第30話
ガリア花壇の赤い花 (後編)
宇宙魔人 チャリジャ
宇宙大怪獣 アストロモンス
ウルトラマンティガ 登場!
ウルトラ兄弟のいる地球とも、ハルケギニアとも次元を隔てたある世界に、もう一つの地球がある。
そこは、我々のいる世界とよく似ていて、怪獣や宇宙人が現れ、人間がそれに立ち向かっていく。
しかし、怪獣たちの脅威はときに人の力を上回る。
そんなとき、その世界にもまた人類のために戦う光の戦士がいた。
超古代の遺伝子を受け継ぐ青年、マドカ・ダイゴは三千万年前の光の巨人の力を受け継ぎ、闇の力に立ち向かう。
力の赤と、速さの紫をその身にまとって、いかな敵にも屈しはしない。
その名は……ウルトラマンティガ!!
「ショワッ!!」
街影から望む朝日を受けて、今ティガがハルケギニアの地に立ち上がった。
迎える敵は、宇宙大怪獣アストロモンス、かつては超獣を倒したこともある超強力な大怪獣だ。
「フッフッフッ……やはり来ましたね、ウルトラマンティガ」
アストロモンスの肩あたりに、チャリジャがいつの間にか浮かんでいた。
「……!」
「1965年の世界では、あなたとウルトラマンのおかげでヤナカーギーがやられてしまいましたが、今度の怪獣もけっこう強いですよ」
彼らは、ここに来る以前に、地球の過去の時代にタイムスリップして戦っていた。そこで、チャリジャの復活させた宇宙恐竜ヤナカーギーは倒され、元の時代に戻る途中にチャリジャの時空移動にイザベラの魔法が干渉し、ダイゴはそれに巻き込まれてしまった形になる。
チャリジャがなにを考えているのかはいまだにわからないが、このまま怪獣を次々に復活させられてはかなわない。こいつはここで倒す!
「では、か弱いわたくしはこのあたりで失敬します。頑張ってくださいね」
チャリジャはドロンとテレポートして消えた。
残されたアストロモンスは、右手のムチと左手の鎌を振りかざして雄たけびをあげる。
「デャッ!!」
ティガも右手を前にして構え、アストロモンスに向かっていく。
先手はティガ! 振り下ろされてきたムチをかいくぐったミドルキックがアストロモンスの脇腹を打ち、巨体を揺さぶる。
けれど、宇宙大怪獣にとってその程度の打撃はたいしたダメージにはならない。むろん、ティガもこれくらいで倒せる相手だとは思っていない。
ティガはアストロモンスが斬りつけてきた鎌を白刃取りのように受け止めて流した。さらに至近距離から膝蹴り、ひじ打ちを叩き込む。
「タアッ!」
流れるような連続攻撃が巨大怪獣の体を打ちのめしていく。
その勇姿に、避難しかけていた人々も振り返って熱い声援を送り始めた。
ウルトラマン、かつて壊滅しかけていたトリステインに現れて以来、幾度となく異世界からの侵略者と戦い続けている謎の巨人。
トリステインからガリアに移ってきた人々は、あれはトリステインに現れたエースとは違うと主張したが、正体がなんであれ、人間のために戦ってくれているのは間違いない。
「テァッ!」
怪獣の突進してくる勢いを利用して、合気道のようにこれを投げ飛ばす。
確かに体格ではティガはアストロモンスより一回り小さいものの、その代わりに格闘テクニックと俊敏さでは負けていない。その攻撃の先を読み、最適の反撃を繰り出していく。
だが、アストロモンスもチャリジャが駆け回って探してきた怪獣だ。右手のムチをでたらめに振り回し、近づけさせないようにしながらティガの体を乱暴に痛めつける。
「グッ……」
ガードしててもその上から衝撃が伝わってくる。中距離ではリーチの差でティガが不利だ。
が、そのとき突然アストロモンスがムチでの攻撃をやめた。
「いまだ! 奴はスキだらけだぞ」
人々からいっせいに歓声があがる。どうしてか、奴はムチも鎌もぶらりと垂れさがらさせていてスキだらけだ。今なら奴のどこであろうと攻撃しほうだいに見えたが、ティガはそれを躊躇した。あまりにも無防備すぎる。
これは、誘いだ!
