らしくない態度とやらをとったら、メイドどもさえカーテンの影でコソコソと陰口を叩きやがって。そんな奴らには、身分の違いを体に教え込んでやった。ざまあみろだ。

 だが、それだけなら別になんてことはなかった。わたしの体には、誰にも奪えない始祖の血脈が流れてる。それがある限り、わたしが王女であることは揺るがないからだ。

 我慢ならないのは、とっくに王位継承権から外されている、反逆者オルレアン公シャルルの子、あのシャルロットがいつまで経ってもわたしの前に立ちふさがってきたことだ。

 シャルロットの家系は反逆者として、あいつの母は薬で気を狂わされていた。シャルロットはそんな母の身の安全と引き替えにわたしに服従していたが、あいつは欠片も媚を売ることなく、可愛いげなくいつも毅然としてやがった。

 あいつは頭がよく、魔法の才覚が優れている。逆にわたしには魔法の才能がほとんどない。そんなあいつにムカついて、泣かせてやろうと人形と呼ばせ、不可能同然の無理難題をぶつけてやったが、それでもあいつは屈しなかった。

 わたしのやってきたことはなんだったんだ? 王女ってのは、たかがひとりの小娘も自由にできないほどつまらないもんか?

 しかも、あいつはそんなわたしに情けをかけ、女王になれとまで言ってきやがった。

 どこまで人をコケにすれば気が済むんだ? だが……やってやるよ。お前に馬鹿にされたまま終わるのだけは、死んでも我慢ならない。

 そして……わたしが女王になったら、あいつらは喜んでくれるだろうか……なあ? 

 

 つかの間の自問自答が終わり、イザベラの意識は再び戦場に引き戻された。

『ファイヤー・ボール!』

「!」

 敵のメイジの放ってきた火球の閃光が、イザベラを現実に引き戻した。初級の火の魔法だが、人一人を焼き殺すには十分な大きさの火球が迫り来るのに、イザベラは水の魔法を唱えて迎え撃った。

『ウォーター・ウィップ』

 水の鞭が火球にまとわりついて対消滅させた。炎に対して水が有利なのは自明の理だ。

 だが、戦場に出るほどのメイジがファイヤー・ボール一発しか撃ってこないなんてことはあり得ない。相殺された一発の後ろから、二発目三発目の火球が次々に飛んでくるが、イザベラにはこれを撃ち落とすような余力はない。しかし!

『ウィンド・ブレイク』

 イザベラの傍らから強烈な風の魔法が放たれて、敵の火球を押し返して相手にそのままお返しした。

 その勢いでさらに開かれた道を前にするイザベラのそばに、この戦場にあってまるで戦塵を浴びてないドレスを舞わせながらジャネットが降り立った。

「ダメですわよダメですわよ。お姫様が死んでしまったら、わたしたちの経歴に傷がついてしまいますわ。もうそろそろ、おとなしくわたしたちの後ろに隠れていらしてよ」

「……うるさい、女王に命令すんじゃねえ」

 突っぱねたイザベラだったが、その声は震えていた。それを聞いたジャネットは、生まれたばかりの小鹿を見たようににっこりと微笑み、「それは失敬」と優雅に詫びながら魔法を放って道をさらに開いた。

 こんなとき、シャルロットなら『ウィンディ・アイシクル』で道を切り開くだろうか。いや、『エア・ハンマー』一発で十分かもしれない。あいつの魔法の威力は並のメイジの比ではないのだから。

 畜生、どいつもこいつも化け物め。どうして、わたしの上にはこんなにうじゃうじゃ大勢いやがるんだ!

 シャルロット……お前はわたしに、女王としての素質があると言った。けど、それも力がないんじゃ意味がないんじゃないか? お前もしょせんは、力が無い者のことがわからない、見下す者なんじゃないのか?

 心の中のタバサにイザベラは問いかけるが、幻のタバサが答えを返してくれることはない。

 できることは、ただ前へ前へと進むのみ。答えがあろうとなかろうと、生きて未来を掴める可能性は前にしかない。

 

 だが、いかな刹那的な突撃だとはいえ、彼らの突撃はオルレアン公らにぬぐえない圧力を与えていた。

「まずい、このまま奴らにここまで攻め込まれたら」

 オルレアン公の本陣の周りは手練れのメイジが固めているので、いくら元素の兄弟でも突破は容易ではない。しかしそのはずでも、彼らの勢いはまさかの心配を呼び起こすものであった。

 あいつらを止めなくては。偽オルレアン公の胸に危機感がつのるが、兵隊やメイジでは奴らは止められない。だがそうして焦りはじめたとき、彼の足元から伝わってきた振動が彼にあることを思い出させた。

「そうだ、こいつがいたな……」

 彼は内心でほくそ笑んだ。それは、直接的な戦闘力は低い彼らが正体を明かせないときのために、あのコウモリ姿の宇宙人が護衛につけていたものだった。

 正直、逆に監視をつけられているようで不愉快だったが、今は都合がいい。人間にはわからない方法で地底に潜むそいつに指示が届き、そいつは活動を開始した。

 

 激戦が続く戦場。しかしそこは元素の兄弟の独壇場であったが、異変は前ぶれなく起こった。

 まずは、全体から見て三本の槍のように突進している元素の兄弟の左側で暴れているドゥドゥー。その足元に突然地割れが起こってドゥドゥーは足をとられてしまった。

「うわっ! なんだいこれは?」

 ドゥドゥーは足を取られて転びそうになりながらも、なんとか踏みとどまった。プロの傭兵として、足元には常に気を配っていたつもりだったが、最初は見えない裂け目にでもつまづいたのかと思った。

 しかし、足を抜こうとしたとき、裂け目は生き物のように片足を掴んで離さなかった。彼らの体は特殊な魔法で強化され、たとえ木の根につまづいたとしても木の根を引きちぎることができるほど力があるというのにだ。

「罠か!?」

 ドゥドゥーは咄嗟に看破してキツネ目の下から冷や汗を流した。まずい、そこらのメイジなんかはいくらかかってきても問題じゃない自信はあるが、身動きができないのでは……。

 案の定、ドゥドゥーが立ち止まったのを見て、敵軍はいっせいにドゥドゥーに向けて集中攻撃をかけてきた。

「うわっひょおーいっ!」

 間抜けな叫び声をあげたドゥドゥーに、これでもかという数の魔法や矢玉が飛んでくる。ドゥドゥーの力量ならばすべてさばききることは不可能ではないにしても、ここから動くことは当面できそうになかった。

 そして、反対側の右翼で戦っているジャックも無事でとはいかなかった。初めは、あの馬鹿なにを遊んでいるんだと怒りを覚えたが、すぐにドゥドゥーの様子がのっぴきならないことに気づき、警戒を強くした。

「なんだ? 何が起きている」

 ジャックの戦士としての勘が危険を知らせていた。この戦場のどこかに得体の知れない何かが潜んでいる。そいつがドゥドゥーに何かを。

 どこだ、どこから何が来る?

 全方位に神経を張り巡らせるジャック。彼は戦いを楽しんでも年長であるぶん、ジャネットやドゥドゥーより思慮深い。

 だが、ジャックの洞察力を持ってしても地の底からの攻撃は察知しようがなかった。ジャックの周りの地面が裂け出すと、そこから赤い煙が吹き出し始めたのだ。

「むっ? これはいったい」

 毒ガスか? はたまた未知の魔法か? 身構えるジャックの前で、赤い煙の中からガリア兵が飛び出してきたが、その目が正気を失っていることをジャックは即座に見抜いた。

「ちっ、面倒だな」

 洗脳された兵など一人二人なら敵ではない。しかし軍勢となれば、その死を恐れない濁流を相手にするのは酷となる。彼らも常人をはるかにしのぐとはいえ精神力は有限である以上、雑兵には恐怖を叩き込んで道を譲らせるのが得策であるからだ。

 いくらなんでも兵隊全部を始末する余裕はない。ドゥドゥーとは別の方向で、ジャックも防戦に回らざるを得なくなった。

 

 そして、三本の槍の左右二本が折れてしまったことで、中央の一本であるイザベラとジャネットにも危機が迫っていた。

「お兄様たち、どうしたのかしら。ドゥドゥー兄さまはともかく、ジャック兄さままで様子がおかしいわ」

 ジャネットの位置からでは二人の兄の詳しい様子まではわからないが、闇の仕事で培ってきた危険を察知する感覚が、ジャネットに警報を鳴らしていた。

 何か、普通じゃないなにかがこの戦場に潜んで自分たちを狙っている。一体なにが? ふざけていたジャネットの目が鋭く引き締まり、全方向を警戒する。

 だがそれにしても、自分ひとりならともかくまるきり素人のイザベラがお荷物だ。当のイザベラはといえば、潜んでいる敵の気配などにはまったく気づかずに、ひたすらしゃにむに走り続けている。

