ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第68話  仇なき復讐者

 第68話

 仇なき復讐者

 

 奇機械改竜 ギャラクトロン 登場!

 

 

 物語は、コルベールとリュシーが出会う前日にさかのぼる。

 元素の兄弟のダミアンとドゥドゥーはジャックとジャネットと別行動をとり、連続爆破事件の足取りを追っていた。

「それで兄さん? いったいどうやって犯人の尻尾を踏んづけるつもりだい……ですか?」

「そんなに難しくはないさ。犯人はこれまでの事件で、相当な量の火の秘薬を使っている。だが錬金で火薬をまかなうのはよほどのメイジでも厳しいものだ。だから、闇ルートでの火の秘薬の流れを追う」

 ここ最近で、火薬を大量に購入している者がいたらそいつが犯人である可能性が高い。ドゥドゥーはダミアンの考えになるほどと思った。

 むろん、同じことはガリアやトリステインの官憲も考えているだろうが、堅気の人間が闇ルートの深部に迫ることは難しい。その反面、元素の兄弟は裏社会のエキスパートであり、闇ルートの人間にも広く顔が利く。

「さすがダミアン兄さんは頭が切れるなあ」

「ドゥドゥー、これくらい君が一人でできるようになってくれないと困るよ。いつまでも下調べを僕やジャック、ましてジャネットに甘えていてどうする? そろそろ一人前になってくれないと、僕にも考えがあるからね」

「はい……」

 ダミアンは一見子供にしか見えない背格好だが、怒った目つきは悪魔よりも怖く、睨まれたらドゥドゥーは背筋が凍り付いて逆らえなくなるのだった。

 これ以上ダミアンの機嫌を損ねたら、それこそどんな罰が待っているかわからない。ドゥドゥーは、今回はふざけていられる場合じゃないと必死になって情報収集に当たり、ついに有力なネタを突き止めることに成功した。

「兄さん、たぶん、この線じゃないかな?」

「ふむ……最近、ゲルマニア軍から相当量の物資の横流しが起こっている、か。確かに、怪しいね。その行く先になったのは、ふうん……だが、この仲買人になった商会、見ない名前だね」

「あ、うん。どうも最近になって急にのし上がってきた闇商会らしいよ。かなりのやり手だとは聞いたけど、ボスが誰かってのはわからないってさ」

 ダミアンは、ふむ、と軽く目を細めた。下剋上の激しい裏社会で、才能と野心ある若手がのし上がってくることは別に珍しくはない。それに、自分たちのような刺客に狙われるリスクを避けるために組織のボスの正体を秘匿することも普通だ。

 しかし……と、ダミアンは少し違和感を覚えた。ドゥドゥーは気づいていないようだが、ガリアやトリステインはともかく、あの拝金主義のゲルマニアで新興組織を軍から大規模な横流しができるほど短期間に急成長させるとは、並の手腕ではありえないことだ。

 そんな実力と野心を持った奴がこれまで裏社会にいたか? ダミアンは記憶を辿ったが、ふとドゥドゥーが妙な様子で自分を見ているのに気づいて思考を打ち切った。

「どうしたんだい? 何か言いたそうな顔をしているね」

「あ、うん……実は、その。この情報だけど、昨日同じことをジャック兄さんとジャネットも聞きに来たらしいんだ」

 それを聞き、ダミアンはふぅとため息をついた。

「なるほど、あの二人に先を越されたわけか。まあいい、あの二人より一日遅れならドゥドゥーにしては上出来だ。すぐに後を追うよ、いいね」

「は、はい兄さん!」

 なんとか兄の怒りは乗り越えたようだ。ドゥドゥーはほっとして、次いで喜び勇んで馬を借り入れるために飛んでいった。

 ダミアンは、そんなお調子者の弟の背中を呆れた様子で見守っていた。

「一日遅れか。急げばジャックたちが仕事をすますギリギリで間に合うかな」

 だがもしターゲットが間違っていなければ、あの二人がターゲットを仕損じることはまずない。それでも、手柄を取られることもドゥドゥーにはいい薬だとダミアンは思った。ゲルマニアの闇世界のことは、すでに当面の考えからは消えていた。

 馬を飛ばし、大量の火薬を購入したという人間がいるはずの街へと急ぐダミアンとドゥドゥー。彼らはこのとき、この仕事もいつものように終わるだろうと、信じて疑っていなかった。

 

 

 時間を戻そう。白い謎のロボットの襲撃から一夜明け、港町は新たな活気に包まれていた。

「おーし、材木を運んできたな。おーい! 組み立てはすぐにでもできるぞ、壊れた工場の解体はまだかかるか!」

「もう少しだ! 今、メイジ総出で宝石になっちまったとこを砕いて荷車に乗せてるとこだ。これだけの量だ、金貨何万枚になるか想像もつかねえぜ!」

「まったく、あの白いガーゴイル様様だな。俺らのぶんもちゃんととっとけよ!」

 威勢のいい掛け声があちこちで聞こえ、男たちは日に照らされながら汗を流している。昨日、ロボットの怪光線で宝石にされた建物は砕かれて解体され、他国に売りさばかれてクルデンホルフの儲けになるだろう。

 しかも、ポケットに詰まるまでなら取り分にして構わん、という太っ腹なお達しのおかげで、ズボンをパンパンにした男たちはいつにも増してやる気に満ち満ちていた。

 ここは造船所、ものづくりの街。ものが壊れればまた作ればいいという気概が住人には満ちている。

 そして、天を突くほどの覇気に満ち溢れた男がここにもう一人。コルベールは、昨日の騒ぎで夜にリュシーと会うことはできなくなった代わりに、今日は朝からリュシーを案内して回るという素晴らしい約束を取り付けることに成功していたのだ。

「お、おはようございます。ミス・リュシー、き、今日もなんとお美しい」

「あら、こんな黒一色の修道衣の私なんかにもったいないですわ。おはようございます、コルベール様。今日もよいお天気ですわね」

 朝日を浴びながら輝くような笑顔で現れたリュシーを、コルベールはしどろもどろになりながら出迎えた。

 彼はこの時のために、これまで興味もなかったおしゃれに気を遣い、仕事着もぴしっとした新品のものを身に着けている。コルベールにとっては、女王陛下の前に出るときでもなければしないような最大限の着こなしといえるだろう。