「ダッ……シャッ!」
ティガは一歩だけアストロモンスに近寄ると、間髪入れずに後方へバック転で飛びのいた。
すると、奴の腹の巨大な花の中央部から真っ白な煙が噴出してティガに襲い掛かった!!
「セァッ!!」
ギリギリのところでその煙をかわしたティガの目の前で、煙を浴びた草花や建物の残骸が水をかけられた紙細工のようにドロドロになって溶けていく。強酸性の溶解液だ!
間合いをとって、油断なくティガはアストロモンスに向かって構える。懐に飛び込めばこちらが有利だが、あのムチと鎌、さらにこの溶解液ではもう簡単に近づかせてはもらえまい。
対してアストロモンスは、近づけさせなければ有利だと学習し、ムチを振り回しながら猛然と迫ってくる。
「……」
ティガは逃げずに、向かってくるアストロモンスをじっと見据える。
そして、両者の距離が一足の間合いとなり、巨大なムチが高く振り上げられたとき、ティガはひざを突き、両手を胸の前でX字に揃えた。
「あっ!」
人々は、一瞬後に起こるであろう惨事を予感して、ある者は目をそらし、ある者は目をつぶった。
しかし、視線をそらさずにティガを見つめ続けていた人たちはまったく違う展開を、その生涯の記憶に焼き付けた。
ティガの胸の金色のプロテクターが一瞬輝き、両手が水平に押し出されると、そこから三日月形の光の刃が飛び出した!!
『ティガスライサー!』
それは振り下ろされてくるムチの真ん中を捉えると、大根のようにスパッと巨木ほどの太さがあるムチを輪切りにしてしまった。
「タッ!」
ムチを失って慌てふためくアストロモンスに、ティガの猛反撃が開始された。
一気に距離を詰めてハイ、ミドル、ローキックを打ち込み、ジャンプして頭にチョップを打ち下ろす。
「タァッ!」
さらにふらつくアストロモンスのどてっぱらに向けて、渾身のパンチを送り込む。
だが。
「ヘヤッ!?」
アストロモンスの腹の花の中央部に命中したパンチが抜けない。
いや、それどころかティガの腕が花の中へとズブズブと呑み込まれていくではないか!
「ウァァッ!!」
これこそ、アストロモンス最大の隠し技。かつて出現した個体が超獣オイルドリンカーを丸呑みしてしまったように、奴の花はもう一つの口となっているのだ。
「ああっ、ウルトラマンが喰われる!」
ティガはふんばるが、奴の吸引力のほうが強い。このままでは人々の悲鳴のままに、ティガはアストロモンスのエサにされてしまう。
アストロモンスはこれで勝利を確信したのか、小気味良く喉を鳴らしてひじまで呑み込まれてしまったティガを見下ろしている。
だが、そのとき!!
「ヌゥゥ、デャァッ!!」
ティガの額が輝いたかと思うと、その身を包んでいた色が一瞬にして真紅に変化した。
『ウルトラマンティガ・パワータイプ』
これこそティガの真骨頂 『タイプチェンジ能力』 ティガは戦況に合わせてバランスの基本形態から、力とスピードの二つの形態に自在に変化することができるのだ!
