ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第7話  清水の人魚姫(後編)

 第7話

 清水の人魚姫(後編)

 

 ヘドロ怪獣 ザザーン 登場!

 

 

 クルデンホルフの驚異的な発展は、それによって発生する環境汚染で人間を抹殺しようというメトロン星人の陰謀だった。

 だが、メトロン星人の作戦はメトロンも予想していなかった副産物を生んでいた。

 海から現れた汚染物質の塊であるヘドロ怪獣ザザーン。その猛毒の体でメトロン星人を溶かし殺してしまい、メトロン星人がハルケギニア侵略のために作った汚染物質を満載したミサイルを求めて猛毒をまき散らしながら街を徘徊する。

 山から掘り出された鉱石から魔法石を取り出す際に使われる薬液が川から海に垂れ流され、その廃液を濃縮した強酸の霧は人も建物もかまわずに骨に変えていく。

 その地獄のような光景を、黒衣をまとった一人の女が冷然と眺めていた。

「かつてサンドロスは自分が住み好い世界に変えるために環境を破壊したが、人間は自分で住み好い世界を破壊していく。愚かなものだ」

 人間は宇宙でもまれな恵まれた惑星を与えられながら、それを自ら破壊していく。それが自らをも破壊することだとも気づかずにと、彼女は憮然として立ち続けていた。

 

 だがこのままではクルデンホルフは猛毒に覆いつくされて全滅してしまう。ザザーンに街が破壊されていく様を屋敷から見下ろしながら、ベアトリスは悔しげにつぶやいていた。

「クルデンホルフが……わたしの故郷が」

 街が燃えていく。いくら汚れ果ててしまっても、そこは彼女にとってかけがえのない故郷なのには変わらない。

 だが、怪獣をこのままにはしておけないと、公爵は旗下の精鋭部隊に出撃を命じた。

「空中装甲騎士団、出撃せよ。あの怪獣を倒すのだ!」

 クルデンホルフ大公国の誇る最強の竜騎士隊である空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)が鎧に身を固め、騎乗する竜の翼を羽ばたかせながら街の空に軍団の雄姿を現した。

 風竜、火竜にまたがる重装騎士たちの数はざっと五十。彼らは空中から忠誠を誓う公爵に対して見事な敬礼を捧げ、ベアトリスも彼らの練度が上がっているのを認めた。彼らは以前にベアトリスの前で失態を見せてから、祖国に帰って修行をしなおしていたはずだが、どうやらあれからの時間を有効に使っていたようだ。

 空中装甲騎士団の団長は、クルデンホルフの街を破壊していく怪獣を見据えた。動きはあまり速くないが、全身が猛毒のヘドロでできている以上、接近戦はできない。メトロン星人の無惨な白骨が、捕まったときの末路を想像してゾッとなる。しかし……。

「者ども、臆するでない。我らが命を預けてきた鎧と、鍛え上げた魔法の腕が毒から身を守ってくれようぞ。よいか、無為に近づかず、四方より魔法を浴びせ続けるのだ。奴が泥の塊ならば、千の破片に砕いてやれ。続け者共!」

 騎士団長の命令を受けて、空中装甲騎士団は飛竜の翼を翻して前進を開始した。一列に隊列を組み、一糸乱れぬ飛翔の見事さは、以前に彼らを叱りつけたベアトリスから見ても見事と感じるものであった。

 そして彼らは一列で円を作り、土星の輪のようにしてザザーンを包囲した。ザザーンと竜騎士たちとの距離はザザーンの手が届かないギリギリを計算しており、そこから騎士団長は指揮仗を振り下ろして命じた。

「撃てい!」

 たちまち、空中装甲騎士団の精鋭メイジたちは戦闘杖を振るい、分厚いプレートメイルを身に付けているとは思えない軽やかな動作からそれぞれの得意魔法を放った。

 赤、黄、青、他にも様々な光芒と共に火炎や雷、突風や氷弾が舞ってザザーンに突き刺さる。これぞ、空中装甲騎士団が汚名返上のために特訓した戦法のひとつであり、元はメイジがオークやトロルなどの大物を相手にする際、複数のメイジが一定の距離を保ったまま相手を包囲し続け、魔法で遠巻きに相手を弱らせていく戦術の拡大である。

 ザザーンは攻撃を受けて身もだえるが、ザザーンを中心に円を描いて回転しながら攻撃を続ける空中装甲騎士団は、常に反撃を受けない距離を保ち続けているのでザザーンの振り回した手には当たらない。

 そうするうちに、無数の魔法の炸裂でザザーンの体表が少しずつ削れ始めた。ザザーンの体表の海草が千切れ、本体のヘドロも砕けてザザーンの体が少しずつ崩れていく。

「ようし、いいぞ。いくら巨大な怪物でも、絶え間なく攻め続ければいつかは力尽きる」

 騎士団長は自信ありげに呟いた。ベロクロンのようなミサイルや火炎でも持っていれば話は別だが、見たところあの怪獣には飛び道具らしい武器はない。これならば、いずれ必ず勝てると空中装甲騎士団の騎士たちは確信を持った。

 だが、体を削られていくザザーンは、くるりと方向を変えると、そこにあった土石の精錬工場に覆い被さった。そして、工場に山積みにされていた廃棄物を取り込んで、さらに質量を上げてしまったのだ。

「大きくなった!?」

 空中装甲騎士団の隊員たちは、削った質量があっという間に元通りになってしまった様を見て愕然とした。

 そう、ザザーンはヘドロが集まってできた怪獣。体の元になるヘドロがあれば、それこそ粘土をくっつけるようにいくらでも体積をかさ上げしていける。そしてこの街には材料となるヘドロが町中にいくらでもあった。

 元気を取り戻したザザーンは、再びヘドロの体を揺らしながら前進を始めた。

 

「あいつは不死身なのか……!」

 

 自信を持っていた空中装甲騎士団も、ダメージをあっという間に回復してしまったザザーンには少なからぬショックを受けていた。体を削っても、体の材料になるヘドロはいくらでもある。空中装甲騎士団はいずれも優れたメイジであるが、魔法を使うための精神力はそう長くは続かない。

 下手な攻撃はこちらが消耗するだけ。しかもザザーンは土石入りの廃棄物を吸収したことで進化したのか、周りを飛ぶ竜騎士たちを巨大な目玉で見据えると、灰色のヘドロの体を揺らして体のヘドロを弾丸として撃ち出してきた。

