ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第4話  風の再契約

 第4話

 風の再契約

 

 双頭怪獣 パンドン 登場!

 

 

 トリステインの各所で同時に起こった怪獣の連続発生。それは、戦争という極限状態に追い込まれたトリステインの人々にとって最悪の追い打ちとなった。

 むろん、ウルトラ戦士たちも果敢にこれに立ち向かい、グエバッサー、スーパーグランドキング、マジャッパが撃破された。

 しかし、怪獣たちも強く、ウルトラマンA、ウルトラマンガイア、ウルトラマンアグル、ウルトラマンダイナが、それぞれ勝利はしたものの当分再変身できないほどの消耗を強いられてしまった。

 そうしている間にもガリア軍は国境を越えて進軍を続けている。トリスタニアまで、あと二日。

 

 怪獣の出現はまだ続き、ラグドリアン湖近辺でも怪獣が暴れていた。

 昨年の水の精霊による増水による水没未遂に襲われた小さな村に迫る、赤い串カツに手足が生えたような怪獣。頭には顔はなく、くちばしだけが左右についている。ドキュメントUGに記録のある、ウルトラセブンが戦った最後の怪獣、双頭怪獣パンドンだ。

 

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 このパンドンは、以前チャリジャがとある火山の中から発見し、シェフィールドのもとに置いていった怪獣の一体である。

 さらにこの場所はトリステインからガリアにいたる街道のひとつであり、避難民が殺到すると読んだシェフィールドによって配置された。案の定、村と街道に列をなして馬車が通りがかっていたところにパンドンが迫り、人々はパニックに陥っている。

 だが、そんな暴虐を許すまいと、通りすがりの風来坊が立ち上がった。かつて苦杯を舐めさせられたパンドンに対して、モロボシ・ダンのカプセル怪獣の一体が迎え撃つ。

「ウインダム、行け!」

 渦巻く光の中から、メタリックに輝くボディを持つカプセル怪獣ウインダムが現れた。

 登場したウインダムは、両手を上げた独特のポーズで、古風な機械にも似た硬い音をたてながら前進していく。むろん、パンドンも身構えて威嚇の声をあげ、二体の怪獣の激突が始まる。

「ウインダム、パンドンを村から遠ざけろ」

 ダンの命令を受けてウインダムはパンドンに両手を振り回しながら突進し、思い切り体当たりをしかけていく。対してパンドンはこの不格好な突進を見てあなどったのか、正面から受け止めにかかった。

 だが衝突の結果を制したのはウインダムだった。なんとパンドンは受け止めきれずに弾き飛ばされ、木々をへし折りながら倒れこんでもだえる。

 よし、いいぞ。ダンは満足そうに頷いた。ウインダムはミクラスやアギラと比べて華奢だが、ロボット生命体だけあってパワーも決して低くはないのだ。

 吹っ飛ばしたパンドンに、ぎこちない動きながらも接近していくウインダム。だが、パワー勝負でやられたパンドンは、起き上がれないふりをしながら左の口をウインダムに向けると、不意打ちで真っ赤な火炎を吹き付けてきた。

「むっ」

 卑怯なパンドンの攻撃に、ダンは短く唸った。しかし、心配はしていない。ウインダムのメタルのボディを見くびってもらっては困る。火炎を食らいながらウインダムは前進を続けて、パンドンを蹴っ飛ばした。

 パンドンはまたも吹っ飛ばされ、ウインダムのボディには軽く焦げ目がついただけだ。確かにペダニウム合金のような超合金には及ばないかもしれないが、ウインダムはロボットではなくロボット生命体であり、そのボディも成長とともに強くなっていくのだ。

 ウインダムは前回のアークボガール戦での雪辱を晴らさんとしているかのように、さらにパンドンに対して張り手やタックルなどで攻撃していく。パンドンも殴ったりして反撃するが、元々重病のセブンにも負けた程度の実力しかないパンドンのこと、当時のウインダムならばともかく40年の歳月を経たウインダムにはかなうわけもない。

 パンドンが殴りかかってもウインダムのメタルの体にカチンといってはじかれ、ウインダムの張り手はパンドンの体に確実にめり込んでいく。

「ようし、決めろウインダム!」

 パンドンがじゅうぶん弱ったと見たダンは、とどめを刺すように命じた。ウインダムは動きの鈍ったパンドンの体を豪快に頭上に抱え上げた。

『岩石落とし!』

 ひょいと放り投げ、パンドンは頭から地面に叩きつけられた。パンドンのとげとげした体がぐにゃりと曲がり、パンドンは左右のくちばしから泡を吹いている。

 好機は今だ!

「ウインダム、レーザーショット!」

 ウインダムは腕を上げて直立すると、頭部のランプから白色の光線を発射した。その一閃はパンドンの喉元あたりに突き刺さり、パンドンはゆっくりと仰向けに倒れて爆散した。

 勝った。ウインダムはダンの期待に応えられたことを喜ぶように一声鳴いて、ダンも満足げにうなづいた。

「よくやった。戻れ、ウインダム」

 光の渦に包まれて、ウインダムは縮小すると小さなカプセルに戻ってダンの手元に帰った。

 パンドンは完全に消し飛び、後には黒煙がたなびいている。そこから、パンドンの残留思念が空に昇って行って、見慣れない光景にダンは眉をしかめたが、今は追う方法もないことから心に留めておくにとどめた。

 襲われかけていた村は多少パニックが残っているが、パンドンを倒した以上は長居は無用であろう。ダンはテンガロンハットをかぶりなおして通りすがりに紛れ込むと、そのまま村を後にした。