「まるで怖い夢の中で必死に逃げる子供ね。こういう泥臭くてスマートじゃないのは好みじゃないんですのに……でも」

 この戦場の中で吹けば飛ぶような非力な少女が必死にがんばっている。ジャネットは、タバサとイザベラの間にあった確執なんて興味はないけれど、タバサほど才能に恵まれた親類が近くにいて、必死になってこの程度の実力しかないイザベラがどんな感情を持ったかは容易に想像できた。

 なのに、イザベラは安全と財産を捨ててまでタバサを助けることを元素の兄弟に依頼し、今はタバサに頼まれるままに夢想に近いガリアの王座を目指すという無茶に命をかけている。

「あきれたお人好しね。それこそ王族らしくないわ。プチ・トロワでふんぞり返っていた頃のほうが王族らしかったのに、なにがあなたをそこまで変えたのかしら? 少し興味が湧いたじゃないの……っ! 危ない!」

 一瞬の殺気を感じ、ジャネットはイザベラのそばに飛びこんだ。

 刹那の間を起き、銃声が響き、ジャネットの腕から鮮血が舞い散った。

「くぅっ!」

「お、お前!」

 撃たれたジャネットを見て、イザベラは悲鳴のように叫んだ。しかしジャネットは流血をドレスに滴らせながらも、イザベラをかばうように傍らに寄り添いながら告げた。

「心配なさらないで、たいした怪我じゃないわ。それより、これはただの弾丸じゃないわ」

 治癒の魔法を使えば銃創なんか軽くふさげる。しかし元素の兄弟の体はそもそも特殊な魔法で強化されており、銃弾なんか当たったところで跳ね返せるような強度を保っているのに貫通された。

 明らかに、なにか特殊な弾丸と銃だ。体を強化している自分だから怪我ですんだが、イザベラが食らえば即死の威力がある。

 ジャネットは戦場の混沌の中から射手を探そうと試みた。だが、相手は人の波、しかも傷を負って、かつ攻め込んでくる兵隊を魔法ではじき返しながらではさすがのジャネットでも集中力が持たない。

「姑息な真似を……くうっ!」

 さらに銃声が響き、ジャネットの体にさらにいくつもの鮮血が飛び散った。

「お前!」

「騒がないで、たいした傷じゃないと言ってるでしょ。そこね!」

 今の一瞬で、ジャネットは弾丸の飛んできた方向を遡って、射手のだいたいの位置を推測した。渾身の魔法を放って、周囲一帯ごと相手を吹き飛ばす。やったかはわからないが、これで無傷だったら化け物だ。

 しかし、ジャネットは苦しそうにしながらその場にひざを突いた。その様子に、イザベラが慌てたように呼び掛ける。

「おい、大丈夫なんじゃないのか?」

「騒がないで。頭を撃ち抜かれでもしない限り、わたしたちは死なないわ。弾が飛んでこなくなったところを見ると、どうやら撃ち手を倒せたようよ。けど、足をやられちゃって、しばらくは動けそうもないわ」

 ジャネットの力なら傷の治癒なんかあっという間だ。しかし、絶えず迫り来る敵を退けながらというほど器用な真似はできない。しかもイザベラをかばいながらでは何分かかるものか。

 しかし、それを聞いたイザベラは、ジャネットに信じられないことを告げてきた。

「わかった。じゃあお前はここで身を守ってな。ここから先はわたしひとりで行くよ」

「は? あなた、気は確かですの! この軍勢の中を、並のメイジ以下のあなたが、生きて進めるわけがないでしょう」

 ジャネットはイザベラがついに『名誉ある死』を選ぼうとしているのかと思った。イザベラの力では平民の兵隊数人程度を相手にするのが限界で、自殺行為以外のなにものでもない。

 だがイザベラはやけを起こした様子はなく、落ち着いて答えた。

「心配するな。わたしだって、死にたいわけじゃない。でもな、わたしは女王なんだ。女王は、いつでも頂点に君臨してなきゃいけないんだ。誰かの背中に隠れてたら、もう女王じゃなくなるんだよ!」

「生きて進める可能性は、ゼロなのよ」

「わたしは、その可能性ゼロの中から何度も帰ってきた可愛げのない奴を一人知ってるよ」

 本気だ、という目をするイザベラに、ジャネットはあきらめたようにため息をついた。そしてイザベラの手を掴むと、短くなにかの呪文を唱えた。

「わかったわ。なら、せめて餞別を持っていきなさい」

「なんだって? これは、なんだ? わたしの体になにかが流れ込んでくる」

「わたしたち元素の兄弟の体を強化している特別な魔法の効果をあなたに移してあげる。普通の人間の体には短い時間しか効かないけど、関節を鹿のように、皮膚を鋼のようにできるわ」

「お前、だけど魔法の効果をわたしに移せばお前は」

「勘違いなさらないで。依頼はどんな手段を使っても完遂するのが元素の兄弟のポリシーなの。これで、ゼロの可能性を1パーセントくらいにはできるわ。それと、わたしの名前はお前ではなくてジャネット。また品の無い呼び方をしたら許さないわよ」

 高飛車な笑みを見せるジャネットに、イザベラも不敵な笑みで持って返した。

「ああ、借りは必ず返してやるよ、ジャネット」

 愉快そうに笑ってイザベラは駆け出していった。それはまるで、夕方に友達に向かって「また明日な」と約束して帰っていく子供のようで、ジャネットはこれまで依頼人はほとんど金づるとしか思ってこなかったが、自嘲したように頬をほころばせた。

「いけないわね。ドゥドゥー兄さまといい、できの悪い子を甘やかしちゃうのはわたしの悪い癖だわ、でも……ほっとけないのよねえ、ああいう子って」

 理屈で考えたら、深く関わってはダメなタイプだとわかる。それでも、なぜか助けてあげたくなる何か不思議なものがイザベラにはあるように感じてならなかった。

 孤立したイザベラと、足の止まったジャネットに向かって兵士たちがいっせいに攻めてくる。しかし、遊ぶのをやめたジャネットは、タバサのそれと遜色のない爆風のような『ウィンド・ブレイク』で軍勢を吹き飛ばした。

「ここから先は、「痛い」じゃすまないと思ってくださいね。さあ、行けるものなら行ってみなさい女王様。あなたが”本物”だというのなら」

 我ながら、らしくない。けれど、自分が感じたこれが錯覚なのかそうでないのか、自分はなぜか無性に知りたいと思っている。

 

 そして、ついに一人となったイザベラは、オルレアン公の逃げたほうに立ちふさがる軍勢へ向けて身一つで突貫していた。

「うぉぉぉぉぉ! どけえぇぇぇ!」

 もはや頼るものもなく、ただ自分の足だけを信じて走っていく。だが彼女とオルレアン公の間にはまだ数千の人の壁があり、その光景はまさに鉄板に卵をぶつけるに等しい。

 隊列を組んで迎える兵士たちも、元素の兄弟に守られていない子供ひとりなどもはや恐れるに足りずと、盾を構えるだけで無警戒に待ち受けている。

『エア・ハンマー!』

 至近距離に迫ったとき、イザベラは魔法を放った。しかし並のメイジ以下のイザベラの魔法では盾を構えた重装兵を吹き飛ばすことはできず、わずかに揺るがせたにとどまった。

 だが、そうなることはわかっていた。イザベラは迷うことなく、揺らいだ重装兵のすきまへと飛び込んだ。

「うわあぁぁーっ!」

 奇声をあげながら隊列に飛び込んできたイザベラを捕まえようと、四方八方から手が延びる。しかしイザベラは兵士の屈強な手で体や髪を掴まれながらも、拳を振り上げてそいつらを殴り飛ばしていった。

「さわんじゃねええーっ」

 兵士たちは顔面や腹を殴られて転がり、イザベラはさらに進んでいく。もちろんさらにイザベラを取り押さえようと兵士たちはかかってくるが、イザベラはそいつらもがむしゃらに殴ったり蹴ったりして、その思わぬ抵抗に兵士たちは混乱した。

「なっ、なんだこの女!」

「まるで野良犬じゃないか。ええい、もう生け捕りはなしだ。やってしまえ」

 予想外の抵抗に驚いた兵士たちは剣を抜き、むき出しの白刃が戦場の狂気に染まった眼差しと共に突き立てられる。しかし。

「邪魔すんじゃねえって言ったろうがぁ!」

 なんとイザベラは振り下ろされてきた剣を腕で受け止めてへし折り、さらに剥き身の剣を素手で掴んで握りつぶした。

 愕然とする兵士の顔面を殴り飛ばし、さらにイザベラは進んでいく。左右からは別の剣や槍が突き立てられてくるが、イザベラの体に当たっても石のように跳ね返されるばかりだ。