「よけろ!」

 砲丸並みの大きさのあるヘドロの塊が飛んでくる。竜騎士たちは反射的に竜の手綱を引き、急旋回してかわした。

 しかし、大半はかわせたものの、完全にかわしきれなかったヘドロ弾が数発竜に当たってしまった。たちまち、その猛毒と強酸によって悲鳴をあげる間もなく骨となって溶け散る竜と、落下していく騎士たち。

 空中装甲騎士団は散り散りになり、ヘドロ弾の届かない距離にまで離れるので精一杯であった。

「なんという奴だ……」

 公爵や、空中装甲騎士団の騎士団長はザザーンの生命力に舌を巻いた。まるで、巨大なスライムだ。しかもスライムなら凍らせて固めるなどの方法もあるが、あの巨体を凍らせてしまうなど不可能だ。

 そうして手をこまねいているうちに、ザザーンはさらに汚染物質ミサイルを取り込んで巨大化し、次のミサイルの場所に向かい始める。近づくことさえ簡単にできず、多少削ったところで再生してしまう。

 どうすれば……だがそのときだった。次のミサイルを食らおうと前進しているザザーンの姿に、ティラがひらめいたように叫んだ。

「そうだわ! あのミサイルをエサに使えば、怪獣を町の外にまでおびき出せるかも」

 それは魅力的な提案のように思われた。怪獣を今すぐ倒すことはできなくても、少なくとも被害の軽減と避難の時間稼ぎはできる。

 公爵もそれを了承し、すぐに上空の空中装甲騎士団に伝達されて彼らは動き出した。

 しかし、巨体の怪獣が動き回るそれだけで街は破壊されていく。いてもたってもいられなくなったベアトリスは、自分にも何かできないかと苛立ったが、窓枠を掴む手をエーコに握られて諭された。

「我慢してください姫殿下。ここは騎士の方たちに任せて、姫殿下は見守っていましょう」

「ええ、わかってるわ」

 大将は動かずに、どっしりと戦況を見ているのが定石だ。全員で突撃していくアホな水精霊騎士隊と自分たちは違うと、ベアトリスは自分に言い聞かせた。

 ところがである。そうしようと思った矢先にティラが周りをきょろきょろ見回しながら動揺して言った。

「あ、あれ? どうしたのかしら、ティアがいないわ」

「えっ? そ、そういえばいつの間にかシーコも姿が見えない……も、もしかして」

 ベアトリスたちの背中に冷や汗が流れる。

「あの……バカ!」

 顔を青ざめさせてベアトリスたちは走り出した。公爵が引き止める言葉ももう耳に入らない。

 

 街は、混乱の巷と化し、その人の波を逆走してシーコとティアは走っていた。

「いくわよ! わたしたちで手柄をあげて、姫殿下にほめていただくんだから!」

「先輩、おーっ!」

 考えるより先に体が動くタイプのシーコと、考えるけれどもノリが優先のティアの緑髪コンビは、いち早く手柄を立てようと抜け駆けを狙っていたのだった。

 街は粉塵と硫酸ミストが漂って息をするのも苦しい。そんな中を、シーコの魔法で体を守りながら進む二人は、ミサイルではなくある場所を目指していた。

「ところでどこに行けばいいんだっけ?」

「町長の屋敷よ。たぶんそこに、あのメトロン星人がミサイルの制御装置を置いてるはず。それを使えば一気にミサイルを街の外に発射できるわ」

 二人は、その後ろからベアトリスたちが血相を変えて追ってきているのを知らずに急ぐ。

 確かに、彼女たちが考えていることを実行に移せば、空中装甲騎士団がミサイルを運び出すよりも確実にミサイルを処理することができるだろう。だが、彼女たちはまだ事態を甘く見て、二つのことを見落としていた。

 その一つは、ザザーンのヘドロから発生する毒素の強さは、近づくにつれて彼女たちの予想をはるかに超えて二人の体を蝕んできたのだ。

「こほっ、こほっ。先輩……目が、喉も」

「ティア、こほっ、わたしの魔法じゃこれ以上は……」

 町長の屋敷の近辺には高濃度の硫酸ミストが充満していて、魔法の防御程度で耐えられるレベルを超えてしまっていた。

 そしてもう一つは、彼女たち自身の心にあった。

 硫酸ミストに耐えかねて引き換えそうと試みるシーコとティア。彼女たちは必死に硫酸ミストの薄い場所を目指したが、その途中で倒れている老人を見つけた。

「ぐ、うう……」

「お、おじいさん、大丈夫ですか?」

 二人はまだ息のある老人を見捨てられず、二人で左右の肩に担いで避難しようと試みた。

 けれど、そうすればどうしても足は遅くなる。しかも硫酸ミストの濃度はどんどん高くなっていき、目を開けていることさえ苦しくなっていった。

 体力も奪われ、足取りは重くなり続ける。それでも、老人を放り出して二人だけならば逃げ切れただろうけれど、二人にはそれはできなかった。盲目的に使命や我が身を大事にはできず、困っている人がいれば情に流されてしまう。二人は、自分たちがそういう人間だということを忘れていた。

 足が鉛のように重い。だがそのとき、硫酸ミストの揺らめきの先から、ようやく追いついてきたベアトリスたちが姿を見せた。

「あなたたち、大丈夫? よかった、なんとか間に合ったわ」

 慌てて駆けてきたので、ベアトリスの二本にまとめた豊かな金髪は乱れて、顔もすすけてしまっている。そんな主人の必死な様に、シーコは「姫殿下のために頑張らなきゃいけないのはわたしたちですのに」と詫びたが、ベアトリスはシーコの頬をはたいて言った。

「バカ! 何度も言うけど、わたしは使える部下は欲しいけど奴隷はいらないのよ。さあ、早く逃げるのよ」

 君臨はするけど虐げたいわけではないと、主人の思いを受け取ったシーコとティアは、老人をティラとビーコに預けて頭を垂れた。

 さあ、あとはとにかく逃げなくてはいけない。エーコが先頭になり、ビーコは釣り目と顔を左右に振りながら、安全な方向を探した。

 だが、彼女たちが引き換えそうとした道には、黒い川がうねりながら立ちふさがっていたのだ。

「ヘドロが、もうこんなところにまで!」

 ザザーンの体から溢れ出たヘドロは道路を伝わってベアトリスたちの行く手を塞いでしまっていた。硫酸の煙を吹きながらうごめくそれは、生物を一瞬で溶かす猛毒の塊。とても突破できるようなものではない。