 街道はいまだにトリステインから逃れようとする行列でごった返しており、事態の重さが嫌でも感じ取れた。

 なぜガリアは突然……そしてガリアといえば、彼女は今。

「こんなことなら、あのとき無理にでも引き留めておくべきだったな。無事でいてくれればいいが……」

 ダンは、タバサがこのことを知ればガリアに急いでいるはずだと当たりをつけていた。責任を感じて戦争を止めるつもりなのだろうが、無茶をしてなければいいが。

 できれば助けに行ってやりたい。しかし、こうも怪獣の出現が連続すればまだ戦う力を残している自分がトリステインを離れるわけにはいかない。

「だが、相手が宇宙人や怪獣ならともかく、敵が人間では我々が助けになれることは少ない……気をつけるんだ、執念に狂った人間というのは、時にどんな怪獣よりも恐ろしい」

 人間は素晴らしい可能性を秘めているが、その可能性を間違った方向へ向けた時は恐ろしい災厄を生むこともある。ダンは、かつて栄光を求めすぎるがあまり、大きな犠牲とともに己の才能をも散らせてしまった一人の男の悲劇を思い出しながら、タバサの無事を祈った。

 

  

 しかし、運命の女神ほど残忍な嗜好をした者はいないかもしれない。ガリアを目指すタバサの前に、シェフィールドが立ちふさがって襲いかかってきたのである。

 そこはガリアの街道の横道。リュティスを目指すには近道であるが、険しく人通りは少なく、さらに日も暮れて月明かりの下の荒野にタバサとシェフィールド以外の人影はない。

「そこを、どいて」

「それはできない相談ですわ、シャルロット王女様。申し訳ありませんが、あなたはここでしばらく拘束させていただきます。やれ、お前たち」

 シェフィールドの命令で、魔法の騎士人形であるアルヴィーと、狼型のガーゴイルであるフェンリルの軍団が一斉に襲い掛かった。その数はタバサの四方八方からざっと五十体以上。それが槍や剣、爪や牙をむき出しにしてタバサに殺到してくる。

 全方位の集中攻撃。しかもアルヴィーやフェンリルは、それぞれが熟練の戦士や訓練された猟犬並の強さを持っている。普通の人間ならば、メイジだろうが瞬時に肉塊にされ、ミノタウロスでも細切れにされてしまうだろう。

 だが、タバサはすでに並とは一線を画する実力を身につけていた。

『アイスストーム』

 身じろぎもせずに杖を振るったタバサを中心に氷の竜巻が巻き起こり、飛びかかろうとしていたアルヴィーとフェンリルを一瞬にしてすべて飲み込んだ。

 そして、タバサが杖を下ろすと同時に氷の竜巻は消滅し、後には氷の槍で串刺しにされて機能停止した残骸が無惨な山となっていた。タバサはその中心で悠然とシェフィールドを睨んでおり、その眼光はシェフィールドさえ怖じけさせる圧を持っていた。

「へぇ……」

 シェフィールドは余裕を保った風を装っていたが、想定を超えるタバサの強さに冷や汗を流していた。

 強い……タバサの力は、以前のオルレアン公邸での戦いを基準に考えていたが、そんなレベルではない。元から類まれな才能の持ち主だったが、彼女は今がまさに成長期というわけか。それに、今のタバサから感じられる殺気は尋常なものではない。

「今、あなたに関わっている時間はない。これが最後の警告。どかないなら、殺す」

 怒っている。魔法の力は精神の力、その種類に関わらず感情の高ぶりによって威力を増していく。タバサは一刻も早く行かねばならないという焦りと、自分のために今の事態を招いてしまったという自責の念、さらにはシェフィールドの顔を見ることで沸騰し、魔力と容赦のなさを底上げしていた。

 今のタバサはハルケギニアでも五本の指に入る実力者だろう。もはや、アルヴィーやフェンリルなどを何百揃えたところで無駄であるとシェフィールドは悟った。さらにどかないのなら、タバサは容赦なくシェフィールドを殺すだろう。

「さすがね。これが、天才と呼ばれたオルレアン公の血筋というわけなのかしら。でも、私もジョゼフ様の使い魔ミョズニトニルンとして引くわけにはいかないのよ!」

「あなたと話している時間はない」

 時間を潰すつもりは一切無いと、タバサはジャベリンをシェフィールドに向けて放った。シェフィールドはとっさに残していたアルヴィーを盾にして防いだが、アルヴィー三体がまとめて太い氷の槍に粉砕され、タバサが本気で殺しにかかってきているのがわかった。

「くっ!」

 苦渋の表情を見せるシェフィールドを、タバサは冷たい目で睨んでいる。それはもはやシェフィールドをなんの障害とも見なしていない目で、シェフィールドは屈辱に身を震わせたが、まともに戦ってシェフィールドに勝ち目がないのは明白だった。

 メイジ風情のくせに! 私はジョゼフ様の虚無の使い魔たるミョズニトニルンなのよ…………だから、フフ……”切り札”を用意しておいてよかった。

 その時、シェフィールドの歪んだ表情が一転して不敵な笑みに変わったのをタバサは見た。

 この女は、まだ何か手を残している! 狩人の勘でそう感じたタバサの背に冷たいものが走る。ならば発動する前に潰すのみ! タバサは杖を振るい、必殺の魔法がシェフィールドに放たれる。

『エア・カッター!』

 斧のように巨大な真空の刃が真一文字にシェフィールドを両断せんと走る。今度は手加減はなく回避は不可能、アルヴィーを盾にしてもアルヴィーごと切り裂く。

 シェフィールドは、非情な戦士となったタバサの姿に、ジョゼフ様と血は争えないものねと走馬灯のように思った。だが、まだジョゼフ様のためにも死ぬわけにはいかない。ジョゼフ様のためなら、私はどんな手でも使う!

 笑ったシェフィールドの額にルーン文字が輝き その手に不気味な紫色の光が瞬く。

 だが、今さらどんな魔道具を出しても遅い。タバサがそう思った時だった。突如、頭上からタバサのエア・カッターに匹敵する風の刃が撃ち下ろされ、シェフィールドに迫っていたエア・カッターを相殺してしまったのだ。

「えっ!」

 さしものタバサも想定外だった。今の自分に匹敵するほどの使い手など早々にいるはずがないというのに、誰が?

