ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第11話 雪風の元に集う者たち(後編)

 第11話 

 雪風の元に集う者たち(後編)

 

 月怪獣 ぺテロ 登場

 

 

 失われた記憶を求めてラグドリアン湖の水の精霊の元を訪れたキュルケ。アンドバリの指輪を返還したことで水の精霊からの報酬の約束を取り付け、記憶を呼び戻してもらうことを頼み込んだ。

 だが、気まぐれで気難しい水の精霊からの協力を本当に取り付けることができるのだろうか……。 

 

「記憶を呼び戻せとは、いったいどういう要求なのか?」

「水の精霊、あなたは人間の世俗のことなんか関係ないから知らないかもしれないけど、今この世界にはなにか大きな異常が起きているようなの。その証拠に、わたしの記憶に大きな穴が空いてるみたい。いいえ、わたしだけじゃない……あんなにみんなのためにがんばっていたあの子のことを誰も覚えていない。その記憶に、謎を解く鍵があるわ」

 キュルケは包み隠さず答えた。水の精霊にごまかしはきかない、かといって自分も男を口説くならともかく、交渉事のプロではない。真摯さ以上に訴えられるものなど他になかった。

 すると水の精霊は何回か考えるようにぐにゃぐにゃと動くと、キュルケにこう答えた。

「結論から言えば可能だ。記憶とは、生物の脳に刻まれた刻印のようなもの。それは見えないように隠すことはできても消し去ることはできない。お前の記憶を呼び起こすことを妨げているものを我の力でどかせば、お前の記憶は蘇るだろう」

「ほ、ほんと? そんなに簡単にいくの?」

「単なる者の心は単純なものだ。お前たちは我が心を操るのを恐れるようだが、心など土を水が覆うように上書きしてしまえば簡単に姿を変えられる。ならば、土を覆う水を取り除くこともまたたやすい」

 子供の遊びのように簡単に告げる水の精霊に、キュルケは期待感を増してうなずいた。

 だが、なら早速と言いかけたときだった。水の精霊は、さらにこう注釈したのである。

「ただし、水の引いた土地が沼と化すように、お前の心を覆うなにかを取り除いたときに、お前の心がそのまま保たれる保証はない」

「な、なによそれって!」

「要はお前の心の強さ次第だ。お前の心に刻まれた記憶が水に沈んで形を失う泥か、水に沈んでなお己を保ち続ける岩かどうかということだ。お前の記憶を心の底に沈めた水を我が取り除くことはできる。だが、水が自然にひくならともかく、吸い上げれば水底はかき回される。それにお前の心が耐えられるかどうかは我の関するところではない」

 水の精霊らしい無情な宣告だった。

 キュルケは考え込んだ。恐らくは世界中の人間をいっぺんに洗脳したような未知の力を無理に取り除いて、自分の心は耐えられるだろうか? 記憶の混乱、最悪の場合は廃人になるかもしれない。水の精霊の力とはそれほど人間にとっては強力で、かつ水の精霊はそれを無慈悲に実行するであろう。

 けれど、迷ったのは一瞬だけだった。

「やるわ。こうしている間にもあの子はもっと危険な目に会ってるかもしれない。これくらいのことに怯えてたら、どのみちあの子を守ってあげられないわ」

 その決断と決意は、火種を得た油が一気に燃え上がるが如しであった。

 本気を見せたキュルケに、水の精霊もうなずいて、手招きをしてきた。

「ならば我に触れるがよい。お前の水と我の体が触れることによって、お前の脳の異常を取り除く。せいぜい気を確かに持っておくことだ」

 味気ない言い草にキュルケはかちんときたが、水の精霊は嘘をつかない。やると言ったら必ずやる。

 覚悟を決めたキュルケは、湖の中にそのまま足を踏み入れた。もちろん服は濡れるが、いくら相手が水の精霊とはいえこんなところで脱ぐ気にはならない。

 すると、膝まで水に浸かったキュルケの足に水が生き物のようにまとわりついてきた。どうやらこちらを調べているらしい。気持ち悪いと思ったキュルケは、どうせ見られるならままよと頭から水に飛び込んだ。

「はあっ!」

 息を吸い込んで水に潜ったキュルケは、目を開けると夜の水底の世界を見た。水面から月光が差し込んできて幻想的な光景が広がっているが、底のほうには光が届かずに永遠に続くかのような闇が続いている。

 光に照らされながら、その本質は闇の底……まるで今の自分みたいねとキュルケは思った。しかし、その闇の中から本当の自分を取り戻さなければならない。

 そのとき、全身を粘膜で包み込まれるような感触がして、キュルケは「来たわね!」と気を引き締めた。いよいよ水の精霊が本格的にやってきたのだ。

”あうっ! 身体中の、全部から水が入ってくる!? なによ、なによこれ! 見られてる。あたしのすべてが見られちゃってるぅ!”