 しかし、そんな付け焼刃はリュシーの素朴なシスター服の前にはぼろきれ同然であった。何も着飾っていないにも関わらず、黒のシスター服だけで天使のような輝きを放っている。何で着飾ろうとも、所詮は中身がよくなければ何の意味もないことを、コルベールは心底思い知った。

"まさしく、この世に舞い降りた天使だ。それに比べて自分はどうだ? まるで百合の前の雑草だ”

 それでも、このくらいでくじけるほどコルベールもやわではない。男は見た目じゃないと自分を奮い立たせ、生まれて初めての女性のエスコートに出かけた。

「で、では今日は私がこの街と、私の東方号をご案内いたします。よ、よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いいたします。わたくしも、働く皆さんのお役に少しでも立てるように頑張りますね」

 ぺこりとおじぎをした可愛らしい天使に心臓をわしづかみにされて、コルベールは禿げ頭から湯気が出る思いだった。

 だが男の誇りを総動員して理性を保ち、自分の預かった職場を案内していった。

「こちらが軍艦に使う鋼板を製造する工場です。元々トリステインの冶金技術は他国に比べて劣っていたのですが、クルデンホルフが諸国から技術者を呼び集めたことでだいぶん改善されました」

「わあ、すごい熱気ですね。昔、立ち寄った村で鍛冶場を覗いたことがありますが、その百倍はありそうです」

「はは、驚かれましたか。女性の方にはわかりにくいかもしれませんが、鉄の良し悪しで国の豊かさが決まるほど、人間は鉄に頼り切っているものなので、この熱さはトリステインの温かさにつながるのです。よければ、作業の安全をお祈りいただけませんか?」

「もちろん喜んで。国が豊かになれば、それだけ貧しさで不幸になる人も減りましょう。始祖よ、この働き者の方々へ、惜しみない加護を与えてくださいませ」

 こうして、あちこちで熱心に祈りを捧げるリュシーの姿は働く人たちにも好意的に受け取られた。危険な仕事をする人間ほど安全祈願には熱心なもので、どこでも感謝で迎えられた。

 もちろんリュシーの人柄もあり、朗らかで謙虚な彼女はどこでもすぐに人気者になった。中には仕事そっちのけでリュシーをデートに誘おうとするギーシュみたいな不心得者もいる始末で、コルベールは慌てて彼女を連れてその場を離れた。もっとも今のコルベールに言う資格はないが。

 そうして街をひととおり案内すると、今度は東方号に二人はやってきた。

「ようこそ、私のオストラントへ。あなたを貴賓として歓迎いたしますぞ」

「まあ、それは光栄ですわ。ですが、わたくしが軍艦に乗せられても、お役に立てるでしょうか?」

「いえいえ、あなたに武器の講釈をしようなどとは考えておりませんからご安心ください。この船は国の行事に使用されることもあり、女王陛下のお召しも想定されています。ですが、こういうところですと、どうしても考え方が男中心になってしまいましてな。そこであなたには、女性からの視点でアドバイスをいただきたいのですよ」

「そういうことでしたら喜んで。わたくしは外国人ですけれど、ハルケギニアに二輪とない白百合とうたわれるアンリエッタ女王のためでしたら、微力を尽くさせていただきます」

 やった! と、コルベールは心の中でガッツポーズをした。昨日の晩、寝る間も惜しんでデートのプランを考えたかいがあった。本当なら自分の趣味を語りたいところだが、それはぐっと我慢して彼女を立てる場所を作るのだ。

 まずはコルベールはリュシーを案内して船内を巡り始めた。実用一点張りだった昔とは違い、今では東方号の中は乗組員が長期間過ごせるように、様々な設備が整えられている。

「すごい大きな船ですね。昨日は外を歩いただけでしたが、中も広くて迷ってしまいそうですわ」

「はは、全長四百メイル級のハルケギニア最大の船ですからね。最近は乗員が増えることも見越して、散髪屋や図書室も作られております。迷うと大変ですので、しっかり私についてきてください」

「はい。あら? こちらの降りる階段の先には何があるのでしょうか」

 ふと足を止めたリュシーの見る先には、関係者以外立ち入り禁止と札が立てられ、鎖で仕切られている鉄の階段があった。

「ああ、そちらは弾火薬庫なので立ち入り禁止になっています。いくらあなたでもこの先は通せませんが、元々おもしろいところではありませんよ」

「そう……ですか。コルベールさんは、こちらでも入れるのですか?」

「ええ、私はこの船の船長ですから。ささ、こんなところにいてもしょうがありません。先に行きましょうぞ。ささ」

 コルベールは、足を止めたままのリュシーを促して先へ連れて行った。

 やがて一通りの案内が終わると、コルベールはリュシーに貴賓室などの飾りつけの相談などをおこなった。すると、リュシーは花の飾りつけや装飾の配置など、武骨な男や頭の固い貴族からは出てこない繊細な心遣いを示してくれた。そして彼女の言うとおりに改装させると、船内は見違えるように美しくなったではないか。

「ほおお、これはなんと見事な!」

 コルベールは改装された船内を見て、世辞抜きに感嘆した。武骨な軍艦の中を飾りつけでごまかしたような感がどうしてもぬぐえなかった前までと打って変わって、まるで高級ホテルのような気品が漂う光景に変わっている。

 飾りつけを少々工夫するだけで、住まいというものの見栄えはこうも変わるものか。コルベールはリュシーに、生徒が百点を取ったときのように興奮して言った。

「見事です、ミス・リュシー。あなたのセンスは私の想像をはるかに超えていました。どこかで美術を学ばれたのですかな?」

「いえ、わたしは何も。ただ、昔住んでいた屋敷の風景を思い出したり、旅の途中で見てきたものを参考にしただけです」

「いや、それだけでこれだけの改善をなさるとはすごい。内装はそれなりに名のあるデザイナーの方に依頼していたのですが、あなたのほうが数段素晴らしい。これは才能ですぞ! あなたには素晴らしい才能があります!」