 タバサが上を見上げると、夜空から月を背にして黒い影が降りてくる。さらにその影から、先ほどと同程度の真空の刃がタバサを目掛けて降ってきた。

「くっ!」

 タバサがフライの魔法でかわした次の瞬間に、真空の刃は地面を切り裂いて大きな三日月状の跡を深く刻んでいった。

 できる! タバサは今の攻撃の威力に、敵が自分と同等の攻撃力を持っていることを認識して緊張した。再び見上げると、敵は月光を背にした逆光状態となってシルエットはよくわからないが、かなり大きく、人間ではなさそうなように見えた。

「ガーゴイル?」

 以前に才人たちを襲ったというヨルムンガントの一種かとタバサは推測した。ならば、やはり使い手のほうを倒すのみと、タバサはシェフィールドを攻撃しようとしたが。

「いいのかしら? よそ見したら可愛いお顔が二等分よ」

「くっ!」

 シェフィールドに狙いを定めようとすると、上空からの攻撃に晒された。雨あられと降り注いでくる真空の刃を避けるのに精一杯で、とてもシェフィールドを狙うどころではない。

 残念だが、頭上をとられている状態では不利すぎる。なら、まずは上空の敵を倒すまでと、タバサは上空に向けて風の魔法を放った。

『ウィンドブレイク!』

 魔法の突風が断崖の上昇気流のように立ち昇り、相手の真空の刃を飲み込みながら上空の影へと迫った。相手はまだ空中に静止したままで、今から動き出しても回避は間に合わない。

 だが、タバサが仕留めたと思った時、その影は首をもたげて強烈な吐息を撃ち返してきたのだ。

「ブレス!? ドラゴン?」

 タバサのウィンドブレイクは相手のブレスに押し返され、逆にタバサが突風にさらされた。

 こちらの魔法との打ち合いで相手のほうもかなり威力が減殺されているはずなのに、嵐のような風圧がマントをなびかせスカートをはためかせていく。その突風の中で、タバサは杖を地面に突き立てて耐えながら、相手を見上げて危機感を募らせていた。

 まさかドラゴンまで使役しているとは。確かに各国の軍で竜騎士は当たり前の存在だが、それは騎乗用に調教された大人しい個体で、単独で戦えるような強力で賢いドラゴンなどいない。

 火竜山脈で野生のドラゴンでも捕まえてきたのか? いや、かまいたちを放ってきたことや、今のブレスが突風であったことからして、相手は火竜ではなく風竜だ。だが、スクウェアクラスのウィンドブレイクに押し勝つほどのブレスを吐ける風竜など聞いたことがない。それこそ、絶滅したと言われる伝説の風韻竜でもない限り……。

「まさか!」

 タバサははっとして、上空の敵のシルエットを見直した。まさか、そんなはずはない。あの子に、そんな強力な力などあるわけがない。

 だが、それを前提にして見ると、相手のシルエットも大きさも、自分の知っている彼女のものと一致する。

「ミョズニトニルン! あなた、あの子に」

「あら、ようやく気がついたようね。じゃあ、そろそろ私の新しい下僕のお披露目をするとしましょうか」

 シェフィールドの左手に再び怪しい紫色の光が瞬いたかと思うと、上空の影が急降下して、シェフィールドの傍らにその巨体を舞い降りさせた。

 砂ぼこりが立ち上がり、軽い振動が足に伝わってくる。そして、タバサは愕然とした目にその相手を映していた。青い体をした風竜、しかし、それはタバサにとってもっとも信頼する使い魔の姿そのものだったのだ。

「シルフィード……」

 間違えようはなかった。シルフィードの姿形は使い魔として共にいたこの約一年の間に記憶している。翼の大きさ、足の形、風竜を百匹並べたとしても見分けられる。

 けれど、あどけなさを浮かべていた瞳は血走って殺意に溢れ、口元からはきゅいきゅいという愛らしい声ではなく、狼のようなうなり声が漏れている。

 そして何より、あれは自分の使い魔であるとメイジの本能的にわかるのに、使い魔に対して主人が共有できるはずの感覚の同調ができない。まるで、何かに遮断されているかのようだ。

「どうしたの? 離れ離れの主従の感動の再開よ。あなたが見捨てた使い魔を探し出して、こうしてわざわざ連れてきてあげたんだからもっと喜びなさい」

「ミョズニトニルン、シルフィードに何をしたの!」

 タバサは激昂して叫んだ。するとシェフィールドは、タバサのその顔が見たかったと言う風に薄ら笑いながら答えた。

「フフフ、説明するよりも、聡明なシャルロット姫ならこれを見れば理解できるのではないかしら」

 そう言って、シェフィールドは指にはめている不気味な輝きを放つ指輪をかざした。

「アンドバリの指輪……」

 タバサは苦々しく呟いた。

 水の精霊の秘宝で、以前に盗まれたという強力な水を操るマジックアイテム。生命の根幹たる水を操ることは、その精神に干渉することもできるという。その効果でシルフィードを洗脳したというのか。

「けど、まさか韻竜であるシルフィードを洗脳することができるだなんて」

「フフ、虚無の担い手に必要に応じて呪文が授けられるように、虚無の使い魔にも必要に応じて新たな力が目覚めるのよ。今の私は、ミョズニトニルンとしてアンドバリの指輪の力を限界まで引き出すことができるわ。さあ、自分の使い魔を相手にしてもさっきみたいに戦うことができるかしら? ジョゼフ様の元に引き出す前に、たっぷりお返しさせてもらうからね!」

 シェフィールドのアンドバリの指輪が光ると、シルフィードは大きく吠えてタバサに眼光を向けた。翼が大きく開き、羽ばたきからかまいたち混じりの突風がタバサに襲いかかってくる。

「くぅっ、シルフィード! わたしよ、やめなさい!」

「無駄よ。アンドバリの指輪は死者さえ操るわ。あなたの声なんか届いてはいないわ」

 シルフィードへの呼びかけは通じず、タバサはやむを得ず防衛のために魔法を放った。

『ウィンドブレイク!』

 魔法の突風がシルフィードの起こす突風に激突し、拮抗する。今度はさっきとは違い、今のタバサに放てる全力だ。

 シルフィードには悪いが、これで吹き飛ばしてしばらく気絶していてもらおう。タバサの魔法が徐々に競り勝っていく。しかし、シルフィードは竜の口を開くと、タバサの魔法を軽く貫通するほどの強力なブレスを吐いてタバサを弾きとばしてしまった。