 水の精霊の浸透力はキュルケの想像を超えていた。キュルケの褐色の身体中の穴という穴、口腔から毛穴にいたるまでのあらゆるところから水の精霊の体が入ってくる。これまで惜しげもなく披露してきたプロポーションの隅から隅ばかりか、あらゆる奥の奥まで陵辱されるような感覚にキュルケの理性は崩壊しかけた。

 だが、放心しかけたキュルケの耳に響いてきた水の精霊の声は、一切の低俗さを持たない無感情なものであった。

「つまらぬ抵抗をするな。我は水、水は流れ行くのみ。川の流れに身を任せるように、力を抜き、ただ己を保ち続けろ。お前は我が体内にいる。お前の肉体は今や我の一部、肉体に囚われず心を解放せよ。お前の求めるものはその先にある」

 その冷たい言葉に、キュルケは我を取り戻した。水の精霊を拒むのをやめて、身体を水の精霊のするがままにゆだねた。

 すると、それまで気が狂うようだった全身の不快が消え、逆に雲の中に浮かんだような心地よい浮遊感に包まれた。

「ふわぁ、これって、すごく気持ちいい……わ」

「眠りたいのなら止めはせぬが、意識を閉ざせばお前の精神はそのまま消滅するぞ」

「なっ! そういうことはもっと早く言いなさいよね!」

 一気に目が覚めて、さすが水の精霊の試練、悪辣極まりないとキュルケは思った。不快と快楽、どちらに負けても死んでしまう。

 耐え抜く方法はただ一つ。心を強く保ち続けること……そう、心こそがすべて。心を自由に、それでいて堅固に。心を操る力に対抗するには、強い心で立ち向かうしかない。

 改めて覚悟を決め、キュルケは水の精霊に身を任せた。

 水の精霊の体は水そのもの。人の体はそのほとんどが水であり、水の精霊にとっては人間の脳も積み木の城程度にしか過ぎず、積み木の中に紛れた余分なブロックを取り除くなとたやすい。だが、しっかりと積み木が立っていなければ、余分なブロックを取り除いた衝撃で積み木の城そのものも崩れてしまう。

 水の精霊の与えてくる不快にも快楽にも己を奮い立たせて耐えるキュルケ。体が肺の中まで水に満たされているはずなのに、不思議と息苦しさは感じず、時間の感覚も無くなっていく。

「上も下もわからない……わたし、どうなっちゃうの…………え……? あれって……」

 どれくらい時間が経ったのかわからない。闇が無限に続いていくかと思えた中、少しずつ鮮明さを増しながら、キュルケの目の前に一つの光景が浮かんできた。

「あれは、トリステイン魔法学院……?」

 それは記憶が水中に投影されているのか、見知った学院の光景がはっきりとキュルケの目の前にあった。食堂には大勢の生徒たちが集まり、わいわいと騒いでいる。その中にキュルケは昔の自分の姿を見つけ、これがいつの光景であるのかに気づいた。

「これは、学院の入学式の日……?」

 そう、それはゲルマニアから留学してきて、魔法学院に最初の一歩を踏み入れた日の光景だった。

 隣国とはいえ異国のただ中にありながら、燃えるような赤い髪と女神が嫉妬するようなプロポーションを惜しげもなく堂々と晒すキュルケの姿は当たり前のように新入生たちの中でも輝いていた。その色香に目を奪われる男子や、嫉妬の眼差しを向ける女子の視線を心地よく受けながら、過去のキュルケは悠然と座っていた。

 だがそんなキュルケの席の隣で、反対に地味に小さく目立たないでいた少女がいた。式の真っ最中だというのに我関せずと本などを読んでいたその青髪の小柄な少女に、ふと興味を持ったキュルケは、ちょっとした悪戯心で彼女から本を取り上げてみた。

