ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第95話  オスマン学院長の平穏な日常

 第95話

 オスマン学院長の平穏な日常

 

 誘拐怪人 レイビーク星人 登場

 

 

 その日はのどかで暖かい朝日から一日が始まった。

 緑に覆われた平原の中に、石造りの壮麗な輝きを放ってトリステイン魔法学院はそびえ立っている。

 そこはトリステインの首都トリスタニアから馬で三時間ほどの僻地にあり、周囲の環境は良好で、きれいな水と空気に恵まれたここには、トリスタニアで起きている大事件の騒ぎも届かない。 

 生徒は国内中から貴族の子弟が爵位に関わらずに集まり、国外からの留学も受け入れる名門校として知られている。

 そして、数百人の貴族の子弟を預かるこの学校をまとめるのが、齡数百を数えると噂される老齢のメイジ、オールド・オスマン学院長である。

 立派な白髭を蓄え、ローブをまとった姿は威厳たっぷりであり、いまだ衰えない眼光を見た新入生はすべからく彼に尊敬を抱くという。

 では、才人やルイズがギーシュたちといっしょに出かけて不在のある日を選んで、あまり知られていないオスマン学院長の華麗なる一日を紹介することにしよう。

 

 

 オスマン学院長の日課は、まず朝の学院長室での執務から始まる。

「やれやれ、また生徒の父兄からの要求書かの。爵位ごとにクラスを分けろなど、この学院の意義がまーだわかっとらん者がおるのう。こっちは王宮からの書簡か、また予算についての文句じゃろう。またわしが一筆しなければならんじゃろうなあ」

 うんざりした様子で数々の問題を決裁していくオスマンの姿は、一見威厳とは無縁でどこにでもある光景に見える。だが、名門校ということは相応に様々な問題が集まってくるということであり、それが問題として表面化しないのはオスマンの手腕あってのことだった。

 そのオスマンの隣には眼鏡の美人秘書であるミス・ロングビルが立ち、山積みになっている書類を整理して渡している。

 まさに知的で有能な老紳士の一幕……と、ここまでなら誰もが思うだろう。しかし、オスマンには毎回ロングビルを辟易させる、あるどーしよーもない悪癖があった。

「ほれどうした、ミス・ロングビル? はよう次の書類を取ってくれい」

「学院長、書類はあなたの目の前にあります。それより、書類を探してるふりしてどこをまさぐってるんですか?」

 ひきつったロングビルの声の下で、オスマンの右手はロングビルのスカートの中で上下しており、それを指摘されたオスマンはにやけた顔をしながらしれっと答えた。

「おお、これはこれは。年を取ると目が悪くなるもので、つい手があらぬ方向へ。ひょひょ、それにしても相変わらずいい尻をしておるのうミス・ロングビル」

「くぉんの、エロジジイがぁ!」

 ロングビルはオスマンの腕を掴んで宙に飛び上がり、そして……。

 と、そのとき執務室のドアがノックされて、部屋に黒髪のメイドのシエスタが入ってきたが。

「失礼します、朝食のブレッドとホットワインをお届けに、あら?」

「召喚されし書物で覚えた殺人技のひとーつ! 五所蹂躙絡みーっ!」

「ゲェーッ!」

 シエスタが見たのは、ロングビルに謎の技をかけられて血反吐を吐いている学院長の姿であった。

 しかし、シエスタは動揺した風も見せずに軽食を乗せたおぼんを持ったまま技をかけているロングビルに歩み寄ると、明るく朝の挨拶をした。

「おはようございます、ミス・ロングビル。”また”ですか」

「ええ、”また”よ」

 ロングビルは技を解き、オスマンはあおむけに床に崩れ落ちる。二人はそんなオスマンを冷たく見下ろしていたが、オスマンは寝転がったままシエスタを見上げると嬉しそうに口元を緩めた。

「おお、おはようシエスタくん。うむうむ、今日もスカートからのぞく君のお美脚は健康的で素晴らしいのう。ほっほっほっ」

「ありがとうございますぅ。ではこのホットワイン、冷めないうちにお召し上がりくださいね」

 そう固まった笑顔で言ったシエスタは、熱々のホットワインの入ったカップを傾けて、寝転がっているオスマンの顔にだばだばと注ぎかけた。

「あっづうーっ!」

 顔面を押さえてのたうち回る老紳士を、ロングビルとシエスタはゴミを見るような目で見下ろしているだけである。

 ここまで見ればお分かりであろう。このオスマンという老人は、若い女性に対して非常にお盛んなエロジジイなのである。

 覗き程度は日常茶飯事。場合によっては平気で触りにくる、老いてなお盛んどころではないセクハラ癖は学院で知らない者はいなかった。

 しかしこんなのでも学院長は学院長である。ロングビルはオスマンの首根っこを掴まえると無理矢理執務机につかせた。

「はい、書類は溜まってるんです。あと一時間で済ませますよ」

「むぅ、きっついのうミス・ロングビル。もう少し仕事に優しさがあってもいいじゃろう」

「うるっさい! こっちは育ち盛りのガキを何人も抱えてるから、こんな仕事でも惜しいのよ。働かないならこの無駄な髭をむしりとってカツラ屋に売り飛ばすよ」

 イライラしているロングビルに無理矢理うながされて、オスマンはしぶしぶ執務に戻るのだった。こうなるとしばらくは執務室に缶詰めだろう、シエスタはそそくさと執務室を後にした。

 

 だがメイドの仕事も負けず劣らずにハードである。ではここで、オスマンが動けない間にメイドの日常を少し紹介することにしよう。

 

 オスマンに朝食を届ける仕事が終わったシエスタは、すぐに洗濯物を片付ける仕事のほうに向かった。なにせ洗濯物と一口に言っても魔法学院数百人分の衣類に加えてシーツなどもあるから膨大な量に昇る。もちろん学院には何十人もメイドが勤めているけれど、急がなければならない仕事に変わりはなかった。