「ぐぅっ、うっ!」

 地面に転げさせられ、苦痛の声がタバサから漏れる。とっさに魔法で障壁を張って防御したが、そうでなければ腕の一本くらい持っていかれたかもしれない。

 この攻撃力はなんなの? タバサはシルフィードとは思えない攻撃の威力に疑念を抱いた。いやそもそもシルフィードはブレスなんて使えなかったはずなのに。

 しかし、考える暇もなく、今度はシルフィードのほうからの攻撃が始まった。シルフィードの正気を失った目が光り、竜のあごから口語の呪文がこぼれる。

「我に従う風よ、枷となりて我の敵の自由を奪え」

 その瞬間、タバサの周囲の空気が粘土のように重くなり、タバサは体を自由に動かせなくなってしまった。

「こ、これは……先住魔法!?」

 そんな馬鹿なとタバサは思った。確かにシルフィードは韻竜であるから先住魔法は使っていたけれど、それは自分の姿を人間に変えるような大人しいもので、戦闘に使えるようなものなどなかったはず。

 身動きのできないタバサに、シルフィードがとどめを刺そうとブレスの照準を定めてくる。あれを受けるわけにはいかない。風を操るならタバサも得意技であり、ウィンドブレイクの応用で固形化した空気を動かしてなんとか脱出すると、疑問の答えを確かめるために杖を振って魔法を放った。

『ライトニング・クラウド!』 

 風の魔法の中でも最上級格の電撃魔法がタバサの武骨な杖の先端から放射されてシルフィードを襲う。タバサの知っているシルフィードなら、このままなすすべもなく感電して失神してしまうはずだ。

 だが、シルフィードの対応はまたもタバサの知らないものだった。

「土よ、我に仇なす悪意から我をかばえ」

 シルフィードの呪文に従って、シルフィードの足元から土砂が壁となって立ち上り、電撃を完全に防いでしまった。

 もう間違いない。タバサはシェフィールドへの怒りで体を震わせた。シルフィードはエルフ並みに先住魔法を操っている。しかも風竜とは相性が悪いはずの土を操る魔法までも。

「あれはもう、シルフィードであってシルフィードじゃないっ」

「理解できたようね。このアンドバリの指輪のさらなる効力で、風韻竜の脳の中に眠っていた潜在能力を引き出してやったのよ。さすが伝説の絶滅種、そこらの竜とは比べ物にならない力を秘めていたわ」

「シルフィードをおもちゃにして……お前だけは必ず、殺す!」

「あら、ペットを捨てたのは誰だったかしら?」

「黙れ!」

 怒るタバサの魔法がシェフィールドを襲うが、シルフィードの張った風の障壁に遮られる。ダメだ、詠唱の短いトライアングルクラス程度の魔法では、あの障壁は破れない。

 タバサの魔法が軽く弾かれたのを見て、シェフィールドはニヤリと笑ってアンドバリの指輪を掲げた。

「いい様ね。さあ自分の使い魔に痛めつけられる屈辱をたっぷり味わうといいわ!」

 アンドバリの指輪が輝くと同時に、シルフィードが狂犬のような叫びをあげて飛びかかってきた。

「シルフィードっ!」

 もう相手がタバサだと認識などできていないただの獣と化したシルフィードに、タバサは苦悶の表情のまま迎え撃たざるを得なかった。

 シルフィードの前腕が振り下ろされ、タバサが飛び退いた地面を粉砕する。さらにシルフィードは尻尾を振り回して、目の前にあった二メイルはある大岩を弾いてタバサにぶつけてきた。

『エア・ハンマー!』

 巨岩をカウンターで吹き飛ばし、破片を浴びながらタバサは戦慄した。先住魔法やブレスの威力だけではない。肉体のパワーも比較にならないほど引き上げられている。

 どうすれば……タバサは迷いながらも、なんとかシルフィードをおとなしくさせようと睡眠の魔法を使った。

『スリープクラウド』

 睡魔を誘う魔法の煙がシルフィードの頭を覆う。しかし、シルフィードはまったく意に介さずにタバサに向かってくる。

「ぎゅいーっ!」

 シルフィードの本来の声が混ざった叫び声がタバサの胸を締め付ける。無邪気だった面影はなく、目を吊り上がらせ、牙をむき出しにした様は、絵本の中でイーヴァルディの勇者に退治される悪竜のようだ。

 変わり果ててしまったシルフィードを前に、タバサは詫びるようにつぶやいた。

「ごめんなさいシルフィード。わたしがあなたを遠ざけたことでこんなことに……でも、わたしはあなたをこれ以上わたしたち王家の愚行に巻き込みたくなかった」

 自分はガリア王家の血筋に縛られているが、シルフィードまでその呪いに付き合うことはない。そう考えたタバサは、世界が変わったあの日にシルフィードの記憶も消して野に放った。

 しかし、タバサのその懺悔にも似た独白を風竜の優れた聴覚で聞き付けたシルフィードは、目を鋭く尖らせて狂ったようにタバサに食らいつこうとしてきたのである。

「シルフィード! シルフィード!?」

「なっ、この馬鹿韻竜、なにをしているの!  殺してしまっては意味がないのよ!」

 まるで飢えた獣のように、牙をむき出しにして飛びかかってきたシルフィードをタバサは寸前でかわし、シェフィールドは慌ててアンドバリの指輪で制御しにかかった。

 だがシルフィードはアンドバリの指輪で縛られているというのに、なおも狂暴性を抑えきれずにタバサに向かってブレスを放ってきた。超高圧の空気からなるブレスはタバサの後ろの岩石を砕き、タバサはその破片を浴びて顔に切り傷を作った。