「別の道を!」

 迂回しようとひとつ前の十字路まで引き返した。しかしそこもヘドロが流れ込んできており、一行は完全に閉じ込められてしまった。

「ど、どうしよう。フライで跳ぶにしても、あんなヘドロの上なんか飛べないよ。ティラ、あなたたちの瞬間移動術は?」

「こんな人数を抱えてなんて無理ですし、なによりティアが……」

 十字路の真ん中で、ベアトリスたちは四方をヘドロに囲まれて孤立してしまった。空から空中装甲騎士団に拾い上げてもらいたくても、頭上には硫酸ミストが滞留している。

 逃げ場を失ったベアトリスたちに、ヘドロは四方からじわじわと近づいてくる。いや、ここだけではない。すでに街のあちこちでは無限に増殖し続けるヘドロによって逃げ遅れた人々が追い詰められていた。

 人間が、自分で作り出した汚物に呑まれようとしている。

 だが、人間はそのような愚かな面だけではない。目前に死が迫りながらも、ベアトリスたちは互いをかばいあい、はげましあっている。

「みんな、あきらめちゃだめよ。必ず、みんな揃って帰るんだからね!」

 自分の命の危機にあっても、自分以外の者を救おうという心を彼女たちは持っていた。

 そして、その尊い心を持ち、過ちを正そうというものがまだいることを示したとき、この地の人間たちのおこないをじっと見守っていた黒衣の女ジュリは、この人間たちを宇宙正義に照らして救う価値があると判断した。

 毒ガスの中に平然と立つジュリは、胸のブローチ・ジャストランサーを手に取った。その片翼の翼が両翼に現れ、溢れ出す光が彼女をウルトラマンジャスティスへと変えていく。

「シュワッ!」

 眩い光の中から降臨した赤い光の巨人。その名は宇宙の正義の守護者、ウルトラマンジャスティス。

 崩壊していくクルデンホルフの街の中に身長46メートルの巨体を現し、ジャスティスは街を見下ろした。その偉容を目の当たりにし、空中装甲騎士団の面々は鎧の下の顔を戸惑わせ、怪獣も巨大なエネルギーの出現を関知して立ち止まる。

 だがジャスティスは怪獣にも人間たちにも構わずに振り向くと、そのまま街の水源である運河の上流に向かって、突き出した拳から光弾を放った。

『ジャスティススマッシュ!』

 光弾は運河を破砕し、埋まった運河から溢れた水は街中へと流れ込んだ。まだ汚染されていない川水の奔流はヘドロを押し流し、慌てたベアトリスたちが魔法で数メイルだけ飛び上がってやり過ごした後には、ヘドロは洗い流されてきれいになくなってしまっていた。

「助けてくれた……ありがとう、ウルトラマン」

 飛沫で顔を濡らして呆然としながら見上げるベアトリスたちの前で、ジャスティスはゆっくりとうなづいた。

 一方、ヘドロ怪獣はジャスティスの巨大なエネルギーに反応して襲い掛かってくる。その姿は完全に海草が剥がれ落ちて、むき出しになったヘドロの体の上に海坊主のような巨大な頭部と、左右に割れたような形の巨大な両眼を持つ、元のザザーンとはかけ離れたおぞましい姿になっている。

 だが、ジャスティスは怯まない。自然の理から外れ、死と破壊を撒き散らすだけの化け物を消し去るべく、勇敢に巨悪を迎え撃つ。

「デェイアッ!」

 ジャスティスのハイキックがヘドロ怪獣の頭部を捉え、バランスの悪そうな大きな頭を大きく揺さぶった。

 さらに間髪いれず、ジャスティスは強烈なパンチを繰り出して、ザザーンの体にへこみを作り出す。ヘドロを撒き散らすザザーンの体だが表面は乾いて固くなっているらしく、打撃技が通用するようだ。

 しかし、ヘドロの体に打撃は効果が薄く、ザザーンはジャスティスを見下ろすほどの巨体についている大きな目でジャスティスを睨み、メトロン星人を白骨化させたように、その巨体でのしかかり攻撃を仕掛けてきた。

「シュワッ!」

 だがジャスティスもメトロンの無惨な最期は見ていた。同じ目に合ってたまるものかとバク転でのしかかりをかわして間合いをとる。

 やはり動きはそんなに速くはない。うかつに近づきすぎなければ飲み込まれることはないだろう。

 だが、打撃でダメージがいかないのではこいつを倒すことはできない。ならどうする……? ベアトリスたちや空中装甲騎士団が見守る中で、構えを取るジャスティスは動いた。

 先ほど、空中装甲騎士団が攻撃を仕掛けたときには表面を削ることはできたが、奴は減った質量を補充することで回復してしまった。ならば、一気にすべてを吹き飛ばすしかないと、ジャスティスはエネルギーを集中し、両腕から金色の破壊光線として撃ち放った。

『ビクトリューム光線!』

 これまで数々の怪獣を粉砕してきたジャスティスの必殺光線がヘドロ怪獣の体の真ん中を貫いた。

 いや、貫きすぎた。光線はヘドロの柔らかい体をそのまま貫通してしまうと、怪獣の体に大きな穴を開けて素通りしてしまったのだ。

「やったか! ……い、いや!」

 空中装甲騎士団は、大穴を開けられた怪獣の姿を見て喝采を上げかけたが、すぐに違うと気が付いた。

 並の怪獣ならそれで決着がついていただろう。だが、ヘドロ怪獣は体に大穴を開けられても、ヘドロの体に開いた穴をうごめかせると、粘土状の体を使って穴を塞いでしまったのだ。

 ベアトリスたちは、ウルトラマンの光線をまともに受けてもびくともしていない怪獣を見て愕然とした。あんな怪獣、どうやって倒せばいいというんだ?