 だけれど、シエスタにとって仕事は決して苦痛ばかりではなかった。彼女に割り当てられた仕事場には、後輩と呼ぶべき仕事仲間が二人待っていたからだ。

「おはようございます、シエスタさん」

「おはよう」

 一人は太陽のように明るい笑顔で、もう一人はぶっきらぼうに挨拶をしてきて、シエスタもにこりと笑顔を返した。

 二人ともシエスタと同じくらいの若い娘で、鮮やかな金髪と美貌を持ち、お揃いのメイド服をまとっている。だがそれ以上に目を引くのは、二人ともぴんととがった耳を持っていることだ。

「おはようございます。ティファニアさん、ファーティマさん」

 この二人を指導することがシエスタの最近の仕事であった。もっとも、ティファニアはいつもは王立魔法アカデミーでルクシャナの手伝いをしているが、空いたときに入ってもらえるアルバイトみたいなもので、本命はもう一人のほう。そう、元鉄血団結党団員で、今は一介のエルフの騎士ファーティマをメイドとして鍛え上げることである。

「さてファーティマさん、何度言えばわかるんですか? あいさつはもっと明るくはきはきと、これはすべての基本なんですよ」

「ぐうぅ、なぜ私がこんなことを」

 心底嫌そうなファーティマを、シエスタは怒らずに指導していた。

 しかし、なぜ彼女がこんなところでメイド見習いなどをしているのだろう? 彼女の本意ではなさそうだが。

「私は、私には大切な使命があるのだ。こんなところでこんなことをしている場合ではないのだ!」

「じゃあ、その使命というのは?」

「ぐ、お、思い出せん……」

「でしょう? 路頭に迷っていたところをわたしがたまたま拾ってあげなかったらどうなっていたか。食べ物はタダじゃないんですから言うことを聞いてくださいね」

 ファーティマは悔しそうに頭を下げるしかなかった。そんな彼女にティファニアは優しく声をかける。

「大丈夫ですよ、きっとすぐに思い出せますから。それにファーティマさんの働いてるところ、可愛いって評判なんですから」

「くうぅ、嬉しくないぞ。だいたいここの蛮人どもはおかしいぞ、なんでエルフを見ても平気でいられるんだ」

 するとシエスタが首をかしげて言った。

「えっと、どうしてエルフを怖がらなくちゃいけないんですか?」

「そ、それがおかしいんだ。エルフと蛮人どもは昔から……昔から」

 なにかがおかしい、なにかが間違っていると思っても、それが何か分からなくてファーティマは顔を赤くした。

 けれど、食い扶持がなければエルフも生きられない。背に腹は変えられないファーティマに、シエスタはぱっぱと告げた。

「さあ、時間はありませんよ。みんなで分担してお洗濯はじめです!」

 手を叩いて合図し、水場で洗濯桶を並べて仕事は始まった。

「はいはい、手をリズミカルに動かしてください。一枚に時間をかけてはだめですよ」

「くうぅ、どうして私がこんな新兵みたいなことを」

「と言いつつ上手じゃないですかファーティマさん。てきぱきしてて、わたしより速いかもしれませんね」

「当然だ、自分のことは自分でできるように新兵時代に叩き込まれた。ティファニア、お前も……いや、なんでもない」 

「ふふ、お二人とも仲が良くていいですね。あ、そうそう、ちょっとした注意というか気になることなんですが……」

 話しつつ、時間内に三人のメイドは洗濯を終わらせて干し上げた。風にそよいで無数の洗濯物が舞う姿はなんとも素朴で美しい。

 シエスタは、二人の仕事ぶりに満足すると率直に誉めて、二人も照れ臭そうにうなずいた。

 しかし、メイドの仕事はまだまだこれからである。洗濯の次は掃除に食堂の準備など、やることは山ほど残っており、彼女たちは急いでそちらへ向かった。

 忙しさが嵐のようにやってくる。けれども、それは決してつらいことばかりではなかった。メイドの友達とのなにげない談笑、食堂ではシェフ見習いのリュリュの作った創作菓子の味見をさせてもらえるなど、この仕事ならではの役得もいろいろあり、はじめはかたくなだったファーティマの顔にも徐々に笑顔が浮かぶようになっていた。

 

 

 そしてこの頃になるとオスマンも執務を終えて、校内の見回りを始めていた。

「ほっほっほっ、生徒諸君、元気そうでなによりじゃ」

 年甲斐もなく達者な腰つきで校舎の中を歩くオスマンに、通りすぎる教師や生徒がお辞儀をしていく。

 オスマンは校長室に閉じこもって動かない象牙の塔の巨人というわけではなく、時には生徒と同じ目線に降りて見守る現場主義者としての面も持っている。

「生徒たちの生の姿を見て、若いもんと触れあうのが長生きの秘訣じゃて、ほっほっほっ」

 楽しそうにオスマンは傍らのロングビルに笑いかけた。

 だが、これを才人やギーシュが聞いたら不思議に思うことだろう。なぜなら、才人やギーシュは散策中のオスマンに会ったことなどはほとんどないからで、それを聞いたロングビルは心底呆れた表情で答えた。