そしてこれがその一つ、無双の超怪力を発揮する赤のパワータイプだ。
燃えるような赤に身を包んだティガは、腕が呑み込まれた状態のままアストロモンスの巨体を軽々と持ち上げると、自身をコマの軸に見立てて大きく回転しはじめた。
「ダァァッ!!」
回転で強烈な遠心力が加わって、風車のようにアストロモンスの巨体が回転する。
それは普通に引き抜くよりも強いパワーを与えただけでなく、回転によってアストロモンスの三半規管を麻痺させ、吸い込む力を弱めさせた。
「ダアッ!!」
一気に勢いを加えた瞬間、遂にティガの腕がアストロモンスの花から吐き出された。
それと同時に回転軸を失った羽根の部分は、遠心力に導かれるままに放り出されて庭園の芝生の上に転がった。着地で巻き上がる土煙と砕かれた草木が宙を舞う、しかしアストロモンスは回転で酔いながらもまだ起き上がってくる。
だがそれを見逃すティガではない。奴が反撃できない隙に駆け寄って、奴の左手に残った巨大な鎌を両手で掴み、それを勢い良くひざに叩きつけると、大鎌は枯木が折れるような音を立てて真っ二つにへし折れた。
アストロモンスは自失していたところに、左腕をへし折られたショックで強烈な悲鳴をあげる。
これで、もう奴に武器は腹からの溶解液しか残っていない。それとて、至近距離で真正面にいなければ喰らいはしない。距離をとってティガはとどめの体勢に入った!
「セヤッ!!」
ティガが両手を下向きに広げると、赤熱するエネルギーが両手を上に上げるに従って集まっていく。そして頭上に掲げられたときには太陽のように真赤に燃える球体となって、ティガはそれを投げつけるようにアストロモンスに向けて発射した!!
『デラシウム光流!!』
炎のボールは燃え盛る炎の河となってアストロモンスに向かう。
しかし、命中直前アストロモンスはその巨体のどこにそんな力があるのか、鳥のように羽ばたいて空に飛び上がっていってしまったではないか。
逃げる気か!!
誰もがそう思った。両腕を失い、怪獣にもう巨人に勝つ術はなくなった。ならば余力があるうちに逃げ去るしかない。
翼もないその図体からは想像もできないが、アストロモンスはなんと空中をマッハ三もの超スピードで飛行する能力を持っている。このままでは逃げられてしまう。
ティガの飛行速度はパワータイプで同等のマッハ三。すでに戦い始めてから相当時間も経ち、ティガの活動制限時間である三分に近づき、カラータイマーも点滅を始めている、このままでは追いつけない。
ただし、そのままであるならば。
「ハッ!!」
両腕を額の前で交差し、額の輝きと同時に振り下ろすと、今度はその身を包む色が赤から一瞬にして紫に変化する。
『ウルトラマンティガ・スカイタイプ』
力のパワータイプから素早さのスカイタイプへ、タイプチェンジによってティガに対応できない戦場などない!
「ショワッチ!!」
俊敏性を最大まで高めた姿でティガは飛翔した。この姿のときの飛行速度はマッハ七、あっという間にリュティス上空でアストロモンスの背後に追いつく。
その風を切り、朝日を浴びて輝く勇姿に、目を覚ましたリュティスの市民達も空を見上げて見とれる。
「みんな、空を見ろ!」
「怪獣、それに……」
「ウルトラマン!!」
たとえ地球でもハルケギニアでも、光の巨人が人々の希望であることに違いは無い。
「シャッ!!」
圧倒的なスピード差でアストロモンスの上空に出たティガは、天空から急降下キックを奴の背中におみまいした。
見事命中、背骨を逆向きに強制的に変形させられて、裂けた口から苦悶の声があがる。
だが、ティガはうかつに奴を撃ち落すわけにはいかない、下は市街地、墜落すれば甚大な被害が出る。
ティガはアストロモンスの真後ろにつけると、奴の背後から狙いをつけて、右手から青白い光線を放った!