「なにこれ……『風の力が気象に与える影響とその効果』ですって? わっけわかんない。あなた、こんな高度な魔法使えるの?」

 それが自分が彼女にかけた最初の言葉だった。思い出してみれば恥ずかしい。思えばよくこんな子供じみた命知らずな茶々を入れたものだ。

 それに、返してくれと手を伸ばしてきた彼女に次に自分が言った言葉は。 

「ねえ、人にものを頼むときには、名乗るのが礼儀よ。ご両親からそんなことも習わなかったの?」

 まったくももって子供じみた煽り方だ。いや、この程度の煽りに言い返せないような意気地無しには生きる価値は無いと思うキュルケのポリシーからすればたいしたことではないが、問題は我ながら本当に、このときの自分には人を見る目がなかったと思う。

 そうだ、そうだったわね……こうして見れて、記憶が泉のように甦ってくるのをキュルケは感じた。心の奥底に塞き止められていた記憶が昨日のことのように思い出せてくる。眼鏡をかけたおとなしそうなこの子が、自分に匹敵する力を持っているなんて、このときは思ってもみなかった。そして、その少女が仕方なさそうに答えた名前こそ。

「タバサ」

 その瞬間、記憶の中の暗い雲は吹き飛んだ。タバサ、タバサ。思い出したくても思い出せなかったあの子の名前がここにある。

 空色の髪と瞳、あどけなくも無愛想な表情。姉妹だったようによく知っているタバサの顔もここにある。そう、初めて会ったとき、タバサはこんな顔をしていた。それは当然だ、その次にキュルケが言った言葉ときたら。

「なにそれ! トリステインでは随分へんな名前をつけるのね!」

 これである。キュルケはこうして見せられると、つくづくタバサに悪いことをしてしまったなと、過去の自分を燃やしたくなった。

 第一印象は互いに最悪。あのとき自分は腹をかかえて笑っていたが、下手をすればあのときタバサに打ちのめされても不思議ではなかった。まったく命知らずにも程がある。

 しかし、タバサが怒る前に幸い横槍が入った。その相手ときたら……笑ってしまう。

「そこのあなた! 今、先生方が大事なお話をされてるのよ! お黙りなさい!」

「あなた誰?」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! あんたみたいな子がいるなんて驚いちゃうわ!」

 本当にこれである。キュルケは運命など信じるほうではないが、初日にこの顔ぶれと揃うなど、いくら同じ学年でいるとはいえ、面白いものだ。

 もちろんその後、キュルケもツェルプストーの名前を明かし、積年の宿敵同士であるルイズとの間で火花が散ったのは言うまでもない。しかし、ここでルイズが割り込んでくれなければ、今のタバサとの関係もきっと違ったものになっていただろう。なにせ、互いの第一印象は見事に最悪……キュルケはタバサのことを陰気な本の虫としか見ておらず、タバサもキュルケを能天気でわずらわしい女としか見ていなかったに違いない。そのまま真っ向からぶつかっていれば、それこそどちらかが叩きのめされるまで続いて、友情など生まれなかった可能性さえある。

 結局ルイズのおかげで水入りとなった入学式のその後しばらくは、キュルケとタバサは関係なく学園生活を送った。キュルケは男漁りに夢中だったし、タバサも他人に無関心だったからだ。

 それが変わったのは少しした後の新入生歓迎会のことであった。パーティに参加しているキュルケのドレスが風の魔法でズタズタに切り裂かれて、衆目に全裸をさらされてしまうという事件が起きた。その犯人がタバサらしいという告げ口を受けたキュルケは怒り、またタバサも留守中に自分の部屋の本が焼かれるという惨状に会い、二人は怒りのままに決闘することになった。

 実はこれはキュルケとタバサに恨みを持つ他の生徒たちが二人を同時に始末しようと仕組んだ策略だったのだが、互いにトライアングルクラスのメイジである二人は即座に相手の魔法と自分が被害を受けた魔法の質が違うことに気づいて決闘は止まった。