 コルベールの歓喜に満ちた剣幕に、さすがにリュシーも苦笑交じりで「あ、ありがとうございます」と、答えるしかなかった。

 せっかくここで好感度を上げるチャンスだというのに、教師としての本分を隠せないのがコルベールの残念なところだった。これがギーシュあたりなら、「美しいあなたの心が現世に現れたかのようです」などと褒めちぎるであろうが、同じ褒めるでもコルベールのはベクトルが違っている。

 けれど、コルベールだけではなく、改装を手伝った他の作業員たちもリュシーの手並みを褒めたたえると、リュシーは頬を赤く染めて照れくさそうな笑みを浮かべた。

「おや、どうしました? ミス・リュシー」

「いえ、こんなに人から求められたのは初めてなもので……これまで、シスターとして求められたことはありますが、それ以外のわたしが必要とされたことはありませんでしたから」

「それで戸惑われたのですな。ですが、心配しなくても大丈夫。人間は、誰かに必要とされることを感じて、はじめて自分の価値を知れる生き物なのです。もちろんシスターの仕事も素晴らしい。しかし、それ以外でもあなたには人の役に立ち、誰かを笑顔にできる力があるのです。よければ本気でデザイナーを目指してみませんか?」

「お、お気持ちだけいただいておきます……ふふ、これじゃまるでコルベールさんが神父様で、わたしが迷える子羊みたいですね」

 微笑みながらそうつぶやいたリュシーに、コルベールははっと気づいて赤面しながら頭を下げた。

「す、すみません。そういうつもりではなかったのですが、つい調子に乗ってしまいまして」

「いいえ、こちらこそそういうつもりで言ったわけではありません。むしろ、感謝しているのです。わたしは出家してから今日まで、神に仕えて生きようと思っておりましたし、周りからもそれだけを求められてきました。ですから、それ以外の生き方を薦めてくださったコルベールさんには感謝しています。それに、わたし自身も飾りつけをしているときは、とても楽しかったです。さきほどはとっさにああ言ってしまいましたが、デザイナーですか……ふふ、少し本気で考えてみることにしますわ」

「も、もしよければ私が全力で応援しますぞ!」

 コルベールは大喜びでリュシーの手を取り、そして慌てて離した。

「わっ、わわわ! すみません、私としたことがなんと失礼な」

「いっ、いえそんなことはありません。はは……あっ、そろそろお昼ですわね」

 赤面して見つめあう二人。コルベールは初心なところをさらけ出し、リュシーも男性経験がないのか頬を染めてごまかそうとして、ちょうどそのとき昼休憩を知らせる鐘の音が響いてきて、二人は笑いながら顔を見合わせた。

「そ、そろそろ昼食にいたしましょう。シェフに頼んで、ご婦人用の食事を用意させています。甘いものはお好きですか?」

「はい、大好きです!」

 と、そそくさと移動する二人。しかし恥ずかしさの中で、コルベールは心の片隅に小さな違和感を覚えていた。

”ミス・リュシーの手のひらのタコ。あれは杖を戦いで振るうことが日常の人間にできるもの……いや、まさか”

 気のせいだろうと、コルベールは違和感を拭って食堂へと向かった。きっと、慌てていたからだろう。

 

 食堂はすでに人で賑わっており、二人はコルベールが予約をとってあった高級士官用の席についた。

 向かい合って座った二人に、コルベールと顔なじみの工員たちが好奇の視線を向けてくる。ミスタ・コルベールにもついに春が来たのかと囁き合う人もいれば、中には「なんであんなコッパゲにあんな美人が!」と、呪いの視線を向ける者もいた。

「ここのシェフは、以前トリスタニアのレストランで活躍していた名人です。お口に合いますでしょうか?」

「ええ、とても。禁欲をむねとする聖職としては心苦しいですが、施しもまた神の与えてくれた大切な糧。遠慮なくいただかせてもらいます」

 上品に食器を扱って食事をするリュシーの姿は、元貴族だという彼女の育ちの良さを感じ取れた。

 そんなリュシーを見て、コルベールは彼女から隠しきれない高貴さを感じ取った。コルベールも身分上は貴族であり、基本的なマナーは当然身に着けているが、やはり気品の面では到底かなうべくもなかった。

「お気に召してよかったです。よければ、なんでも注文なさってください」

「ありがとうございます。ですが、神に仕える身で貪るわけにはまいりませぬ。それに、わたしも女ですから美容には気を遣っていますのよ」

 茶目っ気に言ったリュシーに、コルベールも「これは失敬」と笑い返した。

 この品性の高さ。リュシーが生を受けた家はよほど格式の高い家柄であったのだろう。しかし、それほどの名家がどうして娘を出家させなければならないほどに?

 コルベールはそれを尋ねようと口を開きかけたが思いとどまった。自分は地位や富にはなんの関心もないけれど、世の中の貴族の大多数はそれを巡って血で血を洗う争いを繰り返している。いくらリュシーが清らかな人だとしても、彼女の家族や親類までがそうとは限らないし、なんの落ち度もなくても謀殺の対象にされることもある。