『ティガフリーザー!!』
冷凍光線が奴の下半身から瞬時にして氷付けにし、行動の自由と飛行能力を奪う。
そして墜落していくアストロモンスを空中で受け止めると、そのまま力いっぱい宮殿の方向へ向かって投げ飛ばした。
「デャァッ!!」
クルクル回転しながらアストロモンスは隕石のようにヴェルサルテイル宮殿の庭園に落下し、荒れ果てていたそこにさらに巨大なクレーターを轟音とともに新造した。
しかし、それでもまだ奴は生きていた。
墜落のショックで氷が砕け、全身ボロボロになりながらもまだ起き上がってくる。
恐るべき生命力……そう、生物を超えた生物、それが怪獣なのだ。
その目の前に、ティガは昇り行く朝日を背に浴びながらゆっくりと降り立ち、正面で両腕をクロスさせ、かけ声と共に三度その姿を変えた。
「ハッ!!」
それは、最初にティガが現れたときの、銀色の体に赤と紫を併せ持つティガの基本スタイル。
『ウルトラマンティガ・マルチタイプ』
そしてティガはアストロモンスを見据えると、両腕を素早く正面に向かって突き出した。
一瞬の閃光。さらにその腕を左右両側に向かってゆっくりと広げていくに従って、ティガのカラータイマーに向かって白い光が集まっていき、両腕を完全に開き終えたとき、光の力は極限まで高められ、ティガの最強必殺光線の準備が整った。
「デヤッ!!」
瞬間、L字にクロスさせたティガの右腕から、白色の光線が放たれる!!
『ゼペリオン光線!!』
光のエネルギーが奔流となってアストロモンスに吸い込まれていく。
数々の凶悪怪獣を葬ってきた光の鉄槌の前には、いかな宇宙大怪獣とて耐えられない。わずかな断末魔を残した後、注ぎ込まれたエネルギーの内圧によって、瞬時に粉々の破片となって爆散した!!
(やった……)
微塵に粉砕された怪獣の破片が朝日に輝いて、雪のように風に乗って飛んでいく。
ティガは、ウルトラマンの勝利に湧く人々の歓声を背に受けて、天空を目指して飛び立った。
「ショワッチ!!」
人の意思は、時に人に知られずにすれ違っていく。
庭の片隅をひょこひょこと逃げてゆく白塗りの似非紳士の前に、ガッツスーパーガンを構えたダイゴが立ちふさがっていた。
「追い詰めたぞチャリジャ、これ以上この世界で好き勝手はさせない」
「うーん……あの怪獣にはちょっと自信があったんですが、さすが強いですねウルトラマンティガ……ですが、ちょっと相談なんですけど、ご存知の通り、この星で何をしようが地球には影響はありません。ですから、あなたを地球の元の時代に送り届けて差し上げますから、わたくしを見逃してはいただけないでしょうか?」
チャリジャの持ちかけた取引に、しかしダイゴは断固として言い放った。
「だめだ、どこの星の人間だろうと、平等に平和に生きる権利がある。その平和を乱そうとしているお前を許すわけにはいかない!」
「……ですよね、仕方ありません。少し惜しいですが、この星ともそろそろお暇しましょう。お土産も充分にいただきましたし」
チャリジャが脇に抱えたトランクケースを開けると、そこには様々な形のカプセルや、何かの種、用途不明な機械がぎっしりと詰まっていた。
「そいつは、まさか!」
「ご明察、私は怪獣バイヤーですからね。元手がかからずにこれだけ商品が集められて幸せいっぱいです。さて、それではお先に失礼します」
トランクの中の装置のボタンがポチリと押されると、チャリジャの周りの空間が水飴のようにぐにゃりと渦を巻いて歪み始めた。
ダイゴはとっさに引き金をしぼるが、ビームは空間の歪みに吸い込まれてチャリジャに届かない。
「では、さようなら」
「待て!!」
チャリジャの姿は、渦の中に吸い込まれるように消えて行き、後を追ってダイゴも歪みの中に飛び込んでいった。