「参っちゃったな……勘違いみたい」

 照れながらそう言った言葉が、キュルケがタバサにかけた初めてのまともな言葉だったように思える。

 そうして冷静になり、互いにはめられたことに気が付いたキュルケは陽気に笑い、それにつられてタバサも微笑んだ。その可愛らしい笑顔に、キュルケは思わずこう言った。

「あなた、そうしてたほうが可愛いわ」

 このときは、キュルケは自分を誉めたかった。そう、その素直な一言でよかったのだ。

 その後、尻に帆かけて逃げ出そうとする犯人の生徒たちに制裁を加えようとするタバサを、キュルケは軽く制して言った。

「本くらいなによ。あたしが本の代わりに友達になったげるわよ。でもあたしがかいた恥は……代わりになるものが見つからないわ。あなたの仇も、まとめて討ってあげるから見てなさい」

 その言葉を受けたとき、タバサは少しはにかみながら「一個借り」と答えた。そのときのタバサの表情は、他人にはいつもと変わらないように見えたかもしれないが、今の自分ならわかる。

 あのとき、タバサは嬉しそうだった。楽しそうだった。そして、初めて自分に心を開いてくれた。

 そうして、犯人たちにママより怖いおしおきを与えて懲らしめ、キュルケとタバサはそれからよくつるむようになった。とは言ってもタバサは相変わらずの本の虫だったので、キュルケが一方的に絡むか連れ出すかしていたのだが、タバサは無表情のままキュルケに付き合った。

 時には本を読むタバサの隣でキュルケが愚痴をこぼし続け、時には鍵をかけたタバサの部屋にキュルケが押し入って無理矢理連れ出し。

 それが友情というものなのか、よくはわからない。ただ、キュルケが何をしてもどんなことを話しても、タバサは他の相手のように魔法で追い返したりはしなかった。また、飽きっぽいキュルケも無反応なタバサにいくらそっけなく返されても絡むのをやめようとはしなかった。

「楽しかったものね。あたしたち、人に合わせるようなタイプじゃなかったけど、いっしょにいたらなぜか落ち着いたもの」

 二人は正反対の性格ながらも、だからこそ不思議と安心できたのかもしれない。

 そうしているうちに、キュルケはタバサの考えていることがなんとなく理解できるようになっていき、二人の世界は次第に広がっていった。キュルケはタバサの気を引くために、自分の興味のないことにも首を突っ込むようになり、タバサもときどき付き合うようになっていった。

 思えば、ルイズにちょっかいを出すようになったのも、タバサといっしょにいるようになって気持ちに余裕が持てるようになったかもしれない。そうでなければ、キュルケにとって学院はつまらない男とつまらない女しかいない退屈な場所であったかもしれない。

 なんでもない平穏な日々も、タバサがいればつまらなくはなかった。

 そしてヤプールの侵略が始まって平穏が破られ、後に始まる冒険の日々。ルイズや才人、ギーシュやモンモランシーらの賑やかな仲間も加わり、アルビオンからガリアまで飛び回った。

 けれど、キュルケの隣にはいつもタバサがいた。タバサといっしょにいろんな戦いに飛び込み、時に共に血を流し、苦難を分かち合ってきた。

 タバサのガリア王家に連なる重荷を知った後も、変わらず接してきた。タバサがガリアの策略で異世界に飛ばされ、その生存も帰還も絶望視されたときも、タバサを取り戻すために力を尽くした。

 信じた。あたしのタバサはどんな運命にも負けないとキュルケは信じて戦い続け、タバサはついに異世界からさえ帰ってきた。

 しかし、再会を喜ぶ時間もなく、トリステインとロマリアの戦いから続いて、トリステインとガリアの戦争が始まるかと思われたその時……タバサは。

「あなた、あたしに何も言わないで行っちゃうなんてひどいじゃない。あなた、また一人でなにもかも背負い込むつもり? それとも……いえ、あなたはもうそんな浅はかじゃないわね。その理由、聞きに行かせてもらうわよ!」

 決意。その瞬間、キュルケの中の闇は完全に晴れた。

 過去の幻想は消え、失われていた記憶はすべて蘇り、頭の中にすっきりとした輝きが満たされる。しかし、水の精霊の治療が終わったことで体も現実に引き戻され、水中に放り出されたキュルケは溺れかけて慌てて水面に飛び出した。