 しかしジャスティスは、笑うように体を揺らすヘドロ怪獣を前に静かに構えを取り直した。冷静な目で相手を見据えて考える……この怪獣は弱い衝撃では吸収するか表面が削れるだけで、強い衝撃は貫通してしまう。正真正銘のヘドロの塊だということか。

 普通の攻撃では倒せない。ジャスティスは強敵を覚悟したが、ヘドロ怪獣はそんなことにはかまわず、一度は体に風穴を空けられた報復か、ヘドロの体を揺さぶって猛毒のヘドロの塊を弾丸として発射してきた。

「シュゥワッ」

 ジャスティスは身を捻ってかわすが、外れたヘドロ弾は建物に当たり、石造りのそれをドロドロに腐食させてしまった。

 むろんそれで終わらず、ヘドロ怪獣は道路の上を滑るように突っ込んでくる。ジャスティスは正面から受け止めるのを避けて、すれ違い様にヘドロ怪獣にパンチをお見舞いしたが、攻撃性とともに毒性を増したヘドロの体に触れた瞬間に、ジャスティスの拳は音を立てて溶かされてしまったのだ。

「フッ、オォォッ!」

 ジャスティスの右手から白煙が上がり、ジャスティスは右手をおさえて苦悶の声を漏らした。さすがにウルトラマンの体は触れただけで溶かしきられるということはなかったものの、皮膚を強烈に犯すその酸性はアボラスやムルロアの吐き出す溶解液のそれを上回っている。

 片腕を奪われたも同然のジャスティスに、ヘドロ怪獣はじりじりと迫っていく。これはまずいと空中装甲騎士団が援護の魔法を放つが、やはり表面のヘドロを少々削ぎ落とすだけでほとんど効果がない。

「おのれっ!」

 騎士団長はカイゼル髭を汗に濡らしながら吐き捨てた。ドラゴンでも皮膚を傷つければ弱るが、こいつはいくら表面を削ってもむだだった。

 ジャスティスが牽制で放ったジャスティススマッシュも、わずかな爆発で少しの間足止めするのが精一杯だ。

 その間にも、ヘドロ怪獣は街中の廃棄物や汚染物質ミサイルを取り込んでさらに巨大化していく。今でもざっと身長60メイル強、ジャスティスを軽く見下ろせるだけの体はさらに大きくなり続けている。

 どうすればこいつを倒せるんだ? 息の根を止めるためには、ヘドロの体を丸ごと消滅させるしかないが、強力な攻撃では貫いてしまうだけだ。ヘドロ怪獣は自分の体の不死身さに自信を持っているのか、巨体を無防備にじりじりとジャスティスに迫らせて来る。ジャスティスはヘドロをまともに受けないように後ずさりして時間を稼ぐので精一杯だ。

 すぐにでもなんとかしなくては。ジャスティスや空中装甲騎士団は懸命に打開策を考えた。ヘドロの弱点……しかし、戦いながらでは早々いい考えも浮かばないでいたとき、エーコがふと自分のツインテールについていた泥が乾いているのを見てつぶやいた。

「そうだわ、泥の塊なら乾かせばいいんじゃないかしら?」

 その言葉に、皆ははっと気がついた。そうだ、いくら猛毒のヘドロでも、乾いてしまえばただの土の塊にすぎないのではないか!

 しかし、口で言うのは簡単だが、実行するとなると簡単ではない。無茶を言わないでと、ビーコが苦言を漏らした。

「でも、あの山のような怪獣をどうやって乾かすのよ? 街に火でもかけろっていうの? そんなことしたら怪獣どころじゃなくなるわ」

 もっともだった。あのヘドロ怪獣に含まれる水分はそれこそ何万トンということになろう。それを蒸発させる熱源なんて火のスクウェアメイジ、たとえばキュルケが百人いたって用意できっこない。

 けれど、エーコの言葉でベアトリスは別の方法を思い付いていた。彼女は自分の親衛隊であった空中装甲騎士団の戦術はおおむね頭に入れている。火を使わなくても、自分の竜騎士たちならばできると、彼女は上空を旋回している騎士団長を魔法の光で気づかせると、そのまま信号を送って何かを伝えた。

「姫殿下、軍用の信号なんてよくご存知ですね」

「知らないの? 誘拐されたときのために、令嬢の間では隠れた必須知識なのよ。こんなことに使うことになるとは思わなかったけど、彼らなら……きっと」

 ベアトリスは一度は三下り半を叩きつけたものの、まだ空中装甲騎士団への期待を失ってはいなかった。これが成功すれば彼らの名誉挽回にもなる、がんばってねと心の中でエールを送った。

 そして、ベアトリスから策を授かった空中装甲騎士団は、ヘドロ怪獣を隊列で囲んで飛竜を高速で円運動させ始めた。

「怪獣め、我ら空中装甲騎士団が空の覇者であることを見せてやる」

 魔法は通じない。しかし、空中装甲騎士団の強さは魔法だけにあるわけではない。鍛えぬいた飛竜と騎士のコンビネーションからなる人騎一体の精鋭が、さらに一個の竜の群れとして狩りをおこなう鉄の統率力こそが最大の武器なのだ。

 高速で飛翔する数十騎の飛竜はその高速で空気を裂くことによって気圧の差を作り出し、気流の流れを生んだ。それはあのグエバッサーの竜巻ほどの勢いには及ばないが、強い風を発生させることによって、ヘドロ怪獣の表面から一気に水分を奪い取っていったのである。

「そっか! ものを乾かすなら火だけじゃなくて風っていう方法があったんだ!」

 シーコが、気づいてみれば簡単だったと手を叩いて言った。天気の悪い日でも風が強ければ洗濯物は早く乾くのと理屈は同じだ。

 ヘドロ怪獣の表皮は強くぶつかってくる風に水分を蒸発させられ、ヌメヌメした光沢がなくなって白い泥のようになってきている。いやそれだけではなく、ヘドロ怪獣自身も自分の体が乾いて崩れだしたことに慌ててもがきだしたのだ。

「やった! 効いてる、効いてるわ!」

「フフン、さすがクルデンホルフの誇る最強部隊ね。見直したわ」

 ベアトリスたちも、初めてヘドロ怪獣に効果的な攻撃ができたことに歓声をあげた。

 かつての失態から長く、空中装甲騎士団はついに名誉挽回に成功したのである。騎士団長は主君の期待に応えられたことに涙腺を緩ませながらも、部下たちに気を緩めるなと激を飛ばす。

「皆の者、ここが正念場ぞ! 我らの力で、祖国を荒らす怪物を葬り去るのだ!」

 騎士団長の声に、騎士たちも「おおっ!」と、強い士気を込めた叫びで答えた。

 ヘドロ怪獣の体からは、乾燥した泥が剥がれ落ちて少しづつ小さくなっていく。さらに空中装甲騎士団の作り出す突風の効果はそれだけではなく、街に飛び散っているヘドロも乾燥させ、ヘドロ怪獣が吸収しようとするのを防いでいる。そして自己再生が阻害されたことでヘドロ怪獣は苦しみだし、ジャスティスは体勢を立て直す間を持つことができた。

 見事な戦法だ。ジャスティスは空中装甲騎士団の活躍を見て、人間が知恵を駆使してウルトラマンが敵わないほどの怪獣に挑めるという良き可能性を感じた。

 ヘドロ怪獣は灰色の巨体を震わせ、濁った両眼をぐりぐりと動かしながら抵抗し、ヘドロ弾を自分の周りを飛ぶ空中装甲騎士団に向けて放っているが、空中装甲騎士団も同じ手を食うほど愚かではない。ひらりひらりとかわしながら、さらに風を送り続けている。