ハルケギニアに二人の姿は消滅し、空間の歪みもそれを見どけるようにして消えた。
その後、ダイゴは元の世界に帰還し、直後に南太平洋に復活した超古代遺跡ルルイエで邪神ガタノゾーアとの最後の戦いに望むことになる。
彼が、ハルケギニアでのわずかな時間の出来事を思い出すことになるのは、それからしばらく後のことである。
しかし、そのほんの一時は、カステルモールを初めとするガリアの人々にとっては生涯忘れえぬものとなって記憶に刻み付けられていた。
「以上が、私が見聞きして、可能な限り調べ上げたこの事件の概要です」
戦いから半日が過ぎて、日も傾きかけたグラン・トロワの一室で、タバサはカステルモールからヴェルサルテイル宮殿を襲った怪獣と、それと戦ったウルトラマンの話を聞かされ終わった。
話は、ダイゴに関することが入っていなかった以外はおおむね事実に則するものだった。イザベラが召喚した不思議な怪人物と、そいつが持ってきた球根。その直後に庭園に出現した食肉植物と、一連の出来事がその怪人物からつながっていることは明確に読み取ることが出来た。
「それで、その怪人は?」
「はっ、その後四方手を回していますが、発見されておりません。王女殿下もあの様子ですし、すでにどこかに逃げ去ったものかと思われますが……」
実際に、花壇騎士の攻撃をものともしない相手だけに、捕まる可能性は低いだろう。その件はそれ以上の期待はできそうもなく、これは相手の出方を待つしかない。それよりも、当面問題なことは目の前にあった。
「わかった……けど、あれはどういうことなの?」
ドアをわずかに開けて、二人は室内にいるイザベラの様子を覗き見た。
そこにはベッドの上に腰掛けて、ぼぉっと宙を眺めている彼女の姿、しかしその目は虚ろで焦点が定まっておらず、ときおり思い出したように……
「ダイゴ……さま……」
と、うわ言のようにつぶやいていて、こちらが何を言ってもまったく応答がないばかりか、顔中まるで熱病にでも侵されているように真っ赤にほてっていて、タバサには訳がわからない。
しかもそれに混ざってときたま、「ああっ!」とか「胸が熱い……」とか意味不明なことを口走ってはベッドの上でもだえていて、正直気味が悪いことこの上ない。
「まさか……毒でも盛られた?」
タバサは一瞬母を狂わせた水魔法の毒薬のことを思い出した。イザベラに同情する義理は無いが、もしそうだとすれば由々しき事態だ。けれどカステルモールはなぜか微笑を浮かべながら首を横に振って。
「いいえ、あれはもっと重くてやっかいな心の病です。しかも、誰でも一度は経験するね……はは」
そう言うカステルモールがイザベラを見る目は、以前と違って『人間』を見るものであった。
怪獣が倒された後、庭の片隅でボロボロの有様になったイザベラが発見されたとき、彼女は気絶しながらも、誰のものともわからないハンカチをしっかりと握り締めていた。しかも、体のあちこちにつけられていた傷は手当てされており、誰かが彼女を助けたのだということはすぐにわかった。
この宮殿にイザベラを助けようなどと考える者は一人もいないはずだ。なのにいったい誰がこんなに丁寧な手当てをしていったのか……余計なことをと、彼女を恨む者達は思ったが、そのときイザベラがすうっと目を開いた。
「あんた……は?」
「!! ……はっ、東花壇騎士団長カステルモール、ただいま姫殿下をお救いに参上いたしました」
目の前にいたカステルモールは驚いたが、とりあえず本心を押し殺して東花壇騎士団長として形式通りの挨拶をした。
しかし、イザベラはぼおっと自失したままで、人形のように反応しようとしなかった。
「姫……様?」
もしかして恐怖のあまりおかしくなられたのか? と、彼が思ったとき、イザベラはそのとき誰一人予想できなかった行動を起こした。