「げほっ、げほっ! も、もう、アフターフォローがなってないわね。死ぬかと思ったわ」

 もがきながら立ち上がったキュルケは、咳き込んで水を吐き出しながら抗議した。幸い岸から近く足のつく深さで、記憶を取り戻して早々に溺死しないではすんだようだ。

 水の精霊は、キュルケから少し離れた水面に変わらずに浮いている。そして返ってきた言葉も変わらずに冷淡なものだった。

「お前の記憶を取り戻して、その後の手助けをするまでは契約に入っていない。必要だというなら、先に言っておけばよかったのだ」

 意に介さないという風に答える水の精霊に、キュルケは「ああそうですか」と、ふてくされるしかなかった。まったく可愛げがない、同じ無表情でもタバサとはえらい違いだ。

 けれど、これで欲しかったものは取り戻せた。キュルケは濡れた髪を背中に流すと、空の月を望んで思った。

 タバサのことをはじめとした、ガリアの記憶があのときから一切トリステインの人間の頭から削り取られていた。それも、単に忘れただけにとどまらず、最初からガリアとの戦争なんかなかったというふうに思い込まされていた。タバサがこれを了承した上でおこなっていたとすれば、よほどの理由があるはず。

「お世話になったわね水の精霊。いい仕事だったわ、これで貸し借りなしだけど、感謝してるわ」

「それで納得できたなら良い。お前の頭の中の水の流れは正常に戻った。弱い精神の持ち主ならば、幻に囚われたまま水底に沈んでいたであろう。見事であった」

「やめてよ、水の精霊に誉められたりしたらその気になっちゃうじゃない。それじゃ、ありがとね」

 キュルケは礼を言うと、岸に上がろうと平泳ぎで波をかき分けていった。彼女の赤い髪が群青の水に揺れ、赤い鱗の人魚のように月光に映えた。岸辺には、彼女の使い魔のサラマンダーのフレイムがちろちろと口から火の粉をこぼして主を待っている。

 しかし、キュルケが水から上がろうとしたときだった。水の精霊が、キュルケを呼び止めてきたのだ、

「少し待つがいい、単なる者よ。お前の探そうとしている者は、この湖の近辺に住んでいた個体で間違いないか?」

「っ!? どうしてそれを! いえ、わたしの頭の中をいじったなら見ていて当然ね」

 タバサのことを言い当てられたキュルケは一瞬うろたえたものの、すぐに理由に気づいて余裕を取り戻した。その上で、覗き見なんて趣味が悪いわねと嫌味を飛ばすが、水の精霊は、あれだけ強くイメージしておいて見るなというほうが無理な注文だと返して、キュルケは気恥ずかしさでわずかに頬を染めた。

「それで、それがどうしたというのよ?」

「その者なら昨日にここを通って行った」

「へー……って!? なんですって! どうしてそれを早く……いえ、どっちに行ったかわかる?」

 カッとなったものの、水の精霊に責任を追及しても無駄だと思ったキュルケは、とにかく行く先を尋ねてみた。運命のいたづらか、タバサは思ったより近くにいるかもしれない。

 すると思った通り、水の精霊は「その者ならば、お前たちがガリアと呼ぶ地へ向かっていた」と答え、キュルケは急いでタバサを追おうと踵を返した。

 だが、水の精霊はさらにキュルケを呼び止めてきた。

「少し待て。我から、もう一つお前に話がある」

「なにかしら。水の精霊は無駄話はしないと思うけれど、急いでいるから手短にお願いしますわ」

 キュルケの言葉は、場合によれば水の精霊を怒らせるかもしれない不敬なものであった。しかし水の精霊は怒ることなく、キュルケも驚くほど穏やかな声色でこう言ってきたのである。

「……お前や、お前と連なる者たちによって、お前たちがラグドリアンと呼ぶこの湖は何度も悪しき者たちから救われてきた。我はこの湖に住まう者として、お前たちの言葉で敬意……そう、敬意と呼ぶに値するものをお前たちに感じている」

「……へえ、意外ね。悠久の時を生きるあなたにとって、わたしたちは刹那のような小さな存在だと思っていたけれど」

「お前たち単なる者の存在は確かにか細い。だが、お前たちはその刹那さゆえに必死に生き、その力は幾度も我さえ救った。それは我にはできなかったこと。ゆえに、我もこれまでの我では考えなかったことをしてみたくなった」

 すると、水の精霊の足元の水中から小さなガラス瓶が浮かび上がり、ゆっくりと飛んでキュルケの手に収まった。

「受けとるがいい」

「なにこれ……? なにかの薬?」

 キュルケの受け取った小瓶は、瓶そのものは湖の底に沈んでいたゴミのようだったが、中に入っている液体は黄金色の不思議な輝きを放っていた。一見、水の精霊の涙かもと思ったが、輝き方が違って見える。