「化け物か!?」

 ジャネットから譲られた魔法の効力が発揮されていた。イザベラの腕力を引き上げて、体を鉄のように頑丈にしている。これなら、いけるかも。

「どけえーっ!」

 もはや体裁もなにもない。髪を振り乱して、市中に現れた暴漢のように手当たり次第殴り付けながら進んでいく。

 その誰も予想だにしていなかったばく進劇は空の上からも見え、風石船上ではミシェルたち銃士隊が呆然とそれを見下ろしていた。

「すごい……なんなんだ、あの娘は」

 一騎当千とはよく聞く言葉だが、実際にそんなことができる化け物は数えるほどしかいない。何万という軍隊を相手に素手で飛び込むこと自体が狂気だが、それでいて前に進んでいる。

「これは、もしかしてもしかするのでは」

「がんばれ、がんばれ」

 銃士隊はプロ集団である。このくらいのことで戦況を変えられるほど、戦争というものは甘くないことは承知しているが、もはや手の出しようが無くなってしまった彼女たちは、そうして祈り、応援することしかできなかった。

 ミシェルはアンリエッタから預かった始祖の円鏡を取り出した。あのイザベラという小娘……最初は適当な利用価値があるくらいかと思ったが、あの堂々とした態度や、こうして一歩も引かずに強大な敵に挑んでいく姿を見ているうちに、なにか心の中に熱いものを感じてならない。

 始祖ブリミルの秘宝のひとつ、始祖の円鏡。使い方はわからないけれど、ただミシェルは本物の司祭のように一心に祈った。

「神よ、どうかあの娘をお守りください」

 あえて、始祖ではなく神へと祈るその胸中はいかようなものか。しかし、いざというときに、よくわからないが"あの"ブリミルに頼りたくないという気持ちが湧いた。

 だが、意表をついての快進撃は長くは続かなかった。ガリア軍の指揮官たちも訓練されたプロである。イザベラに剣や槍が効かないとわかると、すぐさま頭を切り替えてきた。

「魔法だ、メイジの部隊を前に出せ!」

 メイジの兵は平民の兵に比べて絶対数は少ないが、その代わり状況に応じて任意の場所に動けるようになっている。指揮官の要請に応じて動きだし、イザベラの前へと瞬時に展開した。

「あれを止めろ! 殺してもかまわん」

 たちまち、エア・カッターやウィンディ・アイシクルの魔法が飛んでくる。人間の手足くらい切断できる魔法の刃や、鉄板をも射抜く氷の矢がイザベラを襲うが、イザベラの魔法には相殺する威力も回避する速さもない。

 一身に魔法が集中し、イザベラは紙のように吹っ飛ばされた。

「くあああっ!」

 地面に叩きつけられ、全身に痛みが走る。ジャネットの魔法がなかったら五体がバラバラにされていただろうが、それでも元々鍛えてなどいないイザベラの手足は耐えがたいほどの苦痛にさらされた。

「い、てぇ……」

 全身が引き裂かれそうだ。それでも、痛みを感じれるだけマシだったといえるだろう。死んだら痛みすら感じなくなるのだから。

 イザベラは、許されるならのたうち回って泣き叫びたいのを我慢して、あえて不敵に笑ってみせた。

「ふ、うふははは……ざまあみろシャルロット。いくらお前でも、ここまでの、苦痛は体験したことないだろう。これで、お前への貸しはチャラだ。あははは」

 体の痛みを無理矢理無視してイザベラは立ち上がった。その、あれだけの魔法を受けてなお立ってくる様に、さしものメイジたちの中からも動揺と戦慄が走る。

「ば、化け物か?」

 生きていられるような攻撃ではなかったのに、なぜだ?

「へ、へ、なにを驚いてやがる。高貴な女王様は、不死身なんだよ」

 強がって見せても、イザベラの足は震えていた。全身の痛みに加え、猛烈なめまいや吐き気が襲ってくる。

 このまま気を失ったらどんなに楽だろうか。だが、それでは、ここまで来た意味がない!

「いくぞ……そこを通してもらうからな」

 イザベラは再び走り出した。いや、その足取りはおぼつかず、どうひいきめに言っても駆け足がせいぜいという速さだ。

 今ならメイジでなくとも、平民の兵でも仕留められる。そう考えた一人の浅はかな平民の兵が、周りが手を出しかねているにも関わらず、剣を振り上げてイザベラの首をとろうと飛びかかろうとした。しかし。

「どけ」

「ひっ!」

 イザベラに眼光鋭く睨み付けられると、その兵士は金縛りにあったように震えて剣を取り落とし、腰を抜かして逃げ出していってしまった。

 そして、イザベラのその眼を見た貴族たちは思い出した。

「あの眼、そうだ。私は王宮で一度だけ見たことがある。あの無能王がしていた、どこまでも冷たくて、得体の知れないなにかが宿っているような、あの眼だ!」

「悪魔だ、やはりあの娘は悪魔の子だ。ええい、なんとしてでも息の根を止めるのだ!」

 恐怖にかられたメイジたちは、遠巻きからではなく、確実に始末しようと向かってきた。

 数十メイルの近距離から、エア・ハンマーやファイヤー・ボールが放たれる。イザベラにはそれを避けるような力はなく、とっさに地面に伏せてやり過ごした。

「熱い……くそっ!」

 背中と髪を炎が焼いて通りすぎていくのがわかった。しかし寝てはいられない。イザベラは近くにあった石を拾って、目についたメイジの顔面に投げつけると、ひざを付きながらなお立ち上がった。

「どけ、わたしは、進むんだ!」

「おのれ往生際の悪い。ならばわしがその首を取ってくれる。『ブレイド!』」

 壮年のメイジが杖を刃に変える魔法を使って、イザベラに挑みかかった。もはやフラフラのイザベラを押し倒し、彼女の細い首をブレイドの魔法で切断しようと杖を振り下ろした。

「覚悟!」

 だがイザベラは杖が首に食い込む前に、メイジの腕をとってギリギリで防いでいた。

「そう簡単に、首をやれるか」

「ちょこざいな、忌まわしい無能王の子め、お前は生きていることそのものが罪なのだ!」

「うるさい、神様気取りかゲスが。いいか、わたしに罪を問う資格があるのは、この世でたった一人なんだよ」

「なっ、なんだこの力は?」

 イザベラは自分の倍くらいの体格で押し倒してきているメイジを押し返していた。それはジャネットの与えた魔法の力、いやそれだけではなく、死んでなるものかというイザベラの火事場のバカ力だったのかもしれない。

「どけって言ってんだよ、このスケベ野郎!」

「のわあっ!?」

 なんとイザベラはメイジの男を巴投げのように放り投げてしまった。

 男はそのまま頭を打って気絶し、イザベラはなおも震えが止まらないひざを杖にしながら立とうとする。

「行くんだ……先へ、この先へ」

 すでに歩くのがやっとで、空色だった髪はすすけ、ドレスは破れ、顔も手足も泥で汚れている。ジャネットの渡した強化魔法の効果も切れかけているのか、傷つかないはずの体のあちこちから血がにじんでいた。

 けれど、幽霊も同然なくらい傷ついていても、イザベラの眼だけは光を失うことなく、オルレアン公のいる先を見つめ続けている。

 一歩、また一歩、亀にも劣る速さになっても己の足でイザベラは進む。だが、そんなイザベラの姿に恐怖を覚えたメイジたちは、さらにイザベラに殺意を向けてきた。

「おのれおのれ、者ども、小娘はもう死に損ないぞ。魔法を放て、これ以上オルレアン公に近づけてはならん」

 オルレアン公の名を聞いたとき、メイジたちの胸に忠誠の火が灯った。正直、あんな死にかけの子供を撃つことにはためらいを覚えている者もいたが、主君を守るためであれば是非もない。

 たちまち、炎や風、土のつぶてが無防備なイザベラに叩きつけられる。そして、ぼろきれのように地面に投げ出された凄惨な姿にはガリアの兵士たちの中にも眼を背ける者も現れ、銃士隊からも悲鳴のように叫びがあがった。

「やめて! もう、やめてあげて」

 イザベラに、すでに戦う力は残っていないのは明白だった。

 元素の兄弟はそれぞれの場所で束縛されて動けず、イザベラを助けに来ることはできない。

 完全に孤立無援なイザベラ。だが、イザベラの息はある意味残酷なことに、まだ絶えてはいなかった。

「もう……痛いっていう感覚も無くなってきたね……こんなになっても、死ぬことも、気を失うこともできないなんて、人間って生き物は、不便にできてるもんだ……」

 目を開け、まだ手足がつながっているのを確かめたイザベラは、力を振り絞って立ち上がろうとし始めた。

 その様子に、ガリア兵からは「ま、まだ立とうというのか」と、動揺が走り、絶好のチャンスだというのに、もうイザベラを襲おうという者は現れなかった。

 しかし、イザベラにはもう自力で体を支える力も無かった。手をついて体を起こそうとしているが、美しかった顔も体も砂ぼこりにまみれ、身体強化の魔法も先ほどの攻撃を耐えたことでほとんど切れてしまっている。