 このまま行けば奴をただの土の山に変えられる! ベアトリスたち、空中装甲騎士団、見守っている公爵やジャスティスも、このまま順調に進むことを願った。

 しかし、何万トンという質量を持つヘドロ怪獣の水分をそうすぐに抜き取ることは不可能だった。まだ体内に大量の水分を持つヘドロ怪獣はその質量をわずかに減少させはしたものの、まだ十分に余力が残っていることを認識すると、進路を変えて海に向かいだしたのだ。

「いけない、あいつ水を補充するつもりだわ!」

 ベアトリスたちは、ヘドロ怪獣の考えを悟って走り出した。海に入られてしまっては、今度こそ倒す手段が無くなってしまう。

 途中、街の外からおっとり刀で駆けつけてきた救助の衛士隊に助けた老人を預けて、ヘドロ怪獣の後ろ姿を見上げた。海に向かうヘドロ怪獣をウルトラマンも空中装甲騎士団もなんとか食い止めようとしていたが、やはりヘドロのつかみどころのない体を相手に苦戦を強いられていた。

「デュアッ!」

 ジャスティスのキックがヘドロ怪獣の乾いた体表を打ち、わずかに後退させた。だが、体表が乾燥したおかげで即座に溶かされることはなくなっても、やはり打撃では内部が軟体のヘドロ怪獣には数秒の足止めにしかなっていない。

 また、空中装甲騎士団は、回収したメトロン星人の汚染物質ミサイルをまとめてエサにすることで足止めしようと試みていたが、これもうまくいっていなかった。

「化け物め、お前の食い物はこっちだぞ。くそっ、なんで言うことを聞かないんだ!」

 もうヘドロ怪獣はミサイルに見向きもしなかった。確かに奴は飢えていたが、それ以上に渇きを覚えていた。

 海までの距離はすでに一リーグに近づいていた。空中装甲騎士団による風乾燥作戦は続いているものの、やはり決定打にはなっていない。表面が乾いても内部はいぜん健在で、身長もジャスティスよりも大きいままだ。

 それでもジャスティスはあきらめず、パンチやキックを連打して少しでも足止めをしようとしていたが、それを疎ましく思ったヘドロ怪獣は大きなヘドロ弾をジャスティスの顔に向かって吐き出してきた。

「グワアッ!」

 とっさに頭を振って避けようとしたが、大型のヘドロ弾は避けきれずにジャスティスは左目をヘドロに潰されてしまった。視力を半分奪われてジャスティスはよろめき、ヘドロ怪獣はあざ笑うかのように前進を続けた。

 食い止めきれない! 誰もがそう思ったときだった。ジャスティスは意を決してヘドロ怪獣に組み付いたのである。

「ジュワアッ!」

 ジャスティスの我が身を徹した突貫で、ヘドロ怪獣の進行が止まった。ジャスティスはそのまま両腕でヘドロ怪獣を抱え込んで抑えつけようとする。しかし、ヘドロ怪獣の体から発せられる強烈な毒素は容赦なくジャスティスの体を犯し始めた。

「グワアアッ!」

 ジャスティスの体から白煙が上がり、強酸が体を溶かしていく。カラータイマーは点滅を始め、ジャティスの全身には耐えがたい苦痛が走っていることだろう。

 しかし、それでもヘドロ怪獣の動きは止まった。その決死の行動に、騎士団長はこの機会を逃してはなるまいと、騎士団全員に死力を振り絞るように命じた。

「風を! もっと風を」

 空中装甲騎士団の翼も折れよとばかりの飛翔で、ヘドロ怪獣の体が乾いていく。このままジャスティスと空中装甲騎士団が力尽きるのが先か、ヘドロ怪獣が乾ききるのが先か。ベアトリスたちは、少しでも早くヘドロ怪獣が力尽きてくれるようにと必死に祈っていた。

 けれど、ヘドロ怪獣はその体積を削られながらもなおもかなりの余力を残していた。ジャスティスに組み付かれたまま、その体から強烈な酸を滲み出させると、周囲の地面を侵食していった。すると、ジャスティスの立っていた地面が沼のように波打ちだし、周辺の建物ごとジャスティスの足を取って沈ませだしたのだ。

「フオォッ!?」

 さすがのジャスティスも、いきなり足場が沈みだすなんて想定できるわけがなく、一気に腰までを沈められてしまった。もがくものの、その沼はヘドロが溜まったもので、もがくほど沈んでいく上にジャスティスの体をしびれさせて飛行する力さえも奪っていった。

「そんな、毒で地面まで溶かしたっていうの!」

 ベアトリスたちは愕然とし、空中装甲騎士団も、毒沼に落とされたジャスティスの姿をどうすることもできずに見守るしかできなかった。

 ヘドロ怪獣は毒沼の中でもがくジャスティスを見下ろしてあざ笑い、さらに海に迫っていく。もう距離は数百メイル、海に戻られたらヘドロ怪獣を倒すことは永遠にできなくなる。

 なにか方法は? 誰もがそれを考えた。だが、空中装甲騎士団の全力でなおも乾燥させきれないヘドロ怪獣をこれ以上乾かすような風や熱源なんて、この期に及んでどこにあるというのか?

 

 いや……ひとつだけ方法がある。ティラとティアは、パラダイ星人の自分たちならそれができると思った。だけど、それをやれば自分たちは……それでも、ふたりは顔を見合わせて笑いあった。

「ティア、これが最後になっちゃうかもしれないけど、いい?」

「水くさいわね、ティラ。あとのことは姫殿下がやってくれるわ。この美しい水の星を守れるなら本望だよ」

 覚悟を確かめあい、ティラの眼鏡とティアの八重歯が少し悲しげに光った。

 そしてそんな二人を、ベアトリスはこんなときになにをこそこそしゃべっているのかと叱りつけた。だが、二人はベアトリスに向かっていきなり深々とお辞儀をすると、あっけらかんと言ったのだ。

「姫殿下、今まで大変お世話になりました!」

 まるで別れのあいさつのようなその言葉に、ベアトリスたちは一瞬あっけにとられた。しかし、ティアとティラの二人はすっと顔を上げると、そのまま海へと走り出したのである。