 いずれだとしても、リュシーにとって思い出させて愉快なわけはない。それに、自分も過去を問われて愉快なわけではない。

「それにしてもミス・リュシーのシスターとしての敬虔さといい、先ほどの美術的な見識の高さといい、あなたには人を幸せにする才能が豊富にあられるようですな」

 コルベールは話題を変えた。素直にリュシーを褒め、そこから話題を広げていこうと思ったのだ。

 しかし、褒められたというのになぜかリュシーは決まりが悪そうに顔を伏せた。

「そんな、わたしなんかが人を幸せになんて……」

「えっ? あ! わ、私がなにかお気に触るようなことを言いましたかな?」

「あ、すみません。そういうわけではないのです。ただ、私はそんな立派な人間ではないのです……」

 妙に深刻な様子のリュシーに、コルベールも戸惑ってしまった。失言があったわけではないようだが、謙遜しているにしては深刻すぎるように見える。

 どうしたのだろうか? リュシーが何に気を病んでいるのかをコルベールは必死に考えたが、エスパーではない彼には彼女の胸中の奥深くを知るすべはなかった。

 と、そのときである。足元の鉄の床から、短くだが地鳴りのような振動が伝わってきてコルベールは眉をぴくりと動かした。

 今はエンジンは動かしていないはずだが、気のせいか? 振動はすぐに止まったので、コルベールは錯覚かとそれへの意識を急激に失っていった。

 ところが、食堂に顔を青ざめさせた工員が駆け込んできてコルベールに向かって叫んだのだ。

「ミスタ・コルベール! す、すぐ甲板においでください! 北のドックで軍艦が爆発しました!」

「なんですって! わかりました」

「コルベールさん、わ、わたしも」

 思いもよらぬ凶報に、コルベールとリュシーは血相を変えて通路を走り、鉄の階段を駆け上がって東方号の甲板に出た。

 甲板は、すでに大勢の工員たちで騒然としており、目を凝らすまでもなく、かなたから黒煙が上がってるのが見えた。

「なんということです! 巷で噂の爆破事件がとうとうここにも。ミス・リュシー、私は様子を見に行ってまいります。申し訳ありませんが、あなたは今日はこのままお帰り願えますか」

「いいえ、わたくしも少しなりとて治癒の魔法が使えます。もしかしたら、命を救える人がいるかもしれません。連れていってくださいませ」

「ううむ……仕方ありません。ですが、爆破犯がどこにいるかわかりません。決して私から離れませぬよう」

 コルベールは、真摯なリュシーの態度に折れて、連れていくことを承諾した。

 しかし責任者としての配慮も忘れず、こちらの監督たちに、指示があるまで現場を維持し、船の重要区画には誰であっても入れてはいけないと言い残していった。

 

 そしてそれから数分後、急いで事件現場に駆け付けたコルベールとリュシーが見たのは、くすぶる炭の塊と化してしまった一隻のフリゲート艦の無残な残骸であった。

「これはひどい……おうい! どこかに生き残っている者はいないか!」

 すでに現場では救援隊が駆け付けて生存者の捜索に当たっているが、まだ燃えている残骸に手間取っているのを見たコルベールは、迷わず助力に出た。

 船の残骸をかき分け、中から生存者を引っ張り出す。そして助け出した彼らから話を聞くうちに、爆破にいたった経緯が見えてきた。

「いつもどおり仕事をしていたら、いつの間にか見慣れないメイジが入り込んできて、火薬庫に火を放とうとしたのです。もちろん止めようとしましたが歯が立たず、船から逃げ出そうとしたのですが、私は間に合いませんでした……」

 船内から見つかる生存者が少ないのは、爆破前にわずかでも逃げ出す時間があったからかとコルベールはほっとした。

 しかしそれだと、犯人は船と運命を共にしたのかといぶかしんだとき、爆破前に船外に脱出できた作業員から話を聞けた。

「船が爆発した瞬間に、炎に紛れてメイジが飛んでいくのが一瞬見えました。どこへ行ったか? すみません、一瞬だったのでそこまでは……」

 コルベールは当事者たちから話を聞くうちに、犯人は相当に手練れのメイジだと確信した。いくら工員しかいない修理中の船とはいえ、一息に軍艦に侵入して弾薬庫に火をつけた上で逃げ出すなど並の腕でできることではない。

 やがて救援隊の活躍もあって、行方不明者もすべて探し出されると、コルベールは救援隊の指揮官から礼を言われた。

「助かりました、ミスタ・コルベール。我々だけでは、とても燃える船体から生存者をこうも迅速に救助することはかないませんでした」

「礼を言われるようなことはしていません。私は火のメイジですので、燃えるものの扱いは多少手慣れていただけです。それより、負傷した人たちは?」

「ご心配なく。すべて応急処置はすみ、搬送を済ませました。幸いなことに、修理中のために弾薬がほとんど詰まれていなかったおかげで、被害はドックの中だけですんだようです。もし弾薬を満載していたら、恐ろしい限りです」

 胸をなでおろして、救援隊の隊長は去っていった。

 しかしコルベールは、彼のようにほっとすることはできなかった。爆破されたフリゲート艦は軍艦の中でも小型の部類で、爆破されても損害はこの程度ですんだが、もしもっと大型の弾薬を満載した船……そう、東方号が爆破されでもしたら、この街が丸ごと吹き飛んでしまうくらいの被害が出てもおかしくはない。

「ぞっとしますな……誰だか知りませんが、恐ろしい相手です」

 ぽつりと独り言をつぶやき、コルベールがふと振り返ると、瓦礫の前にひざまづいて祈りを捧げているリュシーがいた。

「痛ましいことです。戦ですらなくとも人は傷つき倒れていきます……神よ、この世はなんと無情に満ちているのでしょうか」

「ミス・リュシー。けが人の手当てのお手伝い、心から感謝いたします。お気持ちはわかりますが、我々はできる限りのことをやって被害を最小限にとどめることができました。犯人ももう逃げたようですし、そろそろ行きましょう」

「はい……できれば逃げた犯人たちに会って、悔い改めるよう説得したいものです」

 立ち上がって振り返ったリュシーの瞳には深い悲しみが満ちていた。コルベールは一瞬ためらったが、やがて彼女をうながしてその場所を離れていった。

 

 だがその一方で、事件現場をいぶかしげにのぞき込む二人の人影があった。

「……これはどういうことだと思う? ドゥドゥー」

「さっき飛んでいった人影って、アレだよね。兄さん、いったい何がどうなっているんだい? まさかジャネットの奴、また浮気を」

「ジャックがついてるのに限ってそれはないよ……どうやら、敵を見くびっていたみたいだね……ドゥドゥー、気を引き締めろよ。甘く見てると、たぶん死ぬよ」

 冗談ではない、梟のような暗く鋭い目でダミアンに睨みつけられ、ドゥドゥーはたらりと冷や汗を流した。

 ダミアンが何を考えているのかドゥドゥーには読み取れない。子供の姿で常に尊大に構える兄は、その態度とは裏腹に冷徹で隙の無い策謀で敵を出し抜いてきた。その兄が本気で何かを考えている。