 杖も、さっきの攻撃でどこかへ飛んでいってしまった。もっとも、イザベラにはろくな回復魔法も使えないが、ふとイザベラの目に、すぐそばにさっきの兵士が落としていった剣が転がっているのが見えて、イザベラはそれを杖がわりに立ち上がろうと試みた。

「ぐ、ううぅ、剣ってこんなに重いのかよ。ふざけんな、わたしはスプーンより重いものを持ったことないんだぞ」

 憎まれ口を叩きながら、イザベラは剣を地面に突き立てて、すがりながら立とうと試みた。少し力を込めるだけでもめまいがして吐きそうになる。だがそれでも、立とうとするイザベラの目だけは死んでいない。

「苦しいなあ、そういえば、前にもこんなことがあったなあ」

 つぶやきながら、イザベラは以前に体験した不思議な冒険を思い出した。

 レイビーク星人に縮小して拐われ、ネズミのように小さくなってしまった体で脱出のために悪戦苦闘したこと。そこで出会った風変わりなメイドのアネットと、まるでダメなお坊ちゃんのオリヴァンを交えて、怪獣モンスアーガーと戦わされた。

 あのときもまあ、打ちすえられたり散々痛めつけられた。だが、向こうも等身大に縮小されていたとはいえ、自分たちは勝った。生身の人間で、怪獣に勝ったのだ。

「あいつら、元気にしてるかねえ……」

 オリヴァンの家はガリアの名門を誇っていた。だがジョゼフの統治下で名門を誇れるということは、いわずもがなでジョゼフ派に属することを意味する。自分がプチ・トロワから逃げ出した後で隠れ家を世話してもらったまでは連絡をとっていたが、この争乱の中ではどうなっているか、わからない。

 オルレアン公はジョゼフ派でも断罪しないと発表している。しかし、そんなものが簡単に信じられるとも通るともしないのが世の中の常だ。

「ったく、自分が死にそうだってのに、なんでわたしは他人の心配なんかしてんのかねえ!」

 声を張り上げ力を振り絞って、イザベラは立った。剣を杖に寄りかかりながらの無様な姿ではあるが、それでも立った驚くべき様に、ガリア軍の中からどよめきが流れる。

 だが、立ちはしたものの、イザベラにはもう一歩も歩く力は残されていなかった。

 息を切らせながら、それでも顔を上げて前を向く。すると、草原とメイジの軍勢を挟んだ数百メイル先に、オルレアン公が護衛の兵に守られながらこちらを見ているのが見えた。

「よう、やっと顔を出したな臆病者」

「イザベラ嬢……」

 満身創痍になりながらも、ここまでたどり着いたイザベラに、オルレアン公は驚いたようにつぶやいた。

 いや、本当に驚いていた。生身の人間が何万の軍団を突破し、彼の仕掛けた罠も乗り越えてここまで来た。どんな優れたメイジでも突破できないはずだったのに、どんなトリックを使ったのか、イザベラはここまで来たのだ。

 だが、それもここまでだ。イザベラはもはや剣に寄りかからなくては立てないくらい弱っている。オルレアン公は慈悲深い名君を装いながらイザベラに言った。

「よく、ここまでやってきたね。正直、びっくりしている。さすが君も王家の血筋だ。だけど、もう無理だろう。おとなしく降伏してくれたまえ、誓って悪いようにはしないことを約束しよう」

 それは嘘ではあるまいとイザベラは思った。オルレアン公の名声に比べれば、イザベラなどとるに足りない存在だ。むしろ、ジョゼフの娘が軍門に下ったとなれば宣伝に使える。

 だが、それを飲むわけにはいかなかった。

「冗談じゃない。お断りだね」

「そうか、君はあくまでも名誉ある死を望むというのだね」

「そんなんじゃないよ。いまさらわたしに付け足してマシになる名誉なんて無いことは、わたしが一番よくわかってる。けどな、それでもわたしの中から、王家の血っていうやっかいなものが無くなることはないんだ」

「王家の血脈ならここにもある。私が君の重荷も背負ってあげよう」

「ふっ、あははは……あぁ、やっぱりお前じゃ無理だ」

「なに?」

 笑って否定するイザベラに、オルレアン公は眉をひそめた。そしてイザベラは愉快そうに言う。

「たかが王様一人の背に背負えるほどガリアって国は軽くないよ。むしろ、王様なんかいなくても、国は勝手に動いていく。ちちう……ジョゼフが好き勝手やっても、三年も倒れてないくらいガリアは頑丈さ」

「それでは、王なんていらないと君は言うのかい?」

「そうじゃない。わたしも、ずっと王宮で政を見てきて気づいたことがある。国ってのは、木と同じさ。何もしなくても勝手に枝を伸ばしていくし実もつける。けど、ほっとけばいびつに伸びるし実もまずくなっていく。木を背負うなんて誰にもできやしないけど、伸びた枝を切ったり害虫を取ったりしてやることはできる。そうさ、お前がどんなに優れた奴でも、背負おうなんて考えてたら、いずれガリアって大木はお前を押しつぶすだろうよ」

 そのイザベラの言葉は、幾人かの貴族の心に微震を生んだ。彼ら貴族もそれぞれの家の中では王と言ってもいい。当主として家という国をどう守っていくか、やり方はそれぞれ違うが、家が大きくなるほど当主一人で管理することは難しくなっていくのは誰もが心の中ではわかっている。増して国ともなれば……。

「今のガリアは、わたしの父上のジョゼフ王が管理を放り投げていたせいで、ずいぶん弱ってしまった。それを立て直すには、お前みたいなお優しい王様じゃいけないよ」

「君は、逆らうものは粛清すると言っているのだよ。そんな罪深いことで、さらにガリアの民を苦しめるというのか?」

「何言ってんだ? 言ったはずだよ、枝を切ったり害虫を取ったりするってね。わたしは知ってるんだよ。どの貴族がどんな悪事を働いたのかも、そんな中でも割りを食いながら真面目に貴族の責務を果たしてたのが誰かってのも。それをあるべきように処して、なにが悪いというんだ? それともお前は、みんな許して平等に役職を与えようってのかい?」

 それは極論だったが正鵠を突いてもいた。ジョゼフの治世で悪事を働いていた者をどうするのか? おとがめなしにしたら、それこそ不満が爆発するだろう。

「わたしにはできる。必要なら、腐った枝を切り落とすことができる。なにせ、わたしは北花壇騎士団の団長をやっていたんだからね」

「北花壇騎士団! ガリアの汚れ仕事を請け負うという影の騎士団か。だが、君こそそんな非情さだけで王をやれるとでも思っているのかい?」

「今さらわたしに慈悲深い女王の化粧なんて似合わないさ。けど、わたしにだってガリアは生まれ故郷だ。それに……こんなわたしでも、そう……と、トモダチになってくれる奴はいたんだ。そいつらが安心して住める国にする力がわたしにあるなら、誰にも譲るわけにはいかないね! さあ、王座が欲しいなら来いよクソ野郎。わたしは、逃げも隠れもしない!」

 そう叫び、イザベラは剣を構えようとした。しかし剣先は重くて浮いてさえいない。

 だが、イザベラのその目。ジョゼフ譲りの冷たい中に揺るがぬ決意を秘めた目だけは輝き続けている。

 もうこれ以上、イザベラひとりのために時間をロスすることは許されない。オルレアン公はイザベラを排除するために、臣下の騎士に命じた。

「そうか、ではいたしかたない。君の名前はガリアの歴史に私が刻むことにしよう。さらばだ」

 騎士数人が杖を振り上げ、直径十メイルにも及ぶ巨大な火の玉が生み出された。

『フレイム・ボール』

 トライアングルクラスのメイジ数人によって生み出された太陽のような火球は、そこに触れるすべてのものを焼き尽くすであろう。

 オルレアン公に忠誠を誓ったメイジたちは、ためらうことなくイザベラに向かって杖を振り下ろした。そして火球は燃え盛りながらゆっくりと動きだし、イザベラに向かって一直線に進みだしたのである。