「くっ!」

 狙いが甘かったからかろうじて助かった。シルフィードは制御しようとするシェフィールドに抵抗するようにもがいている。タバサは、逃走するなら今がチャンスかと思ったが、シルフィードの口から漏れた小さな言葉がタバサの耳を捉えた。

「お、ね、え、ざま」

「シルフィード? シルフィード!」

 確かにシルフィードは、小さくだが自分のことを呼んだ。もしかして、シルフィードの意識はまだ完全に支配されてはいないのかとタバサは呼び掛けたが、タバサを睨む目に宿っているのは強い殺意と憎悪そのものでしかなかった。

「シルフィード……?」

「お、ね……ま……殺す!」

 ついにシルフィードは憎悪にたぎった目を燃やしながらタバサに再び襲いかかってきた。もはやアンドバリの指輪の力でも押さえきれないようで、シェフィールドも諦めたように叫んだ。

「ええい、愚図な竜め! いいわ、もう生きていれば頭だけになっても構わない。小娘を叩きのめすのよ!」

 シルフィードの放つブレスがタバサの体をかすめ、翼から放たれる無数の真空の刃が迫る。タバサはもう、手加減など考えたらその瞬間に殺されると、本気の魔法で弾幕を張った。

『ウィンディ・アイシクル!』

 もっとも得意とする氷嵐の魔法がシルフィードの攻撃を相殺する。けれどシルフィードは怯まずに魔法の吹雪に向けて逆に突進を仕掛けてきて、間合いを詰められたタバサは大きく杖を振るって、さらに強力な一撃を放った。

『ジャベリン!』

 太く鋭い氷の槍が放たれてシルフィードの翼を串刺しにせんとする。だがシルフィードはジャベリンの氷の塊を口で噛みついて受け止めると、そのまま地面に叩きつけて粉砕してしまったのだ。

「そんな……」

 愕然とするタバサ。するとなんと、シルフィードはそんなタバサの顔を見て、得意げに笑って見せたのである。

「む、だ……おねえさま、の……まほ、う……なんか……きかない、のね」

「シルフィード! あなた意識が。わたしの声が聞こえるならやめて、あなたはわたしの使い魔よ」

「シルフィ……そう、つかい、ま……つよい、だから……おねえさま、より、つよいのねーっ! ぎゅいーっ!」

 一瞬、理性が戻ったかもと思ったのもつかの間、シルフィードの目は狂気に塗り潰されてしまった、襲い来るシルフィードに対して、必死に防戦するタバサ。

 風と風、魔法と魔法がぶつかり合って、さびれた街道が荒野と化していく。いまやスクウェアクラスに到達したタバサの力でも互角に持っていくのがやっとな今のシルフィードの前に、タバサの体は切り傷と砂塵に汚れて、肩で息をするほどに消耗していった。

 いや、本当に傷ついているのはタバサではなかった。荒い息をつきながらもまだ立って杖を構えるタバサの前で、シルフィードは全身を傷だらけにし、青かった体を赤い血に全身を染めた無残な姿に変わってしまっていたのだ。

「お、ねえさま……」

「シルフィード、もうやめて。これ以上は、あなたの力にあなたの体が耐えられない」

 タバサは血を吐くように訴えた。シルフィードに、タバサの魔法は一発もまともに当たってはいない。しかしシルフィードはタバサ以上に全身をズタズタに傷つけ、口からも血を流しながらあえいでいる。

 なぜなら、今シルフィードの振るっている力は、本来シルフィードがこれから何百年何千年もの時間をかけて少しずつつちかっていくべき力なのだ。成竜や古竜と呼ばれるくらいに年月を経てやっと身につけられる力や魔法を幼竜の体で無理矢理使えば、肉体も脳もついていけなくなる。小学生にトライアスロンや高次方程式の暗算をさせるようなものである。

 アンドバリの指輪で強制的に引き出されたシルフィードの潜在能力は、貪欲にシルフィード自身の命を蝕んでいっていた。

 このまま戦い続けたらシルフィードが死んでしまう。タバサは苦悩した。かといって少しでも手を緩めたら自分が殺されてしまう。どうすればいいの……。

 シルフィードを殺すことはできない。何か方法は……考えるタバサの目に、シェフィールドの持つアンドバリの指輪の光が映り、それが最初に比べて小さくなったように思えてハッとした。

 アンドバリの指輪が消耗している? そうか、いくら水の精霊の力の宿るアンドバリの指輪でも、韻竜のシルフィードを操るには相当な無理をしているのだろう。それならば、アンドバリの指輪の魔法石が溶けきるまで耐え抜けば、シルフィードの洗脳も解けるかもしれない。

「でも、それまでわたしの……シルフィードの命が持てばだけど」

 シルフィードの放った真空の刃をエア・ハンマーで撃ち落としながら、タバサは分の悪すぎる賭けに自嘲してつぶやいた。シルフィードは、全身を傷だらけにしながらも、痛みなど感じていないように怒り狂う咆哮をあげながら攻め立ててくる。

 けれど、アンドバリの指輪で操られているとはいえ、この狂暴性はいったいなに? シルフィード、あなたは決して自分から人を傷つけるような子じゃなかったはずなのに、なににそんなに怒っているの?

 タバサは、心を通じることはできなくなっても、シルフィードから押さえきれない怒りの感情が自分に向けられていることを感じていた。やっぱり、捨てていったことを怒っているの?

 だが、タバサがそう自分を責めて一瞬の隙が生まれた時だった。シルフィードはタバサの魔法に体ごと特攻して打ち破ると、無防備な状態のタバサを太い前脚で捕らえて、そのまま地面に叩きつけたのだ。

「はっ、がっ!」

 小柄なタバサの胸の上に、数百キロはあろうかというシルフィードが前脚に体重をかけて押しつけてくる。タバサの体は地面にめり込み、人間の力では身動きひとつできない。

「シルフィード、や、やめて……」

 か細いタバサの声はシルフィードには届かず、シルフィードはさらに体重をかけてタバサを押し潰そうとしてくる。杖はかろうじて握っているが、とてもシルフィードを跳ね飛ばすほどの集中はできない。

 わたし、ここで死ぬの……?