 残骸のくすぶりが静まり、代わって傾き始めた太陽が同じ色で街を照らし始めている。ダミアンとドゥドゥーは、いつしかその街角の暗がりの中へと消えていった。

 

 

 そしてやがて日も落ち、軍艦が爆破されるという大事件が起きた街にも静けさが戻ってくる。

 光が消え、夜と呼ばれる時間が世界を支配する。それは単なる太陽と月の入れ替わりにはとどまらず、異なる理と住人の登場をも意味する。

 太陽の下ではさえない雑草だった草が月光の下ではきらめく花を咲かせ、日のあるうちは穴倉の中でうずくまって過ごす大人しい小動物が月夜の中では獰猛なハンターと化す。

 カードやコインは反転するだけで、その柄をがらりと変える。夜とはそんな時間であり、そしてなにより大きく反転するのはもちろん……。

 

 

 不夜城を誇る街も、夜のとばりが深くなっていくごとに疲れには勝てず、多忙な一日を送っていた人間たちもベッドのある住まいへと帰っていく。

 昼の間は眠っていた歓楽街が朝までの繁栄を謳歌する以外は人通りが消え、やがて時計の鐘が日付の交代を告げる刻には静寂が支配する。

 その頃にはコルベールも数多い後始末から解放され、ようやく無人となった事務所のソファーに身を横たえていた。

「長い一日でした……」

 東方号の警備の強化、それによるスケジュールの調整。それは簡単に決められるものではなく、明日にでも魔法学院に帰らねばならない身としては過酷そのものであったが、こちらの現場の担当者に一任してしまうには問題が大きすぎた。

 しかしこれで、当面の問題は整理がついた。後はコルベールがいなくてもなんとかなるはずで、指示を受けた工員や班長たちも、もう全員帰るか出かけてしまったようだ。

 体と心を休め、コルベールは今日のことを思い返した。問題は山積していたが、義務であることは全て果たした。コルベールの仕事ぶりに文句をいう者はないだろう。

 いや、懸念はあと一つ残っている。コルベールの心の奥底では、今日のことで消えない違和感がくすぶっている。杞憂であればいいが、コルベールの勘では、早ければ……そのせいで、疲れているのに目がさえて眠れない。

 事務所に残っているのはコルベール一人。ところが、誰もいないはずの事務所にコツコツと足音が響き、コルベールの元にリュシーが現れた。

「お疲れ様です、コルベール様」

「おや、ミス・リュシー。今日はもう、帰られたと思っていましたが」

「あんなことがあった後ですので、わたしも寝付けなくて。ここに来れば、コルベール様に会えると思いまして」

 コルベールは起き上がってソファーに腰かけ、リュシーはコルベールの座っているソファーの隣に腰かけた。

 座ったリュシーは僧服のフードをまくり、素顔を見せた。長い金髪があらわになり、僧服の中に閉じ込められていたリュシー自身の甘い香りがコルベールの鼻孔をくすぐった。

 美しい……コルベールは正直にそう思った。憂いを含んだ表情は超一流の絵画のように完璧に整い、絢爛なる舞踏会を探しても彼女ほどのきらめきを放つ人はそういないであろう。しかし……。

「私に、なにかご用ですかな?」

 自分でも意外なほど冷静にコルベールは尋ねた。二人の距離はもう肩が触れ合うほど近く、顔を向ければ吐息を感じることもできようのに、コルベールの顔色はそのままだった。

 しかし部屋は中古の魔法のランプの明かりで薄赤く照らされ、リュシーは紅に染まったように見えるコルベールの頭と顔を上目遣いに見ながら話し始めた。

「今日は、とても怖いことがありました。大勢の人が傷つき、悲鳴やうめき声が聞こえ、血の匂いを嗅ぎました。わたしはこれまでの旅でも、何度も悲しい場面を目のあたりにしましたが、今日は本当に戦場というものの怖さを感じました。コルベール様、どうして人はこうも悲劇を繰り返すのでしょうか?」

「そうですね。私も、もう若いとは言えない歳になるまで生きてきましたが、それについてはよく考えます。ですが私の乏しい頭で思うに、たとえその理由を知ったところで、争いや悲劇が消えることはないのでしょうな」

「それは、どうしてですか?」

 部屋は無音で、冷めかけた白湯が最後の湯気をあげた後には動くものもない。

 尋ねられたコルベールは、虚空を仰ぎながら独り言のように言った。

「人には、たとえ悪意がなくとも、誰かを不幸にしてでもやらねばならないことや、やりたいことがあるからですよ。人から見たら間違ったことでも、それが間違っているとは思わない、間違っているとわかっていてもやらねばならない、そして……間違っていると気づいたときには、もう遅いということもあります」

 寂しげにつぶやいたコルベールの語りは真に迫っていて、まるで全てを見てきたようなその横顔は、見る人間が見れば鬼気迫るという風にすら感じられただろう。

 しかしリュシーは、コルベールの言葉にわずかに肩を震わせたものの、そのままコルベールにすり寄るように身を寄せてきた。

「人とは、なんと恐ろしい性を持っているのでしょうか。コルベール様、わたしは怖い、とても怖いのです」

「ミス・リュシー、お顔が近いですよ。聖職にある者が、みだりに体を他者にゆだねてはいけません」

 少し首を伸ばせば口づけができてしまうほど顔を寄せられても、コルベールは冷静であった。

 もし、半日前のコルベールであれば興奮して我を失っていたに違いない。しかし、今のコルベールは違った。

「コルベール様、もし恐ろしい犯人があなたの大切なオストラントを狙ってきたとしたら、どうしますか?」

「すでにクルデンホルフに使いを出し、明日にも屈強な騎士団が警護につくことになっています。心配はいりませんよ」

「さすがコルベール様。ですが、この街のどこかに恐ろしいメイジがまだ潜んでいるかもしれません……コルベール様、わたしは怖くてたまりません。せめて今宵一晩だけでも、いっしょに過ごしてはいただけないでしょうか?」