「そりゃそうでしょうね、女子が実習しているところばかり見回りしてれば」

 これもオスマンの隠された特技で、彼は長年の勘と、使い魔のネズミのモートソグニルの偵察を駆使することで、男子を避けて女子の授業だけを観察することができるのだ。

「うんうん、最近の女子は発育が良くて素晴らしいのう。ちょっと遅れとる娘も二三年後には、むひょひょひょ」

 緩んだ顔で女子の授業を見つめるオスマンはどう見ても不審者であったが、女子たちももう慣れっこなのか自然と無視しているようであった。

 ロングビルは、それはそれで問題だなと思ったが、腐っても学院長なので生徒たちに近寄りすぎないように引き止める程度にしておいた。

 が、このエロジジイがはいわかりましたと自重するわけがない。ロングビルがちょっと目を離した隙に、痩せた老人の姿は影も形もなく消え失せていた。

「あれっ? オスマン学院長、どこへ? ちいぃっ! また逃げやがったな、あのクソジジイ!」

 ロングビルの激怒する声を聞いて授業中の生徒たちは、「ああ、またなのね」と思うのだった。そしてその時に教鞭をとっていた風の担当教諭のミスタ・ギトーは不健康そうな顔でため息をつきながら、転職先を探したほうがいいのかもしれん、と半ば本気で悩んでいた。

 

 そして、オスマンがどこへ逃げたのかと言えば当然女の子のいるところである。

「うひょひょ、やはりここはええのう、地上の楽園とはこのことじゃ」

 学院のある場所で、オスマンは小声で呟いていた。

 彼の目の前では女子たちがあられもない姿を無防備に晒している。ほどよく成長した乳と尻の肌色の天国。それが見れる場所は学院に二ヶ所、その一つは女子風呂だが、そこは強固な魔法の防犯装置が備わっており、オスマンでも侵入は不可能である。

 そしてもう一つ。男子なら誰もが夢見るエルドラド、以前オスマンはそこを覗こうとして失敗しているが、このエロジジイが一度の失敗で諦めるわけがない。その禁断の楽園の名は、女子更衣室である。

「むひょひょひょ、モートソグニルに一ヶ月もかけて壁に穴を開けさせてよかったわい。これじゃから教師はやめられんのう」

 と、教師として最低なことをのたまいながら、更衣室に開けた穴から女子生徒の着替えを興奮して覗くオスマン。視線の先では女子たちが何も知らずに下着姿をさらしており、中にはルイズのクラスメイトの姿もある。

 ああ、まさしく女の敵。邪悪の所業。このまま乙女の柔肌が、染み一つないふとももが、健康的な鎖骨が色欲に満ちた目にさらされ続けるのだろうか?

 だが、悪は長くは栄えない。覗きに夢中になって壁に張り付いているオスマンの背後から怒りに満ちた声が響いた。

「オースマーン学院長ぉ」

「はっ、ミ、ミス・ロングビル! なぜここに!?」

「状況判断ですわ。学院長の行きそうなところを考えれば、その行く先で最有力となるのは女子更衣室。できればそれくらいは自重する良心があってほしいと思ってましたが、覚悟はよろしいでしょうね?」

 ミス・ロングビルが盗賊フーケ時代でもしなかったような凄絶な笑みを浮かべて指を鳴らすと、更衣室内にいたはずの女子生徒たちが一斉に現れてオスマンを取り囲んでしまった。当たり前だが数十人の女子全員の顔が怒りに燃えている。

「ひょ、ひょほ、これはみんなで年寄りをいたわってくれるのかのう。マッサージでもしてくれるのかい?」

「ええ、気持ち良くてそのまま天国に行ってしまいそうなマッサージをたっぷりとね。背中、両腕、両足、頭、内臓、それに首を念入りに破壊してあげますね。さあ皆さん、やってしまいなさい!」

 冷や汗が髭にまで流れ出ているオスマンに、ロングビルはためらいなく死刑宣告を下した。たちまち殺意に満ちた女子生徒たちが殺到し、破壊の渦の中でなにかが叩きつけられる音やなにかがヘシ折られる音がいつまでも流れ続けたという。

 

 そしてその数十分後、放置されボロ雑巾のようになったオスマンのそばをシエスタたち三人が通りがかっていた。

「あら、こんなところにゴミが落ちてますね。焼却炉に持っていきましょうか」

「あの、シエスタさん? これ、オスマン学院長さんなんじゃないんですか」

「おい、これは一応お前たちの上司だろう。いくらなんでもそこまで無下に扱うのはどうかと思うが……」

 完全にモノを見る目付きのシエスタに耐えかねて、ティファニアとファーティマが抗議したが、シエスタは眉も動かさずに手に持っていた掃除用のバケツの水をぶっかけると踵を返した。

「この方にはこれでじゅうぶんです。さ、行きますよふたりとも」

 シエスタの冷酷な態度にティファニアとファーティマもそれ以上言えずに、言われるままついていくしかなかった。

 そしてさらに三分後、休憩してきたロングビルが戻ってくると、オスマンはむくりと起き上がった。

「あー、死ぬかと思ったわい」

「死ねばよかったのに。さ、行きますよ、まだ仕事はたっぷり残ってるんですからね」

 ロングビルが言うと、オスマンはよっこらしょっと、けろっとした様子で立ち上がった。

 そうして、何事もなかったようにオスマンは公務に戻っていった。ロングビルにとってはもう慣れたもののようである。

 

 しかし、真面目な話学院長の公務は中々に忙しいものである。ロングビルが読み上げる今日のスケジュールは、みっちりと詰め込まれていた。

「まずは生徒たちが壊した寮の修理の見積り、昼食を挟んで午後からはアルビオンの魔法学院の教頭との会談、続いて学院のスポンサーであるアルフ伯爵の歓待です」

 これらをこなさねばならないのだから楽なわけがない。だが、仕事となるとオスマンはさすがに老獪な姿を見せ、要人の歓待などもそつなくこなす様はロングビルも感心するものがあった。

 けれど、そうしたわずかな隙をついてセクハラに走るのがオスマンである。今度もロングビルがちょっと目を離した隙をついて、水の系統の授業で魔法に失敗してずぶぬれになった女子生徒の透けた制服を遠見の魔法で覗いていた。