 タバサは体が押し潰される苦しみの中で、迫ってくる死を確実に感じた。いつでも、どんな死に方をするのも覚悟してきたつもりだったけど、最後の最後で突き付けられたのが自分の使い魔に殺されることだったなんて。

 いや、シェフィールドの言からしてギリギリで殺されはしないかもしれない。しかし、目が覚めた時はすでにすべてが手遅れになってしまっているだろう。

 シルフィードが敵に利用されるなんて考えなかった自分のせいだ。ごめんなさいシルフィード、せめてあなただけは助けたかった。

 薄れゆく意識の中で、タバサはシルフィードの前脚を力なく掴んだ。シルフィードの前脚も自身の血で染まり、タバサの擦り傷の入った手のひらに感触が伝わってくる。

 だが、そのときだった。混ざり合った二人の血を通して、シルフィードの心がタバサの中に流れ込んできたのである。

 

「おねえさま、おねえさま……」

「これ、は……」

 

 それは水の使い手としても優れたタバサの才能か、それともシルフィードの韻竜としての隠された力か、使い魔との契約によって生まれた奇跡かはわからない。しかし、タバサの心に、シルフィードの秘めてきた思いが確かに伝わってきたのだ。

 

「おねえさま、シルフィの大好きなお姉さま……イルククゥに、シルフィードっていう素敵な名前をくださったお姉さま」

 

 心に響くシルフィードの思いの声を、タバサは意識を叱咤して聞き入った。

 

「お姉さまはとっても強い、とってもかっこいいのね。いつも本ばっかり読んでシルフィにそっけないこともあるけど、とっても大切なお仕事をされてるのね」 

 

 それはシルフィードの深層意識に刻まれた、消しきれなかった記憶であった。タバサはじっと耳を傾ける。

 

「お姉さまは悪い奴に命令されてるのね。あの高慢ちきな王女、お姉さまに偉そうに命令して! いつか噛みついてやるのね、きゅいきゅい」

 

 イザベラに仕えていた北花壇騎士時代は、シルフィードにもずいぶん不愉快な思いをさせてしまった。しかし、イザベラにも彼女なりの事情や苦悩があったのだ。

 理不尽な命令に怒ったことはある。けれど、憎んだことはない。シルフィードにはそうした心の機微を理解するのはまだ難しいと思って黙っていたが、自分のために純粋に怒ってくれるシルフィードの優しさには、口にはしなくても感謝していた。

 

「シルフィとお姉さまはいろんな冒険をしてきたのね。辛かったけど、思い出せば楽しかったのね。お姉さまは、シルフィに竜の巣にいたときには知らなかったいろんなことを教えてくれたのね」

 

 そう。シルフィードを召喚して以来、彼女はいつも自分のそばにいた。シルフィードがいなければ、たぶん自分は今生きてはいないに違いない。

 タバサの中にも、思い出が甦ってくる。だが、懐かしさと親愛に満ちたシルフィードの心の声に、突然曇りが生じたのだ。

 

「でも、シルフィはお姉さまが心配なのね。お姉さまはいつも、任務に成功しても傷だらけになってるのね。お姉さまはなんでもない顔をしてるけど、韻竜と違って人間の体はとても弱いのを知ってるのね。それなのにお姉さまは無茶を続けるし、シルフィは本当に心配なのね」

 

 わかっている。それはわかっているとタバサは思った。

 けれど、自分の前には回り道もやり直しも許されないギリギリの道しかなかったのだ。母を救うためには、一度の失敗も許されなかった。

 シルフィードに心配はかけている。だけど、シルフィードもそれらの任務や戦いが必要なものだとわかってくれていると思っていた。

 しかし……。

 

「シルフィは、お姉さまが傷つく姿は見たくないのね。だから、お姉さまの役にもっと立ちたいのね。シルフィだってがんばるから、もっとシルフィを頼って、もっと自分を大切にしてほしいのね。なのにお姉さまはシルフィの言うことをぜんぜん聞いてくれない。シルフィがどれだけ心配してると思ってるのね」

 

 シルフィードの声は、少しずつ怒りや苛立ちが混ざりだし、そして……。

 

「お姉さまは、シルフィのことを本当は大切じゃないのかね? そんなはずないはずだけど、お姉さまはシルフィの言うことなんかちっとも聞いてくれない。お姉さまはなにを考えているのね? シルフィのことが大切なら、どうして何も教えてくれないのね? そんなにシルフィが頼りないの? そんなにシルフィを弱いと思ってるの! お姉さまの……馬鹿」

 

 それはシルフィードが心の奥に隠してきたタバサへの不信であった。そう、いくらシルフィードが純真な心の持ち主だとしても、いや、だからこそ……シルフィードはタバサとの間にどうしても超えられない心の壁を感じていたのだ。

 タバサは、シルフィードが内心で不満を持っていることは理解していたつもりでいたが、直接心に流れ込んでくるシルフィードの本心の声に胸が締め付けられる思いがした。シルフィードの心から響くその声は、まるで糾弾するかのようにタバサの心を揺らす。

 

「きっとお姉さまはシルフィがいなくなっても困らない。なら、シルフィはなんのためにいるのね? シルフィはお姉さまの助けになんかならないの?」

 

 違う! それは違うとタバサは否定した。あなたはこれまで十分に役に立ってくれた。

 だが、タバサはすでに気づいていた。それは自分の一方的な、都合のいい思い込みで、シルフィードには伝わるわけなどなかったのだということに。

 

「シルフィは誇り高き風韻竜の末裔。そんなシルフィがこんなに思ってるのに応えてくれないお姉さまなんて嫌い! 嫌い嫌い嫌い、だから、だから……きゅいーっ、お姉さまなんかいなくなっちゃえなのねーっ!」

 