 甘えるような声で言うリュシーに、コルベールは答えない。しかし、沈黙を肯定ととったのか、リュシーはさらにコルベールにすり寄りながら言った。

「わたし、昼間のコルベール様の勇ましいお姿を見てから、胸の奥が熱くてたまりませんの。お願い、抱いて……あなたのその腕で、わたしを強く……あなたが、好き」

 まるで人が変わったような甘え切った誘惑の声。それは男の理性を溶かし、乱心させてしまうだけの力を十分に持っていた。

 しかし、コルベールは寄りかかってくるリュシーをぐっと引き離すと、悲しさを孕んだ目を向けながら言った。

「ミス・リュシー、船を爆破したメイジたちを手引きしたのは、あなたですな」

 それは見えない落雷であり、通告を受けたリュシーの表情を虚無に変えるのにたくさんな威力で二人の間に轟いた。

 そう、あまりに一方的な罪人としての通告。しかしリュシーは困惑や動転といった反応には及ばずに、無表情という名の表情となり、確かめるようにコルベールに尋ねた。

「なぜ、わたしがそのような大それた犯罪の黒幕だと、そう思われましたか?」

 その声色は、まるで教会に告解にやってきた咎人に話しかけるシスターのそれであった。

 咎めるでも、弾劾するでもない、ただ聞きとめるだけの問いかけ……コルベールは、ふうと息をつくと、昼間のことでいくつかあなたに対して違和感を持ったこと、そしてあの現場で決定的な言質を得たのだと答えた。

「ミス・リュシー、あなたはあの現場で私に、『逃げた犯人たち』と、言いましたな? 犯人が複数などということは、あのとき誰も証言していません。爆破の衝撃のあまりに、逃げていく人影を一瞬だけ見た、それだけです」

「それでしたら、コルベール様の見ていないあいだに、わたしが別の誰かから『犯人が何人もいた』と聞いたことで説明がつきませんか?」

 リュシーの言うことはもっともであった。動かしがたいと言える物的証拠はない。だがコルベールは悲し気に首を振った。

「そうですな、私もできればそう思いたかった。ですが、ここに現れたあなたを見て確信しました。今のあなたからは、あまりにも隠しがたい殺気が溢れている! あなたはただのシスターなどではない。証拠をと言うのならば、ここで私があなたに気を許そうものなら、その袖の中に隠した杖で瞬時に私の意識を奪うでしょう。違いますか?」

 リュシーの体がびくりと震え、彼女は観念したかのように袖口の中に隠していた杖をさらした。

 そして、その瞬間にリュシーの雰囲気が変わった。慈悲深いシスターでも、男を誘う妖女でもない、鬼のような殺気を秘めた目を持つ冷酷な魔女のものへと。

「お見事です。慣れない色仕掛けなど、するべきではありませんでしたね。何も知らないままで、心を操ってあげようと思っていたのに、残念です」

「すみませんな。私は女性には弱いですが、あなたのような種類の人間を相手にするのは若干経験があるもので。それでも、途中まででしたらまず気づかなかったでしょう。昼間の爆破は囮で、本命は私に取り入ってオストラントを狙うことですか?」

 リュシーは苦笑しながらうなずいた。

「正解です。もう察しがついているかと思いますが、私の使う魔法は人の意識を操る水の禁呪『制約』です。あなたの心が乱れた瞬間にそれをかけ、手駒になってもらうつもりでした。いくら警戒厳重であっても、まさか船主のあなたが火薬に火をつけに来るとは誰も思わない。そして、証拠は手駒とともに炎に消える。そういう手はずだったのですが」

 恐ろしい計画を淡々と話すリュシー。昼間の温厚で純朴なシスターの姿からはまるで想像もできない、人の命を道具としか見ていない悪鬼の考えだった。

 けれど、コルベールはリュシーに失望した様子は見せず、つとめて穏やかに問い続けた。

「各地で起こった爆破事件で痕跡を掴ませなかったのも、制約で他人を操って、自分は手を下さなかったからですな」

「はい。神官という立場は通常は疑われるものではありませんし、罪の意識を持って懺悔に参る人の心にたやすく制約の魔法の枷はかかりました。オストラントに関わる誰かにも、その手を使うつもりでしたけれども、まさかコルベール様からお誘いいただけるとは思いませんでした」

「思えば、私はまさにネギをしょった鴨ですな」

 笑うしかないコルベール。しかし、コルベールの行動は周到に計画を進めようとしていたリュシーにとって、まさに想定外の事態であった。

「取り入るならばこれ以上ない方に、向こうから話しかけられたときにはさすがに驚きました。ですがあなたには罪の意識に働きかける手は難しそうに思い、絶好の機会と焦ってつまらない真似をしたのが間違いでした」

「でしょうな。私としては、あのような姿があなたの本性ではなくてよかったですが、あなたの思惑通りにさせてあげるわけにもいきません。あきらめていただけないでしょうか?」

 倒すとも捕まえるとも言わず、それどころか何故オストラントを狙うのかとすら聞かず、ただあきらめてくれとだけ言うコルベールの様はリュシーにとって意外だった。

 まだ求婚することをあきらめていないのか? いや、コルベールの片手はいつの間にか杖をしっかり握っており、もしリュシーが魔法を使うそぶりを見せれば確実にそれを上回る速さで阻止してくるだろう。

 そう、動きはないがリュシーとコルベールの間では死闘と呼べる読み合いが続いていた。リュシーが放つ殺気はいささかも衰えてはおらず、もし一瞬でもコルベールが隙を見せようものならためらわずに命を奪う魔法をぶつけるだろう。それをしないのは、恐ろしいくらいにコルベールにつけいる隙がないからだ。