 すると、水の精霊はキュルケの疑問に答えて驚くべきことを明かしたのだ。

「それは、以前にお前たちの仲間の動物の体内の水の流れを狂わせた薬を再現したものだ」

「えっ!? それって確かギーシュの使い魔のモグラを巨大化させたっていう」

 思い出した。もうかなり前になるが、モンモランシーが偶然作り出してしまった薬でギーシュの使い魔のモグラのヴェルダンデが巨大化してしまったことがあった。才人いわく、ハニーゼリオンだとかいう特殊な薬品で、モンモランシーにも再現は不可能だったというが、そういえばあれの材料に水の精霊の涙があった。

 けれど、こんな危険なものをどうしろと? 愕然としているキュルケに、水の精霊は淡々と告げた。

「我にもお前たちの持つ可能性があるものか、試してみたくなった。しかし我はここから動けぬ身、ゆえの我の欠片を力に変えてお前に託す。どう使うかは好きにするがいい」

「じょ、冗談じゃないわ。怪獣を作り出せちゃう薬なんて、こんなもの」

 さらに事態を悪化させてしまうだけだ。いくらあたしでもこんなものを使えるわけがないと、キュルケは薬を突き返そうとした。ところが水の精霊は。

「だが、それを使うかどうか、お前の使い魔はとうに決めているようだがな」

「えっ?」

 驚いて振り向くと、そこには自分をじっと見つめてくるフレイムの真っすぐな視線があった。

 あなたまさか……キュルケは思った。だめよ、いくらあなたがいい子でも、そんな危険なことはさせられないわ! いえ……それじゃ、いけないのね。

「フレイム、あなたこれがどんなに危険なことかわかっているの?」

 使い魔の答えは、一回のうなづき。しかしはっきりとした決心のこもった一回だった。

「わかったわフレイム。あなたがわたしのためにそこまで覚悟をしてくれるというなら、わたしも主人として決意に報いるわ。水の精霊、あなたのご好意、ありがたくいただいていくわね。けれど、本当に危なくなった時にだけ使わせてもらうから」

「それでいい。使うも使わないも、どんな使い方をするかもお前の自由だ。さあ行くがいい。単なる者の時は短い」

「ありがとう、水の精霊。今度はわたしの友達を連れて、また来るから」

「友達……友情か。我にはわからぬ感情だ。そんなものを力にできる、お前たち単なる者とは不可思議な存在だ。その奇妙な力が今度はどんな奇跡を起こすか、見せてもらうとしよう」

 水の精霊に見送られ、キュルケは勇躍旅立った。

 ラグドリアン湖を後に、目指すはすべての元凶ガリア王国。今のガリアには簡単に入れないかもしれないが、キュルケは以前にタバサから気まぐれにガリアへの秘密の近道を教えてもらったことがある。馬車を急がせ、忠実な使い魔を連れ、強い決意とともに彼女は行く。

「待っててタバサ、今度は返しきれないほどのでっかい貸しをあなたに作ってあげるからね。行くわよフレイム、ガリア王国にこのわたしを敵にしたことの報いを思い知らせてやるわ!」  

 業火のような闘志を燃やし、本来の自分を取り戻したキュルケは急ぐ。本当に大切なものを今度こそ取り返すために。

 

 夜のとばりの中でも、物語の時計は進む。

 だが、人間たちがそれぞれ動き始める一方で、誰の目にも止まりようがないところで進みつつある異変があった。

 

 それはハルケギニア……それを遠く離れた宇宙。地上の喧騒も、この真空の世界を騒がせることまではない。

 しかし、沈黙の世界の中でも生命はどこにでも息ずいている。地上から二色の幻想的な光景に見えるハルケギニアの月。そこは地球の月と同じく空気のない荒野が広がっているが、その氷点下の過酷な世界においてうごめいている巨大な影があった。

 それは、いくつかが連なった巨大なマリモのような姿。ブヨブヨと体を揺らしながら、月の荒野をゆっくりと移動している。

 

【挿絵表示】

 