 泣き叫ぶような声を最後に、シルフィードの心の声は途切れた。

 現実のシルフィードは狂った叫び声をあげながら、目から涙のように血を流し、その赤い雫はタバサの顔へ滴っていく。だが、涙を流しているのはタバサのほうもだった。

「シルフィード、あなたの心の闇は、わたしが作ってしまったのね……ごめんなさい……わたしはあなたのことを、理解したつもりにだけなってた。あなたはあんなにも、素直に訴えてくれていたのに」

 かわいさ余って憎さ百倍という言葉がある。シルフィードはタバサを慕い、タバサを助けようと純粋に頑張ってきたのは間違いない。

 しかし、シルフィードも心がある以上、認められたい、誉められたい、必要とされたいという欲求は必ずある。シルフィードは優しい子だから、その不満は小さなくすぶりに過ぎなかったのだろうが、アンドバリの指輪によって、そんな押さえ込まれていた心の闇……すなわち、自分を認めてくれないタバサへの憎悪が一気に解き放たれてしまったのだ。

「まだ、死ねない……」

 タバサは力を振り絞って杖を握りしめた。

 こんなところで倒れるわけにはいかない。シルフィードの主人として、苦しんでいる使い魔を救う義務がある。そして、目を背けてきたシルフィードの本心に向き合って応えるのが、家族としての務めだ!

「ラナ・デル……」

 呪文とともにタバサの体から魔力がほとばしる。シルフィードは、もう力尽きかけていると思い込んでいたタバサから凄まじい魔力の波動を感じて、一瞬押さえ込んでいる力を緩めてしまった。そこにタバサの渾身の魔法が炸裂する。

『エア・ハンマー!』

 砲弾のような圧縮空気の塊がタバサの杖から至近距離で放たれ、シルフィードの巨体が空中に吹き飛ばされた。

「ぎゅいーっ!?」

 悲鳴をあげて空中できりもみするシルフィード。しかし、風韻竜のシルフィードはすぐさま体勢を立て直して地面に着地する。

 だがその時にはタバサも立ち上がって杖を構え、シルフィードをその青い目で見つめていた。

 対峙するタバサとシルフィード。シェフィールドは完全に勝負が決まったと思っていた様からのタバサの復活に、「あの小娘は不死身なの?」と、激しく狼狽しているが、もうタバサの目には入っていない。

 アンドバリの指輪の効果はまだ続いており、シルフィードの目から殺気は消えていない。だがタバサは、怒り狂う凶竜と化し、すぐにでもタバサを粉砕しにかかってくるであろうシルフィードに向かって、穏やかに語りかけた。

「シルフィード、少しでも心が残っていたら聞いて。わたしはあなたにとって、良い主人じゃなかったかもしれない。叩いたりごはん抜きにしたり、今思うとルイズを笑えない。あなたを子ども扱いしていたこと、謝る。でも……」

 タバサの青い瞳が輝き、その身からさらなる魔力が噴き出す。それはタバサの髪を逆立たせ、風が渦巻き、まるで光をまとったかのように見えるタバサの姿に、さしものシルフィードも気圧されてたじろいだ。

「ぎゅ、ぎゅい……」

「あなたが召喚できてから今日まで、あなたのことを忘れたことは一日もなかった。あなたがいてくれたから、わたしは今日まで生きてこられた。ありがとう」

「ぎゅ、きゅ、きゅい」

「シルフィード、あなたはあなた自身が思っているとおり、とても強い。まだ幼竜なのに、人の言葉を理解し、魔法を操り、本当にすごい。そして今も、大人になれば、こんなすごい竜になれる才能だって持ってる。あなたはわたしの誇り……でも」

 その時、タバサからさらに強大な魔力の奔流とともに風が大きく渦を巻きだし、シルフィードは身構えた。

「シルフィード、わたしはあなたに……」

 風の流れはさらに速くなり、タバサの言葉を聞き取ろうとしていたシェフィールドの耳を風の音が遮った。シルフィードはタバサの言葉に耳を立てて、じっと威嚇の姿勢をとり続けている。

 やがてタバサとシルフィードの魔力は共鳴しあい、二人を直径数十メイルの巨大な竜巻の壁として包み込んだ。そしてそれから数秒、荒れ狂う竜巻の中でタバサとシルフィードはじっと対峙していたが、均衡を破ってシルフィードが雄叫びをあげると同時に、タバサの魔力を吹き飛ばすほどの強大なエネルギーがシルフィードの口に集まりだしたのだ。

”来る!” 

 タバサは確信した。あれが間違いなく、シルフィードの最大最後の攻撃だ。シルフィードの全力を込めたドラゴンブレス、あれを打ち破ればアンドバリの指輪も力を使い果たしてシルフィードは元に戻る。

 ただし、打ち破れればの話である。伝説のドラゴンに匹敵するほどの力を持つ今のシルフィードの全力のブレスは、スクウェアクラスの魔法も涼風のように打ち抜いてしまうだろう。むろん、回避など不可能に違いない。

 つまり、タバサが生き残る術はただ一つ。

「シルフィード、伝説の風韻竜たるあなたに敬意を持って、わたしも限界を超えて見せる。そして、この一撃を、あなたとわたしの新しい使い魔の契約にする!」

 タバサは凛々しく言い放った。その心には、幼い日に父から聞いた竜退治の物語が甦る。竜を従えるため、勇者は人の身で竜と戦って打ち倒した。ドラゴンを従えるためには、ドラゴンより強くなくてはならない、それが竜を従えるための試練だ。

 この一撃でシルフィードを救い、そして主従の絆を取り戻す。

「我が名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。契約の証を持って、この者を我の使い魔となせ……」

 タバサの唇から、コントラクト・サーヴァントと同じ呪文が流れる。しかし、それはコントラクト・サーヴァントではない。タバサの贖罪と覚悟が込められた、誓いの言葉。

 タバサの無骨な杖に、彼女の持つ全魔法力が込められていく。杖の先端が輝き、ルイズの虚無の魔法に匹敵する力が収束していく。

 対して、シルフィードも傷ついた体を奮い起こしながらブレスのエネルギーを溜めている。シルフィードが本来ならば数千年後に会得するであろうそのブレスは、城すらも一撃で粉々に粉砕するであろう。