「うひょひょ、見えるか見えないかの絶妙な透け具合がまたええのう」

 物陰に隠れてニヤニヤしている様はまさしく変態以外のなにものでもなかった。そこをたまたま通りがかったシエスタとティファニアとファーティマに見られていたが、ファーティマが呆れながらシエスタに尋ねた。

「なんという最低な男だ。なぜ、あんな奴が学院長を勤め続けられるんだ? 多少仕事ができようとも、普通なら訴えられて解任されるだろう」

「あら、ファーティマさんはまだこの学院のことが理解できていないようですね。この学院に、訴えるとか泣き寝入りするとかみたいな軟弱なことをする子なんていませんよ。ほら、見ててください、そろそろですよ」

 シエスタが言うと、覗きをしているオスマンの気配に気づいてか、ひとりの女子が大声をあげた。

「きゃーっ! 痴漢よ。あそこに痴漢がいますわよーっ!」

 その声を合図に、残りの女子生徒たちもはじかれたように飛び出してオスマンを包囲した。そして命乞いをするオスマンに構うことなく、制裁という名のリンチが始まった。

「変態よ変態よ、ぶち殺しあそばせ!」

「変態は殺しても罪になりませんことよ!」

 そのころ、例によって袋叩きに会っているオスマンをロングビルはニコニコしながら眺めていた。

 そして、シエスタはぽかんと眺めているティファニアとファーティマにこう言うのだった。

「破廉恥な殿方は即座に処刑するのが魔法学院の今の流儀なんですの。少し前まではギーシュ様たち男子が幅を利かせていましたけど、サイトさんがギーシュさまを成敗したり、キュルケさまが男子を手玉に取ったりするのを皆さんが見ているうちに、男子に遠慮するなんて馬鹿馬鹿しいじゃないかなと女子の皆さんも思うようになったみたいです」

「た、たくましいですね、皆さん」

「淑女とはいったい……」

「特に最近は図書室で見つかった新しい召喚されし書物がブームなんです。それにはいろんな必殺技が載ってまして、皆さんそれぞれの彼氏に使う前に覚えたての殺人技や残虐技を試してみたくてしょうがないみたいですよ」

 そう言って、シエスタは懐から一冊の小さな本を取り出して見せてくれた。絵物語風で字は読めないけれど、シエスタが「わたし、この人のファンなんです」という仮面の騎士が相手を肩に担ぎ上げて背骨折りをかけていた。

 ティファニアとファーティマはよく似た美貌を引きつらせて、見守っているばかりである。よく見れば、オスマンに制裁をかけている女生徒たちも魔法をぶっつけるだけでなく、前後からラリアットをかけたり首にニードロップをしたりと格闘技もぶつけている。

「だが、魔法学院なのに魔法を使わなくていいのか?」

「健全な魔法使いは健全な肉体の持ち主だとかで、ミス・ロングビルも奨励しているみたいですよ。ダイエットにもなって殿方も懲らしめられて、一石二鳥だとか」

 けれどこのままでは本当に殺してしまうのではとファーティマとティファニアは心配したが、ひとしきりオスマンを痛めつけて満足した女子生徒たちが去って行って、ロングビルが倒れているオスマンの頭を踏んづけると、オスマンはむくりと起き上がって何事もなかったようにローブの埃を払った。

 その後は、「あー、死ぬかと思ったわい」の一言。今度こそファーティマも呆然とすると、シエスタが冷たい目で言った。

「あのジジ……いえ、学院長は長生きで治癒の魔法が得意なのか知りませんが、どんなにボロボロに痛めつけても数分で復活してくるんですよ。一日で五、六回くらいは殺されて生き返ってるんじゃないですか? おかげで今では使い減りしない魔法の的として重宝されているくらいだそうです」

「あのジジイは本当に人間か……?」

 エルフの治癒魔法を使ってもここまでしぶとくはないぞとファーティマはぞっとした。

 だが、オスマンにそれを問いただせば「わしはただのジジイじゃよ」と、笑いながら答えるだろう。彼に言わせればギーシュなどはまだまだひょっこであり、婦女子のすべてを愛でるために死をも乗り越えるのが真の紳士なのだと。

 考えてみれば才人も日ごろからルイズの爆発魔法を食らいながらたいしたケガもないのだから、そういうものなのかもしれない。

 

 まあ、なにはともあれ騒々しく一日は過ぎていく。

 昼の内はオスマンの悲鳴が何度も聞こえた学院も日が暮れたら静かになり、さすがにオスマンも女子寮に忍び込むほど外道に手を染めてはおらず、やっと女子たちも静かな時間を迎えていた。

 

 平和な夜がやってくる。だが……。

 これまでも、若いメイジの集まるこの学院は様々な形で狙われてきた。今は平和に見えても、その闇の中ではなにが蠢いているのかわからない。

 仕事終わりに、オスマンはロングビルとある打ち合わせをしていた。

「ミス・ロングビル、すまんが頼むわい。明日には片をつけたいからのう」

「わかっています、テファを危険な目に合わせるわけにはいかないわ。そのためなら、また危険な橋だって渡ってやりましょう」

 なにかの決意を込めたロングビルが、怪盗フーケだった頃の目に戻って執務室を出ていく。その後ろ姿を、オスマンは厳しい目で見つめていた。

 

 なにかが、静かに起こっている。それはまだ学院で表面化してはいないが、学院の中でひとつの噂となってささやかれていた。

「ねえ、今日もネイティは休み? あの真面目な子が珍しいわね」

「そういえばパーラも今日はいないわね。なにか最近、ズル休みする子が多くない?」

「いやーねえ、サボり癖まで破廉恥な水精霊騎士隊に移されたのかしら」

 最近授業に出てこない生徒が増えている。しかし、元々貴族は気まぐれで身勝手な者が多いために、教師も生徒もあまり気にしてはいなかった。

 また、メイドたちの間でも奇妙な噂が立っており、シエスタとファーティマは仕事終わりにティファニアを部屋に送っていった帰りに、そのことを話していた。

「ですから、近頃メイドの友達が突然いなくなることがあるんです。それも、可愛い子ばっかりで、拐かされたんじゃないかって言われてますから、ファーティマさんも気をつけてください」