 イザベラには当然、避ける力なんてない。だが、イザベラは目の前に確実に迫ってくる死を、異様に落ち着いた心で眺めていた。

「ちくしょう……やっぱり、わたしはシャルロットのようにはなれないのか……」

 恐怖よりも悔しさが心に湧いてくる。シャルロットなら、きっとこんな危機も自分の力でなんとかしたんだろう。

 これまでだってそうだった。自分がどんなに無理難題な任務を与えても、シャルロットは涼しい顔で片づけてきた。

 自分には逆立ちしても手に入らない強大な力。それを持つあいつのことが、悔しくて、憎らしくて、うらやましかった。

 だけど、そんなふうにうらやんだところで、無意味だということもわかっていた。だから、シャルロットからの女王になれという依頼を受けた。あいつと同じ条件で成功させれば、あいつのようになれると思った……けれど。

「そんな都合のいい奇跡は起こるわけないね。ああそっか、やっとわかったよシャルロット……わたしはバカだ。いろいろ言っても、わたしはただ……寂しかった、だけなんだ」

 火炎が目の前に迫り、イザベラは静かに目をつぶった。

「ずるいよ、始祖ブリミル。こんな簡単なことを今ごろ気づかせてくれるなんてさ。ごめんな、シャルロット……」

 全部終わる。これでもう、全部闇に帰る……。

 だがその瞬間、イザベラの耳に懐かしく陽気な声が響いた。

 

 

〔ようやく、自分の気持ちに素直になれたみたいね〕

 

 

 はっとして目を開く。すると、イザベラの目に見える景色は一変していた。

「えっ?」

 眼前にあったはずの大火球は無くなっていた。そればかりか、体にはどこも焼けた痕はなく、心臓もまだちゃんと動いている。なぜ? どうしてわたしは生きてるんだ?

 わけもわからず周りをキョロキョロと見回すイザベラ。見ると、自分を遠巻きにしていた軍勢はそのままいたが、それらの兵士たちも唖然とした表情をしている。

 オルレアン公たちは? まさかあいつらが何かやったのかと思ったイザベラが正面を見返すと、オルレアン公や側近の騎士たちも変わらずにそこにいた。しかし、そいつらもまた唖然とした表情を見せていて、騎士たちの一人が放った言葉がイザベラの耳朶にさらなる衝撃を与えた。

「あ、あれだけの火球を”切る”なんて、貴様いったいなにをしたんだ?」

 切った? 私が? あの火球を?

 身に覚えがないことに、イザベラは混乱した。だが足元を見てみると、草が自分の立っている場所から後ろに向かってV字状に焼け焦げているのがわかった。まるで、火球が真っ二つになって後ろに飛んでいったかのようだ。

 そして”切った”って、何で? とイザベラが手を見ると、寄りかかっていた剣が左手に握られていた。しかし、この剣は重くて持ち上げることもできなかったというのに、今は羽根のように軽々と片手で持てている。

 すると、なんとイザベラの左手の甲が突然まばゆい金色の輝きを放ち出したではないか。

「うわぁっ、なんだ? なんなんだよ!」

 訳のわからないことへの恐怖に、イザベラは悲鳴のように叫んだ。

 イザベラの左手は、困惑する本人の意思を無視して強烈な輝きを放っている。その輝きにガリア軍も圧倒され、上空のミシェルたちも何事かと動揺していたが、一人の銃士隊員がミシェルの持つ始祖の円鏡を指差して叫んだ。

「ふ、副長、鏡が!」

「なっ、これは!?」

 なんと、始祖の円鏡がイザベラの左手と同じ輝きを放っていた。そして始祖の円鏡から地上のイザベラに向かって一筋の光束が差し、イザベラの耳に先ほど聞いた優しく力強い女性の声が響いてきた。

 

〔ブリミルなんかに祈る必要なんか無いよ。あんたには、もっとすごい力があるんだからね〕

 

 誰? 誰なんだ!

 戸惑うイザベラは、声の主を探した。聞いたことのない若い女性の声。だけど、自分はこの声をどこかで知っている気がする。

 だが、その答えが出るのをガリア軍は待ってくれなかった。先ほどの騎士たちが再度杖を振り上げ、震えた声で叫ぶ。

「おのれあやかしめ! ならば今度こそ、跡形も残さず消してくれるわぁ!」

 さらに巨大で強力な魔力を込めた火球が生み出されてイザベラに向かった。今度はさらに数人のメイジも加わり、スクウェアクラスをはるかに超えた、ガリア精鋭騎士団にふさわしい大魔法となっている。

 けれど、そんな大魔法を間近に見ても、なぜか今度はイザベラに恐怖心は微塵もなかった。そればかりか、心と体にふつふつと力が湧いて、それを解き放つかのように、あの声がイザベラに指示した。

〔さあ、構えて。心配することはないわ。あなたはもう、その使い方を知っているはずだから!〕

 そして、まるで”知っている”かのようにイザベラは頭上に剣を掲げた。さらに、イザベラの左手の甲の光が収束し、イザベラの左手に輝く古代文字のルーンが浮かび上がる。その形を見たミシェルは、弾かれたように叫んだ。

「あの文字は! 以前サイトの手にあったものと同じ」

 その瞬間、イザベラはかっと目を見開き、雄々しい叫びとともに一直線に剣を振り下ろした。

「だぁぁーーーっ!」

 超音速の剣擊は衝撃波と真空波を生み、太陽のような巨大火球を真っ二つに切り裂いた。

 火球はコントロールを失い、二つに割れて草原を燃やしながら消えていく。その炎の中から無事な姿を見せるイザベラにオルレアン公たちは愕然とし、上空の船ではルクシャナに連れられて密航していたファーティマが、見惚れたようにつぶやいていた。

「聖者、アヌビス……」

 そう、それは伝説の再来。そしてその名はもうひとつ。イザベラは自らの傍らに幻のように立つ、金髪をなびかせたエルフの少女を見た。

〔うん、まずは合格点。さすが私の子孫〕

「お前は……そうか、あなただったんだね。ようやく分かったよ。わたしの、王族の中に流れているのは始祖ブリミルの血だけじゃない。あなたの血もあるんだって! なあ、ご先祖様!」

〔そうよ。それが私の血の力、あなたの本当の力! あなたの守りたいものを守るための、最強の盾の力。ガンダールヴよ!〕

 その瞬間、イザベラの中に熱く燃える炎が生まれた。ガンダールヴ、かつて始祖ブリミルに仕えた四人の使い魔の一人の名前。あらゆる武器を操り、千の兵にも匹敵したという。

 そして、原初のガンダールヴであるエルフの少女サーシャ。その力がブリミルの虚無の魔法と同じように血脈を通して受け継がれ、今ここにイザベラを通して顕現したのだ。

「さあ、いくよ!」

 剣を手に、イザベラは地を蹴った。

 受けた傷の痛みはまったくない。それどころか、鉄の剣にまるで重みを感じず、体が信じられないくらい軽い!

 もちろんそれを見て、あれを止めろと四方八方から兵が攻め立ててきた。けれど、イザベラは恐れはまるで感じず、人の壁に真正面から斬り込んでいった。

「遅い、遅すぎるよ!」

 まるで兵士の動きが止まっているかのように見えた。イザベラは大きく踏み込んで、一閃で三人の兵士を切り倒し、そのまま後方へと駆け抜ける。その動きは、やっと包囲網を抜けてきたドゥドゥーでさえもかろうじて目で追うのがやっとだったほどだ。

「信じられない。あれは、ぼくよりも速い!」

 人間のスピードをはるかに超えている。いや、ただ速いだけなら手練れならば対応もできるであろうが、同じように包囲網を抜けて、遠目ながらそれを見たジャックも驚嘆のうめきを漏らしていた。