 逆に、コルベールからもリュシーに対して殺気に近い威圧感がぶつけられていた。それはリュシーの殺気に押し負けるようなものではなく、リュシーはコルベールがスクウェアに近いかそれ以上の実力者であることを見抜いていた。

 メイジの戦いは精神力の戦いである。殺気でも怒気でも、強い心の波動がメイジの強さになる。だから、互いにそれを放ちあったからこそ、コルベールは動かず、リュシーは動けずにいた。

「あきらめたら、わたしをどうなさるおつもりですか?」

「別にどうも。私にはあなたを裁くような権利はありません。あなたが私の友人に危害を加えるというのなら、私も鬼にならざるを得ませんが、もう二度とこんなことはしないと誓っていただけるなら、このままお帰りいただいて結構です」

 それは「なめている」と言われても仕方ないほど甘い条件だった。この場をごまかすために「あきらめました」と言っても、コルベールにはそれを確かめる術はない。リュシーは本気で、コルベールという男がわからなくなった。

「コルベール様、あなたは何者なのですか? あなたがその気になれば、わたしをこの場で屈服させることもできるでしょう。それくらいの力をあなたが持っているのはわかります。なぜ、力を行使しようとはしないのですか?」

「私は、暴力でなにかを解決しようとすることが嫌いなだけですよ。ミス・リュシー、あなたの事情はわかりません。ですが、あなたにはまだ引き返せる道がある。どうかもう、無益な破壊はやめてくれませんか」

 頭を下げ、哀願するようなコルベールの姿に、リュシーは愕然とさえした。いったいこの人は何なのだ? 狂信的な平和論者なら世に腐るほどいるが、これほどの実力を秘めていながら戦いを嫌がるとはどういう考えをしているのか?

 だが、情けをかけられているという結論が、リュシーの憎悪に火をつけてしまった。

「わたしに、哀れみは不要です!」

 その瞬間、部屋にまるでフラッシュをたいたかのような閃光が走り、直後コルベールは体の異変を察知した。

「ぬっ!? これは、体が動かない。これは魔法? いや」

 閃光を浴びた瞬間から、コルベールはまるで全身が固まってしまったかのように動けなくなってしまった。

 これでは杖も振れず、魔法が使えない。しかし焦るコルベールに、リュシーは冷たく言い放った。

「無駄ですよ。それに捕まったら、もう自力では抜け出せません。意識を保っているだけでもすごいですが、さっさとわたしを倒さなかったことを後悔してください」

「く……これはいったい」

「しゃべることもできますか、本当にたいした精神力ですね。ですが、それまでです。わたしは、これまでの事件で火気のない場所を破壊するために、ゲルマニアの武器商人から購入した火薬を使っていましたが、その商人から譲り受けたこれは、一瞬で人から自由を奪い取ります。もうあなたには何もできません」

 説明するリュシーの声からは、勝利の確信が溢れていた。確かに、コルベールがいくら抵抗を試みようとしても体はまるで鉛になったように動かない。

 どんな仕掛けだ!? いや、このままではナイフ一本ですらやられる。体が動かない代わりに、コルベールの額に汗がにじんだ。

 だが、リュシーはコルベールにすぐにとどめを刺すことはせず、怒りをぶつけるように言った。

「あなたが悪いんですよ。コルベール様のご好意には感謝していましたから、ここまでするつもりはなかったのですが、もう許せません。あなたは、わたしの怒りを哀れんで甘く見ました」

「私は、あなたを甘く見てはいません。人を傷つけないのは、私にとって義務なのです。それより、それほどの憎悪の根源……やはり、あなたの目的は復讐ですか?」

 それを聞いたとき、リュシーの殺気が少しぶれ、コルベールは確信を持った。

「やはり……それほどまでに強い怒りを持つのは、なにかへの復讐を誓ったものしかいません。あなたは、かつて大切なものを理不尽に奪われた。破壊を繰り返していたのは、その復讐のため、違いますか?」

 その問いに対するリュシーの答えは、冷めていく彼女の殺意の感情が物語っていた。

「本当に、鋭い方ですね。確かに、わたしはかつて貴族だった折に、父や一族と幸せに生きておりました。ですが父は殺され、家族はバラバラにされました。その怒りは、忘れたことはありません」

 図星を刺されたことで、リュシーのコルベールに対する憎悪は、一種の感嘆に変わっていた。

 しかし、それでリュシーの怒りのオーラが消えたわけではない。もし、ここでコルベールが言葉を誤れば、リュシーは即座にコルベールの命を奪うだろう。しかしコルベールは、むき出しの殺意を向けてくるリュシーに沈黙は選ばなかった。

「悲しいことです。あなたの父上は、あなたにとって本当に誇りだったのですね。そして父上や家族を奪われ、咎人となるも構わずに復讐を選んだあなたは、本当に家族を愛していたのですね」

「ええ、そうです。それが、なにかおかしいですか」

「いいえ、ただ残念です。あなたにそれほどまでに愛される父上なら、私も一度お会いしてみたかったものです。あなたの利発さを見ればわかります。きっと、ためになるお話をいろいろ聞かせてくださったことでしょうなあ」

 その返しは、さしものリュシーも呆れたふうに息をつかせた。

「つくづく、おかしな人ですねコルベール様は。これから死ぬかもしれないというときに考えるようなことですか?」

「ははは、知的好奇心は私の本能のようなものでして。おかしな奴だとはよく言われます。こればかりは死ぬまで治らんでしょうな」

 死への恐怖をまるで感じさせない様子でコルベールは笑った。するとリュシーは目を細めながら言った。

「おもしろい人。もしわたしが貴族の時に舞踏会であなたと会っても、きっとすぐに突き放すでしょうけれど、あなたの優しいところを見ていると少しですが父を思い出します。ですが、もう終わりにしましょう。これ以上お話していると、わたしの心がおかしくなってしまいそうだから」

 リュシーの目に新たな殺意が宿る。コルベールは、これ以上の説得は不可能と見たが、それでもこれだけは問いかけずにはいられなかった。

「なら、最後にこれだけは教えてください。あなたにそこまでさせる、あなたと家族にとっての仇とは誰なのですか? なにに復讐するためにハルケギニア中で破壊を繰り返していたのですか?」