「ふん、わたしを誰だと思ってるんだ。蛮人の暴漢やメイジごとき、何人来ようがものの数ではない」

 ファーティマの自信は間違ってはいない。人間とエルフでは魔法の威力に大きな差があり、よほどのことがない限りはエルフが人間に負けることはないと言えた。

 ただしそれは、相手が人間であればの話である……。夜の闇に隠れて、人ならぬ影が二人に近づきつつあった。

「だから、お前は馴れ馴れしいぞ。仕事の上司だから従っているが、もう少し離れろ」

「えーっ、だってわたしに初めてできた後輩なんですもの。サイトさんはあまり帰ってきてくれないし、このたぎる情熱をどこにぶつけろっていうんです? ほら、先輩って呼んでくださいください」

「ほとんどお前の私欲じゃないか! ええい、誰が先輩などと呼ぶか。離れろ離れろ!」

 美少女同士がじゃれあっている姿は色っぽくも微笑ましい姿ではあったが、邪悪な影は確実に二人に迫り来ている。その殺気に気づいたとき、ファーティマは反射的にシエスタを突き飛ばしていた。

「離れろ、先輩!」

「きゃっ!」

 シエスタは、てっきりファーティマが怒って突き飛ばして来たのかと思ったが、体を起こしてファーティマの殺気だった表情が闇の先を睨んでいるのを見て違うと気づいた。

 ファーティマはそのまま早口で攻撃用の魔法を詠唱し始めた。しかし、ファーティマが最後の句を詠み終わる前に、闇の中から青い光が放たれたかと思うと、シエスタの目の前でファーティマの姿はかき消えてしまったのだ。

「う、うぁーっ!」

「ファーティマさん!?」

 瞬きひとつする間に、ファーティマの姿はどこにもなかった。シエスタは、これは尋常ではない一大事と、助けを求めるために駆けだそうとする。

 しかし、闇の中からシエスタの後ろにカラスのような頭をした怪人が現れて、その背に銃のような機械を向けたのである。

「あ、キャーッ!」

「フッフフフフフ……」

 怪人は、シエスタも消えたことを確認すると闇の中へと再び消えた。

 だが、怪人の背後からさらに一対の目がその後を追っていることに、奴はまだ気づいてはいなかった。

 

 そして、怪人はそのまま他の生徒や教員の目を避けつつ、今は使われていない学院の地下倉庫へとやってくると、周囲を確認し、人の気配がないことを確かめて中に入った。

「フフフ、今度もなかなか上々な収穫だったな」

 そいつは部屋の中のテーブルに置かれた箱に近づくと、手に持っている機械を操作して中のものを箱の中に放り出した。

「きゃっ」

「うわっ」

 シエスタとファーティマが投げ出されたのは、妙にだだっ広い見慣れない部屋だった。

「くっ、なにが起こったんだ?」

「ファーティマさん、ここは……?」

 薄暗さに目が慣れないので部屋の輪郭くらいしかわからない。シエスタは部屋を見渡して、そこに何人かの人影があるのに気がついた。

「誰? そこに誰かいるんですか?」

「シエスタ? シエスタじゃないの。あたしよ、ウィリナよ」

「ウィリナ? あっ、あなたたちはスキアにネリェ、あなたたちどうして!」

 そこにいたのは、最近になって姿が見えなくなったシエスタの同僚のメイドたちであった。それに、目が慣れてきて見渡すと、他にも学院の女子生徒たちらしき人影がいる。

「シエスタ、あなたも捕まってしまったのね」

「捕まった? それってどういうことなの?」

「……ああいうことよ」

 彼女たちが上を見上げてシエスタとファーティマも釣られて上を見て絶句した。そこには、黄色い目をした鳥のような頭の巨大な怪物がこちらを見下ろしていたからだ。

「きゃああっ!」

「なっ! か、怪獣か!」

「ゲッゲッゲッ、俺が怪獣? 違うな、お前らが小さくなってるんだよ」

 その鳥頭の怪物はそう言って笑った。確かに、よく見ると床の木目の大きさなどが明らかにおかしく、自分たちが小さくされてしまったというのが納得できた。どうやら、一抱えほどの木箱の中に五サントほどの大きさに縮められて閉じ込められてしまったらしい。大変なことになってしまったと、シエスタは才人の顔を思い出した。

 だが、あざ笑われるように見下されてプライドに火のついたファーティマは、シエスタが止める間もなく鳥頭の怪人に向かって怒鳴りつけた。

「貴様、何者だ! わたしにこんなことをして、ただではすまさんぞ」

「ゲッゲゲゲ、生きが良くてけっこうけっこう。売り物は鮮度がよくないと高値はつかんからな」

「売り物……だと?」

「そうだ、俺らはレイビーク星人。しばらく前には、ガリアという国で奴隷狩りをおこなっていたのだが、仲間がヘマをやってしまってな。今はこうして、人間の雌を集めて好事家どもに売り飛ばす仕事をしているのさ。この縮小光線銃を使ってな」

 レイビーク星人。正確には、以前ガリアでタバサたちに倒されたレイビーク星人の残党ということになる。あの時、ほとんどの星人は宇宙船ごとウルトラマンジャスティスによって葬られたはずであったが、たまたま外に出ていて宇宙船に乗り損ねていた個体が一体だけいたのだった。