「なんという剣技だ。あの身のこなし、数十年剣を振り続けたメイジ殺しでもああはいかんぞ」

 イザベラは、技量でも兵士たちを圧倒していた。

 剣や槍の腕に覚えのある歴戦の兵士の反撃を余裕を持ってかわし、まったく無駄のない動きで相手の防御のすきまに斬り込んでいく。

 まるで、戦場の渦中にあって舞っているようだ。一足の跳躍で五メイルは跳び、瞬き一回する間に三回は剣を振るっていく。

「いやぁぁぁっ!」

 イザベラの剣が重装兵の盾を切り裂き、次いで歩兵隊長の槍を弾き飛ばした。

 接近戦では勝ち目がないと悟った兵士たちは、マスケット銃を持った狙撃兵小隊を前に出してきた。

「狙えーっ! 撃てーっ!」

 火薬が弾け、数十の鉛玉がイザベラをめがけて飛んでくる。

 けれど、イザベラは笑っていた。

「遅いねえ……まるで指でつまめそうだよ」

 銃弾のスピードさえ、今のイザベラは問題にしていなかった。軽々と飛び越え、弾込めに手間取っている狙撃兵たちの頭上を意にも介さずに飛び越える。

 まさに圧倒的。だが、ジャネットはその光景を追いかけながら見守っていたが、速さだけではこの先は通じないと焦りを覚えていた。

「いけないわ。平民の兵だけなら速さでなんとかできても、メイジには通用しないのよ」

 その通り、なぜメイジが平民に比べてはるかに数が少ないのに絶対者として君臨できるのか。それはメイジの魔法がまさに神の御術なほどの力を持っているからなのだ。

 イザベラの行く手をさえぎってメイジの一隊が陣を組む。そして揃えられた杖先から、白色の電光がほとばしった。

『ライトニング・クラウド!』

 大威力の雷撃魔法。しかも十数人による一斉攻撃は地上に雷雲が落ちてきたかのような電光を撒き散らし、平民の兵ならば数千を一瞬で黒こげにするだろう。

 その光景に、イザベラはぞっとして足を止めかけた。けれど、サーシャの幻影は力強くイザベラに呼びかける。

〔恐れることはないわ。あなたは、どんな魔法への対処もすでに知っているんだからね!〕

 そう、この魔法も元々はブリミルが作ったもの。その使い魔であるサーシャの血の中に隠された記憶には、そのすべての対処法が記されている。

 イザベラは剣を掲げ、精神を剣に集中させた。

「魔力の流れを剣とひとつに……人の作るものはすべて、自然と精霊の中にあるだけのものだから」

 構えるイザベラに電光の嵐が直撃した。

 メイジたちはその光景に、「やったか?」と、勝利を喜んだが、次の瞬間彼らが見たのは、電光の嵐の中で悠然と立つイザベラの勇姿だった。

「ば、バカな! なぜ電撃が効かない!」

 メイジたちは驚愕する。しかしこれは、ブリミルの魔法を生涯かけて知り尽くしたサーシャにとっては当然の理屈だった。

〔魔力を空間と同調させて、抵抗を無にすれば電撃の魔力はただ通りすぎていくだけになるわ。そして逆にほんの少しの魔力でも、行き先を無くした電撃に道を作ってやればどうなるか? さあ、やっちゃいなさい〕

「えええーいっ!」

 イザベラは言われた通り、自分の乏しい魔力の中からさらにわずかな力を込めてメイジたちに向かって剣を振り抜いた。すると、イザベラの周囲に帯電していた電撃は、風船に針を刺したときのように出口に向かって一気に吹き出し、メイジたちを一瞬で飲み込んだのである。

「で、電撃を跳ね返し、ぎゃああぁーっ!」

 散弾のように広範囲に飛び散った電撃は周囲の平民の兵を飲み込みながら、まとめて全員を失神させた。

 それらの様子を上空から見ていたミシェルや銃士隊たちは、あまりの驚愕で呼吸することさえ忘れかけていた。元素の兄弟もすごかったが、今のイザベラはそれよりすごい。

「あのルーンは確かに以前のサイトのものと同じ……だが、あの強さはサイトをはるかに超えている!」

 同じガンダールヴのはずなのに、この差は一体? 

 また、強大すぎる力に驚いているのはイザベラも同じだった。どうしてここまでの力が自分にと信じられないイザベラに、サーシャの幻影は楽しそうに説明した。

〔本来なら、ガンダールヴはその時代の虚無の担い手の作り出す一人しか存在しないわ。けど、そのガンダールヴはあらゆる武器を操る力は与えられるけど、戦闘経験なんかはゼロから始めるまっさらの赤ちゃんなの。でも、血筋を通じて目覚めたあなたは、私が生涯かけて培ってきた全ての技量と知識を使えるのよ〕

「つまり、これがご先祖様の本物の……真祖……真祖ガンダールヴの力」

〔真祖ね、なかなかかっこいい呼び方してくれるじゃないの。けどね、あなたは特別なの。本来なら、私たちの子孫にはほとんどブリミルの要素だけが表れるの。ゆーせーいでんってやつらしいけど、何十代かに一度のごく希に、私の因子を色濃く受け継いだ子が生まれるの。それがあなたよ〕

「先祖帰り、というあれか」

〔そう、あなたが魔法をうまく使えなかったのも、私の因子が強かったから。あなたは才能が無かったんじゃなくて、むしろ逆。何百人という私の子孫の中でたった一人の、選ばれた人間だったのよ〕

「わたしが、選ばれた者……」

 イザベラは目頭が熱くなるのを抑えることができなかった。そうか、自分は劣等生なんかじゃない。シャルロットと同じかそれ以上の才能を持って生まれていた……あいつを羨む必要なんて、最初から無かったんだ。

「ずるいよご先祖様、こんなすごい力があるのに、なんで今まで使わせてくれなかったんだ?」

 コンプレックスに押しつぶされそうな人生を送ってきたイザベラは、涙で詰まった声でサーシャに問いかけた。するとサーシャの幻影は優しく微笑み、イザベラの頭をなでるようにしながら答えた。

〔それはね、今までのあなただったら、この力をきっと間違ったことに使ってしまったから。だから私は待っていたの。あなたが自分の心の闇に負けないだけの強い心を持てるようになるまで。本当の勇気と愛と優しさを持った、一人前の人間になれるときまで。だから、この力は正真正銘あなたのものよ。真祖ガンダールヴの力、あなたの好きなように使いなさい〕

「ふん、勝手なこと言いやがって。誰が思い通りになんかなってやるもんか。わたしはわたしだ。意地悪で卑怯で、バカで臆病で……だけど、シャルロットやトモダチが大好きなだけの、ただのイザベラだぁーっ!」

 体が軽い、それ以上に心が軽い。長い間、自分の心を苦しめてきた嫉妬や憎悪がきれいさっぱり消え、世界が目がくらむくらい明るく輝いて見える。

 心を縛っていた鎖は千切られ、自由な心とともにイザベラは駆ける。

 それを見届けたサーシャの幻影は、愛すべき自分の子孫に向かって優しく笑いながら消えていった。

〔がんばりなさい、私の遠い遠い娘。私はいつだって、あなたを見守っているわ〕

「ふん……ありがとう……わたしの、遠い遠いお母さま」

 真祖の力を得たイザベラの進撃は止まらない。

 歩兵も、銃兵も、メイジの防衛線も突破してイザベラは青い髪をなびかせながらオルレアン公の陣に迫る。

 もはや距離はわずか。オルレアン公の周りの兵士たちは、来させてなるかと数千の弓兵から一斉に矢の雨をイザベラに降らせる。

「これならどうだ!」

 空を埋め尽くすほどの矢の雨。逃げ場はどこにもない。

 しかし、イザベラは無言のままで剣を構えると、降り注いでくる矢へ向かって目にも止まらぬ速さで剣を振るった。次々と矢が剣に当たってはじかれ……いや、それだけではないことを兵士たちは気づいて愕然とした。

「なっ、はじいた矢でさらに別の矢を撃ち落としているだとぉーっ!?」

 いったいどんな神業を使えばそんな真似が可能だというのか? だが実際にそれは起きている。

 数千の矢はついにイザベラにかすり傷一つなく打ち払われ、ついにイザベラとオルレアン公を遮るものは数十メイルの空間のみとなった。

 イザベラは鋭い目でオルレアン公を睨み、一直線に駆ける。

 だが、オルレアン公にはまだ最後の切り札が残されていた。

「うっ!? なんだ?」

 突然、イザベラの周囲の草原から赤い蒸気が吹き出し始めた。

 これは、さっきジャックが足止めされたときのものと同じ! 危険を察知したイザベラは足を止め、周囲を警戒した。

「どこから、なにが来る?」

 赤い蒸気は完全にイザベラの周りに立ち込め、もう外側からイザベラは見えなくなっているだろう。

 もちろんイザベラのほうから外も見えない。蒸気を振り払って強行突破してもいいが、そういえばジャックの場合以外にも元素の兄弟を妨害した奴がまだいるはず。敵に策を残したままでオルレアン公に肉薄するのも危険だ。