「ま、待って! あなたたちどこへ行くの? そっちは、そっちは!」

 ベアトリスたちは慌てて追いかけたが、人間より身体能力に優れたパラダイ星人の二人には追いつけない。

 二人はなにをしようというのか? その先には、海しかない。ヘドロで汚染された、あの海しか。

 まさか、やめて、そんなことをしたらあなたたちは。だが二人はそのままヘドロ怪獣を追い越して波止場までたどり着くと、ためらいなく海へと飛び込んでしまった。

「ああっ!」

 ベアトリス、エーコたちの悲鳴があがる。茶色く濁ったこんな海に飛び込むなんて、自殺行為だ。二人はいったい何を? 何もできずに見ていることしかできないベアトリスたちの前で、ヘドロ怪獣はもう少しで海へと届くところまで迫り来ていた。

 けれど、ティラとティアは決して身を投げたわけではなかった。

 人間には不可能な速度で泳ぐ二人。ヘドロの海の毒が体に染みて痺れてくるが、そんなことはどうでもいい。そして彼女たちは沖合いまで来ると、泳ぐのをやめて海中で手を取り合った。

「やりましょうか、ティア」

「うん、今のあたしたちにできる全力で、やろう」

 手をつないだ二人を中心に、海が渦を巻きだした。彼女たちパラダイ星人の大人は、二人が合体することによって星獣キングパラダイに巨大化変身することができるが、まだ少女の二人にはそれはできない。それでも、水棲宇宙人として水と語り合うことはできる。

「ハルケギニアの海よ、そこに住むすべての命のみんな、わたしたちの声を聞いて。青い海を取り戻して、もう一度輝くために力を合わせて立ち上がろう!」

「人は過ちを知りました。今こそ海に住むみんなのために! わたしたちといっしょに、悪魔を打ち払う力を!」

 二人の祈りに応えるように海が動き出した。パラダイ星人は人間にはない超能力をいくつか使えるものの、未熟な二人にはまだ荷が重い。けれど、一部の人間が動物と心を通わせられるように、二人はこのヘドロの海でも懸命に生き残っていた魚などの海洋生物に呼び掛けて、クルデンホルフの広大な海に波のうねりを作り出した。

 その光景は陸地からもはっきりと見え、ベアトリスたち四人は海が生き物のように動いていくのを目の当たりにして息を呑んだ。 

 あれを、あの二人が? 海は嵐のように波を立てて、港につながれている船は木の葉のように揺れている。荒れ狂う海でヘドロ怪獣を飲み込もうと言うのか? けれど、そのくらいであの巨大なヘドロ怪獣を溶かしきれるのか? エーコたちはティラたちの考えを読めずに困惑した。

 そしてついにヘドロ怪獣は港の岸壁にまで到達した。荒れる海をまったく気にすることもなく飛び込もうとしている。

 もうだめか! だが誰もがそう絶望したその瞬間こそ、ティラとティアが待ち望んだタイミングであった。

「今よ、海のみんな!」

「波をひとつに、光をひとつに!」

 二人の呼び掛けに応えて、荒れ狂っていた海は動いた。今までの動きはただの慣らし、ティラとティアが狙っていたのは、波の高さと角度を揃えることによって太陽光を屈折させ、その照準を一点に集約させること。

 その瞬間……海は輝いた。

 

「うわあっ! まぶしい!」

 

 空中装甲騎士団は、海から発せられたとてつもない光量の輝きに目を焼かれてたじろいだ。それは、まるで海全体が太陽になったかのような輝きで、白い光が視界を満たし、目を開けてさえいられない。

 地上でもそれは同様で、ベアトリスたちもたまらずに目を覆っていた。

「あの子たち、海そのものを巨大な鏡に変えたっていうの?」

 エーコがツインテールの影から細めた目で覗きながらつぶやいた。水は光を通すが、ある角度にずらせば光を全反射する鏡となる。

 そして、湾内すべてから集められた光はその眩しさに増して焦点を絞り込むことによって、灼熱の太陽から生まれた力を一気にヘドロ怪獣に注ぎ込んだのである。

 刹那、ヘドロ怪獣からつぶれたカエルのような叫び声と共に噴火のような水蒸気が立ち上る。そして、そこから発生したとてつもない熱波は、まるで目の前に溶鉱炉があるような錯覚を空中装甲騎士団やベアトリスたちに覚えさせた。

「熱い! 燃えちゃいそう!」

 怪獣とは百メイル以上は離れているはずなのに、やけどしそうな熱が肌を焼いてくる。ベアトリスの白い肌は直火に照らされたように痛み、ビーコやシーコが体を傘にしてかばった。

 太陽光とは自然の恵みであると同時に、強力なエネルギーを秘めた破壊光線でもあり、虫眼鏡で集めるだけで簡単に紙や木を焼き切れるし、複数の鏡で集中させたら金属でも溶かせるほどの熱を持つ。

 この街の空は煤煙で汚されているが、それでも湾全体から集められた光は莫大な熱をヘドロ怪獣へと注ぎ込み、汚れた肉体を焼き尽くしていく。ティラとティアの命をかけた作戦は、この海全体を反射板にしてヘドロ怪獣を乾燥しつくそうというものだったのだ。

 けれど、汚染された海の中で長時間力を行使することはティラとティアの生命力を急激に消耗させていった。

「もう……そろそろ、いいかな」

「うん。きっと、姫殿下もほめてくれるよね……」

 力を失って、ふたりは海の底へと沈んでいった。それと同時に、鏡面化していた海面も収まってただの水面へと戻った。

 港の一角はあまりの高熱のために焼けただれ、わずかな時間の照射であったが、太陽というものが持つすさまじいパワーを人々の目に知らしめていった。

 しかし、ここまでのすさまじい高熱で焼かれながらも、ヘドロ怪獣はまだ生きていた。高熱で焼かれてレンガのように固まってしまった外皮を破って、中から一回り小さいヘドロ怪獣が這いずり出てくる。

「まだ生きているのか!」

 恐るべき生命力だった。ここまでやっているのに大きさを削るだけで精一杯なのだ。ヘドロ怪獣の本体は真っ黒いクラゲのようなつぶれた姿で這いずり、太陽光攻撃の残熱で動きを鈍らせながらも、なお海へと向かおうとしている。