 売り物にされると聞いて、ぐっと息をのむシエスタ。彼女は気丈にもレイビーク星人を見上げて言い返した。

「あ、あなたなんかすぐにサイトさんが来てやっつけてくれるんですからね」

「フッハハハ、誰が相手だろうと気づかれなければ怖くはないわ。ここから人が消えていることはまだ騒ぎにはなっていない。あとはせいぜい二、三匹狩ったところで騒ぎになる前にこんな場所とはおさらばさ。ゲッゲッゲッ」

 下衆に笑うレイビーク星人を見上げて、シエスタは悔しそうに奥歯を噛み締めた。レイビーク星人は小悪党らしく、足がつかないように注意を払っていた。確かに、誰であろうと異変に気づけなければ意味がない。自分たちだって、もしかしてと思うくらいでまともな警戒はしてなかったのだ。

 そして、売り飛ばすという言葉に、シエスタは身震いするおぞましさを感じた。その相手が人間か宇宙人かはわからないが、女の子を金で買おうとする奴にまともな奴がいるわけがなく、同じように拐われてきたシエスタの同僚たちや女子生徒たちも怯えた表情をしている。

 その一方、嘲笑されて怒りに燃えるファーティマは、レイビーク星人に向けて先住魔法を放った。

「風よ、我が声に応えて敵を穿て!」

 メイジの『エア・ハンマー』を大きく凌駕する、砲弾ほどの威力の空気玉が放たれる。それはレイビーク星人の頬あたりに当たったが、レイビーク星人は当たったところをポリポリとかくだけでせせら笑った。

「効かないなあ、そんなもの」

「くっ、おのれっ」

 普通の大きさだったら一撃で倒せていただろうが、二メートルほどの身長のレイビーク星人と今のファーティマでは四十倍もの差がある。それに比例して魔法の威力も悲しいほどに減少していたのだ。

 だが、攻撃されたレイビーク星人は不愉快そうにファーティマを見下ろすと、鍵爪状になっている手を伸ばしてきた。

「だが生きが良すぎるのも問題だな。お前は売り物にするのは止めて、カタログ用のサンプルになってもらおうか」

「サンプルだと!? 貴様、何をする気だ!」

「蝶の標本を知らないかね。固めて板に貼り付けて、そういうコレクションが好きな金持ちもいるんでな」

 狼狽するファーティマに向かってレイビーク星人はどんどん手を伸ばしてくる。逃げようにも、周りは板壁に囲まれていて逃げ場はないし、先住魔法も威力が大幅に弱体化させられていて役に立たない。

「や、やめろ、来るな!」

 たちまち板壁に追い詰められてしまったファーティマは、もうだめかと諦めるしかなかった。勝気な彼女も、無残な未来を想像して目をつぶった。

”同志の皆、こんなところで果てるわたしを許してくれ”

 ファーティマの脳裏に、故郷サハラの光景が浮かぶ。まだ使命半ばだというのに、こんなところで……。

 だが、その前に気丈にもシエスタが立ちふさがってファーティマをかばったではないか。

「ま、待ってください。生贄が必要なら、わ、わたしを!」

「お、お前!」

 シエスタのとっさの行動に、ファーティマは愕然とした。非力な蛮人の、それも平民がなにをしようというのか。

 けれどシエスタは震えながらも、目の前のレイビーク星人に向かって叫んだ。

「わ、わたしは彼女の教育係です。彼女が無礼を働いたなら、わたしが責任をとります」

「ほぉお」 

 レイビーク星人は興味ありげに手を止めた。しかし、身代わりになろうとしているシエスタにファーティマは怒鳴る。

「やめろ! あいつは本気だぞ。本気で人間標本を作ろうとしてるんだ、どんな目に合わされるのか、お前にだってわかるだろう」

「それでも、わたしはあなたの先輩です。後輩を見殺しになんて、できません。それに、もうサイトさんにもミス・ヴァリエールにも顔向けできなくなっちゃいます」

「意地でどうにかなる相手じゃない。本当に殺されるんだぞ、わかってるのか」

「わかってます。怖いです、怖いですけど、サイトさんやミス・ヴァリエールが教えてくれたんです。怖いからって立ち向かわなかったら、ずっと怖いままだって。ひっかいてやります、かみついてやります。平民だってやれるんです。わたしは生徒じゃないですけど、それがわたしがこの学院で学んだことなんです」

 それは、フライパンを振り回してドラゴンに挑むような蛮勇ではあったが、シエスタの勇気は死線をくぐってきたはずのファーティマをも圧倒するなにかがあった。

 すると、シエスタに続くかのように、シエスタのメイド仲間たちもシエスタに並んで立ち上がってきた。

「シエスタだけにいいかっこさせてられないわ。メイド長やマルトーさんに怒鳴られちゃう」

「ええ、トリステイン魔法学院のメイドがそこらのメイドとは根性が違うってところを見せてあげましょう」

「みんなでひっかいて噛みついてやるわ!」

 勇気をシエスタにもらって、メイド仲間たちも覚悟を決めていた。気まぐれな貴族たちに仕え、いつ首をはねられてもおかしくない仕事を続けてきた彼女たちも、一度腹を決めれば強かった。

 それだけではない。メイドたちが立ち上がったのを見て、おびえていた女子生徒たちも杖を手にメイドたちの前に立ったのだ。

「へ、平民が戦ってるのに貴族が逃げてはいれないわよね。平民を守るのは貴族の義務よ」

「自慢話ばかりしてる不埒な男子たちに、女子だってやれるって証明して、や、やるんだから」

 貴族育ちで実戦経験のない彼女たちも、震えながら必死で杖を握っていた。本当はこんなことをしたくはないけれど、怪獣を相手に奮闘する水精霊騎士隊の活躍を見てきた記憶が、彼女たちに自分たちもやればできるというひとかけらの勇気を持たせてくれていた。