 互いの全力をかけた最後の一撃。無限に近い詠唱と溜めの時間を経て、ついにそれは解き放たれた。

「ぎゅが、ぎゅぃーっ!」

『カッター・トルネード!』

 シルフィードのフルパワーのドラゴンブレスと、タバサの風系統最強の真空竜巻がぶつかり合う。

 天まで届く巨大竜巻と、魔力を凝縮したエネルギーの束の激突は激しい余波を生み、空が荒れ、轟音は百リーグ離れた村にまで届いたという。真空竜巻に吸い込まれた岩石は一瞬で砂にまで砕かれ、ドラゴンブレスは周囲の空気をさえプラズマ化させて燃え滾る。

 その純粋な破壊の衝突の暴虐の前に、シェフィールドは近場で観戦することさえ許されず、彼女はガーゴイルに掴まって離れるだけで精一杯であった。

「ば、化け物たちめ」

 シェフィールドは、まさかタバサがここまでやるとは思っていなかった。いくら類まれな才能を持つとはいえ、こんな力がどこから……いや、きっと。シェフィールドの胸をえぐるような痛みが走った。

 タバサは己の才能の限界を超え、烈風カリンのものさえしのぐ超高圧竜巻を維持するために精神力を振り絞る。対してシルフィードも全身の傷を燃え上がらせ、吠え続ける。

「うあぁぁぁーっ!」

「ぎゅいぃーっ!」

 もはや、この二人の間に割り込むことは神でさえ許されない。だが、均衡は一瞬にして破られた。両者の激突によって生じたエネルギーが崩壊し、大爆発を起こしたのである。

 白い閃光がほとばしり、竜巻もブレスも飲み込む爆発が二人の中心から膨れ上がる。そして、タバサとシルフィードは閃光の中に消え、火山の噴火にも似た破壊が周囲を薙ぎ払っていった。

 

 それから十数分後……ようやく爆発の余波が消えたことを確認したシェフィールドは、エイ型の飛行ガーゴイルに乗って空からタバサを探していた。

 地上には直径百メイルを超える巨大なクレーターが穿たれ、まだあちこちで煙が上がっている。

「なんていう力なの……」

 シェフィールドは焦土と化した地上を見下ろしながらごくりと唾を飲んだ。

 まさかこんなことになるとは想像もしていなかった。だけど、こうなった以上、死体だけでも持ち帰らなければならない。死体だけでもあれば、ジョゼフ様はご不満であろうけど最悪用事は済ませられる。

 空から目を凝らして地上を探し回ったシェフィールドは、クレーターの一角に青い髪の小さな体が倒れているのを見つけて降下した。

「よく焼け残ったものね……ふん、どうやら死んではいないようだけど、とんだ手間をかけさせてくれたね」

 シェフィールドは気を失っている様子のタバサをアルヴィーを使って飛行ガーゴイルの上に運び上げると、忌々しげに吐き捨てた。

 だがこれで、任務は完了だ。あとはこいつを連れ帰れば……と、シェフィールドが考えた時、ふと彼女の目に地上でなかば土に埋もれて横たわっているシルフィードの姿が映った。

「きゅ、きゅい……」

「ふん、お前も生き残ったようね。まったく主従そろってしぶといこと。あら……」

 シルフィードの目から殺気が消えていることに気づいたシェフィールドは、自分の手にはまっているアンドバリの指輪を見た。指輪は本体である魔法石が溶けて土台だけになっており、洗脳の効果が切れたことを知ったシェフィールドは、見上げてくるシルフィードをあざ笑うように告げた。

「本当にお前のご主人はたいしたものね。おかげで、このアンドバリの指輪はもう使い物にならないわ。けど、無駄な努力だったわね。お前はもう、指先一つ動かす力も残っていないでしょう?」

 シルフィードの体は無理な力を使い続けた代償で、全身がズタズタに傷つき、目に宿った命の光も今にも消えそうなほど弱弱しく瞬くだけだ。

 それでも、シルフィードの口がわずかに動き、消えそうな声がシェフィールドの耳にわずかに届いた。

「お姉さまを……かえせ、なの、ね」

「おや? 記憶を取り戻したのね。でも残念だけど、お姫様はお城に呼ばれているの、従者はお呼びではないわ。餞別をくれてあげるから、お前はそこでおとなしく獣の餌食になっていなさい」

 笑いながらシェフィールドは土台だけになったアンドバリの指輪を外すと、ゴミのようにシルフィードに投げてよこした。

 身動きのとれないシルフィードの見ている前で、シェフィールドとタバサを乗せたガーゴイルは無情に飛び去って行く。シルフィードはそれを、どうすることもできずに見つめているしかできなかった。

 やがて周囲は夜の静寂に包まれ、傷だらけのシルフィードの体をさらに冷たく冷やしていく。ガーゴイルの姿はもう見えず、シルフィードは自分の手足の先から少しずつ凍っていくような感じを覚えていた。

「きゅ……」

 もう声も出せない。死んでいくという感じはたぶんこれなんだと、シルフィードはぼんやりした頭で考えていた。

 なぜ自分はこんなところで死にかけているんだろう? 寒い、眠い……意識が薄らいできて、もうそれもわからなくなってきた。

 シルフィードの閉じかけた目と耳に、闇の中から近づいてくる獣の目の輝きと唸り声が入ってくる。狼の群れか、腹をすかせた熊か……シェフィールドの言った通り、このままここでただの肉として獣たちの腹に収まるのだろうか。

 獣の足音が近づいてくる。シルフィードにはもう動く力も吠える力も残っていない……シルフィードが覚悟して目を閉じかけた時、突然突風が吹き頭上を黒い影が覆った。

「きゅ……?」

 何かが空から近づいてくる。それと同時に獣たちが悲鳴をあげて逃げていく音が聞こえ、そこで力尽きたシルフィードは意識を手放した。

 

 

 続く

 

 

 

【挿絵表示】

 


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