 それでも大きさは最初の三分の一程度まで小さくなった。今なら勝機はあると、空中装甲騎士団の騎士団長は、炎と風を使った総攻撃を指示する。

『フレイム・ボール』

『ウィンド・ブレイク!』

 効果があると思われるありったけの魔法が竜騎士たちの杖から放たれてヘドロ怪獣をさらに削った。

 しかし、それでもまだ削りきれない。あと一歩、決定力が足りないのだ。長期戦で飛竜も騎士たちも疲れきり、これ以上の力は出せそうもない。

 でも、今しかチャンスはないのだ。皆が知恵と力を使いきってヘドロ怪獣を追いつめた。このチャンスだけは逃せない……ベアトリスは両手を握り、祈るようにつぶやいた。

「ウルトラマン……助けて」

 その声は、ヘドロの沼の中で苦しんでいたジャスティスの耳に届いた。そして、ジャスティスは助けを求める声を聞き、よくぞここまで戦ったと、人間たちの奮闘を心の中で称えた。

 ジャスティスはただ沼地に囚われていたわけではない。脱出に苦戦しながらも人間たちの頑張りは見届け、彼ら人間が自らの過ちに気付き、それを正すために必死になる姿を認めていた。

 今の人間たちは救うべき価値がある。いや、救わなければならない。かつてコスモスに教えられた希望と同じものを持っている人間たちのため、ジャスティスは決意した。

 だが、ウルトラマンの動きすら封じるヘドロの沼から脱出するにはどうすればいいのか? 乱暴な方法だが、これしかないと、ジャスティスはエネルギーを集中し、真下に向けて撃ちはなった。

『ビクトリューム光線!』

 大破壊力の光線が沼地を吹き飛ばし、ジャスティスはその反動をあえて制御せずにまともに受けることによって、一気に毒沼から脱出することに成功した。

 そして光線の反動で、飛ぶというより吹き飛ばされる形で後ろ向きに飛んで、ジャスティスは最後に空中でバク転しながらヘドロ怪獣の前に着地した。ヘドロ怪獣は地面に這いつくばりなから、毒々しい目玉でジャスティスを見上げてくる。

”ここを通すわけにはいかない”

 立ちはだかるジャスティスの目はそう言っていた。生命の価値は平等であるべきでも、他者に害を与えるものは倒さねばならないのだ。

 海への道を塞ぐジャスティスに、小さくなったヘドロ怪獣はカエルのようにジャンプすると、ジャスティスに飛びかかってきた。その体に残った毒素を使って、スライムのようにジャスティスを溶かそうというのだ。

「危ない!」

 誰もが叫んだ。だがジャスティスはヘドロ怪獣の飛びかかりを避けずにがっぷりと受け止めた。当然、強酸に焼かれてジャスティスの体が腐食される。しかしジャスティスはそれに構わず、そのまま空を見上げて飛び立ったのである。

「シュワッ!」

 ヘドロ怪獣を抱えたまま、ジャスティスは空高く上昇していく。

 いったい何を? ベアトリスたちは呆然とし、空中装甲騎士団の騎士団長は唖然としながらもウルトラマンの意図を察した。

「そうか、あいつを地上で倒しても小さな破片から生き返るかもしれない。だからウルトラマンは、奴を安全な場所まで運ぶつもりなのか」

 それでも、ヘドロ怪獣が二十メイル程度にまで小さくなった今でなければジャスティスでも持ち上げることは不可能だっただろう。ヘドロ怪獣はジャスティスに抱えられたまま、雲のはるか上の空へと運び去られていく。

 そして間もなくして、なにも見えなくなった空の一点が輝き、それがヘドロ怪獣の断末魔の叫びなのだと人間たちは知った。

「終わった……のか」

 疲れはてたように、騎士のひとりが言った。

 本当に……本当に恐ろしい相手だった。空中装甲騎士団はどんな敵でも決して恐れることはないと自負してはいるものの、もう二度と戦いたくない敵だった。

 しかし、あんな化け物が生まれたのは、元はと言えばクルデンホルフの人々が欲に駆られたから起きたのだ。空中装甲騎士団の団員たちは、それぞれ騎士として高い教育を修めた英才でもある。彼らは、今戦った怪獣がどうして生まれたのかを理解し、海を見ながら憮然として言った。

「あの怪物が、最後の一匹とは思えない。我々が水を汚し続ける限り、第二、第三の化け物がまた……」

 そんな日は遠くないかもしれない。そしていつかは、ウルトラマンでも倒せないようなとてつもない怪物が……。

 これは単なる始まりにすぎないのかもしれない。けれど、ひとまず今は戦いは終わった。ヘドロ怪獣の残った破片は完全に乾燥してはいても、後で念入りに焼却しなければならないだろうし、ヘドロで汚染されてしまった街の復興にも恐ろしく手がかかることを思えば気が遠くなるが、戦いだけは終わったのだ。

 けれど、ほっと息をつく空中装甲騎士団とは違い、ベアトリスたちは沈痛な空気に包まれていた。

「ティラ、ティア……」

 海を前にして、ベアトリスとエーコたちは力なくうなだれていた。クルデンホルフは救われた……でも、ティラとティアの二人は帰ってこなかった。

 ふたりが命をかけて動かした海は穏やかな波に戻り、何事もなかったかのように潮風を漂わせている。大きく海水をかき混ぜたことによって、少しだが海水が浄化されたようだった。でも、そんなことはなんの慰めにもならなかった。

「死んでいいなんて許可を出した覚えはないわよ。あなたたちがいなくって、どうしてわたしが喜べるっていうの……二人とも、ほんと馬鹿なんだから」

 大切な人を失うことの痛み。もう二度と味わいたくないと思っていたのに、もう誰も失わせないって、決めたのに。

 ベアトリスの澄んだ瞳から涙がこぼれ、小さなほおを伝ってこぼれていく。エーコたちも皆、涙を流していた。シーコなんか、大きな声を上げて泣いていた。

 それもすべては、クルデンホルフの人々が欲に目がくらんだせいだ。街ではヘドロ怪獣のために数多くの犠牲者が出たであろうが、どんなに富を集めたところで命は買えない。そんな簡単なことを忘れていたがゆえに、多くのものを失ってしまった。

 だが、いつまでも悲しんでいても始まらない。エーコはベアトリスの肩に手を置いて、立ち上がるようにうながした。

「さ、姫殿下、悲しんでばかりいてはティラたちに笑われますよ。行きましょう」

「うん……あれ? ねえ、あれ何かしら」

 ふと、ベアトリスが沖合を指差して、三人はそちらを見た。

 凪に近くなった海面の向こうから、小さな波が近づいてくる。魚? にしては大きい。まさか、まだヘドロ怪獣の生き残りが? 