「助けに……来てくれた……ほん……とうに…………うっ、うえぇぇぇん!!」
なんとイザベラは突然目に大粒の涙を浮かべると、まるで幼児のように大きな声をあげて泣き出した。
「ひっ姫様!?」
今度は、騎士達が茫然自失することになった。てっきり何故もっと早く助けに来なかったなどと金切り声を上げて叱責されるものと予想していただけに、まるで幼児のように泣き喚く彼女の姿は、とてもあの傲慢な女と同じ人間だとは信じられなかったとしても仕方が無い。
「怖かった、怖かったよお……でも、でも本当に助けにきてくれたんだよな……」
極限状態の中で、心を覆っていた虚栄の皮がはがされて、ただの小さな子供だけがそこにいた。
カステルモールは泣きじゃくるイザベラの背中を優しくさすってやった。
彼も、彼の部下達も大切なことを忘れていたことに気がついた。
いくら王女であろうと、いくら捻じ曲がっていようと相手は子供。自分達は簒奪者の娘、王女と家来の関係だからと彼女の行動を正そうとはまったくしてこなかった。子供の尻のひとつも叩いてやれないで何が大人か、確かにイザベラが性悪だったのは間違いない。しかしそれを助長し、ここまで育ててきたのは自分達だ。
やがて泣き疲れて彼女が眠ってしまうと、彼はその身を抱きかかえると、寝室まで丁重に運んだ。
けれど、目を覚ました後にイザベラはあのとおりに誰かの名前を呼ぶばかりで、別人のように呆けているばかりだ。
「重くて……やっかいな病?」
「恋の病ってやつですよ。しかも、極めて重度のね……まぁ、間違いなく初恋でしょうから、強烈ですな」
「……」
タバサには、それは理解の外にあるものだった。いつもキュルケが隣でうるさく講義しているから、知識として頭にはあるが、その人のことばかり頭に浮かんで他のことが考えられなくなるなどこれまで一切経験がなかった。
それにしても、それはあの非人間の見本であったようなイザベラをここまで変えて、さらに周りから見る目までも変化させてしまうものなのだろうか。
「……どうすれば、治るの?」
「時間にまかせるしかありませんな。そのうち熱も冷めるというものでしょう……しかし、我らは正直ほっとしてるのです。あのイザベラ様に、こんな人間らしい……いや、可愛らしい一面があるのだと……」
「……」
複雑な思いをタバサは抱いた。あのイザベラでさえ人間らしいというのなら、果たして自分はなんなのだろうかと。
「シャルロット様も、生きている限り必ずお分かりになる日が来ますよ……イザベラ様が今後どう変わっていくのか、それとも何も変わらないのか、それはまだ分かりませんが、しばらくはあなた様の元に無茶な指令が行くこともなくなるでしょう。王宮は、我らが責任をもってお守りしますので、あなた様はしばしお休みくださいませ」
そう言いながらも、カステルモールは心に迷いが生まれるのを感じていた。これまで彼をはじめとした大勢のオルレアン派の者達は、いずれ簒奪者である現王と、その娘であるイザベラを追放してシャルロットを王座に迎えようと考えていたが、あの泣き顔を見たあとで、果たして自分はそれをできるだろうか……
しかし、事態は彼らの思惑とは別に、さらに悪いほうへと動こうとしていた。
グラン・トロワのさらに深奥、花壇騎士でさえ立ち入れない薄暗い一室に、薄笑いを浮かべた一人の男がいた。
「人を超えた巨人の力か……なかなかに興味深い……そうは思わんか、余のミューズ?」
その男は、青い髪の下の暗く淀んだ瞳を細めて、水鏡に映し出されたティガとアストロモンスの戦いの記録を見ていた。
「おっしゃるとおりです……その力、手に入れば大望の成就のこの上ない力となりましょう。ですが、求めて手に入るものでもないかと……この力は人知を超えております」