 こいつの名は月怪獣ぺテロという。れっきとした生物であり、地球の月にも同族が住み着いていて、過酷な環境に適応するために、こんな軟体の体に進化したのであろう。

 かつてウルトラセブンと交戦した記録も残っており、もし才人が見たらこういう風に解説するかもしれない。

「膨れたモチみたいな変な奴だけど、こう見えてウルトラセブンを倒しかけた隠れた強豪でもあるんだぜ」

 嘘みたいな話だが本当である。ぺテロは月面の極寒の世界に住むために、ダンゴのような体は非常に丈夫にできており、セブンの肉弾攻撃も受け付けなかった。その上で、極寒の月面、かつそのときは夜だったために寒さに弱いセブンを持久戦に持ち込んで苦しめている。地の利を活かして防御に徹するのも立派な戦術という一つの例であろう。

 ただ、このときはウルトラ警備隊全滅を狙うザンパ星人に操られていたため、本来のぺテロには自分から他者を攻撃するような狂暴性はない。そもそも荒涼とした月面で獲物を求めて動き回るなどという真似をしていたら、エネルギーをあっという間に使い果たしてしまう。

 基本はほとんど動かず、わずかな水分や養分を蓄えて生存する。ぺテロは緑色のマリモのような姿からして、地球のサボテンに近い生き物なのかもしれない。ぺテロがウルトラ警備隊の前に現れるまで地球人に存在を知られなかったのも、動かないぺテロは岩と見分けがつかないからに違いない。

 けれど、今この月面では、滅多に動かないはずのぺテロがあちこちでうごめいている姿を見せているという、雨後のキノコの増殖を見るかのような異常な事態が起こっていた。

 なぜか? ぺテロが自分から動かなければならないことがあるとすれば、生存に関わることだけだ。ぺテロたちの住む月から望まれる宇宙……人間には虚空にしか見えないそこに、彼らはなにかを感じ取っていた。

 ハルケギニアを含むこの星系の外苑部。そこはこの世界の天文技術では観測できないかなたであったが、そこに外宇宙から人知れず侵入してきたものがあった。ぺテロたちはその本能で、そこからの強烈な力を感じて恐怖を覚えていたのだ。

 その風貌はとてつもなく巨大かつ異様な物体……けれど”それ”は確かな意思を持って、その進路をゆっくりと、しかし確実にハルケギニアに定めて動き出した。

 このままの速度と進路で進めば、外惑星軌道からハルケギニアまで数日。当然、いくら巨大であるとはいえ、天文台さえないハルケギニアでそれの接近を知る術はなく、よしんば気づけたとしても戦争中の騒乱の中で気に止められることはないだろう。

 だが、どうしてこのタイミングで? 偶然とは思えないこれには、やはり糸を引いている者がいた。

「おやおや、ようやくご到着ですか。間に合わないんじゃないかと心配してましたが、あの星の方々はまったくどこでも扱いがめんどうくさい」

 ぼやいた口振りを見せたのは、つい先程までガリアにいたはずの、あのコウモリ姿の宇宙人だった。彼は宇宙空間で呆れたポーズを見せ、彗星とすれ違いながら航行を続ける”それ”を眺めながらほくそ笑んだ。

「ま、ちょっと焚きつけるのに苦労はしましたが、そのぶんハルケギニアの皆さんにも盛大な花火を見せてあげられるでしょう。そして……あの方々にもとっておきのお出迎えができますねぇ……フフフ」

 彼がジョゼフにも秘密で企んでいる計画。それが何を目的としているのか、謎の物体は虚空を移動し続けている。

 

 ガリアは本来、先王が亡くなった時に生まれ変わるべきであった。水は流れ続けなければ腐ってしまうが、王家に渦巻くどす黒い欲望や怨念がガリアという巨大なダムを詰まらせ、溜まりに溜まりきったそれがジョゼフにより一気に決壊させられ、運命の激流がすべての者を押し流そうとしている。

 ガリアで最後のゲームに興じ、その時を待っているジョゼフ。彼とともにさらなる恐ろしい何かを目論んでいるコウモリ姿の宇宙人。

 アンリエッタの命を受けて、危機に立ち向かうため旅立ったルイズたち。

 暴走するガリア軍に対して、何かの疑念を抱きながらも出陣しようとしているアンリエッタ。

 信じるもののために自らの意思で立ち上がったシルフィードやキュルケ。

 

 それぞれの道で、人間たちの思いを写しながら時間の川は流れる。激動の二日目も終わりを迎え、時はさらなる三日目を迎える。

 

 

 続く


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