「いけない! 姫殿下、お下がりください」

 とっさにビーコが前に出て杖を握った。彼女たちに扱える魔法なんてたかが知れているが、ティラとティアを失った以上、命に代えてもベアトリスを守らねばと三人は思った。

 だが、目の前にまでやってきた波はベアトリスたちの直前で大きなしぶきを上げて跳ね上がった。

「きゃあっ!」

 なにが起きたのかわからなかったが、目の前の海中から飛び出てきたのはヘドロ怪獣などではなかった、人間より一回り大きな魚? いや、そこから宙に流れるしなやかな髪を見て、ベアトリスはぽつりとこぼした。

「人魚……?」

 そして、謎の影は宙でくるりと一回転して海に戻り、その正体を知ったベアトリスたちは仰天した。

「シャチ……って、あなたたち!」

「えへへ、死に損なっちゃいました」

 なんと、大きなシャチの背中にティラとティアが乗せられていたのだった。

 なにがあったのかと、泣きながら問い詰めるシーコに、ティラは照れ臭そうにメガネをかけなおしながら答えた。

「あのとき、力を使い果たして死ぬと思ったんですけど、沈んでいく途中でこの子たちに救われたんです。この星の海の仲間たちに」

 まさに奇跡。いや、海を守ろうとするふたりの姿に海も答えたがゆえに起きた必然であったのかもしれない。

 シャチの背中からよろめきながら降りたティラは、駆け寄ってきたベアトリスたちにもみくちゃにされてしまった。

「ティラぁ、生きてたあ、よかったぁ!」

「ちょ、姫殿下、みんな、もう疲れてヘトヘトなんですから、やめてください」

「なによそんなの。泣き虫の姫殿下に心配かけた罰よ。もう勝手なことしたら先輩のわたしたちが許さないんだから」

 友の生還を喜んで、彼女たちは思う存分に泣いた。

 一方、シーコはティアのまたがっているシャチに近づいて、ワクワクしながら見つめていた。

「すっごーい、これシャチっていう生き物でしょ。ティア、あなたが友達にしたの?」

「へっへん、かっこいいでしょ。それに、かっこいいだけじゃなくてとっても頭もいいのよ。先輩、見ててくださいね」

 湿っぽいのが苦手な二人はもう遊び始めていた。ティアは疲労困憊のはずなのに、シャチにまたがりなおしたとたんに元気になってシャチといっしょに曲芸をはじめてしまった。

「ジャンプ!」

 ティアの合図でシャチはティアを乗せたまま大きく飛び上がった。そしてそのまま宙で一回転して水面に舞い戻り、激しく水しぶきをあげた。

 雨のようにしぶきが舞い散り、シーコだけでなくベアトリスたちまでずぶ濡れになってしまってティラの怒声が飛んだ。

「ティア! なにやってるのよ。姫殿下様たちに心配かけてしまったばっかりだってのに」

「ごめーん! でも、せっかく命拾いしたんだもの。しんみりするより遊ぼうよ! 新しい友達もできたんだしさ」

 そう笑い返して、ティアはまたシャチといっしょにジャンプした。その愉快な様子に、今度はシーコがはしゃぎながら「わたしも乗せて乗せて」と言って、いっしょに遊び始めてしまった。

 シャチに乗って、ティアとシーコの緑色の髪が濡れて舞い散る。そんな二人に、ティラとエーコが叱りつけようとしたが、ベアトリスがやんわりと引き留めた。

「いいわ、遊ばせておきなさいよ」

「姫殿下? でも、甘い顔をしたらあの子たちは調子に乗りますよ」

「いいのよ、今日くらいは。それに、あの子たちが笑ってることもできないような世の中じゃ寂しすぎるじゃない。生きてるからこそ、笑えるんだから」

 その言葉に、エーコたちも「仕方ないわね」とため息をつきながら苦笑した。

 そう、人が笑えなくなる世界なんてものがあれば、それはきっと地獄というに違いない。なぜなら、笑えるということは幸せを感じられるということで、幸せなしで生きてなんの意味があるだろう。

 ティアとシーコは友達になったシャチといっしょに、海原の上でおもいっきり遊んだ。

「よーし、次は三回転にチャレンジよ」

「わーい! ゴーゴー!」

 水しぶきをあげて宙を舞うシャチと、ふたりの少女。水しぶきが小さな虹を作り、まるで人魚の姉妹が楽しそうに遊んでいるように見えた。

 まだ決してきれいな水であるとは言えない。しかし、自然の生き物の生命力というものは人間の思うより強いようで、ふたりの笑い声に誘われるように別のシャチも集まってきて、数匹でダンスを始めた。

 まるで人魚姫のカーニバル。それを眺めて笑いながら、ベアトリスは思った。このダンスが終われば、シャチたちはまた遠い海に帰って行ってしまうだろう。けれど、シャチだけじゃない。いろんな生き物が戻ってこれる、元のきれいなクルデンホルフの海を取り戻そうと。

「青い空を取り戻したら、青い海を取り戻したら、今度は学院のみんなも呼んでいっしょに遊びましょう。そしていつか、エルフの都にも負けないすごい街を、ここに作ってみせるわ」

 みんながハッピーになれる未来を創る。そんな夢をベアトリスは抱いた。

 発展を目指すことは悪いことではない。話に聞いたエルフの首都アディールは、自然と大都市が調和した素晴らしい景観を築いているという。

 しかし、欲が行き過ぎて発展の速度を上げすぎると、その歪みは人間に牙をむく。人間の可能性は無限大だが、力は大きくなればなるほど諸刃の剣となって自分に返ってくる。自制という言葉を知らず、自分の力を過信して自滅した人間の汚名は後世の人間たちの反面教師として嘲笑されるだけだ。

 ベアトリスも、いつまでも純粋な気持ちを保ったまま歪まずに大人になれるとは限らない。無数の愚者たちと同じ道に滑り込むかもしれない。

 それでも、未来は不確定であり無限大だ。それに、今のベアトリスの周りには、苦楽を分かち合う仲間がいる。自分の野心だけではなく、彼女たちの幸せを願う心がある限り、夢は濁りはしないだろう。

 いつの日か、澄んだ水と空の下で、少女たちが人魚のように遊ぶ日がこの地に戻ってくる。その道は険しくとも、人間たちは水を汚す愚かさを悟ったのだ。

 

 いつしか、ベアトリスやエーコたちもティアやシーコといっしょにシャチたちと戯れていた。

 その様子を、ジュリは遠くから傷ついた体を推して見守っていたが、やがてふっと消えていった。

 

 

 クルデンホルフを襲っていた危機は去った。だがトリステインに迫るガリアの脅威はまだ消えていない。

 皆が笑って過ごせる平和は戻るのか。戦いはまだ、これからなのだ。

 

 

 続く

 

 

 

 

【挿絵表示】

 


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