男の背後から、黒いローブに身を包んだ女性の声が響いた。しかし、男は顔色ひとつ変えずに、なおも低い声で言った。
「だろうな……この力は仮にエルフどもの力を借りたとしても及ぶまい。まさに神の領域、しかし……だからこそ手に入れたいものだ」
まるで高価なおもちゃを親にねだる子供のように、男は見ようによっては無邪気にも、見ようによっては欲深い暴漢のようにも見える顔で、包み隠さずに本心を吐き出した。
すると……
「では、少々お手伝いいたしましょうか?」
「誰だ!?」
部屋の片隅の暗闇から、突如響いた軽口の言葉に、黒いローブの女性はとっさに身構えた。
「ほっほっほ……いえいえ、怪しい者ではございません。わたくし、こういうものでございます。どうかお見知りおきを……」
「……ほう、面白い……余に力を貸そうというのか……見返りはなんだ?」
「特に……ただあなたの領内でのわたくしの行動の自由さえくだされば……いや、やっぱりこの世界はあきらめるには惜しいですからね」
「ふ……よかろう」
かつて、手に余る力を手にしようとした者達が辿った運命、それを彼らはまだ知らない。
けれど、運命の歯車の行く手を知りえる者は、善にも悪にも一人も存在しない。
このガリアでの事件も、ハルケギニア全てを覆う流れからすれば、ほんの一部の出来事でしかなかった。
時を同じくして、ガリア、そしてトリステインからも北方に遠く離れた巨大な浮遊大陸国家アルビオン……その巨大な都市郡はおろか、にぎわう町々や、王軍と反乱軍との戦場からも離れた深い森の奥。そこにも、始まりの時は訪れようとしていた。
深い森の奥の道なき道を、五才くらいの幼い少女が一人で息を切らせて走っていた。
その後ろからは脂ぎった顔を血走らせて、手に手に凶悪な輝きを放つ刀や斧などを持つ男達、一目見て傭兵崩れか盗賊だとわかる風体の者達が追ってきていた。
「待てこのガキ!! てめえをとっつかまえりゃ、あのみょうちくりんな術を使う小娘に人質に使えるんだ。殺しゃしねえから黙って捕まりやがれ!!」
彼らはつばを吐き散らし、口汚い言葉を吐き出しながら、藪の中を掻き分けて少女を追っていた。
平らな場所であったら、鍛えた彼らは簡単に少女を捕らえられただろうが、藪や木立が密集する森の中では小柄な少女でもなんとか逃げれていた。
しかし、それでも体力は差がありすぎる。次第に少女は追い詰められていった。
「ぐすっ……テファお姉ちゃん」
少女はそれでも捕まるまいと、半べそになる自分を励ましながら走った。
木の実を多くとって仲間達を喜ばせてやろうと、うっかり森の奥に入りすぎてしまい、運悪く野盗の集団と出くわしてしまった。これで捕まってしまっては、自分のせいで仲間達や、一番大切な人がひどい目にあわされてしまうかもしれない。それだけはなんとしても避けようと、彼女は必死に走り続けた。
だが、もはや前すらろくに見えない中で、ひとつの藪を抜けて開けた場所に飛び出したとき、彼女はその正面にいた誰かと思いっきりぶつかってしまった。
「きゃっ!!」
尻餅をついて、もうこれまでかと恐る恐るぶつかった相手を少女は見上げた。
だが、その小さな目に映ったのは、荒くれた野盗ではなかった。
それは、黒い服を着て、黒い帽子をかぶった長身の若い女性。少女は一瞬野盗の仲間かと思ったが、その女性は少女の目線にまで腰を落とすと、穏やかな口調で言った。
「どうした?」
そこに野盗のような悪意やとげとげしさは微塵も感じられなかった。
この人は違う……直感的にそう判断した少女は、必死で助けを求めた。
「助けて! 悪い奴らに追われてるの!」
しかし、少女が言い終わる前に、追いついてきた野盗達が二人を取り囲んだ。