 剣を握って身構えるイザベラ。もし誰かが襲ってくれば、背中から銃撃されても跳ね返せる構えだ。

 だが、攻撃は予想外の形で始まった。突然、イザベラの耳に頭が割れそうなほどの不協和音が響いてきたのだ。

「うわああぁっ、なんだこの音。頭がぁっ!」

 まるで頭を鐘の中に入れられたようだ。強烈な頭痛に立っていることもできなくなり、耳を押さえるためにうっかり剣を取り落としてしまった。

 すると、それを待っていたとばかりにイザベラの足元の地面が崩れた。足元に大穴が開き、ズブズブと足から地面に引きずり込まれていく。

「し、しまった!」

 ガンダールヴの力は武器を持たねば発動できない。並の人間の体力に戻ってしまったイザベラの周りの地面はどんどん沈んでいき、このままでは生き埋めにされてしまう。

「ちくしょう、誰のしわざだ。出てきやがれ!」

 すると、イザベラの前に何もないところから、顔のない奇妙な人型の怪物が現れたのだ。

「な、なんだこいつ!?」

 イザベラは戦慄した。そいつは人間なら顔のあるところに白い半球状のパーツがついたのっぺらぼうで、頭の上には二本のアンテナがくるくると回転している。

 こんな亜人、聞いたこともない。まさかレイビーク星人のような宇宙人かとイザベラは思ったが、それは当たらずとも遠からずだった。

 正式には、地底人キング・ボックル。地下三十キロに住む高等生命体で、地震や地割れを起こしたり、赤色ガスや人間を催眠状態にする超音波を放つこともできる。

 さらに相当に知能が高く、かつて地球に出現したキング・ボックルは車の運転をしたり、銃弾を偽造したりといった技術力も見せている。人間とコミュニケーションをとろうとこそしないが、人間以上の生命体だと言って過言ではない。

 今回の個体は、すべての計画が完了したら地上の一部割譲を条件に、あのコウモリ姿の宇宙人からオルレアン公の護衛を請け負ったのだった。

 キング・ボックルは等身大のままで、沈み行くイザベラを見下ろしている。イザベラはすでに腰まで地面に埋まり、このままでは脱出は不可能だ。

「くそっ、剣さえあれば」

 手を伸ばしても剣には届かない。武器が無ければガンダールヴがいくらすごくても何の意味もないのだ。

 だがイザベラはあきらめてはいなかった。こんなときタバサなら、シャルロットならどうやって切り抜ける? 

 イザベラはキング・ボックルを観察した。頑丈そうな体には半端な攻撃は効きそうもない。しかし、あの頭の上でくるくると回転しているアンテナのような触覚ならなんとかなりそうだ。イザベラはさっき打ち落として周りに散らばっていた矢の一本を手に取った。手の届く範囲にあるのはその一本だけ、イザベラは左手にガンダールヴの力を込めると、渾身の思いで投げつけた。

「いっけぇぇぇ!」

 投げられた矢は弓で撃つより速くキング・ボックルの触角をかすめた。

 外した? イザベラは失敗したかと思ったが、その効果は思った以上に高かった。触角をかすめられたキング・ボックルは大きくうめき声をあげて苦しみだしたのだ。

 なんだ? ちょっとかすっただけなのに、あんなに効いてるなんて?

 イザベラはいぶかしんだが、キング・ボックルは地底深くに住んでいる地底人。そこには光は無く、キング・ボックルは目がほとんど見えないほど退化している代わりに、コウモリのように音で周囲を探って行動している。あの触角はその送受信のためのアンテナで、キング・ボックルにとってアンテナを傷つけられるというのは人間が目に指を入れられたようなものだ。

 キング・ボックルは怒りの唸り声をあげながらイザベラに向かってきた。自然に埋まるのを待たずに押しつぶしてしまうつもりなのだ。

 だが、それがイザベラにとって好都合だった。ガンダールヴの力は発揮できなくても、掴みかかってきたキング・ボックルの腕を取って体を起こし、奴の触角へ思い切り噛みついたのだ。

「んがーっ!」

 もはや気品も体裁もない野蛮さだが、イザベラに今さら格好を取り繕おうとする気はなかった。

 大事な触角に噛みつかれたキング・ボックルはイザベラに組みつかれたまま狂ったように暴れた。その勢いで埋まりかけていたイザベラは地上に飛び出て、振り落とされたイザベラはすかさず落ちていた剣を拾ってキング・ボックルに立ち向かった。

「でやあぁぁっ!」

 ガンダールヴのルーンが輝き、動転したままのキング・ボックルに斬りかかる。

「くらえぇっ!」

 急所へのさらなる一撃。下からの斬擊は見事にキング・ボックルの片方の触覚を切り落とした。

 だが、感覚をつかさどる触覚を失ったキング・ボックルは苦痛のあまりに逆上した。影からオルレアン公を護衛しろという命令も忘れて、本来の50メートルの巨体に戻ってイザベラを踏み潰そうと巨大化しはじめる。

 それに対し、イザベラは剣を正眼に構えて、真っ直ぐにキング・ボックルを見据えた。

「恐れるな……恐れないことが、前に道を作り出す」

 太古のハルケギニアで数多くの怪獣とも戦ったサーシャの遺伝子が呼びかけてくる。

 相手が巨大化するというなら対処法は一つ。そのためには、恐れず飛び込んで一刀を放つのみ!

「はあぁっ!」

 気合いとともに、イザベラは巨大化中のキング・ボックルへと跳躍した。恐れることはない、自分を信じてこの一太刀に懸けるのみ。

 一閃、振り下ろした剣に手ごたえあり!

 次の瞬間、キング・ボックルの頭から股下にかけて裂け目ができ、キング・ボックルは7メートルばかりに大きくなった勢いのまま真っ二つに裂けて崩れ去った。

「……ふん」

 そのころ、赤いガスの外側では、中に入ったままのイザベラがどうなったのか、兵士たちが遠巻きにしながら憶測を飛ばしあっていた。

 いったい何が起こったのか、多くの兵士たちは知るよしもない。けれど、オルレアン公は落ち着いていた。いくら強くなったとしても、今ごろはキング・ボックルによって生き埋めにされて窒息死していることだろう。あとは、適当なことを言って兵士たちをまとめ、進軍を再開すればいい。

 だが、それはかなわぬ夢だった。たちこめる赤いガスが剣圧で吹き飛ばされ、晴れたガスの中から無事な姿のイザベラが現れると、今度こそオルレアン公の顔に、どうあがいてもどうしようもないものを見てしまったことへの恐怖が浮かんだのである。

「あ、あああぁ……」

 なんの命令も出すことのできないオルレアン公にイザベラは走りよった。もはや、イザベラの前を遮るものはなにひとつない。

 腰が抜けてへたりこんでしまったオルレアン公に、イザベラはその正面に立って剣先を突きつけた。

「よっ、長いピクニックだったけど、ここが山頂だね叔父様」

「あ、ああ」

 オルレアン公は冗談めかしたイザベラのあいさつに答えることもできなかった。本性が人ならぬものだとはいえ、それほどイザベラの見せた戦いっぷりは常識を越えていたのである。

 貴族も兵士も、体が石のように固まって動くことができないでいる。割り込んだところで、今のイザベラに勝てないことを本能的に嫌というほど思い知らされてしまったのだ。

「さて、ゴールまでついたご褒美だ。ガリアの王冠は、わたしがいただくよ。文句はないね」

「そ、それは」

 認めるわけにはいかなかった。裏切れば、自分たちは奴に始末される。

 こうなれば、自分がオルレアン公ではないことがバレてしまっても、正体を表してイザベラを倒すしかないか。オルレアン公に化けた者とその仲間たちは、破れかぶれの最後の手段に打って出ようとした。

 だが、そんなオルレアン公に、イザベラは静かに言った。

「お前は、それでいいのか?」

「な?」

 何を言っている? 戸惑うオルレアン公に、イザベラは翠に透き通った瞳を向けて問いかけてきた。

「お前たちが何のためにこんなことをやっているのか、わたしは知らない。けど、なにもかもうまくいったとして、お前たちの望むものをあれは与えてくれると思うのかい?」

「ぐっ、それは」

 明言はしていないが、あれとはジョゼフを指しているのに間違いなかった。ジョゼフは欲すればなんでも与えてくれるが、それはすべてに興味がないからだ。

 なんでもくれるが、同時に放り投げられて壊される。イザベラはジョゼフの適当な恩賞で逆に破滅した貴族を何人も知っていた。

「お前たちもバカじゃないんだろ。なんでわかって従ってる? ……首を取り返すためか?」

「そ、そうだ」

 隠語にしているが、命を握られているのかという問いにオルレアン公は答えた。見抜かれたなら、もう隠す意味もない。

 しかし、なぜそんなことを聞く? するとイザベラは剣を傍らの地面に突き立てると、手をさしのべながらこう告げたのだ。

「なら、わたしといっしょに来い。お前たちの知識と力は、わたしの役に立つ」

「な、なに!? 正気で言っているのか!」

 オルレアン公は信じられなかった。この星の人間は愚かだと思ってはいたが、この状況でこれを言い出すか?