 いつしか、ファーティマの前には分厚い人の壁ができていた。

 こいつらはどうして……と、ファーティマは思った。どうしてこいつらは、エルフに比べたらはるかに弱っちい生き物なのに、こんなに勇気が持てるんだ……いや、そうか、だからティファニアもあのとき。

 勇気が持つ本当の力を、ファーティマも感じ始めていた。しかし、少女たちの反抗に興味を通り越していら立ちを覚えたレイビーク星人は、少女たちに向けてこぶしを振り上げた。

「ごちゃごちゃとうるさい虫けらどもめ! 傷ものにならない程度に、痛い目に会わせてやる!」

 人形も同然の大きさの少女たちを殴り飛ばそうと振りかぶるレイビーク星人。少女たちに防ぐ手段はなく、シエスタたちは覚悟を決めて目をつむった。

 だがその瞬間、地下室にのんきな老人の声が響いた。

「ほほお、学院にこんなとこがあったのか。しばらく使ってないんですっかり忘れておったわ。これは秘密基地にはちょうどいいのう」

「っ! 誰だ」

 反射的にレイビーク星人は縮小光線銃を地下室の入り口に向かって構えた。

 そして、少女たちもその声の主の登場に驚いていた。聞き覚えがあるどころではない、魔法学院に暮らす者なら知っていて当然の人物の登場に、誰からともなくその名を口にしていた。

「オスマン学院長……」

 そう、天下御免のエロジジイ、オスマン学院長がやってきたのだ。この予想外の乱入者に、レイビーク星人もうろたえていた。

「き、貴様、どうしてこの場所を?」

「ほほ、ジジイの夜の散歩のついでに寄っただけじゃよ。しかしお前さん、やってくれたのう。この学院の大切な若百合たちを勝手に摘んでもらっては困るのう、返してもらおうかい」

 とぼけた態度をとりながらも、その言葉には確かなすごみが込められていた。その威圧感を間接的に感じるだけで、いつものセクハラジジイとしてのオスマンしか知らない女生徒やメイドたちは息を呑み、すぐに縮小光線銃の引き金を引こうとしていたレイビーク星人もためらった。

 オスマンはレイビーク星人の銃口の前に身をさらして飄々と杖を突きながら立っている。

「じゃが、話は聞かせてもらったよ。哀れな置いてけぼり君にせめてもの慈悲じゃ、このまま生徒たちを返せばよし。さもなければ、トリステイン貴族に手を出した報いというものを味わってもらうことになるぞ」

「クッ、ジジイが! だが知っているぞ。こんな狭い地下室みたいな場所では、お前たちメイジは自由に魔法を使えないってな。いいのか、こいつらも巻き添えになるぞ」

 レイビーク星人は傍らに生徒たちの入っている木箱を置き、人質にしていた。しかし、オスマンはまったく動じることなく言う。

「やれやれ、ウチュウジンの年齢はわからんが浅はかじゃのう。確かにワシはジジイじゃが、年を取るというのも悪いことばかりではなくてのう……例えば」

「ケッ! 消えやがれ!」

 威圧に耐えられなくなったレイビーク星人は縮小光線銃の引き金を引いた。だが、その瞬間を待っていたとオスマンは叫んだ。

「今じゃ! ミス・ロングビル」

 すると、レイビーク星人の見ていたオスマンの姿がぐにゃりと歪んで消えたかと思うと、次の瞬間にはレイビーク星人自身の姿がそこにあった。

「なっ!?」

 意味を考える間もなく、レイビーク星人の指はすでに引き金にかけられ、青い縮小光線が目の前のレイビーク星人に向かって放たれた。

「うわぁぁ!」

 縮小光線を浴びせられ、レイビーク星人は縮小光線銃を残して消えてしまった。

 いったい何が起こったのだろうか? すると、入り口の隅からオスマンが、そして入り口の正面から大きな姿見を抱えたロングビルが現れた。

「なんとかうまくいったわね。けど、ギリギリで心臓が止まるかと思ったわよ」

「ご苦労じゃった、ミス・ロングビル。部屋の薄暗さで、ワシの姿が姿見に映った虚像じゃと奴が気づかないでくれてよかったわい。しかし、狙い通り鏡で跳ね返せる光線で助かったわ。生徒たちを元に戻すために、どうしても生け捕りにせんといかんかったからのう」

 オスマンにとっても大きな賭けであった作戦だが、成功したことで二人とも胸を撫で下ろしていた。

「でも、本当にギリギリだったんですからね。私がこいつのアジトを突き止めたまではよかったけれど、ろくな打ち合わせもなしで作戦開始だもの、ヒヤヒヤしたわ」

「すまんの、ミス・ロングビルならできると思うたからつい無茶を言ってしもうた。ま、可愛い生徒たちが危なかったんじゃ、堪忍してくれ」

 そう言ってオスマンは木箱の中の少女たちを見下ろした。その表情は色欲に満ちたエロジジイのものではなく、穏和な好好爺の笑顔で、シエスタたちは緊張を解いて安堵した。

 そして、ロングビルは床に落ちた縮小光線銃を取り上げた。中の物を出す方法は、先ほど見てわかっている。小さくなって放り出されたレイビーク星人を、オスマンは魔法で浮かせて捕まえた。

「さて、これで勝負ありじゃの。生徒たちを元に戻す方法を教えてもらおうか」

 オスマンに宣告されて、レイビーク星人はじたばたと暴れたが、レビテーションの魔法で宙に浮かせられたのではどうしようもなかった。

 しかし、奴はなおも往生際悪く抵抗を諦めていない。

「へっ、誰がしゃべるかよ。こいつらは大事な商品なんだぜ」

「ほう、商品とな?」

 オスマンの眉がぴくりと動く。するとレイビーク星人も危なさを感じたのか、アプローチの方向を変えてきた。

「あ、いや、じゃあ取引をしようぜ! 俺がこいつらを売った金を半分、お前にやるよ。大口の顧客の目処が立ってるんだ。な、悪い話じゃねえだるほおっ!」 

 オスマンの返事は、念力の魔法での骨が折れるような締め付けであった。

「お主、自分が取引などできる立場じゃと思っておるのか? そういえばさっきは話が途中じゃったな。年を取るといろいろ知恵がつくものでな、その中にはろくでもない知識も色々あるものじゃが、しゃべる気のない者に無理矢理口を割らせる方法とかの、試してみようかい?」