 その問いかけに、リュシーの表情が曇る。そしてリュシーは、まるで絞り出すように答えた。

「……わからないのです」

「え?」

「わからないのです。わたしが、何を恨んで、何に復讐しようとしているのかが、自分でわからないのです」

「そんな、どういうことです?」

 コルベールの表情も困惑に歪む。復讐する相手がわからない? 意味がわからない。

 だがリュシーは、何かに怯えたように引きつった声で言った。

「わからないのです。わたしの父は確かに誰かに殺され、家族は誰かに引き裂かれた。その怒りと憎しみはわたしの心に焼き付いています……けれど、信じられますか? 父を殺し、わたしからすべてを奪った、その仇が誰だったかをわたしは思い出せないんですよ!」

「まさか、そんなことが……」

 絶句するコルベール。リュシーは今にも泣きだしそうだ。

「おかしいですよね。父の仇を忘れてしまうなんて……ですが、どうしても思い出せないんです。しまいには、自分自身に制約の魔法をかけて記憶を引き出そうともしましたが、無駄でした。コルベール様、わたしはあなたを散々に言ってしまいましたが、わたし自身はとうに壊れた人間だったんですよ」

「ですが、ならばなぜこんなことを」

「……仇の記憶はなくても、この心に煮えたぎる復讐心は消えませんでした。やり場のない怒りで、もうおかしくなってしまいそうな日が続いたある時……わたしの耳に聞こえてきたんです。悪魔のささやきが」 

 

『なら、全部、ぜーんぶ壊しちゃえばいいじゃないですか。目につくものを、壊して壊して壊し尽くせば、そのうちあなたが本当に壊したいものを壊せるかもしれませんよぉ?』

 

「できれば狂いたかった。けど、狂えないわたしには、その声に従うほかはなかったのです」

 悲しみに満ちた目で、リュシーは告白した。

 コルベールはかける言葉がない。恐らくは、何者かによって仇に関する部分の記憶に封印が施されてしまったのだろうが、恨む相手すらなく怨念だけが残り続けるなど、まるで生きながら怨霊にされてしまったようなものではないか。

 怒りと、憎悪と、悲しみを宿した目でリュシーはコルベールの前に立つ。

「お別れです、コルベール様。ですが、あなたに制約の魔法をかけるのはこれでも難しいでしょう。ですから、これを使わせてもらいます」

 いつの間にか、リュシーの手には画びょう程度の小さな針が握られていた。

「それは……?」

「ゲルマニアの武器商人から手に入れた道具です。これを刺された人間は、わたしの意のままに操られます。彼らのように」

 リュシーが合図をすると、部屋の中に足音がして二人の人間が入ってきた。そのうちの大柄な男性はコルベールの知らない顔であったが、隣に立っている派手な身なりの少女には見覚えがあった。

「ジャネットくん……!? そうか、昼間に船を爆破したのは彼女たちだったのか」

 コルベールは合点した。元素の兄弟クラスのメイジならば、船の火薬庫に火をつけてなお生きて脱出するという芸当も可能だろう。そして、経緯はわからないが、あの二人も自分と同じ手でやられてしまったに違いない。

 ジャネットと、隣のジャックは虚ろな目をして立ち尽くしており、操られているのは明白だった。このままでは自分もああなってしまうと、コルベールはなんとか脱出をはかろうと試みたが、リュシーはコルベールに寄り添い、冷たくささやいた。

「心配しないで、痛くはありません。わたしもきっと、遠からずそちらへ行くことになるでしょう。あなたは少しだけ先に行って待っていてください」

 リュシーの持つ針が少しずつコルベールの首筋に近づいていく。コルベールに、逃れる術はなかった。

 

 

 だが、その一部始終をのぞき見していた者が夜空にいた。

 月光の下にコウモリのような姿を浮かべる、元凶のあの宇宙人。彼はあごに手を当ててもったいぶった仕草をしながら満足げにうなづいた。

「ウッフフフ……あの小娘、なかなかいい仕事をしてくれますねえ。私の小細工の副作用で記憶が混乱していたのをカワイソウに思って助けてあげたら、よくよく世界をかき回してくれる上に、この上物の”憎悪”の波動。いいですねえ、すばらしいですねえ」

 彼は自分の目的が順調に運んでいることへの喜びを大仰に表現し、次いで今度は深く考え込むように腕組みをすると、わざとらしげにくるりと逆さむきになってつぶやいた。

「それと、最近私にちょっかいを出してくる誰かさんを引っかけるために泳がせていましたが、やはり派手に目立っていただけに引っかかってきましたね。あの洗脳装置は確かナックル星人が使っていたものと同じ……と、いうことは誰かさんの正体はナックルさん……? いえ、そうとは限りませんね」

 結論を急ぐのを彼は自制した。あの程度の装置など、それなりの技術力がある星人なら誰でも使える。偶然であろうがバルタン星人とメフィラス星人のように、ほとんど同じ型の宇宙船を使っていた例もある。短慮は禁物だった。

「彼女に武器を売った商人さんとやら、ちょっと洗ってみますか。おや?」

 そのとき、彼の耳に大きな水の音が響いてきたかと思うと、河の水面が大きく泡立ち、水中からあの白いロボットがその巨体を浮上させてきたのだ。

「あれは! ほほお、誰かさんとやらの正体はともかくとして、派手好きな方なのは間違いないようですね。これはさらにおもしろくなってきましたよぉ!」

 先日の戦いで河中に沈んだはずのロボットは、赤い目を輝かせながら街へ上陸するために河中を前進してくる。その足取りは重々しくゆっくりで、ヒカリによって切り落とされた右腕には代わりに巨大な砲が装備されている。

 一見して以前とは違う。しかし、いったい何者がこいつを改造したのだろうか? そしてその目的は?

 人間の思いをおもちゃにして、侵略者たちの遊戯は身勝手に激しさを増していく。

 

 

 続く


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