数は全部で五人。リーダー格と思われる大柄な男を筆頭に、どいつも明らかに血でできたさびの浮いた刀を振りかざしている。
「やっと追いついたぜ……ん? なんだてめえは」
「おいてめえ、そのガキをこっちにわたしな、さもねえと痛い目を見るぜ」
「親分、こいつ女ですぜ。ついでにとっ捕まえていっしょに売り飛ばせばいい金になりやすぜ」
「そりゃいい、げへへへ」
野盗達は荒い息を吐きながら、下品な声で品性のかけらもない相談を楽しそうにした。それが、野盗達が民衆を襲う上で相手への威嚇になると経験的に学んできたことだった。目の前で屈強な男達に余裕たっぷりでこんな話をされたら、普通の人間は恐怖で萎縮する。
けれど、今度の相手は野盗達のつまらない経験が通じるような相手ではなかった。
「失せろ」
「なっ……なに!?」
その女性は野盗達の会話などまるで耳に入っていないように、平然と『命令』した。
「失せろ……目障りだ」
そこには一片の恐怖もなく、野盗達の存在などまるで意に介していない……
いや、それどころか、ただ立っているだけなのに、この光景を見る者がいたとしたら野盗の姿が森の木々と同化して見えるのではないかと思うほどに、絶対的なまでの存在感の差が彼女にはあった。
そうなると、元々自制心など無きに等しい野盗達は、雀の涙ほどのプライドを傷つけられたことに激昂し、次々に獲物を二人に向かって振り上げた。
「やっちまえ!!」
「殺せ!!」
怒りに我を忘れて、野盗達は当初の目的さえ忘れていた。
少女はもうだめだと思って目をつぶる。しかし、黒い服の女はさっき少女に語りかけたときとまったく同じように少女にささやいた。
「掴まっていろ」
彼女は少女を脇に抱えると、四方から斬りかかってくる野盗達を無視して、大地を蹴って跳躍した。
「なっ!?」
驚いたのは野盗達である。武器が宙を切ったときには、相手は地上五メイルほどの高さまで一瞬で飛び上がっていたのだ。
そして、重力に従って落ちてきたと思ったときには、彼らの視界は真っ黒に塗りつぶされた。
野盗達が獲物を振り上げるより早く、彼らの顔面に回転しながら降下してきた彼女のキックが四人にほぼ同時に命中!! 華奢な体つきからは想像もできないほどに重い蹴りに、野盗達は何が起こったのかもわからないうちに顔面をへこませて意識を飛ばされた。
残ったリーダー格の男は、あっという間に仲間が倒されたのを悪夢でも見ているかのように見ていたが、彼女に「仲間を連れてさっさと失せろ」と言い捨てられて、奇声をあげて切りかかっていった。しかし一瞬のうちに首根っこを締め上げられて悶絶させられたあげく、近場の木に投げ捨てられて無様に気を失った。
その間、わずか十秒足らず。
あっという間に五人の野盗を叩きのめし、彼らへの興味をなくした彼女は、抱えていた少女をゆっくりと地面に下ろした。
「大丈夫か?」
「……あ……はわわ」
しかし少女はあまりにも信じられない出来事と、高速で振り回されたことで完全に我を失っていた。
幸い目をつぶっていたせいで、野盗達の見苦しい姿は見ずにすんでいたが、追われていた恐怖から解放されたこともあって、幼い心にはショックが強かったようだ。
すると彼女は少し困った顔をしたが、やがて思い出したようにポケットから何かを取り出すと、それを手のひらに乗せて少女の目の前に差し出した。
「……?」
少女は一瞬なんだかわからなかったが、鼻孔に漂ってくる甘い香りをかぐと、混乱していた心がしだいに落ち着いていった。
それは、包み紙にくるまれた丸い一粒の飴玉、そのどこにでもありそうな一粒を、大事そうに、しかし惜しげもなく差し出しながら、彼女は微笑を浮かべて言った。
「どうだ? 甘いぞ」
続く