「ぎゃああぁっ!」

 レイビーク星人に選択の余地はなかった。

 

 その夜、行方不明になっていた少女たちは無事に寮に帰り、事件は公になることなく解決した。

 

 翌日には生徒たちはまた授業に出席し、メイドたちは仕事に精を出す。

 いつもと変わらない一日の始まり。そしてオスマンも変わらずにミス・ロングビルのスカートの中を覗く。

「やっぱり死ねぇ! このクソジジイが」

「ゲェェーッ!」

「決まったぁー! これはまた殺意の塊みたいな技ですねえ」

 ミス・ロングビルの放った必殺技がオスマンの全身を破壊し、オスマンだったものに変えられる。その様をシエスタが実況者のように叫び、その後ろでファーティマとティファニアは 技をかけられるオスマンを眺めながらドン引きしている。

 昨日助けられたお礼を言うためにやってきたが、早朝からまたこの調子だった。昨日、命を助けられたことなどはまったく感じられないその態度に、ファーティマは心底呆れた様子でため息をついた。

「まったく、昨日あれだけのことがあったというのに、本当にあれは昨日と同じ人物なのか?」

「あら、このくらいでおとなしくなってたら魔法学院では生きていけませんよ。ファーティマさんも、そのうちわかります」

「あまりわかりたくない。まったく、似たような老人を一人知っているが、まだ合理的な思考をなされるぞ。あの色欲はどこから出てくるのか」

 たぶん、それは永遠の謎だろう。男がなぜエロを求めるかといえば、本能だとしか言いようがないのである。

 けれど、オスマンを冷たい目で見ていたシエスタが、少しだけ視線を緩めて言った。

「いつかファーティマさんにも、自分の全てを捧げてもその人の全てを奪いたいと思う人ができたら少しはわかりますよ。人はそうなったとき、自分でも抑えられないくらい変わっちゃうんです」

 その言葉に、ティファニアは母を思い出した。一人で人間の土地に嫁いできた母も、きっと……。

 シエスタの目には、確かな信念が浮かんでいる。それは才人と初めて会った日から続く、熱く純粋な思い。その感覚をまだ知らないファーティマは、シエスタに問いかけた。

「恋……というやつか。だが、それならお前はどうして、そんなに平然としていられるんだ」

「だって、無理にサイトさんに着いていってもわたしじゃ足手まといになっちゃいます。でも、サイトさんやミス・ヴァリエールがいつでも安心して帰ってこられるようにここで待って、疲れて帰ってきたときにわたしの傍らでゆっくり休んでもらうことはできます。だから学院を守り続けるのがわたしの役目であり、恋の戦いなんです」

 にこやかに微笑んで、ティファニアをともなって仕事に向かうシエスタは、まるで港で船乗りの夫を待つ妻のようでもあった。

 いつか帰るあの人のために、学院を変わらずに平和に保つ。そのときに、お帰りなさいを言ってあげるために。

 

 その一方で、今度は生徒たちに覗きを見つかって袋叩きにされているオスマンを見て、ロングビルは昨日までとは少し違う思いを抱いていた。

”普通の貴族なら、自分の手柄を大々的に公表するだろうに、このじいさんときたら……”

「公表? そんなことをしてなんになる。いたずらに生徒たちの不安をあおるだけじゃ。つまらんことを考えるでない」

「でも、学院長の活躍を知れば、生徒たちもあなたを見る目が少しは変わるのではないの?」

「こんなジジイの世間体などどうでもええわい。今回のことは、若者たちの元気に煽られたジジイの年寄りの冷や水。それだけじゃ、ほっほっほっ」

 英雄になれるチャンスを放り投げて水煙草を吸うオスマンの顔は、子供のように無邪気だった。

 しかし、もしレイビーク星人の暗躍を公表していれば、こんなのんきな朝はやってこなかっただろう。オスマンの器の大きさを、ロングビルは少しだけ見直していた。

「ぐおぉぉっ、そ、その殺意と憎悪から放たれる技のキレ、昨日よりさらに威力を増したようじゃわい」

「お望みとあれば明日も明後日も食らわせて差し上げますわ。ちょうど新開発中のツープラトンもありますわよ」

 女子生徒たちもどこか楽しんでいるようであった。もちろんセクハラはいけないことだが、ここの生徒たちはそんなものに負けないくらいたくましく、日々そのたくましさを磨いていく。

 そう、変化することは大切だが、変わらないことが大事なものも中にはある。

 それが日常。変わらない日常の中で、若者たちは安心して成長し、変化していく。たとえば、学院のある曲がり角でばったり出会ったメイドと女子生徒の一団のように。

「あ、う……き、昨日はありがとうございました。貴族の方々に庇ってもらえるなんて思わなかったです」

「い、いいのよあんなこと。あなたたちこそ、貴族でもないのにあんな立派に戦えて、その……良ければ今度、いっしょにお茶でもしましょう」

 小さな友情の芽生えという変化を残して、この事件はなんの記録にも残ることなく終息した。

 今日もまた、にぎやかで騒々しい魔法学院の一日がやってくる。外でなにが起ころうとも、卒業のその日まで魔法学院を生徒たちの安住の地であり続けさせるために、オスマン学院長の華麗なる一日は変わらない。

 

 

 続く


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