 けれど、イザベラは表情を崩さずに、強い口調で述べた。

「本当に大事なものは、立ち向かわないと絶対に手に入らないよ。犬に与えられるのは地面に落ちたエサと次の仕事だけさ。このまま犬として生きて永遠の灰色を見続けるか、それとも、あるかもわからないけど虹を見るために飛び出すか、今ここで選びな」

「愚かな。我々にはすでにそのための計画が……」

「見抜かれてないとでも思うかよ? 鎖に繋がれた犬がどう暴れるかなんて、飼い主はお見通しだよ。よっぽど馬鹿な飼い主ならともかく、お前らの主はそんな馬鹿なのか?」

 かつては、そのよっぽど馬鹿な飼い主だったイザベラの言葉に、オルレアン公は押し黙った。確かに彼らもジョゼフやあのコウモリ姿の宇宙人への謀反は考えていたが、冷静に考えればそんな企みは最初から計算の内としか思えない。

「わたしはあっちの計画にとってイレギュラーだ。あっちの計算を覆せるならそれしかない。それでお前たちがあらためてわたしの敵になるなら相手になってやる。だけど、お前たちももうさんざん見てきただろう? これ以上、誰が支配者なんて終わりのない戦いを続けて何になる? だが、お前たちもこの茶番を終わらせたいというなら、わたしも力を貸してやる。この国の、女王の名において」

「……」

 オルレアン公は、いや、オルレアン公に化けている者は、確かにこの瞬間、目の前の年端も行かない小娘に圧倒された。

 器が違う……自分の心が折れる音をオルレアン公は聞いた気がした。周りでは、彼の身を案ずる貴族や兵士たちが見守っている。今の会話のほとんどは彼らには聞こえていないはずだが、オルレアン公はイザベラの手に手を返しながら、すべての人に聞こえるように言った。

「私の負けだ。ガリアの新女王は、君だ」

 その瞬間、ガリア軍の中から動揺とともに巨大な歓声があがった。彼らは詳細はわからないが、イザベラがオルレアン公に温情をかけ、オルレアン公もそれを受け入れたということはわかった。

 今日起こったことは、兵士たちからすればわからないことだらけである。しかしオルレアン公は無事で、イザベラが見せた奇跡や、女王として語った確かなビジョンは民の心を捉えていた。

 イザベラはオルレアン公の手をとって立たせ、杖の代わりに高々と剣を掲げた。それを合図にしてガリア軍から歓声が巻き起こり、これをチャンスにミシェルは再び神官になりきって高らかに宣言した。

「見よ! 今ここに始祖ブリミルはガリア王国の後継者を決められた。新女王イザベラ殿、万歳!」

 たちまち万歳の声が唱和され、広大な草原を満ち満ちさせた。

 始祖の円鏡は再び古ぼけたただの鏡に戻り、鈍い光を放っている。しかし、始祖はいつでも自分たちを見守ってくれているんだと、銃士隊は感謝を込めながら虚空へ向けて祈った。

 そんな歓喜の光景を、元素の兄弟は一歩引きながら、しかし笑みを浮かべて眺めていた。

「これはまた、俺たちはとんだ掘り出し物ところか大変な金鉱脈を堀当ててしまったらしい。クルデンホルフのスポンサーと合わせれば、ダミアン兄さんもきっと喜ぶぞ」

「すごいなあアレ。うーん、斬ってみたいねェ」

「はああああ……素敵。こんなに胸がドキドキする子に会ったの、初めてだわ。ううん、こんなに次々に可愛い子たちに会えるなんて、今年はなんて豊作なのかしら」

 それぞれの思惑は違う。けれど形は違っても、イザベラに着き続けたら面白そうだと感じたのは同じだった。

 そしてイザベラは、自分に向かって歓呼の声を送る群衆を見つめながら、静かに思いにふけっていた。

「これでよかったんだよな。シャルロット……」

 蔑まれる一方だった自分が、これほどの歓呼の声を浴びている。そのために、元素の兄弟やご先祖様のくれたガンダールヴの力があったことは間違いない。自分は自分らしく、我を通しただけだ。

 けれど、それだけではあのときジャネットもあそこまでして助けてはくれなかったろう。今のこの声も、単に勝者に媚びているだけと思うほど彼女はひねくれてはいなかった。

 なにより、ご先祖様は言ってくれた。今の自分はガンダールヴの力を正しいことに使える人間になれたから、力が目覚めたんだと。

「少しわかった気がするよ。これがお前の言っていた、わたしだけの力なんだろ? なら、やれるだけやってみるさ」

 戦うための力よりも、もっと大事な『王』としての力の意味をイザベラは知りつつあった。その表情は、彼女の空色の髪と同じように、呪縛から解き放たれて優しく穏やかに輝いていた。

 

 

 だが、光の中へとイザベラが歩みだそうとしている中で、ジョゼフは自ら闇の中にあって、さらに深い闇に進もうとしていた。

「ふははは、イザベラめやりおるわ。はははは、わははははは!」

 王座の間にジョゼフの哄笑が響き渡る。その傍らではシェフィールドが蒼白となって、ジョゼフに震えながら進言した。

「ジョゼフ様、ま、まさかイザベラ様にこのような力が眠っていたとは。これでは、計画に重大な支障が」

「ふはは、なあミューズよ。俺は今日の今日まであいつを見下していた。俺の悪いところばかりを受け継いだ、俺のできの悪い複製品だとな。前のレイビークのことでは少し見直したが、それでもここまでやってくるなどとは思っていなかった。それがどうだ! まるで本物の女王のようではないか」

「それは、恐らくはシャルロット様がなにか入れ知恵を……」

「はは、たとえシャルロットがなにかしたとしても、それだけでこんなことができるわけがなかろう。これは間違いなく、イザベラの才覚だ。それは素直に認めようではないか」

「し、しかし……」

 笑うジョゼフとは裏腹に、シェフィールドの心は悔恨でいっぱいだった。正直、イザベラのことなどまったく計算に入れていなかった。なのにイザベラに偽のオルレアン公ごとガリア軍をまるごと奪われるとは、失態どころではすまない問題だ。

 けれど、ジョゼフは自嘲するように淡々とシェフィールドに言った。

「まあ聞け。俺はイザベラのことが大嫌いだった。俺の娘には違いないが、あまりにも出来が悪いあいつのことを見ていると同族嫌悪が巻き起こるのだ。ろくに親として育てなかった俺が偉そうに言える立場ではないが、今日ここであいつを始末できればさっぱりするとさえ思っていたのだ。それがどうだ? あいつは、イザベラは血反吐を吐きながらも立ち上がり、神の奇跡とさえ呼べるような力さえ手にしてしまった。俺はとうとう、一番見下していたはずの自分の娘にさえ負けてしまったのだ」

「ジョゼフ様……」

「しかも、だ。そうやって立ち上がって、自分の力で事を成して周りを見返すことは、本来なら昔に俺がやらなければならなかったことだ。ああ、思えばあの頃に死ぬ気になってシャルルに張り合っていれば、何か勝てるものがあったのかもしれん。しかし悲しいかな、俺にはもう時間がない」

 大人になってどんなに後悔しても、子供の頃の間違いはやり直せない。自虐するジョゼフをシェフィールドは声をかけられないまま見つめていたが、ジョゼフはおもむろに顔をあげた。

「だが、もっとも悲しむべきことに俺はまだ生きている。神はまだ俺に苦しめと言っているようだ。ミューズよ、計画は続けるぞ。この俺の手で、ガリアの民をさらにあっと驚かせてやるぞ」

「ですが、計画の要である偽のシャルル様が」

「なにも慌てることはない。シャルルが健在であるということをハルケギニアに知らしめるという役割を果たしてくれた時点で、あれの目的はほぼ果たし終えている。こちらには『本物』がいるのだ。調整などいくらでも効く。ここから腕の見せ所だぞ? はははははは」

 アドリブを利かせるのも脚本家の醍醐味だぞと語るジョゼフに、シェフィールドは「御意に」と頭を下げるのだった。

 

 そして、その様子を覗き見していたコウモリ姿の宇宙人は、いつでも握りつぶせるようにしていた偽オルレアン公たちの命を弄びながら笑っていた。

「ふむ、そういうことならあれらにはもうしばらく偽者を演じてもらったほうがいいですか。運のいい方々ですねえ」

 イザベラの睨んだ通り、彼は偽オルレアン公たちが裏切れば即座に始末するつもりでいた。そもそも悪党同士の間に信頼なんて言葉はない。

 それでも、彼の計画にとってもジョゼフの計画がもうしばらく順調に進んでもらわなくては困る。その点、ジョゼフの諦めの悪さは都合がよかった。

「まったく、人間という生き物の感情の強さには私もしばしば驚かされますよ。ですが、そのパワーを浪費させるのはとてももったいないですからね。有効活用させてもらいますよ。まだまだね」

 ヴェルサルテイル宮殿の地下で、巨大な何かが胎動している。その鼓動は日に日に大きくなり、孵化寸前の卵のように誕生へのカウントダウンを今や遅しと刻み続けていた。

 

 

 続く


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